2008年12月27日土曜日

年末年始

一応、平日限定で更新しているこのブログ。年末年始の休暇に入ります。

年末は、結局、鳥取の皆生温泉にちょろっと行って、あとはゴロゴロの予定。

大分・別府か、鳥取・皆生か、最後まで悩んだが、松葉ガニの誘惑が勝り、
大分はいつか改めて攻めてみようと思う。

大分で味わう予定だった旨いモノが頭に残っちゃったので、つい先日、銀座4丁目の郷土料理屋「竹の子」を訪ねてみた。アレコレ大分・九州モノを堪能。近いうちにレポートする予定。

年末年始の休み中に、パソコンに向かう意欲がわいたら、更新しようと思います。遅くても1月5日か6日には復活します。チョット気が早いですが、今年1年、雑文にお付き合いいただいた読者の皆様に感謝です。

皆様良いお年を!!

2008年12月26日金曜日

帝国ホテル「ブラスリー」

帝国ホテルの「ラ・ブラスリー」に行ってきた。古典的かつ日本的?なフランス料理を味わえる貴重な店だ。インペリアルタワーの地下1階。周囲には、天一や鮨源などがあるエリアだ。

基本的に私はフレンチが苦手だ。とくに創作系は全然ダメ。そんな私でもこの店のメニューは眺めているだけで安心。何が出てくるか分かる。

小学校から高校までフランス語を勉強させられる学校に通ったが、フランス的なものは大体苦手だ。ヒステリックなフランス人の教師や、得体の知れないフランス語の発音に苦しんだことが原因だろう。

そんなことはさておき、レストランの話だ。ひとことで表現するなら「ラ・ブラスリー」は、日本人が作る“日本人的西洋料理”の最高峰だろう。

その昔、まだ東京の中心部でも外国人が歩いているだけで珍しかった頃の西洋料理だ。実際、この店の古典的なメニューには、今は亡き帝国ホテルの象徴・村上料理長考案のものがいくつもあるらしい。

前菜に出てきたのは、生ハムとチョリソーと鴨。酒のアテにちょうど良い塩加減。鴨の質が上等。変なソースをかけずにそのまま美味しく食べられたことが嬉しい。シャンパンやワインじゃなくても焼酎だって相手できる味わいだ。

前菜はもうひとつ。エスカルゴ。奇をてらわない昔ながらのエスカルゴだ。ガーリック、バターと渾然一体となったでんでん虫が口の中でうごめく。

お次の画像は、子羊の網焼き・ミント風味。ミントソースが添えられていたが、こちらもソースいらずの味わい。塩コショウされた子羊自体が美味しかったので、そのままでイケる。これもシャンパンやワインじゃなくても焼酎だってOKかも。ちょっと火が通りすぎていた点が残念。

続いては、名物料理のひとつ「海老と舌平目のグラタンエリザベス風」。つい肉料理を頼みがちな私だが、これには感激する。上質な海老にホワイトソースで味付けされた魚のすり身と舌平目が巻かれており、濃厚なアメリケーヌソースをかけて味わう。

単純明快に旨い。誰でも美味しいと感じるストレートな味。老若男女問わず笑顔になれる味わいだろう。

もうひとつの名物料理がシャリアピンステーキ。叩いて軟らかくなった肉をおろしタマネギでマリネにして、大量の炒めタマネギがステーキソースとしてどっさり載っかる一品。「タマネギざんまいの柔らか肉」だ。野菜嫌いなくせにタマネギだけは好きな私には嬉しい一品。“肉肉しい”牛肉が年々、縁遠い存在になってきた私は、全体に軽やかな食感に大満足。

このあたりの料理は、どう頑張っても焼酎ではない。シャンパンがグイグイすすむ。

“炭水カブラー”な私がついつい注文したのがシーフードピラフ。ホテルめしのピラフに目がない私にとって、これをオーダーしないわけにはいかない。

変な話、値段の高さに惹かれる。街場の喫茶店のピラフだったら5個は頼めそうだ。普通のシティホテルのカフェと比べても2倍はする。ピラフ好きにとっては気になる。

肝心のお味はというと、街場の喫茶店のピラフよりは3倍は美味しい。上に載っているカラマリフライ用のブイヨンソースが味を引き締める。

「特製ソースかけピラフ」の類が好きな私は大満足。でもピラフだけ言えば、このブログでも何度か書いた九段下のホテル・グランドパレスのほうが好きかも。

全体に満足した食事だったが、やはりオールドファンションの高級ホテルの良さを随所に感じた。サービスの質、客層の安定感など一朝一夕では醸し出されない空気が高ポイントだろう。

ハヤリモノ、最先端をついつい敬遠する私としては、至極真っ当かつ快適なレストランだと思う。

2008年12月25日木曜日

邪道は美味しい


飲食店の評価って、結局は自分がいかに快適に過ごせるかで決まる。ミシュランに載ってたからって、突然行ってみて評価しようなどと思うのは正しくない。

一度行ったぐらいで、その店の評価をシタリ顔で語るのはスマートではない。よほどヒドい目に遭えば、一度きりでダメダメ評価を下すことはありえるが、そういう論外な店は、一定水準以上の店に限れば滅多にない。

自分が快適かどうかは、結局店側との相性も大きく影響する。要は何度も訪ねることで過ごしやすさは決まる。とくにカウンターを挟んで板前さんと対峙するお寿司屋さんの世界は、顔見知りになってからが本番。お店の良さを引き出せるかどうかは自分次第でもある。

前振りが長くなった。ある日のこと。高田馬場にある鮨源本店を訪ねた。割と寿司屋系珍味攻めが続いていたこともあって、この日は珍味系はお休み。

まずは冒頭の写真。メジマグロの腹の部分をおろし醤油で味わって、身がギッシリのタラバの脚を少しもらう。サバもつまんで冬の味を楽しむ。

珍味を頼まないと何か手持ちぶさた。でも、この日は邪道系の料理を食べたい気分だったので、しばし考える。

思いついたのが海老フライ。以前、外国人のお客さんに出されていたのを目撃して以来、注文したかった一品だ。ちゃんとソースも登場。タルタルソースは、さすがに前もって頼まないと用意していないようだが、正統な高級寿司店で揚げ物をソースで食べられるだけで何か嬉しい。でも、お子ちゃまみたいなので、周りの視線がちょっと恥ずかしくもある。

お味は言うまでもない。生きている上質な車海老を素材にするのだからマズイわけがない。海老の味が凝縮されて口の中が幸福になる。頭の部分も上手に揚がっており、殻の固さがまったく気にならない。素直に口の中に収まる。おまけに海老のミソの風味がバッチリ感じられて抜群。

クセになりそうだが、さすがに邪道なので、しょっちゅう頼むのはよそうと思う。次はホタテか牡蠣のフライにしよう(結局、邪道だ・・)。

この店では、以前から刺身で食べられるクジラを竜田揚げにしてもらったり、ウナギの三杯酢和えの「うざく」ならぬ「あなざく」を穴子で作ってもらったり、割と気軽にアレコレ食べさせてもらっている。何度も行くうちに自然と“邪道モノ”も頼めるようになった。

さすがの私でも初めて訪れたお寿司屋さんで、海老フライをくれとか言わない。突き出しがうまかったからといって、それを軍艦で握ってくれとは言えない。そんなもんだろう。

いわゆる馴染み客になって初めて、その店の居心地がいいかどうかが分かる。

この日、鮨源には、私が大好きな一品があった。ツナサラダのツナがそれ。本マグロを使った贅沢ツナだ。本マグロの端っこだか、色変わりしたものなのか分からないが、確か1か月に一度くらいは、この贅沢ツナが制作されている。

あくまで突き出し用に作られているのだが、なんてったって本マグロだ。そこらへんのツナとは大違い。単純明快に美味しい。

この日、酒疲れもあってガツンと握りを食べたい気分もあったので、「ツナ軍艦握り、山盛りで二貫・・」と小さい声で注文した。

ツナ軍艦、これぞ「邪道界のスーパースター」みたいな風情で出てきた。しばし感動。チョロッと醤油をたらすと味わいが深まる。お子ちゃまみたいで恥ずかしいなどと言っていられない。私はこれが大好きだ。

マグロの部位がどうだとか、包丁の角度がどうした、熟成日数がなんとか、といった本マグロをとりまくウンチク話を超越した一品が、このツナ軍艦である。

ひとつ食べたあとで、ツナ軍艦の横から見た姿も写真に納めてみた。なんとも素敵なこの盛り上がり方にバンザイだ。ヤケクソのように盛られている。

もはや、シャリとネタのバランスなどとアレコレ気取っている段階ではない。大口開けなければ食べられない高さだ。それがまた堪らない。

横から見た姿は、銀座あたりを飛び交う夜の蝶のとんがった髪型のようにも見える。そびえ立った感じがなんとなく似ている。

まあどちらも大好物には違いない・・・。

2008年12月24日水曜日

派遣切りと内定取消し

派遣切りの話題が相変わらずニュースの主役のようになっている。19日付のこのブログでも取り上げたが、この日、ブログを覗いてくれた人の数は普段の10倍ぐらいになったので少し驚いた。やはり世間の一大関心事なのだろう。

と同時に、表層的かつ情緒的なメディア報道に疑問を感じる人が多いことを痛感する。ネットの世界を覗いてみると、「派遣切りは悪か」という観点の議論が多い。ただし、意見の多くが、派遣切り肯定派の声に見えたのが現実だ。

派遣切りに対する巨大メディアの捉え方への消化不良がネット上での活発な意見展開につながっているような印象を受けた。

一口に派遣切りといっても、そのパターンは様々。画一的に批判されては堪ったものではない。正規雇用を目指しているのに、そうなれない人が多いのも分かるが、なかには積極的に派遣、すなわち非正規雇用を選んでいる人だって少なくない。

私の経験でも、そういう人を結構見てきた。年に2回ほど長期旅行したいので、正社員の道は選ばないとか、朝が苦手なので、正規雇用は避けているとか、およおやといいたくなる人も現実に存在した。

まあ、そういう人材は、昨今問題になっている派遣切りの話題とは別ものなんだろう。

さて、派遣切りは、企業のリスクマネジメント上、当然であり仕方ないというのが私の率直な考えだが、なかには、救済が必要なインモラルなケースもある。

派遣とはいえ、正統な派遣契約の範囲では保護されるべきだが、その部分すら無視してカットされるケースは、企業側の責任は免れない。

ただ、この場合、契約上は、人材派遣会社と受入れ企業側で賠償問題が生じるのが普通で、人材派遣会社がどう対処しているかがカギになる。もちろん、賠償問題は、人材派遣会社と受入れ企業との間の話で、当の労働者本人がカヤの外に置かれていたらどうにもならない話ではある。

こうなると焦点はあくまで制度上の話であり、短絡的に批判される企業側は堪ったものではない。

さてさて、話題を変える。派遣切りとともに問題視されている「内定取消し」について。これについても企業側の姿勢が問われている。

日本語の意味で言えば「内定」と「決定」は違う。もちろん、実際の雇用慣行では、内定段階で事実上の雇用関係にあるようなイメージがある。ここがトラブルの争点になるわけだ。

経営者側の見方では、やはり、内定は内定でしかない。急きょ、人員削減が必要な場合には真っ先に内定者がターゲットになるのは仕方ない話。

内定者とはいえ、事実上の雇用関係にあったかどうかは、司法判断にでも頼らないと門外漢の私には分からない。ただ、経営者側の本音としては、「内定は内定」でしかないのが事実だ。

私自身の経験を思い起こせば、逆に内定者側から一方的に辞退された経験は何度もある。最近は、新卒採用ではなく即戦力重視の意味で、経験者募集しかしていないが、この場合、内定者に突然、辞退されると本当に迷惑する。

経験者採用となると、採用人数も一定数をあらかじめ決めておき、絞りに絞って採用者を選ぶ。当然、採用内定者を絞り込んだ段階で選ばれなかった人には、断りの連絡を入れる。

「もし、内定者が辞退したら繰り上げ採用しますから、数ヶ月待機しててね」などと言えるわけもなく、定数の関係上、泣く泣く惜しい人材をお断りすることもある。

そうした上で、内定者が突然入社を断ってきたら、それはもう迷惑千万。それこそ訴えたくなる。人材募集費用だけでなく、選考課程の社内的手間、時間人件費、はたまた期間損失を考えるとバカにならない。

中小企業にとっては、採用予定者が突然、ケツまくっていなくなってしまうことは珍しいことではない。大企業の人員採用とは微妙に違う話ではあるが、勝手気ままに辞退された苦い経験のある経営者の本音は、推して知るべし。「内定は内定でしかない」。これは正直なところだろう。

業績見込みが滅茶苦茶で、無秩序に採用計画を立て、内定を乱発し、いざとなったら入社を断るという図式なら、企業側も責められても仕方ない。ただ、普通はそんなケースは稀だ。よほど急激な経営環境の変化によって、残念な事態につながっているのが現実だろう。

それでもメディアはこぞって「企業の社会的責任」というフレーズを使って責め立てる。違法行為で追及できないとなると、何でもかんでも、この言葉で企業側を悪者視したがる。

