2024年7月1日月曜日

父親という存在


ひょんなことから娘との同居を始めて2年が過ぎた。それまで10年ぐらい一人で気ままに暮らしていた私としては慣れるのに結構時間がかかった。今では何とか自然体で過ごしているが、娘のほうはいい気なもので始めから実にお気楽に過ごしている。

 

やはり男より女のほうが図々しいのだろうか。娘はこの春大学を卒業したのだが、大学院に進んだせいでいまだに学生である。学生イコール子供だ。まだまだ私の父親としてのモロモロは終わる気配がない。

 

子供はいつまでも親の前では子供だ。同居していると必然的に依存されまくる。家政婦さんが毎週来てくれるせいで家事はほぼやらない。最低限必要なものは父親がマメにネットスーパーで買う。娘からすれば極楽だろう。

 

大学に入って一人暮らしをしていた時は何かと家事にも励んだらしいが、今ではそんな能力も退化したようだ。私としては同居することが逆に娘をスポイルする結果になっていることが心配だ。

 

離婚して十数年が経つ。家庭は離脱したが父親という立場については我ながら結構頑張ってきたと思う。さすがに60歳近くになってきたからそろそろ終わらせて欲しいのだが、きっと死ぬまでこのポジションは変わらないのだろう。

 

いい父親だったかと問われれば答えは「ノー」である。離婚を選んだ時点でそんな評価の対象外になったのは間違いない。それでも「離婚したけど」という条件付きであれば私は結構いい父親をやってきたと思う。

 

世の中には離婚したあとに子供と接点がなくなってしまう父親は多い。離婚とはあくまで夫と妻が切れることである。子供との関係を断つ意味ではない。私自身、離婚した当時は娘に必死に親子は親子だといい続けてマメに一緒に過ごした。

 

それでも幼かった娘からすれば「自分を置いて出ていった人」という印象は避けられなかったようだ。最近になって娘から聞かされたのだが、離婚後しばらく経ってからは「親戚のおじさんみたいな感覚」で私を認識していたそうだ。それが現実なんだろう。

 

まだ小さかった娘を毎朝バス停まで送っていった話をこのブログで書いたことがある。もう15年も前に書いた話だ。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/02/blog-post_17.html

 

毎朝7時にほんの10分の散歩である。でも今の私にやれと言われてもおそらく無理だろう。読み返してみて自分がビギナーパパとして奮闘していた当時を懐かしく思い出す。

 

そんな距離感で毎日を過ごしていたわけだから、その後、家を出ていってしまったことは娘にとって大事件だったはずだ。親戚のおじさん“に格下げされても仕方ない。

 

とはいえ、一緒に住み続けていても娘の成長とともにきっと距離感は変わったはずだ。おそらく会話も減っていっただろう。それでも娘が幼い時代に徹底して全神経を娘に向けて過ごした事実は厳然たる事実である。自分なりに「父親を頑張った」感は一応はある。私の人生における大きなトピックである。

 

娘がいっぱしの歳になった今もとりあえず父親として依存されている現実を考えたら、満点ではなくても合格点をもらえる程度には父親を頑張ってきたと思いたいところだ。

 

これも15年以上前に書いたものだが、一応は自分らしい父親像も持っていたつもりだ。向田邦子の名作「父の詫び状」に出てくるような父親像とは程遠かったものの私なりに一生懸命向き合っていた。

 https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/12/blog-post_16.html

 

娘と6歳違いのダウン症の長男は母親と同居していることもあって私とは娘ほど濃い時間を過ごしていない。ちょっと気の毒だが、幸か不幸かヤツは知能的にまだ小学生ぐらいのレベルだから高校3年になった今も会うたびに幼な子のように私を慕ってくれる。

 

ピトっと私にくっついて満足そうにしている姿は子どもたちが3歳や5歳ぐらいだった昔を思い起こさせてくれる。さすがに今は自分で何でもできるのだが、私と一緒に風呂に入った後は小さい子供のように私に身体を拭かせるしドライヤーも私にやらせる。

 

「自分でやれボケ」とか言いながら、甘えてくる息子が可愛いからついつい幼稚園児を相手にするかのように親バカ丸出しで何でも手伝ってしまう。でも無垢そのものの息子の笑顔を見るとそんな瞬間も案外悪くないと思う。

 

幼い子供という生き物は、思惑も駆け引きもあざとさのカケラもなく100%の信頼と依存心で親に向き合ってくる。生まれてから5年ぐらいはそんな感じだろう。過ぎてしまえばそんなふうに接してくれた時間は一瞬だったと痛感する。いわば親冥利?に尽きる時間なんてほんのわずかだということ。

 

そう考えると時々ウチに遊びに来てとことん私に甘える息子の姿は、一瞬で終わってしまった幼な子の親だったという貴重な時間を甦らせてくれる。自分の人生において他の何事にも変えられない貴重な時間を忘れないでいられる効果がある。実に意義深い時間だと感じる。

 

子育て前半のバタバタ、てんやわんやの数年は単純に大変だ。でも過ぎてしまえば一瞬だ。おまけにそんな数年が後になってみれば実に愛おしい時間だったと感じるはずだ。

 

いま子育て真っ最中の人やこれから子供を授かる人には理解しにくい話かもしれないが、世の中のオッサンオバハンたちの多くがきっとこの話にはうなずくと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 件のコメント:

  1. いま1歳の息子を育てている30代前半の男です。子供がいない生活の方が良かったかと自問するときはいくつもありますが、それも今だけで一瞬なのでしょうね。いまの育児をもう少しだけ大事に思いながら頑張ろうと思いました。

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  2. コメントありがとうございます!

    1歳のお子さんですか。これから加速度的に可愛くなる時期だと思います!面倒なことも全部楽しい思い出になります。楽しんでくださいね!

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