2022年11月30日水曜日

幸せな時間


3年ぶりにバンドライブを無事に終えることが出来た。この前の日曜、例年使っている南青山のライブハウス「マンダラ」でしっかり2時間半のステージをこなしてきた。

 



 久しぶりだから心配事だらけだったが、始まってしまえば、さすが?キャリア10年のベテランである。とりあえずバッチリこなすことができた。

 

私が歌う箇所をすっ飛ばしたところもあったが、他のメンバーは練習の時以上の力を発揮してくれた。個人的には大満足の結果となった。

 

これって凄く幸せなことだ。この歳になって大勢の人様の前で声援を受けながら普段はプロが使うステージで音楽仲間や友人とワイワイ楽しめるのは得がたい体験である。




成り行きで何となく始めた音楽活動が10年も続いて今ではそれっぽいライブをこなしている。音楽的な趣味や素養と無縁で生きてきた半生だったから我ながら不思議な気持ちがする。

 

今回初参加となった同級生新人ドラマーは2曲だけ担当したのだが問題なく決めてくれた。この夏、急きょ参加が決まり初めてスタジオ練習に招いた時にはオヨヨ状態だったのだが、猛練習の成果が本番当日にしっかりと出た。

 

もう一人、初参加の腕っこきドラマーは抜群のテクニックでライブ中盤から後半の盛り上げに大いに貢献してくれた。40歳の彼はドラム一つで極端に歌が歌いやすくなることを教えてくれる卓越した技能の持ち主。来年も参加してくれるようで有難い。

 

普段は控えめな同級生のベース担当も今回は積極的に前に出る感じでノリノリの曲に深みを与えてくれた。練習の際も口数少なめながら時折ふと核心に迫る意見を出してくれたから有難かった。

 

わが姪っ子はキーボード、バイオリン、ウクレレ、カリンバを取っ替え引っ替えしながら便利屋的に大活躍。彼女のソロ歌唱曲の練習では伴奏するメンバーに細かく注文をつけるから何かと大変だったが、トータルでオジサマバンドに花を添えてくれた。

 

エレキギター担当も美しいメロディーを随所にキッチリ入れてくれてベテランならではの安定した腕前を披露してくれた。哀愁系、賑やか系いずれもイメージ通りの音をキッチリ奏でてくれた。

 

ステージの前側に陣取る私を含む同級生基礎メンバー3人はそんな面々のおかげでただただ楽しい時間を過ごすことが出来た。その3人の名前がバンド名の元になっているのだが、そんなバンド名のままでは申し訳ない気がしてきた。

 

実は先週の前半に体調を崩しかけて結構な喉痛が襲ってきてかなりビビっていた。扁桃腺炎になった時のための抗生物質や消炎剤をストックしてあったので速効で飲んでゴマかしていた。

 



 本番前日の最終練習の時も体調がイマイチで不安100%だったのだが、当日の朝、有難いことに爽やかに目覚めて喉も問題無し。直前リハーサルでもしっかり声が出た。その時点でこの日の成功は見えたような気がした。

 

おかげで楽屋で飲んだ酒にしっかり酔ってしまった。これは誤算だった。これまで本番前の楽屋では緊張のせいでいくら飲んでもちっとも酔わなかったから、その感覚でリハーサル後にシードルと焼酎をチャンポンしていた。

 

気付けば本番10分前。ちょっとクラっとしながら衣装の一部も忘れたままでステージに向かう。あれ以上酔っていたらちょっとMC進行が危なかったかもしれない。というわけで、一曲目をどんな感じで歌ったのかよく覚えていない。

 

10回近くライブを経験したが、本番前に酔ったのは初めてだ。これってもしかすると「こなれたベテラン」になった証かもしれない。緊張感が高まっていると酔えないはずだから見方を変えれば緊張していなかったことになる。

 

前日までの体調不良がおさまり、本番当日の集合時間に総勢8名のメンバーが無事に集まったことでリハーサルの段階で「辿り着いた感覚」に陥ってしまった。本番前なのに完結したような気分になって必要以上にリラックスしてしまったのだろう。

