突然だが幸せのキーワードは「1・5倍」にあると思う。「ちょっと多い」ではなく「しっかり多い」のが1・5倍である。ちょっととしっかりの差は大きい。
収入が1・5倍だったらかなり嬉しい。1.2倍だったらちょっとしか嬉しくない。牛丼の肉も同じだ。1・5倍だったら満足感は増す。2倍3倍も嬉しいが、そうなると少しだけ罪悪感が頭をよぎる。
私はオッパイ星人ではなく、昔からお尻フェチなのだが、それでもいざ“試合”の際に相手のオッパイが普通より1・5倍だったらガン見する。結構嬉しい気分になる。そんなものだろう。
話を戻す。もう30年以上前になるが、スーパーカップの1・5倍シリーズが登場した時はちょっと感動した。シケシケな量のカップ麺が不満だったから救世主に思えた。
1・5倍幸福論に改めて気づいたのは「イクラの手巻き」がきっかけである。軍艦巻きのイクラの握りも幸せな味がするが、手巻きで食べると一層ハッピーになる。
お寿司屋さんに聞いたところ手巻き寿司は普通の握りの1・5倍相当だという。軍艦なら一口でなくなるが手巻きなら一口かじった後にもまだイクラもシャリも海苔も手元に残っているから改めて味わえる。これが幸せの源だろう。
これが小肌の握りやかっぱ巻だったら話は変わる。キュウリなんかが1・5倍で出てきたらちょっとイヤだ。あくまでイクラやウニみたいなネタだと有難いが、大半の寿司ネタは普通サイズのほうが間違いない。
私がイクラやウニを愛しているからそういう感覚になるのかもしれない。人によっては中トロ1・5倍握りに感涙するかもしれないし、海鮮居酒屋あたりだと穴子一本握りみたいなビッグサイズも存在する。好きな人からすれば何でも1・5倍だと幸せになれるのだろう。
自宅で頻繁に冷やし中華やラーメンを食べる。たいていのチルド麺は一袋に麺が2玉だ。当然私は一気に2玉を茹でる。具がない時は2玉全部食べちゃうし、チャーシューが大量にある時などは1・5玉分を食べて残りは捨ててしまう。やはり1玉だとシャバダバな気分になる。
思えば世の中の麺類はそのすべてが「ちょっと足りない」を基本にしているのかと思う。カッコつけた蕎麦屋の本格蕎麦がチョこっと盛りなのは仕方ないが、カツ丼もあるような街場の蕎麦屋のもりそばにしても1人前は半人前でしかない。
その証拠にたいていの店がランチタイムにミニ天丼やいなり寿司なんかをサービスで付けてくる。麺量が少ないことを認めている証だろう。蕎麦を腹いっぱい食べたい時には1枚では絶対足りない。
パスタも同じ。高級イタリアンのコースで鼻くそ程度にチョこっと出てくるパスタは論外だが、普通にオーダーするパスタ一皿もたいていは大口開けて3回も頬張ればなくなってしまう量だ。
その昔、「カプリチョーザ」が若者の間で大人気になったのもそれまでは見かけなかった大盛りパスタが気兼ねなく食べられたことが唯一の理由である。
ラーメンも然りである。いつのまにか主流派のような顔をしている「つけ麺」は普通のラーメンより麺量を多めに設定している店が多い。人気が出たのはあくまで麺の量の多さなのかもしれない。
そう考えると現代日本では社会全体で「麺量が少ない問題」をじっと耐え忍んでいるような気がする。由々しき事態だと思う。
さてさて、私はペヤングが大好きだが、ナゼか時々無性に袋麺の焼きそばが食べたくなる。主にサッポロ一番の焼きそばを食べるのだが、最近は「1・5倍」に惹かれてこの「大盛り日清焼きそば」をまとめ買いしてある。
麺量は150グラムだからたいしたほどではない。普通の即席麺の中にも120グラムぐらいの商品もあるので正直もうちょっとだけ量を増やしてほしい。でも150グラムは袋麺業界ではかなり優秀と言えよう。このサイズがすべての袋麺における標準になって欲しいと切に願っている。
即席麺の焼きそばには具を一切入れないのが私流だ。大好きな豚肉はチルド麺には大量に入れるのだが、あのゲジゲジみたいな即席麺はそのままで味が完成しているからストレート?で味わう。だからこそ麺量にいつも不満を感じているのだろう。
相変わらず話がまとまらなくなってきた。「麺の量」について今後も社会学的見地から取材を続けようと思う。
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