営利企業の存在目的は、あくまで利益の追求である。社会的責任を定義するとしたら、倒産させずに存続させることだろう。倒産させないための企業防衛は、企業規模が小さくなればなるほどシビアになって当然。

名のある大企業なら、タチの悪い偽装やインチキをしようが、質の悪い経済犯罪をしでかしても、滅多に倒産もせずに活動を続ける。規模が大きければ周囲への影響もあるという理由もあって、なんだかんだとつぶれずに済んでいる。

誰も助けてくれない中小企業は、自助努力で存続し続けようと奮闘する。こうした階層の経営者にとって、派遣切りとか内定取消しの問題が大騒ぎされるのは、どこかうっとうしい感じがする。

2008年12月22日月曜日

夜のパーティー


たいした頻度ではないが、夜のクラブ活動を懲りもせずに続けている。いいことなど無いのに不思議なもので、なんとなくダラダラと続いている。

昔からよく分からないのが、あの世界での「パーティー」なるもの。銀座あたりも先週ぐらいがパーティー期間のピークだったようで、派手に着飾った女性陣がネオン街を闊歩していた。

「パーティーだから来てくれ」、「パーティーなのにどうして来ないんだ、バカ」とか言われるわけだ。

一般的な感覚だと「パーティー」とは、開店何周年とかリニューアル記念とか、大義名分がある。これに対して、クラブの“パーティー”は、ただそのように謳っているだけでよく分からない。

お店の中が普段より華やかになる、ホステスさんが普段よりドレスアップする、営業攻勢にさらされたお客さんが普段よりたくさんやってくる・・・。

単純にこういうことなのだが、平たくいえば店側の営業強化イベントだ。お店によっては期間中にノルマが発生し、女性陣も客の誘致に普段より精を出す。

アマノジャクの私は、この手のパーティーが苦手で、あまり行かない。パーティー期間だと知らずに出かけていって大混雑にビックリすることもある。

まあこの時期はどこの店も繁盛するわけだから、わざわざ行かないでもいい気がする。もっと暇そうな時にふらっと覗くほうが落ち着く。

パーティー嫌いは意外に多く、結構な数の常連を掴んでいる店だと、パーティー終了翌日あたりにやたらと混雑することも多い。

私自身、そのパターンで出かけると御同類が意外に多いことに感心する。

先日、勝ち組クラブ「M」にノコノコ出かけた。たまたまパーティー期間終了の翌日だった。そこそこ混雑していたが、たいしたことはない。10時も過ぎれば空席も出てきた。これって私のつたない経験からは珍しいことのように思う。

やはり、不況の風は、この手の業界に真っ先に吹き始めているのだろう。来年のパーティー時期には、かつてないほどの営業攻勢が押し寄せることになりそうだ。

考えてみれば、私も普段は酔っぱらって、四の五の悪態をついたり、素晴らしく下品な話を得意になって展開している。調子よく相手してくれる女性陣のために、少しは貢献しないといけない。

「パーティーなんか行ってられるかい、ケっ!」とか言ってるようではダメだ。来年は、持ちつ持たれつ精神を心掛けてみよう。

でも多分無理だろう。

2008年12月19日金曜日

派遣切りって悪なの?

連日のようにニュース番組が騒いでいる「派遣切り」。雇用の安定は国にとって大事な課題だから重要ニュースであることは確かだろうが、最近の“空気”はちょっと気持ち悪い感じがする。

呆然とする中高年、涙まで流す中高年の映像と言い分ばかりがテレビ的には多用される。やれ一方的だ、冷酷だ、住むところまで追い出される等々、いつのまにか会社側が悪者であるかのような雰囲気が出てきた。

仕事を失う人達には気の毒な話だが、端的にいって仕方のない話。それだけの話だろう。人員整理する企業や経営者がヒールのように位置付けられかねない風潮はおかしい。

多くの場合、派遣社員や契約社員の契約を更新しないという話であって、労使ともに、期間限定の雇用スタイルは最初から織り込み済みの話。非正規雇用の従業員を業績次第で増減させるのは、ごくごく普通のリスクマネジメントでしかない。

派遣や契約というスタイル自体が、業績悪化時の固定費削減を想定したものなのだから、いざ、その効用が発揮された段階で、まるで不当解雇のようにイメージされるのはバカげた話だ。

どうにも情緒的な報道が多すぎる。人員削減で悪者視されたくない会社が、変な世相におもねって無理な雇用を続けて結局倒産しちゃったらどうするのだろう。そっちのほうが大問題だ。

一連の報道では、削減される人達の住宅問題がクローズアップされた。「雇用契約を打ち切られたから、退居を迫られている」。要はそういう話。お気の毒だが、やはり仕方のない話としかいいようがない。雇用関係のない人に会社資産である社宅を提供し続けるわけにもいかないのは当然のことだろう。

もっとも、中小企業経営者から見れば、一連のニュースで印象的だったのは、非正規雇用の従業員にも社宅が用意されていたという事実だろう。これ自体が中小企業経営者の感覚からは驚きだ。

勤め人の数は経営者の数より圧倒的に多い。世論という名のマスコミ誘導は経営者の意識とはほど遠いところで動いている。

誰も助けてくれない中小企業経営者の思いや本音は、巷を騒がす観念的なニュース報道とはまったく違う次元にあることを改めて痛感する。

2008年12月18日木曜日

ズレた考え

先日まとまった与党税制調査会の来年度税制改正大綱は、この不況を背景に減税色を前面に発揮した内容になった。

大げさでなく、経済の危機に直面するなか、当たり前といえば当たり前だが、麻生首相の指示した「3年後の消費税引上げ明記」を無視したことは英断といえよう。

首相の指示を無視すること自体、問題がないわけではないが、指示自体がトンチンカンなら仕方あるまい。

消費税増税を打ち出すことは、責任政党として大事だという意見もあるが、今は、歴史的な経済構造激変期の入口にあるわけで、消費税増税を持ち出すこと自体がナンセンス。いくら3年後の話だとしてもまったく意味のない話。

私は、どちらかといえば消費税増税論者だ。単一税率の公平感は、罰則的な累進税率を採る主要直接税より、よほどスッキリしている。財政事情、景気事情次第で税率引上げは支持したいが、今の時点でそんなことにこだわる麻生首相のズレは大いに問題だ。

与党税調にソッポを向かれた麻生首相は、懲りずに今度は経済財政諮問会議が中期的な税制改革の指針を示す中期プログラムの原案に「3年後の消費税明記」を盛り込ませようとしている。

こうなると偏屈の一言だろう。バッシングが集中している全世帯への定額給付金は2兆円規模の予定。消費税を1%上げれば、税収は2兆8千億円。仮に消費税を現行の5%から8%にしたら、単純に8兆円以上の増収になる。

「2兆円ばらまくから、あとあと毎年8兆円よこせ」って言ってるように見えて仕方ない。

この中期プログラムの原案は、与党の一角である公明党が消費税増税の明記に断固反対している関係で、すんなり閣議決定に至る可能性は低い。

ひょっとすると連立解消、政界再編もしくは、ヤケクソ解散の導火線になる可能性も否定できない。

消費税増税の道筋をつけることが、歴史に名を残すことだと思い込んでいるフシがある麻生首相だが、このこだわりが、政界液状化の引き金になるかもしれない

2008年12月17日水曜日

持病

久々にガッツリした食事がしたいと、銀座の「あずま」であれこれ食べた。昼食を取り損なったこともあり空腹全開。海老フライ、クリームコロッケ、ソーセージを片手に大量にビールを飲んで、締めに昔ながらのピラフを食べた。

昭和レトロっぽい店構え、味も同様にどこか郷愁を誘う。食べる量についても、「昔ながら」を実践したのが失敗だった。結構苦しくなった。おまけに、揚げ物を一度にたくさん食べると、持病が顔を出すのをウッカリ忘れていた。

持病というと大げさだが、昔から胃カメラを飲むたびに指摘されるのが、逆流性食道炎。いつも症状を感じるわけでなく、何かのきっかけで、しばらくの間かなりしんどい胸焼けに襲われる。

逆流性食道炎は、脂肪分の多い食事が好きな人、姿勢の悪い人、太った人、高齢の人などがなりやすい。いわば私のためにあるような症状だ。

でも、私の場合、そうした格好悪い理由ではなく、あくまでストレスが原因(と信じている)。

この日、食後の腹ごなしに立ち寄った酒場で既に胸焼けスタート。このように食後早めに症状が出るとタチが悪い。夜更けに帰宅して、眠りに落ちたものの、すぐに起きてしまう。

読んで字のごとく逆流するわけだから、横になっていると胃と胸の間がチリチリ、ジリジリ燃えるように痛くなって不快。スペシャル胸焼けだ。

結局、横になれずに座ったままうつらうつら。寒いし、胸焼けはヘビーだし、こうなると特効薬もない。困ってしまう。

翌日は夕方近くまで食欲がなかった。夜もあっさり軽めにして、久しぶりにアルコールも抜いた。それでも、夜中になると胸が火事を起こしたように熱い。この日も何度か“座眠”するハメに。

一応、医師から処方された専用の薬も常備しているが、あまり効かない。まあ、症状がきつくないうちに飲んでおかないと意味がないのかもしれない。

そのくせ、いま一番食べたいものが天ぷらだったりする。こういう性格だから、持病はいつまでも持病のままで、思い出したかのように私をイジメる。

ところで、40歳前後から、身体は緩やかに老人への予行演習を始めている。視力は衰え、反射神経も衰え、記憶力はもちろん、毛髪も衰え、腰は痛くなる。全体の代謝だって弱まる。抜いた鼻毛も白いものが威張ってる。

いちいち機能が弱ってくることで、徐々にいろんな覚悟も出来てくるから面白い。どんなに急いでいてもダッシュすることは無くなった。そんなことしたら足腰に不都合が生じるだけでなく、心臓だって危ない。

無理な姿勢で何かに手を伸ばそうと努力することもなくなった。アチコチがつっちゃうので無理な格好はしなくなった。

心臓をいたわり、無理な格好もしなくなる。こうなると、そっち方面にも変化が起きているのだろうか。冷静に思い返してみる・・・。

確かに昔は頑張れたアンナコトもコンナコトもすっかり過去の話になった気がする。今では地味な作業?が中心かも。ひとことで片付けるなら、大人になったのだろう。それでよい。そのほうが正しい。

すっかり話が脱線してしまった。

70歳代、80歳代、はたまたそれより上の年齢の人の動きを見ると、当然、今の自分では理解できないゆったりしたテンポだ。いま、突然、自分がその年齢になったら、機敏に動けないことが辛くて大変だろう。

老人になった時に慌てないように、中年のうちからゆっくりと身体は老化への準備を始める。テンポは徐々に落ちていく。

けなげな話だが、よく考えると確実に老人世界の入口に到着した証でもある。なんだか複雑な気分だ。

先日、元ロッテのエース・村田兆治がマスターズリーグの試合で141キロの速球を投げたそうだ。彼は59歳。なんなんだろう。どんな老人になるのだろう。そこまでいくと変な話、不思議とちっとも羨ましくない。

ただただ「恐るべし」という感想しかない。

今日は話がアチコチに飛んでスイマセン。

2008年12月16日火曜日

父親の存在

お父さんの姿って随分変わってきたように思う。その昔のイメージは、黙々と仕事に打ち込み、休みの日はぐうたらと過ごし、家族サービスは、たまの外食ぐらい。子どものことは母親にまかせ、我が道を行くといった印象があった。

良き家庭人であろうという人もいただろうが、それでも一応の役割分担があって、子どもの学校のこととかは、あくまで母親の仕事だった。

私の子どもが通っている学校では、気のせいか妙に父親のための行事が多い。正式な学校行事というわけではないようだが、父親の会みたいな組織が作られ、そこが音頭を取って“準学校行事”のような位置付けになっている。

困ったことに参加率が高いようで、全然行かない私は完全な少数派。

もともと、普段忙しくて子どもと接する時間が持ちにくいお父さんのために、皆さんがアレコレ企画をしているものだ。

私の場合、休みの日は割と子どもと遊んでいるし、毎朝死ぬ思いでなんとか会話も維持しているので、わざわざ群れてまで行事に参加したいとは思わない。

困ったことにIT化の波は、こういう父親の世界にも波及しており、いちいちメーリングリストでいろいろと案内が来る。おまけに出欠表明や質問なども全員の分がメーリングリストの参加メンバーにその都度飛び込んでくる。欠席者はさらし者みたいな気分になる。

一生懸命、諸雑務をこなしているお父さん方は立派だし、有難いのだろうが、このメーリングリストの仕組みは有難くない。

メールで飛び交う会話や、流れてくる話を聞くと、相当な数のお父さんが喜々として、活動している。生き甲斐みたいにハッスルしている人もいる。社交的なタイプとは言えない私には驚異的だ。

30代から40代の大人が中心だが、皆さん忙しくないのだろうか。私が変なのだろうか。時々悩みたくなるほど、多くのお父さん達が大活躍している。

学校に預けた以上、子どもの学校のことは信用して学校にまかせようと思っている私は、PTAとか保護者会にもあまり興味がない。母親の役割だと思うし、お父さんがしゃしゃり出ない方が普通だと思う。でも、この考え方自体が時代とずれているのかも知れない。困った。

