2009年5月29日金曜日

バリ島のゾンビ

お化け的な話は身の回りに結構あるようだが、いい大人が喜々として話すものではないという世間の常識のせいで封印される。

私自身、霊感が強いほうではないが、弱いほうでもないらしく、時たま意味不明な体験をする。

わが社の役員応接室では、今でも不思議な出来事に遭遇する。天井に埋められたいくつものダウンライト。これが、調光機で操作しているかのよう激しく強弱する。1か月に1度くらいはそういう状態を目撃する。

不思議なもので、私以外の社内の人間はそれを目撃していない。おまけに、仕事上の来訪者と話をしている時には不思議とその状態にはならない。

電気配線の接触不良と考えてはいるが、それにしては不自然なことが多く、少し気持ちが悪い。

その部屋は、改装する前は創業者である私の祖父の執務室があった場所だ。怒られてるのか、励まされているのか、まあそんなところかもしれない。

さて、昨日のブログで思わせぶりに書いたバリ島の恐怖体験について。

山あいのリゾートに泊まっていた時の話。繁華街まで出かけて、宿の車に迎えに来てもらった。

夜更けの路上、街灯もない真っ暗な場所でホタルを偶然見つけて、しばし観察していた時のこと。うめき声と叫び声の中間のような不気味な声がどこかから聞こえてきた。

自然の多い山あいの道だ。野犬とかイノシシぐらいはいるだろうとやり過ごしていたが、現地人の送迎ドライバーの様子が少し変だったのが気になった。

バリ島は神の島と称されるほど神秘的というか、霊的、呪術的な習慣も多い。現地人は、子どもからお年寄りまで「お化け的なもの」を信じている。

現地人と話すと「あそこのホテルはお化けが多い」とか「あそこの海辺に出るお化けは良いお化けだ」みたいな話を普通にしている。

まあそういう考え方が根付くような不思議なオーラが島全体に漂っているのも確かだ。この日のドライバーの様子も後から思うと「得体の知れないもの」を恐れている感じだった。

いつまでもホタル見学をしていたかった私は、ドライバーにせかされ車に戻った。お互い英語力が不充分だったので、せかされた理由はよく分からない。その場所自体に問題があるといった趣旨の話をされた。

エンジンをかけてヘッドライトがついた。ライトの先に人らしき姿が映った。よく見るとありえないほどやせ細った初老の男がこちらに向かって歩いてくる。

周囲に民家らしきものはまったくない。どこから来たのだろう。目はうつろだが大きく見開かれており、真っ赤に充血。着ているものは泥だらけのボロ布。おまけに素足だ。一心に車に向かって歩いてくるように見える。

ドライバーの表情が一変して、何か呪文にも祈りにも聞こえる調子でブツブツ声を出している。動き出す車、近づく痩せた初老の男。妙に重苦しい雰囲気。

ただの浮浪者だろうと思っていたのだが、よく見るとゾンビそのもの。ちょっと異様な姿だった。いよいよ車と初老の男が再接近した時、急に初老の男が車に向かって機敏に動いた。

ぶつかると思って、私も身体をこわばらせた。ヤバイと思った瞬間、両手を車のほうに伸ばしながら激突したはずの初老の男は、なぜだか2~3メートルほど車とは反対側に移動して、走り去る車を見つめていた。

どう考えても、車と衝突したはずだ。実際にそう見えたのだが、車に何かが当たった音は一切しなかった。ほんの少し何かがかすったぐらいでも走っている車には音は響くはず。SF映画の瞬間移動みたいに移動したとしか思えなかった。

怖いというか、何だか分からず、ただ首をひねっていた私の前でドライバーは、その後しばらく一心に祈りみたいなつぶやきを続けていた。

陽気だったドライバーは、初老の男を見てからまるで様子が変わってしまった。ホテルに到着して、チップを渡しても目はうつろで、まださきほどの状況に脅えている。

言語の壁のおかげでスムーズな意思疎通が出来なくて正直ホッとした。普通なら「さっきのあれは何だったんだ」みたいな会話になるはずだが、私も本能的に話題から避けるようにした。

翌朝、ホテルの敷地内を散歩していたら、前の晩のドライバーに会った。朝の挨拶を交わしがてら私は質問した。「夕べのあれは何だったんだ?」。

彼の答えは「何も見ていない。我々は何も見ていない」。しつこく身振り手振りで食い下がったが「ホタル以外は何も見ていない」と少しウンザリした表情で答える。

腑に落ちないままその場を去ったが、その後、ホテルのマネージャーと世間話をしていた時に気持ち悪い話を聞かされた。

マネージャーのほうからその話題を振ってきた。夕べは大変だったね、みたいな語りかけに少し驚く。ドライバーを通してホテルスタッフには“事件”として認識されていたらしい。

マネージャーが言うには、「火葬待ちの死体が歩いていたのだろう」というトンデモない結論。

バリ島では、火葬に相当なお金が必要になるため、いったん土の中に遺体を埋めておき、お金が貯まったら掘り出して火葬にすることが多いという。

私がホタルを見た辺りでは、何日か前に火葬待ちの遺体が埋められたのだという。言われてみれば、初老の男は泥だらけだった。

冗談めかして話をされたのならともかく、マネージャーはごくごく普通の話をするようにそんなことを解説する。恐るべし。

あの痩せた初老の男、この世のものではなかったのだろうか。いまも不思議な気持ちだ。

信じ込むのは恐ろしいので、私の中の一応の解釈はざっと次のようなストーリーだ。

畑に酒を持ち込んだ農民が、農作業を終えたあとに泥酔して眠ってしまい、車の気配に目覚めてヒッチハイクを頼みに来た。それだけのこと。泥だらけだったことも目の充血も説明がつく。

それが真相だと思いたい。でも、あの日ホタルだと思って見つめた光は人魂だったのかもしれない・・・。

2009年5月28日木曜日

ホタル

もうすぐホタルの季節だ。私は30歳を過ぎた頃から無性にホタルが好きになって、わざわざ関東近郊にホタル旅をすることもある。

あんなに幻想的な世界は他に無いのではないか。この時期は、ネオン街よりホタルの灯りに心が惹かれる。

会社からさほど遠くない距離に椿山荘がある。知る人ぞ知るホタルの名所だ。敷地内にフォーシーズンズホテルもあって界隈でも落ち着いた上質なエリア。もともとは山県有朋邸があった場所だ。

広大な庭園に繁殖させたホタルが飛び交う様子は、まさに都会のオアシス。ホタル鑑賞の時期は、わざわざ椿山荘でバイキングに参加したり、フォーシーズンズホテルでウマくもない夕食をとったりする。ホタル鑑賞のためなら仕方ない。

http://www.chinzanso.com/event/topics/topics090523.html

自然発生だろうが、人工繁殖だろうが私にとっては大きな問題ではない。食べるわけではないのでどちらでも構わない。

風情のあるせせらぎにポワンと浮かぶホタルの灯りにうっとりする。ホタルの生息場所は、緑がうっそうとしていて水辺があることが基本。こういう条件の場所は、なんともいえない「初夏の香り」が漂う。緑と水の混ざり合ったような香りだ

発光するホタルだけでなく、周辺環境の香りがセットとなって風情を作る。画像や映像では感じられないナマの魅力が現場にはある。

以前、出かけた山梨市の万力公園周辺でもそうだったし、群馬県渋川近くの箱島エリアでも同様だった。光と匂いが神秘的な世界を作っている。

桜の季節の花見と違って、ホタル鑑賞の場合、バカ騒ぎして宴会をするイメージはない。どちらかといえば静かな時間だ。

息を潜めてホタルに近づく。持参したウチワに迷いホタルが留まったりしたら、ソーっとその姿を愛でる。まさに侘び寂びの世界だ。

でも手元のホタルをよく見ると、さすがに虫だ。ちょっと気持ち悪い・・・。

ところで、あえて生息地に見に行くより、偶然出会うホタルのほうが嬉しさは増すが、いまどきそんな機会はなかなか無い。

私が見た偶然のホタルは、バリ島と石垣島など。なぜか南の方ばかり。

石垣島では、近くに集落のない場所に宿を取り、潜水三昧していた時のこと。夜も更けて歩いて30分ぐらいかかる飲み屋さんまで出かけて、酩酊した帰り道に遭遇。想定外のホタル登場にしばし路上に座り込んで鑑賞した思い出がある。

