2025年7月16日水曜日

虎杖浜にて

 

先日の北海道での野球観戦の前の日は虎杖浜温泉に一泊してホゲホゲしてきた。千歳空港からレンタカーで1時間程度だ。これまで何度も訪ねた登別温泉に近い立地だ。

 

今まではついつい泉質抜群で巨大露天風呂をウリにする宿が多い登別を選んでいたが、毎回、近くの海沿いにある虎杖浜温泉が気になっていた。今回、意を決して?ようやく海沿いの温泉を楽しんできた。

 



泊まったのは「ふる川」という宿。さびれた地方にありがちなシャバダバな宿だったらどうしようという私の心配を一気に払拭してくれた快適な宿だった。それにしてもこんな所でも複数の外国人観光客に遭遇した。登別ではなくわざわざこちらを選ぶセンス?にはビックリだ。

 

部屋はシンプルな和室だったが、極上のテラスが併設されていたのが良かった。目の前は海だけ。快適なソファでリラックスできた。

 





天気が良かったせいもあるが、海沿いの宿泊施設ならではの清々しさが印象的だった。なんならここと登別に一泊ずつ宿泊すれば、いろんな泉質が味わえて弛緩しまくれると思う。

 

肝心の温泉もかなり快適だった。運よく夕方も夜も翌朝も大浴場に誰もいないタイミングだったので貸し切り気分で満喫できた。琥珀色のトロッとした湯触りに癒される時間だった。

 




海を眺めて鼻歌まじりで寝湯に横たわる。誰もいないから鼻歌がだんだんと熱唱に変わり、それに飽きたら湯船の中でウトウトする始末。こういう時間を過ごすと寿命が延びるような気がした。

 

夕飯は部屋食ではなく海を臨むレストランで提供される。いろいろと凝った料理が出てきたが、事前に毛ガニとウニを別注しておいたので、それらを中心に冷酒をカピカピ楽しんだ。

 






虎杖浜の面する海域はこれから毛ガニの季節だ。その昔、やたらと毛ガニばかり食べる旅を頻繁にしていた私としてはこのエリアで食べないわけにはいかない。久しぶりの毛ガニに酒も進む。ミソと身肉の混ぜ混ぜバージョンはカニ業界?における格のウマさだと思う。

 

なかなか良かったのが朝ごはんだ。部屋に運んでくれるサービスがあると聞いたのでそちらを選んだ。もちろん食べる場所は海を目の前にしたテラスである。BGMは波の音だ。至高の時間だった。

 



ここまで書いてきた分だけでも充分堪能できたのだが、もっとも印象的だったのが朝焼け鑑賞である。宿のウリでもあるらしいので、朝5時前にノソノソ起き出してテラスのソファで寝ぼけながら朝日と向き合ってみた。

 

普段の都会暮らしでは朝焼け鑑賞など夢のまた夢だ。というか、そんな時間にわざわざ起きようなどとは思いもしない。その点、旅先の高揚感と非日常感のおかげでこんなシーンに立ち会うことが出来た。

 



結局、感動しちゃったせいですっかり目が覚めてしまい、そのまま二度寝が出来ずにこの日を過ごすことになった。この後のレンタカーの運転が眠くて眠くてちょっと危なかったことはナイショである。

 

夏の盛りに温泉なんて暑くてかなわんと出発前には思っていたのだが、さすがに北海道まで行くと夜や朝は快適な気候だった。寒い時期の温泉は別格の気持ち良さだが、夏場も場所を選べば温泉ざんまいの時間を快適に過ごせることを再認識した。

 

なかなか良い旅だった。

 

 

 

 

2025年7月14日月曜日

エスコンで感動


初めて野球場に足を運んだのはもう50年も前のことになる。後楽園球場で王選手がホームランを打っていた頃だ。半世紀という年月は世が世なら人間の一生ぐらいの長さである。

 



半世紀たった今、世界に誇れる凄い野球場が北海道にある。エスコンフィールドだ。普段はファイターズの本拠地だが、先日、日米大学野球の会場として使われていたのでノコノコ出かけてきた。

 

まさにボールパークと呼ぶにふさわしい素晴らしい球場だった。日本の野球文化もここまで来たのかと非常に感慨深かった。昔の野球場といえば酔っぱらったオッサンが下卑たヤジを飛ばす怪しげな場所だったが、エスコンフィールドにはそんな雰囲気はまったくない。

