私が若い頃は自分より上の世代で流行っていたことに興味を持つのが普通だった気がする。歌や映画、社会現象に至るまでリアルタイムでは知らなかったことを知りたい欲求が強かった。たぶん多くの若者に共通していた意識だと思う。
私が若い頃には既にオジサンだった石原裕次郎や加山雄三、はたまた森繁久弥の若い頃の映画を面白がって観たり、グループサウンズのバンド名を覚えてみたり、自分の記憶には無い三島由紀夫事件やら浅間山荘事件やらよど号ハイジャック事件なんかに興味シンシンだった。
ちょっと上の世代の流行や出来事を知っていることが格好いいことのように思えた。それなりに“学習”することが結構楽しかった。一種の「背伸びしたい心理」がそうさせたのだろう。
「イマドキの若者は…」などと言うつもりはないが、ここ数年、若い人と話していても彼らの世代とは無縁の昔の話をまるで知らないことが多くて驚く。先日は「館ひろし」を知らない20代の人がいてビックリした。
「踊る大捜査線」のことを知らない若者もいた。我々世代からするとごく最近のヒット作に感じるのに世代間格差は想像以上みたいだ。
若者の間で「背伸びしたい心理」が薄れてきたのだろうか。昔と違って有り余る情報の中から自分が興味を持つ情報だけを取捨選択できる時代になったことを反映している話だと思う。
かの名作シリーズである「北の国から」はもちろん「太陽にほえろ」なんてまるで知らない。私が若い頃はかつて「七人の刑事」や「時間ですよ」「キーハンター」といった大ヒットドラマがあったことぐらいは知っていた。
話は脱線するが、この画像は友人から送られてきたもの。ネットでの拾い画像だと思うが「太陽にほえろ」を夢中になって観ていた中高年世代にとっては一種の衝撃画像である。
あんなに大貫禄だったボスや山さん、長さんの年齢がこんなにも若かったとは。ゴリさんだって青年である。今は江口洋介や織田裕二が50代後半、福山雅治でさえ50代半ばだ。時代とともに年齢感覚がこうも変わるとは驚きである。
さて、話を戻す。
大人達と会話するためにも漠然と「ちょっと昔のこと」は知るのは当然だと思っていた私からすると今の隔絶された感じは何となく切ない。自分がそれだけ高齢者側に寄ってきたことを突きつけられているみたいである。
その一方で昭和歌謡や80年代Jポップを好んで聞く若者が増えているそうだ。ただ、その感覚の根っこは昔の事を知りたいという好奇心からではなく、単にその楽曲が新鮮だという理由からだとか。
年末の紅白で桑田佳祐が同級生ミュージシャンとのコラボ曲を披露したが、世良公則がかつて「ツイスト」のボーカルとして一世を風靡したことやチャーが一時期アイドル的に歌謡曲を歌っていたこと、はたまた佐野元春の存在自体を若者が知らなかったとしたらあのコーナーは意味不明だ。だとしたらシュールな話である。
「沢田研二」も若者の間では想像以上に知名度が無い。まさに大スターだったのに時の流れは早い。イマドキのギャルだったらまずジュリーのことを知らない。「ギャル」という言葉を一般化させた功労者?なのに変われば変わるものである。
https://www.youtube.com/watch?v=e_R3yTZ0anA
それにしてもこの歌の歌詞は今になって聴くと物凄くヘンテコだ。金縛りに遭いそうなほどのインパクトがある。いつもタバコを片手に歌っていたのが懐かしい。何とものどかな時代だった。
結局、今日も懐古趣味みたいな話に終始してしまった。年末年始に昔の歌番組なんかをYouTubeで見過ぎてしまった後遺症かもしれない。
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