2008年3月19日水曜日

経営者の報酬について


最近のプロスポーツ選手の年俸は、一昔前よりかなり高額化している気がする。プロ野球界を例にとっても、一部のスーパースターは別として、一般的にあまり馴染みのない選手でも、当然のように「億」をもらう。

夢を売る仕事をしている彼らが通常より高年俸を手にするのは理解できるが、圧倒的多数の観衆を魅了するほどのカリスマでもない選手の年俸まで高騰している感じは、少し違和感がある。

それに比べて、社会的要請や公共的使命なども押しつけられるわが国トップ企業の経営者の年俸は決して高くない。

日本、アメリカ、欧州の大企業を比較すると、わが国の経営者報酬は低水準。日本取締役協会の資料によると、アメリカの売上規模1兆円超の企業経営者の場合、その報酬は約11億1千万円。欧州では約2億7千万円が平均だ。

これに対し、わが国のいわゆるトップ企業の経営者の平均報酬は約8千万円。欧米が絶対とはいわないが、大手企業の経済活動の規模を考えれば、決して高い水準でないことは明らかだ。

わが国の場合、報酬を決定する基盤が、古くからの日本的サラリーマンの姿であることが大きな要因。新卒で仲間入りして終身雇用や年功序列を前提とした組織生活を送り、勝ち抜きレースに残ったものがトップの地位に座る。

根底にあるのは昔のサラリーマンを象徴する固定給重視型の報酬体系。それに加えて、従業員の延長線上に経営者があるという考え方も根強い。

これ以外に、役員賞与や長期インセンティブ報酬などに関する税務上の扱いも見逃せない要素になっている。これらは一定の要件を満たせば、企業の損金にできるが、それなりに経費化ヘのハードルは高く、相対的に経営者報酬を低く抑えることと無関係ではない。

うがった見方をすれば、現状の税制の姿が、頑張って稼ぐことが悪いことのような発想に基づいているため、税制面では「ジャパニーズドリーム」を文字通り夢物語にしている。

結果、フリンジベネフィットと呼ばれる「直接的な報酬以外の付加価値」が増えることになる。陰の給料とでも表現した方が分かりやすいかも知れないが、社用車、社宅、交際費などなど、会社マネーを使った経営者独自の「経済的利益」の部分だ。

年俸2千万円のサラリーマンと年俸1200万円のオーナー経営者を比較すると、表面上は前者がリッチだといえるが、その実態は異なる。

リッチサラリーマンは、住宅ローンやクルマの月賦に追われ、専業主婦の奥さんはぐうたらしていたとする。

対するオーナー経営者は、住宅や自動車が用意され、奥さんは専務として会社に顔を出し、それに見合った役員報酬を得ていたとしよう。

実際の可処分所得は、サラリーマンの方が少ないのは当然。

日本の経営者報酬が海外より安いと言っても、説明したようなフリンジベネフィット次第で、実際の待遇は大きく変わるわけだ。

それでも、海外の高額報酬を考えれば、日本の経営者はおとなしいようだ。やっぱり、成功して儲けたら堂々とすごい金額の報酬を得るという空気が広がった方が自然という見方も出来る。

最近は以前ほどではないが、稼げば稼ぐほど適用される税率がぐーんと上昇する累進税率の存在も見逃せない。それによって、表面的な収入を低くしようという意識が日本の社会に根付いていることも経営者の報酬を低めに設定することに影響している。

その昔、松下幸之助翁は、収入の3割しか手元に残らなかったいう超過累進税率のエピソードを聞いたことがある。最高税率が70%にもなれば当然そういうことになる。

江戸時代の年貢ですら、五公五民とかで、半分は残ったのだから、高度成長期あたりの日本の税制がいかに収奪主義だっか分かる。官僚制社会主義国家と揶揄されるゆえんだろう。

なんか話にまとまりがなくなってきた。要は、日本の社会には、フリンジベネフィットという特徴が大きく存在するという話だ。

大げさではなく24時間すべてが仕事から逃れられない経営者に相応の役得があるのは必然だが、経営者ならではの経済的利益は、税務署から見れば、格好の調査ターゲットになっているのも事実。

二つの財布、すなわち会社名義かポケットマネーかというテーマは、世の経営者にとって大事な課題だ。

日頃から、この手の話のさじ加減は、やたらと耳にすることが多いが、そうしたエッセンスは、経営者向けの税金専門新聞やオーナー経営者向けの限定的なフリーペーパーに盛り込んでいるので、ここでは割愛。

このあたりの知識の差が、経営者のセンスの差になっているような気がする。

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