 

遊園地のようなレジャーエリアである。この日は本拠地ファイターズの試合ではなかったから閉まっているお店も多かったが、それでも楽し気な雰囲気は充分感じた。

 



この球場には部屋から試合が見られるホテルまで併設されている。「TOWER11」と名付けられたホテルだ。ファイターズ時代のダルビッシュや大谷翔平の背番号が11だったことが名前の由来だ。上の画像はホテル内のあちらこちらだ。

 



客席から見るとレフトスタンド上部に位置する。試合を眺めるにはさすがに距離が遠いが、あの臨場感を自分の部屋に居ながらにして楽しめるのは画期的だ。

 

泊まった部屋は球場内のクラブハウス、すなわちロッカーエリアを模した造りで、ご丁寧にホンモノの選手使用のバットやグラブなどがインテリアとして使われている。ファイターズファンじゃなくても野球好きならかなり楽しい。

 



シングルベッドがタテに2つ、メゾネットになっているから上階にもベッドが2つ。その他にグランドを見下ろせる窓際のソファベッドを入れたら5人で泊まれる空間だ。

 

そんな部屋に一人で泊まってみた。なかなか贅沢な時間だった。たまにはこういう愉快な場所に身を置くのは精神衛生がすこぶる絶好調になる。


この日は睡眠時間3時間でここにたどり着いたのだが、こんな空間を目にしたら疲れも吹っ飛んで子供みたいなワクワク気分になった。

 






おまけにこのホテルには野球場を見下ろせる温泉大浴場もある。世界初の試みだとか。水着で利用できるくつろぎゾーンと純粋な温泉大浴場に分かれていて、くつろぎゾーンにはサウナもある。

 

サウナに入りながら野球の生観戦である。これを考えた人を褒めたい。くつろぎゾーンではドリンクやスイーツも注文できる。もはや野球場という概念を通り越したテーマパークである。

 



さてさて、肝心の野球場としての機能はどうかというと、これまた客席もゆとりがあって試合が非常に見やすい。巨大スクリーンが一塁側、三塁側双方にあるためどの席からもエンタメ感を満喫できる。

 

この日は試合開始までは屋根が閉まった状態だったが、18時のプレーボールに合わせて屋根がオープンになった。気づかぬうちに静かにそろりそろりと屋根が開いていく感じもカッチョ良かった。

 


 

バックネットエリアの座席はゆったり仕様で、足元の空間も広め、大昔の後楽園球場の窮屈な椅子席を覚えている私からすれば極楽空間だった。

 

選手のベンチのそばに設けられたダッグアウトシートもなかなか迫力があった。グランドよりやや低めに位置しているため、選手との距離が近く臨場感たっぷりだった。

 



肝心の試合は日本代表がボロ勝ちの展開だったので途中で飽きてしまい、いったん中座して徒歩3分ぐらいの距離にあった回転寿司屋に行く。函館に本店がある店なので、ニシンやホッケ、タラコなど北海道らしいネタをいくつも食べた。

 



のんびりビール片手に寿司を満喫して、部屋に戻って試合終盤の89回の攻防を眺める。部屋のスピーカーからは球場内の音声を聴くことが出来るので打球音や歓声がナマで聞こえる。

 



日本代表の勝利を見てから再び温泉へ。いそいそ帰るお客さんや試合後のグランド整備を眺めながら温泉に浸かるわけだから何とも不思議な感覚だ。

 

それにしても試合後のグランド整備の丁寧さには驚いた。試合終了から34時間は芝のチェックや土の部分をならす作業が続いていた。

 

試合開始前のセレモニーで使った両国の国旗の片づけなどもしっかり眺めた。10人以上がシワを伸ばしながら丁寧に畳む作業をしていた。裏方さんの大変さがちょっと分かった。

 



 

で、ぐっすり眠って翌朝のこと。朝7時ぐらいである。カーテンを開けたら当然ながら目の前に野球場が広がっていた。これにはかなりシビれた。無人の野球場が朝日を浴びて美しく目の前にあった。妙に感動した。

 




 

野球を好きになって50年。なんとも感動的な時間を過ごせた。

 

 

 

 

 

 

 



