2011年1月28日金曜日

着衣とエロス


今日の最初の画像、タイトルを付けるなら「オッパイと私」だ。右側が銀座で調子よくウダウダ語っている私。隣のホステスさんから「こいつアホかいな」という視線を向けられている。

正直、こういうオッパイは隣に座られるより目の前に位置してもらったほうが有難い。そのほうが私の視線はさりげなくオッパイを捉えることが出来る。

この手の服はどこで売っているのだろう。私もゼヒ売り子になって試着とかを手伝いたいものだ。

銀座の女性陣は、客が求める非日常感を演出するため、みなさん画期的な衣装を身にまとう。いつもジロジロ眺め回したと思うのだが、さすがに凝視はできない。今度、ハマショーばりの真っ黒いサングラスを持参して定点観察に励もうと思う。

それにしても、女性のうなじとか背中ってどうして男心をそそるのだろうか。胸とかお尻とかに目が向くのは不思議ではないが、うなじや背中に目が行くのには、遺伝子情報とかの深遠かつ神秘に満ちた理由があるのだろう。




かといって、実際には素敵な女性と「すんばらしく有難く嬉しくハッスルする場面」を迎えたとしても、背中とかうなじに執拗に執着するような男はいない。これがまた不思議だ。

身にまとっているものがあるからこそ、大注目対象になるのが、「背中うなじ連合」なんだろう。着衣のエロスとでも言おうか。服があるからこそ好奇心が湧くのかもしれない。

週刊誌の変なグラビアが一部で熱狂的支持があるのは有名な話。シチュエーション、衣装ごとに着衣の女性の一部分だけが合成でヌードになっているパターン。妄想ヌードとか、透視ヌードとかいうアレだ。

その手のグラビアが掲載されている号は発売部数が伸びるらしい。“着衣と好奇心、覗き見趣味”的な要素は、やはり、そのものズバリよりも世の男達を奮い立たせる証しだ。


女性陣の和服姿も独特な雰囲気があって素敵だ。色っぽくセクシーな衣装と比べると間違いなく、堂々と凝視できる。凝視したところで何も分からないのだが、オッパイがドカーンととんがっているような服の人といるよりも落ち着いてご一緒できる。

上の画像は、和装の綺麗どころ2名と食事をした某日のヒトコマ。こうなるとこっちも和服を着たくなるが、ヘタに和服を着たら特殊団体の関係者に見られてしまうからそうもいかない。

よくよく考えれば、伝統的装束を普通に着て歩けない風潮は不自然だ。国会議員のグループが正月の本会議場に和装で登院する慣例があるが、1月以外にもそうした運動を実践してもらいたいものだ。

今日はどうも話があちこちに飛んでしまう。

なんだかんだ言って、着ているものが作り出す空気ってかなり大きい。私の場合、デニム姿の女性にはまったく色気を感じないし、ローライズから覗く“見せパン”とやらもちっとも有難くない。かえって嫌悪感を覚える。

コンサバ指向?の私だ。女性にはとにかく女性っぽい格好をしていて欲しい。だからデニムは苦手だ。いまどきの森ガール的な格好も、ある意味女っぽいのだろうが、ああいう色気に欠けるのも好きではない。

ローライズにウホウホ喜ぶオジサンは多いが、あれもどうだろう。下着なんてものは、当人が見せるつもりがないから、こっちも見たくなる。隠されているからこそ偶然見えちゃうとグッとくる。それが正しいと思う。

なんかウダウダと書き殴ってしまった。うなじや背中がどうだとか、和装がどうした、デニムがどうだとか書き連ねたが、なんだかんだ言って下のような光景を目にすると、ただただヨダレ太郎になっている私だ。

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