2017年2月27日月曜日

郷愁散歩


慢性的に運動不足だから暇な日はなるべく散歩に出る。家の近所はさんざん歩いて飽きてしまったので、見知らぬ場所まで出向いてウロウロキョロキョロ散歩に励む。

休みの日の繁華街は鬼混みだから避けたい。私にとって休日散歩の定番だった浅草も最近は観光客で凄い人出だ。おまけにディープな路地も再開発されて綺麗になっちゃったから魅力が薄れた。

私が散歩したくなる場所は「昭和っぽい匂いがするところ」である。昭和っぽさの定義は曖昧だが、端的に言うと、地に足が着いた地元密着型の商店街が元気な場所だ。

流行とか洒落っ気に関係の無い街を歩くのが妙に楽しい。ドテラを羽織ったオッチャンが鼻歌を歌いながら錆びた自転車にまたがっているような光景に萌える。


昔懐かしいレトロ看板がありそうな街だとなお嬉しい。この画像、ヤフオクから拝借したのだが、結構な値段で取引されているようで驚いた。全国の過疎地域を回って収集したら小遣い稼ぎになるかもしれない。

昭和っぽい街の代名詞である谷中、千駄木、根津あたりの谷根千エリアも好きだが、最近は小洒落た店も増えてきた。アマノジャク気質の私としては、観光客向けのあざとさというか、媚びたような感じが苦手なので、より「剥き出しの昭和っぽさ」を探したくなる。

先日ふらっと訪ねたのが十条である。その昔、「帝京高校VS朝鮮高校」の血みどろの抗争が繰り広げられたエリアである。高校生の頃に足を踏み入れたら生きて帰れなかったはずだ。

などと書くと住んでいる人に怒られそうだが、住んだら何かと快適そうな街だと思った。商店街は元気があるし、昔ながらの東京らしさが漂っていた。



野菜コロッケが30円、焼鳥1本50円である。食べたいとは思わないが、こういう店がある街は信用したくなる。地に足が着いている感じ。アコギな商売はすぐに淘汰されそうだ。

「鳥獣店」も“いとをかし”だ。昔はどこの街にもこんな店を見かけた。地元の小学生が日参している感じにホッコリする。

昔ながらの個人商店が元気な街は、どこも均一化されてしまった大都会の繁華街よりも面白い。ついついどうでもいい買物をしてしまう。


物凄く暖かい靴下だと言われて買ったのだが、単にウェットスーツ生地で作られた靴下だった。蒸れる。

この日は他にも大きめなラーメンどんぶりやXXLサイズの1000円のスウェットなんかも衝動買い。平和である。

十条の後は板橋区の大山に向かう。ここも地域密着型の商店街が活気に満ちていることで有名だ。

こうした街にはどこも「我が道を行く」みたいな空気が流れているのが良い。流行なんか知りませ~んって感じである。独自の文化圏を作っているかのような雰囲気がある。

外向きの東京の顔が巨大ターミナルタウンやお洒落なエリアだとしたら、古くからのディープな?街は、土着的東京といいたくなるような気配が濃厚だ。

私自身、根っからの東京人だから、子供の頃に目にしていた光景がそのまま残っているような古い街の古い路地を散策すると何とも言えない郷愁にかられるのだと思う。


そんな散歩の後はディープな酒場で決まりである。土地勘のない街で垢抜けない大衆酒場にふらっと入る時の変な緊張感が好きだ。アウェーである。

ウマいマズいとは別次元の魔界っぽさを楽しむ。黒ホッピーにモツ焼きが定番だ。画像のメンチカツ、よく見ると衣がまるっきり剥がれちゃっている。

そんな雑な感じがいい。常連さんからのギロっとした目線を感じるアウェーな店で、ホッピー片手に雑な感じの食べ物を頬張る。

Mな私にとっての憩いの時間だ。

2017年2月24日金曜日

家電の話 バーミキュラ

中学生の頃に買ってもらったズボンプレッサーである。40年近く使っているのに現役バリバリだ。

いまや懐かしきナショナルのロゴが時代を感じさせる。昭和感プンプンだ。いたいけな少年の頃の制服から現在のオッサンスーツまでお世話になっている。

複雑な構造ではないからかもしれないが、一度も調子悪くなったことがない。日本の家電製品の優秀さを実感する。

世界に冠たる「日本製」は壊れないのが当たり前だった。今も日本製への信頼度は世界水準だが、それでも最近は何となく頼りなく感じることも増えた。

先日、スマホを機種交換したのだが、4日目に初期不良が出て改めて新品に交換された。結構メンドーな作業だった各種の設定や登録をやり直すはめになって激しくムカついた。

初期不良という言葉がいつのまにか当然のように使われている気がする。昭和の頃にはそんな傾向は無かったように思うのだが、私の勘違いだろうか。

家庭人?だった頃、国内有名メーカーの冷蔵庫がわずか3年程度で壊れたことがあった。補償期間が過ぎていることをタテにヌルい対応をするメーカーに元嫁が激怒。さんざん毒づいたら新品が送られてきたことがあった。

