「ホワイトカラーよりブルーカラーの方が手ごわい」。ある弁護士から聞いた言葉だ。殴り合いのケンカの話ではない。交渉事の対応ぶりについてだ。
法律絡みの紛争時、交渉当事者がインテリであればあるほど、話を進めやすいというのが、その弁護士の持論。難解な用語ひとつとっても理解が早いし、なによりも諸制度の立法趣旨などを感覚的に知っているため、交渉や紛争解決の要点を絞り込むのが比較的簡単だという。
かといって、言いくるめることがたやすいという意味とはニュアンスが違う。あくまで同じ土俵で議論ができる安心感といったところだ。すなわち、「理屈対理屈」という構図にしやすい点で間違いなく交渉がしやすいという感じだろう。
裏返せば、ブルーカラー相手では理屈が通じないということになる。ずいぶん失礼な決めつけだが、誤解のないように説明すると、ここでいうブルーカラーとは、職業の種類などの線引きではなく、「普段、法律解釈などに縁がない人」の総称と捉えていただきたい。
専業主婦をはじめ、日常生活のなかで、“法律的なこと”にまるでタッチしない人々は多い。そうした相手と交渉する際には、「理屈より感情がすべて」なのが現実。
相続という局面を例にとると、遺言が公正証書だろうがお構いなし。「なんでアイツの方が多い」、「オレは認めない」、はたまた「こんな遺言でっち上げだ」ときりがない。それがまた本音も本音、心底そう思っているから大変。公正証書の意味や法的位置付けを理解している人であれば、たとえ納得できなくても「公正証書まで用意されたら仕方ない」という意識が心の奥底に芽生えがち。
直情型の人の場合、公証人だろうが弁護士だろうが民法だろうが、雨が降ろうがヤリが降ろうが関係なし。「絶対ダメ」の一点張り。交渉は進まず、法律的には正当な立場であるはずの相手方が疲労困ぱいして白旗をあげてしまう。まさに摩訶不思議な結末。法律も太刀打ちできないアンタッチャブルな領域が簡単に生まれるわけだ。
理論武装という言葉があるように「知」の力は交渉事では大切。ただし、結果的に「無知」の力が最強になりかねないのだから、世の中は恐ろしい。
2008年1月23日水曜日
無知との遭遇
ラベル: 世相
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