2025年7月11日金曜日

週末の朝


平日の朝食は慌ただしい。いわば生きるために口を動かす作業に近い。エサとまでは言わないが、食そのものや空間を楽しむものではない。

 

週末は様子が変わる。週末の朝ごはんには得も言われぬ高揚感がつきものだ。ダラダラできるし普段の朝には食べないようなものが恋しくなる。

 

ほんの数年前までは起床と同時に空腹バリバリの食い意地男だったので、デリバリーで朝からハンバーガーや牛丼を取り寄せて爆食したり、肉をたっぷり入れた焼きそばを大量に作ってみたり乱れた朝食を楽しんでいた。

 

今も朝から牛丼特盛を食べることは可能だが、さすがに少しづつ常識人になりつつあるから滅多にドカ食いはしなくなった。ここ数か月の節制生活のせいで朝っぱらから空腹バリバリという習慣も消え失せた。まるで普通になってしまった。

 

このところ週に23回はキウイとヨーグルトだけという何ともフヌケた朝食で済ます。昔の私を知る人がみたら確実に余命が短い重篤な状態だと勘違いされるはずだ。

 

そんな今でも週末の朝はやっぱり「レジャー感」を求めがちだ。このブログで前に書いた「蘭王たまご」に加えて、やはりこのブログでも書いた私が追っかけ?している北海道・「大金ハム」のベーコンが揃っていようものならチャチャっとベーコンエッグを作ったりする。

 



やたらとウマいベーコンはグワシっと肉を齧る感覚を重視したい。だから厚めにカットする。蘭王タマゴは黄身がとろけるぐらいの目玉焼きに仕上げる。時にベーコンに半熟の黄身をビチャっとつけて味わう。至福の時間だ。

 

話は変わる。先日、近場のシャレたカフェに娘と連れ立って出かけてみた。ほぼ寝間着のままでキャップをかぶって優雅な?朝外食である。

 

小伝馬町にある「COMMISSARY」というカフェというか小洒落たフードコートみたいな店が目的地だ。ここはドーナツ、タコス、ベーカリー、クラフトビールを扱う店が集っている。大げさに言えばヨソの国に旅しているかのような感覚で週末の気分をアゲげてくれる。

 





コーヒー片手にピザだタコスだドーナツだ、おまけにクラムチャウダーだ!っていう時間は何となく愉快である。


上等な銀だらの西京漬けに炊き立てご飯のほうが朝食としては正解だ。でも、週末の朝はネジがユルユルだからこういう雑多なブランチ的な過ごし方にウキウキする。

 

たったこの程度の変化球で生活に彩りが加えられるとしたら散歩がてらのお出かけにも大いに意味がある。

 

とはいえ、いろいろ並べたい私の悪い癖で贅沢に注文しまくっていたら結構な値段になってしまった。周りのお客さんは皆さん一品とコーヒーぐらいでチンマリしている。そりゃあ早い時間朝からビシバシ食べまくる人は少数派だろう。

 



何度も注文するから立ったり座ったりと落ち着きのないのは私の席ぐらいだった。節制生活を楽しんでいるわりには根っからの大食漢魂のせいで暴走してしまう。ピザもこの画像以外に2種類も追加した。

 

店ごとに注文の都度支払っていたから気づかなかったが、帰り際に合計金額を確認したら立派なホテルのモーニングビュッフェに行けるぐらいの値段だった。

 

ウーバーで朝マックとスタバと牛丼をいっせいに取り寄せたほうが安く済んだなあと意味不明な後悔とタメ息をつきながらとトボトボ帰宅した。

 

まあ、それが週末ってもんだろう。




 

2025年7月9日水曜日

チョイ悪、チョイもれ

 

雑多な日記みたいなこのブログだが、人様の目に触れる以上はどこか気取ったことばかり書いてしまう。人間、そんなに楽しいことや愉快なことばかりに囲まれているわけではない。たまには大いなる恥についても書いてみようかと思う。

 

加齢とともに顕著になったのは白髪の増加と視力の劣化だ。こればかりは恥というジャンルではない。年齢相応の帰結である。

 

同じように年齢が原因の劣化の中で多くの人がナイショ?にしているのが「尿もれ問題」である。そりゃあシモ方面だから恥ずかしいテーマである。なんならEDのほうが声を大にして叫んでも後ろめたさは感じないかもしれない。

