2023年2月15日水曜日

東京の消えゆく味


気付かぬうちに変わってしまった味は意外に多い。土着的?な東京の味の多くもいつのまにか絶滅寸前だ。真っ黒い汁の中ですぐに切れちゃうようなフニャフニャなうどんなどその代表だろう。

 

あのうどんが美味しかったかと言われればビミョーだが、お目にかからなくなると妙に懐かしい。黒っぽい天ぷらしかり。今は関西風というか淡い感じのはかなげ?な天ぷらが主流だ。

 

先日、荻窪の実家からほど近い蕎麦の名店「本むら庵」に久しぶりに出かけた。その昔の暴飲暴食時代には蕎麦の盛りが少なすぎて欲求不満ばかり募ったのだが、私も今や爺さん予備軍だ。蕎麦の量もさほど気にならなくなった。

 




そうはいっても、この日は一品料理の他にせいろと田舎そばと天重まで食べたから充分食べ過ぎである。蕎麦の美味しさは期待通りだったが、十数年ぶりに食べた天重に妙に感動した。「これぞ東京の味!」と叫びたくなった。

 

何よりも黒い色が郷愁をそそる。見た目から想像するほど味は濃くない。ちょうど良い加減だ。衣も適量、揚げ加減も文句なし。下手な天ぷら屋の天丼より遙かにウマかった。

 



 薄~い衣で「抹茶塩でどうぞ」などと言われる天ぷらが苦手な私には最高だった。せいろや蕎麦がきはあえて酒の肴に追いやってメインとしてこの天重を味わうのが最高のパターンかもしれない。

 

さて、天ぷらの色だけでなく昔の東京の味はとにかく塩加減が強烈だった。東京というか関東に共通する傾向だろう。梅干しにしても焼き鮭にしてもヘタすると塩の味しかしなかった。

 

そりゃあイマドキのマイルドな味に変化していくのも当然かもしれない。でも失われてしまうと淋しいのも確かだ。時折ふと昔のバカみたいにショッパイ梅干しが恋しくなる。

 


 

飲み屋で梅干しサワーを頼む際は、2杯目、3杯目は注ぎ足しにして崩した梅干しをどんどん蓄積させていくのが流儀である。蜂蜜付けの梅干しばかりの昨今では今ひとつ味がパンチに欠ける気がする。昔の梅干しを使って注ぎ足しで4杯目ぐらいの梅干しサワーの味を想像すると無性に飲みたくなってしまう。

 

この画像のイクラも味が変わってしまったものの一つだ。今はイクラといえば醤油漬けばかりだ。昔は塩イクラが普通だった。中高年世代の東京人ならまず間違いなく子供の頃に覚えたイクラの味は塩イクラの味だったはず。

 

個人的には醤油漬けも好きだが、昔ながらの江戸前寿司の店で塩イクラが出てくると感動する。シャリと一緒に味わうには醤油漬けのほうが相性が良いのかもしれないが、イクラだけをそのまま日本酒のアテとして食べるなら塩イクラに軍配を上げたくなる。

 




タラコもいつの間にか明太子の勢いに押されてマイナー勢力になってきている。これもまたうどんや串カツや天ぷらなどの分野で顕著な「西からの攻勢」にやられてしまっているのだろう。

 

明太子に恨みはないが私の少年時代にはアレは九州みやげでしかなかった。変に辛いし普段食べているタラコのほうが断然ウマいという思いは今も変わらない。

 

お寿司屋さんを例にとっても明太子は常備していてもタラコは置いていない店のほうが多い。実に淋しいことだ。軽く炙ってももちろんウマいが私の好きな食べ方は生のままで酢に浸して味わうパターンだ。

 

人に勧めても不評のことが多い。こればかりは実家の祖母が食べていたわが家流の味だから仕方ない。でも生タラコ酢って絶対に美味しいと思う。ハマる人が増えることを祈っている。

 

続いては卵焼き問題である。東京人にとって卵焼きは甘いものだ。好みは人それぞれだから甘くない卵焼きを否定するわけではない。でもいつのまにか出汁巻き卵のほうがエバっているような気がするのは私だけだろうか。

 



お寿司屋さんで最後に食べるタマゴも甘いからこそシメとして成立すると思う。出汁巻き卵をシャリ抜きでドンと置かれても嬉しくない。甘い卵焼きの握りじゃないと私はイヤだ。

 

ウナギも気付けば「西からの攻勢」で蒸さない直焼きを出す店が増えているが、東京の人間としては蒸してフジャフジャになったウナギこそ正統なものだと確信している。

 



それはさておき、鰻屋さんに行ったら外せない「う巻き」である。関東風の鰻屋なのにう巻きの卵焼きが甘くないことがある。個人的にはかなり落胆する。

 

出汁巻きでう巻き、何ともビミョーだろう。好みは人それぞれだから私がここでブツクサ言っても仕方ない。でもう巻きは甘い卵焼きで仕上げて欲しいと切に願う。

 

時代遅れの東京人の主張かもしれないが、日々そんなことを考えている。

 

 

 

 

 

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