バリ島では、山側のウブド近郊で遭遇。隠れ家リゾートに一人で泊まっていた時だ(誰から隠れてたんだかよく分からないが・・・)。

街に出た後、宿の車に迎えにきてもらった帰り道。真っ暗闇の夜の道を眺めていたら田んぼにホタルを発見。しばし、車を止めて鑑賞した。

当日の天気を含んだ気象条件、周辺環境の水質といったハードルをクリアする必要があるし、おまけに短い期間しか見るチャンスがない。こういう希少性にはとても惹かれる。

ちなみに、今日この話を書いていて、全然違う話を思い出した。バリ島でホタルを見ていた時の恐怖の体験だ。記憶からあえて消去していた薄ら寒い記憶だ。

そろそろ暑い季節なので怪談もありだろう。近いうちに思い出しちゃった変な体験を書くことにする。でも思い浮かべたら妙に怖くなってきたので、書かないかもしれない。

2009年5月27日水曜日

銀座の効能 九谷

ある日の晩のこと。新橋で人と会っていたのだが、運良く7時半過ぎに解放された。仕事関係の話をこの時間までしていたら、たいてい「一杯行きまっか?」になるものだが、相手が体調不良とのこと。

ぶらぶら銀座まで歩いた。新橋で焼鳥でも食べてさっさと帰ればいいのに、なぜ銀座まで足を伸ばすのだろう。

銀座という街の魅力というか、魔力は、「現役でいることの実感」であり「この街に弾き出されるようにはなりたくない」という意識になることかもしれない。

やはり街の性格上、ボロボロ状態の人はやってこない。肩で風を切っている人はいまどきは少ないが、かといって沈没しちゃったような人はいない。

つまり、現役で闘っている人が醸し出す濃厚な空気がこの街の特徴だ。私にもその空気の中に身を置いておきたい、置き続けられるようでいたいという意識があるのだと思う。

実際に数年前、ひどく精神的に低迷していた時期には、銀座どころか繁華街と名がつくところには足が向かなかった。私の場合、弱っている時は、街が持っているエネルギーやパワーに押しつぶされそうになる。

だからこそ、ネオン街に行く気になれる時は、なんとか踏みとどまっている証なんだと思う。時には、気力を振り絞って街の空気に身を置くことは意外に大事だと思う。

さてさて、銀座をふらついた日のことだった。入りたかったおでん屋さんにふられ、そば割烹みたいな店には、1名様お断りと言われ、新店開拓でもしようかとぶらぶら。

新店開拓って意外とエネルギーを使うので、ちょっとバテ気味だった私はノンビリできそうな店に行くことにする。

鮨処・九谷を訪ねた。北海道直送の魚やお手製珍味が美味しい店だ。お一人様入店は二度目か三度目。あいにくカンターはほぼ満席、端っこの席が何とか空いていたので、ちまちまと酒を呑むことにする。

二番手さんが北海道に帰ってしまい、大将が一人で奮闘中。そうなると2人体制の時より、いろいろと劣化しそうなイメージがある。私自身、正直そんな想像をしていた。

ところが、手の込んだ仕込みを大将は頑張って続けており、単に素材の鮮度だけを売る店とは一線を画した仕事ぶりは健在。

ちょろちょろとツマミを食べながら呑んでいたが、一風変わった珍味が登場。自家製のちゃんじゃだ。邪道だとは思うが、焼酎を呑んでいる時には重宝する。

普通のちゃんじゃはタラの臓物とかで作られているが、こちらの店では、マコガレイが中心なんだとか。素直に美味しい。おまけにクリームチーズを添えて混ぜて食べさせる。邪道だろうが妙に美味しい。焼酎が進む。

画像手前はこれまた変な取り合わせ。でも酒の肴にバッチリ。納豆とシラス、高菜と大根おろしを混ぜ混ぜにしたツマミ。納豆嫌いな私が喜んで食べた。くどいトロを刺身で食べた後には抜群だ。


全長20センチほどの巨大ボタンエビもこの店のウリのひとつ。ミソの部分もたっぷり。身の甘みもたっぷり。幸せな味がする。黄金色のミソをトッピングした毛ガニの美味しさも安定している。この店ではたいていこれが食べられるのだから甲殻類好きには有難い。

そのほかにもアレコレつまんでから握りに移行。この日はシャコとアジが特筆モノだった。アジは、鮮度のよいまま昆布締めにされている。脂ののったアジの風味が程よく昆布の香りに包まれて実に丁寧な仕事ぶり。

味わいも優しい。定番のショウガではなく、普通にワサビで握る。おかわりしたほどウマかった。


シャコの握りも絶品。少し炙って温かい状態で握ってくれる。オスのシャコしか仕入れないというこだわりが憎い。世間一般の人気だけでなく実際の価格でも卵を抱えたメスのシャコが威張っているが、私は断然オス派だ。あのしっとり感は官能的。こちらもおかわりした。

大将はまだ30代後半。客が集中して一人でつけ場の作業に追われても、テンパッっている表情や動きは見せない。穏和な様子のまま、キチンと目配りしながら仕事を進める。なかなか出来ないことだと思う。

どんな仕事でも局面でも、慌てている姿ほど情けないものはない。内心はどんなに慌ても、その様子を悟らせずに落ち着いて対処することがスマートさの最たるものだと思う。

飲食関係の仕事に限った話ではない。予想外の展開になった時に、落ち着いた様子を保てるかどうかは大きなポイントだ。意識して「冷静、堂々」を継続している人は、それだけでデキる人に見える。実際にデキる人なんだろう。

一見すると堂々として冷静に見える人は多いが、多くがちょっとずれている人だったりする。

たいていは、ただの鈍感クン。ことの大事さに気付かずにボーとしているだけ。そういう「ニブさ」と「デキる」は大違いではある。

2009年5月26日火曜日

Mixi、GORO、宇野鴻一郎

友人の日記を覗く目的でmixiに出没することがある。私の場合、友人の日記にチャチャ入れコメントを書くぐらいなのだが、暇な時に覗いたつもりが結構熱くなって書き込むこともある。

思えば、日本中のオフィスで日夜横行する“業務逸脱mixi”に費やされる時間って、時間人件費に換算したら天文学的な数字になるのだろう。

それはさておき、旧友の日記でひょんなことから雑誌「GORO」の話題で盛り上がった。
私たちの世代は「GORO世代」であることは確かだ。

エロ本とは一線を画しながらも、実質的にはそんな存在として一時代を築いた雑誌だ。話題のヌードグラビアといえば「GORO」が発信源だったし、いまでも、衝撃的だったグラビアのことを随分と覚えている。

水沢アキの登場も衝撃だったが、旧友は昨年ひょんなことから本人に会う機会があって「ボク、あなたの載ったGOROを持ってました」と告白したそうだ。

束の間、少年時代に戻って、頬が赤くなるような気分を味わえたのなら実にうらやましい。最近すっかりそういう気分になることがなくなった。

いつのまにか分別顔して生きていても、男なら誰もが、“お世話になったアイドル”とか“お世話になったグラビア”のことは割と鮮明に覚えている。

勝手に妄想し、勝手に想像する。少年なら誰もが通る道だ。

妄想と想像。願望とも表現できるが、あの頃の頭の中ってロクなことを考えないから、結構、変な夢も見たりする。

当時、友人達の間では、そんな下らない夢自慢があったように思う。「夕べ、誰それが夢に出てきたぜ」といったパターンだ。

「誰それ」の部分は石川秀美だったり早見優だったり、ませたヤツだと「愛染恭子」だったりした。

私だって、いまだに相変わらずの夢を見る。とぼとぼ歩く私の横に白い高級車が停車し、スーっと運転席の窓が開く。そこにはハンドルを握る巨人の高田選手(現ヤクルト監督)がいて、ニヒルな笑顔で「乗っていくかい」と声をかけてくれる。

なぜか、同じシチュエーションの夢で、ハンドルを握っているのが「ハマショー」の時もある。いったいどういう深層心理が私にあの夢を見させるのだろうか。

男のほうに興味があるわけでもないのに、女性タレントが登場するバージョンはあまり記憶にない。以前にもこのブログで書いたが、なぜか私がプリンセスプリンセスのベーシストになって武道館で演奏する夢は何回も見たのだが、色っぽい夢のチャンスはない。

決して優等生ぶるつもりはない。私も怪しい夢は見る。ただ、私の場合、有名人ではなく、親しくない知り合いとか、友人の恋人とか、友人の奥さんが怪しげな夢に登場する。考えてみれば、そっちのほうが危険な精神状態かもしれない。健全ではない。

有名人との妄想といえば、ひとつだけ思い当たることがあった。5~6年も前のこと、ひょんなことから二人の女性と食事をする機会があった。

一応、二人とも有名人だったが、ひとりは、活字の世界で活躍する文化人ジャンルの人。もう一人は我々の世代の男子には、多少は名の通った綺麗なタレントさんだった。

なぜか上野で焼肉を食べて、なぜか上野で飲み直した。すっかり夜も更け、なぜか私がタレントさん一人をタクシーで送ることになった。

夜更けに女性と二人。相手が誰であろうといろんな想像をしてしまう。悪い癖だ。酔いも手伝って、車内の私の妄想は勝手に膨らむ。急に後部座席に二人で座ったこともあって妙に距離が近い。

