2011年1月19日水曜日

グチ、ボヤキ

このところ、ひょんなことで裁判所とか法務局とかに出かけることが多い。現場の記者時代に取材で出かけていたのとは違い会社の諸雑務の一つとして“一利用者”として出かけている。

それにしても、裁判や調停、供託だとか、この国の諸制度のややこしさや段取りの複雑さは大したものだ。実に厄介。一般ピープルに諸制度を利用させないことが狙いという見方もあながち大げさではない。

そうはいいながら、一方でやたらと役人が親切なのにも驚く。ややこしく面倒くさい手続きについても、「相談」という名目でほとんどやってくれる。

昔の役人といえば、意味もなくエバっているイメージがあったが、いつのまにか中小企業など足元にも及ばぬ好待遇になったのと歩調を合わせるように妙に親切になった。

まあ、リストラも無縁、ドラスティックな配転や降格もなく、ボーナスだってきっちり保証される今時珍しい好待遇に浴しているわけだから、ニコニコ応対するのも当然だろう。

エラそうに応対していたらたちまち批判が集中する。その昔、それこそ「蛇蝎」のごとく嫌われていた税務職員ですら、今では、行政サービスの好感度上位の常連だ。

「火事だ」
「どこだ?」
「税務署だ」
「放っとけ」

昭和40年代頃はこんな小話が普通だったぐらい、税務署イコール憎っくき敵だったわけで、他の役所も似たりよったりだったはずだ。

いまや「お上」っぽさをふりかざそうものなら市民から袋だたきに遭うから、ソツなく親切行政に励んでいる。

その一方で、出直し市長選が話題になった鹿児島県阿久根市や名古屋市議会をめぐるゴタゴタを見ると役人根性の凄さを思い知らされる。

既得権益を守ろうとする時の役人の団結力やあふれ出る知恵は想像以上だ。坂の上の雲の秋山真之ではないが、まさに「知謀湧くが如く」といった感じだ。

あまりナナメから役人を論評するばかりでは気の毒だ。なんだかんだいっても、どこの世界でもそうだが、キチンとした公僕意識を矜持に精一杯努力している人がいっぱいいるのも間違いない。

逆に弁護士とかの専門士業の先生方のほうがタチの悪いヤカラが沢山いる。傲慢不遜なだけならともかく、その分野の専門家ズラをしながら、とんでもない思い違いをしでかしている御仁も存在する。

専門家ゆえにゴマカシかたも専門用語を駆使して巧妙だったりするから素人は煙に巻かれる。英語が話せないアメリカ人みたいなものだ。

悲しいことに人間誰しもバカだと思われたくないから、中途半端に知識を詰め込み、中途半端に専門家とやりとりをする。すると、その中途半端が足枷になって専門家にいいようにあしらわれてしまう。

こうなると専門家センセイの思うツボ。「そういうものなんです」、「それが当然です」という根拠なき押しつけが絶対化されてしまう。

そういう意味で貴重かつ最強なのは「無知の力」だろう。そこそこの知識、そこそこの法律的教養があれば、交渉の際に話の落としどころを考えるのが普通だ。

いわば「理屈対理屈」という次元であれば、ある意味話がつくのはたやすい。これが「理屈対感情」になると始末に負えない。

世の中の道理や常識、そして法律的解釈からみて「当たり前」のことが、感情だけで動いている無知な人にはまったく通用しない。

どう考えてもマトモな正論のはずが「感情だけが行動規範の無知な人」にかかると簡単にぶっ飛ばされる。

しまいには、正論を通そうとしたほうがギブアップすることも珍しくない。決して冷やかしや揶揄ではなく、“無知こそ最強”と思うことがある。

最近、そんな目に随分遭わされている。正直ヘトヘトだ。正論を筋道立てて主張しているこちら側がいつの間にか悪の権化みたいに扱われる。

世の中の不条理に苦悩している。今日はグチやボヤキばかり書き殴ってしまった。スイマセン。

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