2014年3月31日月曜日

野田岩、大江戸、KOSO


ここ5~6年、「開拓精神」が薄れてきた。以前はウマい店を求めてアンテナを張り巡らせていたのだが、最近は知っている店ばかり出かける。

もっと攻めないといけない。そう思っても、初めて行った店がイマイチだったりすると必要以上に落胆する。

鰻ラバーとしてアチコチの店を訪ねてきたが、最近は日本橋の「大江戸」であん肝山椒煮などの珍味をツマミに冷酒を引っかけて、白焼きから極上うな重というワンパターンの展開ばかりである。

たまには違う店を開拓しようと銀座の「野田岩」に行ってみた。麻布の本店は何度か出かけているが、銀座に支店があることは知らなかった。


いやあ、この画像、凄い顔ぶれである。次郎とバードランドである。食通を自認する方々の聖地みたいな場所だ。

ブランドネームとしては野田岩も同等なんだろう。空腹の時にこんな看板を見たらヨダレがデロデロ流れてしまう。

さてさて、期待に胸を膨らませてウナギ攻めに突撃。ところが拍子抜けするぐらい空いている。

安い店ではないから大混雑にはならないのだろう。いや待てよ。銀座あたりだと高くても美味しい店は混んでいるのが普通である。

ヤバいかも・・・。

不安がよぎる。冷酒をカピカピ飲みながらとりあえずノンビリ過ごす。白焼きも食べた。うな重ももちろん食べた。

味の好みは人それぞれ。ここでどうこう書いてもしょうがない。まあ、強いて言えば混雑しない理由が分かったような気がした・・・。

後日、「大江戸」に出向いたときの「極上うな重」の画像がコレ。バカうま。バンザイ。


この日は、とある人のお祝い会という趣旨で出かけたのだが、招待した相手が大感激してくれた。それこそギャアスカ、ヒャアホホ言いながら、白焼きもうな重も堪能してくれた。

大げさに喜んでもらえるとこっちも気分が良くなる。やはり、ウマい店をもっと知っておくべきだと痛感した。

話は変わる。とある人に「デートする時は、どんな店に行くのか」と聞かれて返答に困った。考えてみれば、デートっぽい店などちっとも知らない。いや、デート自体から遠ざかっている気がする。

寿司屋か焼鳥屋か鰻屋かおでん屋ぐらいしか行かなくなってしまった自分の偏屈ぶりを改めて痛感する。

若い頃は、小洒落た店が出来たと聞けば、西へ東へマメに開拓に行ったのに、オシャレ~な店の多くがウサン臭い料理を出していたので、バカらしくなった。

まあ、そういう決めつけも良くないのだろう。何だかんだ言って「ホッピーに焼きとん」を嬉々として食べている私である。

エラそうな顔してウマいマズいを語るのは恥ずかしいし、カッチョ悪い。もっと柔軟にならないといけない。

先日、銀座の「KOSO」という店に行ってみた。これまた初めて行く店だ。最高級黒毛和牛をいろいろなアレンジで食べさせるのがウリの店だとか。


雰囲気はなかなかゴージャス。バブリー系と表現したくなる感じ。デートなんかにはピッタリだろう。

鮮度に自信があるようで色々な生肉料理も用意されている。

いきなり、生ウニを生肉で巻いた「ウニ牛」なる一品が登場。どう考えたって、それぞれ別々に食べたほうがウマいはずである。

で、食べてみた。やはりわざわざ混ぜちゃう意味がよく分からない味だった。

いろいろな部位が焼かれて出てくる。普通に美味しい。シメは「牛トロ丼」なる一品。生肉に卵黄を落としたものが温かい白米に乗っかっている。

白メシに合わせるには焼いた肉のほうがウマいだろうと素直に思ったのだが、名物だということでムシャムシャ食べてみた。

悪くはないが、ご飯と生肉という組み合わせは、やはり「わざわざ感」が否めない。

まあ、個人の好みだから何とも言えないが、つくづく自分の「保守的」「コンサバ」ぶりを痛感した。

ちなみに「創作料理」という言葉が昔から好きではない。「わざわざ感」がひっかかる。オーソドックスな料理のほうがウマいに決まっている。

寿司屋でワインをカピカピ飲みながら、出てくる料理との相性を力説している人がいるが、あれだって変テコだろう。

あくまで「強いて言えば合う」だけの話で、寿司屋という世界に腰を落ち着けた以上、四の五の言わずに日本酒や焼酎と合わせたほうが賢明である。

なんだか今日は、偏屈オヤジのグチ大会になってしまった。いかんいかん。

話を変える。


最近ウマかったものといえば、お寿司屋さんで作ってもらった「アジと梅干しを和えたヤツ」である。疲れていた時だったので実にホッコリと身体に染み渡った。

このところ、梅干しとかトロロとか、そんなものに身体が喜んでいる。年甲斐もなく日々ハッスルしているツケが顕著に表れているみたいで問題である。


なによりウマかったのは、自宅で作った特製すし飯である。お気に入りの「内堀醸造の特選すし酢」を炊きたてのメシに混ぜるだけだ。

一応、自分なりに分量とかにもこだわりがあるから完璧に仕上がった時はバンザイである。

これを主食兼ツマミとして冷酒をクイクイっと飲んでいるのが至福の時間である。

なんとも退屈なまとめ方になってしまった・・・。

2014年3月28日金曜日

カラオケの格差


結構長々と生きてきた中で、大きく変わった「文化」といえばカラオケだろう。

どの街を歩いていても「カラオケ」の看板が溢れている。何気なく見ているが20年、30年前には無かった光景だ。

カラオケボックスという業態が普及したのは1980年半ばだとか。私の学生時代には今のようにカラオケが遊びの中心になることはなかった。

高校生、大学生ぐらいの頃、カラオケと言えば、オッサン達がスナックで演歌やムード歌謡をがなりたてるイメージだった。

大げさサイズの機械に変なサイズのカセットテープを差し込んで、1曲いくらみたいなスタイルだった。

通信カラオケなんて当然無かったから、選曲できる歌は限られていて、若者とは無縁の世界が繰り広げられていた。

ここ20年ぐらいの間にカラオケボックスが一気に普及したことで、日本人が「歌う環境」は劇的に変化したと思う。

「歌がうまい人」は、その昔だったら貴重な存在だったが、いまや「ヘタな人」に遭遇するのが珍しいぐらい、誰もが上手に熱唱している。

音楽業界でカラオケを意識した楽曲作りが一般化したことも影響しているのだろう。美空ひばりに代表される昔の大物歌手の歌などは、カラオケで簡単に歌えるほどヤワくない。

そんなことはともかく、カラオケボックスという世界にも格差がしっかり確立されていることが興味深い。

安さだけで勝負する店がある一方で、おったまげるほど高い料金のボックスもある。

以前、金曜深夜には料金がバカ高くなることで知られる銀座のカラオケボックスに友人数名と出かけた。当然ワリカンのつもりで騒いでいたのに、ある友人が気前良く会計を済ませに行った。

戻ってきたヤツの顔は明らかにひきつっていた。多分、4~5人で2時間ぐらい過ごしただけで、軽く5万円以上かかったのだろう。

恐るべしである。

私も「富豪」を目指す以上、そうした高級カラオケボックスには仕方なく?出かける。

最初から覚悟を決めているから卒倒しないが、アノ値段には少したじろぐ。

でも、満室になっていることは少ないし、ツマミや料理はそこらの安い飲み屋より遙かにマトモだし、それなりに高級感のある空間でゆったり過ごせるのも確かだ。

条例とか法律でダメなはずなのにそうしたボックスはドアに窓もなく、外から中の様子が見えない作りになっていることが多い。

非常にエロである。間違いなくエロ目的でこもる人も大勢いるのだろう。事実、深夜にトンデモない展開になって、トンデモない経験をした綺麗ドコロの体験談を何度か聞いたことがある。

