2010年10月22日金曜日

真面目

最近「真面目なこと」にちょっと惹かれる。子どもの頃から「真面目なこと」にあえて逆らうことがカッコ良いみたいなおバカ行動をとってきた私だが、さすがに人生の折り返し地点を過ぎてからは真面目なことの尊さを実感する。

そう書くと何か大げさな感じだが、真面目路線の良さを痛感したチョットしたきっかけがある。

薬物服用がそのきっかけだ。薬物などと表現しちゃうところがダメだが、このところ胃腸の調子がよいのは真面目に薬を服用し続けているから。ここ数年の中では絶好調だ。

パリエットという知る人ぞ知る飲み薬がある。胃酸を抑える錠剤だ。5年以上前から逆流性食道炎と付き合っている私にとって救いの薬だ。

これまでも頻繁に処方されていたが、数日服用しただけで済ませていた。今回は、胃と大腸の内視鏡検査を受けた9月中旬から一日も休まずに1ヶ月以上飲み続けている。

真面目に飲み続けてみようと決意してから挫折しないで継続中。たかだか1錠の錠剤を寝る前に飲むだけだから、わざわざ自慢するような話ではない。

でも、1日も忘れずに真面目に続けている自分がだんだん可愛くなってきた。

「真面目な僕」。なんか新鮮だし、いい気分だ。

おかげでこの1ヶ月、胸焼けから解放されている。真面目な行動へのご褒美だ。胸焼けを起しやすい黒酢の錠剤も改めて飲み始めた。おまけに脱毛予防の薬もサボらなくなった。青汁もしっかり飲んでいる。いい子ちゃんだ。

でも若い頃ってどうして「不真面目」を目指すのだろう。今思えば恥ずかしい限りだ。キリスト教系の学校に通ったから物心ついた頃からミサに出たり、賛美歌を歌ったりしたのだが、そういう厳かな場面になると決まって悪ふざけをした。

神父さんに泣かれたこともあるし、選抜されてせっかく入った聖歌隊はクビになった。高校生になっても停学になったり、頭を坊主にさせられたり、正門横のマリア像を脚立に上ってゴシゴシ掃除する罰則を何度も経験した。

大学生になっても単位の大半が「可」だったし、サボることが美徳みたいに錯覚していた。朝帰りが続いて祖父から「泥棒稼業にでも入ったのか」と言われたこともたびたびだ。一生懸命やっている友人達をからかったりしていた。若気の至りというか、心底バカだった。実にもったいない。

まあ今でも自分ことを「真面目」と断言するほどの自信はない。若い頃よりはマトモだろうが、相変わらず、不真面目な酒の飲み方もするし、不真面目な話題でバカ騒ぎもする。人が見ていなければタバコのポイ捨てもしちゃうし、なぜか不真面目なおもちゃ屋さんにも出入りする。

ここではその程度のことしか例示できないが、それ以外の悪さも大したことはない。可愛いものだ。一応、刑事事件になるような分野には手を出していない。

待ち合わせ時間はキッチリ守るようになった。運転マナーもすこぶるおとなしくなったし、運転中はNHKのFM放送ばかり聞いている。自宅の玄関に盛り塩を置くようになったし、風水だってほんの少しは気にするようになった。

朝帰りはしないし、休日は良きパパを演じているし、タバコだって自分の部屋でしか吸わない。娘と風呂に入ってもお尻をなでなくなった。

原則として女性にウソをつくことも滅多にない。女性を口説く時はもちろん、“エロ道”を探求する場面になってもいたって真面目だ。いつも真剣に頑張っている。

“不良のススメ”だの“チョイ悪”礼賛みたいな風潮はいつの世にもあるが、あれはあれでキチンと真面目に過ごしてきた人に少しぐらい脱線した方が楽しいということを説いているだけの話だ。

もともとチョイ悪だった人にチョイ悪をすすめたところで大悪人になるだけだし、やはり「ちゃんとした大人」という心棒は守らないといけない。その方が格好良い。

これからも「ちゃんとした大人」として「精一杯真面目に」いろいろな方面?で活躍してみようと思う。

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