♪きっとキミは来な~い♪
山下達郎の「クリスマスイブ」である。いつの間にか国民的師走楽曲となった。
先日のニュースでは「史上初の4年代トップ10入り」だと報じられた。80年代、90年代、00年代、10年代それぞれでベスト10入りしたとか。
あの曲が収録されていたアルバムは1983年夏に発売された。当時の若者にとってバイブルのように普及していた。高校生だった私も良く聴いていた。
その後、クリスマスシーズンにシングルカットされ、だいぶ経ってからJRのCMソングになって爆発的に広まった。
30年である。30年前といえば、携帯もインターネットもパソコンも無かった。今とはまるで違う世相だった。
いまなら「ちょっと行けなくなった」とショートメールが来て終わりだ。「きっとキミは来ない」などと悶々と哲学的に悩む必要も無い。まさに隔世の感がある。
当時30歳でこの曲を聴いていた人は現在60歳である。60代といえば、忠臣蔵で赤穂浪士に殺される吉良上野介ぐらいの年齢である。
そう考えると凄いことだと思う。
なんだっけ?何を書こうとしていたのだろうか。山下達郎のニュースに触発されて勢いで書き殴ってしまった。
そうだ。月日が経つのが早くなった話だ。最近は時の流れが加速度的に速くなったように感じる。ここ数年、物凄いスピードで時間が過ぎていく。
つい2~3ヶ月前にNHKの紅白で美輪明宏の熱唱を見た気がするが、もう1年が経ってしまった。
年齢とともに時間の経過が早く感じられるのは脳の働きがそうさせているらしい。
ところで、月日の経過を早く感じるのは時の流れを「川の流れ」に例えると分かりやすい。何かの本で読んだ受け売りである。
川の流れはいつも一定で、年月の流れも同じだ。川のほとりを歩く人間は体力の衰えとともに歩き方が遅くなり、昔と同じように歩いているつもりでも川の流れが速くなったように感じるという話だ。
フムフムである。確かにそんな気がする。
ついでに自分なりの解釈を加えてみる。
川のほとりを歩く体力が低下しただけでなく、若い頃よりも色々なものに目が向くようになったことが歩くペースが落ちた原因ではなかろうか。
若い頃は狭い視野しか持たず、ただ真っ直ぐに脇目もふらず歩いていた。周りを見る余裕も無く、ただただ前に向かって歩いていた。
年を重ねるごとに川のほとりに咲く花や遠くの眺めに心を奪われたり、足を止めてしばし考え込む場面も増えてくる。だから若い頃より歩む速度が緩やかになったのだろう。
歩くのが遅くなった分、見えるもの、聞こえるもの、感じることが多様化していく。それこそが人としての教養や嗜み、深みみたいなものだと思う。
我ながらなかなか良い分析だ。
というわけで、含蓄のある男を目指すためには、今後も寄り道や回り道をしないとならない。ああ大変だ。
今年は私自身、生き方の「転進」のために区切りをつけた年だったから、さっさと新しい年を迎えたい。まさしく「忘年」に精を出したい感じだ。
とか言いながら散々飲みまくる12月になりそうだ。気をつけようっと。
ちなみに、忘年会という概念は、年の終わりの宴会という意味だけでなく、「年齢差を気にせず相手の才能や人格を尊重して親しく交わる」という意味もあるそうだ。
そっちの意味の「忘年会」のほうがいい。年の瀬の忘年会は何だかせわしないし、翌年の課題を突きつけられている感じで空恐ろしい。
年齢差を気にせず交わる意味の「忘年会」なら年柄年中やっていたい。自分自身の刺激になりそうだ。
若いオネエさん相手に合コンでもするか。などと、相も変わらぬ自分の煩悩太郎ぶりに呆れている。
まあ、煩悩を消し去ったら、人間なんて枯葉みたいなものだから、適度な数の煩悩と面白おかしく付き合っていきたい。
適度な達観と煩悩を愛でる気持ちの融合。これが課題である。
なんだか書いていることが、すっかり年末モードである。いかんいかん。まだオヤジバンドのライブもあるし、クリスマスも控えている。
ユンケル買いに行かねば。
2013年12月2日月曜日
川のほとりの歩き方
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