2014年1月22日水曜日

東京っぽさ


生まれも育ちも東京である。郷土愛みたいな感覚は特に感じないが、地元だから愛着はある。だから東京を悪く言われるのは好きではない。

「東京に負けた」とか、そういう言い方をする地方出身の人がいる。他に行き場もない地元民としては勝ちも負けもないから、そんな言われ方をするとビミョーな気分になる。

確かに大志を抱いて上京した人が、志を遂げずに帰郷する時は、敗残兵みたいな気分にもなるのだろう。わからなくはない。事実、そんな人は大勢いる。

でも、帰れる地元があって、そこへ帰ってノホホンと暮らせるなら、無理して東京に固執することはない。東京は人が多くてしょうがないから、ゲンナリした人は地元でノンビリすればいい。

「東京」を意識し過ぎる人ほど、何かにつけて東京の悪口を言うような気がする。東京人からすれば大きなお世話である。東京をちょこっとかじっただけで悪口を言うような人は、田舎に引っ込んでいて欲しい。

悪口までいかなくても、東京が魔物や化物みたいに称されることは多い。歌の世界でもそんな傾向は強い。

長渕剛の「とんぼ」では、♪死にたいぐらいに憧れた東京のバカ野郎が…♪とか言われる。おいおいっ!て感じである。

内山田洋とクールファイブは「東京砂漠」とか言って、この街のことを血も涙もないようにおとしめる。やしきたかじんの「東京」もミスチルの「東京」も、ハマショーの「東京」も似たようなものである。

例を挙げればキリがない。たいてい、東京という街自体が「ヒール役」を担わされている。なんだかなあ~である。

普通に生まれ育った人間にとってはどこか腑に落ちない。地元民にとって東京は単なる地元でしかない。

前振りが長くなったが、今日は「東京の真髄」みたいな話だ。なんか大げさだが、先日の自分の行動がオススメ東京散歩みたいだったので書いてみようと思う。

とある日、有楽町でメシを食べて、銀座で酒を飲んで、新橋近くのホテルに泊まって、翌日、船で浅草に出て、老舗の洋食屋で満腹になって、寄席に行ってバカ笑いしたという1泊2日コースである。

たまたまの流れだったのだが、東京散歩の王道みたいなコースになった。「ちい散歩」や「ゆうゆう散歩」もビックリの完璧さだ。

お台場だ、表参道だ、代官山だ白金だといった先端的要素?のカケラもない場所ばかりだが、ある意味、東京っぽい東京をドップリ味わうには最適なコースかもしれない。

その1泊2日コース、羅列した地名で連想するのはフランク永井とか石原裕次郎とか、エノケン、ロッパあたりか。「昭和丸出し」である。

今さら「有楽町で逢いましょう」などと言う人はいないし、「銀座の恋の物語」だってカラオケで歌っている人を久しく目撃していない。

新橋界隈も、中高年の酔っ払いサラリーマンの聖地みたいなイメージになっちゃったし、浅草に至っては、街全体が文化遺産みたいなものだ。

そうは言っても、これらの街にこそ「東京っぽい東京」が根付いている。観光に来る人もヘタなテーマパークやディズニーなんちゃらではなく、こういうルートを楽しめばいいと思う。

さてさて本題に戻る。酔っ払って夜景を枕に惰眠をむさぼり、朝飯を抜いて小腹が空いた状態で某ホテルをチェックアウト。浜松町の近くにある「日の出桟橋」に向かう。

水上バスに乗って目指すのは浅草である。

隅田川をのんびり下っていく風情が良い。勝どき橋、永代橋、両国橋等々、東京を象徴するような橋をいくつもくぐる。30~40分の船旅だ。すっかり腹が減ったところで浅草・吾妻橋に到着。

