2008年3月31日月曜日

キンキの釜揚げ

銀座の鮨処「まつき」で念願のキンキの湯煮を食べた。このお店では釜揚げと呼んでいる。北海道を旅するたびに食べてみたかったので、ひょんな場所で味わえてラッキー。

キンキといえば塩焼きか煮魚が一般的だが、この釜揚げは、単純に水で煮る。少々の塩と出汁用の昆布くらいは入れているのだろうが、ストレートに湯騰煮だ。

写真は忘れてしまった。呆然と眺め無心に食べた。

脂が適度に落ちているものの、実にいい感じの食感。ホロッとほぐれる身は、そのまま食べてもジューシーかつ深く甘い味わい。

大将いわく、醤油をちょっと垂らして食べるのがオススメとか。やってみたら、確かにその通り、味が締まってこれまた絶品。塩焼きだったら大根おろしがないと醤油を使いにくいが、釜揚げだと、醤油だけが正解。

もともと漁師さんの賄い料理だったそうだ。船の上で調理するには確かに簡単だろう。網走出身の大将によると、漁師さんは、釜揚げキンキをどんぶり飯にのっけてウスターソースをかけて食べるそうだ。

キンキにソースとはちょっと微妙な感じもするが、炒めたソーセージにソースをかけて、にじみ出た脂とソースがマッチするとご飯が何杯でも食べられることを思い出した。結構、ソースキンキ丼、うまいかも。

塩焼きと違って、茹でてあるせいか、口に残ったキンキの小骨を取ったあとの指の脂っぽさが少なくて、この点も好印象。不必要にアブラギッシュにならない。

この日、「まつき」では、いつも美味しい山ワサビで食べるイカ、そろそろお別れのカワハギの肝、軽く締めたサバ、ボタン海老、北海道・岩内産のタラコなどを肴に呑んだ。

そのほか、珍味としてホタテの卵とやらを出してもらった。見た目も味も妙にエロティックスペシャル!だった。

このお店、いまはやりの凜としてキンキンとんがっているお寿司屋さんとは、一線を画し、どことなくくつろげる空気が気に入っている。クラブばかりのビルの3階だが、あまり同伴率は高くなく、年齢層やや高めの男性同士というお客さんが多かったりして居心地がよい。お値段もこちらの想像を外すことがないので、とても誠実だと思う。

2008年3月29日土曜日

愛人、税務署、銀座

とかくリッチと評される人の場合、そのライフスタイルは石部金吉的ではない。仕事は別として趣味やさまざまな“活動”に精を出す人は多い。

高尚な趣味に没頭する人もいれば、女性道楽に命をかける人もいる。エネルギッシュな人なら両方こなす。

オーナー経営者の場合、ここで問題になるのが財布の使い分けだ。すなわちポケットマネーか会社経費かという問題。趣味や女性道楽に会社経費という観点は出てこないはずだが、現実社会はそう単純ではない。

オーナー社長向けの専門紙「納税通信」でも良く取り上げて多くの反響を呼ぶテーマだが、社長の公私混同とそれに関する実務処理は、世の経営者にとって大きな課題。

税務署だって、この部分を執拗にマークする。税務調査の定番ターゲットという事実が、世の中の実態を証明しているようなものだ。

実際に愛人作りに精を出すリッチマンは多い。そこに投入されるカネ、すなわちお手当に会社マネーが支出されることは珍しくない。

愛人を自分の会社で働いていることにして給料の形でお手当をまかなうようなパターンだ。愛人が実際に働いていないなら、架空人件費であり脱税になってしまう。

実際に勤務していれば、一応問題ないわけだが、それでも税法は制限をしっかり設けていて、勤務内容と照らし合わせて不相当に高額な部分は会社の経費に認めないという規定が用意されている。

税法では、愛人などという色っぽい表現はせず、「特殊関係使用人」と表現する。逆に艶っぽく聞こえるのは私だけだろうか。

要するに事務の女性社員が月給20万円なのに同様の業務に就いている愛人には月給が50万円至急されていたとする。差額の30万円は会社の経費に出来ませんよということ。

こんな規定が法律の世界に存在すること自体が、世の中に「社長の愛人」が大量発生していることを示しているようで興味深い。

ところで、まったく勤務などさせていないのに給料という形でお手当を出している場合、税務署にはバレないと考えている人は多い。

もちろん、調査が来なければバレない。でも、調査官がその気になれば、結構簡単にバレる。まず、架空社員だから愛人の分のタイムカードがない。社内の各種資料や文書類にも、愛人の名前が出てこないわけで、小規模な会社なら割と簡単に引っかかってしまう。

まあ小規模な会社じゃあないとこういう大胆な愛人採用作戦はしないだろうが、調査官が狙いを定めたら、オフィスで実際の社員に聴き取りなどをしなくても発覚してしまうわけだ。

ちなみに架空社員、本当の社員といったパターンの他、儲かっているワンマン企業なんかでは、新規事業進出とか新規店舗出店という形でオーナー社長が愛人に会社マネーを投入することがある。

「あそこのママはダンナにお店を出してもらった」などという話を夜の蝶達から聞くことがあるが、実態は企業の節税としての投資活動が背景にあったりすることも珍しくない。

こうなると経済活性化、内需拡大に愛人文化が貢献していると考えたくなる。

話は変わって、夜の街。この時期、集客のテコ入れのためパーティーという名の出動命令があちこちで飛び交っている。

店によっては、本物の桜を大ぶりな枝ごと飾って目を楽しませてくれる。南の方で暗躍すると聞いたことがある花盗人業者も今年は東京の桜がさっさと咲いたので商売あがったりかも知れない。

店の中でも桜は桜。たまにハラハラと着物姿のオネエサンの髪に落ちてきたりして、ちょっと風流。

この時期の銀座は、そんなかんだで普段より和装の綺麗どころを見かけることが多い。春を実感する眺めのひとつかも知れない。
なんかまとまりがなくなってしまった。季節を感じる画像を掲載するのでご容赦!

2008年3月28日金曜日

相続税の脱税と税務調査


大阪の脱税おばちゃんの話は、週刊誌もこぞって取り上げた。相続税では過去最高となる28億円もの脱税。隠した遺産は59億円を超える。

http://mfeed.asahi.com/kansai/news/OSK200803110042.html

遺産を59億円も隠しちゃう発想は、常人では理解不能。逮捕された64歳と55歳の姉妹の日常を週刊誌が話題にしたくなるのも分かる。いにしえの言葉だが、怖いもの知らずのオバタリアンの構図だ。ある意味、そこまでの図々しさを持ち合わせてみたい。

この事件、75億円の遺産があったにもかかわらず、申告されたのは16億円だったとされる。さすがにこれじゃあバレる。税務署、国税局の目はそこまで甘くない。

国税側にすれば申告書が提出された時点で、「脱税見いつけた!」って感じだったことは間違いない。

相続税は、故人が亡くなってから10か月後に申告書の提出期限を迎える。受け取った税務署は、その時点から、内容を確認しはじめると思われがちだが、地域の名士とか、それなりの資産家、企業オーナー達の相続については、生前から税務署にマークされている。

毎年の所得税の確定申告書、財産明細書、法人からの退職金や配当の状況、金融商品の取引データ、不動産の譲渡所得の状況などが、いわゆる名寄せデータで管理されているため、遺族が相続税の申告書を提出してきたら、累積されたデータとのつけ合わせ作業が事務的に行われる。

上記した脱税事件も、おばちゃん達の親は、75億円の遺産を残すほどだから、大阪国税局なり地域の税務署では、生前から重要管理対象になっていた可能性が高い。

税務署では、役場に出される死亡届で、相続の発生を把握する。当然、地域の重要人物に相続が起きれば、内部で蓄積されたデータを確認し、総仕上げの準備に入る。遺族があさはかな下心に突き動かされても、どうにもならないのが実態だろう。

相続税対策といえば、納税額そのものを節約しようという角度からアレコレ検討される。合法的に節税できるなら、どんどん検討すべきだと思うが、その一方で、税務署対策が見逃されているのが現状だ。

相続税を申告した人の3件に1件には、税務調査が行われる。よほど単純な案件に調査が来ないことを考えれば、一定額以上の相続税申告をしたら、まず調査ターゲットになると思っておいた方が無難。

国税庁のデータでは、相続税調査によって何らかの申告もれが見つかるケースは、全体の90%近い水準。

平たくいえば、相続税調査が入ったら、無傷では終わりませんよということになる。

応対するのは、遺産の内容を完全に把握し切れていない遺族。やってくるのは、連日相続税調査ばかりこなしている職人的調査官。どうしたって、遺族としてはペースがつかめないのが現実だ。

大きな書店に行けば相続税関連モノがどさっと並んでいるが、どれを見たって税務調査の具体的な様子は解説されていない。

日本中探しても、なかなか相続税の税務調査の全貌をひもといたテキストやツールは見つからない。

知る人ぞ知る「相続税調査のすべて」は、解説本、チェックシート、想定問答集、具体的な調査の展開を再現したDVD、元税務調査官の覆面インタビューDVDを網羅した構成。実名は書けないが、全国の行政官庁も多数購入している。

前記したように全体の90%近くから申告もれが見つかってしまうわけだが、その平均額は都市部では1千万円近く。脱税を意図したものでなくても、解釈の違い、思い違いで簡単にそんな金額規模になってしまう。そうした非常事態を少しでも招かないためなら「相続税調査のすべて」は、決して高くないと思う。

2008年3月27日木曜日

浅草の逆張り

この間の週末、1年に何度もないような絶好の散歩日和だった。知らない場所をブラブラするのが好きなので、その日も「江戸のまち歩き」みたいな本を片手に根津方面に行った。