先日、子どもと二人で日帰りで熱海まで行ってきた。温泉プールのような施設で、恐怖のウォータースラーダーを何度もやらされ、一緒に低温サウナに入って母親へのグチを語り合ったりした。

東京に戻って、ふたりで寿司屋で語り合い、1日フルで付き合ったことで結構な収穫があった。お父さん同士で宴会やるぐらいなら、こっちの方が子どもと向き合える。

まあそんなこと言っていると、今の時代、お父さん達の世界では、変人扱いされて子どもに飛び火してもマズいので、たまには付き合わないと行けないのかも知れない。

向田邦子の名作「父の詫び状」に出てくる父親が私の理想なんだろう。不器用な父親は、家族で食事をしている時におかしなことがあっても、笑いをこらえる。その後、そっとトイレに行って一人で爆笑している。精一杯、威厳を保とうとしているが、いまひとつ迫力に欠ける姿が愛らしくもある。

もう何世代も前の父親像だから、いまさら通用する話でもないが、作品の中で一生懸命、母親と父親の役割と位置付けが違うことを小さい子どもに体験させようとする姿勢自体は、現在でも同じでいいと思う。

なんか世の中、ユニセックス化が加速しているように思う。それも時代の流れなのだろうか。

2008年12月15日月曜日

懲りずに寿司


今日もまたお寿司屋さんの話。といっても、珍味ばかり食べた日の話。場所は銀座にある「鮨・九谷」。九谷焼と同じ名称ゆえに北陸方面の魚を食べさせる店に思えるが、レアな北海道モノをウリにするお店だ。

以前、イバラガニの内子を出されて大感激したことがある。タラバの内子なら、都内でもたまに出会えるが、オレンジ色の憎いヤツ・イバラの内子は、北海道を旅していても頻繁に遭遇しない。

この日もイバラの内子に期待通りに再会。幸せだ。珍味の日と決めていたので、生ビールのあとは燗酒に切り替える。

サバをつまみに幸せな時間がゆっくり進む。お通しにもタコの卵だろうか、魚卵の塊が用意されている。そしてカワハギへ。醤油皿に投入されたキモが少なかったので、さっそく増量要求。キモ大盛りで味わうカワハギはネットリ爽やかな味わい。

カラスミがやってきた。素直に美味しい。
ボラになれなかったタマゴの冥福を祈る。一粒も落とさずに食べてやることが供養だと思って堪能する。

スジコの粕漬けなるものがやってきた。なんでも八海山の酒粕を入手した店の大将が上質のスジコを漬けてみたものだという。
見るからに旨そうだ。見た目も麗しく、私にとっては宝石に見える。ペンダントヘッドにして首からぶら下げていたい感じだ。

口に含むと、粕漬け特有の香りが一瞬広がり、その間隙を縫ってスジコが弾けてジュンワリと混ざり合う。抜群です。これは旨い。ひと手間加えられたスジコは、立派に“料理”として通用する味わいだった。

毛ガニをつまみで頼む。この店では、カニミソもしっかりトッピングしてくれる。カニ自体の質が良いせいで、ミソの風味も実にしっかり。

お通しに出てきたナゾの魚卵にはじまり、タマゴになる前のカニの内子、カラスミにスジコなど、考えてみればお気の毒だ。それぞれ、せっかく生まれようとしていたのに、生まれる前の段階で私の胃袋に摂取される。

タマゴひとつひとつが成魚になっていた可能性があるわけで、それを考えると恐縮してしまう。せめてムシャムシャ食べてあげようと決意してムシャムシャ食べる。

ショウガ醤油ではなく山ワサビ醤油でイカ刺しが食べられるのも北海道系のお寿司屋さんの特徴だ。日本的な辛味がイカの甘さと絶妙に合う。

ここまでで1時間ぐらい経っただろうか。店の大将は、寿司屋なのにまだワサビを使ってもらっていないとボヤく。確かに刺身でもらったサバはショウガ醤油、カワハギはキモ醤油、イカは山ワサビ。あとは塩っ辛い系の珍味ばかり。

熱めに燗をつけてもらったお酒が、素晴らしい肴を並べたことでいつもより美味しく感じる。

そろそろ握りをもらおうかという頃合いになって、大将が再び、そそられる珍味を見せてくれた。アワビのキモの塩漬け。アワビのキモを3週間ほど寝かした“作品”だとのこと。ためらわずに戴くことにする。

クセというか独特の風味が、燗酒とマッチする。初体験の味だ。「初めて食べるもの」が年齢とともに減ってきてしまった私にとっては、有難い味だった。

珍味攻めで結構満足になり、握りは少ししか食べられなかった。北海道ならではの鮭を2種類、鮭児と大助(おおすけ)を1貫ずつもらう。

そのあと懲りずにイクラを頼んで、コハダを2貫もらって終了。

冒頭の写真は、同行の“キモ同士”に出されたスペシャルな中トロ。ウニとキャビアがトッピングされたバブリーな1貫。

それぞれの味がケンカするんじゃないかと思ったが、食べた本人いわく、それぞれが調和して美味しかったとのこと。

いずれにしても、塩分、プリン体、コレステロールを過剰に摂取した一夜だったように思う。

サラダだけ食べる日とかを意識して作らないといけない・・・。

2008年12月12日金曜日

ネオン街を取材する

それにしても景気のいい話がどこにもない。ウツウツとするような話題ばかりだ。夜の街をふらふらしていても、ここ2~3か月で一気に不況風が強まっていることを実感する。

なかなか入れなかったレストランに意外にスッと入れたり、一見混雑しているような店でも、よく聞くと客単価がはっきり下がっている話を聞かされる。

景気動向調査のために銀座のクラブに出かけて、あれこれ取材してみた。おおむね次のような状況だという。

1,団体でやってくる客が激減した。

2,シャンパンやワインを注文する客が激減した。

3,早い時間に切り上げる客が増えた。

4,混雑した翌日はガラガラ。調子のいい日が続かない。

ざっとこんなところだ。


今の段階で低迷基調なら、年明け以降の意気消沈世相は相当深刻になりそうだ。

話は変わるが、先日、違う角度から景気動向調査?をしようと、ガールズバーなる場所に迷い込んでしまった。初めての経験だ。

ガールズバーといっても、ソファ席で女性がアテンドしてくれるスタイル。20分ぐらいで女性は入れ替わる。

要はキャバクラのことかと納得しかけたが、席についた女性がキャバクラとの違いを教えてくれた。なんのことはない。女性が普段着というだけ。

ついでにいえば、フロアの一角に食べ放題の大皿料理が用意されていて、それを一応接客中の女性がバクバク食べている。変な感じだ。なんだかなあーという感じ。

安いことは安いが、安けりゃいいってもんでもない。客層は若者中心かと思いきや50~60代の紳士が結構多かった。なんとも不思議な空間だった。

一応、景気動向調査なので、あれこれ話を聞いてみた。大学生が中心の女性陣、悩みは就職難の一点に集中。そりゃそうだろう。

何も得るものの無かったガールズバー体験だった。いや、一点だけ参考になったことがある。女性のバイトさん達は、一定年齢を超えると、そのガールズバーにはいられなくなる。受け皿になるのが、シングルズバーとかいう今はやりの形態の店。

平たくいえばキャバクラなんだろうが、一般女性との出会いの場を提供するという趣旨をうたった店が増殖中らしい。

その手の店の“一般女性”に“昇格”しているのが、ガールズバー出身者なんだそうだ。聞いた話なので真偽のほどは定かではない。

だとすると、なかなか効率的な人事配置だ。参考になる。

シングルズバーでは、男性客は、建前上、一般の女性と知り合うことになっているわけだから、いろいろと妙な話もあるらしい。

子どもが集う出会いカフェみたいな場所が売春の前線基地になっているように、大人の世界で同様のシチェーションだと、売春というより、怪しい勧誘攻勢が多くなるそうだ。

マルチ商法とかナントカ商法、それ以外にも変な組織への勧誘とか、その手のウサン臭い話が結構珍しくないらしい。

伝聞なので、ホントかウソかは分からないが、ありそうな話だ。調子よく呑んでいたつもりが、いろんな勧誘のターゲットにされたら困りものだ。

お人好しの私のことだ。酔っている時に色っぽい女性に勧誘されたら、変なフトンや消火器を買ったり、アチコチの信者をかけ持ちするハメになりそうなので、その手の店は敬遠しないといけない。

そんなかんだで、ネオン街パトロールは、いつも似たようなお店に顔を出すことになる。

最近もひょんなことから新しいお店を開拓したのだが、話を聞いていると、知り合いに会ってしまう可能性があったので、なかなか訪ねられずにいる。

泥酔スケベモードを目撃されるのは考えものなので、つい足が向かない。
何をしているのだろう・・・。

今後も現場主義で取材を続けようと思う。

2008年12月11日木曜日

またもや寿司

冬は寒いけど美味しい。和食系、それもお寿司屋さんで出されるような珍味が大好きな私にとって、この季節は、痛風が心配になる。いまから珍味攻めに精進していると、年末年始に身体が変になりそうな気がする。

バテ気味の時は、会社の近所か家の近所で軽く一杯やることが多い。こんな時まで珍味攻めしていてはマズいのだが、結局、成人病に近づく食べ物を摂取してしまう。

池袋西口のやや外れに構える「鮨処やすだ」。ここでも魚卵、肝、カニミソの類をついつい口にする。美味しいからいけない。私のせいではない。店のせいだ。

特製の茶碗蒸しがまた最高。具材にこれでもかと旬の食材が入っている。カニや赤ムツ、白魚やアワビ、ウニ、イクラなどなど。日によって具材は変わるが、茶碗蒸しと呼ばずに魚貝蒸しと表現したくなる。

今の季節は、白子も抜群。茶碗蒸し風に料理されることもあるが、やはり、オーソドックスにポン酢で食べるとウットリする。

白子、アンキモ、カラスミの3点セットは私にとって冬のスーパースターだ。初めて食べた人、初めて調理してみた人に心から感謝したい。

さて、「鮨処やすだ」で私がとくにお気に入りなのが、車海老の握り。いつも安定して抜群の濃い味で堪能させてくれる。

茹で海老というと、寿司の世界では、あまりスター扱いされないが、丁寧に仕込まれたここの車海老は大げさではなく、なかなか味わえないレベルだと思う。

素材そのものが間違いないのは言うまでもないが、秒単位で厳しく茹で時間を管理しているらしい。そういう心がけが味の差にしっかり出ている。少し味噌が残った風味もいい。

その昔、若い頃、北海道の寿司屋に行った時のこと。北海道では茹で海老を使わないことを知らずに頼んだ私に「そんなもの置いてない」と横柄かつイヤミったらしく答えたオヤジがいた。極上茹で海老、つくづく、あのオヤジに食べさせてみたい。

「鮨処やすだ」のシャリは、赤酢を使ったしっかりした味わい。このシャリが車海老と絶妙に混ざり合って一層旨さを引き立てている。

ご飯好き、米好きの「炭水カブラー」である私にとって、嬉しいのは寿司飯がしっかりした味わいであること。

この時も、わがままついでにシャリだけを握ってもらった。ただただ旨い。本当は、この「シャリだけ握り」を10貫ぐらい食べてみたい。

せっかくネタを吟味して揃えている店に悪いが、そんな妄想に駆られる。

シャリばかり書いたが、この店、ネタもいつでも上質。白身系の品揃えと味の濃さは特筆すべきレベル。書いているうちにまた行きたくなってしまった。

2008年12月10日水曜日

たばこ増税

結局、たばこ増税は行われそうだ。いろんな分野の増税予定を、選挙対策のために棚上げしたくせに、文句の出ないところからは安易に増税をすることになる。

増税幅がどの程度かはまだ未定だが、どうせなら、一時期話題になった「1箱1000円」にしてみやがれバカヤローって言いたい気分だ。

税制の不合理是正のため、手直しが既定路線だったものまで、永田町の人々の職業上の都合で放置される一方、たばこだけは攻撃対象。この発想が気に入らない。

税制全体の体系的な見直しもして、その流れにたばこ増税も含まれるのならともかく、見送った増税の代わりに、つなぎ融資みたいに愛煙家を狙うところがイケ好かない。

((●12月11日追記、与党税調は、12月10日になって一転してたばこ増税の見送りを決めた。レームダックの麻生政権が繰り出す方針は今回も迷走。政権サイドの発言の重みがまるでなくなっている。まあ愛煙家にとっては悪い話ではないが・・・))。


なんか今日は感情的になってしまった。正直な話、来年あたりで、たばこをやめようと思っていた。でも、私のチンケな自尊心は、「値上がりしたから禁煙した」という構図になるのが凄くイヤだ。何かみみっちい。

ワリカンで1円、5円単位でアレコレ言い合っているような感覚だ。どうせ禁煙するなら自分の体調や将来設計とかそういう立派な大義名分のもとで断行したい。禁煙のきっかけが何十円単位の価格変動だとしたら、ちょっと寂しい。

