2024年8月7日水曜日

継続

 

何だかんだで15年近く続いているのがバンド活動という趣味である。年に一度のライブのために春先から練習を始めて夏の終わり頃から真剣味が増す。秋風が吹く頃には慌てるのがいつものパターンである。

 


始めた頃はアコースティックギター2本とボーカルだけというシンプルな構成だったが、今では腕っこきメンバーが続々と参加してバリバリのフルバンドに進化した。

 

途中から加わってくれたメンバーの力量がかなりのレベルなので今や昔の面影がまったくないバンドになった。変わらないのは頼りのない私のボーカルだけである。総勢10名ほどの規模のバンドになったから全員が集まっての練習はなかなか難しい。録音した練習音源を共有して各自がしっかり仕上げている感じだ。

 

先日、ウチで練習音源を聴き直していたら横にいた娘が「バンドのレベルが格段に上がったのにボーカルのダメっぷりが昔のままだからバランスが最悪だ」と厳しいことを言ってきた。痛いところを突かれたような話である。

 

でも確かにそんなことはバンドメンバーは指摘してこない。皆さん優しいから諦めの境地なんだろう。娘の指摘は身内ならではの愛のムチともいえる。遅ればせながらボイトレをちゃんとやろうと決意したところである。

 

元々はアコースティックだけで爽やか?に演奏するスタイルだったが、今年の11月のライブではボンジョビまで演目に入れた。凄い進化である。


私をはじめとする基礎メンバーより10歳以上若いドラマーとパーカションの女性がそれはそれはグルーブ感?バリバリだからどんな曲でもサラっとこなしてくれる。

 

今年は個人的にハマショー師匠の某楽曲のコピーがイチ押しである。その昔、アコギ伴奏だけで披露したことがあったが、いま思えばちょっと無謀とも言える挑戦だったかもしれない。

 

「家路」というその曲はいわば壮大なスケール感をウリにする?系統の楽曲だ。肝になるピアノや卓越したドラムが不可欠である。先日のスタジオ練習で腕っこきメンバーがしっかり仕上げてきてくれた状態で歌ってみた。自分で歌っているクセに妙に感激してウルウルしそうになった。

 

この曲は私の人生の節目に寄り添ってくれた思い入れのある1曲だ。もう20年近く前だろうか、様々なネガティブ要素に襲われ大混乱になってウツウツ状態だった時に私を支え奮い立たせてくれた。そんな歌を高い技量のバンドをバックに歌うわけだから心が震えてしまう。

 

わがバンドは素人バンドにありがちなマスターベーション的選曲は避け、お客さんにとって耳馴染みがある楽曲のカバーを中心に構成している。そんな中、この曲だけはたいていの人が知らない一曲である。あえて私のワガママで演目に加えた。50代最後のライブだからある意味、これまでの活動の集大成的な位置づけで熱唱しようと思っている。

 

それ以外の演目は、ユーミンありブルーハーツあり、ジュリーあり、ゴダイゴ、RCサクセション、チャゲアスなどの人気曲がテンコ盛り?である。静かな曲も用意しているが割と賑やかなラインナップだ。


昨年のライブで「バブルガムブラザースのオリオリオリオー」と「ヒロミゴーのアチチの歌」で会場が予想以上の大盛りあがりになったことに気を良くして今年は割と元気いっぱいの曲を演目に加えている。




 

先日、わがバンドの基礎メンバー3人によるSNSのチャットをひょんなことから10年近く前まで遡って読み返してみた。中年男とは思えないアホバカ会話のオンパレードだった。とはいえ毎年ライブ直前のやり取りはかなり真面目に語り合っていて懐かしい気持ちになった。

 

印象的だったのは「還暦までは頑張ろう」という趣旨のやり取りを何度もしていたことだ。いよいよ来年は3人ともに還暦を迎える。あとちょっとで目指したところまで到達するわけだ。妙に感慨深い。

 

軽い気持ちで始めた試みが趣味といえるレベルになって十数年も続いたわけだ。やはり継続は力なりだと思う。コロナ禍で2年休んだ時には、このまま自然消滅しちゃうのかと心配もしたが、一昨年の復活ライブが成功して昨年も大盛況だった。もうしばらくは何とか続けられそうだ。

 

歌は喉が決め手、喉は筋肉である。放っておくとどんどん弱くなっていくのは自然の摂理だ。バンドメンバーの進化を続ける探究心に敬意を表して、私も喉筋肉の強化ぐらいの努力は怠ってはいけないと痛感する。

 

とはいえ、もう8月なのにまだボイトレ教室を決めきれていないあたりがシャバダバである。大いに反省しようと思う。



 

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