2012年3月19日月曜日

ワイ談

これまでの人生で、一体どれほどのワイ談を繰り広げてきただろうか。きっと思春期以降は、人様としゃべった内の3割ぐらいがワイ談だったかもしれない。いや、女性相手の会話なら5割以上がワイ談だったような気がする。

凄いことだ。壮大な話だ。

ワイ談の正式名称は「猥褻談義」である。四文字の漢字にすると何かとても学術的な感じがする。

稲川淳二が怪談ばかり話すように、昔から私はワイ談ばかり話している。そしていつの間にか、夜の街の綺麗どころから変なことを言われるようになった。

「どうして政治経済を語る時と同じ表情でワイ談ができるのか」。

私にとってワイ談は、消費税の増税問題とか年金問題、安全保障問題と同じ土俵にある。ごく一般的な会話のテーマとして存在するわけだから、ことさらスケベな表情になどならない。当然のことだ。

ゲヘヘヘとヨダレを垂らさんばかりに好色な表情でワイ談を語るオッサンが世の中には多すぎる。あれじゃあ異性に限らず男性からも嫌われる。

世の中には一部の例外を除き、男と女しかいないし、あえて言えば、すべての人が避妊しなかった両親のおかげで誕生したのである。セックスを源流・根源とするワイ談を特別視したり、身構える必要はあるまい。

自然体で語ればよいと思う。

そうは言っても、その手の話が嫌いな人もいる。私だって、ピーマンとかセロリを生のまま食べる人の話を聞いたら、その場から退散したくなる。だから、相手によってワイ談の程度もコントロールするのがマナーだろう。

そもそも猥褻とは何ぞや。これは重要なテーマである。

法律上は「猥褻の三要素」が定義されている。大真面目にこれは最高裁の判例だ。

1,いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ

2,かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し

3,善良な性的道義観念に反するもの

うーん、なんだか分からない。

1で規定されているように、「性欲を興奮」させなければ猥褻ではないという解釈も成り立つ。

私が各地で展開しているワイ談の多くが、ドジ話や笑い話であり、相手が興奮するはずもない。したがって、そんな話はワイ談にも該当しないということになる。

うーん、無茶な屁理屈だ。

さてさて、ワイ談に爽やかな印象をもたらすためには、ワイ談相手の顔をイヤらしい顔で見ないことと、その相手の個人的な性癖や経験に踏み込まないことが大事だと思う。

これさえ守れれば、アナタも「ワイ談マスター」である。

そんなもん目指していないか・・・。

その場の空気、聞いている相手によって、ワイ談の引き出しを使い分けることも大切だろう。

江戸期の吉原では、避妊方法として女性の大事なところに梅干しを挿入したとか、家に個室の無かった中世ヨーロッパでは真っ昼間のアウトドアセックスが普通だったとか、文化人類学?的な話題なら、どんな場だろうと問題ない。

他にも例えば「ソリが合わない」の語源など、ウンチクの類も酒場での暇つぶし会話には悪くない。

刀の刀身とサヤの関係に見立てて、男女間の結合部の「抜き差し」が合うか合わないかという意味合いで生まれた言葉らしい。

実にイメージしやすい。まあ、中年になると、柔らかくなって誰にでも「ソリ」が合っちゃうから困ったものではある・・・。

話がそれた。

興が乗ってくれば、文化人類学から離れて、自分のマヌケな経験談に進むのも悪くない。

武勇伝みたいに語ったり、描写が生々し過ぎてもダメだ。あくまでギャグに昇華させないとただのセクハラオヤジになってしまう。

私の恥ずかしい経験談としては、大学生の頃、ひょんなことで女子大生5人と私一人で同じ布団で寝るハメになったことがある。

この話のポイントは私の生理的現象ではなく、脳みそが爆発しそうになったほど錯綜した私の心理描写であり、左手がどうしたとか、右膝でこうしたとか、そんなエゲツない部分はカットすることが大事だ。

若かりし頃、深夜の大人のおもちゃ屋でナゼか店番をしたことがある。これも、どんな商品を試したとかではなく、買い物に来ていたカップルの情景観察とか、あくまで人間観察をテーマに展開するのが、清く正しいワイ談の基本だ。

あんまり書くとどんどんマズい話になりそうなので適当にしておく。

さんざんエラそうに書いてみたが、実際上は、上品な部分だけ語っているつもりでも徐々におかしくなってしまうのが私の悪いクセだ。

ワイ談を聞いていた相手が、私のエゲツない具体的展開なんかを質問してくると、調子に乗ってゲヘヘヘとしゃべり出してしまう。

気付けば、汚いものでも見るかのように私を遠巻きに見つめる人しかいなくなっている。

そんなもんだ。

ワイ談マスターへの道は深く険しい。

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