更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ。ちょっと真面目な話です。16年前に書いたことが今もほとんど変わっていないことが切ない。
成功体験
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
来年開催されるWBCの中継はネットフリックスが独占するそうだ。これも時代の流れだろうか。国民総注目ともいえる野球の国際大会を日本のテレビ局が中継できないわけだから一大事と言っても過言ではない。
普通の人にとってはさほど問題はないが、私の母を例にとるとネット視聴自体が出来ないから中継は見られない。お年寄りにとってみれば大事件だ。
ネットフリックスなど新興勢力の勢いはドラマの分野でも顕著だ。「全裸監督」しかり「地面師」しかり、相撲の世界を描いた「サンクチュアリ」も独特な世界観で作品がつくられていて画期的だった。
地上波のドラマの中にはどうにも台本が稚拙だと感じるものもあるから配信系ドラマとの“格差”は今後も広まっていくのだろう。
先日、ネットフリックスが最近流し始めた全10話のドラマを見た。私のような年代をターゲットにした作品ではないが、面白くて2日間で全10話を見てしまった。「グラスハート」というドラマだ。
主演は佐藤健だ。以前、彼が主演だったネットフリックス作品の「ファーストラブ・初恋」に感動してしまったオジサマとしては、今回も彼がメインというだけで期待しながら鑑賞。
端的に言うなら昭和の「大映ドラマ」的な作品だった。松村雄基や伊藤かずえはいつ出てくるのかと思ったぐらい全体的にあのノリ?だった。ベタというか、大げさというか、青臭いというか、直球一本やり?の娯楽作品である。
天才ミュージシャンをめぐるバンド活動の話なのだが、ライバル関係、敵対する悪者、恋模様のどの局面もベタベタに分かりやすい。悪役なんてどこからどう見ても悪らつだし、天才ミュージシャンの天才ぶりもスーパーマンみたいだった。
佐藤健は非常に格好良いのだが、見方を変えれば非常に気持ち悪い。そこがまたこのドラマのキモになっている。ボーイズラブ的な要素もあって観る人によってはいろんな楽しみ方ができる作品だ。
バンドの腕っこきギタリスト役の町田啓太という俳優も良かった。ロン毛がとてもカッチョよく、同じくバンドメンバー役の志尊淳よりも二枚目ぶりが際立っていた。菅田将暉の突き抜けた感じも良かった。
とにかくツッコミどころ満載の作品だったから細かいあらすじを書きたくてしょうがないのだが、これから観る人のためにそこは割愛。間違いなく言えることは「大映ドラマ」的な仕上がりに対して、いちいちツッコミを入れながら鑑賞すると楽しいということだ。
そう書くとディスっているように思われそうだが逆である。ツッコミまくれる面白さこそがこのドラマのウリなんだと思う。あえてそういう作りに徹したのではと邪推してしまう。
それにしても俳優って凄いと改めて感じる。ライブシーンでの演技はどうみても卓越したミュージシャンにしか見えない。オヤジバンドのボーカリストである私からすると、あそこまで徹底してカッチョよくキメちゃう姿に尊敬すら覚えた。
ノリノリで演奏したりシャウトしたり…。そういうシーンを本物のライブでもないのにやり切っちゃう憑依体質ぶりが凄い。私自身、10年以上バンド活動を続けているが、いつまで経ってもステージ上では恥ずかしくてノリきれない。このドラマを見習って今年のライブではハジけてみようと決意した次第である。
深夜に一人、このドラマを観ながら「おいおい!」とか「そりゃあ無いわ!」とか「なんじゃソレ!」などと声に出しながら過ごした時間は意外に有意義?だった。時には単純明快な娯楽作品の世界に没頭するのも悪くない。
マクドナルドが日本に登場したのは昭和46年、銀座に1号店がオープンした。もう50年以上前の話だ。銀座店はお弁当屋さんみたいに店頭で販売するだけで椅子席はなかったそうだ。椅子席が用意された最初の店舗は同じ年にオープンした代々木店だとか。
私がマックと出会ったのは開業間もない代々木店である。当時私はボンボン!だったから荻窪の家から飯田橋の幼稚園までクルマで送り迎えされていた。帰り道に母親が立ち寄ってくれるマック代々木店は憩いの地だった。
いま思えばよくもあんな距離を毎日毎日送り迎えしてもらえたものだと思う。当時は交通量がまだまだ少なめだったのだろうか。交通戦争なる言葉が生まれどこも渋滞だらけになる少し前ののどかな時代だったのかもしれない。
マック代々木店での思い出といえばフィレオフィッシュのタルタルソースとマックシェイクに尽きる。タルタルソースという悪魔的にウマいものはまだ世の中に出回っていなかった。少なくとも私の世代に関してはタルタルソースはマックで覚えた。
さて、シェイクである。当時の子供でもミルクセーキという飲みものは知っていた。名前の響きもどこか魅惑的だったのだが、マックが「シェイク」と言い出してから「セーキ」への愛は一気に吹き飛び「シェイク」の大ファンになってしまった。
ミルクセーキとは違うあのアイスクリーム的な冷たさも衝撃だった。まだまだ後進国だった日本の子供全員がシェイクに骨抜きにされたのは歴史的事実だろう。
聞くところによるとマックシェイクにはちょっとした秘密があるらしい。秘密というかこだわりだ。マクドナルドはシェイクを美味しく感じる吸引速度を研究して「母乳を飲む速度」を目指してシェイクの粘度などを決めたという。ストローもそれを計算した太さに統一されているそうだ。