 

コロナ禍という厄介な理由で休止せざるを得なかった活動である。やっとのことでの再始動だったから肝心の本番以前にメンバーが欠けずに集って予定曲をキッチリこなせるようになった時点で満足しちゃったのかも知れない。

 



おかげで本番は調子よく進行できた。お客様との一体感はこれまでも我がバンドの自慢だったが、今回はより充実した感覚があった。自画自賛だがかなり楽しい時間になったと思う。

 

コロナのせいでまるで予定が立たなくなり活動を続けるモチベーションが下がった時期もあった。何とか復活させて良かったと痛感する。継続は力なりとは言い得て妙である。

 

今年はオリジナル曲は披露せず、誰もが知っているような曲のカバーだけで構成した。自前の渋い?歌も捨てがたいが、お客様目線ではビミョー?だろうからこれはこれで正解だったと思う。

 

――――――――――――――――――――――――

 備忘用 演目

 

やさしい悪魔(キャンディーズ)

メトロにのって(斉藤和義)

 19のままさ(浜田省吾)

 浅草キッド(ビートたけし)

 涙のキッス(サザンオールスターズ)

 ドライフラワー(優里) 

 猫(DISH

 True Love(藤井フミヤ)

 白い雲のように(猿岩石)

 帰ろう(藤井風)

ルージュの伝言(松任谷由実)

とんぼ(長渕剛)

さよならエレジー(菅田将暉)

 チャンピオン(アリス)

 どうにも止まらない(山本リンダ)

止まらないhaha(矢沢永吉)

 勝手にしやがれ(沢田研二)

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年11月28日月曜日

良書か悪書か


読書と聞くと何だか大袈裟に聞こえるが、本を読むことは大事だ。本に限らず雑誌だって構わない。活字を読んでフムフムと何かを感じることは生きていく上で欠かせない“学び”だと思う。

 

「たいした本じゃないけど」。よく聞くフレーズだ。本といえばついつい格調高いものを読んでいないと正しくないみたいな考えが世の中の根底にあるのだろう。決してそんなことはない。

 

前にも書いたが「高田純次」の本だろうが、興味を持って読み込めば何かしらの発見はある。世間話の際の小話の一つにでもなったら儲けものだ。それで充分だ。

 

エロ本しかり。自分が知らなかった世界を知ることが出来るし、なるほどそんなプレイもありだなといった発見につながることもある。読み物に無駄は無いと思う。

 

小難しいタイトルの小説やそれこそ哲学書を読んでみてちんぷんかんぷんなら読まずにやめた方がいい。無理して読んだ本の中身なんて自分の中に何も残らない。それならお笑い芸人のエッセイでも読んで笑っているほうが精神衛生の向上に役立つ。

 




 

本に関しては私の子供時代はとても恵まれていた。母親の信念だったのだろう、いついかなる時も本を買うための小遣いはちゃんともらえた。子供心に有り難さを感じていたから真面目な私はそれを他の遊びに使うことはせず必ず本代に充てた。

 

星新一だったり海外のSF小説だったり王貞治物語みたいな子供向けの本ばかりだったが、おかげで読書習慣が身に付いた。親からもやれ古典が良いだの太宰や三島を読め、ヘミングウェイやサリンジャーを読めなどといったお節介な指示がなかったことは大きい。

 

おかげで中学高校ではアホバカ連合に属して常に落第スレスレだったのに国語の成績は優秀だった。高2か高3の時には模試か何かで現代国語の順位が学年の上位ヒトケタに入ってしまった珍事もあった。

 

東大に二ケタの人数が合格する学校だったので、現代国語だけなら東大も夢じゃない優秀さだったわけだ。ちなみに数学の偏差値は学年最低の25だった。当時からアマノジャクを体現していたわけだ。

 

今もとくに読書のジャンルにこだわりはない。推理小説やサスペンス系、自己啓発本などは読まないが、他は何でもアリだ。もちろん、私が苦手な自己啓発本だって読む人によっては得がたい一節が心に染みることもあるだろうから頭から否定する気はない。