この時、自分の想像力が宇野鴻一郎(古い?)レベルだということを痛感した。

なぜか石野真子の「狼なんか怖くない」という曲の歌い出し部分が3分に1度ぐらい脳裏をよぎる。

妄想が始まると不思議なもので、その女性がなぜか魅力的に見えて仕方がない。困ったものだ。

タクシーに乗っていた時間は30分ぐらいだったろうか。私の“宇野鴻一郎オーラ”は相手に伝わってしまったようで、それまでと比べるとビミョーに会話がぎこちなくなってしまった。

結局、狼になることもなく、送られ狼に変身してもらったわけでもなかった。オチがなくてスイマセン。

でも、思い描いていたことが妄想だったと自覚した瞬間って何であんなに疲れるのだろう。私が単にアホなんだろう。

最近、全然「富豪」っぽい話を書いていない。これも不景気のせいにしておこう。

2009年5月25日月曜日

渋谷 15の酒 毛髪

渋谷で人にあったついでに、午後のひととき界隈を散策した。渋谷という街に抱くイメージは人それぞれだと思うが、私にとっては、まさに初期青春の街だ。

80年代中盤ぐらいだったろうか、チーマーとか呼ばれる種族の登場で一気に歌舞伎町化が進んでしまった印象がある。それまでは十代の若者にとって刺激的な街だった。

私も学校帰りや休日には、いそいそと渋谷通いにはげんだ。高校生の頃、放課後の過ごし方にもいろいろあった。学校の近所の喫茶店でダラダラしているか、帰宅方面が同じ連中と沿線の店でふざけるのが基本だったが、渋谷まで出る時は少しだけ高揚感があった。

土曜の午後とか、買い物などの企画モノがある日は、悪友達と渋谷に出かけた。一種の“ハレの日”みたいなものだったんだろう。

大学生になり、社会人になり、渋谷には縁遠くなり、大人になってからは本当に用のない街になってしまった。そのため、先日の散策は単に懐古趣味に徹してみた。

渋谷通いをせっせとしていた当時から現在までの時間の流れは、バブルとその終焉をはじめ、世相が大きく変わった時と重なる。

当然、街の変貌ぶりは凄まじく、再開発でエリア自体が一新されたところも多い。一番多く通ったカフェバーのハシリみたいな店は、マークシティの登場で周囲の町並みもろとも消滅した。

センター街、スペイン坂、公園通り方面あたりは、地形自体は変わらない。ただ、その当時は流行の先端だった店が入っていたビルも今ではただのクラシックビル。

あの頃、よく目にしたレンタルルーム(同伴喫茶の発展系です)は絶滅している。漫画喫茶のペア個室とかいう怪しげなものが、その地位を引き継いでいるらしい。

出店自体が衝撃的だったタワーレコードも見あたらない。サッカーゲームのために友人達が集っていたような店も絶滅、ラブホテルばかりでハードルの高かった道も今では普通の繁華街として機能している。なぜか「人間関係」というシュールな名前の喫茶店だけは現役だった。

散策中、頻繁に立ち止まったり、蛇行する私は周囲を歩く若者達に舌打ちされたりした。我がもの顔で街を歩く連中に腹が立ったが、四半世紀前、私自身もそんなふうにオヤジ連中を邪魔者扱いしながら我がもの顔で歩いていた。因果はめぐる。

面白いもので、その場所に身を置くことで、忘れていた記憶がいくつも甦った。でも、この植え込みで誰それがゲロを吐いたとか、中条きよしがオーナーのカレー屋に通ったとか、どうでもいい記憶ばかり。

思えば15歳の頃、とにかく背伸びがしたかったのだろう。飲めもしない酒に興味が湧いて、背伸びついでに「ボトルキープ」に初挑戦したのも渋谷だった。

バドワイザーとかプリモ、コロナあたりのビールとか、流行っていたトロピカルドリンクとやらは悪友もみんな経験済みだ。それならば、もう一歩進んで、未知の世界であるボトルキープとやらをしてみたい。。。

そんな可愛くもおバカな発想で友人と2人、とあるパブ風の店へ出かけた。宇田川町、東急ハンズ裏の小高い坂の上にその店はあった。

薄暗い照明にスリットの入ったロングスカートのオネエサン達・・。それまではシャレで酒飲みの真似事をするにも喫茶店の夜間営業しか知らなかったお子ちゃまな私だ。異常に緊張した記憶がある。

友人も同様。普段はアホ丸出しで騒いでいた間柄だったのだが、場違いな空気に圧倒されてお通夜のように見つめ合って過ごした。

ロバートブラウンのボトルがキャンペーンで2400円だった。はっきり覚えている。ボトルカードを作るために名前や住所を書けといわれた。控えめな私は、自分ではなく友人の名前を提供した。

数ヶ月後、友人の家に店から案内状が届いた。文面には「ボトルの期限が間もなく切れます」・・・。同じく15歳だった友人は父親からボコボコにされたらしい。愉快な記憶だ。

今思うと「ませていた」というより「バカだった」と表現したほうが的確だろう。なんであんなに背伸びしたがったのだろう。ほっといても年は取るのに・・。

その後、お恥ずかしいことに飲酒喫煙が学校にバレて結構長い期間の停学処分を喰らった。そりゃそうだ。あんなに周囲が見えない視界の狭い若者がアルコールを摂取したら絶対に社会に対して迷惑だし危険だと思う。

ちあみに停学処分ついでに髪の毛もばっさり切らされた。坊主処分だ。当然、渋谷に行く気にもならず悶々とした時間を過ごした記憶がある。

そして、毛が伸びはじめた頃、格好付け直そうと美容院に行った。渋谷に行きたい一心だったのだろう。ところが、中途半端な長さの髪は変なパーマをかけられて「江夏投手」のような髪型に変身した。大仏みたいな髪型だ。結局、渋谷がまたまた遠ざかった。

そして20ウン年が過ぎ去った。今の私はすっかり少なくなった毛髪も、突き出てきた腹も気にせず平気な顔で渋谷の街を散策できる。

年を取ることはいろんな気取りや気負いが無くなるのでとても快適だ。

今日は何を書きたかったのだろう。。。

2009年5月22日金曜日

性格の不一致

有名人の離婚報道で飛び交うのが「性格の不一致」という言葉。分かったようで分からない言葉だが、「性の不一致」、すなわち、セックス方面の問題と解釈する向きもある。

私自身、一度だけ離婚経験があるが、「性格」と「性」を単純に混同されても困る。セックス方面については、いまどき結婚するまでどちらかの特殊なクセに気付かないなんてことはありえない。

一般的にそっち方面が離婚の原因なら、結局、「頻度」とか「所要時間」、「変わった趣味」あたりが理由なのかもしれない。アメリカ人じゃあるまいし、そういう理由での離婚ってそんなに多くないように思う。

普通は単純に性格の問題だろう。私の時も、私の変な趣味が原因ではなく、性格が合わない、要するに根本的に相性が合わないことが離婚の原因だった。・・・はずだ。

さて、何を書きたかったかというと、最近私が憤慨した家庭内の“不一致問題”だ。私も一応、人の親だから気が向いた時に子どもに服を買う。それも安っぽくない貴重な素晴らしい服ばかりだ。

今回、下の子に素敵なグリーンのTシャツを買った。写真の通り、とても爽やかな高級感のある生地で、デザインセンスも抜群だ。なにより誰も着ていない斬新さが最高だ。

ジャイアント馬場に向かってラッシャー木村が甘えた声で呼びかける。「アニキ~!」。実にシビれる男の世界だ。画像は背中側だ。オモテ面はスーツを着たダンディーな馬場さんが足を組んで座っている絵柄だ。

こんな素晴らしい服を買ってきたのに、わが家の嫁様はちっとも有難がらない。おまけに「こんな変なの着せられない」という考えられない暴言を吐いた。

「性格の不一致」とはこういうときに使う言葉だと思う。こんな素敵なTシャツを愚弄するなんて絶対におかしいと思う。

以前、上の娘に可愛らしい「三匹の子豚」がプリントされたトレーナーを買ってきた時もそうだった。子豚さんは可愛く歌い踊っている感じに描かれ、とても愛らしい絵柄だった。

にもかかわらず、そのトレーナーも毛嫌いされた。理由は背中側に描かれていた絵柄だ。

確かにヨダレを垂らした極悪顔の狼が子豚を狙う姿が背中一面に描かれていたのだが、それだけのことだ。

浜田省吾のライブ会場で購入したキッズTシャツも不評だった。ハマショーがシャウトしている素晴らしい絵が描かれている貴重なTシャツだ。私は着たいと思わないので娘に買ってあげた。それなのに娘も母親も文句ばかり言いやがって感謝の言葉ひとつない。

