活力って意識しないと湧いて出てこない。放っておいても活力バリバリだった若い頃と違い、この歳になると自分で自分の背中を押さないと腑抜けみたいにボーっとしたまま一日が過ぎる。
それはそれで悪いことではない。でも、せっかく持病も無く、たいしたストレスも無く呑気に生きているわけだからなるべく元気丸出しでフガフガすべきだろう。
さっさと帰宅して野球中継を見ながらウーバー頼みの夕食を食べるのも楽しいことだ。それはそれで平和の極みだが、やはりそこには「闘っている自分」「気合を入れている自分」はいない。
闘うだの気合だのと書いているが、必ずしも敵を作る必要はない。あくまですぐにボケ~っとしちゃう自分との闘いである。
先日、久しぶりに銀座のシガーバーに出かけた。葉巻に興味があるという女子に指南役としてついていった格好だ。小娘はハヤりのシーシャで遊んでりゃいいだろ?という偏屈オヤジの本音は隠して一応真面目にいろいろ教えた。
葉巻にハマっていたのはもう10年以上前になるだろうか。定期的に海外通販からキューバ産を取り寄せて自宅や職場のヒュミドールに数十本ずつ常時していた。当時は私にとって欠かせないアイテムだった。
その後、葉巻仲間が喉のガンで亡くなってしまったり日本人はDNA的に葉巻の害を身体が受けやすいといった説を耳にしたりして少しずつ縁遠くなった。今では気が向いたときにシガーバーで楽しむ程度だ。
この10年ぐらいですっかり葉巻事情も変わった。以前ほどキューバ産が入手しにくくなり、価格もぐんぐん上昇してしまった。あの世界はやはりキューバ・ハバナ産の上モノに慣れてしまうとドミニカ産高級シガーだろうと物足りなく感じる。
この日はキューバの銘品ファンロペスのセレクションNo.2という私の大好きな葉巻をプカプカしたのだが、かつての2倍近い値段だった。嗜好品だから安さを求め過ぎるのも違うが、1本5千円クラスになっちゃうと何だかビミョーな気がする。
この日の私は葉巻をふかしながら女性相手にウンチクを語っていたわけだが、そういう時の自分って間違いなく普段よりもカッコつけている。少なくとも家で水まんじゅうをモゴモゴしている時より「ダンディーなオジサマ」を演じていた。
バカみたいな話だが、バカみたいなことが人間の活力にとって案外大事なことだと思う。どことなく背筋も伸びていただろうし、声の張りや目の力、ちょっとした仕草もしかりだ。アホヅラしてスイカジュースを飲んでニマニマしている普段の私とは別の“現役男”に変身?していたはずだ。
別な言い方をすれば“オス感”が出ていたと思う。女性とチョメチョメ関係になるならないは別として、いわば「異性VS異性」という場面をしっかり意識した言動に終始していたと思う。
男たるもの365日がそんな状況じゃなきゃいかんとも思うが、さすがにそんなに元気じゃない。他にやることもあるし、水まんじゅうやスイカジュースの誘惑のほうが魅惑的な時もある。
とはいえ、実際に現役独身男である以上、オス感を捨て去ることは一種の自殺行為だ。時には自分で自分の背中を押して奮戦態勢を整えないといけない。
王選手は現役最終年に30本以上のホームランを打ったのに「王貞治としてのバッティングが出来なくなった」とすっぱり引退した。一方でノムさん・野村克也選手は「生涯一捕手」を旨にヨレヨレの中年になっても現役を続けた。
私もさすがに男女関係においては「私としての××が出来なくなった」ともいえる。王さんのようにスパっと引退する選択もあるのだろうが、ノムさんのようにヨレヨレになるまで“現役”に固執するほうを選びたい。「生涯一エロおやじ」である。
「助手席に乗るならミニスカート以外は禁止だよ」。遊んでくれるオネエサン達には今でも平気でそんなことを言っている。恥ずかしげもなく真顔でそう言う。そういう部分ではまだまだ私の現役感は維持されているはずだ。
でも、現役であるか否かをあえて意識しないとならない現状がちょっとだけ歯がゆい。そのこと自体がすでに私が老境寸前である証である。「若く見えますねと言われたら歳をとった証拠だ」という格言もある。
仕方ないからそんな現実を真摯に受け止めてそれでもなお“男道”に邁進していきたい。まだ30本ぐらいはホームランを打てる?から老け込まないように気をつけようと思う。
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