でも、過去にも禁煙を計画していたときに、たばこ増税が実施され、それを理由に禁煙計画を取りやめた経験が何度かある。要は、禁煙したくない理由を増税のせいにしているのかも知れない・・・。

それはさておき、これほどまで「たばこは悪者」という風潮が強まった今、あえて禁煙しない人は、意思が強い人なんだ思う。

居直りのような表現だが、多分、この御時勢、禁煙しないで平気な顔をしている人は、それなりの信念を持ってたばこと付き合っているのだろう。

まあ決してイバれた話ではないが、そんな気がする。

ちなみに、今時たばこを吸っている人は意思が強いという逆説的な論理は、禁煙セラピーでも使われている考え方だ。

お医者さんから、「あなたは意思が強いですね」と誉められたヘビースモーカーが、自分の意思の力に自信を持って禁煙に成功するという話。おだてられたら木に登れる人には効き目があるようだ。

なんとも珍妙な話。

さてさて、来年度はともかく、いずれは実現しそうな「1箱1000円」時代。それでもなお愛煙家だったら、きっと世間からはお金持ちだと見られるのだろう。

でも、そうなると部下に「1本もらうよ」とか気軽に言えなくなる。結構不便な気がする。

やっぱり、禁煙のタイミングを改めて考えようと思う。

2008年12月9日火曜日

銀座 池澤 冬

ひさしぶりに銀座「池澤」を訪ねた。夜っぽい銀座の、それっぽい雰囲気の居心地の良いお寿司屋さんだ。冬の味覚を堪能した。

この時期はやっぱりカラスミだ。自家製のカラスミがバッチグーの状態で私を待っているような気がして、白子やあん肝をさておいて注文した。

ネットリとした食感が堪らない。固くなっているカラスミとは一線を画すエロティックな味。しびれる。炙る必要などない、というか炙っちゃいけないレベルのカラスミだと思う。

変な表現だが、歯の表面にベトッ、ネチョッって感じでくっついて難儀するような感覚がカラスミの醍醐味のような気がする。

ボソボソしたカラスミはパスタとでも和えていればいい。「池澤」のカラスミは、なんとも上質な美味しさだったので、もう一枚画像をアップしておこう。

軽く締めた脂のノリの良いサバをつまみにホロ酔いは進む。毛ガニも食べた。カニ身をあらかじめほぐして、半身の甲羅に詰め込んだ一品。幸せな気分になる。しっかりカニミソも待機。ミソと身を混ぜてこそ毛ガニの味わいは最大限引き出される。ばっちり。

厚岸産のカキが、さっさと注文しやがれって風情で私を睨んでいたので、もらうことにする。焼いてもらった。レア気味に焼かれたカキに醤油で少し味付けして味わう。カキ特有の風味が口の中で炸裂。素直に美味しい。

この日、特筆すべきは、突き出しで出されたイカの塩辛だ。お寿司屋さん相手にイカの塩辛を誉めまくるのもどうかと思うが、あえて誉めまくりたい。市販の甘いだけの塩辛に迷惑している人なら必ずトリコになる味。

甘くないとはいえ、しょっぱすぎず、辛すぎず、いくらでも食べられそうな味。秘密はミソだという。イカのミソって言われてもピンとこないが、ありがちなイカわたをまとった塩辛ではなく、適度な脂分が混ざり合って、珍味と言うより小料理と呼びたくなる雰囲気。

この塩辛、結局おかわりしてしまった。いっぱい盛ってもらい、チビチビ飲んでいた焼酎のお湯割りが、がぜん美味しくなる。

少しだけ塩辛を残して、わがままついでにシャリだけをちょこっともらう。極上塩辛と赤酢のシャリ。いやはや最高。これぞジャポネスク!などと意味不明なことを心の中で叫ぶ。

このほか、生ウニもつまみで出してもらって楽しんでいたら結構満足してしまった。握りは、4~5貫ほどしか食べられなかった。酔っていて良く覚えていない。不覚。でも最後に食べたコハダがとても美味しかったことはしっかり記憶している。

そこそこ貯まっているストレスとの付き合い方が最近の私の課題だが、やはりエロティックな味わいに接すると心なしか気分が落ち着く。

またお邪魔しようと思う。

2008年12月8日月曜日

偉いけどMな人

先日、会社に旧友が訪ねてきてきれた。中学、高校の同窓だ。大手証券会社勤務の彼は、本社中枢ラインで官僚化していくのを嫌い、営業の最前線に異動希望を出し、周囲からあきれられたそうだ。

異動希望を出さずにいれば、中東のオイルマネー調達の仕事に行く予定だったそうだが、今後の彼の仕事は、ベタベタな飛び込み営業が中心だとのこと。

住宅地図片手に1日100件以上回るらしい。本人はそれが楽しみで仕方ないと真顔で言う。駆け出し時代、彼は万単位の数の飛び込み営業をした。それをきっかけに今だに家族ぐるみで付き合うような関係の濃いお客さんが何人か出来たそうで、そんな現場に戻ることを希望したというわけだ。

一流大学を出て、超有名企業に入って、結構重要なセクションで歩んで来た人間は、多くがキャリアや知識ばかりに頼りがちになり、現場感覚が希薄になっていく。

中年の域に入っても約束されたラインに安住せずに攻めに出る姿勢って、なかなか勇気がいることかも知れない。

そういう人材がいること自体が、大手企業のパワーの源なのかと思うと、やはり羨ましい。ぬるくない。中小企業人としていろいろと考えさせられた。

ちなみに、彼に聞いてみた。飛び込み営業を頑張ってやってみて、15分以上話を聞いてくれる人の確率はどのぐらいなのか。

せいぜい300人にひとりぐらいだそうだ。おまけに、話を聞いてくれる人の多くが、単純に暇な人で、積極的に資産運用などへの関心を持っている人は限られるとか。

しっかり稼いでいて、運用にも明確なマインドを持つような人は、まず飛び込み営業の相手をしてくれないとのこと。それはそうだ。現役バリバリなら多忙だろうから、そんな営業マンの相手などしていられない。

それでも、飛び込み営業が楽しいんだそうだ。

「怒られたらラッキー。脈アリの証拠」と彼は真顔で言う。綺麗事を言っているようにも見えない。

無鉄砲なのか、偉いのだろうか。
多分、真性のMなんだと思う。

2008年12月5日金曜日

鬼が笑う前に

来年のことを言うと鬼が笑うそうなので、今年の年末の話を書く。曜日の関係で、12月は27日から休みになりそうだ。間が抜けた感じだが、暦のせいにしてせっかくの休みを生かすつもりだ。

例年、年末には2,3日ふらっと旅行に行くことにしている。正月っぽいことを自宅で頑張るために、ちょっとの間、一人で自由な時間を作る。

年末年始に限らず、しょっちゅう、ちょこちょこ旅をしているが、やはり忘年旅行は独特。無事に一年が過ぎた安堵感も手伝ってなんとなく解放感に浸れる。

さてどこに行こうか思案中。函館は先日行っちゃったのでパス。九州方面も行きたいし、日本海側でカニ攻めも楽しそうだ。

一応、仮押さえしているのは大分・別府と鳥取・皆生。いずれも昔ながらの温泉地だ。別府方面だと、冬の時期は関サバが旬。その他にも旨そうな魚が食べられそうだし、濁り湯にも入れる。

鳥取・皆生(かいけ)温泉は、行ったことのないエリアというだけで興味がある。ましてや、ズワイガニの水揚げ日本一を誇る境港のすぐそばだ。カニ好きの私なら無条件で楽しめそうだ。

行ったことのない場所。大げさに言うと、これが年々減ってきてしまった。結構な年月を旅行好きな人間として生きているのだから仕方ない。

ちょっと足を踏み入れただけの場所も含めれば、都道府県の内、未開のエリアがほとんど無くなってきた。

いまだに一度も足を踏み入れてないのは、確か山形県と鳥取県だけだったように思う。年末に皆生温泉に行けば、残るは山形のみということになる。

皆生温泉では、ひとり旅歓迎の温泉旅館で、おまけに松葉ガニ(ズワイ)を3杯も使ったカニづくしコースを用意してくれる所を見つけて予約してある。サウナの無い宿だが、サウニストの私が、サウナをあきらめてでも行ってみたい気分だ。

でも、別府の温泉宿の壮大な露天風呂も捨てがたい。これ以外にも、本当は北陸でズワイを食べたいとか、北海道の豪雪を見ながら露天風呂に浸かりたいとか、薄着で行ける沖縄で民謡酒場でうなりたいとか、まだまだ心の中では決着がつきそうにない。

こんなことで悩んでいるのだから、結構幸せ者なんだろう。

それにしてもネット社会の便利さは、私のようなわがままな旅行者にとっては有難い。

希望条件で検索すればたいていのわがままを考慮した宿選びが出来る。旅行サイトで見つけた気になる宿の公式ホームページに飛べば、そこでまた融通のきくプランを見つけたりすることも出来る。

あなどれないのが、実際に宿泊した人のクチコミ情報。宣伝臭漂うムック本や雑誌類でしか宿選びが出来なかった昔に比べて、実に情報収集が容易になった。

宿の方としては、評判がシビアに世間に流れるわけだから大変だろう。でも結局それが淘汰につながって、真っ当な宿を増やすことになれば悪くない。

はたして、年末に私はどこを目指すのだろうか。旅行の楽しみって、私にとっては計画段階が一番。出発までに8割方の楽しみを味わうような気がする。

2008年12月4日木曜日

カリブ海


最近、寒くなってきたせいか、ふとした時に南国を思い浮かべる。ハワイやバリ島あたりのお馴染みの場所ではなく、昔やたらとはまったカリブ海のことが頭をよぎる。

初めて出かけたのは、英領グランドケイマン。17、8年前のこと。まだインターネットが普及していなかったので、情報収集も手探り。いまより貧乏だったので、安いチケットを随分と探した。

グランドケイマンはアメリカ東海岸から3~4時間程度で行けるのだが、初めて行ったときは、成田からロスに飛んで、ロスからオーランドに飛んで、そこからマイアミに飛んで一泊、翌日ようやくたどり着いた。

いま思えばバカみたいな行程だが、それなりに旅の思い出としては楽しかった。ロスからオーランドに飛んだ飛行機は、ディズニーワールドに行く人しか乗っていないような便で、搭乗口でミッキーの耳をかたどった安っぽい紙の帽子を配られた。

機内では、ナゼかほとんどの人が嬉しそうにその帽子をかぶっており、私もディズニーに用はなかったのだが、仕方なくかぶっていた。オーランド着陸時には、ミッキーマウスマーチを歌い出すグループなんかもいて騒々しい。まだ乗り継ぎのある私はちょっと切なかった記憶がある。

ひとり旅がいまほど好きではなかったが、ダイビング目的にカリブまで付き合ってくれる人もいなかったので、この時も私は一人。マイアミでは、エアポートホテルでジーと時間をやり過ごし、翌日のカリブ訪問に備えた。

ようやくたどり着いたグランドケイマンは、想像以上に海が綺麗で、なんとも優雅な雰囲気に満ちていた。塩の臭いが漂ってこないような優しい海の透明感が印象的だった。

その後も、メキシコ側のカリビアンリゾートであるカンクンやコスメルに何度も足を運び、ジャマイカやホンジュラス、キュラソー、ボネールにも行った。

そういえば、初めて結婚した時のプロポーズもカリブ海の海沿いのレストランだった記憶がある。いま思えば、結婚したかったというより、カリブ海の夕日を見ながらプロポーズという行為をしてみたかっただけのような気がする。

若さって本当に愚かさと同義語だ。反省。

上の画像はメキシコ・コスメルでダイビングボートをチャーターした時のひとコマ。チャーターしたと行っても、ボートマンは平気で暇を見つけては勝手に遊ぶ。メキシコ人だから仕方ない。文句行ってもアミーゴとか言ってごまかされる。この時も暑さしのぎにボートマンがシュノーケルを手に海に入ろうとしていた。陽気なおっさんだった。お気に入りの1枚。

ビーチの美しさは、どのエリアでも素晴らしいが、印象的だったのがボネールのピンクビーチ。もともと島から出ている養分の関係で、島のアチコチにいるフラミンゴも体色がピンク系。特定のエリアのビーチも少しピンクがかった色合いで、なんとも雰囲気がある。この写真ではよく分からないが、確かにピンクがかっていた。

夕日の素晴らしさもカリブエリアの特徴だろう。写真を取り損ねたが、さっき紹介したボネールで、一度だけピンクがかった夕日を見たことがある。天災の前触れじゃないかと心配したほど独特の色合いだった。

ラムベースの甘いカクテルを疲れた体に流し込みながら、のんびり夕日を眺める時間が何より贅沢だった。いい思い出だ。

最近は、長距離フライトを想像するだけで、カリブ海方面には縁遠くなってしまった。体力をつけ直して、再び行く機会をうかがいたい。

2008年12月3日水曜日

ネットオークション

何年かぶりに、マイ徳利やマイぐい呑み、マイ壺の一部を処分しようとネットオークションに出品してみた。

それぞれの商品へのアクセス数は数年前よりも多かったが、結果は想像より低調だった。やはり昨今の不景気も関係している気がする。

人気陶芸作家の作品で、そこそこの程度が維持され、ちゃんと画像を掲載して、購入時の木箱もきちんとセットで出品されていれば、だいたい相場は決まってくる。

私自身は、4,5年ぐらい前まで、よくネットオークションで作家モノを調達していたので、相場はある程度知っている。そのうえで今回、自信満々の出品作が、私が設定した最低落札価格よりちょっとしか上がっていないことにビックリ。上がっていないどころか、入札ゼロもあった。