そういう時、凄い疎外感を覚える。この世に味方なんかいないんじゃないかと思う。

結局、画像で紹介したグリーンの素晴らしいTシャツは家人の陰謀によって、どこかに仕舞い込まれた。私は夜な夜な探し続けて隠し場所を突き止め、奪還に成功。

そして、とある週末、子どもと留守番をさせられた時を見計らって着せてやった。最高だ。とても似合っている。デパートの子供服売場で売っているような気取った服より数段イケてる。

これからも素敵な絵柄を探し続けてあげようと心に誓った。

2009年5月21日木曜日

東京23区物語

昔から東京23区ごとの“格差”は厳然と存在したが、最近その風潮がより強くなってきたように思う。

もう20年以上前だったろうか、泉麻人の「東京23区物語」という笑いなくしては読めない名著を読んだ。サブカルチャー本のハシリみたいなものだろうか。

高級住宅街を擁する千代田区はエライとか、六本木があるから港区はイケてるとか、足立区はどうした、江戸川区はどうだ、練馬板橋どっちもどっちみたいなテーマが軽いノリで分析されていた。

ダサイタマ、チバラギみたいなちょっとしたプチ差別ネタの23区限定版だから流行に敏感だった若者東京人としては抱腹絶倒モノだった。

いま同じ趣旨で出版を計画してもチョット難しいのではないか。当時は笑って済んだものが、いまはシャレにならない感じがする。そのぐらいエリアの“差”は進行していると思う。

2~3年前、どこかの雑誌で、23区ごとの特徴を統計データで紹介する企画があった。ベンツの登録台数は○△区が一番多くて、○×区はビリとかいうデータが並んでいた。空き巣被害が多いか少ないか、私立小学生に通う子供の割合が多いか少ないかなど、いろんなジャンルでシビアな結果が出ていた。

エリアごとの格差が広がるのは、ある意味当然の話。資本主義だとか、自由主義経済とか言いだす前から、お金持ちが集まるエリア、そうでない人が集まるエリアは決まっていた。逆にいえば、横並びのほうが不自然なんだろう。

特定のエリアへの憧れは、成功者が住まいを選ぶきっかけにもなる。それがエリア全体の相乗効果となって街全体が“上昇”していく。

アメリカでは、人との交流が始まる時、まず住まいがどの辺にあるのかを聞かれるそうだ。住んでいる場所でその人がどの程度のレベルで活躍しているかを確認し合う意味があるわけだ。

もちろん、わが国でも住まいの場所を聞いて感心することはあるが、明確に線引きを感じるような場所はほとんどなかったような気がする。ある意味、それが東京のこれまでの姿だったのだろう。

私自身、現在の居住地が終の棲家とは思いたくない。隣の敷地が売りに出ても魅力を感じないし、そんな余裕があったら違うエリアに脱出したいと考える。

会社を構える場所だって同じ。わが社もかねてから移転を検討しているが、複合的な理由でなかなか実現しない。

ちなみに中小零細企業では、慢性的な人材問題を抱えているケースが多い。業種によっては、人材採用のためだけに本社所在地を“聞こえのいい場所”に移すことも珍しくない。

先日もある専門士業事務所経営者から同じような趣旨の話を聞いた。人材確保だけを目的に都内某所から中心部に移転、新しいオフィスで求人募集すると応募者が10倍程度に増えたとか。若者の姿勢に「なんだかなあー」といった印象もあるが、それが現実。

「いい環境にいい人が住む」。言葉にすると単純だが、本当の地方自治って結局はそこに行き着く。

小さな政府、地方分権の推進は今後のわが国がたどる既定路線だ。スピードはともかく必ずその方向にすべてが進んでいく。

その時、「いい環境」には歴然とした差がつくわけだ。学校をはじめ、治安、衛生面、福祉、道路や公園などの細かいものまでジワジワとそして確実に格差は広がる。

「いい環境」にいる人はそれを維持しようと地域を大事にし、さまざまなルールも作り独自の空気を醸成していく。気にしない住民は必然的に「どうでもいい環境」に転出する。

「どうでもいい環境」にいた前向きな住民は「いい環境」を目指しはじめる。循環の結果は誰でも分かる。明確な地域格差だ。

補助金、助成金漬けで、本来バラバラでも不自然ではないはずの地方税の税率すら横並びになるよう国から一元管理を受けているのが今の自治体の姿だ。

土地や家を持っている人に課税される固定資産税。都道府県が管轄して課税するものだが、どこの自治体でも「標準税率」を画一的に使っている。

制度上、「ウチの県は隣の県より安い税率にします」という競争は可能だが、国がちらつかせる別な部分の制限のせいで、現実には、どこも同じ税率を強制されているようなもの。

国をあげて高度成長を目指そうとした時代の仕組みが、現在の均一重視社会を生んだ。もちろん、その居心地の良さを支持する人も多いだろうが、今後の活性化にはかえって障害になる。

地方分権が進めば、想像以上のスピードで街の格差は進む。私もそれまでにちゃんと富豪になっていないといけない。。。

その時、○△区や○×区はどんな状態になるのだろう。プチ差別などと笑っていられるうちは、まだ平和なんだと思う。

2009年5月20日水曜日

銀座 虎武士

銀座5丁目にある「虎武士」というお寿司屋さんに行ってみた。「こぶし」と読む。暗くなると濃厚な空気が漂う7~8丁目方面に向かって4丁目側から歩いている際に目にしていた店だ。たまには新店開拓とばかりに突撃。

店の中に「鮭鮫鱈鯉」という威勢の良い文字で染め抜かれた暖簾がある。「さけ、さめたら、こい」と読む。なかなか洒落ている。

暖簾とは裏腹に、“酒よりも寿司道を極める”みたいな気むずかしい感じはまったくない。酒飲みには嬉しい雰囲気の店だった。

カウンターだけの小ぶりの店だが、全体にゆったりとした作りで窮屈感はない。凛としすぎず、かといって雑然とした感じもない。すんなり店の空気に入り込める。

こういう空気感って結局は、店主のタイプというか、人柄みたいなもので決まってくる。こちらの大将は、キリッとしながらも物腰柔らかで客に安心感を与えるタイプだろう。押し出しが強すぎず、適度な距離感を保ちながらきちんと客を楽しませようと注意を払っている。

ここまで観察?させてもらえば、マズいものを出す店ではないことは充分推察できる。実際、旨い魚をアレコレ堪能した。際だった特徴があるというわけではないが、随所に大将のこだわりが感じられて快適にまっとうなお寿司にありつける。

初訪問の翌週にもフラっと訪ねてみた。一度来ただけの客にもかなり気を使っくれて恐縮する。旬の旨いものはしっかり揃っているし、飲むペースに合わせて的確な目配りをしてくれる。

大将は東京出身で私とさほど変わらない年齢だ。合間に出されたおひたしなんかもセンスの良い味付け。生モノ意外にも、アレコレ旨いものを食べさせてもらえそうなので、マメに顔を出そうと決意する。

写真は撮っていないので、食べたものの話は割愛しちゃうが、端的に言って気持ちの良い店だった。一人でも、おしのびでも、男同士でも違和感のない雰囲気。

お値段は想像していた範囲。値ごろ感があるほどではないが、異常な値段の寿司屋が多い銀座のなかでは、なんとか許容範囲だと思う。

すいぶんと誉めまくってしまった。なんか店の回し者みたいだからこの辺にしておく。

2009年5月19日火曜日

男酒 美食菜館 桜田淳子

男4人で呑んだ。中高の同級生だ。幼稚園からずっと一緒だった旧友もいた。在校中、特別親しくしていなかったのだが、ひょんなことから集まった。

ひょんなこととはブログの縁。いわゆるブロガーつながりだ。お互いがどこを旅してきただの、何を食べていただの、家族以上に?お互いの近況を知っているのが実に不思議な感じ。

集まった店は溜池山王の中華料理店(http://www.bishoku-saikan.jp/pc/)。

これまた幼稚園からの同窓で、かつブログを日々更新している男が経営している。辛めのラーメンが人気だとかで、今度グルメ雑誌に紹介されるらしい。小綺麗で飲み屋さん的にも利用できる有難い店。

こんな機会が持てるのだから、インターネットの世界も捨てたものではない。お互いの仕事や家庭状況もよく知らなかったが、近況だけは読んでいるわけだから、最初から盛り上がった。

相変わらず、私の過去の悪行が暴露されていたが、都合の悪い記憶は消去している私だ。白日のもとにさらされる数々の事実も、あくまで酔っぱらいの冗談だろうと一笑に付しておいた・・・。

