2008年12月1日月曜日

言葉狩り

今日は少しばかり持論を前面に出してみたい。

麻生首相のことが好きなわけではないが、最近の失言報道では、少し肩を持ちたくなる。

「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。この発言がマスコミから総スカンを喰らった。

要は、仕事もせず、健康維持に努力もせずに病気になった人の高額医療費は、健康に注意して働いている人間が負担させられているという理屈だ。

確かに表層的ではあるが、世の中の高所得者階層は、少なからず同じような不公平感を持っている。

医療費だけに限った話ではない。税負担が人より多いのに行政サービスに格差はまったくない。おまけに助成だ補助だという話だと、高額納税者は逆差別されて対象外にされる。

例の定額給付金にしても、高所得者への制限が技術的に無理となると、「自発的に辞退しろ」とマヌケなことを言い出す。だいたい、金銭感覚がきっちりしているからこそお金持ちになった人も多いわけだから、そんな人々が辞退などするはずないだろう。

税金や医療費を払っていない人の分は、結局、人より多く負担している人がかぶっているわけだから、基本的に面白くない。

大したことはないが、私だって、そこそこ税金や社会保険を負担している。そこそこと書いたが、自分としては結構な金額だと思う。自分にはね返ってこないのだから嬉しくも何ともないが、国民の義務だからせっせと納めている。

それは仕方ないにしても、払うべきものを払っていないヤツが存在するから気に入らない。

本当の意味の弱者は別にして、ゆるゆるに甘やかされた弱者もどきが多くはないだろうか。所得税の課税最低限だって高過ぎやしないだろうか。

大学を出て、ちゃんと就職をして、家庭も持てて、クルマも買って、マイホームも買えたような人間にも所得税ゼロがありえる。

政策減税や各種控除の拡充で課税最低限のラインがおかしいように思う。いま例えに出したような環境の人って弱者とはいえない。でも、この人が払って然るべき分も、高所得者層が押しつけられている。

子どもの給食費を払わないバカが増えているそうだ。払えないのではなく払わない連中がいっぱいいるらしい。

住所地に結構な税金を納めている私にとっては、自分の子どもを行かせているわけでもない学校の不足給食費の補てんに私の税金が充てられるのかと思うと無性に腹が立つ。

まあ本当のお金持ちなら、そんな細かいことに腹も立たないのだろうが、やはり気分が悪い。

麻生首相の冒頭の発言も、見方によっては正論だと思う。良く言ってくれたと感じた人も相当いることは間違いない。発言のどこが悪いのかちっとも理解できない人だっているはずだ。

先日の「医者は常識がない人間が多い」という発言だって、多くの国民が内心では感じていること。一生懸命鬼の首を取ったかのように批判報道を展開している人間も実際には麻生首相と似たような感覚をもっているはず。

まあ立場上、失言になるわけだが、あまり過度な批判報道は、結局、言葉狩りの風潮を強めるだけなような気がする。

福田前首相が官房長官時代、レイプ事件に絡んで「女性にもいかにも『してくれ』っていうの、いるじゃない?そういう格好しているほうもどうかと思う。男は黒豹なんだから」と発言したことは有名。

事件の被害者には申し訳ないが、一般論として、この見方って、ある意味普通の感覚だと思う。「黒豹」の部分はよく分からないが!?・・・。

政治家の失言に対しては、昔から国をあげて怒りまくるような習慣があるが、冷静に見極めるべきなのは、「発言内容」ではなく「立場」が問われているということ。

「総理大臣として、官房長官として、ナントカ大臣として、“そういうこと”を言ってはいけない」のであって、“そういうこと”を発言する自由を世の中から抹殺するようになってしまってはマズいと思う。

“グータラして病気になったヤツの医療費をどうしてオレが払わにゃならんの!”。
この発言の趣旨自体が否定されるのは、かえってコワい。共産国家じゃあるまいし、あくまで総理大臣が言っちゃうとマズいということ。ここはしっかり区別しないといけない。

ちなみに田母神・前航空幕僚長の論文問題もそうだろう。内容を読んでみたが、騒ぎ立てる話には感じない。ひとつの見方・分析として大いに勉強になる内容だ。問題なのは、あくまで論文発表時のポジションがどうなのかであって、事実、国会で問題になったのもその部分だ。

まあ個人的には、あのポジションで、あの意見を表明したって、ちっとも悪くないと思う。

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