このところ頻繁に子供たちに会っている。これって幸せなことだ。ダウン症の息子はともかく、二十歳になった娘も私に対しては反抗期もなく育ってくれた。
かなりの甘甘父ちゃんとして過ごしてきた成果?なのか、たまたま運が良かったのかはよく分からない。私が憧れた昭和の父親像のような威厳みたいな雰囲気はカケラも作り出すことができなかったが、いまさらそんな路線は似合わないし結果オーライである。
先日、夏恒例の”元家族旅行”に行ってきた。箱根・仙石原にある東急ハーベスト系の「翡翠」に2泊の小旅行だが、ちゃんとした父みたいな顔で過ごしてきた。
ダウン症の息子はもう14歳になるが、まだまだ無垢なままである。私より濃いスネ毛を誇示する癖に幼子のような面があって親をほっこりさせてくれる。いまだにシャボン玉ですら真剣に堪能するあたりが何とも面白い。
私自身、純粋さをいつまでも忘れないようにしたいなどと考えているが、ヤツの純粋さには逆立ちしても敵わない。発達の遅さを嘆くこともあるが、それよりも純粋さに時にハッとさせられることが増えた。しょっちゅう何かを教えられたような気分になる。
箱根も東京と変わらない暑さだろうと思っていたが、仙石原あたりはかなり涼しく、夕暮れに息子とハードな散歩に出かけた際も案外気持ちよく歩き回れた。蝉時雨の中をあてもなく散歩できたからよいリフレッシュになった。
部屋付きの露天風呂をぬるめの温度にして息子と一緒に遊んだ。風呂で遊ぶおもちゃまで買い込んで出かけたのは正解だった。水鉄砲で風車を回したり実にベタな遊びに精を出してみた。意外に楽しかったのでこっそりウチでも一人でやろうかと考えている。
別な日、娘がわが家に遊びに来た際に夕飯を作ってくれた。子供に食事を作ってもらったのは人生初である。ちゃっちゃと作ってくれたのは「そぼろ丼」だ。
大げさに手の込んだ料理をいくつも作ってもらうよりも、一人暮らしを始めた娘がしっかり自立し始めていることを感じられるような日常食だったので、こちらも構えることなく普通のノリで普通の顔をしてウマいウマいと食べた。でも心の中は嬉しさで涙チョチョギレ様態だった。
私の感覚では割と最近?まで私に肩車をされて喜んでいた娘である。手慣れた感じでささっと食事を作ってくれたわけだからそれだけで感激である。親バカ丸出しだが、親バカになれること自体が私には幸せだ。
なんだか単なる親バカ話になってしまった。いろいろと心情を書き連ねたらキリがないほど書いてしまいそうだから適当にしておく。
気が狂いそうに暑い日ばかりで、おまけにコロナは一向に収束する気配がない何ともやりきれない日常が続いている。嘆き節しか出てこないような日々だが、個人的には子供たちのおかげで救われている。
娘さんがそぼろ丼を作ってくれるなんて、自然な感じが理想的です。泣きますよね。
返信削除コメントありがとうございます!
返信削除普通の様子を装おってましたが、心の中で号泣でした!!