アクセス数だけでなく、アクセスした人のうち、自らの注目リストに登録した人の数も出品者は把握できるのだが、その注目度からすると、実際の入札数が低調。

人間国宝の壺も出品してみた。10年以上前にネットオークションで確か4,5人で入札を繰り返し、なんとか落札した一品。

今回、自分の想像する堅めの落札価格の半額程度をスタート価格に設定して出品した。最低価格で落札されたら、笑えないほど損するなあ、などとタカをくくっていたら、なんと入札自体がゼロ。結局手元に残ってしまった。嬉しいんだか悲しいんだか微妙。

ただ、形状や箱の状態などから考えると人間国宝の作品にしては文句をつけたい部分もあった。いい人をウリにする私は、それを商品説明にきちんと書いておいたので、この影響もあったかも知れない。

一方で予想以上の高値が付いたのが、九谷焼の人間国宝の酒杯と天才作家の青磁の酒杯。

いずれもスタート価格の3倍ほどの値段。私の購入価格をも上回った。キチンとした貴重品には不況時でも高値が付く証拠だ。

だいたい、オークションに出品して処分しようとしている時点で、私にとって不要なのだから、その結果にアレコレ言っても仕方ない。

残念だったのは、備前焼の酒器の巨匠・中村六郎さんの作品。思ったより安値で終了してしまった。いくつか持っているこの作家の作品のうち、そこそこ良いレベルの徳利と酒杯を出品してみた。

数年前に亡くなってからは、当然、新作は出ず、希少性は高まり、代わりに存命の息子さんの作品が上物なら高値が付くという話も聞いていた。

とくに徳利のほうは、5日間の出品期間中、アクセス数は400を超え、注目リストに加えてくれた人がその1割もいた。ところが、実際に入札してくれた人はわずか3人。結果、かなり堅めに設定したスタート価格の2割アップという水準で終了。

自分の想像はアテにならないと思い知らされたことは確かだが、数年前に出品したときは、事前の想像と落札結果にさほど狂いはなかった。

数年前より市場規模が拡大中のネットオークションに期待していたが、やはり、消費動向に寂しい風が吹いているようだ。

まあ想像以上に高値で処分できちゃってたら、きっとロクでもないことにお金を使ったのだろうから、いさぎよくあきらめよう。おとなしくしていようと思う。

世の中に広まる「おとなしくしていようと思う」気持ちが不景気を加速させている・・・。

2008年12月2日火曜日

クエ鍋

クエを食べた。非常に美味しかった。場所は銀座の土佐料理・祢保希(ねぼけ)。

郷土料理の草分けのような有名店だが、カツオも好き、クジラも好きな私は以前から入ってみたかった店。

普段、銀座に出るからには行きたい店も多いので、今ひとつ“わざわざ感”が足りずにこれまでは通過するだけだった。

初訪問の動機付けはクエ。旨いクエが食えるとなれば、わざわざ行きたくなる。行ってみて思った。大正解。

クエを待つ間、あれこれと単品を注文した。カツオのタタキがさすがに旨い。

メニューにわざわざ「日本一」という形容詞つきで書かれていただけに、さすがの旨さ。調理場で藁焼きでもしているのだろうか?あまりの嬉しさに、おかわりまでしてしまった。

ところが、おかわりして出てきたタタキには、ニンニクスライスが2枚しか入っていない。早速クレーム。すると、ドッサリとニンニクだけ運ばれてきた。幸せ。脂ののったカツオにはやはりニンニクだ。ニンニクを遠慮しないこと自体が、最近モテていないことの証明のようで、ちょっと問題だ。

珍味3点盛りもいい感じの酒肴だ。どろめとさらしクジラ、酒盗が同居している。それぞれ少量すぎるのが困りもんだが、健康のためにこんなものを食べ過ぎてはいけないので良しとしよう。

続いての単品注文は、クジラのさえずり酢味噌和え。実にエロティックな弾力と滲み出る旨味成分があいまって昇天!ウットリするレベル。

次に来るときは、この店の名物料理・ハリハリ鍋でクジラをイヤッって言うほど食べようと決意する。さえずりの酢味噌和えは、酢味噌の味わいがきつすぎず、主役であるクジラの舌の味を殺さない程度で、飽きずに食べられた。

もうひとつ、つまみに頼んだのが「クエの肝和え」。肝マニアとしては注文しないわけにはいかない一品だったが、こちらはごくごく普通。クエの肝だけを使っていたら、高価になるはずだが、お値段相応って感じ。

酒はやっぱり「酔鯨」に決まり。私はもともとこの酒が好きだったので、アルコールメニューに当然のようにラインナップされているのを見て、ちょっと感激。

おまけに純米吟醸が300mlの小瓶で用意されている。常に口開けのウマイ酒が呑める。これはなかなか貴重なことだと思う。

いつ開けたか分からない一升瓶の底のほうの残り酒をもったいぶって呑まされるよりはるかに素敵なサービスだろう。

そうこうしているうちに鍋用のクエが登場。野菜なんか頼んでいないのに山盛りだ。どうしてザルの大半が野菜なんだろうとブツブツ言いながら、さっそくクエを食べる。幸せ。

プルッとした骨周りのコラーゲンがやたらと美味しい。くどすぎず味も深くて、後味が優しい。性格が穏やかになりそうな味と言ったら分かるだろうか(分かるわけないか)。

身の部分も、ジューシーで実にコクのある味わい。鍋の中で結構な時間煮られているのに、まったくバサつく感じはない。しっとり締まった肉質は独特だ。他の魚とはまったく似ていない個性的な味わい。甘みとコクが口の中と脳みそを幸せにしてくれる。

健康でいることはつくづく大事だ。じゃないとこんな旨いモノは食べられない。そんなお爺さんのようなことをずーっと考えてしまう味だった。

この日はラッキーなことにご馳走になった。「ごちそうさま」という言葉は、美味しいものにしか使いたくないが、この日ばかりはバッチリ。心から感謝を込めた「ごちそうさま」が素直に口から出た。

2008年12月1日月曜日

言葉狩り

今日は少しばかり持論を前面に出してみたい。

麻生首相のことが好きなわけではないが、最近の失言報道では、少し肩を持ちたくなる。

「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。この発言がマスコミから総スカンを喰らった。

要は、仕事もせず、健康維持に努力もせずに病気になった人の高額医療費は、健康に注意して働いている人間が負担させられているという理屈だ。

確かに表層的ではあるが、世の中の高所得者階層は、少なからず同じような不公平感を持っている。

医療費だけに限った話ではない。税負担が人より多いのに行政サービスに格差はまったくない。おまけに助成だ補助だという話だと、高額納税者は逆差別されて対象外にされる。

例の定額給付金にしても、高所得者への制限が技術的に無理となると、「自発的に辞退しろ」とマヌケなことを言い出す。だいたい、金銭感覚がきっちりしているからこそお金持ちになった人も多いわけだから、そんな人々が辞退などするはずないだろう。

税金や医療費を払っていない人の分は、結局、人より多く負担している人がかぶっているわけだから、基本的に面白くない。

大したことはないが、私だって、そこそこ税金や社会保険を負担している。そこそこと書いたが、自分としては結構な金額だと思う。自分にはね返ってこないのだから嬉しくも何ともないが、国民の義務だからせっせと納めている。

それは仕方ないにしても、払うべきものを払っていないヤツが存在するから気に入らない。

本当の意味の弱者は別にして、ゆるゆるに甘やかされた弱者もどきが多くはないだろうか。所得税の課税最低限だって高過ぎやしないだろうか。

大学を出て、ちゃんと就職をして、家庭も持てて、クルマも買って、マイホームも買えたような人間にも所得税ゼロがありえる。

政策減税や各種控除の拡充で課税最低限のラインがおかしいように思う。いま例えに出したような環境の人って弱者とはいえない。でも、この人が払って然るべき分も、高所得者層が押しつけられている。

子どもの給食費を払わないバカが増えているそうだ。払えないのではなく払わない連中がいっぱいいるらしい。

住所地に結構な税金を納めている私にとっては、自分の子どもを行かせているわけでもない学校の不足給食費の補てんに私の税金が充てられるのかと思うと無性に腹が立つ。

まあ本当のお金持ちなら、そんな細かいことに腹も立たないのだろうが、やはり気分が悪い。

麻生首相の冒頭の発言も、見方によっては正論だと思う。良く言ってくれたと感じた人も相当いることは間違いない。発言のどこが悪いのかちっとも理解できない人だっているはずだ。

先日の「医者は常識がない人間が多い」という発言だって、多くの国民が内心では感じていること。一生懸命鬼の首を取ったかのように批判報道を展開している人間も実際には麻生首相と似たような感覚をもっているはず。

まあ立場上、失言になるわけだが、あまり過度な批判報道は、結局、言葉狩りの風潮を強めるだけなような気がする。

福田前首相が官房長官時代、レイプ事件に絡んで「女性にもいかにも『してくれ』っていうの、いるじゃない?そういう格好しているほうもどうかと思う。男は黒豹なんだから」と発言したことは有名。

事件の被害者には申し訳ないが、一般論として、この見方って、ある意味普通の感覚だと思う。「黒豹」の部分はよく分からないが!?・・・。

政治家の失言に対しては、昔から国をあげて怒りまくるような習慣があるが、冷静に見極めるべきなのは、「発言内容」ではなく「立場」が問われているということ。

「総理大臣として、官房長官として、ナントカ大臣として、“そういうこと”を言ってはいけない」のであって、“そういうこと”を発言する自由を世の中から抹殺するようになってしまってはマズいと思う。

“グータラして病気になったヤツの医療費をどうしてオレが払わにゃならんの!”。
この発言の趣旨自体が否定されるのは、かえってコワい。共産国家じゃあるまいし、あくまで総理大臣が言っちゃうとマズいということ。ここはしっかり区別しないといけない。

ちなみに田母神・前航空幕僚長の論文問題もそうだろう。内容を読んでみたが、騒ぎ立てる話には感じない。ひとつの見方・分析として大いに勉強になる内容だ。問題なのは、あくまで論文発表時のポジションがどうなのかであって、事実、国会で問題になったのもその部分だ。

まあ個人的には、あのポジションで、あの意見を表明したって、ちっとも悪くないと思う。

2008年11月28日金曜日

政策秘書


10年以上の付き合いのある某国会議員秘書と久しぶりに会った。同年代で何かと話が合う。いつも色々と面白い裏話を聞かせてくれる。

「○×議員はカツラだ」とか「○△議員の愛人は誰それだ」とか、どうでもいい話題も多いが、仕事に役立つ情報もたまには得られる。昨年から職場が変わり、現在は某女性代議士の事務所に所属している。

政策秘書の資格を持つ彼は、雇用主は、あくまで衆議院。特別職の国家公務員という位置付けだ。所属する代議士が親分であっても、あくまで院から給料が支払われる。とはいえ、親分が落選したら、親分もろとも失業する不思議なスタイルだ。

国会議員の秘書は3人まで国が給料などの面倒を見る。公設秘書と呼ばれる3人だ。公設第一と第二、そして政策秘書だ。

もう10年以上前になるだろうか、政策秘書制度は、高等な国家資格という触れ込みで鳴り物入りで導入された。実際、国家試験は難関。合格率も確かヒトけたパーセントだと思う。

でも、国会に行くと政策秘書はゴロゴロいる。疲れたオジサンの多くが政策秘書だ。実質的に公設秘書経験が5年以上あれば、政策秘書になれるルートがあるため、中堅、古参の秘書稼業経験者は、多くが政策秘書資格を持つ。

聞くところによると難関の試験を突破して政策秘書として働いている人は政策秘書全体の1割程度らしい。

その昔、マスコミ報道のミスリードで、政策秘書は年収1500万円ぐらいを国が保証しているという説が根付いている。実際には、公務員同様、年齢や等級によって年収はマチマチ。言われるほど高収入ではない。

法律の趣旨に照らせば、政策秘書の仕事は、「議員の政策立案や立法活動の補助」なのだが、実際には普通の議員秘書と変わらないケースが多い。パーティー券を売ったり、代理で冠婚葬祭に出たり。

まあ結局は、体よくコストを国庫負担する秘書が昔より1名多くなっただけという側面がある。官僚主導型から議員主導型の政府を目指すという高邁な趣旨で導入されたものの、結局は、制度誕生以前と何も変わる気配はない。

国が編み出す新しい制度の多くが、掛け声倒れに終わってしまうことの一例だろう。問題は、一度生まれた制度は、実効性が乏しくてもそのまま維持され続けるという点だ。

民間企業なら、実効性なき制度は、検証後に廃止したり縮小するのが普通だ。国の政策はこの点が致命的にダメ、検証して改善する発想が全然ない。だから赤字は雪だるま式に膨らむ。「小さな政府」など夢のまた夢だと思う。