モンスターだ、クレイマーだといった話はさておき、日本製の信頼を元に購入した商品が通常の使用状態なのにコロっと壊れることが問題だと思う。

最近でも洗濯乾燥機が3年程度でおかしくなった。毒づいてくれる係はいないので買い換えた。なんだかな~って感じである。

トンチンカンな推測かもしれないが、パソコンが世の中に普及した頃から、なんとなく電化製品の信頼度が落ちてきたように感じる。

すなわち、いとも簡単に動かなくなったり挙動不審に陥るパソコンのあのいい加減さが、家電全体に蔓延しちゃったかのような気がする。

パソコンが頼りないのは今や当たり前みたいで、使う側も「そんなもんだ」「そういうもんだ」「仕方がない」という諦めが普通になっている。

パソコンの延長であるスマホも似たようなもの。比べること自体がナンセンスなのかもしれないが、昭和の日本製家電製品のほうが遙かに安定感があった。

今の家電製品の肩を持つとしたら、平成以降のいわゆる失われた20年の間に、闇雲な安値競争が激化したことも影響しているかもしれない。

昔のほうが家電製品は高価だし貴重だった。先進的なCDコンポなんて15万円ぐらいの値付けだった。今はそのぐらいの金額で大画面テレビが買えちゃう。

極論すれば、家宝みたいに扱われた昔の家電製品と、消耗品となった現在の家電製品の違いなのだろう。

などと、知識も無い素人が分かったような評論もどきを書いても始まらない。

今日、書きたかった家電の話は「バーミキュラ・ライスポット」である。

ドラキュラみたいな名前だが、炊飯器である。名古屋のメーカーが開発したスグレモノらしい。以前、テレビでは品薄でなかなか手に入らないと言っていた。


知り合いが買ったそうで、なかなか満足しているそうだ。コメの粒感と甘味が際立つとか。

がぜん欲しくなった。ふるさと納税の返礼品にこれを用意している自治体を探してみたが、さすがに品薄商品らしく、そんな気の利いた自治体は無かった。

身銭を切って買うしかない。まあそれが当たり前だが、なんだかんだで10万円ぐらいする。エセ富豪としては衝動買いする根性がない。悩み中だ。

いつまで悩むのだろうか。

2017年2月22日水曜日

占いの沼にはまる


時々訪ねる謎の占い師(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/02/blog-post_4.html)に妙なことを言われた。その人から見ると、私は自分の考えに蓋をしがちだとか。自分を押し殺していて気の毒に見えるらしい。

そんなことを言われると、さも忍耐力に秀でた立派な人物みたいだが、絶対に違うと思う。

そりゃあヤボにならない程度にやせ我慢をすることはあるがその程度である。好き勝手に行動しているから、これ以上アッケラカンとしたら単なる傍若無人オヤジになってしまう。

他にも「いろいろと取り繕っている」とか言われてしまった。散々である。確かに誰もがエエカッコしい精神があるから、取り繕う場面は結構あるはずだ。

何事も取り繕わずに生きている人などいるのだろうか。程度の差こそあれ、誰だって似たようなものだろう。

占いで厄介なのは、いわゆるプラセボ効果だ。端的にいえば思い込みである。それっぽいことを言われたせいで、そんなものだと思い込んでしまう弊害である。

自分にとって良い話なら結構なことだが、ネガティブな話を聞かされて極端に気に病んでしまうのは危なっかしい。

変な宗教にハマる心理と同様だ。過度に依存しちゃうとドツボにはまる。

私自身、占いやカウンセリング的なものに対しては「いいとこ取り」で済ますように意識している。それでもネガティブな話を聞かされれば気になってしまう。

この日、占い師さんと話した内容の多くが、子供に関すること。おそらく、子供と接する上で絡まざるを得ない元嫁に対するストレスを単純に指摘されたのだろう。

元嫁に対する私のビビリ体質は確かに問題である。言われてみれば、こちらの意思はオモテに出さないし、子供とうまく関わるためにアレコレと取り繕ったりもする。

ご苦労なことである。その点に関しては占い師さんの言う通りである。まあ、こればかりは子供を人質に取られているようなものだからある程度は仕方がない。

自分を押し殺して、あれこれ取り繕うという私の努力?の甲斐あって、子供とは非常に良い関係が築けているわけだから、それなりに我慢は必要だろう。

そんな話よりも、今の私にとっては隠居の家相(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/08/blog-post_31.html)から脱出することのほうが大事である。

隠居の家相だと、活力も湧かないしグダグダドンヨリしちゃう。随分前に言われたのだが、それこそプロセボ効果が悪く作用しないようにあまり気にしないように過ごしていた。

でも、どうにも「御託宣」を信じちゃうような暮らしぶりが続いている。隠居っぽい日々が染みついてちっともアクティブじゃなくなってきたから自分なりに現状打破の必要性を感じている。

で、タイミングを見て引っ越そうと考えているのだが、せっかくだから絶好の方位を選んでみたい気持ちが強い。それで活気が満ちてきたらラッキーだし、グダグダが直らなければ占いの呪縛から決別するきっかけにもなる。

聞くところによると、ある時期にある方向に引っ越せば、運気の上で非常に良いらしい。そうはいっても、そうタイミング良く希望の物件が見つかるとも限らない。

「最高」の方位じゃなくても、「まあまあ」の方位は無いのかと尋ねたら、一応、それもあるらしい。「最高」と「まあまあ」の違いはちっとも分からないが、「悪くない」のならどっちでも良い。

どっちにしても、方位なんかを気にし始めてしまったことが面倒でしょうがない。運勢だの方位だの聞かなきゃ聞かないで何も困らないわけだから、今現在、そういうことに左右されていない人は足を踏み入れない方がいいと思います。