ところが、お彼岸のせいか大混雑。どうせどこに行っても混んでいるのならと、江戸っぽさの総本山というべき浅草まで足を伸ばした。

浅草出身の私の祖父は、生前、時間があると墓参りついでに浅草寺周辺をふらついてから上野の弁天様にお参りに行った。子どものころ、祖父母にくっついて行ったのが私の浅草散策の原点だ。今でも1年に一度はあの濃厚な空気を感じたくてブラブラしにいく。

今回は、この街に漂う「逆張り」というコンセプトを改めて強く感じたことが散歩の収穫。

赤坂サカスのオープンで持ちきりだった週末だけに、あの手の先端スポットの対極的存在として浅草の面白味を味わった。

なんといっても、この街、いつ来ても我が道を突っ走っている。とくに場外馬券場近辺、花屋敷近辺の様子は独特だ。

大衆演劇の小屋の前も活況で、ひとつの世界が確立されている。張り出されていたポスターにもつい見とれる。出演者が誰だかよく分からないところがいい。

すべてにおいて、この街でしか成立しない個性が際だっている。週末だったため昼間から周辺の飲み屋は大盛況。赤ら顔のオヤジが幸福そうに焼酎を流し込む。チンドン屋さんが来たって、特別注目するわけでなく、むしろ、その音色は単なる日常といえるほど溶け込んでいる。

ここらへんの一杯飲み屋は、飲食店というカテゴリーにあって、ある意味ひとつの「逆張り」だろう。ハヤリすたりとは無関係、何も追わずに黙々と浅草の一杯飲み屋であり続ける。流行に背を向けるという姿勢自体が、ハヤリものを追っかける世の中の風潮への逆張りだ。

ヘルシーブーム、メタボ対策大流行の逆張りとして登場したメガマックとかメガ牛丼が大ヒット商品になった。路上禁煙がうるさい地域では、ある喫茶店が喫煙者専用という路線を大々的に打ち出して大繁盛だという。

昨今の商売でヒットといえば「逆張り」。最大公約数的発想の反対側をあえて目指す考え方だ。

浅草の濃い部分は、ひょっとすると徹底した逆張りの思想に基づいているのではないか。だから根強く支持され、すたれないでいる。

界隈の洋品店(あえて洋品店と表現したい店作り)の品揃えだって、普通に見れば、誰が買うんだろうというものばかり。

でも、この「普通に見れば」の「普通」自体が、逆張り思想にとっては格好のターゲット。実際、店先には次から次に商品を手に取るお父さんがやってくる。

この品揃えが魅力的で、馴染むから、駅周辺のデパートとか上野あたりではなく、ここに来るのだろう。ターゲットの明確化というビジネスの基本が守られているわけだ。

こっちの店も結構お客さんで賑わっていた。常識で考えれば、こういう品揃えは避けそうなものだが、徹底して原色ジャージ系がてんこもり。やはり「常識で考えれば」という根拠なき平凡な発想の向こうを張る「逆張り」が徹底されている。

実際、この界隈を歩いているお父さん達の着ているものは、他の街では少数派だろうが、ここではメジャー。上の2点の写真のような店で売っている定番だ。

思えば「花やしき」も逆張りだ。ディズニー系を頂点とするアミューズメント路線を真似る気配はなく、下町の遊戯施設などとあえて漢字で表現したくなる路線を歩んでいる。

何日か前のブログで、東京の街の香りが薄くなったことを嘆いたが、浅草の香りは依然として濃厚。ある種、東京の東京らしさが強く感じられる。

外国人や地方の人達で大賑わいだったが、東京人こそゆっくり散策するとその面白味がよく分かるような気がする。

これから桜の季節。浅草散策はオススメ。

2008年3月26日水曜日

マズいもの

これまでこのブログで食べたものをアレコレ書いてきたが、マズかったものは書いてこなかった気がする。私がいい人だからだろうか?それとも味音痴なのだろうか?

たまには毒も必要か。マズかった話を書いてみよう。あくまで個人的感想なので、気を悪くする人がいたらゴメンナサイ。

マズかったというより、「期待していたほどじゃなかった」、「あんまり美味しくなかった」という言い方にしよう。その方が紳士的だ。

一応、安いものがマズくても、いや美味しくなくても腹は立たない。結構なお値段を取りながらオヨヨだと気分が悪い。

先日、中野駅近くの旧丸井側の中野通り沿いのラーメン屋に入って、マズさにビックリしたが、安いラーメン屋さんに過剰な期待をした私が悪い。でも、普通のラーメンをどうしてマズく作れるのか不思議だった。

会社が池袋にある関係で、何度かアノ有名な大勝軒のつけ麺を食べた。美味しいと思わない。つけ麺という種類の食べ物がもてはやされていること自体に納得いかない。

大勝軒も閉店するとかで騒がれたとき、ヘリまで飛ばして中継した間抜けなテレビ局があったが、閉店したかと思ったら、違う場所でまたオープン。相変わらず人気だそうだ。マスコミも罪作りだ。

ラーメンをなんだかんだ論評する風潮が嫌いなので、最近食べたそれなりのお店で「?」だったことを書いてみる。

六本木の中華「楼外楼」。数年前に一度行った際に悪い印象はなかったが、最近行ってみてがっかり。結構バラエティー豊かにオーダーしたが、どれも「うーん」。

塩味系の炒め物は、口に入れた途端に科学の味。自然の旨味は感じない。

フカヒレの姿煮も期待していたほどでなく、後味が妙にしつこい。

高級路線の中華でたいてい外さない「福建チャーハン」、すなわち、あんかけチャーハンもただただクドい。他に頼んだものも推して知るべしのレベル。

続いて、赤坂、溜池山王そばの「ロウリーズ」。プライムリブで有名な人気店。お店は実に格好いい。エントランスの広さ・開放感など全体の雰囲気はゆったりしていて楽しい。

肝心のローストビーフは期待していたレベルではない。肉そのものの味が淡い。嬉しさや喜びが口の中で広がらない。結構残してしまった。ホースラディッシュもなぜかクリームと和えてあるので、まったく辛味や風味がなく、まるで役に立っていない感じ。もう少し、美味しくできそうなものだが、ちょっと高級なファミレスというレベル。

このロウリーズ、だいぶ前に仕事で行ったアメリカ・ロスで初体験した。アメリカではちょっと高級なチェーン店として評判も良かったので、会社の人間(おっさんです)とわびしく2人で行ってみた。

そんな不幸なシチュエーションだったのにとても美味しかった印象がある。日本の店は、使っている肉の質にそもそも違いがあるのだろうか。

悪口を書き連ねるのは、なんか楽しくないのでこの辺でおしまいにしよう。

2008年3月25日火曜日

節税ネタと情報の肝


バブルの頃、税務専門新聞の記者として、さまざまな節税ネタを取り上げた。いま思えば、首をかしげたくなるような内容のものもあったが、それがあの時代だった。節税効果が高い金融商品や不動産投資、各種設備投資ネタが随分あった。

国税当局も節税封じに躍起で、取材によって掴んだ節税規制動向などは、いろんな世界からヨダレもので情報開示を求められたが、さすがに横流しも出来ずに苦労した。

当時は、いわゆる“ちょうちん記事”の誘惑も多かった。「書いてくれたら○×をさし上げます」とか怪しい話がかなり寄せられた。

広告収入より購読料収入をメインにしている新聞の“立ち位置”もあって、なんとか甘い汁に骨抜きにされずにバブルの時期は過ぎた。

正直、いま思えば、もったいなかった、惜しかったと思うこともチョットある。でもそんなこと一応言えない(書いちゃってるけど)。それなりに突っ張ってないと、ペンを持つ仕事ってどうにもおかしな方向に行ってしまいがちだ。

安易なジャーナリスト論を振りかざすつもりはないが、報道関係ってそこは肝。不良業界誌が雨後の竹の子のように存在するのもある意味よく分かる。でもその一線が記事の質に天と地ほどの差をつけるのは間違いない。

話がそれた。節税ネタの記事の話だった。

最近は、昔のように全体が好景気という形ではなく、二極化、すなわち勝ち組、負け組がはっきりしてきた。それにともなって、儲かっている企業の節税熱も昔のように過熱してきた。

「納税通信」が今月取り上げたニュースでも高級クルーザーが売れている話に結構な反響があった。

売れ筋は「億」を超える価格のクルーザー。
当然、中小企業経営者の間では、ポケットマネーか会社の経費かという二つの財布論が浮上する話だろう。

税務署的視線はどうしたって硬直的。すなわち、「会社名義のクルーザーなど社長個人のつけ回しだろう」というもの。

個人的に楽しむものを会社の経費で購入すれば、税務署が突っついてくるわけだが、あくまで会社の福利厚生が目的であれば会社名義もあり得る話。

その福利厚生目的を立証するのは企業側の責任。あくまで実態は大事だが理論武装が明暗を大きく左右するのも事実だ。

税金の解説本や実務解説の雑誌類には、その手の情報は載っていない。オーナー社長専用新聞として「納税通信」にはそうしたヒントを数多く掲載している。

税金対策とひとくちに言っても、実際には税務署的視線を念頭に置かなければ、いざという時に困る。法理論ばかりの机上の知識だけでは心もとないオーナー社長の皆様にお勧めです。

2008年3月24日月曜日

ガソリン国会の裏側で

ガソリン国会のドタバタぶりに関する報道が過熱しているが、一般のメディア報道が触れない意外に大きな問題が急浮上している。

税金の専門紙「納税通信」では、この問題を何度も取り上げている。テレビや一般紙が取り上げない現象だけに、多くの読者企業が「納税通信」の記事によってオモテに出ない“税金アクシデント”に驚いている。実際に編集局にも危機感を強めている企業の問い合わせが少なくない。

要は、ガソリン税に関して揉めている法案は、ガソリン税だけの話ではなく、税制改正法案全体に関わっていることがポイントだ。

すなわち、ガソリン税問題を含んだ法案が3月末の年度内に成立しなければ、その他いくつもの重要制度が3月末で期限切れになる。問題の法案は、租税特別措置法の改正案であって、この中には、企業側が当然延長されるという前提で認識している各種優遇措置が含まれており、ガソリン問題の紛糾が続けば、その陰で優遇制度がなくなるというわけだ。