 

尿もれは後ろめたい。「うしろメタファー」の極みかもしれない。おしっこが漏れちゃうわけだから深刻だ。大じゃなくて小だから私も平気で語っていられるが、これが大の漏れだったらさすがの私も隠すはずだ。

 

尿もれ。なんとも切ない響きである。私自身の名誉のために説明すると、一応私だって「ちゃんとすればセーフ」の状態である。でもこの「ちゃんとする」の加減が若い頃と変わってきてしまった。

 

トイレに行って用をたす。シャーッと放出してフリフリして終了である。ところが、フリフリに至るまでの「間」に問題が起きがちだ。すなわち、放出し終わったつもりがまだ残っているパターンだ。

 

「よし、終わったな」とジュニアを格納するタイミングにズレが生じてきたわけだ。終わったつもりが終わってないケースが出てきた。一大事である。

 

その自覚をもって「いや、まだ終わってないぞ」と自分に言い聞かせて、もうひと息、いやもうひと踏ん張りする時間を取らないと「事故」が起きる。その一呼吸だけ時間にゆとりをもってから格納作業に移行すれば無事に済む。

 

じゃあ毎回そうすればいいと言われそうだが、そこが問題である。最近はようやく以前よりもしっかり完全終了を確認するようになったので事故は激減した。

 

とはいえ、コトはそう簡単ではない。半世紀以上に渡って毎日毎日何度も何度も放尿してきた私だ。そう簡単にリズムは変わらない。それこそ身体が覚えている「放尿スタイル」に別なフォロースルーを加えるような変更は難しい。

 

王選手の一本足打法のようなものである。タイミングがすべてだ。ついつい昔のままの感覚で切り上げようとすると事故発生だ。人間の習性ってそう簡単に100%切り替えられないことを痛感する。

 

初めて事故を起こしたのは2,3年前のこと。喫茶店のトイレでせっかちに終わらせたらグレーのスーツのズボンにピーっと濡れた直線が浮き彫りになった。席に戻ってから乾燥するまでの時間が切なかった。

 

初めての衝撃にショックを受けてドラッグストアで尿もれパッドというナプキンの分厚いようなヤツを買った。それを下着に装着してみたがあまりに残念な姿だったのですぐに全部捨てた。

 

その後、終了確認に注意を払って何とかやり過ごしていたが、やはり時には事故に遭う。で、見つけたのが「尿もれ対策下着」である。その気になってネットで探すとあるわあるわ、まさに百花繚乱状態だった。

 



嬉々としていくつも取り寄せた。ただ、ガードする部分が妙に分厚いヤツが主流で、私のようなビギナーにはちょっと大袈裟な商品ばかりだった。

 

で、無駄な買い物を何度も繰り返しながら「チョイ悪」ならぬ「チョイもれ」系の軽めの商品をいくつか見つけた。見た感じも普通、裏返しても普通。よくよく触ってみると格納箇所付近の布地がちょっと工夫されている。

 

今ではお気に入りの「対策下着」が随分と揃ってきた。なんなら女性とムホムホな場面で下着の上からスリスリナデナデされようが肝心の個所がゴワついていないから対策パンツであることがバレることもない。

 

そういう商品を開発してくれたメーカーには心から感謝したい。株主になって支えたいと思うほどだ。

 

このブログをお読みの中高年男子の皆様の中にも「事故問題」に直面している人は多いはずだ。よく吟味した対策下着を購入することを強くおススメする。

 

ポイントは女性にスリスリナデナデされてもバレないようなゴワつかない素材が使われているかどうかである。ただ、その種の商品はあくまで「チョイもれ」専用だ。「中もれ」「大もれ」の人だとどうしてもゴワつき感のある商品になってしまう。

 

というわけで、私も「チョイ」のうちは良いが、「中」や「大」に到達してしまったら男としての引退を迫られそうだ。

 

そんなのはイヤだからまだまだジタバタしてみようと思う。

 

 

 

2025年7月7日月曜日

愚痴とピスタチオ

 

夏風邪はしんどい。身をもって経験した。風邪なんて12日で治るものだと半世紀以上信じて生きてきたのだが、余裕で1週間以上もダメだった。慣れっこになっている扁桃腺炎よりもタチが悪かった。

 

