2008年2月5日火曜日

京都、浅草、風情とコスト

いきなりだが、空気というか雰囲気、風情に対するコストって絶対に必要だと思う。もともとモノの値段って難しい側面がある。芸術作品なんかその典型だ。絵画や彫刻は、作家の名前が値段の差につながる。無名なままではどんな素晴らしい作品でも飛び抜けた価格は絶対につかない。

陶器集めが好きで、あちこちと窯場を訪ねる。工房見学や作家本人に会おうとしても、やはり事前に情報が収集できるのはそれぞれの産地の有名人に絞られがち。大家と呼ばれるようになると作品の価格は自ずと高額になる。

まあ大家ともなれば、出来の悪いものまで作品として売りに出せない成約もある。取引のある美術商の値付けを壊さないために仕方なくプライス調整をできない側面もある。完璧なものしか売りに出せなければ価格が高くなるのは当然だが、なかには、名前だけで実に微妙な値付けをしている人もいる。

もちろん、名があると言うこと自体が、そこに至るまでの数々の受賞歴や各界からの評価の裏付けなわけだから、何に比べて高いというかは確かに難しい。

私の場合、地元の陶器販売店や料理店などで地元の新進作家を教わって、有望株を訪ねることも多い。一部で有望と言われただけで、既に勘違いしちゃってる作家もいれば、真摯に不器用に作陶を続けている人もいる。不思議と作品にそうした気配は出るもの。ただ、商業的に成功するかしないかは、作風だけで決まるものではない。マスコミへの露出、美術商の引きはもちろん、地元とのしがらみも大きく、「大家」になれる人はごく一部だ。

話が脱線した。モノの値段だ。美術関係だけでなく、サービス業、客商売なども「空気」、「風情」が値付けに影響する世界だ。

天ぷら屋さんでも、揚げる素材、油、供される器、店の造作、職人の居ずまい、仲居さんの接客すべてが合わさって価格が構成される。高い、安いの評価はそこまでひっくるめないと分からないし、受け手の主観で判断は変わるため、絶対的尺度はなかなか存在しにくい。

ところで、「空気や風情」の代表格といえば京都だ。祇園周辺、なかでも八坂神社周辺の雰囲気は、旅人に旅情を強く感じさせる点で日本有数の世界。夜のそぞろ歩きは、あの街独特の魔界的空気も加わって旅人を魅了する。

最近すっかりご無沙汰してしまっているが、祇園・花見小路に何度も通ったお寿司屋さんがある。京都には旅人を京都っぽい風情に浸らせてくれる飲食店は多い。ただ、安っぽいわざとらしい作りの店も多いのがたまに傷だ。その点、このお寿司屋さんを夜に利用すると格別な空気が漂う。店の名は「呑太呂」。

塗りのつけ台と白木のカウンターの間には、小川を思わせるように水が流れる。板前さんはネクタイを着用。ただ、足元には高ゲタという憎い演出。動くたびにその音色がこだまして耳に心地よい。
京都の人がやっているのだから、京ことばは当たり前だが、店の雰囲気と聞こえてくるイントネーション、祇園という立地が旅行者を気持ちよくさせてくれる。

寿司以外にも、冬のかぶら蒸しなどは絶品で、この地の料理水準の高さを思い知らされる。肝心の寿司は、ビックリするようなレベルではないが、充分満足できる。さすがに日本の西側だけあって白身魚は抜群。

特筆すべきは鹿の子と呼ばれる和牛の炙りの握りだ。東京人が牛肉なんか邪道だとか固いことを言ってもはじまらない。単純明快に美味しい。聞くところによると、石原裕次郎や美空ひばりが好んで食べていたのが、この鹿の子の握りだそうだ。確かにああいう人達がバクバク食べていそうな感じの豊かな味だ(どんな味だ?)。

好き勝手につまみを食べて握ってもらって酩酊すれば、もちろんお勘定は安くない。でも本格割烹や料亭に行くよりは安い。食べたものだけを考えれば高いという評価もできるが、私が得意とする「変な解釈」では納得のプライスといえる。

私の「変な解釈」について解説してみたい。まず旅の止まり木としての空気感を気配りで演出してくれる点に○△円の価値がある。そして1年に1回ぐらいしか行かない馴染みといえない私の名前を何人かの板前さんが覚えていてくれて、しっかり苗字をよんで応対してくれる。この部分に○△円、帰り際に高ゲタをならして玄関の外まで丁寧に見送ってくれる点に○△円・・・。こんな感じで積み上げていくとお勘定に納得してしまう。

旅先という魔力が私をすっかり甘口評論家にしてしまう。でも辛口採点ばかりじゃあ旅がつまらなくなるので、それで良し。私の場合、結構旅先では、店にとって都合のいい客だと思う。

先日、銀座のクラブで京都の舞妓さん出身のホステスさんとアレコレ話をした。食べ物の話で盛り上がったついでに、「呑太呂」の話も登場。彼女曰く「あそこは高い」という。

実際はもっと風情のある言葉使いだった。「あそこは、たこうて、よういきまへん」みたいな言い方だった(「あそこ」の「あ」にイントネーションを付けて読みましょう!)。

確かに地元で動いてる人にとっては、京都っぽい空気感とか風情は、日常生活なわけだから、それに価値を見出す私の変な解釈での計算は成り立たない。名前を覚えてもらって嬉しいのも私が600キロも離れたところから来ているからで、地元の人からすれば、「そんなの関係ねえ」の世界だろう。

東京であれば浅草なんかも似たようなものだろうか。浅草も随分ご無沙汰なので近いうちに改めて探検したいのだが、私なら大黒屋の天ぷらを並んで食べようとは思わない。舟和の芋ようかんも浅草じゃなくても買える。それなら六区あたりの濃密な臭いをかぎながらモツ鍋屋の店先で観光客を冷やかしながらホッピーとタコブツを頼んだ方が楽しそうだ。

でもそれじゃあまるで富豪記者ならぬ貧乏記者みたいなので、うなぎの「前川」、てんぷら「中清」あたりのしっぽり系の店で過ごしてみたい。

モノの値段について書いていたつもりが、なんだかまた脈略のない話を書き殴ってしまった。最近どうも自分の文章が地に足ついていない感じで困ってしまう。病気だろうか。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

富豪記者さまの大黒屋と名前は同じ名前で浅草のはずれに素敵な鴨鍋と蕎麦の店があります。表の大黒屋とはかけ離れた小振りな店ですが、ご近所の長老衆が贔屓にしているなかなかの店、一度、暖簾をくぐられてもよいかも。

匿名 さんのコメント...

富豪記者殿
同じ浅草の「大黒屋」でも蕎亭大黒屋の方はたぶん、お気に召すと思います。浅草の裏道にあるこじんまりした店構えですが、蕎麦と鴨鍋、絶品です。また、富豪記者殿のような辛党には、杓文字に蕎麦味噌を盛ってこんがりと焼き上げた「蕎麦焼き味噌」を肴に一献…という楽しみもありそう。富豪記者殿には少々庶民的過ぎるかもしれませんが、一度暖簾をくぐられてもよろしいかと。
狭い店で、地元の旦那衆の人気店なので、予約を入れてからの方がよろしいかと。素敵なおばあちゃんが小走りに働くサマが大好きです。

富豪記者 さんのコメント...

コメント有り難く存じます。是非、まっとうな大黒屋さんにお邪魔したいと思います。小生、曾祖父、祖父が浅草の生まれだったため、子供時分には墓参りついでに界隈を散策し、親近感があります。大人になってからは頻繁には行かなくなり、大人の店に関しては知識不足なので、貴重な情報ありがとうございました。