私自身、顔なじみの店員から「入るなと言われれば入りませんから」と余計なことをコッソリ囁かれて焦ったことがある。

もっと正直に言えば、その手のカラオケボックスでオネエサンから色仕掛け営業を仕掛けられてギンギンに?困ったこともある。あれにはビビった。

ああいう場所で女性が握っていいのはマイクだけである・・・。肉弾攻勢で余計なことをされると歌声が吐息に変わりそうで迷惑である。

おっと、脱線してしまった。

話を戻す。

こう見えて私はバンドのボーカルが本業?である。ライブ直前には練習のために「一人カラオケ」も経験した。最初は勇気が必要だったが、入ってしまえば熱唱モードである。

酒も飲めるし、気兼ねもいらないし、練習にはもってこいである。でも、調子に乗って、ライブとは関係のない演歌とかをうなり始めてしまったのは御愛敬である。

その時使ったのは、価格競争が激しい大型チェーン店のボックス。当然値段も安い。それこそ、銀座あたりの高級店に比べれば10分の1ぐらいの値段である。

考えてみれば凄い価格差だ。歌を歌うだけだと割り切れば高級店の価格は理解不能である。でも、雰囲気やユッタリ感、食べ物の質、そのほかのエロ、いやイロイロを考えれば高級路線の存在は大いに意味があるのだろう。

高い安いは総体的なものだから、何と比べるかによって納得の度合いも変わる。カラオケボックスの大衆店と比べるから頭が混乱するわけで、気取ったバーのカウンターで肩こりながら過ごす時の値段と比べれば、高級ボックスの値段も仕方ないのだろう。

先日、魔都・新宿にいた時、そこそこ高級路線のカラオケボックスに行こうと、六本木や銀座にも店舗があるゴージャス系の店に行ってみた。

ところが満席。景気が回復してきたのか、私が新宿という街を見くびっていたのか、予約がなきゃまるでダメみたいな空気だった。

あきらめて、程近い場所の「少しだけ高級っぽい路線」の店に向かう。そこも満杯だった。新宿恐るべし、いや、日本経済恐るべしの状況になりつつあるのだろうか。

途方に暮れていた時、ふと異次元?のカラオケボックスがあったことを思い出した。

その正体は京王プラザホテルの最上階にある店。47階からの夜景がウリで、一応ホテル直営なので、いわばゴージャス系である。

実際はそんなに高級感バリバリではなく、そこそこ落ち着いている程度の店だ。それでも、あんな景色を眺められるカラオケボックスは珍しいだろう。

4部屋か5部屋しかないのだが、お客さんが入っていたのは1部屋だけ。余裕で広めの部屋に案内された。

楽しく騒いだ。お会計にもたじろいだ。さすがホテル価格である。ガラガラだったのも納得である。きっと社用族、接待目的以外で利用する人はいないのだろう。

でも、穴場であることは確かだ。心地良いひとときを過ごせた。

日本経済が本当に上昇局面にあるのなら、今後は高級志向のカラオケボックスがどんどん進化していくように思う。

そうなれば楽しいことだが、それに伴ってこっちの財布もますます危機的状況になるのだろう。

痛し痒しである。

2014年3月26日水曜日

銀座のクラブ ボトルの話


暇な夜はカルチャーセンターにでも通って漢詩とか源氏物語なんかの教養講座を受けようと考えている。

ちょっとウソです。

でも、人生後半戦、何か習い事をやろうという気持ちはある。

先日も眠れない夜にネットでアレコレ調べ物をして、「初心者向け教則本付きアコースティックギター10点セット」を注文する寸前までいった。

なぜか最後の注文ボタンをクリックしなかったので相変わらずの日々だ。

この前もスポーツクラブのボクササイズ教室のチラシを熟読して申し込もうと思ったが、あと一歩が踏み切れず、停滞する日々である。

根無し草じゃあるまいし、銀座あたりで高い酒に酔いつぶれている暇があったら、何か自分自身に変化を起こしたい。


ということで、何を始めればいいかを相談するために夜の銀座にノコノコ出かけている。

バカである。

最近、銀座8丁目あたりの遅い時間のタクシー乗り場が混雑している。やはり景気が上向いているのだろう。

3年ほど前に比べれば夜の路地を行く人の数も多い。一時期はそこそこ人出があっても、よく見ると呼び込みやスカウト、黒服ばかりだったから確実に空気が変わってきた。

足繁く飲み歩いているわけではないが、アノ街に足を踏み入れてから20年ぐらいになる。そう考えると複雑だ。あの世界を知らずにいれば今頃必死に宝くじを買わなくても済んだかもしれない。

行く店も少しづつ変わってきた。15年以上通っているような店は1件しかない。あとはここ数年で行くようになった店ばかりだ。

馴染みの黒服さんや、親切なオネエサンの異動にともなって行き始めた店がいくつかある。

8丁目、7丁目あたりの夜の銀座。。。虚飾や見栄の世界といってしまえばそれまでだが、良く言えば気張った世界である。だからポツポツと通いたくなる。

生きている上で「気張る」ことは大事である。気張るという言葉の意味は「①息をつめて力を入れる。②気力を奮い起こす。いきごむ」である。もうひとつ「格好をつけて見栄をはる」という意味もある。

こうした感覚が欠如した人間は魅力的ではない。「自然体で力を抜いて生きる」なんてパターンも悪いことではないが、一歩間違えたらフヌケちゃんである。やはり時には力むことも大事だろう。

銀座のクラブの特徴は「係」と呼ばれる担当のホステスさんが全てを取り仕切る仕組みだ。極端な話、係の女性が休んでる日にその店で飲んでも、あくまで「係の売り上げ」になる。

当然、係の女性は、担当する客を飽きさせないようにヘルプと呼ばれるホステスさんをアレコレと席に呼んで、客を盛り上げる。

まあ、その実態は、残り少なくなったボトルを空けさせるためだったりするから、ちと厄介である。ということで酒に強いヘルプの女の子が引っ張りだこだったりする。

私の場合、黒服さんの関係で行くようになったり、係がやめちゃった店では「店客」というポジションで過ごしている。

係がいないというだけで細かな違いは知らないが、おかげで強引な「協力」を要請されることはない。

「今月あとちょっと目標に届かないの。頼むわよ、ウッフン」とか言われて、飲みたくもないワインを出されたり、やたらと大量に生ビールを振舞っているオジサマ達をよく見かける。

係の協力要請によって夜な夜なそんな光景が繰り広げられているわけだが、店客の場合には、ボケっと鼻毛でも抜きながら気ままに飲んでいれば済む。

経験上、係の女性がいるほうが、ボトルが空くペースが早いような気もする。もちろん、そのホステスさんのタイプにもよるが、やはり成績に直結するからそうした傾向はあるだろう。

ちなみに、ボトルが空くスピードは、ある意味、お店のレベルを表わすバロメーターだったりする。

「チャンスボトル」という言葉がある。残り少なくなったお客さんのボトルを、その日のうちに空けてしまって新たなボトルを入れさせようという意味である。

品の無い店は、とにかくヤンヤヤンヤと空けにかかる。女性陣が自分達用に濃いめの水割りを作って、ろくに飲まずに席を移動。別なオネエサンがやってきてそれを繰り返す。ガサツな話だが、そんなパターンも現実としてある。

逆にアノ街でもとくに一流と言われる某老舗クラブでは、こっちが恐縮しちゃうぐらいボトルが空かない。さすがだと思う。あの世界における品格の違いだろう。

聞くところによると、店の方針として「チャンスボトル禁止」が徹底されているらしい。老舗の名門クラブに来るようなお客さんだったら、そのあたりの違いはすぐに察知する。

結局、名門とか一流と言われる店は、そうやって培っきた姿勢を崩さなければ信頼され続けるし、逆に目先だけしか見えない店は決して高い評価を受けない。すなわち、その距離が縮まることはない。

今日は、銀座の夜の話ではなく、自分がどんな習いごとをしようか書こうと思ったのに、完全に本題からずれてしまった。

まあ、いいか。今宵はどこでむしられるのだろう・・・。

2014年3月24日月曜日

下着の話


「下着に気を遣わなくなったら男として終わりだ」。知り合いがそんなことを語っていた。

それが正しいとしたら、私は既に男として終わっている。ガーン!!である。ヤバい。

女性の下着については、常にアーだのコーだのと持論を展開し、自分の趣味を強要するほど強いこだわりがあるのに、肝心の私自身はヒドいものである。

寒い日は上半身も長袖、下半身も足首までカバーするダッサイ肌着を保温優先で愛用している。

冬場に突発的に女性とムフフになったとしても、服を脱ぐ前に私のほうから「灯りは消して・・・」と言いそうである。

パリッとした身なりを心掛けブイブイ言ってるくせに、ネクタイをほどき、スーツを脱ぎ、ワイシャツを脱ぎ捨てると、そこにいるのは無残な姿をさらすクソオヤジである。

生き様をちょっと考えないといけない。

若い頃はブリーフ派だった。子供の頃からの習慣だったが、色気づくとともにカラフルになって、形もシャープな感じになっていった。

当時、トランクスのほうがオシャレだという風潮もあったのだが、時々、テニスをする機会があったので、ブリーフ一辺倒だった。

昔のテニスウェアの短パンは丈が短めで、トランクスだとはみ出るので選択肢は他になかった。

30代半ばぐらいまではブリーフ派だったと思う。ヘンテコなイラストが描かれたものもウケ狙いで随分愛用した。

ブリーフの前面にセクシーな女性の手が思わせぶりに描かれているやつとか、仁王様が正面で睨みをきかせているやつとか、いろいろ持っていた。悪趣味だが、一応、下着には気を遣っていたわけだ。