まあ、愚痴ばっかり書いていても仕方ない。

この日、衆議院の解散話ついでに、秘書氏からちょっと面白いエピソードを聞いた。まあ政治関係に興味のない人にはどうでもいい話だが、「役人」らしさを感じる妙な話だ。

衆議院が解散されると、その瞬間、代議士センセイ達はフツーの人になる。解散詔書が読み上げられた本会議が終わると、衛視たちに変化が生じるそうだ。

衛視とは、院内の警備を担当する制服姿の公務員。院内警察みたいな存在。彼らにとって、代議士は敬礼の対象。院内ですれ違う際にも当然、金バッジへの敬礼は欠かさない。

ところが、解散の日、本会議場から出てきた議員に対して、敬礼は行われない。代議士の身分を失った一般人に敬礼はしないという伝統なんだそうだ。

このシビアな対応は、天下の衆議院議長に対しても同様だというから面白い。日本の役人らしい杓子定規な対応だが、一方で、なんとなく洒落た伝統のようにも思える。

こういう雑学というか、こぼれ話が好きな私には秘書氏と無駄話している時間は結構楽しい。

ただ、話のついでに、行きもしないパーティー券を買わされたことはちっとも楽しくない・・。

2008年11月27日木曜日

わがままな旅

函館2日目。ゆっくり目覚めて朝風呂とサウナに死ぬほど入る。まぶしい朝日の中で海辺の露天風呂に浮かんでいる気分は最高だ。天気も良い。

ホテルの朝食を食べてしまうといろいろ計画が狂うので、泣く泣くパスする。

10時過ぎに宿を出て朝市方面に向かう。いいかげんな商売をする店も多い朝市だけに安直に買い物をすることは禁物だ。以前から信頼できる小さなカニ屋「H商店」があるので、私はカニの注文はその店に決めている。

タラバにしても毛ガニにしても、この店で購入するカニは身がぎっしりした一級品ばかり。東京からでも安心して頼める。プライベートの恩人がカニ好きなので、600グラム超の身入りギッシリの上物毛ガニを2はい発送する。

自宅用には、しまホッケとイクラ、ウニの一夜干しを送る。カニは現地で食べるから充分だ。この店の店頭では、オヤジさんの講釈を聴きながら、相当な量のタラバと毛ガニを試食できるのもまた嬉しい。いっぱい買う気を見せると試食もいっぱいできる。

まだ11時前だが、朝飯抜きの私は市場の外れにある大箱の魚介専門居酒屋「海光房」に行く。朝昼兼用の1件目だ。朝早くから居酒屋メニューが頼める上に、朝市のどんぶり専門食堂のように狭くないのが良い。

コストパフォーマンスが悪い店だが、朝からお酒グビグビ、タバコすぱすぱの不良中年にとっては使い勝手がいい。もっと旨い店はいっぱいあるが、ついつい何度も利用している。

タラコの醤油漬けといくらの醤油漬けを頼んで生ビール、そして焼酎へ。ウニもつまみにもらって、根ホッケが焼き上がるのを待つ。いい時間だ。

ホッケ登場。ジュウジューと旨そうだ。アツアツを頬ばる。うーん、旨くない。残念。下手な冷凍物だったのか、ちっとも旨くない。外した。

仕方ないので、別な注文を考える。今日も生モノ、塩漬けモノばかりの一日になりそうなので、あえてカニ甲羅グラタンを注文してみる。寒いし、いい選択だと一人悦に入って、運ばれてくるのを待つ。

うーん、旨くない。ぼんやりとした味付け。おまけに科学の味だ。失敗。まあクズガニの廃品利用のような一品を注文した私の負けだ。今回は、ちょっと運が悪い場面が多い旅行だ。仕切り直し。

そそくさと朝市どんぶり横町へ。昔ながらの食堂が市場の再開発で寄せ集められ、新しい建物の中に集合している場所だ。

この日は「茶夢」という店に行く。ドンブリメニューだけでなく、イカわた系の珍味をひとつのウリにする店だ。可愛いらしい店名とは相容れないオヤジが、あれこれ客にサービス品を出すことで知る人ぞ知る店。

イカごろセットを注文。イカのワタの麹漬けと醤油漬けが出てくる。死ぬほどウマい。

イカわたとえば新鮮でも虫がいることが多いが、そんなことなどどうでもよくなる味。いつもキモ系をアレコレ食べている私だが、冷静にランク付けしてみても、この店のイカわた麹漬けは相当上位に食い込みそうだ。

わたばかりでは、イカに失礼なので、ちゃんとイカ刺しも注文した。細く切られた新鮮なイカの上に少しの大根おろしとショウガが盛られており、その上から醤油をぶっかけて味わうスタイル。これまたウマい。

ついでに新鮮なイカの刺身をわた系の漬け汁とまぶして食べてもオツな味がする。お湯割り焼酎がぐいぐい進む。

サービスでイカの塩辛と、炒めたイカわたが登場。炒めたイカわたが実にクリーミー。結構な甘みと少しばかりの苦みが相まって、大人でよかったとつくづく思う。焼酎も進んで、まだ昼前なのにすっかり出来上がってきた。

そろそろ朝飯にしようと、ご飯モノ、すなわちどんぶり選びが頭を支配する。

しばしの考察のあと、決定したのは「カニイクラ丼」。この時期の北海道では、何はさておきイクラをかっこまなければ意味がない。ただ、この時は、イカわた系の漬け汁とか塩辛が残っていたので、貴重な味わいを白ご飯で堪能したい気分だった。

ただ、富豪記者を名乗る以上、この期に及んで、「ライス下さい」などとは言えない。やはりナントカ丼を頼まないといかんと思う。

綺麗に白ご飯が残せる具材は何かという点で考え込む。イクラ丼やウニ丼だと、どうしても、白ご飯がイクラやウニの成分を吸い込んでしまう気がする。その点、茹でガニが乗っかるだけのカニ丼なら、カニ棒を酒のつまみに食べたあとで、汚れなき白ご飯をキープできる。

イクラは食べたい。汚れなき白ご飯は残したいー。この欲求を満たしてくれるのが「カニイクラ丼だ。カニをつまみに本日の午前酒を終了する。そして、散らばらないようにどんぶりの半分を占拠するイクラをご飯とともに味わう。まさに天国。

そして、半分ほどの白ご飯が綺麗に残った。イカわたが漬かっていた残り汁の出番だ。白ご飯にかけてみる。いやはやウットリの味。

米も残り汁も、単体だけでは何かと力量不足。それなのに合わさることで単体の時より100倍素晴らしい味わいに変化した。まさにマリアージュだ。今度誰かの結婚式のスピーチで、他人同士が合わさることで素晴らしい世界が広がるという例えにこの話をしようと思った。

私の変な食べ方を目撃した店のオヤジがニンマリしていたので、私もなんとなく嬉しい気分がした。ああ満腹。

その後、五稜郭のデパートでプライベートの恩人にお歳暮を手配し、その後、観光名所の金森倉庫群を散歩。必死に腹ごなしをする。もう世の中はクリスマスシーズンのようで、金森倉庫でもサンタが乱舞していた。

すっかり冷えたので、宿に戻ってサウナと露天風呂ざんまいの時間を過ごす。なんとも贅沢な休日だ。函館は観光地だろうが繁華街だろうが温泉だろうが、みんな小さくまとまっているので、やはり私にとっては魅力的だ。

今回の旅も、この段階まで、わずか24時間滞在しただけで相当満足していることに気付いた。美味しい寿司屋に行ってないこと以外は充分満喫。逆に言えば、美味しい寿司屋に行けば完結ということに気付く。

まだ夕方だ。羽田への最終便は確か夜の8時頃だ。空港に近い湯の川エリアの寿司屋に早めに行けば、のんびり飲み食いしても最終便で帰れる。もう温泉もふやけるほど入ったし、そこそこ珍味も食べた。連休最終日にバタバタ帰宅するより今日中に帰ったほうがラクだと思い始める。

温泉を十二分に堪能し、部屋に帰って、携帯から最終便の空席状況をチェック。残席に余裕ありとのことで、そのまま予約変更。ITの進化ってつくづく便利だ。

ホテルを夕方5時過ぎにチェックアウトすることになったが、さすがにこの日の1泊分は返金はしてくれない。まあ、夕食ナシの安い料金だったので仕方ない。

じっくり温泉も入れたし、朝早くにチェックアウトする必要もなかったし悪くない。考えてみれば、夜便で帰る予定の海外旅行の際は、いつも夜までの滞在でも1泊分フルに予約してギリギリまで部屋を使っている。それと同じだ。温泉地から空港が非常に近い函館なら、こんなホテルの使い方は結構アリだろう。

5時過ぎに湯の川の「雷門鮨」に行く。奇をてらったものはないが全体に安定して高水準の寿司を出す。大将や息子さんらしき二番手さんのアタリもソフトで、まさに間違いのないお店。

またボタンエビとサーモンをつまみに飲み始める。そしてスジコを肴に燗酒に移行。今が旬の白子ポン酢も注文。北海道ではなぜかタチポンと呼ばれるが、さすが北国のタチポン、ネットリうっとりしました。

戸井の本マグロ赤身や最上級ズワイのカニ棒を追加して呑み続ける。赤ホヤの塩辛も出てきた。酒が止まらない。

そして握りへ。お決まりのウニは軍艦で出されたのだが、ついつい海苔なしでも2貫追加する。

あれこれ食べたが、抜群だったのが松皮ガレイ。東京ではまずお目にかからない味が濃い旨味タップリの一品。画像の右側はエンガワ。これまた凝縮された濃い甘みが官能的でした。

気がつけばもうすぐ7時。最終便は7時40分出発。さすがにこれ以上粘れないので、タクシーを呼んでもらって空港へ。ほんの5分ちょっとで空港に着く。

内心少し焦っていたのだが、搭乗手続きを終えても、出発までまだ30分もある。小さい空港だし、搭乗ゲートも数が少なく、この時間に他の便はなく空港内は閑散としている。拍子抜けするほど余裕がある。

結局、食べ忘れた唯一の北海道特産品を喫茶店で舐めながら搭乗案内を待った。

1泊にしては、妙に充実した突発旅行だった。勝手が分かる場所に行くと、なにぶんにもロスがない。たまにはこういう時間の使い方もいいものだ。というか、しょっちゅうこんなことをしている気もする・・・。

2008年11月26日水曜日

ジェロと小雪

この前の3連休、妻子が実家に帰ってしまった(トラブルではない。単なる帰省だ)ので、急に暇になった。せっかくの休日、デートをする相手もいないので、思いきって函館に行くことにした。

金曜の晩、深酒したツケで気持ち悪かったのだが、土曜の朝にだるい頭で確認したところ、飛行機もOK、泊まりたい宿もOKと実にスムーズにコトが運んだ。

不況のせいなのか、中途半端な季節のせいなのか、よく分からないが、連休の割には何の苦労もなく旅計画が整った。

突然行くからには、勝手知ったる場所がいいので、函館にした。やはり函館は近い。午前11時に家を出て、午後2時半には湯の川温泉でマッタリしていた。この日、都内から伊豆あたりに出かけた知人は、朝出発したのに到着は夕方だったらしい。やはり函館は穴場だ。

滞在は「湯の川プリンスホテル渚亭」。何度も泊まっている温泉大浴場が素晴らしい宿だ。通されたのはツインの洋室。ひとり旅なので不便はない。

露天風呂付きの部屋も空きがあったそうだが、一人旅サウニストの私としては、いちゃつく相手もいないのに部屋に露天風呂は不要だ。ツインの部屋でOK。

サウナで熱くなって、火照った身体を水風呂ではなく、露天風呂脇のスペースで寒風にさらしながら冷ましたい私としては、この宿では大浴場が一番魅力的なスペース。

連休中とはいえ、大浴場もガランとしている。ここの露天風呂は、まさに海っぺりの浜辺の上に設置されている。抜群の立地。

目の前には冬の海が広がる。浜辺には無数のカモメ。羽を休めていたり、あの旅愁を誘う鳴き声を聴かせながら飛び立っていったり、実に雰囲気がある。ときたま波のバサーンという音も加わって、演歌を唸りたくなるロケーションだ。

温泉宿とはいえ、夕食無しの設定で泊まれたので、サウナと温泉で生き返ったあとは、恒例の珍味系魚介攻めに街に出かける。

数え切れないくらい函館で寿司屋めぐりをしている私だが、毎回、知らない店を探検したくなる。間違いなく美味しい店もいくつか知っているのに、余計な探検をして失敗することもある。今回は失敗パターンにはまった。

湯の川から五稜郭方面に行く途中に、以前からいくつか目についていたお鮨屋さんがあった。そのうちの一件に突入してみる。店の名誉のために店名はあえて避けよう。

がらっと扉を開けると、まだ早い時間だっただけに大将が座って新聞を読んでいる。客は誰もいない。ちょっとヤバいか・・?バッくれるか・・?。瞬時に脳裏にいろんなことがよぎったが、大将がいい感じに歓待モードに入ってしまった。とりあえず、席に着く。

