2019年11月6日水曜日

京都二人旅




秋の京都にちょこっと出かけてきた。娘と二人旅である。

連休の京都は鬼混みだろうから気が進まなかったのだが、第一希望だった大学に合格した娘の要求である。お祝い気分でぶらぶらしてきた。

連休初日、朝の新幹線も満席。同じ車両に乗っていた人の大半が京都で下車した。大混雑も納得である。

デブ親子は朝から駅弁をドカドカと食べながら無駄話に花を咲かす。高校生の頃から京都に一人旅をしていた父親のヘンテコ武勇伝などで盛りあがる。

私としても感無量である。へなちょこ一人旅をしていた頃の自分と娘が同じ歳になって一緒に京都を散策するわけだから、まさに光陰矢の如しである。



到着後、超メジャーな観光地は避けて人混みが少なそうな場所を選ぶ。まず訪れたのが泉涌寺である。京都駅から遠くないのに人で溢れることも無い。穴場だと思う。

ここには仏像ファンには有名な楊貴妃観音がある。お堂の照明がかなり暗くて細かい様子は見えなかったが、フォルムも美しく彩色も少し残っているところが神秘的だった。



遠目に見ても優美なオーラは充分に感じられた。老後の趣味は仏像めぐりと決めている私にとっては嬉しい時間だった。

冒頭の画像は泉涌寺の奥にある別院の雲龍院での一コマ。抹茶を好きな場所に持ってきてくれる。

庭を眺めてボケっと一服できる。観光客で溢れかえるお寺では考えられないサービスだ。

抹茶とお菓子付の拝観料は900円である。銀座あたりの喫茶店だとコーヒー11000円超えも珍しくないが、それに比べれば破格の値段である。極上の和カフェ状態である。



大石内蔵助直筆の書が飾ってある部屋で庭を眺めながら娘と抹茶をすする。なかなか得がたい時間だ。

死ぬ前に走馬燈のように頭に浮かぶという人生の思い出の一つになりそうな気がした。

その後、駅に向かって歩きながら途中にある塔頭を覗く。観光客でごった返す休日は、有名な寺の関連寺院である小ぶりな塔頭を行き当たりばったりで見て回るのが正しい過ごし方だと思う。

小じんまりした地味な寺にしても平気で数百年以上の歴史を持っているのが京都の凄さだ。覗かせてもらえれば意外な発見もある。

ふらっと訪ねた戒光寺という寺では運慶・湛慶の合作という丈六釈迦如来像に圧倒された。台座を含めると10メートルの大仏だ。



大仏は大味というイメージがあったが、こちらの大仏様は実に味わい深く、かなり長い時間見入ってしまった。

変な言い方だが、地味な雰囲気のお堂に何気なくドカンと置かれている印象だった。鎌倉時代の大作であり重要文化財が仰々しくない様子で鎮座している。

おまけに拝観料は無し。こんな凄い仏像を気軽に覗けちゃうところが京都の奥深さだ。

その後は東福寺の風情を味わったり、イケメン好きの娘のために、東寺の立体曼荼羅の中でもとくに人気の帝釈天像を見に行く。



高校生の娘からすると帝釈天の風貌はイマドキのイケメンとは違うらしく、むしろ不動明王や持国天といったブリブリ怒りまくった顔の仏像のほうが素敵に見えたらしい。

寺めぐりの他には祇園の巽橋界隈の石畳の路地を散策したり、先斗町をぶらぶらして過ごす。個人的に数々の思い出がある街を成長した娘と歩く時間は感慨深かった。

そんな親の気持ちとは関係なく、娘の関心はスイーツである。娘にとって京都旅の最重要事項はそっちである。



この写真は適当に入ったカフェ。二人で4人前ぐらい食べただろうか。よく分からないけどこっちも歩き疲れていたから全部美味しかった。

思いつきで急に行くことになった旅だが、なかなか充実した時間だった。

翌日は大阪に移動。娘が神戸在住のボーイフレンドと遊びに行くとかで、私は日がな一日サウナで過ごす。ちょっと退屈だった。

高校生の頃、男3人で京都旅行に行った際に、私だけが大阪にいる知り合いの女の子と遊ぶために友人達を置き去りにしたことを懐かしく思い出した。

因果応報である。



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