男同士で構えずに呑む時間って、思えば、貴重な時間かもしれない。仕事の付き合い、職場の飲み会となれば、どうしても仕事の延長だし、女性が参加すれば、男同志の時間とは微妙に違う空気が流れたりする。

旧友との酒が一番気が楽だが、今よりはるかに若い頃なら、微妙な気負いもあっただろう。社会に出てそれなりに自負も出てきて、肩に力が入っている頃だと、酒の相手が旧友でも中年の今とは違うビミョーな力みがあったような気がする。

年を重ねることってつくづく良いことで、最近では、自然体で無邪気な時間が過ごせる。この日もそうだった。結局7時間ぐらい呑んでいたが、不思議とドロドロに疲れるような感じにはならなかった。

呑んだのは焼酎とウイスキー。焼酎はその場にいなかった別な旧友の一升瓶キープボトル(今度、穴埋めします・・)を知らん顔して痛飲し、ウイスキーは怪しげなカラオケスナックで出されるままに銘柄不明品を呑んだ。

それでも高級酒をしがらみながら呑むよりも数段旨く感じるし、実際に悪酔いもしなかった。きっと愉快な酒は健康にも良いのだろう。

大人の酒はこうありたい。

2件目のスナックは、入店するなり、「あと10分で閉店です」と言われたのに、2時間以上も80年代の曲をみんなでガナリ続けた。

このあたりはちっとも大人ではない。

都合のいい時だけ、若者に変身できるのが旧友との会合だ。アンチエイジング効果もあるのかもしれない。

次回集まる時には、“桜田淳子シバリ”でカラオケバトルがあるらしい。。。
少し自信がある私だ。

2009年5月18日月曜日

東京の役割

新型インフルエンザ騒動や民主党の党首選の陰にすっかり隠れてしまったかのような北朝鮮の核問題。北朝鮮問題にはウンザリといった世の中の空気が広まっているが、考えれば考えるほど恐ろしい話。

韓国旅行を一度でもした人なら分かると思うが、朝鮮半島は想像以上に近い。ホントに目と鼻の先だ。福岡あたりの人は、バーゲンセールの時期にはフェリーで気軽に海を渡ると聞いたこともある。

そんな距離に怪しげな王朝があって、独善的に核開発をしながら、わが国を敵国と認識している事実って空恐ろしい。後ろ盾の中国も根本的に排日の論理で動いているわけだから、考えれば考えるほど恐ろしい。

核といえば、先日訪ねた長崎で原爆資料館を訪ねてきた。昔行った時とは随分違う印象だったが、10年ちょっと前に新装したらしいから事実上初訪問だ。

なんとも説得力がある施設だった。数々の遺構や遺品、写真などが整然と展示され、ただただ圧倒されるという表現しか思い浮かばない。

人骨とガラスが高熱のため混ざり合うように付着した塊、正視できないほどの全身ヤケドを負った子供の写真、息絶えた幼い弟をおぶったままで直立不動で何かをにらみつける少年の写真・・・。書き出せばきりがない。

広島でも同様の施設を見るたびに想像を絶する現実を思い知らされた記憶がある。これらの施設を見るたびに必然的に世界で唯一の被爆国家の意味合いを考えさせられる。

活字を追ったり耳で聞くのとは異なる迫力がこうした品々にはついて回る。もちろん、資料館などは単に慰霊にとどまらないメッセージ性を持つわけで、その説得力は非常に大きい。

そう考えるとこうした施設は被爆地に限らず、主要都市すべてにあったっていいと思えてくる。被爆地をないがしろにするような意味ではなく、もっともっと広く凄惨な現実を知らしめることが犠牲に少しでも応えることにならないだろうか。

被爆地以外にも施設をなどと書くと突飛な感じもあるが、一人でも多くの人が凄惨な現実を学ぶ意味は大きい。とくに首都・東京だ。日本人が集まるだけでなく、来日する諸外国の要人が集中する。

被爆国家としてのメッセージを発信するうえで東京になんらかの施設があることは有効だろう。来日する諸外国の要人にとっても、その施設は素通りしにくいわけで、波及効果ははかり知れない。

東京でオリンピックを開くのも結構だが、核の恐ろしさを世界にアピールするチャンスを増やすことが出来ればどれほど有益だろうか。

イデオロギーに呪縛された陳腐な「○△館」とかではなく、淡々と事実を見せつけるだけで充分存在価値は高められると思う。

長崎で見た人類の愚行を物静かに示す数々の遺品。その存在自体が放つ強烈なメッセージに圧倒されて、ふとそんなことを考えた。

2009年5月15日金曜日

てんぷら 山の上ホテル

てんぷらが私を呼んでいる。最近そんな感じだ。半月の間に3回も専門店を訪ねた。今日書くのは、てんぷらの大御所・山の上ホテルでの旨かった話。

文句なく満足できるてんぷらを求めてわざわざ出かけた山の上ホテル。
♪白雲なびく駿河台・・♪にたたずむクラシックホテルだ。

外資系カタカナスノビッシュホテルが幅をきかす昨今、かえってこういうレトロな場所はお洒落だと思う。東京人のための隠れ家だ。

昔からここのてんぷらの評判は耳にしていたが、今まで訪ねる機会がなかった。レストランの名前はその名も「山の上」。美味い店揃いと評判のレストラン群のなかでも象徴的な存在だ。

昭和そのものという店の空気に妙にワクワクする。最先端嫌いの私はそれだけでシビれる。カウンターに陣取ってじっくり味わうことにする。

満を持してここまで来た以上、どうして野菜など食べる気になろうか。興味のない食材は一品たりとも食べないようにしようと決意。お好みで注文開始。

まずは活車海老。最初にからっと揚がった頭が登場。初体験の美味しさ。よくあるイガイガした不快感は皆無。軽めの煎餅のような食感で旨味だけが口に広がる。バンザイ。身のほうも甘みたっぷり。

何を食べてもそうだったのだが、素材の旨味がしっかり感じられる点が幸せ。当たり前のようだが、この部分は抜きんでている感じ。


ハモと穴子もそれぞれの風味がしっかり味わえる。あくまでネタが主役なのだが、衣が単なる脇役にとどまっているわけではない。主役の味をありのまま以上に膨らませる効果を発揮していて最高のバランス。

変化を付けようと一応野菜らしきものも頼んでみた。小玉葱と椎茸だ。どちらも素材の良さが光っている。味が濃い。どうしたって笑顔になる味だ。

たっぷりと用意された天つゆと大根おろし、そして塩があるだけで、カレー粉とか抹茶塩とかイマドキっぽい調味料が見あたらないところも素敵だ。基本が大事なんだと思う。

とはいえ、変わりネタも頼んだ。ウニのてんぷらだ。大葉に巻かれたウニがたっぷり。他の店でも見かけるウニてんぷらだが、この店では、やはり素材が違うのだろう。雑味を感じない。

そのほか、メゴチに銀宝(ギンポ)、かき揚げなどを堪能した。端的に表現するなら、いくらでもいつまででも食べていられそうな味わい。揚げ物料理でそんな感覚になったことってないかもしれない。


シメのご飯は、天茶づけ。出汁の旨味と添えられた塩昆布が極上かき揚げと混ざり合ってスーパー滋味。

同行者が頼んだのは天ばら。かき揚げとご飯をバラ寿司のように混ぜあわせた一品。塩加減が絶妙でこれまた文句なし。

今年食べたものの中で最高に美味しかった。ちなみにお値段も最高だった・・・。
とても満足だったので、納得はしたものの、しばらくの間、カップラーメンで生きていこうと決意するぐらい・・。

誤解なきように付け加えるなら、野菜を毛嫌いせずにコースで注文すれば私のように目ん玉が飛び出るお値段にはならないはずです。

2009年5月14日木曜日

裸眼人生

眼医者さんに行った。多分生まれて初めてだったと思う。有難いことに40年以上にわたって裸眼人生を送ってきた。勉学にいそしまなかった成果だと思う。しかし、寄る年波のせいか、どうにも目が衰えてきた。

昨年の運転免許更新の際も当然裸眼で出かけた。視力検査でひっかかるつもりでいたが、親切な係官が3回も検査をやり直してくれたため、怪しいまま裸眼ドライバーとして過ごしている。

遠くがぼやける。目が疲れやすい。充血しやすい。焦点の合う速度が落ちた。。。。ざっとこんな感じ。眼医者さんでいろいろ診てもらった結果、単純な近視であることが判明。少しホッとする。いまさら近眼君だ。

視力自体は両眼ともに0.4だった。近くのものは1.0相当で見えているらしい。どうりでクルマの運転がおっくうだったわけだ。

メガネの処方箋をもらったが、必要なのは運転する時ぐらいで、それ以外の時は裸眼生活続行OKという結論になった。

四六時中メガネをするわけではないのなら、気軽にメガネ生活にトライしようと専門店に出かけた。驚いたことに店員さんは私の処方箋を見るなり、1時間もあれば完成品を渡せるという。