たとえば、中小企業がパソコンなどの機械装置を取得した際に、一定額を特別償却できたり、税額控除できる投資促進のための優遇措置もとりあえずの期限は、今年3月末。延長される予定にはなっているが、肝心の法案が成立しなければ、当然に失効する。

今回のドタバタ劇でも、結局、衆議院の優越によって、いずれは法案は成立する見込みだが、仮にそれが今年5月だったとすれば、今年4月に決算を迎える企業は、法律の空白というタイムラグによって各種の優遇措置が適用されないというトンチンカンな事態が起きる。

「ガソリン値下げ隊」といった名称で、大衆迎合的パフォーマンスを繰り広げた野党側の思惑通りに事態は進んでいるが、その一方で、広範囲に影響が及びかねない「とばっちり」も存在する。

一般メディアが報じないだけにコワイ話だ。

2008年3月21日金曜日

街の香り

若いころ、10代から20代前半にかけて、街の香りってもっと濃厚だった気がする。
もう四半世紀ぐらい前だから、記憶もあいまいだが、街ごとの色とか空気ははっきり線引きされていたように思う。

新宿、渋谷、原宿、六本木、赤坂、西麻布、銀座…。微妙に、というか明確な違いがあった。遊びに行く自分たちも、どの街に行くかで意識や気構えにそれなりに違いがあった。

携帯電話もなくて、コンビニだって少数、ファミレスやチェーン店の飲食店なんかも今ほどバラエティーに富んでいなかった時代、確かに良い意味で街が平準化していなかった。

銀座なんかお気軽に行ってはいけない気がしたし、同年代の女の子が、たとえ親と一緒にだろうが、銀座で洋服を買ったなんて話をしているとちょっと見上げるような感覚があった。

70年代終わりから80年代初めは渋谷が居心地の良い場所だった。まだチーマーとよばれる種族はいなかったし、原宿あたりは竹の子族とかタレントショップの存在のせいで、背伸びしたい東京人にとっては、微妙な違和感があった。

高校生のころ、渋谷が放課後遊べるなごみの街だったのに対し、六本木は、少年たちにとってチョット背伸びしたい夜の街だった。

はじめてスクエアビルのディスコに行ったのが中学3年のとき。悪友たちと一生懸命大人ぶって出かけた。連れて行ってくれたのは、高校1年生の女子。当時の1つ上って妙に大人に見えた。おまけにこちらは男子校。向こうは女子校だったので、妙に神秘的だったのだろう。いま思えば皆さん変な化粧をしていた。こっちも変な服を着ていた。思い返せば微笑ましい。

いまスクエアビルは、取り壊しを待つ状態のゴーストビル状態。ちょっと感傷的になってしまう。

当時、六本木にあるお店はみんなお洒落に見えた。喫茶店だろうが居酒屋だろうが、そこに集っている人たちが自分たちより年上だったせいだと思うが、なんとなく格好よく映った。

最近、何度か六本木に行く機会があったが、街の香りがものすごく淡白になっていたことが印象的だった。単なる懐古趣味かと思っていたのだが、一生懸命観察してみても印象は変わらない。

ファーストフード、コンビニの数、歩いている人の年齢層がそう感じさせたようだが、知人に言わせると、ドンキホーテの存在が象徴的とのこと。妙に納得。

バブルが終わってから、目抜き通りにパチンコ屋は進出し、ランパブやおっぱいパブが登場した。そのあたりから何となく足が遠のいていたが、それから10年以上たった今、街の香りや臭いは急速に薄れていったように思える。

踊るほうじゃなくて、オヤジが跋扈するクラブも、正直いってキャバクラの攻勢でどうにも中途半端な存在になっている気がする。それなりのキャリアのあるお店に行っても空気がゆるい。

飲みながら、遊びながらでも、どこか緊張感とか突っ張った感じが流れているはずなのに、そうした気配に乏しい。客層のせいなのだろうか、高揚感が強くない。淡白な感じだ。

まあ個人的に古い時代への思い入れが強いので、そう思うのだろうが、的外れなことを言っている気はしない。ちょっと淋しい。

街の香りという意味では、今では下町を目指すか、マイナーな私鉄沿線のディープな場所あたりにしか残っていないのだろうか。

まったく話は飛んでしまうが、ここ10年位の間で、日本中の空港がみんな似たような様子になった。どこに行っても同じような建物の造りで内装も似たり寄ったり、個性が全然ない。ラウンジなんかもみんな一緒。昔がそんなに個性的だったとは思わないが、いまほど均一ではなかった気がする。

東京の街から街ごとの香りが消えていくのもそう考えると時代の必然なのかもしれない。

2008年3月19日水曜日

経営者の報酬について


最近のプロスポーツ選手の年俸は、一昔前よりかなり高額化している気がする。プロ野球界を例にとっても、一部のスーパースターは別として、一般的にあまり馴染みのない選手でも、当然のように「億」をもらう。

夢を売る仕事をしている彼らが通常より高年俸を手にするのは理解できるが、圧倒的多数の観衆を魅了するほどのカリスマでもない選手の年俸まで高騰している感じは、少し違和感がある。

それに比べて、社会的要請や公共的使命なども押しつけられるわが国トップ企業の経営者の年俸は決して高くない。

日本、アメリカ、欧州の大企業を比較すると、わが国の経営者報酬は低水準。日本取締役協会の資料によると、アメリカの売上規模1兆円超の企業経営者の場合、その報酬は約11億1千万円。欧州では約2億7千万円が平均だ。

これに対し、わが国のいわゆるトップ企業の経営者の平均報酬は約8千万円。欧米が絶対とはいわないが、大手企業の経済活動の規模を考えれば、決して高い水準でないことは明らかだ。

わが国の場合、報酬を決定する基盤が、古くからの日本的サラリーマンの姿であることが大きな要因。新卒で仲間入りして終身雇用や年功序列を前提とした組織生活を送り、勝ち抜きレースに残ったものがトップの地位に座る。

根底にあるのは昔のサラリーマンを象徴する固定給重視型の報酬体系。それに加えて、従業員の延長線上に経営者があるという考え方も根強い。

これ以外に、役員賞与や長期インセンティブ報酬などに関する税務上の扱いも見逃せない要素になっている。これらは一定の要件を満たせば、企業の損金にできるが、それなりに経費化ヘのハードルは高く、相対的に経営者報酬を低く抑えることと無関係ではない。

うがった見方をすれば、現状の税制の姿が、頑張って稼ぐことが悪いことのような発想に基づいているため、税制面では「ジャパニーズドリーム」を文字通り夢物語にしている。

結果、フリンジベネフィットと呼ばれる「直接的な報酬以外の付加価値」が増えることになる。陰の給料とでも表現した方が分かりやすいかも知れないが、社用車、社宅、交際費などなど、会社マネーを使った経営者独自の「経済的利益」の部分だ。

年俸2千万円のサラリーマンと年俸1200万円のオーナー経営者を比較すると、表面上は前者がリッチだといえるが、その実態は異なる。

リッチサラリーマンは、住宅ローンやクルマの月賦に追われ、専業主婦の奥さんはぐうたらしていたとする。

対するオーナー経営者は、住宅や自動車が用意され、奥さんは専務として会社に顔を出し、それに見合った役員報酬を得ていたとしよう。

実際の可処分所得は、サラリーマンの方が少ないのは当然。

日本の経営者報酬が海外より安いと言っても、説明したようなフリンジベネフィット次第で、実際の待遇は大きく変わるわけだ。

それでも、海外の高額報酬を考えれば、日本の経営者はおとなしいようだ。やっぱり、成功して儲けたら堂々とすごい金額の報酬を得るという空気が広がった方が自然という見方も出来る。

最近は以前ほどではないが、稼げば稼ぐほど適用される税率がぐーんと上昇する累進税率の存在も見逃せない。それによって、表面的な収入を低くしようという意識が日本の社会に根付いていることも経営者の報酬を低めに設定することに影響している。

その昔、松下幸之助翁は、収入の3割しか手元に残らなかったいう超過累進税率のエピソードを聞いたことがある。最高税率が70%にもなれば当然そういうことになる。

江戸時代の年貢ですら、五公五民とかで、半分は残ったのだから、高度成長期あたりの日本の税制がいかに収奪主義だっか分かる。官僚制社会主義国家と揶揄されるゆえんだろう。

なんか話にまとまりがなくなってきた。要は、日本の社会には、フリンジベネフィットという特徴が大きく存在するという話だ。

大げさではなく24時間すべてが仕事から逃れられない経営者に相応の役得があるのは必然だが、経営者ならではの経済的利益は、税務署から見れば、格好の調査ターゲットになっているのも事実。

二つの財布、すなわち会社名義かポケットマネーかというテーマは、世の経営者にとって大事な課題だ。

日頃から、この手の話のさじ加減は、やたらと耳にすることが多いが、そうしたエッセンスは、経営者向けの税金専門新聞やオーナー経営者向けの限定的なフリーペーパーに盛り込んでいるので、ここでは割愛。

このあたりの知識の差が、経営者のセンスの差になっているような気がする。

2008年3月18日火曜日

イルカの力

ニュージーランドで、浜辺に迷い込んで苦悶していたクジラの親子を、一頭のイルカが救出したニュースが世界を駆けめぐった。

このイルカ、海岸で地元の人と遊ぶことでも知られるバンドウイルカだそうで、地元の人がどうやっても沖に戻せなかったクジラを、わずかな水路に誘導して脱出させたという。

http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200803120023.html

イルカがおぼれている人を助けたりする話は、昔から世界中で知られている。高等な頭脳を持つ哺乳類だけに、彼らにとって、そんな作業は朝飯前なのだろう。

イルカが元来持っている、テレパシー的な能力、コミュニケーション能力は古くから人類の研究課題で、第二次大戦時には、爆弾を抱えさせて、敵艦に突撃させる訓練なども行われていた。