子供たちはイチコロだろう。あのちょっと野暮ったい吸い心地は母乳を吸う感覚を無意識に思い起こさせるわけだ。夢中になるのも当然である。ちなみに今も私はマックシェイクが好きだ。母乳かどうかはさておき、きっと私も「乳の吸い心地」に魅せられているのだろう。ちょっと恥ずかしい。
デリバリーがすっかり日本人の食生活を支えている昨今だが、マックのデリバリーメニューにマックシェイクが無いことは大いに残念である。きっとマックが誇る「母乳吸引感」がデリバリーだと台無しになってしまうことを避けているのだろう。
マック以外のデリバリーの世界にはシェイク的なものはそれなりに存在する。ドミノピザがカフェ的なメニューとして用意しているシェイクも美味しい。最近わりとハマっている。素直にウマい。ホイップクリーム抜きを選ばないあたりが私の悪いクセだ。
以前から甘いものは好きだが、昨年あたりからスイーツ愛がやたらと高まっている私としては今の季節、シェイクを見かければすぐに欲しくなってしまう。
最近はコーヒーのチェーン店・タリーズが出しているエスプレッソシェイクもやたらと飲んでいる。名前の通りちょこっとほろ苦さもあるので大人向きだろう。変な話だが、タバコとの相性が抜群だ。タバコ休憩の相棒として活躍してくれている。
数あるシェイク類の中でもちょっとした希少性を味わえるのが「ずんだシェイク」だ。シェイクといえば、バニラ、ストロベリー、チョコ、そのほかのフルーツ系が主流だが、ずんだシェイクは翻訳?すれば枝豆シェイクである。そう聞くと気持ち悪いが、甘みを足したずんだ餅に使うあのペーストがベースに使われている。
職場や家の近所でずんだシェイクを味わえる店を知らないので、羽田空港に出かけた時の私の密やかな楽しみである。羽田に行く機会があれば必ず飲む。時間が無くても駆け足で買いに行くほどウマいと思う。空港にあるなら東京駅を探せばありそうだから今度探してみようと思う。
今の地元・日本橋にある「GODIVA CAFE」の近くを通るとシェイク的なチョコレートドリンクを買いたくなる。昔、銀座7丁目あたりにあった「GODIVA CAFE」には同伴メシを食べた後のクラブのオネエサン達とよく行ったことを思い出す。懐かしの味である。
この店では「シェイク」と呼ばずに「ショコリキサー」という謎のネーミングだ。よく分からないがシェイクの仲間として認識して間違いないだろう。
この画像はわがオヤジバンドのメンバーと八重洲の居酒屋でいっぱいやった後に立ち寄った際の一コマ。酒の後でこういう口直しも悪くない。
綺麗なオネエサンか、禿げたオッサンか、一緒にいる相手は違ってもシェイクの味は同じだ。でもお互いのシェイクの違いを味見することはなかった。オッサン同士である。ストローで間接キッスする姿は一種の地獄絵図である…。
ヘンテコなまとめかたになってしまった。
いま、時代のエジキになっているのが福山雅治である。何だかお気の毒だ。私は彼のファンではない。どちらかといえば苦手だ。それでも飲み会を楽しんだだけで「深く反省しております」と言わされる状況が気の毒だと思う。
だいたい「不適切会合」という怪しげな言葉が独り歩きしているのが気持ち悪い。なんじゃそれ?って感じだ。渋々参加するメンバーがいる飲み会はすべてが「不適切会合」に該当するのだろうか。だったら毎日毎晩、日本全国の端から端まで不適切だらけである。
肝心のフジテレビ自体が「福山さんによるハラスメント行為があったという申告は確認していません」と発表している。だったら一体あの騒ぎは何なんだろう。
端的に言えば飲み会で下ネタが飛び交ってそれを不快に感じた人がいたという話だ。ニュースバリューも無ければ世間が騒ぐ必要もない話だ。
下ネタまで糾弾されるような社会になったら暗黒時代の到来だ。それこそ軍国主義の戦時中のような息苦しい世の中になってしまう。エロをおおらかに語ったり表現したりすることは社会が平和であることの一種の証である。大げさなようだがそれって真理だと思う。
だいたい、下ネタ乱発で糾弾されちゃうなら私なんて100回以上起訴されて50回ぐらいは銃殺刑になってしまう。話の内容が不快だったというだけでバッシングされるなら何も下ネタだけを槍玉にあげる必要はないだろう。
先輩や上司の自慢話や知ったかぶりするオッサンのウンチクや疲れたオバサンの愚痴だって、付き合いで聞かされる側は堪ったものではない。下ネタを聞いて不快になるのと不快さはさほど変わらない。
だったらそれらも「不快だ」の一言で糾弾すればいいというヘンテコな理屈も成り立ってしまう気がする。いわば気に入らない会話はすべてクレームの対象ということになりかねない。実に息苦しい世の中だ。
今回の「不適切」をめぐって鬼の首でも取ったかのように騒ぐメディアや一部のSNS愛好家のあさましさというかアホらしさが物凄く気持ち悪い。要するに売れっこの足を引っ張りたいだけ。いわば嫉妬や妬みの類だ。
世の中で話題になる不倫騒動やらトラブルを叩きたがる真理って嫉妬や妬みが根本のエネルギー源である。なんとも淋しい話だと思う。みみっちいというか、チンケというか、哀れな感じすら覚える。
不倫バッシングに励む人に限って、カラオケに行けば不倫を描いたヒット曲を熱唱したり不倫を題材にしたドラマに熱中したりする。要は自分では足を踏み込めない世界でウマくやっている人への嫉妬だ。
自分には真似できないという残念な感情を思いつきの正義感によってゴマかしているようにしか見えない。綺麗ごとや正論を正面から吐くことは一種の安全地帯からの発言だ。恐いものナシで全能感みたいな感覚に酔えちゃう。バカな話だと思う。
なんだか勢い余って強めの書き方になってしまった。不快に思った人がいればスイマセン!