2017年2月20日月曜日

ビリヤニの躍進


冬は太る。イヤになる。もともと太いのだからデブの二乗だ。やはり今の季節は動物の本能として栄養を身体に貯めやすいのだろう。


タルタルソースてんこ盛りのたこ焼きを食べているような自制心の無い人間。それが私の現実である。

たこ焼きはさておき、私のデブっぷりを支えているのが「ご飯が大好きだ!」という50有余年に渡って一貫している嗜好である。

コメを食べない民族に生まれなかったことを神に感謝したくなるほどコメが好きだ。

朝食をパンで済ますことはない。ご飯である。今日も朝からふるさと納税でゲットしたウナギと熱々ご飯を食べた。

昨日の朝もふるさと納税で手に入れた赤城牛ビーフカレーとやらを大盛りご飯のともにした。

酔っ払った後のシメもラーメンより牛丼派である。死ぬ前に最後に食べたい食事は卵かけご飯だと思っている。



丸の内にあるパレスホテルの名物・シーフードピラフと銀座・維新號で食べた海苔エビチャーハンである。ピラフだろうとチャーハンだろうとコメが主役だからワンサカ食べたくなる。

確信的なデブだ。

硬めに炊いたコメがとくに好きだ。雑炊やおじやも嫌いではないが、そっち系?だったら芯が残っているようなアルデンテっぽいリゾットのほうが好きだ。


鉄板焼きに行っても撮影したくなるのは肉よりも最後に出てくるガーリックライスの麗しき姿だったりする。


こちらは先日北海道に行った際に空港で食べた豚丼である。東京には豚丼専門店が少ないことが昔から気にいらない。思い切って副業として豚丼屋を開きたいぐらいだ。

海外に行っても、必ずコメが食べたくなるから滞在先近くの和食屋か中華料理屋を欠かさずチェックする。

イタリアならリゾット、スペインならパエリアがあるから安心だ。昨年行ったイギリス・ロンドンではインド料理屋でコメを食べていた。コメ文化を誇るアジア各国では問題なし。

ヨソの国のコメはパサパサだと文句を言う人も多いが、私にとっては柔らかく炊かれたコメよりむしろ嬉しい。

インドネシアのナシゴレン、タイのカオパなどは滞在中何度も飽きずに食べる。途中であれこれと調味料を足したりして「味変」が楽しめるのも楽しい。

そんなインターナショナル・コメ愛好家として喜ばしいことが、ここ数年の「ビリヤニの躍進」である。

インド料理の定番的メニュー、いわゆる炊き込みご飯である。昔は置いてある店が少なかったが、最近はがぜんポピュラーになってきた。

私がビリヤニを初めて知ったのは40年ぐらい前だろうか。通っていた学校のそばにあった老舗インド料理店「アジャンタ」で遭遇した。

もちろん、親が行ったついでに連行されたわけだ。子供だから家庭のカレーかボンカレーぐらいしか知らなかった頃である。本格インドカレーのスパイシーさにブッ飛んだ。

そこでチキンピラフのようなビリヤニを食べてホッコリしたのが思い出である。アジャンタのビリヤニは炊き込み料理ではなく炒めてあったような気がする。

正統派かどうかよく分からないが、私にとってはデビューの味だから今でも時々食べたくなる。

ビリヤニは本式だとバスマティライスという妙に細長いコメを炊き込んで使うのが基本だとか。インドとパキスタンあたりの固有のコメだ。


聞くところによると、バスマティライスを輸入する際の関税の関係で昔は入手困難だったものが、時代とともに変化してきたらしい。結構なことである。

農業保護、コメ農家保護は分かるが、バスマティライスのような極端に個性的なコメが日本の米とバッティングするとは思えない。ビリヤニ用のコメとして歓迎すべきだと思う。

この画像は京橋にあるカイバルという店で食べたマトンのビリヤニ。パサパサっとしたコメとジューシーな肉のコンビネーションが抜群だった。

ネット社会の有難さで今ではビリヤニを名物料理にしている店を簡単に探すことができる。いくつも行きたい店がある。楽しみだ。

というわけで、いつまでも痩せない。

2017年2月17日金曜日

睡眠の質 ネックコンフォート


眠りの質が気になるようになって随分経つ。人生の3分1は寝ているわけだから、いかに快適にパワーチャージ出来るかは大事なことである。

不眠症の人ほど大変ではないが、私だってそれなりに気苦労もあるから寝つけないことは多い。

適量の酒が一番だが、飲み足りないと催眠効果は無いし、飲み過ぎると浅い眠りになってしまう。

寝つきに関しては睡眠導入剤や安定剤のデパスあたりを使えば割とクリア出来る。でも、あれはあれで依存しちゃうとボケるらしい。家に大量にストックしてあるから気軽に服用したくなるが、なるべく避けるようにしている。

どちらかといえば、寝付きよりも寝入った後のほうが問題だろう。眠りの質が良ければ睡眠不足気味でもスッキリ起きられる。

最近、私がハマっているのが「ネックコンフォート」なる商品だ。チョロッとした布きれだが3千円以上の値付けだった。安くはない。


一部で大人気だそうだ。ナントカという繊維を使っている効果で身体の中から首や肩の凝りをほぐし、疲れがとれて目覚めがスッキリするという宣伝文句に釣られて購入した。

たぶん思い込みだと思うのだが、使い始めてから何となく眠りが深くなった。目覚めた時の気分も良い。

たかだか3千円でそんな効果があるとは思えないが「効いてるぜ~」という思い込みのせいもあって自分としては満足している。

それでいいと思う。詳しい効能はどうでもいい。信じる者は救われる。このところ肩凝りも気にならない。

自分の性格が割と単純で良かったと思う。

快適な睡眠のためにこれまでもアレコレ試してきた。やたらと堅いマットレスに凝ったこともあるし、ラベンダーの香りに執着したこともある。

気付けば寝室には枕がいくつも置いてある。高さの違い、固さの違い、横向き専用、肩凝り対策用など日によって使い分けている。


使い分けているせいで、どれが自分にとってベストなのかがさっぱり分からないのが困りものである。

専門店で試したところで、その時の感覚と実際に使うときの感覚は違うからあまり参考にならない。

枕ボヘミアン、枕ワンダラーである。聞くところによると、うつぶせ睡眠が一番健康面で理にかなっているそうだから、最近は横向き専用枕を使って、うつぶせに近い横向きで寝ることが多い。