聞いた話によると、やはり先の大戦時に、イルカが使用する言語の解析が、かなりの所まで進んだものの、軍事利用を恐れた研究者が解析データを葬り去ったという話もあるそうだ。現在世界中で同様の研究が行われているが、当時のレベルにはまだまだ及ばない段階だとか。

結構、イルカにはこの手の逸話が多い。人間がうまく付き合えればいろいろな世界が広がりそうだ。実際に、フロリダあたりでは、自閉症などのセラピーとしてドルフィンプログラムが組まれているそうだ。イルカが発するパワーやテレパシー的なものが人間にとってヒーリング効果を発揮することは間違いないようだ。

私自身、以前、実際にイルカと水中で遊んでみたいと考え、比較的野生に近い状態のイルカと遊ばせてくれる場所を探して旅したことがある。

スノーケリング限定であれば、本物の野生のイルカ群と泳げることで有名なバハマ近郊・シルバーバンクへのクルーズが圧巻との評判だが、この時の私は、水中撮影にもじっくり取り組みたかったため、スキューバのタンクが使えて、カメラの持ち込みにも制限が無くて、おまけに限定的な水域ではなく、自然な海でランデブーできる場所を探した。

結果、はるばる訪ねたのが、中米・ホンジュラスのロアタン島。いろいろ乗り継いで最後は、あり得ないような軽飛行機で死ぬ思いで到着した。

後部座席横のタラップ兼出入口扉が飛行中に開かないよう、乗客に押さえさせておくというトンデモない飛行機だった。

ちなみに、俗に「天国に近い島」という表現をあちらこちらで聞くが、その意味は、異常に苦労してたどり着くというのが真相だと思っている。死にそうとか、死にかける思いでたどりつくから、天国に近いというわけだ。

さて、ロアタン島。周囲からほとんど隔絶されたエリアに、野性味タップリのリゾートがある。一見すると掘っ立て小屋のようなコテージが並んでおり、最低限のものしかない。とはいえ清潔感もそこそこあり、それなりに快適。コテージのベランダに出ると、美しい原色のハチドリが子育てしてたり、突然やってきたクジャクが羽を広げていたりと、ビックリもするが楽しい。

肝心のドルフィンダイブは、1日数回実施され、リゾートが保護・飼育しているイルカが、その日の調子によって、外洋に出てダイバーと遊んでくれる。

ここのイルカ達、自然の海のなかに広大なネットが張られたエリアで管理されている。
ネットは水面の高さ程度がてっぺんで、軽く跳ねれば、簡単に外洋に脱走可能。

たまに勝手に出て行くこともあるらしいが、結局お気に入りのわが家に戻ってくるらしく、飼育されているとはいっても、結構、野生の感覚も残されている感じ。

実際、ある日のドルフィンダイブの際に、ダイバーと遊ぶ場所まで来たイルカの前に、野生のイルカが表れ、飼われているイルカをさらっていってしまう一幕があった。さらわれたと言うより、飼われているイルカが興味を持っちゃったようで、半日ぐらい行方不明になっていた。

芸をするわけではないここのイルカ、あまり人間におもねっている感じはなく、水中で遊んでくれる際は、実に感情表現が分かりやすい。その様子ははっきりと大きな目の表情で察知できる。

楽しそうな目、うっとおしそうな目、嫌悪感を表わす目、それぞれがちゃんとこちらに伝わる。

水中カメラのストロボをダブルで頻繁に光らせていた私の前では、迷惑そうな目をするし、威嚇に近いような動作もされた。

カメラを水底に置いて、彼らをまねてドルフィンキックや変な回転動作をしてみると、柔和な目でしばらく間近で泳いでくれる。

触れてみれば、相当な重量感と筋肉に圧倒される。

イルカの機嫌にもよるが、イルカの動きに合わせて水深15メートルほどの浅地で30分程度のランデブーだ。滞在中、可能な限りドルフィンダイブに参加したが、終わったあとに、不思議な「ほっこり感」に包まれるのが常だった。

念願がかなった高揚感がもたらす気のせいかもしれないが、確かに不思議なパワーをもらったように思えた。

その後、メキシコなどでいわゆるプール状に閉鎖されたエリアでの、ドルフィンスイムを何度か経験した。イルカの鼻先で足を推してもらったり、背びれにつかまってブギーボードのように進んでもらうアトラクションだ。

それなりに楽しかったが、こういう場所で管理されているイルカは、ロアタン島のイルカに比べると、やはり水族館的というか、おおらかで気ままな感じが希薄だったのが印象的だった。

本物の野生のイルカと偶然水中で遭遇するのが私の夢だ。いまのところ、夢は夢のままだ。私の場合、割と頻繁に潜水中にイルカの鳴き声に遭遇することはあるが、姿形は見せてもらったことはない。

ピーピー、チーチーと響くイルカの甲高い鳴き声は、水中という特殊環境では、前後左右上下のどっち方向から聞こえてくるのか分からない。まるで鳴き声に包まれている感覚だ。

声がするといつもキョロキョロしてみるが、彼らは、水平透視度より遠く離れたところにいるか、物陰に隠れてこちらの様子を見ているのだろう。さすがに簡単に姿を見せない。

きっと、彼らが敬遠したくなる“気に入らない奴オーラ”を私が発しているのだろう。もっと修行して、彼らがこぞって会いに来たくなるような雰囲気を漂わす人間になりたい。

2008年3月17日月曜日

ダジャレと変換ミス

オヤジのダジャレほど聞かされる側にとって辛いものはないが、私も年とともにしょうもないダジャレが口から出るようになってきた。まずい。

「トークは遠くでしてくれ」とか「そばのソバ屋にいってくる」とか「代表戸締まり役」とか「休養してたのに急用か」とかロクでもない。我ながら切ないレベルだ。

高田純次ぐらいのレベルになれば許されるのだろうが、一般人の思いつきは、やはり口に出さない方が無難だ。ちなみ、高田純次の最高傑作は「老いては交尾したまえ」。

ダジャレとは違うが、文章を作る仕事をしていると、変換ミスは日常茶飯事。何年か前の、いわゆる変換ミスコンテストで印象的だったのが「貝が胃に住み始めました」というシロモノ。正しく「海外に住み始めました」。

私自身、先日仕事相手に送ったメールで「結構キツイ作業で・・・」と書いたつもりが「欠航キツイ」になっていた。先方から「出張先からだったのですか」と質問されるまで気付かずに恥ずかしい思いをした。

税金関係の記事を作成する機会が多いが、この世界で飛び交う専門用語も結構クセモノで、意外な傑作を見聞きしてきた。

「課税庁」と入力したいところで出てきた文字は「風邪胃腸」。どっちにしてもキツい相手であることは確かだ。

国税組織の役職名に「首席監察官」というものがある。職員の非行や不正を監視するセクションのトップの肩書きだ。これも「酒席監察官」になったりする。ある意味、同意語だが、変換ミスのまま印刷されたら本人のプライドは傷付きそうだ。

税金の徴収という言葉がある。源泉徴収の徴収だ。取りっぱぐれがないように「徴収力」という言葉が使われるが、これは「長州力」になる。彼が差し押さえや取り立てに来たら結構コワいかも。

 そのほか、贈与税と相続税を一体化した制度である「相続時精算課税」が、「争族時凄惨課税」になったり、収入のカーブが大きくなるほど適用税率が上昇する仕組みを表わす「超過累進税率」が「超軽い新税率」、「故意不申告」が「濃い不信国」になったりする。

これ以外にも自営業者の所得税計算で夫人の労働分を経費化する「専従者給与」は「先住者窮余」などに化けたりする。

 ネタっぽいけどもうひとつ。本当の変換ミスでの実例。土地を売却する際にかかる税金は、その土地の所有期間によって、長期譲渡か短期譲渡に分類され、譲渡益に対して税額計算を行う。

この流れで出てくる「短期譲渡益が出る」という表現が変身しちゃった傑作が「短気嬢と液が出る」。よく分からないがチョット怪しげでそそられる。

こんなことばかり書いていると、私の役職である「副社長」が剥奪されて「福社長」になりそうだから、この辺にしておく。

2008年3月14日金曜日

酒場との付き合い方


知り合いに北新地の達人がいる。大阪で夜遊びした際、その移動の早さにビックリした。

次から次にお店を変える。本人曰く、大阪ではそうすることが珍しくないとか。店によっては、ものの10分程度で、「はい、次いこか!」。

一晩で大げさでなく10件くらい行った記憶がある。一緒にいた某代議士センセイは、ある店のママさんからサイン色紙を頼まれ、丁寧に名前以外に書だか詩を書き込んでいたら、一度も顔を上げずにお店を後にしたとボヤクほど。

ちょっとしたお土産を持たせてくれるお店が多かったが、北新地の達人である知人は、それを見越して、もらったお土産を持ち運ばせる係まで待機させて飲み歩く。

夜も更けた頃、女性のいない静かな店に一同で落ち着いた。すると、その晩行ったいくつものお店から、アフターの女性が次々に駆け付ける。それぞれ違うお店の女性陣だが、勝手知ったる仲のようで、知人の歌うカラオケにあわせて全員が共通の踊りと合いの手を披露。衝撃的な体験だった。

夜遊び、クラブ活動といっても、彼の豪快さに比べ、私の動きは、まさに、しんみりまったり。とてもマネできない。

大体、私の場合、夕食をとって酒場に繰り出しても、2件も行けば眠くなってしまう。チョットだらしない。

いわゆる同伴にも積極的ではないし、担当さんがいなくなれば、店客のまま微妙なポジションをキープしようとするし、あまり上等な客ではない。

それならなぜ行くのかと突っ込まれそうだが、あの濃厚な気配に身を置くことが妙に好きなんだと思う。

先日、銀座の「M」でちょっと面白い時間を過ごした。たまたまお客さんが一斉に集中したようで、普段なら混雑時でも使用されない飾りのようなカウンターにもお客さんが座っている。

店の出入り口付近にある小さなソファに座らされた。このソファ、どう考えても装飾用。苦笑。でもここがある意味特等席。まさに出入口に座っているため、一気に引きはじめたお客さんの様子があからさまに見える。

酒場をあとにする男の姿って完全に2種類に別れる。まっとうな店なら、スマートに颯爽と帰って行く男が多い。この「M」なんかは颯爽系が多いが、なかにはトホホな男も結構いる。

意味不明なダジャレをガハハハ叫んでいる男、つまらない文句ブチブチ言っている男、甘えん坊将軍になってダラダラとホステスさんの手を握り続ける男・・・。

店の帰り際ってこんなに差が出るものかと、我が身を思い返しながらとても勉強になった。

シラフの黒服さんや女性陣にアノ姿を見られているのかと思うとコワイコワイ。

やっぱり、飲み終えて長い1日が「一丁上がり」になる瞬間、男の鎧兜は脱げちゃうのだろう。気をつけたい。

酒場との付き合い方を書いていたつもりが脱線した。まあいいか。

特選画像に免じてご容赦!