もちろん、不同意性交罪や強制わいせつに該当するような不祥事ならとことん叩かれて当然だし、擁護する気はさらさら無い。それらの犯罪行為とちょっとした脱線行為をゴチャ混ぜにして何でもかんでも叩きたがる風潮がオゾましいと言いたいだけである。
今の世の中、ごく一部の人のクレームをことさら事件かのように扱う面倒くさい空気が支配的だ。昭和の頃がおおらか過ぎたのも事実だが、イマドキの閉そく感は年々強まっているようでブキミですらある。
話は変わるが、先日観たNHKのドキュメント番組でタメ息が出ちゃうような話が紹介されていた。
甲子園に出場している沖縄代表の高校を応援する際、アルプススタンドから「ハイサイおじさん」のメロディーが鳴り響くのがおなじみの光景だ。ところが、一時期あの演奏を中止していたことがあったという。
理由はちょっとしたクレームだ。「ハイサイおじさん」という歌は酒浸りのオジサンを描いているから高校生の応援にふさわしくないというのがその内容。
私には単なるイチャモンにしか思えない。沖縄の応援団の皆様にも逡巡はあったようだが、ある試合のチャンスの場面で思い切って再開、その後は今に至るまですっかりチャンステーマとして定着している。
話がそれてしまったが、今の社会にはびこる息苦しい空気感を思うと、このエピソードはある種の教訓のようにも思える。
話のオチはとくにない。息苦しい社会が続くことがちょっと不安だ。いま必要なのは「おおらかさ」。その一言に尽きると思う。
火野正平や山城新伍が開き直っていた頃が妙に懐かしく感じる今日この頃である。若い人には分からないか…。
昔から漫画やアニメの世界に没頭できないタチだ。世代的にはルパン三世やガンダムや宇宙戦艦ヤマトに熱中してもおかしくなかったのだが、どれもまったく興味がなかった。
子供時代に熱中したヒーローシリーズも仮面ライダーやキカイダー、はたまたロボコンみたいな実写版ばかりでアニメ系に熱中したことがない。私自身に絵心のカケラがまったくないせいでヒネくれてしまったのだろうか。
さて、そんな私だが、子供が幼い頃に付き合いで観たアニメ「千と千尋の神隠し」の中のあるシーンだけは妙に印象に残っている。そのシーンは今もしょっちゅう脳裏をよぎる。主人公の女の子の両親が突然豚になっちゃうシーンである。
確か、どこかに置いてあった食べ物を勝手に食べあさっているうちに豚に変身してしまったシーンだ。食い意地のはった私としては妙に怖い描写に思えた。
「勝手にヨソのメシを食べちゃうと豚になる」。映画公開時にすでに立派な大人だった私だが、あのシーンのせいで、人様の食事を断りもなく食べてはいけないと初めて!?知った次第である。バカですいません。
よく覚えていないのだが、あのシーンは何となく不思議だった。子供がいるいっぱしのオトナが夫婦そろって人様の食卓に置いてある食事を勝手にガツガツ食べちゃう。普通そんなヤツはいないだろう。ヤクザもビックリの非道ぶりだ。
まあ、そんな非道ぶりだから罰として豚になってしまったのだろう。結局、意味がよく分からないシーンなのだが、私の頭の中には「意地汚く食う」イコール「豚になっちゃう」みたいな図式が埋め込まれてしまった。私の脳みそは実に単純だ。
「食べてすぐ寝ると牛になる」。そんな迷信みたいな話を幼い頃によく聞かされた。もちろん、信じるほどバカではなかったが、深層心理のどこかに「牛になっちゃうオレ」という映像が刻まれている。そんなスットコドッコイは私だけだろうか…。
そのせいもあって「豚になっちゃうオレ」という恐怖心もアニメ映画のせいで私の心の片隅にあるみたいだ。「豚イコールデブ」みたいなイメージも相まって、ドカ食いや意地汚い食べ方をすると豚に姿を変えた自分を想像してしまう。
そんなことを書くと自分が異常者みたいだ。まあいいか。
おバカな私のこんな発想には少なからず豚肉が大好きであることが影響している。いわば、豚に対する申しわけなさである。
ここ数年、とにかく豚肉愛が強い。我が家の冷蔵庫、冷凍庫には豚肉しか無いといっても過言ではない。ふるさと納税で取り寄せる食品もコメの他には豚肉ばかりである。
極端な言い方をすれば「牛肉ほど重くない、鶏肉ほど軽くない」という点にハマり続けているのだろう。自炊する際も大半が豚肉をアレコレしている。
上の画像は赤坂のハモニ食堂で食べたサムギョプサル。この店はわがオヤジバンドのスタジオ練習の後に何度か利用した。4~5人ぐらいでアレコレ注文するといろんな味が楽しめるのでオススメである。
ウマい豚肉は何より食感が好ましい。当たり前だが牛や鶏とも違う歯ごたえにウットリする。脂身の甘みもまた素敵である。牛の脂よりも断然甘さと旨味が強いと感じる。
そんな豚ファンの私が見逃していた豚肉料理の専門店がある。マロリーポークステーキというチェーン店だ。だいぶ前からその存在は知っていたのだが、未踏の地だった。
料理のサイズ感をウリにしている店にウマい店はない、そんな固定観念に縛られていたせいで何となく敬遠していたのだが、ひょんなことで初体験してきた。単純にウマかった。やはり食わず嫌いは損をする。
とある日の昼下がり、ちょっとした事情で朝飯抜きだったので空腹バリバリの状態で最近オープンした日本橋店に入店してみた。画像はランチメニューだから夜は値段が変わるのかもしれないが、肉の量からすれば値段も手頃である。
「安いステーキは美味しくない」。これまた固定観念のせいでちょっと心配になったのだが、とにかく空腹だったので450グラムの豚の塊を注文した。
付け合わせのタレというかソースが2種類用意されていた。どちらも肉との相性がバッチリだった。別注でトリュフバターも追加したのだが、これまた味変効果を発揮して悪くなかった。
肝心のポークステーキそのものについてだが、しっととり柔らかく焼き上げられていた。パサついた部分はまったく無かった。ヘタな牛のステーキを食べるなら個人的には断然こっちが良いと感じた。空腹男子なら450グラムはペロリだろう。
極度の空腹だったから何を食べても美味しく感じたのかもしれないが、想像していた味より確実に上だった。すぐにまた食べたい気分である。
夜はツマミになる小皿メニューがいくつも用意されているようなので近いうちに飲み屋さん的にも活用しようと思う。
ここ数か月、節制も兼ねてモツ焼き屋に行って怪しい部位の豚肉をチマチマ食べる機会が多い。炭水化物は避けて梅きゅうやモヤシ炒めなども頼んでヘルシーな気分になっている。