その後はいわゆるボクサータイプの下着に移行して、今でもそれが基本だ。まとめ買いしたら、結構いつまでも愛用するのでヨレているものも多い。

カッチョ悪いことである。

私が家庭人だった時は、あえてヨレた下着を着用していた。変な言い訳みたいだが、それなりにちゃんとした理由があった。

男の浮気がバレる初歩的なミス?は、下着に懲り始めることである。

普段から下着のオシャレに気を遣う男であれば心配はない。でも、普通のオッサンが突如、小洒落た下着を着け始めたらそりゃあ誰だって怪しいと気付く。

そういう事情もあって私は、ヨレヨレ下着を愛用していた。。。などとカッコつけて言いたいところだが、私の場合は、単にズボラなだけだった。ヨレた下着でも気にならない性格なんだと思う。

まあ、結果的に悪さがバレたことは一度もなかった。ヨレパンの効用かもしれない。世の男性諸氏は、いざという時に備えてヨレヨレ下着の素晴らしさを認識しておいたほうがいいと思う。

男の下着話を一生懸命書いてもしょうがないから軌道修正。

女性の下着の進化といえば、「寄せて上げる」機能だろう。凄い変身が可能だ。詐欺みたいな演出に時々たじろぐ。

オレオレ詐欺ならぬモリモリ詐欺である。

幸か不幸か、私はオッパイ星人ではない。お尻フェチである。だから、いざ、ムフフになってモリモリ詐欺の実態を解明しちゃった時も、決して落胆したり暴れたり訴えたりはしない。

そもそもブラジャーというものが好きではない。ホックをスムーズに外したら、手慣れたオトコだと思われる。逆に外すのに手間取ったら、舞い上がってオタオタしているダメ男だと思われる。

厄介な敵である。ヌーブラとやらに比べれば素敵だが、やはりブラジャーは自分で外していただくのが正解だと思う。

個人的な嗜好だが、正直、下半身を覆う下着にしか興味がない。「全日本Tバック推進連盟」の創設メンバーとして活動しているから、やはりTバックにはゾッコンである。

お尻フェチの正しい帰結である。

あれもいろんな形がある。Tバックだから全て良しというわけではない。まあ、その辺を細かく解説すると変態オヤジみたいで、このブログの品格?にかかわるから内緒にしておく。

Tバックではなくても、後ろが総レースでスケルトンちゃんだったりするのもオーマイガッ!である。

それを着用する心意気に盛大な拍手を贈りたくなる。表彰状モノだと思う。本人にとっては後ろ側など自分では見えないわけだから、あえてそれを選ぶのはかなりシャレたセンスだ。

ちなみに最近は一部がシースルーになっている洋服が人気らしい。街行く女性のブラウスとかもそんなパターンをよく目にする。

ということで、妄想大魔王として生きる私は、下着にもシースルー旋風が巻き起こって欲しいと日夜神棚に手を合わせている。

なんだか、今日は高尚で難解で哲学的すぎる話題に終始してしまった。

欲求不満なんだろうか。

春である。

2014年3月19日水曜日


今年ほど春を待ち望んだことはなかった。

昨年の早い時期に心機一転、独身貴族?に舞い戻り、新しい生活を始めた。それ以降なにかとドタバタしていたから、早く年が明けて欲しいと思っていた。

そして今年。新しい年を迎えたら迎えたで、日本人的感覚では「節分」をまたがないことには何となく落ち着かなかった。

運気、運勢の境目は一般的には節分が区切りである。ということで、待ち遠しかった今年の節分を無事に突破したことで、ようやくスッキリした気分だ。おまけに財産分与に伴う税金をこの確定申告でドカンと納めた。スッカラカンになったがスッキリキンである。

今日は極めて個人的な話を書いてみる。自分自身に向けて気持ちを整理する意味合いも込めて、だらだらと書き殴ってしまうので御容赦・・・。

気ままに暮らす一方で、そこは私も人の親である。この1年、子供達との関係性に頭を悩ませてばかりだった。まあ、子供がいるにもかかわらず今の道を選んだこと自体、絶対に認めないと非難する人も大勢いるだろう。その辺はグダグダ言っても始まらない。
 
この1年、子供との距離感や気持ちのケアみたいな部分ばかり考えて過ごした。たかが1年だが、自分には大きな1年だった。

別々に暮らし始めた当初は、とにかく頻繁に会うことを心がけた。それこそ週末は毎週遊んだ。何を言っても言い訳になるし、四の五の言わずに親子は親子であることに変わりがないことを肌感覚で知ってもらいたかった。

思春期の入口にいる娘は、初めのうちは私がどこか遠いところに行ってしまうと感じて不安だったようだが、次第に新たなパターンに順応してくれた。

今では時々、私が暮らすマンションに遊びに来て母親の愚痴をぶちまけてスッキリした顔で帰っていく。母娘の関係に何も問題はないようだが、時々はぶつかることもあるみたいだから、緩衝材のように父親を使えばいいと思う。

二人だけの内緒事もいくつも出来た。娘にももちろん葛藤はあるだろうが、彼女なりに都合良く親の使い分けを実践している。

嬉しい誤算もある。以前より父親を「マトモな人」だと思い始めた点である。別々に暮らし始める直前の1年ぐらいは、生活時間帯がズレていたせいで顔を合わせるのは週末ぐらいだった。

週末の私はサリーちゃんのパパみたいなボサボサ頭でヒゲも剃らず、小汚いスウェット姿で自分の部屋にこもっていることが多かった。いわば、ボロボロ状態の父親ばかり見ていたわけだ。

今の形になってからは、必然的に私のそんな姿を見られる機会はない。会う時はこっちだって小綺麗な状態である。間違いなく「普通にちゃんとしている人」として認識されるようになった。

娘は私のマンションに来るたびに自分のiPodで聞く音楽を整理したり、新たに調達して都合良く遊んでいる。ドルチェグストの機械を面白がって抹茶ラテとかティーラテを勝手にグビグビ飲むのを常としている。

息抜きの場所みたいに過ごしてくれている娘の姿を見ると、この1年激しく葛藤したり混乱した自分の時間がムダではなかったと少し安堵できる。彼女自身、私に向かって「しょっちゅう会ってるから問題ないんじゃないの」と軽口を叩くようになってきた。

この春、娘は小学校を卒業する。信じがたいことに答辞をスピーチする卒業生代表に選ばれてしまった。アホバカ少年代表みたいだった子供時代の私からすれば、まさにトンビがなんちゃらみたいな話である。

娘がその報告のために電話をかけてきた時、まっ先に言ったのが、スピーチの内容を考えてくれということだった。

正直、総代に選ばれた事実よりも、そんな大事な作業に関して、母親より先に私を頼ってくれたことが嬉しかった。どうでもいいことのようで私にとっては大きな意味があった。

結局、「あまりに大人っぽい感じ」という理由で、私のスピーチ原稿は採用されず担任の先生が適当に作り上げたらしい。それはそれで結構だ。私にとっては娘と共同作業で原案作りをしたこと自体が大いに意味のあることだった。

まあ、卒業式当日、私はアホみたいに泣くだろうから答辞の内容など耳には入らないと思う。

中学生になれば、どんどん自我が強くなり、自分の時間で忙しくなる。父親のことなどウザったい存在に思い始め、邪険に扱い始めるだろう。

それはそれで正しい成長である。放っておけば良い。あくまで父親は適度な距離感で控えているという事実だけを思い知らせるようにしたい。慌てず騒がず考え過ぎずに付き合っていければいい。