熱自体はさほど高くないのに喉が妙に痛かったので近所の医者に行ったら「単なる風邪」との診断。抗炎症剤と咳止めをもらっておとなしくしていたが34日経っても良くならず咳は強まるばかり。

 

薬もなくなっちゃう頃合いで近所の呼吸器内科に改めて行った。結果は咳喘息だとか。この歳になってから喘息になるなんて想定外である。キチンと直さないと本格的な気管支喘息になるらしいので吸引する薬などももらって奮戦した。

 

喉の原因が炎症というより咳のし過ぎの筋肉痛みたいになった。何かと厄介である。「単なる風邪」だからナメていたわけではないが、ちゃんとおとなしくしていたのに悪化しちゃったから我が身の免疫力に自信が無くなった。

 

こうなるといつも飲んでいるサプリなどを全部ヤメたくなる。インチキだ!と叫びたくなるが、その一方でサプリのおかげでこの程度で収まっていたのかもという魔の囁きが聞こえてくる。で、結局ヤメる勇気も出ずに効いているのか分からないサプリを飲み続けているわけだ。

 

そういえば先日スマホを変えた。アンドロイドからアンドロイドへの機種変だ。改めて各社の商品の特徴を調べたがサッパリ分からないので以前と同じシャープ「アクオス」の現行機種にした。

 

それにしてもたったの3年でバッテリーが消耗して買い替えなきゃならないのがバカバカしい。15万ぐらいする家電製品としては実にヒドい話だ。おまけに説明やらデータ移行やらで2時間以上も拘束された。昔と比べて進化しているのだろうか。

 

肝心のスマホだって、フリーズしたり、ワケもわからず繋がらなくなったりすることが普通だ。再起動なんて行為が一般的だという現実が実に歯がゆい。そんなテキトーきわまりない商品に生活の結構な部分をゆだねているわけだから実に悩ましい。

 

デジタルだ、ITだと世の中が変わり始めて久しい。確かに便利になったが、社会全体がユルユルになってきたこととスマホの不安定さは関係があるように思えてくる。

 

多少の不具合や不完全でも「そんなもんだよ」と受け入れちゃう。作る側も売る側も客が黙ってるからユルい商品だって平気で市場に投入する。故障知らずの昭和ニッポンの家電で育った世代としては何だか騙し討ちにあったような不思議な気分だ。

 

と、私が文句を言ったところで何も始まらない。実を言えば機種変でのデータ移行が自動で処理されない「秘密のフォルダ」の整理にやたらと手間がかかったからイラついたのだろう。中身が怪しいモノばかりだからドコモショップの人にも聞けないし難儀した。そういう余計な機能を使っていなければもっとスムーズにコトは運んだのだろう。

 

暑いのにグチばかり言っててもダメだ。ちょっと涼しい話題にテーマを移す。私が最近やたらとハマっているアイスクリームの話だ。日本橋のコレド室町近くに出店した「COCO GELATO」という店のピスタチオアイスが悶絶するほど美味しい。

 



 通りすがりに食べてビックリした。そのほかの各種のフレーバーすべてが上質で濃厚で素晴らしいのだが、ピスタチオは別格だと感じる。

 

福岡のお店らしい。通販でも手に入るし、ふるさと納税の返礼品でも取り寄せられる。ピスタチオアイスの愛好家だったら脇目もふらず味わってほしい。

 

ここ十数年ぐらいでわが国でもピスタチオアイスは定着したが、230年前は滅多に見なかった。昔からヨーロッパに行くたびに冬でもピスタチオアイスを興奮しながら食べていた私にとっては嬉しい進化だ。

 

でも、でもである。中途半端にピスタチオチョコをコーティングしてあるだけだったり、風味が人工的過ぎたり、芳香剤みたいな味がする商品も多いのが実情だ。

 

もちろん、日本中のピスタチオアイスを食べ比べたわけではないのだが「COCO GELATO」のピスタチオは文句のつけようのない美味しさだ。私の知る限りでは日本一である。

 


 

量が多くないのに安くはない。とはいえ、これほどまで私をトリコにするわけだから今の2倍の値段でも買っちゃうと思う。コク、旨味、食感すべてが最高だ。なんだか店の回し者みたいな書きぶりだが、この夏、私の相棒はコレで決まりである。




 

 

 

 

 

 

