2008年3月21日金曜日

街の香り

若いころ、10代から20代前半にかけて、街の香りってもっと濃厚だった気がする。
もう四半世紀ぐらい前だから、記憶もあいまいだが、街ごとの色とか空気ははっきり線引きされていたように思う。

新宿、渋谷、原宿、六本木、赤坂、西麻布、銀座…。微妙に、というか明確な違いがあった。遊びに行く自分たちも、どの街に行くかで意識や気構えにそれなりに違いがあった。

携帯電話もなくて、コンビニだって少数、ファミレスやチェーン店の飲食店なんかも今ほどバラエティーに富んでいなかった時代、確かに良い意味で街が平準化していなかった。

銀座なんかお気軽に行ってはいけない気がしたし、同年代の女の子が、たとえ親と一緒にだろうが、銀座で洋服を買ったなんて話をしているとちょっと見上げるような感覚があった。

70年代終わりから80年代初めは渋谷が居心地の良い場所だった。まだチーマーとよばれる種族はいなかったし、原宿あたりは竹の子族とかタレントショップの存在のせいで、背伸びしたい東京人にとっては、微妙な違和感があった。

高校生のころ、渋谷が放課後遊べるなごみの街だったのに対し、六本木は、少年たちにとってチョット背伸びしたい夜の街だった。

はじめてスクエアビルのディスコに行ったのが中学3年のとき。悪友たちと一生懸命大人ぶって出かけた。連れて行ってくれたのは、高校1年生の女子。当時の1つ上って妙に大人に見えた。おまけにこちらは男子校。向こうは女子校だったので、妙に神秘的だったのだろう。いま思えば皆さん変な化粧をしていた。こっちも変な服を着ていた。思い返せば微笑ましい。

いまスクエアビルは、取り壊しを待つ状態のゴーストビル状態。ちょっと感傷的になってしまう。

当時、六本木にあるお店はみんなお洒落に見えた。喫茶店だろうが居酒屋だろうが、そこに集っている人たちが自分たちより年上だったせいだと思うが、なんとなく格好よく映った。

最近、何度か六本木に行く機会があったが、街の香りがものすごく淡白になっていたことが印象的だった。単なる懐古趣味かと思っていたのだが、一生懸命観察してみても印象は変わらない。

ファーストフード、コンビニの数、歩いている人の年齢層がそう感じさせたようだが、知人に言わせると、ドンキホーテの存在が象徴的とのこと。妙に納得。

バブルが終わってから、目抜き通りにパチンコ屋は進出し、ランパブやおっぱいパブが登場した。そのあたりから何となく足が遠のいていたが、それから10年以上たった今、街の香りや臭いは急速に薄れていったように思える。

踊るほうじゃなくて、オヤジが跋扈するクラブも、正直いってキャバクラの攻勢でどうにも中途半端な存在になっている気がする。それなりのキャリアのあるお店に行っても空気がゆるい。

飲みながら、遊びながらでも、どこか緊張感とか突っ張った感じが流れているはずなのに、そうした気配に乏しい。客層のせいなのだろうか、高揚感が強くない。淡白な感じだ。

まあ個人的に古い時代への思い入れが強いので、そう思うのだろうが、的外れなことを言っている気はしない。ちょっと淋しい。

街の香りという意味では、今では下町を目指すか、マイナーな私鉄沿線のディープな場所あたりにしか残っていないのだろうか。

まったく話は飛んでしまうが、ここ10年位の間で、日本中の空港がみんな似たような様子になった。どこに行っても同じような建物の造りで内装も似たり寄ったり、個性が全然ない。ラウンジなんかもみんな一緒。昔がそんなに個性的だったとは思わないが、いまほど均一ではなかった気がする。

東京の街から街ごとの香りが消えていくのもそう考えると時代の必然なのかもしれない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私の生まれた街は、再開発をしたため、もはや地形そのものが激変。生まれて頃の記憶が文字通り、きれいさっぱり消えてしまいました。東京はどこかホノルルと似ているような気がします。ハワイイの人たちは観光客のために、おいしいところを全部提供して、使い古されて、また新しく変化してゆく。東京ローカルは、そういう寛容な心がないと、やっていけないのかもしれませんね。

富豪記者 さんのコメント...

破壊と創造って、ある意味で東京の宿命なんだと思います。古いものが簡単に無くなっていくと嘆いている一方で、もともと江戸期に頻発した大火や大正の大震災や昭和の大空襲などはあまりに大きな変化だっただけにその事実の認識に都民自体がピンときていないような側面もあります。、東京は再生グセがついているMっぽい都市なのかもしれませんね。