横向き睡眠で問題になるのが左側、すなわち心臓を下にするのか、右側を下にするのかという点だ。逆流性食道炎を持病に持つ中高年にとっては気になる課題である。

どちらを下にするかには諸説あって、どうにも決定打が無いみたいだ。私の場合は、その日食べたものの種類や横になるまでの経過時間などを総合勘案して決めている。

と、エラそうに書いたが、要はその日の自分にとって収まりの良い方を選んでいる。これだって「今日のオレにはこっち側が最適だ」と思い込むことが大事だ。クヨクヨしているのが一番身体に悪い。

どっちにしても30代ぐらいまでの若い頃はどっちを向こうが、枕が何だろうと、はたまた誰と寝ようがお構いなしだったからラクチンだった。今のほうが神経質になっちゃったようだ。

若い頃と最も変わったのが「抱き枕」である。今の私の必需品である。現在愛用しているのはクマさんとワンちゃんである。いや、よく見たらクマさんとクマさんかもしれない。


目を閉じているクマさんの肌触りのほうが好きだったのだが、激しく愛し過ぎたせいでアチコチほころびが出来てしまい、中綿がブリブリ散乱するようになってしまった。

縫い物がまったく出来ないので修復不能である。このクマさんは毎晩私の足元で淋しそうに佇んでいる。

クマさんの代わりに毎晩抱き合える生身の人間を探したほうがいいのかもしれないが、クマさんのビロードのような肌触りは天下一品である。おまけにクマさんは従順だから私に文句の一つも言わない。オネダリもしない。

とりあえずクマさんの修復作業をしてくれる裁縫の得意な女性を探すことから始めようと思う。

2017年2月15日水曜日

バーで見る夢


先日、クレジットカードの明細を眺めていたら、銀座あたりの飲食よりも出前サイトやふるさと納税のために使っている方が多かった。ちっともアクティブではない。由々しき問題である。

で、とある日、引きこもり改善のために我が身にムチ打って?銀座に出かけた。珍しくアフターでハッスルというアクティブな時間を過ごした。

最近ちょっとサボり気味のクラブ活動だが、酔っ払い具合、はたまた満腹度合いによっても自分のノリは変わる。

この日はデロデロではなかったので、久しぶりに綺麗どころを2名引き連れて6丁目のバーに行く。

「Coffee Bar K」という店。食べ物メニューも豊富で雰囲気もなかなか良い感じである。銀座っぽいこなれた店だ。


カウンター席がいっぱいだったのでテーブル席で飲み直し。バカの一つ覚えのようにマッカランのロックを頼む。

バーに行くといつもこれ。こういう場合、カッコつけてシングルモルトの通っぽい銘柄なんかを頼んじゃうと、バーテンさんにウイスキーが大好きな客だと勘違いされる恐れがある。

後から珍しい銘柄や貴重な逸品をアレコレ勧められて調子に乗って飲みまくると会計が凄いことになる。

ウイスキーの味の違いなど大して分からない私にとってそういう事態は悲劇である。

だからマッカランの「無難でありがちな感じ」に頼る。二杯目以降も「おんなじヤツ」と言い続ける。あとはグラスに鎮座する真ん丸の氷をカラコロと鳴らして渋い大人を演じていればいい。

昭和の頃、「オールドの水割り」さえ頼んでいればすべてが丸く収まったような感覚だろうか。

意味不明でスイマセン。

ホントは甘いカクテルをグビグビ飲みたい。とくに夜も遅い時間になるとイチゴとかキウイとかそんなプリティー路線の果物系カクテルが飲みたくなる。

自意識過剰と言われたらそれまでだが、さすがにダンディー路線を目指す紳士ぶったオジサマとしては、こっちをさりげなく観察しているバーテンさんに「イチゴっぽいショートカクテル。フローズンでお願いね」とは言えない。

いつも死ぬほど我慢している。物凄く欲求不満なままマッカランを舐めている。それが実態だ。

連れの女性が注文したそうしたカクテルを一口飲ませてもらうたびに羨ましさで身体が震える。一口と言いながら一気に飲み干したくなる。

普通の人は女性連れで深夜にバーに出かけた場合、その後の女性との展開を夢に見る。私の場合、女性が飲んでいる甘いカクテルを一気飲みする夢を見る。

さて、欲求不満話が長くなった。「Coffee Bar K」の話に戻る。

カツサンドが絶品だという評判に間違いはなかった。ただ、カツサンドがウマいバーは銀座にいくつもある。というわけで、私が感動したのは「フィッシュサンド」である。自称日本一だそうだ。


冒頭の画像がカツサンドとフィッシュサンドの組み合わせだ。こちらは「宇宙一」らしい。メニューでそう宣言したくなる気持ちも理解できる。タルタルソースが大好きな私にとって顔がほころびっ放しになるような味だった。