2025年7月4日金曜日

「おじや」と「おやじ」

 体調が復活しないので今日もまた過去ネタです。バカみたいな話です。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/08/blog-post_5.html






2025年7月2日水曜日

師匠

 夏風邪が長引いてちょっと困っている。咳喘息とやらに該当するらしく、人生初の吸引する薬も出された。何事も初体験はちょっと嬉しいが、こういう初体験はできれば避けたい。


というわけで、今日も過去ネタです。3年前に書いた高田純次師匠の話だ。遠からず80歳になるわけだからビックリだ。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2022/10/75.html




2025年6月27日金曜日

魔性の女

 夏風邪になってしまったり機種変したスマホがトンチンカンだったりと何かと不調で更新をサボってしまいました。


というわけで「魔性の女」についてアレコレ考察した過去ネタを載せます。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/03/blog-post_30.html




2025年6月25日水曜日

黒歴史

 サラダと名前がついていれば全て野菜っぽい健康的な食べ物だと信じて疑っていなかったバカな私の過去ネタです。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/06/blog-post_17.html




2025年6月23日月曜日

タマゴの世界

 

タマゴの世界は奥が深い。外食の際などテキトーなタマゴを無頓着に食べがちだが、ウマいタマゴとマズいタマゴの差は思った以上に大きい。あまり神経質になるのもイヤだが、家で食べるならそれなりにタマゴにはこだわりたい。

 

食料品など日常の買い物はたいていネットスーパーで済ませてしまう私だが、タマゴは単純に高い商品を選ぶ。高いといっても6個入りで500円~800円ぐらいだ。ごく普通の10個入りパックに比べて23倍の値付けだが「なんとなく安心」をその値段で買っているような気がする。

 

廉価品より高いほうが味が濃い目だ。というか、安いタマゴには味がない。大量生産の廉価品はニワトリのタマゴというより一種の工業製品だという指摘もある。文明が進んだ今の社会で、ましてや都会暮らしをしていると本来のタマゴの味など分からなくなるのかもしれない。

 

高い値付けのタマゴもすべてウマいわけではない。なかにはさえない商品もある。とはいえ、鶏の飼育環境や餌にこだわっているらしいので「なんとなく安心」して食べている。

 

TKG、すなわちタマゴかけご飯を家で食べる時はコクや旨味が強いタマゴを選びたい。専用醬油もずいぶんと試してお気に入りを常備している私としてはその点にはこだわりがある。

 

最近のお気に入りは大分県で作られている「蘭王たまご」だ。通販でも買えるが、ふるさと納税の返礼品として頻繁に取り寄せている。返礼品だと最低単位が20個なので賞味期限内に食べきれないこともあるが、その場合は茹で卵をいくつも作り置きして間食用にしている。

 




「蘭王たまご」は単純明快に美味しい。コクや旨味が格段に強い。オレンジ系の黄身も美しい。通販の単価も凄い高値というわけでもない。これより高い値付けのタマゴも高級スーパーに行けば珍しくないが、私の経験ではそうした高級品よりもウマいと感じる。

 

TKGはもちろん、目玉焼きにしても茹で卵にしてもそこらへんでテキトーに買うタマゴとは一味も二味も違う。ベーコンエッグを作ってみてもタマゴの主役感が強い。

 

もともとこのタマゴの存在を知ったのは銀座の焼鳥屋さん「串銀座」でのこと。一品メニューの温玉に感激して4回おかわりしたこともある。ツマミだけでなく温玉を乗せたそぼろ丼も食べたくなる。このブログでも何度か書いてきたネタだ。

 

銀座界隈には焼鳥屋は星の数ほどあるが、私がこの店をリピートするのは単純に「蘭王たまご」を食べたいからだ。店側は焼鳥やそのほかの鶏料理を一生懸命作ってくれるのだが、私の目当てはあくまでタマゴだ。そんな本音は店主には内緒だ。

 




これが温玉そぼろ丼の画像だ。黄身の色が実にウマそうだ。実際にウマい。これが味がしっかりしたそぼろと相まって幸せな味になる。白米を永遠に食べられそうな気がする。

 

自宅ではそぼろを作ったり絶妙な温玉に仕上げたりするのが面倒だからもっぱらTKGを満喫している。時々は目玉焼き、もしくは茹で卵にして味わっている。

 

