中年になると、ふと老後に思いを巡らすことが増える。40代の自分を高校生時代に想像できなかったように、70歳になる自分を思い描くことは難しい。
無事に老人になっていた場合、何を楽しみにするのだろう。趣味を持たない老人は気の毒とか言われるが、確かにそこそこお金があっても無趣味だったら、子供や孫にむしり取られるだけだ。なんか切ない。
水中写真撮影や草野球みたいな運動系は老人になったらできない。女性のお尻を追っかけることも引退しているはずだ。お酒だって大して呑めないだろうし、ドカ食いからも引退している。
散歩ならなんとか出来そうだが、せめて目的を持った散歩にしないと退屈しそうだ。
そんなこんだで、私が興味を持ち始めたのが、「城めぐり」だ。
日本各地に点在するお城をくまなく見て歩くことを老後の楽しみにしようと密かに考えている。深い洞察は無理でも、自分なりの着眼点を見つけてアチコチ出かけたらきっと楽しいと思う。
実は、わが家には「日本の城」みたいなガイドブックや書籍が何冊かある。どうにも他に読むものがない時にパラパラめくると結構楽しい。ジジくさいと言われても、本人は文化的だ、教養だ、と悦に入っている。
実は私はこう見えても(どう見えているか分らないが・・)、子供時代に歴史好き少年だった。小学校時代から、教材とはまったく別の歴史読物を学校経由で取り寄せてもらっていたこともある。
源義経あたりの時代に興味を持ったのがきっかけだった。源平合戦や戦国時代のエピソードなんかに夢中になった。
歴史好きの間で人気の高い幕末は、なんか時代が近すぎてさほど興味が湧かず、恥ずかしいことに未だに近現代史がちょっと苦手だ。
「城」に興味を持ったのは、小学校時代に親にせがんで連れて行ってもらった赤穂方面の旅が原点だった。もちろん、赤穂には忠臣蔵観光で出かけたのだが、地理的に姫路城が近かったため、当然、天下の名城にも足を運んだ。
なんとまあ壮大な素晴らしさ!そんな感想だった。大学生の頃、アメリカのグランドキャニオンを見た時よりも感動した記憶があるから変な子供だったのかもしれない。
人造人間キカイダーの絵を画用紙に一生懸命描く一方で、日本の城も図鑑を見ながら描くような子供だった。
昨日のブログで書いた竹崎ガニをむさぼった先日の旅行でも、カニを堪能した翌日は城見学に行ってきた。
竹崎ガニの産地・佐賀県太良町は長崎県との県境。クルマで小1時間も走れば風光明媚な島原。ここには、独自の建築スタイルで知られる島原城がある。
城の歴史に思いをはせながら眺めると知的好奇心とやらが刺激される。天守閣は復元モノだが、城内の資料展示は、土地柄を反映し、隠れキリシタン系の貴重なものが多くなかなか興味深かった。
その後、またまた小一時間移動して「島原の乱」の舞台となった原城跡にも行ってみた。海を見下ろす絶景の地に石垣だけが残る。島原の乱の収束後、徹底して破壊された場所だけに櫓などの構造物はまったくない。
寂しげに建つ一本の十字架と天草四郎時貞の像だけがポツンと置かれており、5月晴れの青空とのコントラストが鮮烈。凄く寂しい感じ。
というか、正直、この場所は私にはまったくダメだった。霊的なことはよく分からないが、物凄く重苦しい空気に包まれる感覚だった。
以前、このブログでも書いたことがある(2008年2月25日付)が、「特定の場所に漂う“気”」に時々過敏に反応する私のエスパーぶりが発揮された感じだった。
籠城のあげく、兵糧攻めにあい、立て籠もった一揆衆は死体までむさぼり喰い、最後は老若男女問わず皆殺しにされた場所だ。
この狭いエリアで亡くなった人数は4万人近いという。独特の“気”が漂っても仕方あるまい。
呑気に城めぐりといっても、どんな城にも重い歴史はあるはずで、これから、いろんな“気”を感じることになりそうだ。
2009年5月12日火曜日
城めぐり
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