というわけで、たまにはアフターでワイワイ飲み直すのも悪くない。すっかりそんな元気さを失っていた私には良い刺激になった。

この日、我々の目の前のテーブル席ではゴッついオッサンが若い女性とさかんにチュッチュしていた。素直にそんなオッサンを見習おうと思えたから、まだまだ私は現役である。

2017年2月13日月曜日

怖かったこと


私は結構な怖がりである。高いところも怖いし狭いところも怖い。飛行機も怖いし、新幹線もシートベルトが無いことが怖い。

で、今日は怖かった話を書いてみる。お化け方面の怖い話は思い出すだけでチビりそうになるので除外する。


先日、下の息子が通っている支援学校がロケ地になったEテレの番組を見た。子供向けのキャラクターものだったのだが、悪者が登場した時の子ども達の怖がり方が面白かった。

わが息子などは腰を抜かしてヘナヘナ座り込んでこの世の終わりのような顔でビビっていた。親の私ですら見たことのない表情だ。ヤツには悪いが腹を抱えて笑ってしまった。

「親の心、子知らず」の逆パターンである。そう考えると私が幼かった頃の数々の恐怖体験も親から見れば抱腹絶倒だったのだろう。ちょっと悔しい。

私にとって強烈な印象だったのが「デカい鬼太郎」である。子供向けのイベントに連れて行かれた私が目にしたのは大柄の男が鬼太郎の顔部分のハリボテだけをかぶった異様な姿だった。


ネットで拾ったこの画像だと顔部分だけではなく全体が着ぐるみ状態である。とりあえずバランスが良い。さすが現代である。

私の体験は昭和40年代である。まだまだ大ざっぱで雑な時代だったのだろう。かぶっていたのは頭の部分だけ。

いわば異常に顔のデカいやたらと大柄な鬼太郎である。おまけに剥き出しの生足はスネ毛ボーボーだった。

オッサン丸出しである。

怖いったらありゃしない。だいたい当時の私はアニメの鬼太郎しか知らない。実写版的なリアルな鬼太郎など恐怖の対象でしかない。記念撮影するのも腰がひけた。ただただ恐怖体験だった。

日本中にゆるキャラが増殖して観光地で見かける着ぐるみの中にはブサイクなやつも多い。時々、小さい子がそんな着ぐるみに近づかれて恐怖におののいている姿を見かけるが、私にはあの心理がよく分かる。きっと中年になっても心の傷は消えないはずだ。

着ぐるみのインチキぶりを知ってしまった私は、その数年後、メカゴジラに殴られるという恐怖体験も味わった。

当時、ロボット漫画が人気だったことに安易に便乗して作られたのがメカゴジラである。


この時も何かのイベント会場である。メカゴジラの登場を待ちきれなかった私は、ウロチョロしているうちに着ぐるみを準備している場所に侵入してしまった。

私が見たのは上半身がムサくるしい男、下半身がメカゴジラというシュールな姿である。分かりやすく言えば人魚みたいな状態である。

要するに今から上半身部分をかぶろうとしているオッサンの着替えシーンを覗いてしまったわけである。

怒られて慌ててその場から離れたのだが、少し経ってメカゴジラが出てきた際にコツンと頭を叩かれた。

オッサンは軽く叩いたつもりだったのだろうが、硬くて重いメカゴジラの腕である。やたらと痛くて涙目になるほど怖かったことを覚えている。

なんだかアレコレ書こうと思っていたのに着ぐるみの話だけで随分と長くなってしまった。

他にもいろいろある。小学生の時に満員電車の中で見知らぬオッサンにツバを吐かれた事件は今も鮮明に覚えているし、中学生の時に友人数人でイキがってたら3~40人の中国人学生に囲まれて死ぬかと思ったことを思い出すと今も髪の毛が逆立つ。

はたまた大学生の頃に渋滞していた高速で軽く接触しちゃった車から大仏みたいな髪型の物凄くイカついその筋の人が出てきた話も涙なくしては語れない。

思い出したら結構いろいろ出てくる。

それでも大人になってからはそうしたハードボイルド系の怖い事件にあまり遭遇していない。ラッキーだと思う。女性問題や家庭問題など違った意味の「怖い話」はいくつもあったのだが、歳を取るにつれ、そういう怖い話は上手に記憶から消し去るようになった。

今後もつつがなく平穏無事に生きていきたいものだ。



2017年2月10日金曜日

お酌問題


お酌。日本人にとっては一種のビジネスマナーだから厄介である。当然、私も若い頃はせっせと目上の人にお酌をした。


この歳になれば当然のようにお酌をされる機会が増えたが、どうにもあれが苦手だ。気ぜわしいし面倒だ。

お酌されるまでわざわざ待っているエラそうなオッサンがいるが、あれって何なんだろう。

「手酌は出世しない」を真に受けて我慢しているのだろうか。だとしたらバカだ。あれはお酌をされるような立派な人になりましょうという趣旨である。お酌されるのを待っているようでは立派ではない。

もちろん、酒席によっては私だってお酌をしたり受けたりと忙しく頑張る時もある。正直ウザい時間だが、あれはあれで文化的なモノだから仕方がない。

先日、仕事関係の知り合いが生ビールのウマい店でわざわざ瓶ビールを注文。理由を尋ねたら「お酌をするため」と言われてビックリした。それが常識になっている世界というか業界があるらしい。意味不明だ。

プライベートでは間違いなく手酌のほうがいい。たとえ相手が気を許した女性だろうと愛しい娘だろうと、お酌をされるのは苦手だ。

最初の一杯なら挨拶のようなものだから気にしないが、2杯目以降はこちらからしっかり断る。しらけない程度にお酌が苦手だと伝えておく。

お酌されてもぶっきらぼうに無反応でいられるほど図々しければいいのだが、私のように几帳面で繊細で気弱な男としてはそうはいかない。

お酌される都度、グラスや盃に手を添える。いちいち有り難うと言ったり、お礼っぽい仕草を返したりする。なんとも煩わしい。相手にお酌を仕返すのを忘れてアセアセした気分になるのもイヤだ。

