うどんも美味しいが、やはり蕎麦が好きだ。東京人だから無理してそう言っているわけではない。うどんは何となく大袈裟な感じがする。蕎麦のほうがさりげない。
よく分からない表現だが、うどんのほうがドーンと存在感がある。ムダに圧を感じる。爽やかさの点では断然蕎麦のほうが上だ。うどん派の皆さんスイマセン。
最近は以前にも増して蕎麦を食べる機会が増えた。いわゆる蕎麦前を気取って酒を楽しむパターンが多いが、酒を抜きたい日にも蕎麦プラス丼物で満足する。
蕎麦飲みの相棒として代表格なのが天ぷらだ。蕎麦が来る前に天ぷらだけで一献やるのも悪くない。蕎麦と一緒に食べるのももちろん王道的な楽しみ方だが、個人的にはセットで出されるとどっちつかずになって落ち着かない。
「そばがき」も酒のアテの代表格だ。蕎麦の原料の団子みたいなものだが「蕎麦屋で一献傾けているんだぜ」という気分を演出してくれる。本格派の蕎麦屋にわざわざ出かけた時だけの楽しみとも言える。
蕎麦と酒の組み合わせは江戸時代からの定番だが、ナゼか私は蕎麦と日本酒を合わせると気持ち悪くなる傾向がある。ちょっと悔しい。そのせいで蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを頼むのだが、この時の蕎麦湯はやはりドロっとしているのが有難い。
ドロっとした蕎麦湯は邪道という声もあるが、単純にこれで割った蕎麦焼酎は段違いにウマく感じる。これこそ蕎麦屋で飲む時だけに許された特権みたいなものだから濃い目で結構だと思う。
鴨焼きも定番だ。鶏肉だって構わないのだが、やはり鴨肉の風味は蕎麦との相性バツグンである。鴨せいろのように食べるのもアリだが、蕎麦前として鴨だけ味わうのもオツだ。
先日、日本橋の外れにある老舗「藪伊豆」に出かけた。冒頭の画像はこの店の蕎麦だ。蕎麦は普通に美味しかったのに鴨がシャバダバだったのが残念だった。
下の画像は築地「さらしなの里」で出てきた鴨である。見比べるだけで上画像の鴨の切ない感じが分かる。値付けを高くしても構わないから本格的な蕎麦屋では上等な鴨肉を出して欲しい。
この「藪伊豆」で人気メニューの一つが「ごま蕎麦」だ。本格派というか老舗蕎麦屋では基本的に冷たい蕎麦しか食べないのだが、寒い雨の日だったので注文してみた。
挽肉も入っていて純和風の坦々蕎麦と呼びたくなる雰囲気だ。辛さは無く純粋に胡麻の風味とコクがグイグイ押し寄せてくる。蕎麦には珍しく細切りのタマネギもたくさん入っていて、これが妙に汁と蕎麦に合う。独特な一品だった。寒い冬にはきっとまた食べたくなると思う。
さて、まだ気持ちだけは若い私だ。蕎麦味噌、板わさといった古典的ツマミだけでは欲求不満になるので「カツ煮」を注文することも多い。カツ丼の上だけである。
この画像は日本橋のコレド室町内にある「蕎麦割烹・稲田」で出てきたカツ煮。熱々グツグツ状態で出てきたし味も良かった。一歩間違えば老人食?になってしまう蕎麦屋での時間が一気にエネルギッシュになる。
蕎麦屋のカツ丼といえばトンカツ屋のカツ丼とはまた違った趣を感じる。昭和の子供は全員が大好きだったし、刑事ドラマで犯人が取調室で泣きながら食べるのも蕎麦屋のカツ丼だった。
本当はカツ煮ではなくカツ丼が食べたいのだが、「蕎麦飲み」というイキを気取った時間の中ではそれは邪道な行いである。こういう気取った思い込みで私はずいぶんムダな我慢を重ねているような気がする。
その証拠に酒を抜きたい日には、きまって蕎麦とカツ丼を両方注文して感涙にむせんでいる。結局、この組み合わせが無敵だと心底感じるのに“イキがったオジサンブレーキ”が邪魔をするわけだ。
日本橋の老舗「利休庵」で食べたせいろと上カツ丼である。「上」を頼むあたりが富豪である。厚みのある肉の揚げたてが私をムホムホさせる。東京の老舗だから味は濃い目だ。それがまた嬉しい。
蕎麦の話をイキがって書くつもりが、結局はトンカツ大好き男のカツ丼讃歌みたいな話になってしまった。思えば、トンカツ屋さんに行って極上ヒレカツを堪能している時も本当はカツ丼を食べたいと心の中でつぶやくことがある。
私がこの世で一番好きな食べ物はカツ丼なのかもしれない。
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