2008年3月13日木曜日

珍味、魚、肉

最近食べたウマいものを書く。
まずは「のれそれ」。毎年春頃に食べていた記憶があるが、今年は結構早く堪能できた。穴子の稚魚をそのままポン酢で食す。

のれそれって言葉はきっと四国方面の郷土料理系の呼び方なのだろう。割と最近では、東京でも珍しくなくなってきたが、なにより新鮮じゃないと、独特の透明な姿とぷりっとした味わいが楽しめない。

ポン酢にあらかじめ入れておくと、透明な身がシラス干しのように濁ってくるので、別皿のポン酢につけて食べた方が良い。
日本酒との相性抜群。今年の初物、高田馬場にある鮨源本店で味わった。

この鮨源、最近のレギュラーつまみとして抜群なのが、鰻の串焼き。一本でも頼めるので、お寿司屋さんの酒肴にアクセントが加わって効果的。

串焼きといっても蒲焼き状のものを串に刺しているのではなく、写真のようにブツを螺旋状に串刺しにした状態で、炭火でアツアツになって出てくる。中はジューシー、表面はパリっとしており、タレも甘すぎず美味しい。焼酎との相性が最高。

お次は、銀座のお寿司屋さん「まつき」で食べたキンキの塩焼き。この店は、北海道出身の大将が北海道産の鮮度の良い魚介類をこだわって揃えている。

いつもカウンター越しにネタケースに並ぶうまそうな生キンキが気になっていた。その日はひとりで晩酌。キンキを丸ごと一匹頼んだら、他が食べられなくなるから躊躇していたが、比較的小ぶりなものを選んでくれたので塩焼きでオーダー。

小ぶりとはいえ、脂ののりは申し分なく、あっと言う間に骨状態になった。北海道ではキンキの調理法が多様なようで煮る際も、普通の黒っぽいバージョンの他、「湯煮」が結構人気らしい。これは塩ベースのクリアな煮魚で、脂の味が引き立つお吸い物感覚で食せる料理だ。今度はこれに挑戦したい。

「鮨処まつき」では、このほか積丹に近い岩内のタラコが絶品。濃厚で後味が優しい。軍艦巻きにすると海苔がちょっと邪魔なので、海苔なしで普通に握りにしてもらうと口の中が大幸福になる。

和食以外では、六本木のステーキハウス「チャコ」に久しぶりに行った。

ここは30年ほど前の子ども時代に、やたらとドカ食いしていた頃に1キロのステーキを食べた店だ。

私の祖父は私のドカ食いを面白がって、日頃からスイカを丸ごと1個とかチーズケーキをひと丸とかにチャレンジさせた。

こっちも面白がってすべての課題を突破していたが、マクドナルドのハンバーガーを8個クリアした私に課せられた課題がステーキ1キロ。野球少年としてやたらと代謝が良かっただけに、脂の部分だろうが、つけ合わせの芋だろうがドンドン食べ続け、ライスも3枚食べた記憶がある。いまそんなことをしたら即死だろう。

六本木・チャコといえば、いまでも3~4人向けに1キロの肉塊ステーキを提供している。決して安くはない大人向けの落ち着いた雰囲気の店だが、この手の店にしては、気取らず、好きな量を注文できるところが高ポイント。

ステーキはさておき、鴨肉が乗ったサラダが美味しかった。ごま風味のドレッシングも鴨肉にマッチしており、酒のつまみにもってこいだ。

もともと、前菜系のメニューが少ないために、渋々鴨肉目当てにサラダを頼んだが、結構アタリだった。

今風の鉄板焼きも捨てがたいが、古典的なステーキ屋さんの魅力も捨てがたい。

2008年3月12日水曜日

セリーヌ・ディオン


セリーヌ・ディオンを聴きに東京ドームに行ってきた。想像以上のショーに圧倒された。

たいていのものを、つい斜に構えて論評したくなる悪い癖がある私だが、この日のライブはただただ感心。降参。白旗。

少なくとも、私の知り合いの誰よりも歌がうまい(当たり前だ)。あそこまで歌がうまい人は、希少価値という意味で世界的な保護対象にすべきだと感じたほど。

ショーアップされたステージで結構激しく動き回りながらでも、声の乱れは一切なし。あの歌声は楽器以上であり、機械以上の精度と表現していいかも。

声量、声の伸び、表現力すべてが完璧。おまけに「いっぱいいっぱい」ではなく、声の出し方に充分な余裕、余力すら感じられるのに圧倒的なパワーで聴衆を魅了する。

日本向けの企画として若い女性歌手とのデュエット曲を発表している関係で、その曲の時だけ伊藤由奈という歌手がゲストで登場。ちょっと気の毒な気がした。

この伊藤さん、一般的には上手だと思うが相手が格上すぎ。私には横綱相手にわんぱく相撲の少年が闘っている感じに見えてしまった。日本ツアーでの見せ場なのだろうが、この部分だけ違和感。

昨年まで5年近くにわたって、ラスベガス・シーザーズパレスと専属契約を結び、ライブコンサートいうより、エンターティナーショーを展開してきたセリーヌ・ディオン。今回のツアーもショー的要素が多く、見る者を飽きさせない。

ラスベガスのショーは、年間30億円とかの専属契約で話題を呼び、専用のスタジアムまで建設された。結局、合計300万枚のチケットを売り切ったほどの盛況。契約金が安かったという評判まで出るほどビックビジネスとして成功した。

この伝説的なショー、昨年発売された2枚組DVDにその全貌が収録されている。今回の来日コンサート、いまさら行けない人にも、このDVDはオススメ。

ラスベガスでのショーの内容をそのまま収録しただけでなく、舞台裏のドキュメントが非常に面白い。本場のショービジネスの迫力と熱気が垣間見える。

100人近くいるであろうダンサーやパントマイムのスタッフ、そのほかにミュージシャンや大道具、小道具、衣装係、メイク係、誘導担当などにいたるまで想像以上の人数が舞台裏でそれぞれの仕事を緊張感と高揚感の中でこなしている。そこにカメラが密着。セリーヌ・ディオンの動きと共に慌ただしく展開する各セクションを追っかける。

持ち場、持ち場でその道のプロがひとつの目的に向かってキッチリ働いてる姿は無条件に美しい。まさに職場の鏡だ。

それぞれのプロ意識が高い次元で融合して最高レベルの仕事が組立てられていく過程は、そこらへんのドキュメント映画を見るよりも面白く、また数々の示唆に富んでいる。

このドキュメントDVDは、ある日の1日を時系列に追うのだが、それこそセリーヌ・ディオンが自宅を出発して帰宅するまで密着しているため、豪邸なんかもチラチラ見られて楽しい。

ショーに出発するクルマは、当然のようにマイバッハ。前後をリムジンクラスで固められて格好いい。車中では、声帯をしめらす人工呼吸器のようなマスクを装着するなどプロの苦労も垣間見える。ほぼ全裸みたいな衣装早着替えの現場なんかも収録されており、そこまで撮影をさせるプロ根性にもビックリ。

東京ドームに話を戻そう。根っからのファンではない私が魅了されたのだから、コアなファンには堪らない内容だった様子。

しっとり、かつ後半に爆発的に盛り上がっていく独特のセリーヌ節が炸裂するバラードの間は、ハンカチで涙をぬぐっている女性陣がやたらと目に付いたのが印象的だった。

ひとことで表現するなら、まさに圧倒的という言葉しか見あたらなかった。

2008年3月11日火曜日

税務署の目線


今の季節、忙しいのが税理士の世界。言わずとしれた確定申告シーズンだけに、1年でもっともバタバタしている。

税理士とひとくちに言っても、そのタイプや能力はさまざま。経歴による大きな違いもある。

税理士試験を突破して開業する人を試験組と表現する一方で、OBというジャンルも一大勢力になっている。いわゆる国税職員あがりの税理士だ。

国税職員を20何年だか経験すると、一定の条件のもと税理士資格が取得できる。国税OBとか税務署OBとかいわれる人達だ。

数年前、大物OB税理士が脱税で逮捕されるという事件が起きた。地方の国税局長まで勤め上げたノンキャリア組のエースだった人物が起こした犯罪だけに衝撃は大きかった。

事件の手口は、実に幼稚かつズサン。収入の大半を単純に申告しなかったというレベルで、法廷での本人の証言によると「自分には税務調査は来ないと思った」という呆れた内容。