要はワガママなんだろう。でもプライベートで酒を飲んでいるときに気疲れするのはゴメンだ。酒は飲むものであって飲まされるものではない。


女性がいる酒場での水割りがまた厄介である。さすがに自分で作るわけにもいかないからお任せするが、二口、三口飲んだぐらいでとっとと作り直そうとする。

間が持たないヘタれたホステスさんだと、マドラーを握りしめて待ち構えている感じだ。いちいち濃くなったり薄くなったりしてダメ。

メンドーだから「飲みきりで」と伝えておいても30分も経ったらそんなこと忘れてせっせと作り始めるスットコドッコイもいる。

ついでに言うと、そういう酒場でのタバコ着火問題も変な習慣だと思う。タバコの火を人に点けてもらう姿は美しいものではない。カッチョ悪い。

赤ら顔のオッサンが咥えたタバコをぐいっとホステスさんに差し向けてわざわざ火をせがむ姿を見るにつれ、同じことをしてもらっている自分がちょっと情けなくなる。

ヤクザじゃあるまいし、あれを当たり前に思う感覚はどうなんだろう。間違ってもスマートではない。ヤボだ。

愛煙家である私としては自分のタバコぐらい自分で火を点けたいのだが、それを実践すると店の人からやんわり注意されることがある。

要は席に着いているホステスさんが仕事していないと見なされちゃうわけだ。いたいけな女性陣が私のワガママのせいで叱られるのは気の毒である。だから自分で火が点けられない。なんかバカみたいな話だ。

ちなみに以前、ぶっとい葉巻を咥えたままホステスさんにマッチで火を点けさせているシャバダバなオッサンを目撃したことがある。

葉巻の着火はタバコのように簡単ではないのが特徴だ。じっくりと火を点けること自体が楽しみや嗜みの一部でもある。普通は人から火を点けてもらうという発想にはならない。あり得ない光景だ。

長年にわたって培われた夜の街のタバコ着火システム?がもたらしたヘンテコな光景だったのだろう。

なんだか今日はエラそうに書き殴ってしまった。さも神経質そうな書きぶりだが、実際には私自身、お酌もされるし、タバコに火を点けてもらう。

お断りしたいけど、断固拒否するほど偏屈じゃないし、そんな我を通すような硬骨漢にもなれない。なんとも中途半端である。もっと修行に励もう。

2017年2月8日水曜日

登別で雪見風呂

ときどき雪景色が見たくなる。雪国に暮らす人には申し訳ない話だが、旅行気分で眺める分には素直に美しい。

というわけで、先週末、登別に行ってきた。ただただ温泉に浸かる小旅行である。

週末はグダグダと何もしないで過ごしていることが多い。引きこもり改善策には旅に出るのが手っ取り早い。


思いつきで北海道旅行などというと富豪みたいだが、実際には節約旅行である。マイルが貯まりまくっているから飛行機はタダだ。

ついでにいえば、箱根や湯河原あたりに比べて北海道の宿の相場はお手軽だ。お手軽価格でも物凄い規模の大浴場があったりする。

今回は登別温泉の総本家的な宿である第一滝本館に泊まった。登別の源泉のほとんどを引いている物凄い規模の大浴場を持つ宿だ。泉質が異なる7種類ぐらいの湯が24時間楽しめる。


若い頃から温泉が好きだったから、北海道から沖縄まで結構アチコチに出かけた。お湯の質でいえば個人的には草津か登別が最高だと思う。

草津には個人的な思い入れがある(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html)から、それを差し引けば登別がナンバー1かもしれない。

そう思えるのも第一滝本館のような圧倒的スケールの大浴場を持つ宿がいくつもあることが原因だろう。

こじんまりした宿でマッタリ過ごすのも素敵だが、ドッヒャ~っと圧倒されるような巨大浴場を楽しむのも異次元体験的な面白さがある。

4~5年ぶりで訪ねた登別もご多分に漏れず中国人旅行者の波は訪れていた。春節が終わったタイミングだったのに中国人だらけ。宿の人に聞いたら最近は8割ぐらいが中国やアジア系の外国人だとか。下の画像は地獄谷。人の少ない瞬間を狙って撮影したが、日本人はまったくといっていいほど見かけなかった。


さて、宿の話である。大浴場がとことんデカいおかげで、大陸の人達の賑やかさもさほど気にならない。ハシャぐ親子連れを一度だけやんわり?一喝しただけで済んだ。

大浴場には20カ所近くも浴槽があるので、常にどこかひとつぐらいは無人の浴槽がある。おかげで宿全体の騒がしさの割にはマッタリできた。

夕飯無しの予約だったから夜は近くの居酒屋でお決まりの肴をつまみにグビグビ。イクラにウニ、ホッケの塩焼き、アサリ酒蒸しである。




宿でどうでもいい定食を食べるのもイヤだし、間違いなく異様な喧騒状態のバイキングなんてもっとイヤだ。そんなワガママな人だったら「近隣居酒屋メシ」のほうがオススメだ。

居酒屋にも中国人や台湾人が結構いる。若い頃からしょっちゅう来ていた北海道だが、既に時代はまったく変わったみたいだ。で、仕方なく海外からの客人達のオーダーを手助けするなど、にわか親善につとめる。

メニューにあった「鹿肉」を尋ねられたが英語が出てこない。映画「ディアハンター」も見たくせに何故か“バンビ”とか言ってしまう。バカだ。仕方なく身振り手振りで鹿のマネをする。マヌケだ。でも全然通じない。

