姪っ子が来年からフランスに行くらしい。大学の交換留学試験に受かったとかで、1年間リヨンで学ぶそうだ。
ほんの15年ほど前に頻繁に遊んだ姪が、いっちょ前の顔して海外暮らしをするんだから、私の老化が進行するのも仕方がない。
リヨンは美食の街として有名だ。姪っ子の激励という大義名分でブラブラ遊びに行くことになる気がする。
留学といえば、私が中学を卒業する頃に「母親から海外留学したけりゃ行かせてやるぞ」と言われたことがある。
色気づいてきた頃である。東京での遊びを覚え始めて楽しい盛りだったから、せっかくの話を真剣に考えることはなかった。
あの浅はかさが何とも残念である。あの時、大志を抱くような真っ当な精神を持った少年だったら私にも違う人生があったのかと思うと複雑な気分だ。
でも、当時、アメリカあたりに留学していたら変な薬物を吸いまくった転落人生だったかもしれない。真面目に過ごしてもジャンクフードの嵐で体重150キロぐらいのオッサンになっていたかもしれない。
やはり、歩んできた人生は積極的に肯定しようと思う。
さてさて、姪を訪ねにヨーロッパに行くなら懲りずにスペインに足を運びたい。この前の旅行では、スペインでの食事が妙に口に合ったから次回は純粋にドカ食い旅行をしたいと思っている。
都内にもスペイン料理の店は無数にあるが、これまでまったく縁が無かったから、ちっとも知らない。
座席の間隔がゆったり目でメニュー豊富で美味しくて、ついでにタバコも吸えるスペイン料理店はないものだろうか。
イタリアンやフレンチもそうだが、一部の高級店を除くと、西洋料理の店の多くが小さくて狭い。窮屈な空間が苦手なので、なかなか足を運ぶ機会が無い。
結局、勝手知ったる和食の店で焼酎片手にクダをまく日が相変わらず続いている。
画像は、銀座の小料理さんで食べた肉豆腐、高田馬場のお寿司屋さんで作ってもらったコハダとガリと大葉を混ぜたやつ、そして銀座の寿司屋で出てきた卵ブリブリトッピングのボタンエビとウニである。
こういうものを目の前に置いてクイクイ飲んでいると、つくづくドメスティック万歳?という気分になる。
寒くなった途端に身体が要求する燗酒を手にしながら、このてのツマミをちょびちょび楽しむ喜びは日本人の特権である。和食が世界遺産になったみたいだが、そんなのは至極当たり前の話である。大げさに喜ぶまでもなく「そりゃそうだ」と悠然と構えるのが正解である。
そんなことよりも、気の利いた酒肴で晩酌するスンバラシイ風習は、贔屓目ではなく世界に誇る日本の文化だと思う。
「ドメ男」である私としては、この真理は譲れない。たとえ厳しい尋問や拷問を受けても譲れない(拷問されたらすぐに自説を曲げると思う…)。
とにかく、食べ物に関して私が「極右」であることは確かなようだ。
リヨンがどうした、バスク地方がどうした、はたまた食は広州に在りとか言われても、アンキモやカラスミや白子なんかで熱燗をすする組み合わせが世界のホームラン王だと確信している。
この画像、中途半端な構図でスイマセン。デロデロに美味しくて顔付きまでデロデロになるアンキモを撮影したかったのだが、向こう側に鎮座するキモをたっぷりくるんだカワハギも同時に画像に収めたくて失敗した。
冬場はそんな連中が私を誘惑しまくるので日々ウットリである。痛風が心配だが、痛風にはならないと決心しているので大丈夫である。
「病は気から」である。何事も気合いだ!とアニマル浜口先生も言っていたから強い気持ちでいれば痛風にはならないはずだ。
ツマミばかりではない。しっかり食べたい場合、すなわち「かっ食らう」気分なら、天丼サマやカツ丼サマといったヘビー級も和食の世界には控えておられる。
和食の世界は実に繊細で多様な技を駆使する奥深いものである。その一方で、どんぶり飯に具材を載っけてガッつく「丼文化」も根付いているところが「日本メシ」のニクいところだ。
もちろん、天丼サマやカツ丼サマにしても豪快にドンブリ飯に具を載っけただけのように見えて、実際には、それ専用のタレがあったりするから決して単純ではない。奥の深い世界である。
さてさて、ドンブリ、タレ、ときたら「お重サマ」にも触れないわけにはいくまい。
日本橋の鰻屋さんで堪能したウナ重サマである。絶滅危惧種である。将来は食べられなくなるかもしれない。今のうちにしっかり食べておきたい逸品である。
平たく言えばご飯にウナギが載っかっただけである。ところが、ウナギをこの状態に仕上げるまでの苦労、芳醇な風味のタレを作り上げる苦労など、陰に隠れた先人の叡智、受け継がれてきた技など、これぞ日本文化の極みである。
書いてるだけでヨダレが溢れて私のデスクの上は大洪水状態である。一両日中にかっ食らいに行くことを決意した。
結局、今日も何を書きたかったのか分からないままだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