なんかそんな簡単に済まされると、人生の一大事と思っていた私にはちょっとシャクだ。でも、単純かつ重度ではない近眼用のレンズだったら、フレームさえ決まればお手軽に仕上がるらしい。

メガネ専門店を後にして、会社へ戻る道すがら怪しげなオンボロメガネ屋を見つけた。期間限定で掘り出し物とかを乱雑に売っているような空きテナントのつなぎみたいな店だ。

よく、レンタル落ちの映画ビデオとか、CDなんかを山積みにしてうさん臭く処分しているような店を見かけるが、そんな感じのメガネ屋さんだった。

普段なら気にもせず通過するのだろうが、人生初のメガネ注文をした記念日だ。つい、怪しげな店の店頭に山積みされたいわくありげな商品に興味をもった。

「近眼用サングラス、激安!」というコーナーを発見。ふた昔前、杉山清貴がノースショアでかけているようなサングラスがてんこ盛りだ。補正度数ごとに並んでいる。

一番度数のきつくないサングラスを試してみる。バッチリだ。遠くがしっかり見える。安いのなら買わねば!。値札を見てびっくり。「48円」だ。480円ではない。48円だ。

富豪の私は2つも買ってしまった。96円だ。
富豪としては、それだけでは気が済まない。そばに置かれていた“超極細繊維をハイテク技術で織りなした・高級メガネ拭き”も買うことにした。

外装紙に600円と印刷されているにもかかわらず、なんと値段はまたまた「48円」だ。買い占めようと思ったが「お一人様3点限り」の注意書きを発見。しぶしぶ3点購入する。

近眼用サングラスを二つに高級メガネ拭き3つで合計240円だった。メガネ初心者としてこんなことでいいのだろうか。妙な気分だ。

処方箋を持って出かけたメガネ専門店では、当然のように万札が飛んでいったが、48円で充分だったようにも思う。

メガネ初体験の記念すべきこの日、なんとなくキツネにつままれたような釈然としない1日だった。

2009年5月13日水曜日

寄付のハナシ

25兆円VS2500億円。この100倍の開きは寄付金の日米比較。個人での寄付総額の比較だ。寄付をすることが社会生活の元になっている米国に比べて、わが国の水準は低い。

宗教観の差という理由も大きいだろうが、実際には、税制上のシステムの違いが最大の原因だと思う。

所得から寄付金の一定額を控除する所得控除については、昔に比べれば寄付しやすい形に変わってきたが、所得控除する際にポイントになる寄付対象団体の数は、わが国の場合、まだまだ少数だ。

もちろん、どんな団体に対しても寄付金控除を認めていたら、ヤクザ組織やカルト宗教相手への寄付が節税につながるというおかしな話になってしまう。

とはいえ、米国では100万ともいわれる寄付金優遇団体が、日本の場合は2万程度。あくまで福祉は国が仕切りますという現在の中央集権体制もあって、まだまだ寄付環境の底辺拡大にはほど遠い。

アメリカ人の旺盛な寄付意識だって、すべてが信仰心や世間体を気にしてのことではない。寄付することで自分の税金が安くなるのなら積極的に寄付しようという思惑も大きな要素だ。

税金という形で国に納めたらどう使われるか分らないが、寄付金なら自分の意思が反映できる。こうした意識は重要な寄付への動機付けになる。

現状の税制でも、然るべき団体に高額な寄付をした場合、所得税がドカンと安くなるが、この仕組みを知らない人が大半だろう。

オーナー経営者向けの税金の専門紙を発行する仕事をしている以上、こうした部分を広く啓蒙していく必要性を痛感する。

善意の寄付で感謝され、自分の税金も割安になる。そう書いてしまうと美しくないが、綺麗事ばかりでは寄付文化は向上しない。節税目的が本音だろうと寄付が活性化することは素直に尊い。

国にとっては、寄付がさかんになれば、国庫に入る税金が減少するわけだから、積極的に寄付優遇税制をPRすることはない。

うがった見方をすれば、寄付金税制は、あえて複雑で分りにくい仕組みにしておいたほうが国にとって好都合という考えがあるのだろう。

一説によると米国の場合、毎年、5兆円もの税収が、寄付金の所得控除制度の影響で国庫に入らないらしい。

いずれにせよ、純粋に人の善意に期待するだけで、莫大な寄付は集まらない。結局は、「税金をガッポリ取られるより寄付をして感謝されたい」という制度と空気を作っていく必要がある。

もともとわが国の歴史は相互扶助の色合いが強く、強者が弱者を助ける土壌もあった。戦前までは皇族や華族、財閥系大金持ちなどの寄付が想像以上のスケールで行われたが、戦後体制が福祉政策を国家の課題にしながら総中流作りに励んだことで、寄付の世界も様変わりした経緯がある。

この問題を考える時、誰もが指摘するポイントがある。一元管理の中央集権国家という姿を、小さい政府に転換していけるかどうか、実効性のある地方自治が確立出来るかどうかで寄付金の環境も変わるというもの。

もちろん、的確な地方自治の推進が大きな転換点になることは確かだが、それだけでは不充分だ。置き去りにされてしまう一番大切なことは、「お金持ち優遇政策」だろう。

基本的にお金持ちを生み出し、育てないかぎりダイナミックな寄付など期待できない。バカの一つ覚えのように「金持ち優遇はケシカラン」などといちいち規制するようでは話にならない。

社会主義国家ではあるまいし、みんなが「そこそこ」を目指して、「そこそこ」に満足するような社会でいいのだろうか。経済全体の活力を考えるうえでも、おかしな路線だと思う。

寄付金をめぐる現状は、資本主義、自由経済体制を選んだはずのわが国の歪みを象徴しているような気がする。

2009年5月12日火曜日

城めぐり

中年になると、ふと老後に思いを巡らすことが増える。40代の自分を高校生時代に想像できなかったように、70歳になる自分を思い描くことは難しい。

無事に老人になっていた場合、何を楽しみにするのだろう。趣味を持たない老人は気の毒とか言われるが、確かにそこそこお金があっても無趣味だったら、子供や孫にむしり取られるだけだ。なんか切ない。

水中写真撮影や草野球みたいな運動系は老人になったらできない。女性のお尻を追っかけることも引退しているはずだ。お酒だって大して呑めないだろうし、ドカ食いからも引退している。

散歩ならなんとか出来そうだが、せめて目的を持った散歩にしないと退屈しそうだ。

そんなこんだで、私が興味を持ち始めたのが、「城めぐり」だ。

日本各地に点在するお城をくまなく見て歩くことを老後の楽しみにしようと密かに考えている。深い洞察は無理でも、自分なりの着眼点を見つけてアチコチ出かけたらきっと楽しいと思う。

実は、わが家には「日本の城」みたいなガイドブックや書籍が何冊かある。どうにも他に読むものがない時にパラパラめくると結構楽しい。ジジくさいと言われても、本人は文化的だ、教養だ、と悦に入っている。

実は私はこう見えても(どう見えているか分らないが・・)、子供時代に歴史好き少年だった。小学校時代から、教材とはまったく別の歴史読物を学校経由で取り寄せてもらっていたこともある。

源義経あたりの時代に興味を持ったのがきっかけだった。源平合戦や戦国時代のエピソードなんかに夢中になった。

歴史好きの間で人気の高い幕末は、なんか時代が近すぎてさほど興味が湧かず、恥ずかしいことに未だに近現代史がちょっと苦手だ。

「城」に興味を持ったのは、小学校時代に親にせがんで連れて行ってもらった赤穂方面の旅が原点だった。もちろん、赤穂には忠臣蔵観光で出かけたのだが、地理的に姫路城が近かったため、当然、天下の名城にも足を運んだ。

なんとまあ壮大な素晴らしさ!そんな感想だった。大学生の頃、アメリカのグランドキャニオンを見た時よりも感動した記憶があるから変な子供だったのかもしれない。

人造人間キカイダーの絵を画用紙に一生懸命描く一方で、日本の城も図鑑を見ながら描くような子供だった。

昨日のブログで書いた竹崎ガニをむさぼった先日の旅行でも、カニを堪能した翌日は城見学に行ってきた。

竹崎ガニの産地・佐賀県太良町は長崎県との県境。クルマで小1時間も走れば風光明媚な島原。ここには、独自の建築スタイルで知られる島原城がある。

城の歴史に思いをはせながら眺めると知的好奇心とやらが刺激される。天守閣は復元モノだが、城内の資料展示は、土地柄を反映し、隠れキリシタン系の貴重なものが多くなかなか興味深かった。