その後、相手がスマホで鹿の画像を出してきて「コレか?」と尋ねる。チクショー、その手があったか。変なカッコせずに画像を見せれば良かったと悔やむ。

ホロ酔いになって氷点下の温泉街をぶらぶらと宿に戻る。凍り付いた路面をヨタヨタ歩くのも旅情が感じられて悪くない。


ラーメン屋のノレンが目に入れば悩まず突入する。即断即決で味噌ラーメンである。酔っ払っているから当然チャーシューも追加だ。

これを幸福と呼ばずして何と言おう。温泉でノボせた身体を居酒屋で鎮めて酩酊気分でラーメンである。バチがあたりそうだ。

たまたまこの週末は年に一度の「湯まつり」が行われていた。いろいろ催しがあったようだが、ハイライトがお湯の掛け合いである。

氷点下の寒空の下、ふんどし一丁の地元の男達が熱い温泉をかけ合う。宿のすぐ目の前の公園が会場である。


近くで見ようと思っていたのだが、宿のエレベーターホールから遠目に見えたから結局外に出ずに観戦。相変わらずなんでもかんでも横着してしまう。

次回の小旅行はもう少しアクティブに過ごしてみようと思う。

2017年2月6日月曜日

松本清張の唇


寝る前の読書が欠かせない習慣になってきた。などと書くと高尚な感じだが、スマホやパソコンの画面を見ていると寝付きが悪くなるので、いわば睡眠導入剤代わりに本を読む。

昨年ぐらいからハマっているのが松本清張である。今更ながら松本清張だ。今の歳になったから面白さを痛感するのかもしれない。


私の記憶では松本清張といえば「チョイ役のオッサン」である。自身の作品がドラマや映画化される際に通行人などのチョイ役でしょっちゅう出演していた。

今をときめく石原さとみや昭和の歌姫・山口百恵など「タラコ唇の有名人」の元祖である。いかりや長介もそっち系だ。

独特の風貌のせいか、チョイ役として画面に映ると妙にインパクトがあった。巨匠、文豪的なイメージよりも「意外にひょうきんそうなオッチャン」だと思っていた。

そんな清張センセイの作品は、煩悩や業みたいな人間の弱さというか面白みのある部分を浮き彫りにしている。読み終わるたびにタメ息が出る。

もともと私はサスペンス系の小説は好きではない。殺人だの推理だのそういう内容にリアリティーを感じないから物語に入り込めないのだが、松本清張モノだとドップリとはまる。

出てくる人物は平凡な人ばかり。いわば誰にでも起こりえそうな紙一重みたいな設定が特徴的だと思う。妙に現実的で怖い。

リアルな恐怖だ。お化け的な恐さとは違う恐さである。息苦しくなる恐さとでも言おうか。どんなに善人だろうと心に闇はあるわけで、そんな“ヒダ”みたいな部分が掘り下げられている。

「中条きよし」ではなく「三浦友和」に演じてもらいたいような作品が多い。よく分からない例えでスイマセン。

なんだか書きぶりが抽象的になってしまった。大人の男だったら誰が読んでも面白く感じるのは間違いない。


モノグサな私は短編専門である。短編集が山ほど発売されているから片っ端から読んでいる。ストーリーだけでなく情景描写もいい。昭和の香りが色濃いからノスタルジーに浸れる。

ちょっと話はそれるが、私が浜田省吾師匠の次ぐらいに敬愛する「みうらじゅん」師匠が「寅さん」に関するインタビューで素晴らしい理論を披露していた。


いわく「男の人生なんて寅さんか松本清張モノの人生ですよ!」。非常に示唆に富んだ素晴らしい考察である。

寅さんの超絶的な純粋さと、清張モノに出てくる男達の心の闇やゲスな部分について、フツーの人間はコンプレックスのような感情とともに惹かれていくという趣旨だ。その通りである。

煩悩や業に悩まされ続けている私としては、時に共感し、時に武者震いしながら清張モノを読みふけっている。

夜も更けてきた頃、本を閉じ、灯りを消し、えも言われぬ哀感に包まれながら眠りに落ちるのが習慣になってきた。Mっ気まる出しである。

松本清張モノを読みふけるためだけに北の方に旅に出たいと考えている。

相変わらず自分の思考回路の単純さに呆れる。


2017年2月3日金曜日

鶏肉バンザイ


最近は肉といえば豚ばかり食べていた。私が最も敬愛するはずの鶏肉よりも豚肉を身体が欲していたみたいだ。

時々、自炊するときも豚肉の炒め物ばかり作ったし、外食もトンカツとモツ焼屋に出没することが多かった。

ビタミンなんちゃらが不足したのか本能的に豚にハマっていたが、ここ半月ばかりは立て続けに鶏ばかり食べている。鶏復活だ。酉年のせいだろうか。


鶏肉がウマい店ならレバは外せない。この画像はその名も「レバ炙りポン酢」。10年以上前から私を魅了する逸品だ。豊島区某所の焼鳥屋さんの名物である。

以前は西武線東長崎駅近くに構えていたが、最近になって一駅分ぐらい離れた住宅街に移転した。移転前の店には10年ぐらい前によく通った。レバばかり食べて尿酸値が常に高かった頃だ。

私にとっては「レバ屋」である。レバ刺しもレバフライも常備する店なのだが、ほんの少し炙ったレバをポン酢とネギでムホムホ食べるのが私の一番のお気に入りだ。



こちらはササミチーズフライにササミキムチである。論評不要である。ウマい。こんな肴を相手に芋焼酎のお湯割をすすっていると何だかファイトが湧いてくる。

1本5~600円もする高級焼鳥屋の鶏肉も確かにウマいのだが、そっち系の店は総じて上品路線だから、この店のようなアバンギャルドなメニューが無いのが大きな問題である。

