近頃は何かにつけてジェンダーだの何だのやかましい。個人的には性別は単純に2つしかないとトランプさんみたいなことを言ってしまいがちな私である。こんな感覚ではすでに時代遅れなんだろうか。
自分自身を振り返ってみても、これまでの人生は「男たるもの」という呪縛につきまとわれていた。男なら我慢しろ、男なら涙を見せるな等々、イマドキの社会では糾弾されちゃうような感覚が常識だった。いや、今も常識として染みついている。
なんだか大げさな書きぶりになったが、今日は大上段にジェンダー問題を書くわけではない。シケた食事についてがテーマだ。
私はワンパクな男の子の成れの果てだから今も「がっつり食う」とか「ドカ食い」とかに励んでこそ男だという意識が強い。大食いタレントも女子より男子を応援したくなる。
大盛り、特盛りという響きも大好きだ。「並」などと口にするのは何かに負けた気さえする。茶色い食べ物も大好きだ。トンカツをはじめとする揚げ物たち、牛丼やカレーやハヤシ等々、男子がウットリするのは茶色い食べ物だ。緑黄色野菜などと言う言葉は口に出すのも恥ずかしい。野菜好きな人、ごめんなさい。。
そんな私だが、ここ数か月は節制暮らしを続けている。おかげで体調は改善したのだが、日々、敗北感のような気持ちが消えない。「ガッツリドカ食い」という世界に背を向けている現実に忸怩たる思いがある。
「男たるもの、そんなことでいいのか!?」と自分の中にいる“快楽追求型のもう一人のオレ”が常に囁いている。
私の中には随分といろんな「オレ」がいる。凄く小心者のオレ、責任感があってマジメなオレ、ぐうたらの極みのような怠惰なオレ、突拍子もなくドスケベなオレ等々、いろんな「オレ」が日夜競い合っている。
今の私は節制に励む真面目なオレと快楽志向のオレが競い合っている状態だ。かろうじて真面目なオレがリードしているが、その差はわずかである。ゆうに10キロ以上減量しちゃったから油断する気持ちが強くなり、快楽追求型のオレが徐々に優勢になりつつある。
なにしろ「15キロ落としたら5キロぐらいリバウンドを楽しむ」というフシダラな考えで日々を過ごしている。その発想自体がすでに危ない。真面目なオレとしては形勢不利である。
そうした感覚の根っこにあるのが「男たるもの」という呪縛である。「サラダなんか食えるかい」「そんなものオンナ子供の食い物だろ?」みたいな偏狭な考えが今一つ私をヘルシーオジサンに変身させることを拒んでいる。
ここ数か月、毎朝欠かさずヨーグルトを食べている。それ自体がヘルシー志向の女性みたいで我ながら気持ち悪い。おまけにキウイとチアシード入りである。テレビの受け売りでヨーグルトとキウイを食べると運動不足解消効果があると聞いて実践してみたらクセになった。効果は不明だ。
チアシードの効能は一生懸命調べてみても謎のままなのだが、一応身体に良いという漠然とした理由だけでもう1年以上摂取し続けている。これまた効果は不明だ。
一時的にせよ胃が小さくなってきたので、朝食はこのキウイ&ヨーグルトだけで充分なのだが、そこでも「男たるもの」という邪念が頭をよぎる。これだけだとモデルを目指すオネエサンの食生活みたいで何だか気持ち悪い。
ドカ食いが本職?だった私である。そんな体たらくで良いのかと無性にイライラする。仕方ないからハムやソーセージ、ベーコンなど一般的にヘルシー志向の人が避けるような肉類も一緒にちょっと食べる。一種の罪ほろぼしみたいな感覚だ。意味不明だ。
最近は飲み屋に行ってもハムカツとかシメの焼きそばを食べない。梅きゅうだの山芋千切りだのタコの酢の物ぐらいで終わりにしてしまう。おまけに酒席のあとに牛丼やラーメンも食べない。人として正しいのかもしれないが、「男たるもの」という囁きが脳裏に響いてシャバダバな気持ちになる。
私の中にいる「快楽追求型のオレ」が最近よくささやく。「つまらない男になり下がったな」。これを言われると非常にツラい。体重が落ちて倦怠感も消えたのに「つまらない男」というレッテルは私を落ち込ませる。
実は今日から甲子園に来ている。急遽、ナマ観戦したくなってもろもろ手配した。昨年も行ったのでだいぶ勝手は分かっている。関西的なヤンチャメシ?が球場で売っていることも知っている。
そばめし、牛すじ丼あたりは「男たるもの」という気分を満たすには充分である。絶対に食べようと思う。野球観戦の合間を縫って今回も「なんばグランド花月」のチケットも手配した。周辺で串カツにビールというコテコテ関西タイムも過ごそうと思う。
私の中にいる「節制を勧めるマジメなオレ」がさんざん警告を発しているのだが、「快楽追求型の別なオレ」が私をしっかりそそのかしている。
「マジメなオレ」は間違いなくコールド負けだと思う。
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