最近は会うペースも落ち着いてきて、月に1度ぐらいしか顔を合わせないこともある。それでも、今月末のAKBの国立競技場コンサートにも二人で行くはめになったし、何だかんだと予定は入る。

節目節目で便利屋になってやれればいい。娘とはヨチヨチ歩きの頃から二人だけで遊んだり出かけたりしてきた。勝手ながらアイツとはしっかりとした絆が確立されている感覚がある。心配してもキリがない。何とかなるだろう。

続いては下の子供である。ここで何度か書いてきた通り、ダウン症として生まれた男の子だ。独特な世界観?の中で育ってくれている。

幸か不幸か、親の事情などまだまだ理解できないから、別々に暮らすようになっても半年ぐらいは自宅で私を探すことがあったらしい。

少し切ないが、この1年、アイツともなるべく二人で遊ぶ時間を作るようにしてきた。有り難いことに合併症はなく、とりあえず健康に育っている。

私の顔を見るたびに「散歩!散歩!」と要求するので、アイツに会う時は運動不足解消につながる。キャッチボールみたいな男の子的遊びをこなすには、まだまだ時間がかかりそうなので、こっちも体力維持に励まねばならない。

彼が通う特別支援学校は、たまたま私が暮らすマンションに近い場所にある。いろいろな行事を覗きに行くには便利で助かっている。

多少、手前ミソになるが、彼は周囲の理解者、協力者を和ませる不思議なオーラを持っているみたいで、先日参加していたイベントでも、そんな本領を発揮しまくっていた。

アメリカから来たダンス・ミュージカル集団が日本のアチコチでショーや学校単位でのワークシップを展開していた。

息子もなぜか参加メンバーに選ばれたので、出演させてもらうショーを見に行った。

ショーの内容や構成は、アイツの現在の知能ではハードルが高く、案の定、縦横無尽に好き勝手に動き回っていた。まさにマイペースでハッチャけていた。

でも、アメリカ人スタッフが公演中だろうと愉快そうに終始面倒を見てくれていた。有り難かった。終演後に聞いたのだが、練習中もアイドル状態だったらしく、ヤツが練習を休んだ時には、ショーにも欠場しちゃうのではと他のメンバーが大騒ぎしてくれたらしい。

彼にとっては全ての分野において、まだまだ出来ないことだらけだ。でも出来ないことを嘆いても始まらない。嘆いている暇があったら、ポジティブな部分を見つけたほうが建設的だ。

協力してくれる人、理解してくれる人を上手に増やしていくことは、彼が持つ不思議な能力かもしれない。甘えてばかりではいけないが、そんな能力が彼自身を助けている。

この1年、彼のことでも頭を悩ませてきた。でも、悩むこと自体が一種の偽善みたいなものでしかない。鼻クソみたいなものだろう。

悩んだからって何かが変わるはずもない。少なくとも悪い方向に進んでいるわけではない。その事実を周囲の人達への感謝とともに受け止める他はない。

先日も、街の雑踏でチンピラにぶつかったチビは、「邪魔、どいて!」と発言して、引率の先生が大変な目に遭ったらしい。いやはや、何とも無敵な?人生を歩んでいる。迷惑かけっぱなしだが、なんとか社会性を向上させるために事あるごとに指導していこうと思う。

私としては、子ども達と向き合うことを放棄するつもりは無かったし、今も無いのだが、やはり、一人になる選択をした時には、自分の決断がそういう意味合いなのかと鬱々した。長い間、どんよりした気分が晴れなかった。

でも、今年の春を迎え、気持ちに余裕が出てきたことを実感する。ウジウジしてたって何の意味もないし、今の方向で動き始めた以上、いずれ、自分が選択した道が間違っていなかったと心から納得できるように生きていくしかない。

人様からは理解されない部分もあるだろう。後ろ指をさされることもあるはずだ。それも自分の人生だから淡々と粛々と受け入れるしかない。居直った言い方をすれば、いまさら人様の目を気にするほど自意識過剰になっている余裕はない。

春である。やっぱり春はいい。どこか前向きな気分にしてくれる。カラ威張りして突っ走っていこうという気分になれる。

「僕の前に道はない、僕の後ろに道が出来る」。中学生の頃に習った詩の受け売りだが、せいぜいそんな風にムダにカッコつけて歩いて行くだけである。

これからの人生、毎年毎年、春が来るたびに今日ここに書いたような感覚でいられる自分でありたい。

2014年3月17日月曜日

SとかМとか


時々、自分がSなのかMなのか分からなくなる。

なんだか凄い書き出しである。

性的嗜好の話ではない。性格的、精神的な傾向の話である。攻めて喜ぶのか、攻められて喜ぶのか。自分の中ではどっちの要素も備わっている。

先日、タクシーの運転手相手にぶち切れてしまった時は、ドSに変身した。タクシー営業所の責任者らしきオッサンを車内の無線越しに呼び出し、延々と説教をかましてしまった。