話は変わって、冬の鶏肉料理の王道が水炊きだろう。個人的には新宿にある「玄海」の水炊きが好きだ。なんてったって野菜が一切入っていない。最高だ。白濁スープと鶏肉のぶつ切りだけ。新宿方面に足が遠のいているから随分ご無沙汰状態である。

で、水炊きが食べたくなった某日、銀座にある「比内亭」なるお店に行ってみた。初めて訪ねる店だ。白濁スープを頭に描いていた私の前に現れたのは薬膳スープである。


ちょっと微妙な気分になる。野菜もドッサリ。ハッキリ言って拷問されている感じだ。おそらく女性客をターゲットにしている店なのだろう。

鍋が用意される前にレバ刺しやレバ炭火焼きで酒を飲んでホゲホゲした気分になっていたのだが、運ばれてきた鍋の具材とスープを見て少しドンヨリする。


薬膳がどういうものだか興味はないのだが、変な匂い、変な苦みといったネガティブイメージしかない。

恐る恐る鍋のスープを飲んでみた。なんだか得体の知れない味だった。ションボリしかけていたのだが、その後、野菜や肉をドッサリ入れてしばらく経ったら嬉しい誤算。

具材の旨味が加わって抜群に美味しくなった。スープだけを延々すすっていたいほどウマい。身体がホッコリする滋味だ。

食わず嫌いは損だと改めて思う。でも、クセになる味かと言われたらビミョーだ。野菜が多すぎる。あれを水炊きとは呼びたくない。


こちらは池袋の鶏匠庵という店で出てきた親子丼である。ルミネの食堂街に構える店だ。期待せずに食べたのだが意外なウマさにビックリした。

デパート食堂街みたいな場所に構える店をナメていたことを反省。ウマい店はウマい。この親子丼なら頻繁に食べに行きたくなる。

フワッと仕上がった親子丼に卵黄と照り焼きの鶏肉がトッピングされている。クドいほどの「これでもか!」って感じが鶏好きの心を揺さぶる。

鶏肉にこだわりのある店で出される卵は間違いなくウマい。そんな組み合わせで作られる親子丼はムホムホ叫びたくなるほどウマい。

鶏料理の到達点は親子丼。真理だろう。

2017年2月1日水曜日

うにスパゲッティー


このブログでは見栄を張ったような話ばかり書いているから、大衆酒場のウマい料理を論じることが少ない。


で、今日は大衆酒場の話。なんだかんだ行って大衆酒場でハムカツや赤いウインナーを食べているとハッピーになる。ちなみにこの画像はオニオンフライと黒ホッピー。

大衆酒場には様々なパターンがある。今の世の中、一番ポピュラーなのがチェーン展開する居酒屋だろう。ファミレスと同じで画一的に客をもてなす。

老若男女問わず安心して使えるから今や日本社会のライフラインのような存在だが、いっぱしの中高年紳士?にとっては面白みに欠ける。

独立独歩?の個性的な大衆酒場となると良し悪しの判断は難しい。食べ物がマズくても安く大量の酒が飲めれば幸せな人もいる。一方で、酒よりもその店ならではの名物料理が目当ての人もいる。

大酒飲みではない私としては、気の利いた食べ物が第一目的。モツ焼屋ならアッチ、焼鳥ならコッチなどと気分によって使い分ける。マカロニサラダのためだけ暖簾をくぐる店もある。

大衆酒場の食べ物は何となく社会的地位?が低い。グルメ評論的な取り上げられ方をすることは希だ。希だからこそ逆にビックリするほどウマいものが存在していることもある。

先日、お年寄りの人気タウン・巣鴨の大衆酒場で感激の一品に出会った。今年一番ウマかった食べ物かもしれない。

店の名は「千成」。大衆酒場業界?では知る人ぞ知る名店である。なんとも渋い風情、適度なドンヨリ感、過剰な愛想笑いなど望めないチョットだけ排他的な雰囲気が「いとをかし」の老舗だ。

池袋の「千登利」、大塚の「江戸一」など城西エリアのそれっぽい店が好きな人なら納得できそうな雰囲気の店である。

これまで何度か訪ねたことがあったのだが、人気メニューの「うにスパゲッティー」はかなりのボリュームとのことで未体験だった。

この日は珍しく同行者がいたおかげで念願の「うにスパ」を頬張ることが出来た。素直に感激した。


渋いラインナップのメニューの中で「スパゲッティー」というカタカナは異彩を放っていたのだが、食べてビックリ。実にまっとうな大衆酒場的風味そのものだった。

スパゲッティーのくせに日本酒や焼酎に最適な味付け。イタリア料理の店で出てくるウニ味のパスタとは異次元の食べ物だ。

おそらくダシや醬油が活躍しているのだろう。麺も硬めに茹で上がっている。キッチリ真面目にウマいものを作ろうという店の矜持が感じられる。

二種類のサイズの小さい方を頼んだ。2.5人前ぐらいの分量だったが、“タンスイカブラー”である私なら一人でペロッと食べられそうだ。今後、一人酒の際にも注文しそうで怖い。



ちなみにこちらは同じ日に食べた牛すじ煮込みと鴨の卵とじ。どちらも画像を見るだけでヨダレが出そうになる。

気骨のある大衆酒場の食べ物は、グルメ大国・飽食ニッポンの根底を支える文化遺産だと改めて感じた次第である。

ウマいものの定義はつくづく難しい。その時の自分の状況、TPO、同行者との関係性など余計な要素を全部取っ払って、単純にただ本能的にウマいものを求めたら、気の利いた大衆酒場の食べ物が意外にナンバー1なのかもしれない。