それはそれで悪くないが、ポークステーキ屋でも似たような過ごし方はできそうだ。生ハムやピクルスをツマミにハイボールでも飲みながらシメに適量の豚の塊を食らう。なかなか魅力的だ。
ホッピーにモツ焼き、というパターンよりちょっとシャレている。でも豚は豚だからきっと総摂取カロリーは似たようなものだろう。
でもデカいサイズを頼みたくなる私の悪いクセは要注意だ。調子に乗っていると「千と千尋…」みたいに気づけば豚になってブヒブヒ言ってるかもしれない。怖い怖い。
体重が13、4キロ減量したことは以前にも書いたが、あと3キロぐらい落としたいのになかなか落ちない。さすがにここからはストイックに頑張らないと簡単には落ちないのかもしれない。気長に向き合ってみよう。
減量前と比べるともろもろラクになった。いま10キロ以上のオモリをつけて行動したら間違いなくキツい。そう考えると倦怠感の理由も単なるデブに起因していたのかと思える。
ズボンがぶかぶかになったのは喜ばしいが問題もある。スーツの上着を脱いでいる今の季節だと腹周りのズボンのヨレた感じがカッチョ悪い。かといってすぐに10キロ以上戻ってしまう自信もあるから直しに出す勇気はない。
デブが標準の時はこの画像のような「秘密兵器」も必要だった。キツくなったズボンを小手先でワイドに延長して履けるようにするグッズだ。こんなものが存在するならきっと逆パターンのグッズもあるはずだと思って調べてみた。
やはり世の中にはユルユルになったズボンを直しに出す勇気がない人が多いみたいで、対策グッズは簡単に見つかった。なかでも最も簡単そうだったクリップみたいなやつを早速取り寄せてみた。
ズボンのウエスト周りを数センチつまんで挟んでしまうだけの単純な仕組みだ。このクリップの上からベルトをすればクリップ自体も隠れるので悪くない。クリップで挟んだ箇所の下のほうがちょっとイビツになるが、ダブダブのまま放っておくよりはマシだ。
というわけで、腹回りのサイズが変わったことで私の身の回りに起きた変化のひとつが「ジェラピケ」をめぐる喜びである。若者に人気のジェラート・ピケという触感の良さをウリにする洋服ブランドだ。
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冬用の部屋着はフワフワモコモコの触り心地が最高で、若者ではない私もこっそり寝間着兼部屋着として愛用している。男性用はSとLのサイズ展開だが、Lが一般のXLぐらいゆとりがあるのでデブな私も着られる。
ただ、ウェストのゴムがデブにはちょっとキツい。尻部分、太もも部分、股上などは問題ないのだが、ウェストのゴムの締め付けが強めだ。私はとにかく寝ている時の締め付け感が苦手だ。下着だって寝るとき用にわざわざ5Lぐらいのブッカブカなものを着用する。
このジェラピケのズボン問題が減量によって大いに改善された。私にとって今年一番の喜びと言っても良い。夏物のジェラピケはフワフワモコモコではなく、薄手でトゥルトゥルサラサラが特徴である。冬物とは別次元のウットリ触感である。
寝間着は夏でも長袖長ズボンが身体に良いらしい。私も以前はTシャツ短パンで寝ていたが、最近は長袖長ズボン派になった。一般的なパジャマの質感が好きではない私は夏場の寝間着に関してはお気に入りが見つからずに難民状態だった。
というわけで夏用のジェラピケをいろいろ買ってみた。残念ながら上は薄手の長袖商品が見つからなかったのだが、ズボンはバッチリだった。トゥルトゥルサラサラの長ズボンを3つほど買ってご機嫌だ。下の画像は触感に喜んで踊る私である。
こういうシリーズの商品は大半の人が寝間着用に買うはずだ。にもかかわらず同じ質感の長袖がラインナップされていないことが残念。もしあれば私は毎年たくさん買っちゃうと思う。ぜひ来年の夏には発売して欲しい。
部屋着や寝間着の快適性を追求することは自宅での時間をノホホンと過ごすためには重要である。外出する際は少なからず人目を意識した格好をするわけだから家にいる時はとことんワガママを徹底したい。触感やユルさを自分好みにこだわることは案外大事だろう。
宅急便やウーバーイーツを玄関先で受け取る時にちょっと恥ずかしいぐらいの格好がちょうどいいのかもしれない。
今年も高校野球を見に甲子園に行ってきた。2年連続でのナマ観戦だからもろもろ昨年の教訓を活かして快適に過ごすことができた。
観戦したのは2日間。いずれも午前の部と夕方の部の2部制だったのだが、暑さ対策が一番大事になるため贅沢ながらそれぞれ複数の座席を予約してみた。
昨年の経験を参考に時間帯ごとの日差しの角度を考慮して直射日光を避けるよう状況に応じて席を移動した。グランドに近い席と屋根下に位置する後部側の席だ。いろんな角度から観戦出来て楽しかった。
高校野球の面白さは最後まであきらめない真剣さに尽きる。点差をつけられて負けているチームも最終回まで逆転を信じて必死にプレーする。あの純情さというか、無垢な感じにオジサマとしては胸を打たれる。
試合前後に整列して挨拶する姿も清々しい。ベースボールとは違う野球道の世界だ。「元気な若者」のハツラツとした姿を見ているだけで何となくエネルギーをもらえるような気がする。
1日に4試合も観戦したから飲み食いもほとんど球場内で済ませた。コテコテ関西メシがあれこれ揃っているので球場内をうろうろしながら何を食べようか迷うのも楽しい。
一応、節制中の身としてはあまりドカ食いをするわけにもいかない。かといって我慢ばかりだと切ない。それなりにいろいろ食べた。ジャンクフードの極みともいえるソバメシを筆頭に牛すじ丼もウマかった。ちょっと高価な近江牛の一枚焼弁当や牛丼も悪くなかった。
それにしてもソバメシって実にヘンテコな食べ物である。あれをメニュー化した人の勇気には恐れ入る。こっそり家で作るような食べものだろう。おまけにそんなものを食べているとは他人には言えないような邪道ぶりである。それをお金を取って客に食べさせようとした感覚が凄い。
もっと言えば、どこかの店が始めたそんなものが他の店にもガンガン広まっていった事実にもビックリである。物凄くウマいかと言われればビミョーだが、個人的には好きだ。焼きそばもコメもソースも大好きな私にとって見かけたら食べないわけにはいかない一品である。
さてさて、今回の甲子園でのトピックは突然の大雨で水浸しになったグランドを早ワザで修復する天下の阪神園芸の仕事ぶりを見られたことだ。
