2009年2月18日水曜日

惜別

仲間が旅立ってしまった。15年ほど前に社外プロデューサーとしてわが社の業務に関わってもらって以来の仲間だ。仲間というより師匠と呼ぶ方が正確だ。

社外ブレーンとしてだけでなく、ここ何年かは、会社の中枢に陣取ってもらい、いろいろなプロジェクトに携わってもらった。

グラフィックデザイナー、カメラマン、編集者などの経験を土台にした高いクリエイティブ能力が彼の最大の武器。マルチクリエイティブプロデューサーとでも表現するのが的確だろう。

数々の雑誌の創刊に参画したり、外資系企業の日本における広告コントロールを統括したり、はたまた有名レストランやファッションブランドのプロデュースまで手がけてきた。

税務会計分野の専門メディアとして何かと窮屈な因習にとらわれがちなわが社にあって、そんなネガティブな部分でさえもホンネで面白がってくれた。独特な流儀で熱く熱く刺激を与え続けてくれた。

「余人をもって替えがたい」という言葉が素直に当てはまる人だった。

仕事以外でもその博識ぶりはジャンルを問わず、硬軟とり混ぜて何を尋ねても的確な解答が返ってきた。まるで百科事典のような人だった。

文化芸術面にも確かな目を持ち、かたやサーフィンはこなす、ドラムは叩く、何回だって結婚もしちゃうバイタリティーの持ち主でもあった。

こう書き連ねてみるとスーパーマンみたいだが、大げさではなくホントにそういう傑物だった。

すべての文章の末尾が過去形になってしまうことが非常に残念でならない。

つい先日、下版したわが社が発行する経営者向け情報紙「オーナーズライフ」最新号(2月末発行)への寄稿が形に残る最後の仕事になった。

もともと旅行に関連した企画ページをディレクションしてもらっていたのだが、普段は手配師のように裏方作業に徹する彼が、この最新号だけは、珍しく自分で原稿を書くことになった。

それまで彼が執筆した原稿をわが社の媒体に掲載したことはない。いま思えば何か思うところがあったのかもしれない。

内容はハワイの伝統舞踊と先住民の苦難に関するもの。10年ほど前に、彼が制作依頼を受けたテレビ番組用の取材エピソードがベースになっている。

基本になる原稿が形になった段階で病状が急速に悪化。そこから先の進行管理を私が引き継いだ。

原稿自体があがっていれば、進行管理といっても、表現の微修正や分量の微調整、校正作業といった補助的な作業を粛々とこなすだけでいい。特別気負うこともなく作業をしていたのだが、その矢先に彼の時間がいよいよ残りわずかだということを知らされた。

引き継いだ企画ページの最終校正紙を前にさすがに普段以上に神経がピリピリした。時を同じくして最後の闘いをしている彼の原稿は図らずも遺稿になってしまう。

丁寧かつ完璧に形にしたい。一字一句集中して文字を追う私の作業は純粋に惜別の作業になってしまった。

文章を読んだり、文字を追う作業がこんなに切なかったことはない。ついでにいえば、書かれていた原稿の内容は奇しくも、私のような物書き稼業にとって大切な「文字」に関するエピソードが柱。

いにしえのハワイの伝統文化は口伝えで承継されたもので、先住民が文字を持たなかったことが侵入者の専横を許したといった内容だ。そのうえで、だからこそ文字の力、文字を扱う人々の責任は重いという趣旨でまとめられていた。

最後の最後まで、示唆に富んだメッセージを残していくところがニクい。格好良すぎる。やっぱり傑物だ。

いろんなことを思い出しながら最終校正を終えた。その日の夜、彼は旅立ってしまった。

亡くなる1時間ほど前に社員一同が贈った寄せ書きが届き、嬉しそうに何度も読み返してくれたそうだ。

2週間前、彼とのメールのやり取りのなかで私はくだらないグチをこぼした。重い病と闘っていた彼からの返信にはこう書いてあった。

「行きつけの止り木に肩肘ついてリラックスしてみてください。ひとり旅のような気分で!責任をあまり重く受け止めないで、自分を責めないで、あのはぐれ雲のように風と受け流して生きて参りましょうよ」。

彼が亡くなった時刻、私は相変わらず一人で酩酊していた。彼のメッセージを忠実に?守っていた私を、風になった彼はどう思うだろうか。
もう尋ねることは出来ない。

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