ネタケースに魚がまばらだ。ヤバイと思ったものの、すでにビールを頼んでしまった。手遅れだ。ボタンエビとサーモンをつまみで頼んだ。さすがに函館、モノ自体は悪くないが、いきなりニセワサビだ。完全に失敗を自覚する。ここからは、いかに手っ取り早く撤退するかを考える。

ところが、この店の大将がいい人で、ついつい世間話に花が咲く。私もいい人なのだろう。ちょっと楽しい。つい半月ほど前に今話題の黒人演歌歌手ジェロが来店したらしく、そんな話題で時間が過ぎる。

ホッキ貝をつまみで頼む。大ぶりな貝をさばいて丸ごと一個分出された。ボリュームがある。まだ撤収不能だ。

焼酎の水割りでも呑んで、つないでおこうとしたものの、日本酒しか置いていない。仕方なく生酒を頼む。結構な量の冷酒が来てしまった。飲み干すまでは撤収不能だ。

スジコをつまみで頼む。なんかフツーに呑み助モードに入ってしまった。でもさすがに、この店でせっかくの夜を過ごすのも辛い。握りはほとんど食べずに、「ようやく夜も本番の時間なので、名残惜しいけど、繁華街に行ってみます」と可愛い言い訳を残して、ようやく撤収。タクシーで五稜郭方面に向かう。

ちなみに次の日は間違いのない寿司屋に行くため、抜群の安定感を誇る湯の川にある「雷門鮨」に行った。そちらに最近訪ねてきたのは女優の小雪だったそうだ。

ジェロが来た店と小雪が来た店。なんともお店の雰囲気と食材の違いを端的に表わしているみたいでおかしかった。

五稜郭エリアでは、前回来たときに旨かった「鮨かわむら」を覗く。なんと満席で入れず。さっきの店に寄らずに最初からこっちに来ていれば今頃、カニの内子あたりを肴に上機嫌のはずが、寒風に吹かれながら途方に暮れる。

さすがに寒い。他にも心当たりの寿司屋はあるが、ちょっと距離がある。考えた末に近場の居酒屋「開陽亭」に落ち着くことにする。

観光客にもお馴染みの店だが、メニューが豊富で生け簀で泳ぐカニやイカを常備しているため、使い勝手はいい。茹でたての毛ガニを食べることにする。

水槽から取り出され、茹でられるのを待つ間、ウニとイカの沖漬けを頼む。しみじみ旨い。せっかく寿司屋じゃない店に来たのだから変なものも頼もうとエゾジカのタタキを注文する。

結構旨い。ポン酢で味わうと臭みもまったくなく、魚介攻めの合間のいいアクセントになる。こういう変なものも旅の楽しみのひとつだ。

毛ガニがやってきた。あまり大きいサイズではないが、一人でホジホジするには小ぶりなほうが有難い。ひとりじめ出来るんだから小さくても満足感は充分。肝心のカニミソもあって、実に幸せな時間。芋焼酎のお湯割りがぐいぐい進む。

シメにいくら丼とかウニ丼でも食べようかと考えていたが、路線変更。温かい塩ラーメンに決定。開陽亭を出て、ぶらぶら。でもすぐに寒さで酔いも覚めて冷えてしまった。おまけに雨も降ってきた。運良く近くに「あじさい」というラーメン屋を発見。

ラーメンに四の五の言うこだわりはない私は、清潔で鬼混みしていなければどこでもOK。チャーシュー塩ラーメンを頼む。あっさりしていて普通に美味しい。満足。
結局3件かけて晩酌が終了する。富豪みたいだ。

宿に帰って、再び温泉へ。相変わらず人が少ない。身を切るような寒さのせいで露天風呂は貸切状態。ここの露天風呂は夜になると浜辺を強い明かりで照らすので、夜の闇の中でも海を間近に感じられて快適。遠く水平線には、イカ釣り漁船の漁火が海を照らしている。なんともいい雰囲気だ。酔いにまかせてジェロの歌を口ずさもうとしたが、どんな歌を歌っているのか知らない。

結局、「津軽海峡冬景色」をうなる。貸切状態の露天風呂で調子に乗っていたのだが、上階にある女性用露天風呂に聞こえたらしく、まばらな拍手をもらった。かなり恥ずかしい。

続きは明日。

2008年11月25日火曜日

赤穂事件

12月が近づくと、毎年なんだかんだと「忠臣蔵」の話題が聞かれるようになる。実は私、子どもの頃からの忠臣蔵ファン。

時代劇、歴史小説とかが好きなわけでもないのに、あの話ばかりは熱くなる。

お涙頂戴の仇討ちストーリーだが、映画やドラマでおなじみのエピソードの多くが後世の作り話であることなど百も承知のうえで、いつも感動する。

きっかけは昭和50年のNHK大河ドラマ「元禄太平記」。まだ小学生だった私が、妙にハマって真剣に見ていた番組だ。

主役は石坂浩二。主役なのに大石内蔵助役ではなく、将軍綱吉の側用人・柳沢吉保役を演じていた。

石坂浩二はその後、平成11年の大河「元禄繚乱」で吉良上野介を演じたが、私の中では、昭和50年モノの石坂浩二の印象が強かったので吉良役には違和感があった。それほどまでに「元禄太平記」の忠臣蔵が個人的なベースになってしまっている。

当時の大石内蔵助役は江守徹。いまではイロモノ的にテレビに出ているが、私の中の大石像は、なぜかいまでも江守徹。

片岡千恵蔵や長谷川一夫あたりの昭和の名優が演じた大石も見た。でも、なぜか私には江守徹がつきまとう。おかげで彼がバラエティー番組に出てくるたびに悲しくなる。

忠臣蔵自体は、江戸で起きた事件なので、赤穂事件にまつわる名所は東京が中心。それでも私は、義士達が生まれ育った赤穂に行きたくて何度も訪ねている。

兵庫と岡山の県境にある赤穂に初めて出かけたのは、小学校の頃。例の大河ドラマが終わったあと、興奮冷めやらない私は、親にせがんで赤穂旅行に連れて行ってもらった。

大石の屋敷跡を見たり赤穂城を見たり、結構興奮した。とくに印象的だったのが「大石・別れの松」。ウソかホントか知らないが(多分ウソだろう)、江戸に出発する大石内蔵助と長男・主税が、家族と別れを惜しんだ場所と伝えられる場所だ。

名前の通りそれっぽい松が植わっていて、海が望める「いかにも」な場所だ。観光地特有の記念写真用のハリボテが置かれているのがなんともシュール。

ベニヤ板につたない絵で等身大に描かれた大石内蔵助と主税。顔の部分がくりぬかれている。観光客がくりぬかれた穴から顔だけ出して記念写真に収まるアレだ。

カメラを構える私の母親は、当然のように私の兄を内蔵助の位置に立たせ、私は長男・主税の部分が立ち位置にされた。

「元禄太平記」にはまって、旅を申入れたのは私である。兄はあのドラマをさほど熱心に見ていたわけではない。なぜ、私が内蔵助役にならないのだ!幼な心に憤懣やるかたない気分でその場所を離れた。

観光バスに戻っても腑に落ちない私は、四十七人の義士を思って、決起することにした。

母親に強硬にせがんで、大勢の客が待つバスを待たせ、小走りにハリボテに戻った。大石内蔵助のハリボテに顔を入れることができた瞬間、義士達が討ち入りに成功したような爽快な達成感を味わった。

大人になってからも赤穂には何度か行った。備前焼集めが趣味になり、窯元が集まる備前市の伊部エリアが赤穂から遠くないことから、備前焼収集の旅の前後に赤穂に宿を取ることが何度かあった。

赤穂と伊部をレンタカーで移動する際、途中には焼アナゴや白身魚が滅法うまい日生漁港なんかもあって、観光コースとしても結構オススメのコースだ。

赤穂の周辺は風光明媚で、魚はやたらと旨く、上質の塩の生産地ならではの塩竃料理とかを堪能しながら、海を眺める温泉宿でまったりできる。

いつも「大石・別れの松」にも立ち寄る。あの頃のハリボテはもう無い。でも、いまでも私にとっての“赤穂事件”はあのハリボテだ。

また行きたくなってきた。

2008年11月21日金曜日

ドカ食い

さすがに年とともにドカ食いをする機会がめっきり減った。もともと食道が広くて満腹中枢指令に問題がある私は、結構な大食い生活をしてきたような気がする。

中学生の頃、マクドナルドのハンバーガーを腹一杯食べさせろと母親にせがみ、とことん食べたことがある。ビックマック2つを含んで合計9個。かなり満足した。

100円マックなど無い時代、マックも決して安い食べ物ではなかった気がする。母親が想定外の出費に怒っていたことを思い出す。

いまでも、物凄く牛丼が食べたいときなら大盛り2個ぐらいは余裕で食べられる。多分並盛りなら3個は楽勝だろう。

2杯とか3杯と書かずに2個、3個と表現するのには理由がある。さすがに店内で大量に一人で食べるのは恥ずかしい。そのため、大家族を養っているかのような顔をしてテイクアウトをする。だから2個とか3個と書いたほうがピンとくる。

先日、久しぶりにちょっとした暴飲暴食をした。場所は池袋の高くない居酒屋。高くない店だが、ちょっとした料理類が美味しく、締めに本格的な手打ち蕎麦をバリエーション豊かに楽しめる店だ。

生ビールを2杯、その後は秋鹿という大阪の日本酒をアレコレ頼んだ。にごり酒、純米酒、純米吟醸など、製法ごとの違いを味わうという大義名分で痛飲してしまった。

食べたものは、刺身類は、しめ鯖とメジマグロ。これ以外に、この日は鯨を食べたい気分だったので皮鯨とさえずりを頼んだ。

前者は文字通り皮と身の間の脂が嬉しい部分で皮下脂肪の味わいが堪能できる。後者は鯨の舌、すなわちタンを茹でたもの。この日は両方とも酢味噌和えで食べた。

焼酎と合わせたかったが、いつの間にか、この店の酒メニューから焼酎が消滅しており、結局、冷酒の肴として楽しんだ。

出来たてを堪能できる海老の飛竜頭(がんもどきみたいな一品)も妙にうまかったので酒が止まらない。

ついでに穴子の白焼きも注文する。この辺から私の満腹中枢は機能が停止する。

酒がうまいせいで、からすみも頼む。これじゃあ酒は止まらない。普通の人ならこのあたりで満腹になるはずだが、いろいろムシャクシャしてたので、酒盗ももらって酒を飲む。

締めの日本蕎麦がウリの店に入った以上、私の単純な脳みそは「最後は蕎麦だろう」と決めつけている。満腹であることは忘れてしまっているから困る。

ここで難問。冷たい蕎麦か温かい蕎麦か、どちらかに決められない酔っぱらった私の結論は、「両方頼んでしまえば済む話だ」。

まず温かい蕎麦として、初挑戦の「釜揚げたまご蕎麦」を注文してみた。ゆであがって湯切りしたアツアツの蕎麦がボウルの中で溶いた生卵と混ざり合う。そこに熱いだし汁が麺全体に絡む程度に注がれる。

温かい蕎麦といっても、つゆがタップリ入っている蕎麦ではなく、つゆとタマゴの和え麺だ。麺の上にはシラスと鶏そぼろがトッピングされていた。

変な蕎麦ともいえるが、すこぶる旨い。生卵かけご飯が好きな人なら気に入るはず。でも結構ボリューム感があって、ようやく私も苦しさを感じ始めた。

そこに既に注文済みの次なる冷たい蕎麦、粗挽き田舎蕎麦が運ばれてきた。キリッとして旨い。多少、口の中に生卵的感覚が残っていたせいもあって、さっぱりした冷たい蕎麦は、満腹指令にお構いなく、ズルズルっと私の喉を通過する。

食道が人より広い人間はこういうときでも、むせたりすることはない。同じペースでズルズルっと私の胃袋は拡がり続ける

結局完食。おまけにトロリとした濃~い蕎麦湯がまた旨くてこれまたグビグビ。

これじゃあ痩せるわけがない。

2008年11月20日木曜日

神田 その田 ひれ酒


極上のひれ酒をしこたま堪能する一夜を過ごした。

場所は神田にある「その田」。天然のふぐを鮮やかに料理する老舗だ。今年の春にも訪ねたが、シーズン到来を待って旧友3名で出かけた。

友人同士で天然ふぐを攻める、などと書くとリッチな感じだが、実はこの「その田」、中学高校の同級生が若旦那として活躍中。彼を頼ってお邪魔したのが真相だ。

独特な風情漂う神田界隈は、ぶらぶら歩いていても、うまそうな料理を出しそうな店が目に付く。神田多町の路地に構える「その田」も店構えからして「きっちり真面目に仕事してまっせ」的な雰囲気。

端的に言って「東京っぽい店」だと思う。
イナカモノ的流行追っかけ路線とか、無理やり演出した和風モダンみたいな店が嫌いな私は、奇をてらわずどっしり構える店こそ真っ当に旨いモノを出すことを本能的に感じる。こちらの料理も当然のように美味しい。