 

さっきも書いたが硬派軟派に関係なく活字を読むことは日々の暮らしを豊かにしてくれる。どんなジャンルの本だろうと興味を抱いて読んでいる瞬間は脳が活発に動く感じがするし、読んでいる間はその世界に飛んでいくことが出来る。

 

マンガも結構だが、描写が活字だけの本の方が頭の中に無限にイメージが広がる。妄想にも似た感覚で勝手に描く世界の中で自分の気持ちを遊ばせるのは楽しい。

 

ロクでもない本。繰り返しになるがそんなものは無いと断言したい。オドロオドロしい怪奇本だろうと自殺マニュアルだろうと世界の残酷物語みたいなちょっと悪趣味の内容だって「知らないことを知る」という意味では無駄なことはない。

 

エログロナンセンスも知識、オカルトだって知識、宇宙人やUFOの話だって知識。くだらない作り話じゃないかと眉をひそめる人もいるだろうが、それを言ったらどんな高尚な小説だろうとしょせんは作り話である。

 

ほんのちょっとした言い回しや、たった1行の中にハッとするような気づきでもあればすべて自分の血肉になると言っても構わないと思う。ジャンルなんて関係ない。フムフムとかへーとかウソだろうなどと思えるだけで本の役割は果たしている。

 

最近は寝る前に歴史に関する雑誌やムック本をぱらぱらめくっていることが多い。その当時の人々のことを勝手に想像して今の時代と比べてあれこれ考察するのが楽しい。

 

Amazonでバカ安で売っている本に手を出すこともある。一昔前に出版された元プロ野球選手・愛甲の文庫本は確か100円だった。私には100円を遙かに上回る価値のある内容だった。

 

同じく何となく買ってみた安藤昇の人生訓が書かれた本もなかなか面白かった。昭和ノスタルジーに浸るにはもってこいの内容だった。

 

何だかまとまりが無くなってきたが、良書だ悪書だなどと難しく考えないで子供や若者には単に乱読を勧めるのが正しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

2022年11月25日金曜日

奇跡と言われなくなるまで…

 サッカーワールドカップのドイツ戦には興奮した。大人と子供の戦いにしか見えなかった前半から一転、後半の戦いぶりには驚かされた。


つくづく昔に比べると進化していることを痛感した。戦術の勝利である。それを日本人監督の元でやり遂げたわけだから昔を知る世代には感慨深い。


とにもかくにも外国人監督を連れて来ていたのが日本代表だった。かのドーハの悲劇のメンバーだった森保監督が50代のオッサンになってチームを率いている今の姿は時代を感じる。


何だか保守バリバリの右翼男みたいだが、ヨソの国の人ではなく自国出身の監督で世界を驚かせたことは有意義だと思う。


サポートメンバーにキング・カズを入れて欲しいなどとトンチンカンなことを言う私ごときが四の五の言っても始まらないが、私にだってサッカーには思い入れがある。


というわけで、今日は更新が追いつかなかったのでサッカー絡みの過去ネタをあげてみます。8年前に書いた話です。この頃より日本サッカーが進化しているとしたらハッピー。


1つ勝っただけで「奇跡」と称されているうちはまだまだだろう。いつか下馬評の段階で優勝候補になるぐらいまで進化して欲しい。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/06/blog-post_18.html?m=1







2022年11月21日月曜日

ハートマーク


。ハートマークは中世の頃から愛情の印として使われてきたらしい。心臓が感情を司る臓器と思われていたことでそれを捧げることが愛の証となったそうだ。

 

マーク自体はそれより遙か昔の紀元前7世紀頃の古代ギリシャの硬貨にも使われていたとか。いわば途方もない長い歴史があるわけだ。

 

そんなハートマークだが、絵文字でアレを使うオジサンほど気持ち悪いものはない。あれは女子専用のアイテムだと割り切ったほうがいいだろう。当然ながら私は人生で一度もハートマークを使ったことがない。当たり前か。