茹で卵の場合、沸騰したお湯に7分半程度、緩めの半熟が私の好みだ。黄身がちょっとこぼれそうなぐらいな状態でトリュフ塩を一振りしたらそりゃあもう悶絶である。

 

たかがタマゴ、されどタマゴである。自分の好みのタマゴを見つけて思い入れたっぷりに味わうことは日常にちょっとした彩りを添えてくれると思う。

 

 

 

 

 

2025年6月20日金曜日

アッパレ!カツ丼

 

何かとバタバタで更新が怠りがちだ。たいして忙しいわけでもないのに何事においても集中力が衰えてきているのだろうか。とりあえず暑さのせいにしておく。

 

思えば、私の世代は小学校、中学、高校にエアコンなど設置されていなかった。夏は下敷きを団扇代わりにするだけでしのいでいた。おまけに部活は水飲み禁止の時代だった。いま思えば違う星の話みたいに感じる。

 

40年以上も前のことだから確実に気象状況が変わったのだろう。ゲリラ豪雨なんて言葉もなかったし、熱中症という言葉も一般的ではなかった。時々、日射病で医務室に行くヤツがいる程度だった。

 

そう考えるとこれから30年、40年先はどこまで地球は暑くなるのだろう。こちらは死んじゃうから構わないが、今の若い人が私の年齢になる頃には異常な気温の中で暮らすようになるのだろう。お気の毒だ。

 

さて、話は変わる。

 



最近、やたらとカツ丼を食べたい気分になる。もともとトンカツが大の好物なのだが、カツ丼とトンカツの関係は考えてみれば不思議だ。派生形と呼ぶには随分と様相が変わる。

 

トンカツといえばソースである。ニッポンの洋食の大定番として誕生したトンカツに合うように日本人が開発したのがトンカツソースという崇高な調味料である。トンカツソースあっての料理ともいえる。

 

時々「お塩でどうぞ」やら「おろしポン酢も合いますよ」みたいな余計なことをいうお店もあるが、あくまでトンカツはあのソースあってこそ完成する食べ物だろう。

 

対するカツ丼はソースのソの字も感じさせない仕上げ方なのにそれはそれで別次元のウマさに到達している。地域によってはソースカツ丼が定番であるケースもあるが、ここでは卵とじで麺つゆを基本にした古典的カツ丼に絞って語る。

 

トンカツソースという絶対的エースに背を向けて、おまけに揚げ物本来のウリである食感さえ無視して出来上がるのがカツ丼だ。脇役であるタマネギも絶妙なマッチングをみせる。原点であるトンカツにはキャベツこそ付いてくるもののタマネギが同席することはない。思い切った「進化」を遂げたものだと思う。

 

詳しいことは知らないが、街場のお蕎麦屋さんがカツ丼文化を発展させたことは間違いない。親子丼、天丼しかりでアノ麺つゆの味わいをコメの世界にも広げてくれた功績は素晴らしいと思う。

 

そんなことをシミジミ感心しながらカツ丼を頬張っている人はいないだろうが、トンカツ専門店で普通のトンカツ定食とカツ丼を両方注文してみると、ウマいものを追求してきた先人たちの努力に敬意を払いたくなる。まるで王・長嶋の「ON砲」にも匹敵する文化遺産的2大巨頭のように思える。

 



いつだったか、銀座のトンカツ屋さん「梅林」でカツ丼の上級バージョンを注文したことがある。かっ食らおうとしたら隣から妙に熱い視線を感じた。二人連れの外国人観光客からの「ガン見光線」だった。かれらは普通のトンカツ定食を前に喜色満面だったのだが、隣に座った日本人が食べようとしている得体の知れないドンブリものに心を奪われたかのような顔で覗き込んでいた。

 

偏屈な私は彼らにカツ丼を解説してあげることもなくスカした様子で「こっちはそんな平凡なトンカツなんてしょちゅう食ってるんだよ。たまには高級カツ丼も悪くないぜ、キミらにはまだ早いんじゃないかな」と横顔で語ってみた。

 

外国人からみれば生の卵黄まで乗っかったナゾのカツ料理はニッポンの神秘に映ったのではなかろうか。いや、彼らの目にはゲテモノに見えたのかもしれないが真相は不明だ。

 