事件そのものと並んで話題になったのが、その収入の凄さ。3億円前後の年収は、一般の税理士からは考えられない金額。数多くの企業からの顧問料や税務調査立会料などが中心だが、1件当りの月々の顧問料金額が3~5万円が相場といわれる一般的な税理士の世界から見たら、「一体どんな仕事をしたらそこまで稼げるのか」という疑念を招くのは当然の話。

もちろん、国税OB税理士が顧問についているからといって、企業が納める税金が安くなったり、調査でお目こぼしがあるというワケではない。そんなベタな話が簡単に通用するようなら税務行政など成り立たないわけだから、そこまで話は簡単ではない。

では、なぜ多くの企業が国税OB税理士に相応の期待を寄せて高額な報酬を支払うのか。

もちろん、漠然とした「アノ先生ならうまくやってくれるだろう」という微妙な期待もあるだろうが、それ以上に“着地点”の判断に期待が寄せられている。

企業の経理処理には、たとえ脱税を意図していなくても、国税から問題アリとの指摘を受けるものがある。これが大企業の何百、何十億円単位の話だと、見解の相違による税金のズレだってウン億円、ウン十億円になりかねない。

税法の運用解釈には、当然、条文だけでは判断が付かないことも多く、税務調査の現場では必然的に折衝や理論闘争がつきもの。その際、国税当局側の視点、傾向などに詳しい国税OB税理士がいれば、落としどころの調整に能力を発揮してくれるはずと企業側は考える。

蛇の道は蛇ではないが、国税の現場が長く、重要セクションの管理職経験があるようなら、「傾向と対策」に長けていることは確かなわけで、そうした税理士を味方につけたいと思う企業が少なくないわけだ。

大企業の経理だけでなく、中小企業でも資産家であろうと、税金問題で悩むからには、「税務署側の視点、考え方」にどう対応するかは重要な問題。通り一遍の税金解説本を読んだところで、イロハのイが分かるだけで、もっと深い部分はあくまで相手方、すなわち税務署、国税局の特性をどう学んでおくかにかかっている。

出版物やセミナーなどでも税金モノは根強い人気があるが、実務上の細かな内容とは別に、「国税の目線」にターゲットを絞った内容のものは少ない。そんな意味で下記のセミナーは、中小企業経営者にとって斬新な内容が予定されているため、興味のある方は、ご参照いただきたい。

http://www.np-net.co.jp/nouzei/doudosemi_vol1/index.html

2008年3月10日月曜日

オールドパー

すっかり定着した焼酎ブームのせいで、いわゆる高級クラブでも芋焼酎が普通に置いてある。いっとき、キープボトルとして魔王あたりの人気焼酎を入れたことがあったが、やっぱり今ではその手の店では洋酒に戻った。

酒場は気分が第一。個人的には、非日常感を味わいたいので、晩酌と同じ酒では気分が出ない。普段あまり洋酒は飲まない方だが、素敵な女性陣がお相手してくれる店では、なんとなく洋酒だ。焼酎は食後酒というより食中酒と思っていることも影響している。

いつも決まって選ぶボトルがオールドパー。
「今更感」もあるが断然オールドパー。きっかけは、今は亡き祖父が愛飲していたから。

祖父はパーじいさん伝説にあやかってこの酒を好んでいた。その昔のイギリスに生きたトーマスパーじいさん。ウソかホントか知らないが、152歳の長寿をまっとうしたとか。おまけに100歳を超えてから、不倫の子をもうけて教会で懺悔したらしい。

おまけに死因は暴飲暴食だったと言うからとてつもない偉人だ。

私はこのパーじいさんにあやかるほど元気がないわけではない。あくまで祖父の面影をたどっているつもり。

ちょっと個性的な香りが病みつきになって、いつもつい呑みすぎる。不思議とクラブ活動以外でオールドパーを呑みたくならないから面白い。条件反射みたいなものだ。

社会人に成り立ての頃、お世話になっている人に銀座の伝説的クラブ「姫」に連れて行かれた。こちらは、お店の名前も伝説も知らなかったので、ただボンヤリ呑んでいたような記憶がある。連れて行ってくれた人にとっては張り合いのない話だったと思う。

帰り際、お店のマッチやらコースターなどの備品をなぜかいっぱい持たされた。お土産にしてはつまらない物を渡されたと思って、帰宅後は無造作に放っておいた。

当時私はまだ実家暮らし。実家の主はその頃70歳ぐらいだった祖父。新入社員である私にとっては会社のオーナー会長でもある。子ども時分から敬語で接していた威厳のある存在だ。

マッチやコースターを目に留めた会長様がギロっとした目で私に言う。
「おまえはこんなところで飲み歩いてるのか」。

こちらは、どんなところかも知らない若造なので、率直にたまたま連れられていった経緯を説明した。

途端に祖父は、柔らくイタズラっぽい表情になって、「姫」について解説してくれた。でも、コースターをちょっと見ただけで、それと見極てたわけだし、解説された内容から察しても、「昭和元禄の頃の祖父と銀座」が想像できた。

オールドパーを呑むとき、そんな思い出が甦って楽しい。

最初に酒で足を取られたのも祖父のイタズラがきっかけだった。

中学生になったばかりの頃だったか、何かのお祝いだかで、家の夕食に結構なご馳走が並んでいた。コーラをがぶ飲みしていた私に祖父は言う。

「こんな料理にコーラじゃ合わないだろう。一杯やってみろ」。魔のささやきだ。

オールドパーを呑んでみたが、さすがにマズい。すると次にコーラにドボドボとオールドパーが投入された。

コークハイの出来上がりだ。甘くて美味しい。子どもでもグイグイ飲んでしまった。

しばらくして、椅子から立ち上がった瞬間に転んだ。完全に千鳥足。酩酊。祖父は言った。
「飲みすぎると足を取られることを覚えておけ」。

実践的な教育だった。オールドパーを呑むと、こんなことも思い出す。

先日、銀座の「S」で、「響21年」がキャンペーン商品になっていたので、オールドパーには悪いけど浮気をした。

クラブ活動以外では、ウイスキーといえば響の17年が好きな私が、それより上等の響に傾くのも仕方ない。実際とても美味しい。

同席していた女性陣もぐいぐい呑む。想像以上に早くボトルは空いてしまった。きっとオールドパーの呪いだ。響のボトル代は浮気の罰金だったのだろう。

すぐに心を入れ替えて「オールドパーの一番安いのちょうだい」と叫んだ。

このボトルはまだまだ空きそうにない。

2008年3月7日金曜日

神田 その田 ふぐ

そろそろ季節も終盤なので、ふぐを食べようと神田にある「その田」にお邪魔した。
神田多町にある老舗で、熟成された風情が漂う店だ。

割烹、お座敷天ぷらも用意しているこちらの店には、公務員倫理規定がやかましくなかった頃、お役人とか永田町関係の人と何度か訪ねた。今回久しぶりの訪問は、私ひとりぶらっと(友達がいない人みたいだ)。

実はこのお店、中学・高校の同級生が若旦那として包丁を振るっている。そんな気安さもあって、思い立ったその足でのれんをくぐった。

初めて案内されたカウンター席がなんとも居心地がよい。神田明神の熊手やら提灯がさりげなく飾ってあり、「正統な東京の料理屋」という空気が濃厚に漂う。

港区にあるようなハヤリの鮨屋が競い合っているような和モダンも悪くないが、古典的なしつらいの安心感は捨てがたい。年齢と共にこうした風情にこそ惹かれるようになってきた。

ふぐという食べ物は、なんだかんだ言っても日常食ではない。最近増えてきたファミレスっぽい大衆向けふぐ屋さんは別として、相応のふぐ専門店に行くときは、ちょっとした高揚感がある。

そんな気分の高まりをもう一歩突っ込んで考えてみると、味そのものだけでない部分への期待感がそうさせていることに気づく。

要は、味以外に情緒を求めているのだろう。ふぐを近代的なビルの中でスタイリッシュな雰囲気で食べたいとは思わない。やっぱり「それっぽい情緒」は不可欠だ。

その点、「その田」はオススメ。
神田という立地がいい。お店の周囲にも神田的空気をのれんに漂わす飲食店がチラホラあって渋い。広々とした幹線道路沿いの路面店ではなく、狭い路地にデンと構えるお店の風情がいい。昭和レトロだ。

玄関を入れば、日本旅館のような雰囲気。忙しく立ち回る着物姿の女性や白い衣装の板前さんの姿が垣間見える。うまいものにありつけそうな気配は、開き戸を開けた三和土からでも感じられる。

カウンター席にポツンと座ってまずはビール。前菜の海老しんじょうと小ぶりの焼き魚を肴にグビ呑み。ほどなく、ふぐ刺し登場。

ポン酢の味わいが、やはり専門店ならではのキレの良さ。薬味ひとつとっても大雑把ではない。勝手な想像だが、こんな仕事ぶりが職人の矜持なのだろう。

そして、やっぱりヒレ酒でしょう。

大サービスだったのかもしれないが、やたら大きなヒレで濃厚なヒレ酒を堪能する。香ばしく炙られたヒレが透明だった燗酒をあっという間に色づける。

ヒレ酒を初めて思いついて試してみた昔の誰かの英知に乾杯だ。

そうこうしているうちに、やってきました白子。白子といえば、頻繁に出かける北海道でしょっちゅう真鱈の白子を味わっているが、ふぐの白子はきめ細かな味わいが極上だ。写真は一口かじっちゃった後。

50円ぐらいの淡泊なバニラアイスとハーゲンダッツのリッチミルクぐらいの違いがある。相当な二日酔いでも、ヒレ酒と白子が出てくれば、黙って呑み続けられそうだ。
繊細かつクリーミーかつ後味はスッキリ。そんな感じ。

その後、ふぐのカマの焼きものを食べた。初体験。癖になりそうな逸品。カマの場所によって付いている肉質はさまざまで、見た目は単純だが、口の中では、あっさり味、ジューシー味、コラーゲン味などが競演する。醤油ベースの味付けもまた、ふぐの旨味を消さない程度の加減で抜群。最高でした。