別な日は、眠くてしょうがないのに、銀座の某店でなかなか帰してもらえず、結局、最後まで居残りさせられ、あげくの果てには大勢でカラオケに向かい、深夜まで弾けていた。

あの夜、女性達からリクエストされた歌を必死に独唱しながら、それを聴きもしないでガツガツ食事する女性達を横目で眺めていた自分は、まさにドMである。

ずっとS男だと思って生きてきたが、30代の半ば頃だったか、自分の中に潜むM的要素に気付いた。

麻布狸穴町のアルファ・インのせいである。いやいや、それは半分?冗談である。

思い返せば、20代そこそこの頃に恋人でもない年上のオネエサマがたから身勝手にコキ使われたことがあった。あの時の変な喜びは自分の秘やかなM性が理由だろう。

深夜に部屋の模様替えを手伝わされたり、ヤケ酒に付き合わされたり、結構メンドーな要求が多かったが、なんだかんだと働いた。

あーだのこーだの言っても、結構若い頃からMっぽい部分があったのかもしれない。

でも、M性が強いなら、元嫁にも耐えられたはずだが、さすがに無理だった。しっかりSの部分を駆使して導いた結論が今の状況だ。

おっと、話が逸れた。

さて、SだのMだのを考える場合、攻める、攻められるというより、支配する、支配されるというイメージで捉えると話が分かりやすい。

支配される窮屈さを心地よく感じてしまう時がある。不思議な感覚である。

忙しいスケジュールの中に、自分をもっと追い込む予定を追加する時の高揚感などは働き盛りの社会人なら理解できるはずだ。

疲れがピークに達していてもナゼか帰宅せずに記憶が薄らぐほど酩酊してしまうのも、どこか得体の知れない力に支配されている感覚だ。

好きな人が出来て、その人から面倒くさい約束をさせられたり、行動に制約やイチャモンを付けられてもチョッピリ嬉しく思うのも「窮屈な快感」といえる。

ついでに言えば、窮屈な快感を遵守するフリをしながら、内緒で好き勝手なことをしちゃうこともある。これもひょっとするとM性ならではの行動原理かもしれない。

高校生の頃、隠れてタバコを吸う時のスリルとか、オトナになって平和な家庭人を演じている裏側で、コッソリ浮気しちゃう感覚も同じだろう。

「ダメなことをしてしまう快感」。これって、支配されている立場だからこそ生まれる喜びだと思う。

すべてが自由だとハチャメチャに遊んでいても何となく面白みがない。不思議である。

そう考えると、身勝手に自己中心的に生きている人は、こうした喜びというかヘンテコな快感を知る機会が少ないのだろうか。

何かを気にして、何かに制約されている感覚が強い人ほど、コッソリ味わう禁断の蜜の味を楽しめるのかもしれない。

最近、束縛や制約のない環境で野放図に暮らしている私は、いわば糸の切れた凧みたいなものだ。

「秘やかな楽しみ」などとは縁がなくなった。そのせいか、「禁断の味」を求めて頑張ろうとしない多くの男達を歯がゆく感じる。

コッソリ楽しむ蜜の味こそ、人生の醍醐味なのに、安全地帯で牙を抜いて昼寝をしていてはイカンと思う。

大きなお世話だと思うが・・・。

今日は話がちっともまとまらない。慢性的な寝不足のせいだろうか。

SとかMの話をアカデミック?に書こうと思ったわけではなく、知り合いに聞いた変態性癖の話が頭に残って、ついつい適当なことを書き始めてしまった。

その変態性癖とは、「眼球を舐めたがる男」という怪奇映画のような内容だ。

♪キッスは目にして♪みたいな爽やかな話だと思って聞き流そうとしたのだが、閉じたマブタにチュっ!という次元ではない。もっとエグい。

無理矢理マブタをこじ開けて眼球そのものを舐めることに喜びを感じる男がいるらしい。

凄いことである。どういう深層心理がそんな行動に走らせるのだろう。

そりゃあ、愛しい人のことを舐め回したくなる気持ちは分かる。たいていの「部分・部位」はOKである。

でも、眼球までターゲットにする発想は奇々怪々である。

それはそれとして、眼球を舐められる側の女性も相当ヘンテコだと思う。

よく考えれば、拒否して抵抗すれば逃げ切れるはずだ。眼球ぐらい守れる。きっと少しは「協力的な要素」があったはずである。

本物のMじゃなきゃ、そんな体験をするはずはない。

眼球を舐めようとする男と舐めさせる女。

想像してみると衝撃的な光景である。

ということで、結局私は、相も変わらず、人様の「過去話」を聞いて興奮する「過去フェチ」の本領を発揮して、一人悶々と空想の世界で遊ぶはめになった。

春である。


2014年3月14日金曜日

香りの話


香りフェチのつもりはないが、結構、良い香りにほだされてしまう。

先日も、雑貨屋を覗いていたら、妙にそそられる香りに誘われ、スティック付きのアロマエッセンスを買ってみた。


イタリア製のナンチャラオレンジの香りだとか。リビングに置いてみたのだが、部屋に入るたびにホンノリ漂う。悪くない。

思えば、いまの住まいに引っ越してきてから以前より香りに意識が向くようになった。

それまで家事にはノータッチだったから、香りにも無頓着だったが、柔軟剤にしても芳香剤にしても様々な香りがあって楽しい。



洗濯の際に欠かさず使っているのが、パッションベリーの香りの商品である。そんなに色々な種類を試したわけではないが、これにはゾッコンである。一途に愛している。

布団カバー、枕カバーを洗う時などは、この柔軟剤を多めに入れてしまう。ホンノリ漂うパッションベリーのせいでリラックスできる。

でも、パッションベリーって何じゃらほい?である。そんなもの見たことも食べたこともない。謎だ。

トイレに置くのはフレンチバニラの香りである。これまたマッタリとした香りが良い。フレンチバニラって何じゃらほい?だが、きっとフランスのバニラなんだろう。

そのままだ・・・。

この二つの香りは私の気ままな貴族生活?の必需品になってしまい、いまでは、ストックを多めに常備するほどである。

旅に出ても、アロマオイルっぽいものをついつい買ってしまう。たいてい、後々になって気に入らなくて捨ててしまう。

いつだか、熱海の高級温泉旅館に行った時に売店で見つけた「梅の香りスプレー」もそんなパターンだった。

数ある花の中で私は梅が一番好きである。だから梅の香りエキスが入った芳香剤を発見して喜んで買ってしまった。帰宅して寝室を中心にシュッシュと振り掛けてみた。

なんかクサい。ジイサンの加齢臭をトンがらせたような鼻をつく感じ。売店で試しに嗅いだ時は爽やかだったのに全然感じが違う。嗅覚なんてモノも気分で随分変わるのだろう。

昨年秋にスペイン、アンダルシアを旅した時も「アルハンブラの香り」なる室内用アロマエッセンスを購入した。

世界遺産・アルハンブラ宮殿をイメージしたらしいが、そんなものをイメージしたら古めかしくてカビ臭い感じになりそうだ。でも、こちらは結構爽やかな香りで気に入っている。

スプレーボトルに移して、時々、シュッシュと部屋にまいている。なんとなく気分が落ち着くから不思議だ。

ラベンダーの香りグッズもついつい買ってしまう。ラベンダー枕、ラベンダーアイマスク等々、随分買ってみた。安眠を誘うという謳い文句にそそられるのだが、最近は、酔っ払ってコテっと寝ちゃうからちっとも役に立っていない。

良い香りに惹かれるとはいえ、コロンなど身体につける商品には興味がない。高校生の頃までは使っていたが、いまでは一切使わない。

髭剃り後のアフターシェーブローションですら無香性しか買わない。

香りで異性の気をひこうとしているような男の魂胆がどうにもカッチョ悪いことに思えてしまう。結果、私は素の状態で加齢臭を世界中に振りまいている?わけである。

中学生の頃、色気づいて香水をアレコレ試した。イタリアの俳優・マルチェロ・マストロヤンニのCMでおなじみだったバルカンとか、草刈正雄と渡辺貞夫が競演していたブラバスとか、テレビの影響で使っていた。

ませガキである。

その後、テレビCMで知られる商品なんてダッサいオッサンが愛用するものだとヘンテコな思い込みが強まり、得体の知れないコロンを適当に買うようになった。

高校生ぐらいの頃、若者向けのバイブルだった雑誌「ポパイ」とか「ホットドックプレス」に広告が載っていた「4711」のコロンをオシャレだと思って愛用した時期もある。

若さって無鉄砲というか、無思想というか、思い返すと実に滑稽だが微笑ましい。ああいうシャレっ気は今の私にこそ必要なのかもしれない。

女性の香りもあまりキツいのはイヤだ。香水で素敵な香りだと思えるものはまずない。

シャンプーやヘアクリーム、ハンドクリームや保湿ローションとか、その類いの香りがホンノリ漂うぐらいで丁度良い。

ツンツンと強い存在感で周囲の空気を切り裂くような香水を愛用する女性は苦手だ。個人的な意見だが、センスが欠落していると思う。

もちろん、香りなんて個人の好みだから、本人が気に入っていればそれで良いのだろう。でも、個人の好みということは、逆にその香りが苦手な人もいるわけである。

そういうことに思いが至らない、配慮が出来ないこと自体がセンスが足りない。

風呂に入る習慣がなかった西洋人が悪臭を隠すために開発したのが香水である。いまの生活環境の中で、ぷんぷん強い匂いを放つ人を見ると、風呂が壊れているのかと思ってしまう。

香水好きな人、ゴメンナサイ・・・。

まあ、そんなこと言っても、私だって、大昔には、親しく付き合った女性が愛用する香水に魅せられたこともある。

不思議とツンツンする香りではなく、皆さん丸い香りだった。丸い香りなどと書くと意味不明だが、ぬるくて甘くて優しい香りである。分かってもらえるだろうか。

そんな人たちの顔を思い出すたびに、香りの記憶が甦って甘酸っぱい気分になる。時々、街角で懐かしい香りがふっと鼻をくすぐったりすると、おセンチオヤジに変身してしまう。

いかんいかん、若い頃を思い出してばかりだと老化が激化しそうだ。

今現在を一番充実させることこそが人生の大事な課題である。

懐かしい香りではなく、現在進行形で心が揺さぶられる香りを探さないといけない。

2014年3月12日水曜日

ウソ


あれだけ世間を騒然とさせたくせに、痩せるどころか太っちゃってた「佐村河内さん」の記者会見を見て「ウソつきにも才能が必要だな」とつくづく思った。

謝罪といいながら、いけしゃあしゃあと強弁を続け、ボロが出そうになると、とっさに話をそらす。

ありゃ一種の才能である。

ウソにウソを重ねていくと、自然と訓練を積んだようにウソが熟練していくのだろう。

どんな場面でも、慣れることの強みは想像以上である。大勢の人の前で要領よく話したり、パフォーマンスを見せるという芸当だって、最初からうまく出来るはずはない。すべては慣れの力である。

ウソも徹底して続ければ、しっかりと身につくわけだろう。なんとも厄介だが、凄く勉強になった。

ということで、ウソの話である。

私はウソをつくのがあまり上手ではない。大人として誉められたものではない。仕事の関係者と話をしていても、ポーカーフェイスで通すことが不得意である。感情が割と顔に出やすい。

