寿司屋のカウンターで一人しっぽり過ごすー。若い頃に憧れた大人の姿だ。いま思えば何でもないことである。わびしい独り者の私にとっては日常の姿だ。
しっぽりというよりグッタリのほうが今の私の姿としては正しいかもしれない。若い頃の憧れって結局は単なる幻想に過ぎないと痛感する。
多くの店が休業や時短営業になったことで、私の寿司屋通いも変わった。普段使っていたいくつかの店も休業や営業スタイルの変更でフラっと行けなくなってしまった。
テイクアウトや宅配だとちょっと違う。店のカウンターでのんびり一献傾けながら、ちょろちょろツマミを楽しみ、腹加減や気分に応じていくつか握ってもらうのが寿司の楽しみだ。
こんな時期でもその点は我慢したくない。とはいえリスクは避けたいから営業中でおまけに混雑していない店を探してウロウロすることが増えた。
今は夕方早めに仕事を切り上げることが多いから、17時ぐらいからのんびりカウンターに陣取れる店を探す。
昼から夜まで通しで営業している店ならなおさら有難いのだが、なかなかそういう店は少ない。
築地界隈でもわが家に近いエリアに大箱系のお寿司屋さんの本店が隣接するように存在する。「築地玉寿司」と「すし鮮」だ。
両方とも昼からの通し営業である。早い時間にフラっと入っても普通に好き勝手に飲み食いさせてくれる。今の時期はそんな事実だけで有難い。
いわゆるチェーン点のお寿司屋さんである。いっぱしの寿司通を気取って過ごしてきた私にとっては何となく敬遠してきた世界である。
とはいえ、昨年あたりからこのエリアの大箱系チェーン店の「すし好」に何度か行くうちに、こうした店の良さも分かってきた。私のこだわりや思い込みなど大した意味があるわけではない。
思えばここ20年ぐらいの間に寿司の世界は随分と変わってきた。ウマくて高いのは当たり前、店主と客がまるで教祖と信者みたいなノリの店もある。
客の好みに関係なく「おまかせ」のみで営業している「?」な店も珍しくない。そんでもって一人3万だの4万だのと凄い値段である。そんでもって信者がネット上でそんな世界を大絶賛する不思議な世界が生まれた。
そりゃあウマいものが安くないことは分かるが、ちょっと常軌を逸している気がする。
気の利いたツマミを4~5品もらう。酒を2~3合飲む。握りを8~10貫食べたとしよう。量としては充分だ。
さて値段を考えてみよう。
ツマミも握りも一つ1000円と仮定する。平均1000円はかなり高い見積もりだ。高級路線の店という仮定になる。
単純計算しても2万円がマックスである。実際はツマミの中に枝豆や塩辛的な手軽なものがあって、握りの中にはイカやアジ的なさほど高くないネタも入るだろうから、2万円まではいかないのが普通だ。
なんだか当たり前のことをグダグダ書いたが「一つ1000円」という前提を「一つ400円」ぐらいに設定したのが、いわゆる大箱チェーン店系の相場感ではなかろうか。
確かに高級店といわれる店に比べればオヨヨって感じのネタもあるが、大量仕入れの利点もあるから下手な個人店よりも上等なネタもある。
大箱店だからカウンターで向き合う職人さんによる差が大きいとか、細かいことをいえばマイナスな部分もある。でもトータルでは“寿司屋でゆるゆるやりたい気分”を満たしてくれるわけだから有難い。
「築地玉寿司」「すし鮮」ともにここ2ヶ月の間に何度か訪ねた。支店の多くが休業している影響だろうか、いつも初顔の職人さんと対峙するのはご愛敬ではある。
それでも、どこもかしこも暖簾を下げている時期にワガママな寿司飲みが出来ることは私にとっては大いなる喜びだ。不安定になりがちな気持ちが救われているといっても大袈裟ではない。
世の中の休業状態が終われば、きっと他のお寿司屋さんばかり行くようになってしまうだろうが、「このご恩は忘れません!」って感じである。
大箱店における、気を使わなくていい感は、実は日本人に合っている気がします。スタバが流行るのも似ているかも。でも、そればかりというのは、さすがに味気ないですが。
返信削除コメントありがとうございます。
返信削除確かにスタバとかドトール、プロントみたいな安心感はありますね。
一つのジャンルとして欠かせない存在だと思います。