アッという間に年末になった。オッタマゲである。年々、時間が経つスピードを早く感じるようになった。1年がアッという間ではなく2年、3年前のこともつい最近だったように感じる。
こんな感じで凄いペースで年老いて死んでいくのかと思うと毎日毎日を無駄にしてはいけないと殊勝な気分になる。でも結局は無為に日々を過ごしている。そんなもんだろう。
先日、夜遅くに疲れて帰宅したら娘に「顔にラメが付いてるわよ」とビミョーな指摘を受けてたじろいだ。娘はきっと幻を見たのだろう。今後は顔の表面にも気をつけないといけない。
まあ、老け込まないためには時にはラメにまみれる?ことも必要だ。生きている限りあらゆる行動にはすべて言い訳が付いて回るから何とかごまかしていこう。
さて、時間に対する感覚の話だ。時の経過を早く感じるようになったのは中年以降である。10年前にはこのブログで既にそれについて考察している。
川のほとりの歩き方
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/12/blog-post.html
月日の流れを川の流れに見立てた話だ。川の流れはいつも一定であり年月の流れも同じ。ただ、川のほとりを歩く人間は加齢とともに歩き方が遅くなり、昔のように歩いているつもりでも川の流れが速くなったように感じるわけだ。
置いてきぼりみたいな例えだ。何だかシャクにさわるが、考えてみればただ単に置き去りにされているわけではない。
若い頃は前だけを向いて黙々と歩いていたが、年齢とともに目に入る景色に足を止めたり佇んで沈思黙考したりすることが増える。その分、人生という歩みの中に深みも加わった。。。はずだ。
いわば視野の広さがもたらした現象かも知れない。若い頃とは比べられないほどいろんなものが見えるようになったから、川がどんどん流れていくことに意識が向きにくくなる。きっとそういうものだろう。
アンチエイジングという言葉を使いたがる人の気持ちも分かるが、私は若い頃に戻りたいとはまったく思わない。視野の狭かった自分を思い返すとゾッとする。若者時代に対しては「ご苦労さま」という感覚しかない。
もちろん、もろもろタフだった肉体面は取り戻せるなら取り戻したいが、総合的には今のほうが断然良い。疲れやすいし目はかすむし生き物としての劣化は着実に進んでいる。ちょっと激しい行動をとったらすぐにヨレヨレになっちゃうのは困ったものだ。それでも若い頃より今のほうが快適だ。
先日のバンドライブの翌日も全身がバテバテで難儀した。30代の頃に草野球で完投した時よりも疲労困憊だった。基本的に座って歌っていただけなのに情けないことである。
あちこちが筋肉痛になったのも切ない。飛んだり跳ねたり踊ったりしたわけでもない。きっと無駄に全身に力が入っていたのだろう。やはり意識して鍛え直さないと今後の暮らしにも影響しかねない。
30代の頃、かなり年上の知り合いにヒマさえあれば体を鍛えている人がいた。驚いたのがその理由だ。「セックスのため」。ただその一念だけで日頃から鍛えていると真顔で話していた。
若かった私には考えつかない発想だった。異常な好色家だと思って小馬鹿にした記憶がある。本気で頭がおかしいのではないかと思ったのだが、自分がその歳になってみると彼の気持ちがちょっと分かるようになった。
川の流れから話がだいぶ逸れてしまった。でも時の流れについて考えるとイヤでも自分の「今」を意識してしまう。まだまだ終了には早いが、それでも確実に人生後半戦の真っ只中だ。一日一日の充実を目指したくなること自体がその証である。
「あなたが無駄に過ごした今日という日は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった明日」。そんな言葉をよく耳にする。まさにそうなのだろう。分かってはいるのだが、なかなか毎日を充実させることは難しい。
せめて毎日を楽しい気分で過ごすことを目指そうと思う。「1日1回は声を出して笑う」。自分の中でそんな目標を立てているのだが、来年からは「1日1回は爆笑する」に修正するつもりだ。
実現したら間違いなく幸せな1年になることは間違いない。
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