味と情緒、両方堪能して幸福な気分になった。うまいモノとうまい酒がある星に生まれたことを神に感謝して帰路につく。

銀座に寄り道してから帰路についた。

2008年3月6日木曜日

網走、当りと外れ

網走ネタでブログを3日分も引っ張るのは手抜きだ。でもまた書く。前日の夜に「むらかみ」で珍味と寿司を堪能したのに、一夜明けて、流氷見学をすると、また昼にお寿司屋さんののれんをくぐりたくなった。

訪ねたのは「寿し安」。立派なビルを構える大型店。観光バスもやってくる。一般的に大箱観光用寿司屋にあまり良い評判は聞かないものだが、このお店は正解だった。

昼時とあって、大混雑かと思いきや、団体さんは階上の広間か座敷に収容されているようで、1階のカウンターは個人客がチラホラいる程度。これはのんびり出来そうだと舌なめずりをする。すっかり飲酒モードに突入だ。

生ビールから熱燗、焼酎お湯割りと夜と同じような感じで呑み続けてしまう。旅行の醍醐味は結局、昼間酒なんだと改めて実感する。

相変わらずナントカのひとつ覚えで「内子」を頼む。この店もタラバの内子をルイベ状で出してくれる。不健康そうな美味しさがたまらない。

ボタン海老とキンキをつまみでもらう。さすが釣りキンキの本場だけあって、キンキの味わいが上等。イヤミのない脂ののりとしっかりとした旨味。生のキンキは北海道ならではの味わいだ。

「鮭の切り込み」。昨日食べたニシンの切り込みの鮭版。酒肴としては申し分ない。

続いてウニのイカ和え。両方の素材が上等なんだから混ぜ合わせたら相乗効果は抜群。無言になる旨さ。

そしてエビの塩辛をもらう。痛風への恐怖を追いやって嘗め尽くす。甘エビとボタン海老の頭の部分からミソをかき集めて塩辛状にしている。酒肴に最高だが、どんぶり飯に乗っけて食べてもうまそうだ。隣に写っているのはルイベ状のタラバの内子。珍味類の写真はたいていまずそうに写るが、お味は最高。

そのあとホタテをつまんでから握ってもらう。

牡蠣の握りが印象的だった。普段牡蠣を握りで食べることはないが、サロマ湖産の小ぶりな牡蠣は、軍艦巻きにもってこいのサイズ。小ぶりながら味が濃く寿司飯との相性も悪くない。

生のキンキは、刺身より握りの方がより美味しかった。寿司飯とキンキの脂の混ざり具合がいいのだろう。

鮭の焼き漬けという握りも旨かった。よく分からないが、いわゆるヅケダレにつけた後サッと炙った鮭だと思う。ナマものばっかりのラインナップにちょっと変化がつく。

お決まりのツブ貝、ホッキ貝も握ってもらう。幸せな時間だ。

そしてハイライトがイバラガニの外子の握り。イバラの内子は大好物だが、外子は初体験。内子と同様、オレンジ色に怪しく輝いている無数の卵達。味は思ったほど濃厚ではない。数の子ほどあっさりしていないが、ジュワーっと旨味が広がるというより、プチュと旨さが広がる感じ。

最近、あれこれ変なものまで食べ続けてきたので、「生まれて初めて口にするもの」
が結構少なくなっている。そういう意味では、イバラの外子は純然たる初体験なので有り難い味がした。

真っ昼間から1時間半ほど、しっかり呑んで食べた。お会計して外に出たら、まだ昼だったことにちょっと焦る。酩酊。

その日の夜は、宿で食事。お手軽価格の宿だったので食事は期待していなかったが、ズワイガニと毛ガニが一杯ずつ姿ゆでで出てきた。カニ好きの私はニンマリ。でも味がない。ちょっと残念。

結局、夜の街に出直して、飲み直しを画策。さすがに寿司でもなかろうと、風情のある炉端焼屋さんに突入。しっぽり呑むにはいい感じの雰囲気。

ホッケの焼きものと青ツブ貝の焼きものを頼む。炭火焼でじっくり焼かれて出てきたが、あまり好みの味ではない。正直外してしまった。

前の晩とこの日の昼間に大当たりだった反動だ。流氷もバッチリ見られた。きっと運を使い果たしたのだろう。

そして翌日、朝飯を抜いて、流氷粉砕船に再び乗り込んだ後に、昨夜の失敗を取り戻そうと改めて市内の寿司屋さんに突入。店の名前は「福尚」。

イカの味噌漬けという味噌風味の塩辛とボタン海老をつまみにもらって、またまた昼から飲み始める。悪くないお店だったが、たまたまネタがかなり少ない。イバラガニの内子がかろうじてあったので、結構呑んだが、総合的にこの日は外れだったと判断、満腹にならないうちに、昨日の昼に訪れた「寿し安」を再訪。

昨日旨かったものを一通りおさらい。結構呑みすぎた。

流氷旅行といいながら結局は珍味追求旅行だった気がする。
まだ痛風にはなっていない。
しばらくはあっさりヘルシーな食事を摂ることにしよう。

2008年3月5日水曜日

網走で珍味三昧

足の親指が痛くならないで済んでいるのは、ひとえに丈夫な身体に産んでくれた親のおかげだ。今回の網走でも珍味をどっさり堪能した。

魚卵系に代表される珍味好きな私は、健康診断で一番気にするのが尿酸値だ。半年ごとに標準値の範囲内に収まったり、9.0を超える痛風危険水域に入ったりを繰り返す。

結構セルフコントロールをしているつもりだ。今回の旅行前も、あん肝やら白子、レバ刺し、カニ味噌等々を1週間ほど控えた。
いつも北海道に行く前はこうした涙ぐましい禁欲をする。

網走に着いた日、夜の9時過ぎに市内に出向く。人気のない淋しげな市内の様子に少し不安になる。

人気がない方がじっくり旨いものを食べられると言い聞かせてお寿司屋さんを訪ねた。
店の名は「むらかみ」。
運良く1回転し終わったのか、お客さんはいない。闘いの環境は整った。

東京からはるばる来たこと、北海道でお寿司屋さんで食べまくるのが趣味だということ、珍味系は北海道から取り寄せるほど好きだということ、つまみも握りも相当な量を食べることを、戦闘開始早々からキチンと大将に伝える。

ウジウジしているより、この方がお寿司屋さんも張り切ってくれると私は信じている。この「むらかみ」、清潔で居心地の良いお店で大将の様子もいい感じだ。

まずはタラバの外子。カニの甲羅の内側に付いている卵巣部分を内子と呼ぶのに対し、お腹に抱いている受精卵を外子と呼ぶ。

プチプチジュワーっと旨味が口に広がる。私の中で北海道が始まった。生ビールを駆け付け2杯飲み干してから刺身を少しずつ切ってもらう。

まずはソイ。あっさりしているようでしっかり味がある。クジラも適度な獣肉のような香りがあって食欲を刺激する。続いてクチグロマス。軽く凍らせてある。このルイベ状のマスが良かった。デロデロと脂がしつこいサーモンとはまるで別もの。味が濃く、適度な酸味が残るような後味が癖になりそうな味。そしてホッケ。塩焼きが定番のホッキも鮮度が良ければ上質な脂ののった刺身として熱燗のピッチをあげてくれる。

函館直送のイカも甘くて納得の味。こちらのお店は、刺身類をワサビではなく山ワサビ(ホースラディッシュのようなもの)で楽しませる。山ワサビといえば、イカ刺しにしか合わないのではと思いこんでいたが、クジラにはバッチリ、白身魚、貝類とも相性が良くてちょっとびっくり。

ここで私の大好きな内子が登場。黒紫色に怪しく光るのはタラバガニかアブラガニの内子。オレンジ色に艶めくのはイバラガニの内子。

私の好みは後者なのだが、この店で食べた黒紫は、今まで食べた黒紫系より塩加減が淡く実になまめかしい味。熱燗が進む。最初は軽く凍った状態、いわゆるルイベ状で出されたのでギョッとしたが、ルイベにすることで、日持ちさせるための塩をじゃんじゃん入れないで本来の味わいを楽しめるらしい。深く納得。さすがアブラガニの特産地・網走を実感する。

続いてメフン。これは鮭の腎臓の塩漬け。こちらも塩がきつすぎず、酒飲み感涙の舌触り。熱燗がますます進む。さすがオホーツク、鮭の特産地。

珍味系の口直し(直す必要はないが・・・)で、ツブ貝とホッキ貝をつまみでもらう。それぞれその場で貝から外して供される。おいしい貝はしみじみ甘い。とくにツブ貝が最高。こりこりっとした食感に独特の甘み。熱燗はどこまでも進む。

その後、ニシンの切り込みという酒肴を頼む。小さめにぶつ切りにしたニシンが麹などで和えてある。ニシンそのものの味が深いため、和え物にしても、塩や麹の風味だけでなく青魚特有の香りが混ざり合って、熱燗はとことん進む。

さすがに酩酊気味で、焼酎の水割りに切り替え、つまみを卒業して握ってもらう。

流氷の下で取れたウニをもらう。

流氷の下にあったら獲れないじゃないかと思ったが、流氷の少ない時期にすき間から捕獲するのだろうと勝手に解釈して味わう。味が凝縮している印象。ひと噛み目よりふた噛み目から濃厚な味がぐわーっと広がる感じ。厳寒期のウニならではの奥深い味だ。満点。

「鮭児と時シラズを食べ比べますか」。すっかり打ち解けてもらった大将の問いかけを拒否する理由はどこを探してもない。

いずれも幻の鮭だ。時シラズはその名の通り、季節外れにごくわずかに獲れる鮭で、白子やスジコがない分、上質な脂がのっているのが特徴。鮭児はロシア・アムール川出身の鮭で、1万本に1本程度の割合でしか獲れない希少性の高い鮭。特別大型というわけではないのに全身に上質な脂が回っており、なめらかな味わいが特徴。

