7年ぐらい前に「高倉健が教科書だった」という話を書いた。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/11/blog-post_26.html?m=1
訃報に接していろいろと思い浮かんだことを書き殴ったわけだが、今度は「田村正和」である。享年77。希有な大スターがまた一人この世を去ってしまった。
いまさら「田村正和さん」と表記するのもピンとこないので、あえて「マサカズ」と書かせてもらう。
訃報を伝えるメディアは古畑任三郎の話で持ちきりだったが、私にとってマサカズは古畑任三郎ではない。究極の近寄りがたい二枚目俳優というイメージである。
私が高校生の頃、浅丘ルリ子と共演していた「土曜日曜月曜」というドラマにハマった。さほど話題にならなかった番組だが、マセガキだった私はマサカズの世界観にシビれた。背伸びしたかった私にとってキザなセリフしか口にしないマサカズがただただカッチョ良かった。
悪く言えばキザ過ぎる。神がかったキザだ。逆に言えばこの世に存在しないほどのカッチョ良さだった。スターという存在は身近なものではなく、あくまで非現実的なものだとすればマサカズは大スターだった。
コミカル路線もこなすようになる前のマサカズはちっとも親しみやすい感じではなかった。孤高の二枚目だった。
高倉健が、いわば男が惚れるカッコ良さだったのに対して、マサカズの場合は、男がイライラするカッコ良さだったのだろう。
子供だった私はイライラするよりも純粋に二枚目の振る舞いを少しでも吸収したかった。必死に画面のマサカズに憧れ見つめた。もはや私のヒーローだった。
1ミリも実践できなかったが、当時はマサカズが二枚目路線を目指す大人の教科書だと思って何かと参考にしようと思っていた。
私がいまも膝下丈のロングコートしか着ないのはマサカズの影響である。あの独特の髪型の襟足の部分をマネしようかと模索したこともあったが、まだ実現できていない。
その後、世の中は超絶的な存在だったマサカズに嫉妬して、彼をお笑いのネタにし始める。モノマネの格好の素材にされ、気付けば「テメレメセケズ」になってしまった。
「テメレメセケズです」。誰もが低い声でそう口にすればマサカズのモノマネが完成する。ぜひ試していただきたい。私もマサカズのモノマネをこれまで100回以上はしている。
この前の日曜日、予定のなかった私は丸一日を「田村正和の日」と決めてずっとマサカズの出演作を見ていた。
上の画像は上2枚が40代前半、下2枚が還暦の頃のマサカズだ。
40代前半のマサカズはギラっとして危険な香りがする。還暦過ぎのマサカズはさすがにちょっと疲れているが、それはそれで別次元の渋さが漂う。
次に載せる画像は20年ほど前の「さよなら小津先生」というドラマでのシーンだ。エリート銀行マンから転落したマサカズが腰掛けのつもりで始めた高校教師として活躍するドラマだ。高校生役にまだ無名だった瑛太、森山未来、勝地涼、水川あさみが出ていた。一気に全話見てしまった。
この頃のマサカズも素敵だ。成熟しきって達観の境地に近づいている。すべてに余裕を感じる。50代をこんな雰囲気で駆け抜けたマサカズを改めて尊敬した。見習いたい。
かつてスターといえば、自分がなりたくてもなれない人間を演じてくれる存在だった。石原裕次郎は無敵で太陽のような存在、高倉健は義理と仁義を寡黙に守り、渥美清は正直一本で世間体を気にせず放浪してくれた。
マサカズしかり。視線一つで女性を虜にして、立ち姿だけで女性を夢中にさせた。普通なら恥ずかしくて言えないような愛の言葉をキザに語ってくれた。
ケンカが強い、頭が良い、能力が高い等々、テレビ画面やスクリーンで格好良い男が描かれる場面は多い。そんな設定や背景にまったく関係なく、ただ画面に映っているだけで格好良い男といえばマサカズをおいて他にいなかった。
男なら誰もがそうなりたいと思っても決してなれない色男を見せてくれた。
いま、あれほどの格好良さを演じられる俳優はいない。不世出のスターと評しても大袈裟ではないと思う。
ドラマ「ニューヨーク恋物語」で発したセリフを載せてみる。
「愛が欲しいのか? 愛が欲しいなら俺のところには来るな。 俺は愛を与えられるような人間じゃない」
皆様、あの音色を思い出して頭の中でそのシーンを甦らせてみてください。シビれます。こんなセリフを違和感なく言ってのける俳優はマサカズ以外にはいない。
やはり田村正和も教科書だった。高倉健という教科書もそうだが、結局、教科書ってちゃんと学んだつもりでも、なかなか身につかないものだ。今からでも復習して残りの人生に活かせるようにしたい。
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