ゲリラ豪雨で水浸し状態だったのに1時間ぐらいでプレーできる状態に復旧させた。100年以上の伝統を誇る甲子園は裏方さんの努力と技能無くしては成り立たないことを実感した。
高校野球観戦が目的だったが、昨年同様、大坂でお笑いも楽しんだ。うまく電車を乗り継げば甲子園球場となんばグランド花月は30分ぐらいで移動できる。試合のない昼過ぎの時間帯に行ったほか、帰京する日の午前中も行ってきた。
7組の漫才とその後に吉本新喜劇だ。夏休みシーズンとあって有名どころが出演していた。たまたま最前列に座れたので出演者は至近距離だ。ザ・ぼんちのおさむちゃんを久しぶりに見られてちょっと感激した。漫才は全部面白かったが、名前すら知らなかった「吉田たち」が一番面白かったのが印象的だった。
夜遅くに到着した初日を含めて3泊もしたのに球場外で食事をしたのはたったの2回。それも両方テキトーに入った串カツ屋である。食べたのはドテ煮と串カツだけだ。
1軒はなんばグランド花月のそば、もう1軒は西梅田駅近くの怪しげな古いビル内の飲食店街にあった店だ。運よく両方ともちゃんとウマい串カツだった。昨年もなんば周辺で串カツ屋に入ったのだが、そこに比べると格段に美味しかった。去年の店がよほどダメダメだったのだろう。
最近になって大学野球マニアみたいになってしまった私としては、今回ナマ観戦した高校球児たちが東京六大学などに進んでくれたら楽しい。そこから活躍してプロに行ってくれたら「アイツのことは高校時代から見てたぜ」と誰かに自慢できる。
ちなみに来月には沖縄で18歳以下の野球世界大会が開催される。日本チームは今回の甲子園で活躍した選手を中心に編成される。世間ではちっとも話題になっていないが、私としてはこの夏一番楽しみなイベントだ。
すでに飛行機もホテルも観戦チケットも確保した。世の中には野球観戦しか楽しみがないようなオジイチャンが結構いるが、いよいよ私もそっち側の陣営に加わったようだ。それもまた「いとをかし」である。
近頃は何かにつけてジェンダーだの何だのやかましい。個人的には性別は単純に2つしかないとトランプさんみたいなことを言ってしまいがちな私である。こんな感覚ではすでに時代遅れなんだろうか。
自分自身を振り返ってみても、これまでの人生は「男たるもの」という呪縛につきまとわれていた。男なら我慢しろ、男なら涙を見せるな等々、イマドキの社会では糾弾されちゃうような感覚が常識だった。いや、今も常識として染みついている。
なんだか大げさな書きぶりになったが、今日は大上段にジェンダー問題を書くわけではない。シケた食事についてがテーマだ。
私はワンパクな男の子の成れの果てだから今も「がっつり食う」とか「ドカ食い」とかに励んでこそ男だという意識が強い。大食いタレントも女子より男子を応援したくなる。
大盛り、特盛りという響きも大好きだ。「並」などと口にするのは何かに負けた気さえする。茶色い食べ物も大好きだ。トンカツをはじめとする揚げ物たち、牛丼やカレーやハヤシ等々、男子がウットリするのは茶色い食べ物だ。緑黄色野菜などと言う言葉は口に出すのも恥ずかしい。野菜好きな人、ごめんなさい。。
そんな私だが、ここ数か月は節制暮らしを続けている。おかげで体調は改善したのだが、日々、敗北感のような気持ちが消えない。「ガッツリドカ食い」という世界に背を向けている現実に忸怩たる思いがある。
「男たるもの、そんなことでいいのか!?」と自分の中にいる“快楽追求型のもう一人のオレ”が常に囁いている。
私の中には随分といろんな「オレ」がいる。凄く小心者のオレ、責任感があってマジメなオレ、ぐうたらの極みのような怠惰なオレ、突拍子もなくドスケベなオレ等々、いろんな「オレ」が日夜競い合っている。
今の私は節制に励む真面目なオレと快楽志向のオレが競い合っている状態だ。かろうじて真面目なオレがリードしているが、その差はわずかである。ゆうに10キロ以上減量しちゃったから油断する気持ちが強くなり、快楽追求型のオレが徐々に優勢になりつつある。
なにしろ「15キロ落としたら5キロぐらいリバウンドを楽しむ」というフシダラな考えで日々を過ごしている。その発想自体がすでに危ない。真面目なオレとしては形勢不利である。
そうした感覚の根っこにあるのが「男たるもの」という呪縛である。「サラダなんか食えるかい」「そんなものオンナ子供の食い物だろ?」みたいな偏狭な考えが今一つ私をヘルシーオジサンに変身させることを拒んでいる。
ここ数か月、毎朝欠かさずヨーグルトを食べている。それ自体がヘルシー志向の女性みたいで我ながら気持ち悪い。おまけにキウイとチアシード入りである。テレビの受け売りでヨーグルトとキウイを食べると運動不足解消効果があると聞いて実践してみたらクセになった。効果は不明だ。
チアシードの効能は一生懸命調べてみても謎のままなのだが、一応身体に良いという漠然とした理由だけでもう1年以上摂取し続けている。これまた効果は不明だ。
一時的にせよ胃が小さくなってきたので、朝食はこのキウイ&ヨーグルトだけで充分なのだが、そこでも「男たるもの」という邪念が頭をよぎる。これだけだとモデルを目指すオネエサンの食生活みたいで何だか気持ち悪い。
ドカ食いが本職?だった私である。そんな体たらくで良いのかと無性にイライラする。仕方ないからハムやソーセージ、ベーコンなど一般的にヘルシー志向の人が避けるような肉類も一緒にちょっと食べる。一種の罪ほろぼしみたいな感覚だ。意味不明だ。
最近は飲み屋に行ってもハムカツとかシメの焼きそばを食べない。梅きゅうだの山芋千切りだのタコの酢の物ぐらいで終わりにしてしまう。おまけに酒席のあとに牛丼やラーメンも食べない。人として正しいのかもしれないが、「男たるもの」という囁きが脳裏に響いてシャバダバな気持ちになる。
私の中にいる「快楽追求型のオレ」が最近よくささやく。「つまらない男になり下がったな」。これを言われると非常にツラい。体重が落ちて倦怠感も消えたのに「つまらない男」というレッテルは私を落ち込ませる。
実は今日から甲子園に来ている。急遽、ナマ観戦したくなってもろもろ手配した。昨年も行ったのでだいぶ勝手は分かっている。関西的なヤンチャメシ?が球場で売っていることも知っている。
そばめし、牛すじ丼あたりは「男たるもの」という気分を満たすには充分である。絶対に食べようと思う。野球観戦の合間を縫って今回も「なんばグランド花月」のチケットも手配した。周辺で串カツにビールというコテコテ関西タイムも過ごそうと思う。
