2020年1月10日金曜日

子供っぽく生きよう



50代のオジサマとして生きていると、昔より肩の力が抜けていることを痛感する。良いことだと思う。

思い込みが弱くなったというか、こだわりがユルくなっているのは確かだ。そんなことを実感するのが、はるかに年下の人の話に素直に耳を傾ける時だ。

たとえば35歳ぐらいの頃だったら二十代前半の人の話を聞いても、ハナっから「ケッ、若僧が何を言ってやがる」的な反応をしがちだった。

ああいう反応は自分自身に余裕がなかった表れだろう。40代まではそんな突っ張った感覚があったように思う。

今では何でもかんでも素直に感心しちゃう。30代、いや20代の人の話もフムフム頷いて、素直に参考にさせてもらう。

今の時代は世代間の情報格差が昔より格段に広がっていることも理由だとは思うが、どうでもいいジャンル、たとえばタピオカやバナナジュース、はたまたOfficial髭男dismの話なんかも素直に聞く。

オジサマ族の悪いクセは、自分の固定観念に縛られちゃうことだ。私にもそういう部分は多々ある。それだと気分が新鮮にならないし、どんどん感性が化石みたいになってしまう。

アンチエイジングという言葉は嫌いだ。不自然に若ぶったり、無理やり若者に迎合するのはゴメンだが、ちょこっと好奇心を持って世間を俯瞰することは大事だ。

さもないといろんな感覚が錆び付いてしまう。適度に若僧サマ達の話を面白がる感性は維持したいものだ。

早いもので何度目?かの独身生活になって7年ぐらい経った。仕事ではオッサンとの付き合いしか無いが、独り身だからプライベートではうら若き女性達にあれこれと付き合ってもらうことは多い。

娘が社会人になって自立するまでは、パートナーみたいな人を探すつもりはないし、真面目に恋愛する予定も無い。必然的にそういう人達とはあくまで薄っぺらいお付き合いである。

薄い付き合いでも、世代の違う人達と関わることで参考になる話を聞くことは多い。吸収できることも少なくない。

若僧だから、浅い付き合いだからという理由で勝手に壁を作ってしまえば、興味深いはずの話にもアンテナが反応しなくなる。実にもったいないことだ。

放っておくと自然と老け込んじゃう年齢なんだから意識してアンテナの感度は高めないといけないと思う。

最近、週刊誌で読んだ阿川佐和子さんと東海林さだおさんの対談が興味深かった。

東海林さんが御年82歳ということにビックリしたが、さすがに今も毎週のように風刺漫画を連載しているだけあって、感性がとてもフレッシュだ。

「近頃の若いヤツらは・・・」「イマドキのヤツらは・・・」という若者批判の声を聞くと、今でも自分が批判されている側に該当している気分になるらしい。

良い意味で年寄りという自覚がないみたいだ。立ち位置や目線という点ではわざわざ老け込む必要はないわけだから、東海林さんの思考法は中高年世代も大いに見習いたいものだ。

また、東海林さんは大人が忘れてしまった子供の必死さ、真剣さに学ぶべきという趣旨の持論を展開する。

ブランコをこぐのも死に物狂いだし、身体中に全エネルギーを集結させて絶叫するし、何をするにもバカみたいに必死だ。東海林さんはその姿勢が羨ましいと主張していた。

確かに年齢とともに周りとのバランスばかり気にし始めるのが普通の人間だ。それが結果的に人生を退屈にし始めている点はあるのかもしれない。

考えてみれば、子供って常に「我関せず」みたいに予定調和とは無縁に生きている。人と話が噛み合わなくてもヘッチャラだ。単純明快という点で、一面的には人生の達人なのかもしれない。

子供っぽいと言えばネガティブな意味だが、中高年にとっては前向きな意味合いにもなり得る言葉かも知れない。

人様に迷惑をかけない程度に、子供っぽく生きてみようかと思う年の初めである。





1 件のコメント:

  1. 富豪記者殿

    こんにちは、ご無沙汰しております。

    今回のお話、深く同感しました。

    歳をとって良かったな、と思うことはこれですね。3−40代の頃は周囲を気にして「侮られてはいけない」あるいは「自分は独自の存在感を出さなければ」という気持ちから柔軟さを失っていたと思います。今は知らない世界に対して素直に無知を認めて話を聞いてみる余裕が出てきました。

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