2020年2月17日月曜日

追悼ノムさん 昔のパリーグ


カネヤンに続いてノムさんも亡くなってしまった。今年は高木守道も亡くなった。プロ野球の往年の名選手の訃報は淋しい。

星野仙一もいない、衣笠もとっくに天国に行ってしまった。昭和の野球少年人とっては感慨深い。



今日は昔の人の固有名詞だらけだが、内容を考えて敬称抜きで書きます。

長嶋茂雄が引退する頃に野球に熱中し始めた少年の頃の私は、当時の野球選手の一挙手一投足に目を奪われた。

テレビに映るのは巨人戦ぐらいだからセリーグの選手は画面で見られた。でも、パリーグの動向は新聞やニュースでチョロッと紹介されるだけだった。

子供の私から見ると、まさに謎めいた世界だった。そのパリーグでロッテを率いたカネヤン、南海を率いていたノムさんといえば、子供心に恐そうなオッサンだなあという印象だった。

西武ライオンズが創設された頃、選手としては晩年のノムさんがメンバーに加わった。あの頃既に40歳を軽く越えていたノムさんの動きは俊敏とは程遠かった。

西武は新球団だったが、看板である東尾や田淵は既にベテラン。そこにノムさんまで加わったわけだから、寄せ集めみたいなチームだった。その後の黄金期が信じられないような草創期だった。

パリーグといえば、張本が打って福本が走って、鈴木敬示や山田久志が投げ、カネヤンは誰かを蹴っていた。

スマートじゃない野武士みたいな選手ばかりだった印象がある。阪急の長池、米田あたりは記録は凄いのに知名度は無かった。実に気の毒だ。

Amazonプライムのオリジナル番組「プロ野球そこそこ昔話」をご存じだろうか。漫才のナイツが司会で、金村義明がサブ司会みたいなポジションで、2030年前の野球界の裏話を展開する番組だ。



全部で15回ぐらいのシリーズだが、毎回、ややディープなゲストがトークに参加して、ほぼずっと野球そのものからは脱線した話ばかりが繰り広げられる。

元近鉄の栗橋茂、元広島の高橋慶彦、元ダイエーのカズ山本など濃い面々のヘンテコ話や武勇伝がやたらと面白いので、野球好きな方には強くオススメする。

巨人の左のエースだった高橋一三もパリーグに移籍した途端にパリーグの人みたいな顔に変貌した。逆に巨人に移籍してきた張本はすっかり優等生の雰囲気を醸し出し始めた。

速球王としてバリバリだった阪急の山口高志の顔もごっつくて、セリーグの速球王だった中日の鈴木孝政のシュッととした風貌とは異質だったことを思い出す。



白仁天というコワモテの選手もいた。ロッテの主力打者で、その後、韓国に戻ったら姦通罪か何かで刑務所に入ったというオチまであった。

南海時代の江本のヒゲもパリーグ的だったし、ロッテの村田兆司や有藤の顔なんかも、これぞパリーグ顔といった風情だった。

かの江夏豊だって、選手時代後半のあのオッソろしい雰囲気はパリーグという舞台だからこそ輝いたように思う。




いまでこそスタイリッシュな感じの日本ハムのユニフォームも、かつては信じられないぐらいダサかった(ゴメンなさい)し、西武に身売りする前の太平洋クラブライオンズのユニフォームのヘンテコぶりも衝撃だった。

あの頃、パリーグの試合は信じられないほど観客がいなかった。ちなみに北海道に移る前の日本ハムの本拠地は後楽園球場。巨人と一緒である。とはいえ、巨人戦の年間指定席を持っている人には日本ハムのチケットもタダでついてくるという状況だった。

私の祖母が後楽園の年間指定席を持つほど熱烈な巨人ファンだったので、オマケでついてくるニッポンハム戦のチケットを持って、時々観戦に出かけた。当然のようにガラガラだから横になって見ていたことを思い出す。

平成に入ってからのプロ野球界の変貌ぶりは驚異的だと思う。パリーグの球団も経営努力の結果、満席も普通のことになった。

いま思えば昭和の球団経営って何だったんのだろう。実に不思議だ。パリーグの猛者たちがふてぶてしい風貌で野球に取り組んでいた背景にはいろいろな大人の事情もあったのだろう。

昭和50年代あたりの野球の話を書き始めるとキリがない。このテーマで意気投合するオッサンと酒を飲んだら朝まで延々と議論できそうな気がする。

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