いまや国民食となったのがラーメンである。ラーメンが嫌いな人を見つけるのが難しいぐらいだ。昭和の頃は醤油、味噌、塩ぐらいで今のように百花繚乱状態ではなかった。つけ麺だって「つけ麺大王」だけが異質な雰囲気で存在していたような気がする。
当然のようにちょくちょく食べるが、私はひょっとするとラーメンがあまり好きではないのかもしれない。必ずチャーシュー麺やらパーコー麺といった具材が主役みたいなものを注文する。
単なるラーメンというメニューをお店で選択した記憶がない。具材無しでも食べるのはウチで時々作るサッポロ一番ぐらいである。
冷やし中華はナゼか具材無しで麺だけでも嬉々として食べるのだがラーメンとなると勝手が違う。我ながら不思議だ。
某日、友人が勧めてくれたチャーシュー麺を食べに東京駅のラーメンストリートを訪ねた。ラーメン屋さんの密集地帯だ。職場から徒歩圏だからラーメン好きなら頻繁に行けるのだが、確か過去に一度しか行っていない。
「ひらこ屋」という煮干しがウリのラーメン屋さんのチャーシュー麺である。なんとも見た目が美しい。チャーシューが物凄く好きな私は興奮してしまった。
とはいえ、チャーシューは確かに美味しいのだが、あまりに薄っぺらい。パっと見はチャーシューだらけで嬉しかったのに食べてみると薄すぎるから男心をくすぐらない。
肝心のラーメンも非常にサッパリしていて私には物足りなかった。ベトベトの気持ち悪いコッテリラーメンよりはマトモだがちょっと爽やかすぎる感じ。
トータルで満足出来なかった私はその足で別な店に突入してしまった。あと数年で還暦を迎えるオジサマがラーメン屋をハシゴするのは無謀なのか英雄的行為なのか。きっと後者だろう。
2軒目は「玉」という店だ。これまた煮干しラーメンの店だったが、私は煮干し系はどちらかといえば好きではない。でも店前メニューのチャーシューの画像に惹かれて「チャーシュー濃厚とろりそば」なる一品を選んだ。
チャーシューが薄くないのが良かった。チャーシュー麺の2連チャンという偉業?に自分の精神状態が心配になったが、頭の中がチャ-シューに占拠されていたから仕方ない。肉を中心にバクバク食べた。麺をちょっと残してしまったのが普通の人みたいで良かった。
結局、私はラーメンを食べたいわけではなくチャーシューのトッピングとして麺を楽しんでいるみたいだ。もっと言えば「口の中に麺だけがある状態」が好きではないみたいだ。
後日、自宅でチルド麺の味噌ラーメンを食べた時も口の中が麺だけにはならないスペシャル仕様にしてみた。画像では分かりにくいが巨大ドンブリに麺は2玉、スーパーで売っている刻みネギを全部投入、メンマ、ザーサイもドッサリ。そして炒めた豚肉である。
生姜焼きロースロース肉を200グラムである。塩コショウと適当なステーキソースで軽く味付けしてラーメンの上にドカンと鎮座させた。ボリューミースペシャルである。
豚肉をかじりながら麺もすする。ザーサイだらけの麺をすする。メンマまみれの麺をすする。ネギまみれにした麺をすする。これの繰り返しである。最後まで口の中が麺だけになることがなかったことが幸せだった。
ラーメンの美味しさを日夜追求している全国のラーメンファンに対して申し訳ないような気持ちになった。でも私にとってラーメンの麺はもはやメンマやザーサイと同じような位置付けに近いのかもしれない。
ふと想像してみた。美味しいラーメンスープにメンマとザーサイとその他に煮卵やネギだけ入っていて、そこにウマいチャーシューがテンコ盛りになっている一品があったとする。たぶん私は麺が無くても満足してしまうだろう。
チャーシュー麺ではなく「チャーシュー汁」。世の中を敵に回すようなそんなメニューが用意されている店があったら行ってみたい。ダイエットにも最適だろう。
ヘンテコな結論ですいません。
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