私の中にいる「節制を勧めるマジメなオレ」がさんざん警告を発しているのだが、「快楽追求型の別なオレ」が私をしっかりそそのかしている。
「マジメなオレ」は間違いなくコールド負けだと思う。
あれこれ野暮用が重なり更新できなかったので過去ネタを2つ。「ハグ」と「チュー」に関する考察だ。
5年前に書いたものだが、年々、ハグしたりされたりする機会が無くなってきた。娘とも3年前から同居するようになったせいですっかりハグする機会は無くなった。
ハグの機会が多ければ多いほど人間関係が濃密かつ順調な証だと思うようになってきた。日本人のライフスタイルとはちょっと相容れないところもあるが「ハグ指数」が高ければ高いほど日々の充実度も上がってくるのだと思う。
ハグしたい気持ち
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/03/blog-post_6.html
もう一つ、ついでに「チュー」の話。こちらも当然ながら青春時代の幻みたいなものだ。でもオッサンやオバハンだって人間本来の行動原理として「チュー」を捨て去ってしまってはいけないと思います。
チューしたい気持ち
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/03/blog-post_9.html
活力って意識しないと湧いて出てこない。放っておいても活力バリバリだった若い頃と違い、この歳になると自分で自分の背中を押さないと腑抜けみたいにボーっとしたまま一日が過ぎる。
それはそれで悪いことではない。でも、せっかく持病も無く、たいしたストレスも無く呑気に生きているわけだからなるべく元気丸出しでフガフガすべきだろう。
さっさと帰宅して野球中継を見ながらウーバー頼みの夕食を食べるのも楽しいことだ。それはそれで平和の極みだが、やはりそこには「闘っている自分」「気合を入れている自分」はいない。
闘うだの気合だのと書いているが、必ずしも敵を作る必要はない。あくまですぐにボケ~っとしちゃう自分との闘いである。
先日、久しぶりに銀座のシガーバーに出かけた。葉巻に興味があるという女子に指南役としてついていった格好だ。小娘はハヤりのシーシャで遊んでりゃいいだろ?という偏屈オヤジの本音は隠して一応真面目にいろいろ教えた。
葉巻にハマっていたのはもう10年以上前になるだろうか。定期的に海外通販からキューバ産を取り寄せて自宅や職場のヒュミドールに数十本ずつ常時していた。当時は私にとって欠かせないアイテムだった。
その後、葉巻仲間が喉のガンで亡くなってしまったり日本人はDNA的に葉巻の害を身体が受けやすいといった説を耳にしたりして少しずつ縁遠くなった。今では気が向いたときにシガーバーで楽しむ程度だ。
この10年ぐらいですっかり葉巻事情も変わった。以前ほどキューバ産が入手しにくくなり、価格もぐんぐん上昇してしまった。あの世界はやはりキューバ・ハバナ産の上モノに慣れてしまうとドミニカ産高級シガーだろうと物足りなく感じる。
この日はキューバの銘品ファンロペスのセレクションNo.2という私の大好きな葉巻をプカプカしたのだが、かつての2倍近い値段だった。嗜好品だから安さを求め過ぎるのも違うが、1本5千円クラスになっちゃうと何だかビミョーな気がする。
この日の私は葉巻をふかしながら女性相手にウンチクを語っていたわけだが、そういう時の自分って間違いなく普段よりもカッコつけている。少なくとも家で水まんじゅうをモゴモゴしている時より「ダンディーなオジサマ」を演じていた。
バカみたいな話だが、バカみたいなことが人間の活力にとって案外大事なことだと思う。どことなく背筋も伸びていただろうし、声の張りや目の力、ちょっとした仕草もしかりだ。アホヅラしてスイカジュースを飲んでニマニマしている普段の私とは別の“現役男”に変身?していたはずだ。
別な言い方をすれば“オス感”が出ていたと思う。女性とチョメチョメ関係になるならないは別として、いわば「異性VS異性」という場面をしっかり意識した言動に終始していたと思う。
男たるもの365日がそんな状況じゃなきゃいかんとも思うが、さすがにそんなに元気じゃない。他にやることもあるし、水まんじゅうやスイカジュースの誘惑のほうが魅惑的な時もある。
とはいえ、実際に現役独身男である以上、オス感を捨て去ることは一種の自殺行為だ。時には自分で自分の背中を押して奮戦態勢を整えないといけない。
王選手は現役最終年に30本以上のホームランを打ったのに「王貞治としてのバッティングが出来なくなった」とすっぱり引退した。一方でノムさん・野村克也選手は「生涯一捕手」を旨にヨレヨレの中年になっても現役を続けた。
私もさすがに男女関係においては「私としての××が出来なくなった」ともいえる。王さんのようにスパっと引退する選択もあるのだろうが、ノムさんのようにヨレヨレになるまで“現役”に固執するほうを選びたい。「生涯一エロおやじ」である。
「助手席に乗るならミニスカート以外は禁止だよ」。遊んでくれるオネエサン達には今でも平気でそんなことを言っている。恥ずかしげもなく真顔でそう言う。そういう部分ではまだまだ私の現役感は維持されているはずだ。
でも、現役であるか否かをあえて意識しないとならない現状がちょっとだけ歯がゆい。そのこと自体がすでに私が老境寸前である証である。「若く見えますねと言われたら歳をとった証拠だ」という格言もある。
仕方ないからそんな現実を真摯に受け止めてそれでもなお“男道”に邁進していきたい。まだ30本ぐらいはホームランを打てる?から老け込まないように気をつけようと思う。
男の子はみんな夏が好き。そう信じて生きてきたが今では事情が違うみたいだ。「命にかかわる暑さ」という言葉が公式にアナウンスされる時代だから、気軽に「夏が好きだぜ、ウェイ!」などとは言えない。
私も夏が好きだった。過去形だ。一応、今も夏の風物詩的なものは好きだが、そんなことを楽しんでいたら命にかかわるから困ったものだ。
もはや夏を過ごすこと自体が命がけの時代である。昭和の夏のユルい感じを思い起こすとまさに隔世の感がある。学校にはエアコンが無いのが普通で、だからといって倒れるヤツもいなかったし、そもそも熱中症という言葉が無かった。
あの程度の暑さなら外に出て「夏っぽいこと」をエンジョイしても死んじゃう危険はないわけだからつくづく良い時代だったと思う。
