2017年2月22日水曜日

占いの沼にはまる


時々訪ねる謎の占い師(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/02/blog-post_4.html)に妙なことを言われた。その人から見ると、私は自分の考えに蓋をしがちだとか。自分を押し殺していて気の毒に見えるらしい。

そんなことを言われると、さも忍耐力に秀でた立派な人物みたいだが、絶対に違うと思う。

そりゃあヤボにならない程度にやせ我慢をすることはあるがその程度である。好き勝手に行動しているから、これ以上アッケラカンとしたら単なる傍若無人オヤジになってしまう。

他にも「いろいろと取り繕っている」とか言われてしまった。散々である。確かに誰もがエエカッコしい精神があるから、取り繕う場面は結構あるはずだ。

何事も取り繕わずに生きている人などいるのだろうか。程度の差こそあれ、誰だって似たようなものだろう。

占いで厄介なのは、いわゆるプラセボ効果だ。端的にいえば思い込みである。それっぽいことを言われたせいで、そんなものだと思い込んでしまう弊害である。

自分にとって良い話なら結構なことだが、ネガティブな話を聞かされて極端に気に病んでしまうのは危なっかしい。

変な宗教にハマる心理と同様だ。過度に依存しちゃうとドツボにはまる。

私自身、占いやカウンセリング的なものに対しては「いいとこ取り」で済ますように意識している。それでもネガティブな話を聞かされれば気になってしまう。

この日、占い師さんと話した内容の多くが、子供に関すること。おそらく、子供と接する上で絡まざるを得ない元嫁に対するストレスを単純に指摘されたのだろう。

元嫁に対する私のビビリ体質は確かに問題である。言われてみれば、こちらの意思はオモテに出さないし、子供とうまく関わるためにアレコレと取り繕ったりもする。

ご苦労なことである。その点に関しては占い師さんの言う通りである。まあ、こればかりは子供を人質に取られているようなものだからある程度は仕方がない。

自分を押し殺して、あれこれ取り繕うという私の努力?の甲斐あって、子供とは非常に良い関係が築けているわけだから、それなりに我慢は必要だろう。

そんな話よりも、今の私にとっては隠居の家相(http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/08/blog-post_31.html)から脱出することのほうが大事である。

隠居の家相だと、活力も湧かないしグダグダドンヨリしちゃう。随分前に言われたのだが、それこそプロセボ効果が悪く作用しないようにあまり気にしないように過ごしていた。

でも、どうにも「御託宣」を信じちゃうような暮らしぶりが続いている。隠居っぽい日々が染みついてちっともアクティブじゃなくなってきたから自分なりに現状打破の必要性を感じている。

で、タイミングを見て引っ越そうと考えているのだが、せっかくだから絶好の方位を選んでみたい気持ちが強い。それで活気が満ちてきたらラッキーだし、グダグダが直らなければ占いの呪縛から決別するきっかけにもなる。

聞くところによると、ある時期にある方向に引っ越せば、運気の上で非常に良いらしい。そうはいっても、そうタイミング良く希望の物件が見つかるとも限らない。

「最高」の方位じゃなくても、「まあまあ」の方位は無いのかと尋ねたら、一応、それもあるらしい。「最高」と「まあまあ」の違いはちっとも分からないが、「悪くない」のならどっちでも良い。

どっちにしても、方位なんかを気にし始めてしまったことが面倒でしょうがない。運勢だの方位だの聞かなきゃ聞かないで何も困らないわけだから、今現在、そういうことに左右されていない人は足を踏み入れない方がいいと思います。

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