偉そうに書いてはみたが、細かいことは知らない。食べ比べた感想は、さすがに時シラズは大型の鮭特有の脂が濃厚な感じで「オーッと美味しい」、鮭児は、もう少し締まった脂の印象で「じわっと美味しい」。

全然伝えられないボキャブラリーの乏しさが悲しい。

ホタテ、タチ(タラの白子)、ボタン海老も間違いのない味。みんな甘い。「甘旨い」という造語を叫びたくなる。

そのあとでアブラの内子を軍艦巻きで握ってもらい、ハイライトは、先に書いたイバラガニの内子の握り。こちらの内子も塩がきつすぎず、内子特有のネットリ感と上質な生卵の黄身のような味わいが口に広がる。

あえて表現すれば官能的な味、エロティックな味だ。(だって卵巣なんだから・・・)。

その他にもいくつか食べた気がするが、酔っぱらっていたので正確に思い出せない。ひょっとするとここに書いた内容も一部記憶違いがあるかもしれない。でも実に満足な時間だった。絶対に流氷に閉ざされていない時期にも再訪したいと思った。

続きは明日。

2008年3月3日月曜日

網走流氷紀行


厳冬の網走に行ってきた。日々反省することが多いので、自ら刑務所の門をくぐりに行ってきた。というはずもなく、目的は流氷見学。

昔から一度この目で見たかったのが流氷。温暖化の影響で見られる機会が減っているそうなので、今年こそはと思って計画。本来は、先々週の週末を利用する予定だったが、流氷がご不在だったので、急きょ延期して先週末に変更。結果は大当たり。

インターネットのおかげで、流氷の接岸、離岸状況はリアルタイムで把握可能。便利な時代になったものだ。先週末は、その数日前に日本列島に吹き荒れた北よりの風の影響で離れていた流氷群が一気にオホーツク沿岸に接岸。環境が整ったので、一路網走を目指した。

女満別空港上空で、除雪作業を1時間も待たされたあげくに到着。最終便だったので夜9時頃にホテルに入り、1件、街なかのお寿司屋を攻めて翌日に備える。

食べたものの話は明日まとめて書こうと思う。

さて翌朝、曇り空だが、明るさは充分。流氷粉砕船「おーろら」に乗り込む前に、朝からタクシーで周辺のビューポイントを訪ねる。

網走から知床に向かうJRの線路沿いにオホーツク海が広がる。海だか畑だか分からないほど白い平原が視界に入る。氷で覆われているものの、降り積もった雪のせいで流氷を実感するほどの立体感はない。北浜駅周辺、鱒浦海岸付近を眺めて、粉砕船ターミナルに向かう。

おーろら号の停泊場所に既に氷は押し寄せており、ウミネコがその上をひょこひょこ走り回っている。いよいよ出港。船はしずしずと走り出す。

沖に向かうにつれ、氷の厚みが増し、船が流氷を砕く音が、ゴワッ、ガリッという感じで響く。船体も揺れたりして迫力満点。双眼鏡で目を凝らすとオオワシやオジロワシといった全長2メートルにもおよぶ、まさしく「猛禽」たちも氷の上で羽を休めている。

防寒対策で荷物が増えちゃったので、当初予定していた300ミリ望遠付きの一眼レフを持参しなかったことを強く後悔する。格好いいオオワシが、あんなにゴロゴロいるとは驚き。小学生の時、図鑑で見て憧れてから初対面だったので、結構感動する。

海に漂う、というか海を覆う氷の大きさは千差万別。光の加減で青っぽく輝く氷がとくに美しい。

「ガリガリ君みたいだ!」近くにいた生意気そうな子どもがそう叫んだので、盛り上がっていた私の気持ちはちょっとしぼむ。それ以来、流氷がどうにも飲食関係物に見えてしまう。しまいには、ブランデーの流氷オンザロックとかを想像し始める。

まあいずれにせよ大自然の神秘。見たことのない人には強くオススメです。1時間ほどのクルージングはアッという間に感じた。暖房のきいた船内からも充分流氷を鑑賞できるが、やはり大半の時間をデッキで過ごした。やはり音や寒さ、風なども大事な要素だ。

下船後、昼食をとってから流氷資料館へ。流氷を見られなかった人が、その不運を嘆くためにあるような場所だが、流氷を充分に堪能した人も楽しめる。

本物の流氷を展示してある零下15度位に設定してある展示室では、濡れタオルを渡され、15回くらいグルグル振り回せと指示される。

真面目にやってみてびっくり。アッという間にタオルはバリバリに凍り、床の上に立てられるほどになった。子ども時分の理科の実験みたいでチョット楽しい。

その後、再びタクシーをチャーターして、一路「能取岬」に向かう。市内から30分弱で着くが、田舎のタクシー30分は、メーターも勢いよく上がり続ける。自分で「オレは富豪記者だ」と言い聞かせ、メーターから目を背ける。

さて、この岬、最高でした。ちょうど太陽が顔を出し、青い空と一面に広がる白く凍った海とのコントラストが実にワンダフル。

岬の突端まで雪をかき分け歩いていくと、高台から360度見渡せる流氷群。実に神秘的で幻想的な雰囲気。船から間近に見る迫力の流氷とはひと味違った美しさに酔いしれる。でもこの岬、とにかく寒くて冷え切ってしまった。

岬を後にしてタクシーの運転手さんに頼み事をする。
「実際に流氷に乗ってみたい」。
日頃、夜のクラブ活動でさんざん手玉に取られている私だけに、オネエサン達を見習って色っぽく運転手さんに迫ってみた。

その結果、連れて行ってもらったのが二つ岩海岸という場所。雪で覆われ、どこまでが砂浜でどこからが海なのかよく分からない。でもゴロゴロ打ち寄せられている固まりは紛れもなく流氷そのもの。

乗っかりました。ロシア・アムール川からはるばる流れ流れて旅をしてきた流氷に乗ってみて大自然の力強さに感動。こういう大自然の驚異を前にすると、日頃悩んでいることが本当に小さく感じられてとても良い。でも現実生活に戻ると、また小さいことで悩み始めるから救いようがない。

その後、宿への帰り道で、凍てつく北海道の冬を象徴するような神秘的な太陽の眺めにしばし見とれる。

翌日も流氷粉砕船「おーろら」に乗船して、一日で雰囲気が変わる流氷をしっかり目に焼き付けて、来年は望遠レンズ付き一眼レフを持ってこようと決意する。

そのあと、おまけで網走監獄博物館へ。多少の悪さはしても、実刑を喰らうほどの悪さをしちゃいかんと心に誓う。

また、北海道の幹線道路の多くが、いにしえの囚人の作業で作られたことを学ぶ。でも、博物館、ところどころに生々しい人形が展示してあって、やたらと不気味。趣味悪し。

いつも通り、痛風覚悟で食べた珍味の話は明日書くつもり。

活字を追って

子供の頃から割と活字を眺めているのが好きで、いまも電車や飛行機での移動には短い距離でも雑誌や本が欠かせない。最近は慌ただしいせいか、じっくりと長編小説をやっつける機会が減ってしまい、雑誌か短編小説など軽いもの専門になった。

家で暇なときは、きまって長風呂。本を持ち込んで、ときにアルコール持参でひきこもる。葉巻は強い香りがこもって大変なことになるので持ち込めないのが残念。

風呂という環境で難しいものは読めないので、サラリとした短編が相棒になる。浅田次郎、重松清あたりがちょうどいい感じ。ほのぼのとノボせる。

旅先のサウナにも、ルール違反だが、小さめの本を持ち込む。先日は、コンビニで購入した高田純次の本をサウナに持ち込み、タオルで一応隠しながら読みふけってみた。

結果、汗ダラダラ、タメ息ぶりぶりのおじさん達を横目にギャハハ笑ってしまい、結構迷惑そうな顔をされた。

読書などという高尚なものではない。何か活字を見ていたいだけで、内容はまったくノンポリ。江原啓之も読む、鹿島茂も読む、白州正子も読む、星新一も読む、司馬遼太郎も読む、東海林さだおも読む。

でも活字を追っている瞬間は、少なくともその世界に入り込んで浮き世を忘れることが出来る。

最近読んだ本で秀逸だったのは、村松友視の「文士の酒、編集者の酒」(ランダムハウス講談社)。酒のうんちくが中途半端に書かれているわけでなく、酒場でのエピソードが中心で、作者の深い観察眼が凄い。流れるような文体もあいまって、いい気分に酔える一冊。

これ以外にも先日、買ったまま読んでなかった本をあれこれ読破する機会があった。印象的だったのは、白川道(とおる)の短編。

ハードボイルド系の作家とは聞いていたが、そっちの分野はあまり興味なかったので、本棚の飾りになったままだった一冊だ。

白川さん(と書いてみても面識があるわけではない。銀座の酒場で何度か見かけたことはあるが、呼び捨ても変なので、さん付けだ)は、過去に投資顧問会社を経営し、バブル時代の光と陰を最前線で見てきた異色の経歴の作家。

いくつか読んだ短編でも、“マネー”は結構重要な素材として扱われる。没落した富豪の葛藤や再興までのあがきなどが生々しく描かれている。市井の人々という素材ではなく、カネと業(ごう)みたいな視点が独特だ。

一応、このブログ、富豪記者とのタイトルなので、浅田次郎作品のスピリチュアルっぽいメルヘンより白川道作品のカネにまつわる権謀術数にサーチライトをあててみた。結構おススメです。でも設定そのものやストーリー展開にちょっと疲れるのも事実。

のんびりとした午後に公園で読むには似合わない。夜更けの書斎でブランデーなどをお供にページをめくるほうが正しい読み方かも。