今も私は夏の昼下がりの散歩が嫌いではない。今ではマゾみたいな変態趣味にも思える。汗だらだらになって帰宅したら水風呂に飛び込んで生き返るのが楽しい。
サウナみたいなものだが、サウナは狭い部屋でじっと耐え忍ぶあの修行僧みたいな雰囲気がちょっとダルい。散歩だったら好きな音楽を聴きながら時折、街中の雑貨屋や和菓子屋を覗くことも出来る。
疲れたら公園のベンチに腰掛けてイヤホンを外せば蝉時雨が全身を包む。一種独特な郷愁に浸れる。なによりギラつく太陽の光の強さに生き物としてパワーをもらえるような気がする。
今年の夏はそんな変態的真夏散歩をなかなか実践できていない。ちょっと頑張ってみても熱中症寸前のだるい感じになっちゃうからすぐに帰宅してしまう。実に残念だ。これもまた加齢の影響か。いや、若者だってこんな暑さの中で動き回ったらきっと同じだろう。
先日、近所の公園で盆踊りをやっていた。みなさん汗だくで頑張っていた。夜なのに30度もあったら踊りどころではない。お気の毒である。「夕涼み」という日本語もまもなく死語になるのだろう。
夏の風物詩といえば蝉時雨だが、暑すぎるせいか都心では昔ほどセミの鳴き声を聞かなくなった気がする。さすがに8月はミンミンジージーツクツクと頑張ってくれるのだろうが、7月はスカスカだった。
某休日、蝉時雨だけを目的にわざわざ赤坂の日枝神社まで行った。狙い通り緑の集中した場所ではセミの大合唱が楽しめた。でも今年はまだヒグラシの切ない響きを聴いていない。そろそろ出番だろうから週末の夕方は頑張って散歩しようと思う。
近年はモダンなかき氷が若い世代を中心に人気を集めている。私も娘に付き合っていくつかのその種のかき氷を食べてきた。確かにそれぞれウマい。うならされるような一品にも遭遇した。
でも、不思議なもので子供のころの原体験に近いかき氷のほうが結局は美味しく感じる。だいたい、イマドキのモダンなかき氷は2千円やら3千円やら呆れるような値付けが珍しくない。
そりゃあ高いコストをかけたら大向こうをうならせるかき氷はできるのだろうが、そこまで仰々しい気分で口にするようなものだろうか。「普通に美味しい」という基本こそがかき氷のポイントのような気もする。
先日、三越前にある和菓子屋さん「いちや」のイートインコーナーで食べたかき氷が良かった。あんずとイチゴミルクだ。ベーシックだけど丁寧な仕上がりで妙にウマかった。蟹を食べているかのように無言で完食してしまった。確かひとつ600円ぐらいだったと思う。
高級路線に向かって迷走するかき氷を追っかけるのも面白いが、無難かつ安定の味が楽しめるベーシック路線を極めるのも大人のたしなみかもしれない。
3月からの節制が実ってかなり体重が減った。30年前ぐらいの水準になった。具体的には13、4キロ減ったのだが、とくに目標設定をしたわけではないのでゴールが見えないのが困ったものである。
リバウンドは簡単である。変な話、体重を今の水準でキープしたいならリバウンドを考えて少なくともあと3キロぐらいは落とさないとダメな気がする。
先日コロナで寝込んだので減量に拍車がかかることに期待したのだが、ちっとも動かなかったせいか残念ながら体重に変化はなかった。
体重を減らしたところで誰かが賞金をくれるわけでもない。急にモテるはずもない。だったら何がしたいのか意味不明だが、実は私には秘かな企みがある。あと3キロぐらい落とした状態、すなわち16、7キロほど体重を減らしたら「夢の爆食いリバウンド月間」を楽しむことである。
毎日毎日カツ丼や鰻重やハンバーガーをガツガツ貪って過ごせたらどんなに幸せだろう。ファンタやスプライトもグビグビ飲もうと思う。それで5キロ以上リバウンドしてもまだ10キロ減は余裕で維持できている。10キロ減でキープできたら御の字だろう。
とはいえ、胃が小さくなりつつある今の状態だと思ったほどのバカ食いが出来ないだろうから悩ましいところだ。
まあ、こんな戯言を書いていられるのは幸せだ。大病を抱えていたら体重が減る減らないどころの話ではない。こんなことで一喜一憂していられるのは実に平和だ。
ここ数か月、ストイックに食事制限をしたわけではない。もちろん、絶対量は減らしたが意外に好きなものを食べ散らかしてきた。せいぜいカツ丼のご飯を半分以上残す程度の努力はしたが、サラダばかり食べるような勇気は私には無い。あくまでユルユルと調整に明け暮れていた感じだ。
ちゃんと鰻屋さんで白焼きを肴に一献みたいな時間も過ごしている。でも、シメの鰻重のご飯は「超少な目で!」などとシャバダバなリクエストを徹底している。
おかげで鰻重の美味しさはコメにこそあるという真理を痛感している。やはりタレのかかった白米をどっさり頬張ってこそ鰻重だと感じる。ちょぼちょぼ盛られたご飯だとやっぱりどこか寂しい。
そもそもコメが大好きだから節制目的でコメを控えめにするのはちょっとツラい。ちなみに小麦抜きにも並行して励んでいる。パンやパスタや麺類をここ数か月ほとんど口にしていないのだが、そっちは思ったほどツラくない。やはりコメである。
ウソかホントか時々しっかり食べたほうが中長期的な減量には効果的だと聞く。「時々」というのが実に曖昧だ。すぐに自分を甘やかしてしまう私の性格上、油断したら「時々」が毎日みたいになっちゃいそうで危険だ。
先日、100日ぶりぐらいに馴染みのお寿司屋さんを訪ねた。100日ぶりなら「時々」どころではない。多いときは週に一度は通っていた店だからかなりのご無沙汰である。
煮タコやら小肌のガリ合えやら煮ハマグリなどをツマミにグビグビと冷酒を身体に染み込ませる。節制暮らしで酒量も激減したから早いペースでホロ酔いになる。
やはり漫然と食ったり飲んだりを繰り返す日々よりもたまには自分を飢えた状態にしたほうが味覚がフレッシュになる気がする。自分がいかに飽食暮らしに慣れきっていたかを痛感する。
握りも7~8貫は食べた。回転寿司でいえば4皿ぐらいだがダラ飲み効果のおかげで結構満足した。これまでならこの後に牛丼やフィレオフィッシュを食べちゃうのが私の悪いクセなのだが、今の私はそういう悪魔の囁きには負けない。この日も無事に一日が終わった。
減量の話ばかりになってしまったが、元々は倦怠感退治が目的だった。キックボクシングジムに通い始め、小麦を摂取しないようにして新たなサプリも飲み始めた。糖質制限はあまり意識していないので、毎日毎日水ようかんやら大福やら水まんじゅうは食べている。