中途半端なウソをつくなら、正直に居直ったほうが、その後の展開がスムーズになる。いわば正面突破である。

見え透いたウソを頑張って突き通そうとする人がいる。うまくいかなかった仕事をごまかすためとか、自分の保身が理由なんだろうが、見ていて滑稽だ。

お気の毒、かつマヌケである。

などと偉そうに言いながら、私だって、ムダにウソを言ってこんがらがることがある。

まあ、そんな場面はだいたい女性関係が絡む時だけである。ああいう分野は、ウソも親切なマナーになったりするから厄介である。

「うふん、ダーリン、ゆうべは、誰と過ごしていたの?」などと聞かれて「うん、錦糸町のリリィと交尾してたよ」と答えるわけにはいかない。

マナーである。

そういう時は、「退屈だったから、ウチで久しぶりに三島由紀夫を読み返していたよ」などと答えてあげる必要がある。

ところが、そんなウソも「ダーリン、ゆうべ、アナタの部屋の前を通ったけど灯りは消えていたわよ」とか切りかえされたりして慌てる。

問題はその時である。焦った様子が表情に出るか出ないか、相手はそれだけをチェックしている。

このわずか数秒の緊張の時間をどうやり過ごせるかが「素敵なダーリン」になれるかどうかの踏ん張りどころである。

「おや、三島を読んだのは一昨日だったかな。そうだ、昨日は亀戸のサウナでアカスリ三昧だったよ」と、柔和かつ自然に、そしてゆっくりと他愛のないことのように答えなければならない。

私にはそんな芸当は無理である。

したがって、「昨夜のこと」を尋ねられたら「そんな昔のことは忘れてしまった」と物憂げに葉巻をくゆらせながらつぶやくことにしている。

そして、「明日はどうしているの?」と聞かれたら「キミとデートするでちゅ~」と可愛いフリをする。

決して、「そんな未来のことなど分からないさ」などとキザなことを言ってはならない。

男と女の間では、ウソは時に潤滑油になり、時には毒にもなる。必要なウソもあれば、
ついてはいけないウソもある。

すべてをあからさまにするなんて人間関係を円満に運ぶ上では考えにくい。ウソは悪いことだが全否定もできない。程度問題だろう。

男なんてバカな生き物だから、自分のウソがバレないように必死になるばかりで、相手の女性がウソをついていることに想いが及ばなかったりする。

実に切なくも悲しい現実である。

相手の目を見てウソをつくのが女性である。これが男性との根本的な違いである。困った問題だ。

男は相手の目を見てウソをつくことが出来ない。これが出来るヤツは「佐村河内」クラスの傑物だろう。

だから、女性が自分の目を見つめながら言ったことは真実だと無意識に刷り込まれてしまう。

本当は逆である。不自然に目を見つめられて弁解されたら、疑ってかかった方がいい。

私も、相手の目を見てウソがつけないから、相手がこっちの目を凝視しながら語る話はすべて信用できると思い込んでいた。

この30年ぐらいずっとそうだった。

すなわち、この30年ぐらい、ずっとダマされていたのかもしれない。

最近は、いや、最近も以前も、滅多にウソはつかない?私だが、どうしても切り抜けたい場面では、相手の眉間を見つめることにした。

眉と眉の間である。この一点を必死に見つめる。相手からすれば、目をジッと見つめられているように映る。

ウソをつく時だけでなく、恥ずかしかったり、照れちゃって目をそらしがちな時も、この作戦は有効である。

好きな人に「好きだ」と伝える時には、恥ずかしさや照れで目をそらしたくなる。でも、勝負どころである。目を見つめているフリをするために眉間を凝視する。

好きでもない人に便宜上「好きだ」という場面も同じだ。自分のやましい心を反省したくなって目をそらしたくなるが、目を見つめて本気だと錯覚してもらうために眉間を凝視する。

ウソです。。。。

相変わらずアホバカ話ばかり書いてスイマセン。

さてさて、許せるウソ、許されないウソの境界線ってどのあたりなんだろうか。

多分、枝葉の伸ばし方ぐらいならセーフ、荒唐無稽な話ならアウトという感じだろうか。

男性経験が30人の女性が、それを3人と言い張ったら、「許せないウソ」だが、10人と答える程度の過少申告ならセーフだと思う。

バツ2の男が「まったくの未婚です」と答えたら「許せないウソ」だが、「バツ1です」と答えるのはセーフだと思う。

いま思えば、随分私もウソをつかれてきた。ああ、ここで書いちゃってスッキリしたい。でも、さすがにエゲツないし、私自身が情けなくなるから封印したままでいよう。

物事すべてが因果応報である。

2014年3月10日月曜日

ロマンチスト


ロマンチストかどうか。時々、自分や他の人をめぐってそんな議論をすることがある。

なかなか難解な問題である。

そもそもロマンチストって何だろう?辞書をめくれば「夢想・理想を追い求める者。現実離れした、甘い空想を好む人など」となる。

ロマンチックという言葉だと「現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま」だという。

いずれも分かったような分かんない表現だ。

自分に置き換えて考えてみたが、私は決して理想主義者でもなく、夢想家でもない。間違いなく現実主義者である。

でも、「甘い空想を好む」という点では結構そのけがある。

「情緒的で甘美な事柄を好む」という部分もピンポンである。

まあ、誰だってそのぐらいの要素はあるはずだ。「情緒的で甘美な事柄」が嫌いだという人は珍しいだろう。

活動内容や実態は知らないが、「日本ロマンチスト協会」なる組織が存在する。公式ホームページに設けられていた「ロマンチスト診断」とやらを試しにやってみた。

結果、私は「ロマンチスト見習い」だった。そういことである。いわば、失格である。ちょっと残念だ。

もともとマメじゃないし、歯の浮くようなことは言えないし、オッシャレ~!なデートスポットとかも知らないから仕方がない。

それでも「情緒的で甘美な事柄」は大好きだ。それって何のことかちっとも分からないが・・・。

「甘い空想を好む」という点では、そこそこ自信?がある。しょっちゅう、「恋人になって欲しい人」とか「まだ見ぬ恋人」を空想しているから立派なものである。

想いを寄せる人、もしくは今後出会うであろう最愛の人が世の中のどこかで生きているわけで、そんなことを空想していると飽きない。

その人は、今どこでこの夕日を見ているのだろう。どこでこの月を見上げているのだろう・・・。時々そんな他愛もないことを考える。

さすがにまだ生まれていないとか、赤ちゃんだったりするはずはない。それほど年齢が離れていたら大変だ。

「上原謙」とか「加藤茶」レベルになってしまう・・・。

「甘い空想」というか、常に私が夢想していることがある。情緒のある人に出会いたいという一点だ。

季節の変わり目を感じるような、ちょっとした場面が昔から妙に好きで、そういう瞬間を同じ気持ちで感じあえる人がいたら幸せだと思う。

春であれば、散歩道でふと目に入った梅の花の控えめな開き加減に目を細めたり、秋だったら、どこからともなく漂ってくる金木犀の香りに郷愁にも似た気分に浸ったり・・・。

そんなささやかな事柄を共感できる人がいたら素敵だと思う。

季節の変わり目の中でも私が一番好きなのがヒグラシの音色だ。

夏の終わり、陽射しが少しずつ弱まっていく頃の夕方、寂しげに響くヒグラシの音色に毎年毎年、身悶えている。

夕立の後、かすかに夕焼けが広がり始める。濡れた木々の緑が乾き始める独特の香りを楽しみながらヒグラシの合唱に聞き入る・・・。

最高である。風流の極み、得も言われぬしっとりとした気分になる。そんな瞬間が堪らなく好きだ。

そこに共感できる人がいてくれたらどんなに幸福感に包まれるだろうか。

誰でもいいわけではない。モデル級の美女だろうとも、「峰不二子」クラスのグラマーちゃんだろうと、そうした瞬間の心の動きに共鳴してくれなければ勘弁願いたい。

もちろん、違う場面ではお願いしたいが・・・。

ヒグラシの響きに心が揺れる人だったら、たとえ少しぐらい変な顔でも、ちょっとスタイルが悪くても、性格がチョッピリ歪んでいても、Tバックをはいてくれなくても、そのあたりは大した問題ではない。

そういう情緒のある人となら、一年中、朝も昼もいろんな瞬間瞬間で、心が安らぐ会話が弾むような気がする。

結局、感性や価値観が共鳴する人に惹かれるという当たり前の話になってしまった。

これこそ現実主義である。いや、これを理想主義というのだろうか。

なかなか難しい問題である。

2014年3月7日金曜日

タルタル人


タルタルソースが死ぬほど好きだ。

全身に塗りたくったり、タルタルソースの海で泳いだりしたことはないが、出来ることならそんなことをしたい。

タルタルソースの語源は、タルタルステーキと具材の組み合わせが同じだということに由来するらしい。

タルタルステーキ自体が、その昔、ヨーロッパの人々がモンゴルの遊牧民を「タルタル人」と呼んだことが由来だとか。

細かい話はどうでもいいが、「タルタル人」である。なんと素敵な響きだろう!