朝寝坊のせいで既に昼も近い時刻だ。何はともあれメシである。浅草といえば、天ぷらか?ウナギか?釜飯か?はたまた寿司か?…。

東京のウマいもの屋がてんこ盛りの街だから大いに悩む。でも空腹が限界を超えると、ガッツリ系に心が動く。

で、結論は「洋食」である。これもまた浅草を象徴する食べ物といえるだろう。

この日は「アリゾナキッチン」に向かった。永井荷風もちょくちょく通ったという洋食屋さんである。


まずは生ビールとエビフライだ。揚げたてのエビフライを恍惚の表情でハフハフ口に運ぶ。間髪おかずに生ビールをグビグビ。ワンダフルである。朝から何も口にしていないフレッシュ?な状態で味わうから感度はビンビンである。

さほど大きくないエビが5尾並んでいる。「私達はビールと心中したい!」と叫んでいる。ビールも「オレもあいつらと乱交したいぜ」とささやく。

タルタルソースをベットリつけてガシっと食いつく。間髪おかずにビールをグビっ、レモンをギュッと絞ったバージョンで同じくガシっ、グビっ、続いてはウスターソースでガシっ、グビっ、そして中濃ソースでもガシっ、グビっ。。。

エクスタシ~である。

エビフライを発明した人、タルタルソースを発明した人、ソースを発明した人、皆様に心からの感謝の祈りを捧げる。


その後、タンシチューの登場である。特筆するほどでもないが、正しく美味しい。正統東京料理と言ってもいいかもしれない。

文明開化とともに花開いた、いわゆるニッポンの洋食は、ある意味、東京の郷土料理と呼んでいいだろう。オムライス、ハヤシライス、クリームコロッケ、ビーフシチュー等々。

東京の中の「古都」である浅草周辺に洋食のウマい店がたくさんあることもその証だ。かつては東京一、すなわち日本一の歓楽街だった浅草である。

私が行ったことがある店だけでも「ヨシカミ」、「大宮」、「フジキッチン」、「大阪屋」など洋食屋さんはゴロゴロある。

この街に住んだら1ヶ月で10キロは太る自信がある。

この日は休日だったので浅草中に人が溢れていたが、アリゾナキッチンはさほど混雑していなかったのも嬉しい。

満腹になってブラブラ歩いていたら、有名な観光レストラン?の前に順番待ちの行列が出来ていた。

100歩譲ってもウマいとは口が裂けても言えない店である。ほろ酔いついでに行列に向かって「洋食屋に行きなさい」と叫びそうになったがギリギリでやめといた。

入りたかった甘味処も大混雑だったので、思い立って浅草演芸ホールに行く。最初のうちは立ち見だったが、10分ほどで座れた。


何年ぶりだろう。たまにこんな空間に身を置くことは精神衛生の点ですこぶる良い気がした。何度も何度も声を出して笑った。

テレビで見る機会のない落語家や漫才師にも凄い人材がゴロゴロいることを再認識した。

印象に残ったのは「宮田陽・昇」という極めて地味な名前の漫才コンビ。実に面白かった。勝手に注目しようと思う。

この演芸ホールも昭和の匂いが濃厚で居心地が良い。普段着感覚とでも言おうか。

イマドキの映画館のように快適な空間に改装されたら浅草らしさが失われるから、
ずっとあの雰囲気を維持してもらいたいものだ。

浅草は時々ふと出かけたくなる街だ。死んだ祖父が生まれ育った街だから、その昔、何度も連れて行ってもらった。そんな記憶とDNA?のせいで引き寄せられる感覚がある。

子どもの頃は仲見世で売っている揚げまんじゅうが大好物だった。今では1個だけで胸焼けするようになってしまったが、その代わりに今の私は酒が飲める大人である。中年の図々しさも加わったし、もっとあの街をディープに散策したい。

最近はスカイツリー特需で休日の賑わいは相当だ。ちょっと萎える。桜の頃になったら、ゆっくり平日の昼頃から泊まりがけでブラついてみようと企んでいる。

東京散策を書くつもりが結局、浅草の話に終始してしまった。

まあいいか。

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