2008年2月25日月曜日

エスパーな私

私はエスパーだそうだ。霊験あらたかな占い師さんが言ったらしい。直接見てもらったのではないが、ひょんなことからその話を聞いた。この占い師さん、四柱推命とか霊視とかをハイブリッドさせた能力を持つ人で、数ヶ月先まで予約が入らないほど人気があるそうだ。

線が細いとも言われたらしい。結構恰幅のいいほう(ちょいデブか?)なのに、そんなこと言われると、寿命のことが心配になる。

寿命はともかくエスパーのこと。
要は、いろいろなことを感じやすいらしい。感じやすいといっても身体ではない(身体も感じやすいのは確かだが)。
感覚のこと。

エスパーとは、難しく表現すると「超感覚的知覚を持つ人」。自分自身にそんな自覚はないが、言われてみれば思い当たるふしがある。

いわゆる霊感みたいなものはあまり感じない。変なものが見えちゃったりすることもない。極めて普通だと思っているが、ちょっと敏感な部分がある(身体のことではない。しつこいか。)。

特定の場所そのものに漂う「気」のようなものに自分なりにアンテナが動く。もちろん、感覚的なもので、気のせいかもしれない。

気のせいと書いてみたが、確かに「気」のせいであれやこれや感じる。でも全然ビジネスの分野では役に立たないのでしょうもない。

感じるといっても、せいぜい「このあたりは気が重い」とか「気がよどんでいる」といった程度。ネガティブな「気」に敏感で、明るい方にはあまり反応したことがない。

以前、家を建てるための土地探しをしていたときは、やたらアンテナが反応した。「なんか、ここに長く居たくない」といった感覚に見舞われる場所が案外多くて、ちょっと困った。

なかでも一カ所だけ、ブラブラ見にいった場所が特別に気持ち悪かったことは鮮明に覚えている。それこそ冷汗が滲み出る感覚で、急いでそこから移動した。普通の住宅街なのに今でも不思議な記憶だ。

特定の狭い場所だけでなく、街全体とか、あるエリアの一角とか、自分にとって苦手な場所は結構ある。軽々しく狭い場所の具体名を特定して書いてしまうのは無責任なので伏せるが、一応の共通点はある。

具体的に言うと、大勢の人の念や情とか業みたいなものが沢山集まっていた歴史を持つような場所。全部が全部ではないが、遊郭があった場所などに空気の重さを感じることが少なくない。

もちろん、自分の知識によってそんな感覚に陥っている部分もあるだろう。遊郭の悲しい歴史を思えば、そこに残った念のようなものは簡単に消えないはずだという思い込みだ。

ただ、知識に関係なくあたってしまったこともある。豊島区内の繁華街から少しそれたある場所。一見、普通の住宅街なのに私にとっては、通りたくない、何となく避けて通りたい狭いエリアがある。そこが戦前に存在した、かなりすさんだ盛り場の跡地だと知ったのは、随分と後になってから。

結構不思議な気持ちがした。

くれぐれも誤解のないように書くが、これらはあくまで、私個人の感覚的なもので、誰かに押しつけたり、共感してもらおうという趣旨ではない。でもきっと誰にでも似たような感覚あるのだと思う。

クルマを運転していても、そこを通るときに何となく気が重い、早く通過したいと思う場所ってあるのではないだろうか。割と同じようなルートを頻繁に運転する場合、たいてい、気分のいい場所と悪い場所は決まってくる。まあそんな程度の感覚だ。

ついでにひとつ。海外だから具体的な名前を出すが、ミクロネシアのトラック島(チューク諸島)に行ったときの話を書く。

グアムから2時間程度で到着するトラック島は、言わずとしれた第二次大戦の激戦地。いまだに近海に沈む無数の軍艦から当時の遺骨が出てくるような悲しい歴史を持つ。

20代の頃、ちょっと変わったダイビングをしようと旅の目的地に選んだ。沈没船ダイビングが狙いだ。

毎日潜るのは、戦時中の沈没船周辺。船体の横っ腹に大きく空いた砲撃による穴から船内に侵入、なかにはゼロ戦が格納されたまま。什器備品もそのまま、飲料用のボトルなんかも転がっている。

水中にいる時間、無意識に身体は緊張していた。何かを感じるというより、畏怖の気持ちに覆われていたような気がする。

水中での怪奇現象の話も事前にいろいろと聞かされていたが、運良く、防空頭巾の女性に足ヒレを掴まれることもなく、ダイバーと並泳する軍服姿の若者を目撃することもなく、ダイビング自体は無事に終了した。

ホテルの周囲というか陸地全体が、私にとっては水中よりも「気」の重さを感じた。

ホテルのバーに入っても、楽しげな空気の一方で何かが違う。うまく説明できないが、息苦しいような、重いものを背負わされているような空気感が濃厚だった。

ひとり旅だったので部屋で過ごす時間も多かったのだが、どうにも水周りのあたりがダメ。何も見えないし、何物かを感じるわけではないのだが、相当気合いを入れないと、洗面台やシャワーがある方に行けない。

そこに近づいても、無意識の自分が必死に自分に言い聞かせる。「絶対に鏡だけは見るな」。

なぜ、そう思ったのかは分からない。自分のどんな潜在意識がそれを指示したのかも分からない。指示というより強烈な命令だったように思える。でもはっきりと自分で分かったことは、その指示に従えということ。

オチが無くて恐縮だが、結局、鏡は見なかった。見られなかったといった方が正しいかもしれない。あのとき、あの部屋の鏡には一体何が映っていたのか、今も気になっている。

その後、旅をめぐる不思議な体験としては沖縄で水中心霊写真を撮影してしまってゴタゴタしたこともあった。でも、何も写さず、何も見なかったはずのトラック島の体験が一番印象深い。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そういう土地に関する感覚は面白いですね。僕は特別な感覚のようなものは持ち合わせていませんが、やはり、ロケで入ったパラオの一角で日本兵が最後の最後までアンブッシュしながら全滅したという岩場とレックではさすがに背中にぞくぞくしたものを感じました。自然に避けたくなったり、涙が出る場所というの、ありますよね。
回向院の前を通ると、いつも涙が出ます。不思議ですね。

富豪記者 さんのコメント...

パラオも確かに気が重い場所でした。日本人ダイバーも割とよく死亡事故を起こすし・・・。やはり激戦地の空気って独特なものがあります。ミクロネシアでは、ポナペという島があり、やたらと美味しいコショウが獲れるところなのですが、ここだけは優しい「気」に満ちていた記憶があります。戦闘はあったはずですが、質が違ったのかもしれません。