タルタル人。会ってみたい。というか、国際結婚して私もタルタル人と呼ばれてみたい。

タルタル人と呼ばれる以上、きっと、1日三食タルタルソースを食べても許されるような国民性なんだろう。

先々週、このブログでエビフライに夢中だという話を書いた。


その後もエビフライへの横恋慕は続いている。ふとした瞬間に「エビフライ・・・」とつぶやいてしまう。実際にアチコチで食べている。

エビフライといえば、タルタルソースである。あの組み合わせの素晴らしさは例えようのないほど完璧である。

肉系のフライと違って、エビフライはどこか味わいがマイルドである。良くも悪くもパンチに欠ける。そこにタルタルが登場することで、一気に至高な味が誕生する。

タルタルソースは、なぜか魚系のフライに限る。牛や豚とはちっとも相性が良くない。鶏肉だったらギリギリ合格だが、エビフライとの相性に比べれば、鼻くそ以下と言ってもいい。

美味しいものがないと言われる大英帝国唯一?の有名料理が「フィッシュ&チップス」である。あんなものが名物料理だという現実が実にビミョーではある。

ところが、かのフィッシュ&チップスだって、付け合わせのタルタルソースがウマければ、なかなかニクい料理になる。

フライの揚げ方がイマイチだろうと、具材の質が低レベルでも、ウマいタルタル様がたっぷり用意されていれば、私にとっては崇高な一品になる。

頻繁にメニューが変わるマクドナルドでも、栄光のフィレオフィッシュは世界中で不変のスターであり続けている。

ということで、タルタルソースは偉大である。

許されるのなら毎日毎日食べたい。でも基本はマヨネーズだし、コレステロールを考えると、ついつい「時々ぜいたくして食べるモノ」というカテゴリーに分類することになる。

先日、いつもの高田馬場・鮨源に出かけた。しばらくぶりの訪問だったので、ウマい刺身や寿司をしこたま食べようと思っていたのだが、その日、運良く店が空いていたので、席に座るなりヨコシマな考えが頭をよぎった。

エビフライが食べたい。。。

新鮮な魚がゴマンとある中で、いきなり迷惑な注文である。

タルタルソースも欲しい。。。

更なる迷惑ぶりである。

小ぶりなエビを2本、中型サイズを2本、計4本のエビフライをお願いした。


この店は揚げ物のテクニックもバッチリで実に良い感じ仕上がったエビフライがやってきた。頭もシッポもそのまま食べられる極上エビフライである。

エビフライがウマいことは間違いないのだが、その場で一から作ってもらったタルタルソースがまたバカウマである。


チビチビつまんでこれだけ食べていても、酒のアテになる。バンザイである。いっぱい作ってもらったので、大きな声では言えないが、「スーパー邪道寿司」まで作ってもらった。

画像を撮り忘れたのだが「タルタルソース軍艦」である。軍艦握りの具材はタルタルソースだけである。とんでもない寿司だと世間から糾弾されそうだ。

でも好きなんだからしょうがない・・・。

物凄く幸せそうな顔で食べていたと思う。


エビフライの最後の一口は、こんな感じで食べる。これじゃあエビの味なんて分からないぐらいだ。まるでエビ自体がタルタルソースを食べるための言い訳みたいな存在になっている。

エビフライが好きなのか、タルタルソースが好きなのか、正直、よく分からなくなってきた。

タルタルソース自体は、さほど難しくなく作ることが可能だ。私も自分で作ろうと何度も思ったのだが、それだけは自主規制している。

作ってしまったら最後、日々、そればかりを食べてコレステローラーとして晩年のエルビスみたいになっちゃいそうだから我慢している。

余命1年とか言われる日が来たら、きっと毎日タルタルソースを食べながら最後の日を待つことになるような気がする。

2014年3月5日水曜日

鯛めし、せいろ蒸し、自家製パスタ


このブログを時々読み返すと、いつも似たようなモノばかり食べている。実に世界が狭いと思う。

まあ、そうは言っても、変なモノにチャレンジして後悔するのもイヤだ。確実にニッコリできる食べ物を摂取したい。

と、エラそうに書いているが、「サッポロ一番塩ラーメン味焼きそば」というヘンテコなジャンクフードにハマって頻繁に食べている私である。

私の味覚などその程度のものである。


今日は、最近食べたウマかったものを書こうと思う。

まずは鯛めし。鯛めし文化は西日本が中心なのだろうか。東京で目にする機会は少ない。

鯛めしにもさまざまなバージョンがある。刺身を熱々御飯に載せて、溶き卵とダシ汁をぶっかけて食べるパターン、まるまる一尾を米と一緒に炊きあげるパターン、そぼろ状の鯛の身をダシで炊いた御飯にまぶすパターンなど実に多様だ。

某日、日本橋まで出かけて食べた一品は、特許だか商標登録だかの関係で、他では食べられない独特な鯛めし。

7~8年前だったか、島根に旅した際、松江の有名旅館「皆美」で食べた鯛めしがそれ。

日本橋にある直営のレストランで本場と同じ味が楽しめると聞いて、いそいそ出かけてきた。



自分で撮った画像がちっとも美味しそうに見えなかったので、下の画像はお店からパクッてみた。

そぼろ状の鯛、裏ごしされた卵、大根おろし、わさび、海苔をごちゃごちゃ混ぜて優しい味の熱いダシ汁をかけて食べる。

口に入った途端にウマい!と感じさせるイマドキの「ファーストアタック重視」の食べ物とは一線を画す滋味あふれる後味が嬉しい。

通年、暴飲暴食で胃腸が疲れている私にとっては医食同源みたいな有り難さがある。ジンワリと風味が身体中に染み渡る感じ。

こういう食事を基本にしていれば性格も穏やかになりそうな気がした。それ以外の懐石仕立ての一品一品も、優しい味わいでホッコリできた。

続いては、せいろ蒸しである。

銀座にある鹿児島料理の店「華蓮」の名物料理だ。黒豚料理というと、ついつい豚しゃぶを注文する私だが、たまには目先を変えようと未体験のせいろ蒸しを食べてみた。




肉は牛と豚をミックスしてもらった。下の段に野菜、上の段に肉である。蒸されて加熱された肉からこぼれる肉汁が下の段の野菜類にシャワーのように降りかかるらしい。

宗教上の理由で、野菜を食べない私だが、肉汁を身にまとった野菜なら味見しないわけにはいかない。まあまあだった。野菜好きな人ならかなり喜ぶのだろう。

野菜などどうでもいい。肉が思った以上にウマかった。クドさが取れて、適度にあっさりした感じに変身しているのが中高年には嬉しい。

この食べ方は病みつきになりそうだ。結構な量を食べたのだが、肉を食べた後のドンヨリと重い感じは皆無だった。

さて、ウマかったモノといえば、自宅で真面目に作ってみた自家製パスタを忘れてはなるまい。

一人暮らしをしている以上、たまには料理の真似事をしてみる。とはいえ、必死な感じになるのがイヤで、ヘンテコなこだわりを守っている。

そのこだわりとは、「まな板と包丁を使わないで作る」という実に生半可な姿勢である。

大げさなことはしたくないし、洗い物が大量に出るのも避けたい。一生懸命な雰囲気になっちゃうと、自分としてはどこか侘びしく感じてしまう。

そんな意味不明な感覚があるから、あくまで簡単にチョチョちょいっと出来上がるモノしか作らない。

何度かここで書いたことがある特製ピラフも包丁やまな板は一切使わない。

米をといだ後に、唐揚げ用のぶつ切りの鶏肉、缶詰のマッシュルームなどを投入して、市販のコンソメスープとかオニオンスープに、適当な分量のケチャップやソース、バターを加えて、電子ジャーのスイッチを
押すだけである。

炊きあがった直後にもう一切れバターを加えて混ぜ合わせるだけで特製ピラフが出来上がる。

味のほうも確かである。以前、我が家に遊びに来た12歳の娘は、2合作ったピラフのほとんど食べ尽くしたほどだ。マズいはずはない。


で、パスタである。残念ながら?これを作る場合は、フライパンは必要である。タップリのオリーブオイルに市販のザク切りガーリック、アンチョビペーストを投入、具は主にシーフードである。