ダルくてダルくてデロデロだった状態はいつの間にかなくなり、最近は割とスッキリしている。何が効果があったかはよく分からないのが正直なところである。キックボクシングは続けているが、せいぜい週に2回である。それよりも小麦を意識したことがポイントだったような気がする。
もちろん、毎日毎日ラーメンを食べまくっても倦怠感に無縁な人もいるわけだから実際のところは不明だ。ただ、私の場合、コンビニのパスタや菓子パンやクッキー類などかなり過剰に小麦を摂取していたから、そこを改善したことは今の体調と無関係ではないと思う。
そのせいで、この夏私は大好きな冷やし中華を口にしていない。冷やし中華は例年、全国からあれこれ取り寄せるほど愛しているので今年は異常事態といえよう。
15キロ以上の減量に成功したら大盛りカツ丼をおかずにしながら具の無い冷やし中華2玉を主食としてウットリしながら味わってみたい。
コロナはだいたい5日間ぐらいの不調で済んだ。今回はやや重かった気がする。発熱、頭痛、全身の痛み等々なかなか厄介だった。季節のせいだろうか。
ヤツのせいで身体内部のポンコツ化、劣化が進むとしたら困ったものだ。過去数回分の感染と合わせて累積したダメージが私の血管などをヘナヘナにしていると考えるとちょっと怖い。大豆とかをいっぱい食べないといけない。
というわけで豆腐が具の代表恪である味噌汁をめぐる過去ネタを一つ載せます。
これを書いてから早10年以上が過ぎた。今でも私の暮らしには味噌汁が足りない。シングルライフになってから不便なこと、困ることはほとんど無いのだが、味噌汁問題だけは解決しないままだ。今後もずっとボヤき続けることになりそうだ。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/10/blog-post.html
恥ずかしながらまたコロナに感染してしまった。通算で4度目か5度目だ。今回は喉痛と熱がかなりキツい。夏場の発熱は何かとシンドイから皆様もお気をつけください。
というわけで過去ネタをアップします。
恥ずかしいこと
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/08/blog-post_17.html
夏まっ盛りである。暑くてタマランチンなのだが、私が生息する中央区界隈ではまだセミの声が聞こえない。あの騒々しくも風流なセミの鳴き声があっての夏だと思う。
私にとっての夏の風物詩として見逃せないのがスイカジュースである。不思議と冬場には飲みたくならないが夏になると我が家の冷蔵庫の結構なスぺースを占有する。
スイカジュースへの愛を5年前にこのブログで書いた。当時、会社のそばにあるプロントで飲むスイカジュースにゾッコンだった(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/06/blog-post_26.html)。
その後、座ってタバコが吸えなくなったからプロントとは縁が切れたが、スイカジュースをこよなく愛する私の性癖?は今も変わらない。
この画像は5年前にも書いたビミョーな味のスイカジュースだ。あの頃は仕方なくこれを家の冷蔵庫に常備していたが、今はスイカジュース業界も多少は進化したようでネットで探せば以前よりは種類が豊富になった。
私の一押しが「モーション」というメーカーのスイカジュースだ。輸入食品屋さん「カルディ」で人気を集めているそうだが、アマゾンで買ってみた。
ひとつが330mlという謎の分量なのが問題だが、素直に美味しい。いまのところ他を抑えてぶっちぎりの優勝だと思う。アジアのリゾート地などで気軽に飲めるスイカジュースとほぼ同じ味がする。その後は箱買いして愛飲している。
値段はちょっと高めだが、一本を2回に分けて飲めば妥当な金額になる。まあ、そんなしみったれた発想は嗜好品に対して抱いてはいけない。
私にとってスイカジュースはあくまでも嗜好品という次元である。オロナミンCみたいなものだ。オロCの容量は120mlなのに小売り価格は120円ぐらいだ。普通サイズのペットボトルに換算したら富豪的な嗜好品である。
オロCだけでなく、ドリンク剤やそこらへんの安いカフェのコーヒーの価格を考えてもこのスイカジュースを高いと敬遠するのは間違いだと思う。
それ以前に百円単位の高い安いを熱く語るようになったら富豪を目指す私の名折れだ。思えばウーバーでデリバリーを頼む際も250円追加の「優先配達」を悩まず選択するし、タクシー配車の500円の手数料も気にせず呼んじゃうわけだから小さなことをブツクサ書いても始まらない。
いかんいかん、話がシャバダバな方向にズレてしまった。今日はスイカジュースの話である。
私の友人はスジャータブランドのこのスイカジュースを好んでいるようだ。私もネット注文しちゃったのでウチにずいぶん溜まっている。これも美味しい。冒頭で紹介した「CHABAA」のスイカジュースより10倍美味しい。
ただ、スイカジュースそのものという感じではない。リンゴジュース成分も入っているとかで、「モーション」製のスイカジュースに比べると無理してスイカ味に近づけた感がしなくもない。砂糖的甘さがもう少し抑えてあればバッチリだろう。
スイカといえば、子供のころは太い三日月型にカットしてもらったものをスイカ用のスプーンを駆使して食べるのが普通だった。あの昭和標準形の食べ方をしなくなって久しい。今ではスーパーで売っているカットスイカばかり食べている。
今では定番商品の各種のカットフルーツだが、初めて見かけたときはブキミに感じた。「何かが根本的に間違っている」という印象が強かった。これって昭和人の感覚だろうか。
今ではすっかり時代に飼いならされた私である。あらかじめカットされたりんごやパイナップルの手ごろなサイズの商品をしょっちゅうコンビニで買っている。この季節はもちろんカットスイカだ。目に入れば必ず買ってしまう。適度な量に調整されているのがニクいと思う。
とはいえ、もしいま私がカブトムシやクワガタを飼っていたら、食べ残した皮付近の切れ端をヤツらの餌にすることはできない。当然ながらカットスイカは皮がない。「スイカ今昔」を語るうえでこの部分は大きなポイントだ。
よく分からないまとめになってしまったが、スイカジュースの更なる発展と普及、より良い商品が生まれることを期待している。