その後、またまた小一時間移動して「島原の乱」の舞台となった原城跡にも行ってみた。海を見下ろす絶景の地に石垣だけが残る。島原の乱の収束後、徹底して破壊された場所だけに櫓などの構造物はまったくない。

寂しげに建つ一本の十字架と天草四郎時貞の像だけがポツンと置かれており、5月晴れの青空とのコントラストが鮮烈。凄く寂しい感じ。

というか、正直、この場所は私にはまったくダメだった。霊的なことはよく分からないが、物凄く重苦しい空気に包まれる感覚だった。

以前、このブログでも書いたことがある(2008年2月25日付)が、「特定の場所に漂う“気”」に時々過敏に反応する私のエスパーぶりが発揮された感じだった。

籠城のあげく、兵糧攻めにあい、立て籠もった一揆衆は死体までむさぼり喰い、最後は老若男女問わず皆殺しにされた場所だ。

この狭いエリアで亡くなった人数は4万人近いという。独特の“気”が漂っても仕方あるまい。

呑気に城めぐりといっても、どんな城にも重い歴史はあるはずで、これから、いろんな“気”を感じることになりそうだ。

2009年5月11日月曜日

竹崎ガニ 蟹御殿

カニ好きを自称する私が以前から気になっていたカニがある。多以良ガニとか竹崎ガニとか呼ばれる有明海のワタリガニだ。

ワタリガニといえば、中国人や韓国人に酒に漬け込まれて酔っぱらいガニとか言われているカニというイメージがあった。

カニといえば毛ガニだぜい!、いやいや活のズワイだぜい!と叫ぶ私にとっては縁遠い存在だったのだが、数年前に有明方面のワタリガニは相当ウマイという評判を耳にして以来、いつか食べに行こうと考えていた。

で、ちょっこら行ってきました。目的地は竹崎ガニのふるさと・佐賀県の太良町。佐賀といっても、長崎との県境で長崎方面から訪れるのが一般的みたいだ。

朝っぱら長崎空港に着いたので、レンタカーで長崎市内へ。映画「長崎ぶらぶら節」の渡哲也の気分で街を散策。相方である吉永小百合みたいな人はいないし、坂が多くて「長崎ぜいぜい節」といった感じ。

市内に行った理由は皿うどんとちゃんぽんを本場で食べたかったから。11時には人気店「西湖」で特製皿うどんとチャーシューを食べ、11時半にはやはり人気店「江山楼」で特製ちゃんぽんを食べた。大満足。カロリー過多。。。

パリパリに揚がった細麺に少し甘めの五目餡がたっぷり載った皿うどんは、今回の旅で何度も食べた。素直に抜群。当然のようにウスターソースが一緒に出てくるところがニクい。

ソースマンである私にとっては、何を目指しているのか良く分からないちゃんぽんよりソースが揚げ麺に絡む皿うどんが魅力的だ。都内で皿うどんが絶品の店があったらゼヒ教えて欲しい。

さて本題のカニの話。今回は太良町エリアで竹崎ガニをアホみたいに食べられる宿を手配した。周囲の宿はどこも竹崎ガニをウリにしているのだが、民宿的ノリの宿が多いようで、各宿のホームページを吟味して快適そうな宿を選んだ。

泊まったのはその名も「蟹御殿」だ。40年以上生きてきたなかで、こんな凄い名前の宿は初めてだ。命名する前に誰か止める人はいなかったのだろうか・・・。

「蟹御殿」と名乗るセンスの宿に泊まるのは非常に危険なのだが、宿のホームページを見ると妙に魅力的だ。有明海を見渡す露天風呂やアジアンテイストの部屋、風情のある貸切露天風呂もいくつもある。おまけに値段も安い。

怪しいなあという思いが消えないまま現地に向かった。「蟹御殿」と大書きされた外観にたじろぐ。この名前、大まじめだった。大丈夫だろうか・・。

中に入ったら妙にモダンかつお洒落。宿の名前と実際の雰囲気のギャップは日本一かもしれない。フロントまわりの風情、ちょっとした庭なんかも洒落ている。海沿いのプチリゾートのようだ。でも名前は「蟹御殿」だ。


聞くところによると何度も改装を重ねて最近になって今のスタイルになったという。宿の名前は変えないところがオーナーの心意気なのかセンスなのかは不明だ。

大浴場に露天風呂もあって、入浴しながら有明海の激しい干満の差を目の当たりにしてちょっと感動。どうもこの干満の差と肥沃な干潟が美味しい蟹の秘密らしい。

浴場まわりには、安っぽい要素もあってなんか微笑ましい。温泉目的ならダメ出しするところだが、あくまで目的は竹崎ガニだ。小さいことは気にしないことにする。

さてお待ちかねの夕食。半個室の食事処に案内される。ちょっとモダンで洒落ている。竹崎ガニづくしの始まりだ。やたらとウマい芝エビの唐揚げや豆腐を前菜代わりにして、茹でガニを待つ。


まもなく熱々の竹崎ガニとご対面。仲居さんが甲羅を外して食べやすいように適度にハサミを入れてくれる。いいぞ!蟹御殿。

味は想像していた感じと少し違った。甘みがストレートに感じられるのかと勝手に思っていたのだが、そうでもない。ジワジワと味が広がる感じ。ミソも同様、口に入れた瞬間のファーストアタックが弱い。毛ガニみたいな分りやすい甘みというより、不快ではない独特の渋味が味の特徴かもしれない。

あっという間になくなってしまいそうな大きさだったので、食べ始めて間もなく、別注で茹でガニを追加する。富豪としては「一番大きいのを持ってきて」というセリフも忘れない。

しょせんワタリガニだ。タラバじゃあるまいし、一番大きくても大したことはないと思っていたのだが、この別注で出てきたカニは食べ応えがあった。

上のカニ画像では、おしぼりを一緒に写してみた。一般的にイメージするワタリガニより遙かに大きいことがお分かりだろう。

別注で頼んだデカガニ。ゆで加減が難しいのだろうか、部分的に少しレアなところがあって、これがまたウマい。ミソが濃厚でタマゴもびっしり。尿酸値なんて気にしないぜ!とフガフガむさぼる。

ミソとほぐした身を混ぜ合わせて大口開けて頬ばると有明海の干潟の滋養が脳天を直撃するような感じだった。はるばる来て良かったと思う瞬間だ。その後、香ばしさが特徴の焼きガニが半身分出てきて、ホクホクした身を堪能する。

夢中になってむさぼりながらも、茹でガニ、焼きガニとも少しづつ身とミソをよけておく。カニ三昧ディナーには必須のワザだ。

そしてカニの炊き込みご飯が登場。よけておいたカニをご飯に追加投入することで、スペシャルカニ飯が出来上がる。至福の時間の締めくくりにもってこいだ。

腹12分目ぐらいまで食べた。カニをほじくるのに夢中でビール以外には、焼酎のロックを一杯しか飲めなかったほどだ。酔わずにムシャムシャ食べ尽くしたわけだが、冷静に思い返したうえの感想を書いてみよう。

やはりワタリガニはワタリガニだ。北のカニのようにスターにはなりきれない。一歩というか二歩ぐらい味わいが物足りない。そんな贅沢を言うとバチが当たりそうだが、「まあまあ」といったところ。

北のカニを食べる機会が少ない人にとっては極上だろうが、やはり日本海のズワイや上物の毛ガニとは比べられない。

あちらこちらでウマいカニ食い旅行をしてきた私だ。素直に興奮して歓喜できないことはある意味不幸なんだと多う。そんなことを書くとイヤミになってしまいかねないが、今回改めてそんなことを感じた。

でも竹崎ガニの名誉のために書き加えるなら、一度は味わうべき食べ応えのある立派なカニであることは確か。近くに住んでいたらしょっちゅう食べに行くと思う。

褒めているのか、けなしているのか良く分からない結論でスイマセン。

2009年5月8日金曜日

天亭 てんぷら

最近、胃腸の調子がイマイチなのになぜか油っぽいものが食べたくなる。変なのだろう。

私には、昔からそういう変なところがあって重度の二日酔いで、午前中はゲロゲロ三昧だったのに午後になってトンカツを二人前ぐらい食べることがあった。

さて、とある日の夕方、てんぷらが無性に食べたくなった。初訪問の店、銀座・天亭に出かけた。あいにくカウンターは予約でいっぱい。カウンターの見えるテーブル席に陣取った。

江戸前てんぷらの人気店と聞いていたので、塩でさらっと食すイマドキてんぷらではないガッツリ系を想像。実際にそれっぽいてんぷらをムシャムシャ食べた。

店の雰囲気、味いずれもごく普通。妙チクリンな緊張感もないが、非日常的高揚感もない。味は感動するほどではないが、残したくなるレベルではない。普段使いには悪くない。

小ぶりではかなげなてんぷらを岩塩や抹茶塩、レモンなんかでチョロチョロ食べるのが苦手な私にとって、嬉しかったのは、大根おろしと天つゆがあくまで主役のように用意されていること。