この日は無性にカキが食べたかったので、大量にカキを入れる。その他に海老とアサリを脇役にする。

適量の塩こしょうの他、イタリアンハーブミックスとスイートバジルなるスパイスもそれっぽい味に仕上げるために有効だ。

まだバリバリに固い状態のパスタをフライパンに移して、出来上がっていた具材入りパスタソースとあえる。

普段、料理などしないクセに、私は鍋ふりが結構上手である。フライパンの中味をこぼすことなく、かなり大胆に振りまくって、パスタソースの「乳化」もしっかりクリアする。

良い具材を買って、それを大量に使っていればウマく出来て当然である。アルデンテにするためには、勇気を持って?麺をフライパンに移すタイミングを決断しないとならないが、だいたい失敗することはない。

タンスイカブラーの面目躍如である。若い頃、イタリアンばかり食べまくっていた経験もダテではない。

私の場合、親の遺言を守って野菜は食べないので、彩りは華やかではない。でも味は結構なレベルである。

客人に振舞えば、私のことを料理好きの男だと誤った印象を与えてしまうほどである。

滅多なことで自分以外に食べさせる場面などないから、遠慮せずに最高の美味だと宣言しておこう。

どれだけ誇張して書いても心配はない。物凄くウマい!最高である。

単なる自画自賛である。

2014年3月3日月曜日

たまに壊れる日


常日頃、30代の人を相手に「ご苦労さんだねえ~」と言い続けている。自分の経験を思い起こすと、30代の頃は色々なことを厄介に感じて、物事をいちいち大ゴトと捉えて悶々としていた覚えがある。

突き抜けちゃった今になると、そんな壁のようなものに直面している世代に、心底ご苦労さんと言いたくなる。

とか言いながら、私だって時々、分けの分からないことで悶々とする。一応、いっぱしの大人である。孤独死の心配とか年金の不安とか、男性機能の低下とか悩む問題は山ほどある。

冗談はさておき、私だって人並みに鬱々する材料はある。まあ、たいてい数日で収まっちゃう程度だが、そんな時は、ちょっと壊れる。

壊れるといっても文化的?な感じではなく、単に暴飲暴食に走るだけである。

最近も深酒が続いた。よせばいいのに毎晩遅くまで飲んでいた。夜ごと、ゲロまでは行かないものの、気持ち悪くなってヘロヘロフラフラしていた。

そんな日が続くと、さすがに酒を抜く日を作る。ただし、悶々モードが続いているから、酒の代わりに「ドカ食い大会」になってしまう。

わが身の胃腸方面には迷惑をかけ通しである。いつか恨まれて反転大攻勢を受けて大変な目に遭うんじゃないかと脅えている。

とある週末の夜、ビミョーな飲み会に参加して、何だか疲労困憊になって、一足先に抜け出してタクシーを拾った。既に深夜だったのだが、運転手さんに家の近所の牛丼屋に立ち寄ってくれと頼む。

ところが、目指した牛丼屋が珍しく24時間営業ではなく、「夢の深夜牛丼計画」が頓挫してしまった。

おとなしく帰宅すればいいのに、コンビニに立ち寄ってもらう。どうでもいいジャンクな弁当をアレコレ買ってしまった。

オムライス、カツ丼、ドリア、たらこパスタである。

炭水化物しかない。さすがにタンスイカブラーである。酒に酔うとこういう行動が迷わず出来ちゃうから我ながら恐ろしい。

タクシーの運ちゃんもコンビニのお兄ちゃんも、間違いなく私が一人暮らしだとは思わなかったと思う。

帰宅して、ひとつだけ食べようと思ったのだが、ドリアとカツ丼をペロッと食べてしまう。暴挙である。バカ丸出しである。

おまけにそれを缶チューハイで流し込む始末だ。ここまで来ると「ゆるやかな自殺」みたいなものだと思う。

膨満感ゆえに、逆流性食道炎が暴れるのを抑えようと、枕を3つほど重ねて上半身を起こしながら眠りにつく。

当然、快眠には程遠く、お化けに追われる夢を見る。自業自得である。最近、お化けが出てくる夢をしょっちゅう見ている。深層心理に何か変化が起きているのだろうか。

そして翌朝、休日だったので爆睡したかったのに、眠りが浅かったせいで何となくモゾモゾ起き出す。

当然、胃部不快感とやらが私にのしかかる。

困ったことに、二日酔いだったり、暴飲暴食の翌日の朝は無性にジャンクな食べ物を欲しがる変な癖がある。

学生の頃は、飲み過ぎて胃液まで吐きまくった翌日の午前中に必ずトンカツを食べるという無気味な習慣があった。

あの頃ほどハチャメチャではないが、いまだに脳が覚えているようで、「ジャンクドカ食い指令」に気持ちが支配されてしまう。

冷蔵庫には、たらこパスタとオムライスが鎮座していた。どちらを食べようかと悩んでいるうちに両方ペロッと食べてしまった。

飢餓状態で死んだ人の怨霊が取り憑いたかのような行動である。

それから3時間ぐらい経った頃、たらこパスタが冴えない味だったことに腹を立て、家にある在り合わせのもので突然パスタを作り始めてしまった。

ツナ缶、かに缶、マッシュルーム缶。すべて缶詰である。あとは大量のオリーブオイルと、バジルやらイタリアンパセリやら、やたらと揃っているスパイス類をゴチャゴチャ混ぜる。

電子レンジでパスタが茹で上がる手抜き便利グッズを久々に使う。ソース作り、麺の茹であがり、全てひっくるめて10分程度で完成する。

麺は200グラム。知らぬ間に完食する。ここまでが昼間までの話である。

ヒマな休日は溜まったテレビ番組を見て過ごす。ヨーロッパをめぐる旅行番組を見ていたら、ウマそうな肉系パスタが紹介されていた。

時間は午後3時ぐらいだ。おやつを食べようと冷蔵庫を覗いたらフェットチーネの生パスタを発見。賞味期限が近づいていたし、レトルトのボロネーゼソースもたくさんあった。結局、また食べてしまった。

ペロリである。

カロリー過多。この日の私のカロリー摂取量は、未開民族だったら1週間分ぐらいに相当するのではないだろうかと心配になる。

そして夜がやってきた。やることもないし、近くのスーパーに買い出しに出向く。お惣菜コーナーに目が向いたが、さすがに我慢である。

食材などをアレコレ買っているうちに小腹がすく。いかん。我慢我慢である。

買い物を済ませて外に出る。ふと目に入ったのが蕎麦屋の看板だ。「もりそば一杯だけ食って帰ろう」と私の中の悪魔が囁く。

「もりそば程度ならいいんじゃないか」。私の中の天使も許してくれた。で、店に入る。

街場の普通の蕎麦屋である。そんなにウマい蕎麦が出てくるはずもない。マズい蕎麦なんか食べちゃったら損だよなあ~と、私の中の悪魔が路線転換を促す。

そして私の口が発したのは「天丼ください」という恐ろしい言葉である。タンスイカブラーの暴走である。

街場の蕎麦屋の割には結構高い値付けだと思ったのだが、出てきた天丼クンは、値付けに納得するような結構なボリューム。甘っちょろい天つゆが妙に食欲を刺激する。御飯もしっかり入っている。

秒殺ぐらいの勢いで完食した。

食べ終わった後、何かに負けたような気がした。猛烈な敗北感である。こんなことなら、珍味をツマミに酒を大量にかっ食らって寝入ったしまったほうが健康的だったかもしれない。

私にとって酒を抜く日は、かえって「危険日」であるという現実を想い知らされた。

酒を飲んでいればバカ食いはしない。私にとって酒はドカ食いを防ぐための避妊具?みたいなものなのだろう。

この日、確かに何かが壊れていた。炭水化物の王道のようなものばかり1日で5食分も摂取してしまった。

でも、これを書いていて思ったのだが、若い頃に比べれば小食になったと思う。初めて一人暮らしをした20代半ばの頃、出前を頼む妙な高揚感が病みつきになって、休みの日には昼も夜も3人前ぐらい注文して、毎度毎度すべて完食していた。

あれに比べれば屁のカッパである。

刑務所に1年ぐらい収監されれば、きっとスマートなイケメンになるのだろう。でも、悪いことをする予定はないので、今後も酒とメシという煩悩の海をさまよい続けるのだろう。

ごめんよ、オレの内臓達・・・。