この画像は函館のみに展開するファストフードの「ラッキーピエロ」のカツ丼だ。こういう気候になってくると私にとって第二のふるさととも言える函館に行きたくなる。函館といえばウニ丼、いくら丼がエースだが、今の私はラッキーピエロのカツ丼が妙に恋しい。

 

最近は節制を基本にしていたので、カツ丼を食べる際にも上ばかり食べてご飯をほとんど食べないという人の道に外れたことばかりしている。

 

でも、一説によると75日にはみんな死んじゃうかもしれないようなので、そんなバカげた食べ方をしている場合ではない。上はロースとヒレのダブル、ご飯も大盛り、そんなカツ丼を夢中になって食べたい気分である。





 

 

 

 

2025年6月16日月曜日

トマトすき焼き


肉だけ食べていれば太らないという都市伝説のような話をよく聞く。素直に信用する気にはならないが、きっと何かしら根拠みたいなものはあるのだろう。

 

信じる者は救われる精神で私も肉だけをムホムホ食べる機会が増えた。牛より豚のほうが好きなので我が家の冷蔵庫や冷凍庫には豚肉ばかり保管されている。

 

ふるさと納税で取り寄せている沖縄のパイナップルポークは旨味たっぷりでヘタな牛肉を食べるより幸せな気分になる。ネットスーパーで買い物をする際も鹿児島産黒豚の一点買いである。ちゃんとした豚肉は誰が何と言おうと牛肉よりウマいと言い切ってしまいたくなる。

 

かといって牛肉をまったく食べないわけではない。下の画像は暇な時に作ってみた自家製牛丼である。以前、ネットでみたレシピで作った豚丼が美味しく出来たので、似たような感じで牛丼にもトライした。

 



 結果はイマイチ。味自体は悪くないのだが使った肉のせいか固くなってしまった。やはり脂身の多いバラ肉じゃないと牛丼らしさは出ない。結構良い肉を用意した時点で選択ミスだったわけだ。

 

話は変わる。某日、京橋にある日本料理屋「婆娑羅」に行く機会があった。1年ぶりぐらいだろうか。トマトすき焼きをウリにした店だ。

 

ウマいトマトを使うだけでなく、牛肉のほかはタマネギしか具材が用意されていない点が私には嬉しい。白菜やネギやシラタキの姿はそこにはない。私の天敵である春菊もない。なかなか素敵だと思う。

 


 

すき焼きの前には箱に詰められた八寸が出てくる。これが毎度美味しい。正統派日本料理店の技量が凝縮されている感じだ。

 

この日はそのほかにカラスミや酒盗を頼んでのんびり一献。八寸を始めこういうチマチマしたツマミを突つきながら過ごすのが嬉しい。

 


 

すき焼きはお店の人が作ってくれる。トマトがやたらと美味しい。看板商品だけのことはある。肉汁をまとったタマネギとトマトだけ食べていても満足しそうだ。

 

すき焼きの肉は普通の和牛と松坂牛が用意されている。いつも普通のほうが食べたいのだが、ここに来るのはたいていが‟おもてなし”の時だから上級バージョンである松坂牛を注文してしまう。私にはちょっと重たい。

 




肉をつける卵が温かい状態で出されるのも悪くない。こういうひと手間が日本料理の細やかさである。外国人観光客だったらきっといちいち大げさに感動するような気がする。

 

トマトすき焼きのシメはパスタである。こちらもお店の人がその場で仕上げてくれる。すき焼き鍋の残り汁をベースにしたアルデンテの平打ち麺だ。食べる際に残った卵汁を適量追加投入することで得も言われぬニッポンのパスタになる。

 



内装も高級感があってゆったりできる。銀座あたりにあったらもっと混むはずだが、京橋という立地のせいか夜の時間帯は大混雑していることが少ないのも良い。穴場だと思う。

 

トマトすき焼きだけでなく、この店で出すトンカツも非常に美味しい。でも、前に来た時にトンカツのせいですき焼きの肉やシメのパスタにゲンナリしちゃったことがあるのでこの日はパスした。

 

ウマいトンカツがあるのを分かっているのに注文しなかった自分が残念である。節制という言い訳のせいで自分の魂が弱っていくみたいである。

 

「つまらない大人にはなりたくない」と歌っていた佐野元春のガラスのジェネレーションでも聴き直して反省しようと思う。