カラッっとあがったてんぷらを天つゆにビチャビチャ漬けて食べたい私にとっては好都合。揚げている職人から遠いこともこれ幸いとばかりにベチャベチャ喰いを堪能した。


コースを注文したのだが、野菜嫌いのわがままな私は相変わらず「宗教上の理由」とか意味不明な理由で野菜を極力減らすように要望。野菜以外のネタに変えてくれるかと期待していたが、野菜以外のネタの重複で対応されたのが少し残念。

追加で単品も頼まないと気が済まないタチなので、オススメを尋ねてみる。カキと香箱ガニを勧められる。カキフライとは違ったふんわりとした衣がカキの風味を包み込んでなかなか美味しい。

香箱ガニは、いわゆるズワイガニのメスだ。今の時期、全国的に禁漁のはずなので冷凍物なのだろう。それはそれで変わりネタを楽しめれば構わない。

メスズワイはそもそも外子だの内子だのの食感を楽しむようなものだが、甲羅の中にカニ身と一緒にそうしたツブツブ系がわんさか控えており、てんぷらの衣をまとった食感と味わいは結構クセになりそうな味だった。

なんだかんだと相当食べた。すごいカロリーだったと思う。極上の味と言うより空腹だったのだろう。

数日後、娘と二人で出かけた池袋のつな八のほうが正直言って美味しかった。自分自身、てんぷらに関する自分の好みがいまだに良く分かっていないのかもしれない。
てんぷらは難しい。

2009年5月7日木曜日

漫画 MOF


久しぶりに一生懸命マンガを読んだ。麻生首相にあやかったわけではない。人に勧められた霞ヶ関官僚を主人公にした劇画を真面目に読破した。

2~3年前の作品らしい。タイトルは「もふ~現在官僚系」。いうまでもなくMOF(Ministry Of Finance)が語源。すなわち財務省が舞台だ。

ひょんなことで財務省のキャリア官僚になった三流大学出の型破りの若者が主人公。霞ヶ関の常識とぶつかりながら既成概念にとらわれずにハッスルするストーリー。

細かいディテールはともかく、官僚機構や政治システムのポイントを衝いていて素直に面白く読んだ。

政治マンガはいろいろあるが、官僚を主人公にしたマンガは珍しい。よくぞまあ地味な公務員の仕事を劇画に仕立てたものだと思う。

農水省とBSE対策をめぐってぶつかったり、ODA利権をめぐって外務省と闘ったり、脱税もみ消しの政治的圧力に直面したり・・。題材自体がマンガにはなりにくそうに思えたので劇画に仕立てるプロの仕事に感心。

もう20年近く前だが、私自身、劇画のシナリオを書いていたことがあった。わが社が発行する『納税通信』で劇画を掲載することになり、漫画家は決めたもののストーリーは内製するしかなく、私が即席の劇画原作者になったわけだ。


学生時代、シナリオライターを夢見た私だ。そこそこ自信があったが、やってみると大変。会話ばかりで動きのない作品になってしまいがちで苦労した。

内容は、映画「マルサの女」の向こうを張るような内容で、イケメン国税調査官が脱税者を追い込むことが基本。

とはいえ、脱税の裏側にある心の葛藤や人間ドラマを描きたいと思った私の路線では、ストーリーが地味すぎてダメ。

無理やりセックスシーンを入れたりしたが漫画家さんのタッチもなんかイメージと違って苦戦した。

この時の漫画家さん、当時すでに三世代ぐらい古い感覚の人で、随分と修正指示をしなければならなかった。

なかでも主人公がディスコに内偵に行くシーン(まだ当時はクラブといえば私が好きな方の話で、踊る場所はディスコだった・・)が忘れられない。

漫画家さんが持ってきた作画を見てびっくり。店の看板に大きなカタカナで「デスコ」と書かれている。ローマ字表記ならともかく、カタカナでデスコ!。卒倒した。

シナリオのまねごとのおかげで、才能の無さを痛感したわけだが、冒頭で紹介した劇画だけでなく、題材が地味でも面白いエンターテイメントに仕上がるものって多いのだと思う。

税金や会計分野でも「女子大生会計士の事件簿」という本が売れて、ドラマ化もされた。小林稔侍が税務調査官役の2時間ドラマも相変わらずやっている。

税金に関する情報、なかでもわが社の『納税通信』の場合、単なる解説誌とは違う独自の編集方針のせいで、硬軟合わさった様々な情報が寄せられる。ドラマチックな話も少なくない。

そう考えると私のまわりにもベストセラーになりえる素材ぐらいは転がっているのかもしれない。シナリオライターの夢は今しばらく取っておこう。

冒頭で紹介した財務官僚の劇画、8巻まである作品なのだが、わりとアッという間に読んでしまった。自宅に設置したサウナのおかげだ。

中年男が電車の中で漫画を読む姿はいかにも格好悪い。とはいえ、職場で広げるのも気がひける。その点、マイサウナは都合が良かった。

読み終わったマンガをどうしようか思案中。内容が内容だから、執務参考図書としてわが社の編集長が買い取ってくれないだろうか。

私の汗が染みこんだ分、プレミア価格になるかもしれない・・・。

2009年5月1日金曜日

世襲

いまさら話題を集める政治家の世襲問題。自民党も民主党も一定の制限策をまとめ、世論におもねろうと必死だ。

二世、三世じゃないと政治家になれない現実は確かに異常だが、立候補の制限という次元で解決可能な問題ではない。

“苗字の力”でどんなに素人だろうが、立候補すれば悠々と当選し、その後は、知名度に注目する権力者によって引き立てられ、通常より早く花形ポストに就く。これが最近の傾向だ。

小渕少子化担当大臣の例が一つの分りやすい事例だろう。

さて、世襲ばやりの理由はなんだろう。当選しやすいからというだけでは説明がつかない。オイシイ利権にありつけるからという理由も陣笠議員には当てはまらない。

要はお金だ。世襲議員とカネといえば「政治資金」が大きなカギを握る。

無名の候補なら、当選して力を付けていくまで政治資金はカツカツ。世襲議員はこの点が大きく違う。

先代の政治資金が引き継がれるため、素人の頃から潤沢な資金にありつける。代々続く有力議員の家系ともなれば、政治資金団体の資金力も知名度に比例して大きくなる。このカネは政治家稼業を引き継がなければ現実には受け継げないため、いやでも子供が地盤を引き継ぐことになる。

政治資金は税金がかからない収入であり、使い道も海外旅行だろうが、料亭での会食だろうが、「政治活動のための支出」と主張できれば何でもOK。

もちろん、政治にはお金がかかるが、代々蓄積された政治資金を自由に使える魅力は大きい。

一般的な感覚では、親が残した経済的な価値のあるものはすべて相続税の対象になる。誰も働き手がいない時代遅れで敬遠されがちな借金まみれで倒産寸前の零細事業であっても、オーナー経営者が亡くなれば、子供としては相続税問題を心配する。

政治資金は一応、「政治資金団体が持つ政治活動のためのカネ」なので、団体の責任者が変わったところで、個人の死を原因とする相続とは無関係ということになる。

グダグダ書いてきたが、ごく簡単に言えば、「オジイチャンやおとうちゃんが長年働いてきたことで集まった膨大なお金を税金の心配なしで子供が受け継ぐ」という図式。

この図式がある以上、世襲議員が減るはずはない。同一選挙区からの立候補制限なんてまるで無意味。知名度があれば隣の選挙区から出たって有利には違いない。

元の選挙区からは息のかかった人間を立候補させることで、かえって名門政治家一家のパワーが拡大することもありえる。

「政治資金の引き継ぎ」。この部分抜きの世襲問題議論はまったくといっていいほど不毛だ。もちろん、ウマ味を知っている政治家自身が議論しているわけだから、この部分に焦点が当たるはずもない。

実は、安倍元首相が「お腹が痛い」と言い出して突然首相の座を下りた当時、健康問題とは別の辞任理由として一部で話題になったのが相続税をめぐる“好ましくない噂”だ。

わが社でも、“噂”に関する解説記事をホームページ上に期間限定ニュースとして掲載したところ、さすがに普段とは比べようのないアクセスが寄せられて驚いたことがある。

この時の話も結局は「政治資金の相続」につながる話だった。いまさら世襲制限の議論が政治資金問題抜きに進んでいることは「なんだかなー」という印象しかない。

わが社の『納税通信』は、他の税務専門誌とは違い、税金の単なる解説や広報ではなく、時節に応じた諸問題の発掘・追及も重要テーマに位置付けている。

「税金という観点から世相の裏側が読み取れる」。読者から寄せられるこうした声が記者一同の励みになっている。

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