頭の中に「今日は天然のフグを食べに行く」という情報をインプットした以上、私の脳の中には「旨いぞ、旨いぞ」という期待がヨダレとともに強まる。

旨いことを期待して、旨いことを予定しちゃっている脳に対して、予想以上に「旨いなあ」という印象を植え付けるのは凄いことだと思う。

熟睡している亀田兄弟なら私でもノックアウトできるが、リングの上で構えている亀田兄弟には太刀打ちできない。
まったく変な例えだが、そういうことだ。

「旨いだろうな」と身構えている私が「凄く旨いなあ」と唸ってしまうのだから、単純明快に旨いのだろう。

こんな回りくどい表現をしたくなったのは、この店の唐揚げに感動したから。

携帯画像ではうまく伝わらないが、大きくブツ切りされたふぐの唐揚げだ。今年食べたものの中でも、間違いなくベスト5に入る美味しさだった。

下味の付け方、塩加減、衣の量や揚げ加減、すべてバッチリ。私には、すだちもまったく不要。そのままで完璧に完成している。カーネルサンダースに食べさせてあげたい極上の逸品だった。

ジューシーかつプリッとした身の感触が最高。また、軟骨周りや骨と筋肉をつなぐ腱のあたりだろうか、いわゆるコラーゲン関係も実に食感がセクシー。

養殖フグのコラーゲンは、べちょっとブヨブヨなのに対して天然モノは、プルプリッって感じで変な後味も一切無い。養殖と天然の違いがもっとも分かる部位のように感じた。

さてさて、ひれ酒だ。なんとも大ぶりのヒレを惜しげもなく使った酒飲みには感涙モノの一杯。あっと言う間に燗酒は色づき、色だけでなく、濃厚な香りが酒と絡み合って極楽気分。

この日は、やたらと燗酒とヒレをお代わりしまくって、約3時間ひれ酒を味わい続けた。すっかり酩酊。健康なことはつくづく有難い。

酔ったついでに、干しているヒレを見せてもらった。写真では分かりにくいが、思った以上に大きい。実際の海で泳いでいた力強さを感じる立派さだ。養殖物は小さいだけでなく、一種の奇形でいびつな形の物も多いらしい。

干して焼くことで相当縮んでしまうらしいが、この日、何度も出してもらったヒレは相当立派だったので、きっと富豪クラスのフグのヒレだったのだろう。

思い起こせば高校生の頃、早熟だった私にこの店の若旦那が、極上のヒレを進呈してくれたことがあった。

学校で人目を避けながらコソッと渡されたアルミホイル。怪しい取引のようだが、今はやりのクスリなどではない。中味は立派なふぐのヒレ。

大して呑めもしなかった私が「酒は熱燗に限るなあ」とかなんとか語っていたのを聞いて、気を効かせた彼が持ってきてくれた。

本物のひれ酒など知るよしもない私は、貴重なヒレを無駄にしてしまってはマズいとちょっとビビッたことを懐かしく思い出す。

あれから25年以上の年月が過ぎた。純情のかけらもない中年オヤジになったが、ひれ酒の味わいを堪能できる味覚と友人の有難さを痛感する感性だけは、あの頃より敏感になった気がする。

2008年11月19日水曜日

政治と門外漢

最近、政治家のブログがヒット数を増やしているらしい。中には人気芸能人ブログ並の注目を集めているものもあるそうだ。

国民の関心が政治に向いている端的な証だ。これも不況が原因だろうか。

寿司屋などでは、板前さんが、客との雑談で政治ネタ、宗教ネタは避けるという不文律があるが、政治ネタに触れない方がスマートという感覚が日本人には根強い。

軍国主義体験、学生運動の末路などのトラウマが国民性に影響していることは確かだろう。政治ネタを熱く語ることが、格好悪いこと、無粋なことという刷り込みが広範囲に浸透している。

インターネットや、ブログの急速な普及は、こうした政治への消極姿勢に確実に変化をもたらしている。増殖するブログは、ある意味、国民総記者時代の到来を意味する。

刷り込みによって政治ネタを語ることを封印されてきた人々の漠然としたうっぷんがはらされるツールになっている側面もある。

官僚機構が実際の政治の枠組みを支配し、誰が首相になろうと、どこが政権を取ろうと、国の在りようが大きく変わらなかったのがこれまでの現実だ。

凝り固まったこのスタイルが限界に来ていることを国民自身が肌で感じていることも政治への関心の高まりと深く関係している。

度重なる政権放りだしに続いて、選挙のために選ばれた首相は、経済問題をタテに唯一の役目だった解散のことも忘れ、何がしたいのかサッパリ分からない。

深刻な経済問題を前に、政治空白を避けるために解散が先送りされたところまでは一応、理にかなっているが、肝心の「その先」が見えないまま。

まさに「いまそこにある危機」への切迫感が感じられない政権運営に国民の困惑は深まり続けているのが現状だ。

最近、漠然と感じるのが、職業政治家の限界。麻生首相の行動パターンも結局、政治のプロとしての予定調和の上だけで成り立っているように見える。

先人の行ってきたパターンだけが、自らの行動規範になっているように見えるが、これって結局、祖父も義父も首相経験者という特殊な環境にある麻生首相の宿命的なものだろう。

目新しいことをしようにも、せいぜい、閣僚名簿の発表を官房長官にさせずに自分で買って出るぐらいのレベル。スーパーに出かけて買い物客と談笑したり、学生と居酒屋で懇談するようなパフォーマンスも、前時代的な狭い枠での思考のように思える。

先日急きょ行われた小沢氏との緊急党首会談もなんだかサッパリ意味不明。ケムに巻くような話を難しい顔をして語る姿は、確かに総理大臣ぽいが、結局、「既成概念の中の総理大臣」を演じているだけのように見えてしまう。

かといって、対抗馬である民主党の小沢党首も、これまた「政治のプロ」としての臭いがプンプン。ひょっとすると小沢氏がイメージする総理大臣像は、麻生氏よりも既成概念に支配されているかも知れない。

二世、三世議員ばかりが増える政治の世界は、過去の踏襲、前例重視の傾向がますます強まってしまう気がする。これこそが世襲の弊害だろう。

どこの世界だって偉大な先代のあとを継いだ者が、先代以上に活躍するケースは少ない。大半は小さくまとまってしまう。政治の世界でこういう縮小が生じれば国にとって悲劇だ。

国民の直接投票で大統領を選ぶ米国は、予備選を含めた候補者のなかで、もっともプロっぽくない人物を選んだ。プロっぽくない人物が選ばれる制度は、リスクもあるだろうが、閉塞感でどん詰まりのわが国から見ればうらやましい。

どんな分野でも改革に必要なのは、ただ一つ。思いきった決断だ。これができるのは、結局しがらみのない人であり、しがらみのない人って、結局その道のプロ以外の人ということになる。門外漢の知恵はあながち捨てたものではない。

今日は、微熱があるので、こんな楽しくない話をダラダラ書いてしまった。ちょっと疲れた。

外国人とか、高校生とかが政治をやったり総理大臣になったほうがいいのかもしれない。

最後は投げやりになってしまった・・・。

2008年11月18日火曜日

夜の貸し倒れ


繁華街がどことなく寂しい感じになっていることは以前にも書いたが、昨今の不況風は、夜の街から確実に活気を奪っている。

週刊誌などでも、銀座のホステスさんが不況で悲鳴みたいなノリの記事が増えているが、実際に客足は減り続けている様子。

私のような不真面目な客にも「いつ来るんだ?」、「早く来い!」、「何してるんだ!ばか」みたいなお誘いとか脅迫めいたお誘いが増えてきた。

その昔、ホステスさんの営業攻勢は、当然ながら電話が多かった。携帯の普及前は、彼女たちも会社宛に電話しなければならないわけで、それなりに面倒だっただろう。

いまはメールの進歩で、馴染み客に対して一斉に同じ文面を送れるわけだから、昔のホステスさんからすれば、IT化はうらやましいはずだ。

会社宛に電話がかかってきても、会議中だの不在だの、はたまた、取り次ぐ女性社員にあらかじめ伝達しておけば、最初からガードしちゃえた時代が懐かしい。

携帯にかかってくる電話は、おせっかいに誰からいつ連絡が来たのか記録されるので、すっとぼけられないのが困る。電子メールは、突然飛び込んでくるうえに、やはり受信記録が残り続けて気になる。

私の場合、営業されたから店に顔を出すパターンってあんまり無いと思う。ふらっと行きたいときに行くパターンが多い私には、あまり熱心にお誘いされても、効果がないような気がする。

ただ、営業メールのおかげで、忘れちゃってた店を思い出すこともあるので、まあ仕方ない話。いざ行ったときにノンビリくつろがせてもらうためには、営業攻勢に付き合うような浮世の義理も必要だ。

ホステスさん達も、いわゆる売上げ制の場合、店という場所を借りているだけの一種の個人事業主のような存在。コストも自腹、ツケで飲まれた分の保証も自腹。不況になるとツケの踏み倒しが結構悲劇を呼ぶらしい。

気前よく飲んでいたほうは、いざ払えなくなっても、無いものは無いと無責任に逃げる。ウイスキーの原価を考えて、あとは氷や水くらいなんだから、高額なお勘定とはいえ、店の損害は大したことないとタカをくくる客も少なくない。

確かに物理的な原価を考えればそう考えそうだが、取りっぱぐれになった金額は、そのままホステスさんが弁償するわけだから、原価うんぬんの話では済まない。なかなか厳しい話だ。

店の帰り際に、支払いもせずにスッと出て行くのは確かにラクだし、気分のいいものだろう。接待相手への気配りとかを大義名分にその場で支払わず後日まとめて支払う客は多い。

私の場合、あとから請求書が送られてくるのが単純に好きではないので、その場で精算する。同席した相手に気配りしたければ洗面のついでに支払えばすむこと。

だからおもむろに立ち上がって「それじゃ」ひと言、颯爽と店をあとにするような経験がない。いつもダラダラ。

ホステスさん達がちゃんと確定申告をしていればという前提つきだが、今度の申告シーズンには、夜の世界からの貸し倒れ損失の計上が爆発的に増えることは確実だ。

ついでに無防備な私への営業攻勢も不況とともに強まることは確実だろう。

2008年11月17日月曜日

尿酸値とレバ刺し

尿酸値が標準の範囲におさまっていた。ビックリ。血液検査から2週間ぐらい、あえて結果を聞かないで、その間、食べ納めとばかりにキモ類を食べていたが、今後もドシドシ食べられるようだ。

数値は6.9。最近は8とか9とかだったので実に優秀。一応7.0までがセーフで、医師によっては7.5までを許容してくれるらしいので、私の数値は立派なものだ。

無罪放免となった私が、まっさきに食べたくなったのが鶏のレバ刺し。自宅近所の焼鳥屋「T」に常備されている至極の逸品だ。

みるからに旨味タップリのその姿形に惚れ惚れする。ごま油で食べるのもアリだが、醤油にニンニクおろしとショウガとワサビをすべてミックスして食べると抜群。

もともとは、3種類のいずれかを好みで使うように用意してくれたものだが、全部混ぜると不思議と新しい味がして、極上レバ刺しにピッタリ。

このレバ刺し。クセはまったくなく、クリーミーなくせに後味はサッパリ、かといって淡泊ではなく、濃い甘みが口中に広がる。牛や豚のレバよりも軽くて飽きの来ない味わい。病みつきになる。

この焼鳥屋、素っ気ない作りの微妙な店構え。デートか接待とかに使えるような店ではない。汚くはないが、綺麗でもない。確か、以前は居酒屋だった店舗を居抜きで使っている。

皿やコップもビールメーカーや酒屋の試供品なんかが中心。極端にいえば、寝間着でもジャージでも行ける雰囲気。そういう店で絶品の焼鳥が食べられるのが面白い。

レバ刺し以外の焼きものも高レベル。銀座の某有名高級焼鳥店と実は同じ仕入れ先から鶏を調達しているわけだから、肉質は確実。安定的に美味しい。

物価高の影響でチョッピリ値上げしたが、焼鳥1本140円が160円になったぐらいの話。大勢に影響ない。メニューの値段を見ずにアレコレ食べまくってもお勘定の心配は不要。

携帯での撮影なのでうまく伝わらないが、ハツがまた旨い。。ぷりっとジューシーで、焼きすぎない加減がまた絶妙。銀座あたりなら1本500円は取られる。

レバだって生で出すわけだから、ササミなどは焼きもので頼んでもご覧のような半生状態で出てくる。私の場合、体重が気になるときは、ササミばかりいろんなパターンで食べるようにしている。

お次は、せせり。首の肉だ。鶏の動きを思い起こせば分かるが、ひょこひょこ首ばかり動かしているせいで、首まわりの肉は適度に筋肉がついている。味わうと実に締まった肉感が堪らない。これも私が必ず注文する1本だ。

これからの季節、この店に行くと、焼酎のお湯割りを片手にダラダラ食べて呑んで過ごす。家の近所という鎧兜を脱いだ場所だけに、いつもヘロヘロになる。

情けない格好で蛇行しながら徒歩5分かけて自宅にたどり着く。気を抜いて呑める店も大事な存在だろう。