2008年1月15日火曜日

ナイフとフォークとバニーガール

子どもの頃、有り難いことに頻繁にレストランのマナー教わった。それも銀座あたりのボーイさんが背後で直立しているような堅苦しいレストランに連れて行かれ、窮屈な思いを実践させられた。ナイフとフォークの使い方などは家にいても覚えられるが、高級店の空気感は、その場に行かないと分からない。昭和40年代にそんなことをしてくれた親は結構偉い。でも、前にも書いたように西洋料理好きなわが家では、和食系の訓練に落とし穴があったようで、いまだに私は箸の使い方が下手だ。

昭和40年代頃の小学生時代によく連れて行かれたのが、たしか銀座の三笠会館。休日なのに学校の制服を着せられ、窮屈な気分で食事をしたことを思い出す。食事をしている背後にはナプキンを片手に掲げたボーイさんが立ったまま待機している。落着きのない子どもだったので、その人が気になって仕方ない。つい振り向くと、ボーイさんは、口元だけ緩めるというか口の端だけをつり上げる独特の笑みを魅せる。ボーイさんには申し訳ないが、その表情がおかしくて、笑いをこらえる。

そんな断片的な記憶しかない。何を食べたのかもまったく覚えていない。でも、静かにすべき場所で静かにしていないとマズいということを体験することで覚えたのだろう。

また同じ頃、確か六本木にあったプレーボーイクラブかどこかのバニーガールがいる店に連れて行かれた。このとき、子供心に受けた衝撃は、きっと今の私の変態性にちょっと関係しているかもしれない。

普通は子供など紛れ込めもしない店のはずだが、その日は、確かクリスマスファミリーなんたらの日だったらしく、妖艶な空気はなく、バイキングにビンゴなど健康的に盛り上がっていた。思春期の入口にいるイタイケな私の前を闊歩する大勢のバニー嬢。もうビックリでしょう。胸元に挟んだライターを取り出し、大人の人々に火をつける仕草、お盆を持ってプリプリ歩く後ろ姿・・・。

目が点とはあういう状況を言うのだろう。恥ずかしくて平凡パンチとかを本屋さんで買うことすら出来なかった少年にとっては、興奮することすらできない唖然ボー然の世界。興奮というより衝撃という言葉の方がピッタリだった。

中年になった私が網タイツやガーター系に妙にソソられる原点はきっとあの日だ。あの日、子供心に感じたのは、大人の世界は途方もなく遠いところに存在するという現実。子供にはうかがい知れない世界への畏怖というか、憧憬のような感覚を味わった。

今の世の中、少子化のせいなのか、子供への過保護が目に余る。なんでも大人と同等扱いして、大人と子供の距離感が曖昧になっている気がしてならない。子供にとっての大事なことは、やはり、大人にはかなわない、住む世界が違うという現実を思い知らせることだと思う。大人が大きく見える行動を子供に示すことは大事なことだと思う。

なんか説教じみたことを書き始めたので軌道修正。

それにしてもあの日のバニーガールの衣装が忘れられない。あの日、あまりの衝撃に、大人になったらここで働こうと真剣に思ったほどだった。

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