 



先日、お寿司屋さんでハートの形のイクラの握りが出てきた。これまたビックリである。私の連れの女性に職人さんが恋心を抱いたのだろうか。

 

ハートのイクラ。ちょっと悪趣味である。でも「寝取られシリース」のアダルト動画が好きな私にとっては悪くない演出だった。ムホムホする。とはいえ、私が一人客の時には間違ってもこんなものは出さないで欲しい。

 

さて、ハートマークで困った問題といえばカプチーノである。私はコーヒー党ではないので喫茶店ではカフェオレかカプチーノを頼むことが多いのだが、ラテアートなる技法でハートマークが描かれているとビミョーな気分になる。

 



オジサマが一人、ちょっと息抜きに入った喫茶店で、同じくオジサンのマスターからハートマーク付きのコーヒーを出されるのはブキミとしか言いようがない。

 

そういう場面ではなくても一人でのカフェタイムにハートのモチーフ付きのコーヒーは困りものだ。夢見る乙女ではなく還暦が遠くないオジサマである。せめて葉っぱのデザインにしてもらいたい。

 

ハートでも葉っぱでも綺麗に描かれていると壊すのが悪い気がするのも面倒である。カフェオレならアートで困ることはないが、スチームミルクを使うカプチーノだと必ず何かが描かれている。

 

どうせ描くのなら文字にすればいいと思う。「まいど」とか「ウマいよ」とか、何なら「水です」とか書いてくれたほうが楽しい気分になる。

  

相変わらずスティックコーヒーばかり飲んでいる。ドルチェグストのカプセルより何だかんだ言って私の味覚には合うのだろう。高倉健師匠のようにブラックでは飲めないので、たいていはちょっと甘いやつを選ぶ。

 



画像は職場の私の部屋だ。キャビネの上に乱雑にスティックコーヒーが並んでいる。一応この他に紅茶や緑茶ティーパックや梅昆布茶粉末も用意しているのだが、頻度ではスティックコーヒーの出番が一番多い。

 

甘いカフェオレスティックは何杯も飲むと飽きる。その場合はブラックのスティックコーヒーと混ぜ合わせて甘さを抑えるとまた違った雰囲気になって悪くない。

 

コーヒーにはタバコが付きものだが、職場では匂いが99%カットされている電子タバコ・プルームテックで我慢している。


それにしてもタバコとコーヒーの相性って生卵と炊きたての白飯ぐらいバッチリなのに世の中は禁煙だらけで実に不便だ。何とかならないものだろうか。

 

職場の近くのプロントや上島珈琲には喫煙ブースがあるのだが、立ったまま吸わされるのがイヤで、時にはわざわざ5分ほど歩いた場所の喫茶店に出向くことがある。

 

日本橋高島屋近くのレトロな喫茶店なのだが、知る人ぞ知るオムライスの名店でもあるらしい。私はタバコ目的だけでしか使ったことがないのでオムライス未体験だが、いつかしっかり食べてみたい。その場で食後の一服が出来ると思うだけでオムライスが普通より有難く感じるはずだ。

 

先日は新橋駅近くの屋外喫煙所でスパスパ始めたら「ここは電子タバコ専用ですよ」と注意された。まさに「何じゃそれ?」という世界である。電子タバコ派にまで紙巻き派が迫害される時代になってしまったことが切ない。

 

何だか今日はハートマークについてあれこれ書くつもりが禁煙社会への愚痴になってしまった。

 

今週も頑張りましょう!

 

 

 

 

 

2022年11月18日金曜日

トビウオと呼ばれる女


仕事の時以外はワイ談だけを喋りまくって生きている私だが、最近知ったエッチ系の隠語がある。その名も「トビウオ」。それだけ聞いても意味不明だが、対義語が「マグロ」だと知れば合点がいく。

 

エッチの世界でマグロといえばそっち方面に極めて消極的な女性のことを意味する。小学館のデジタル大辞泉には、魚のマグロの意味の他に「性交のときに自らは体を動かさず、ただ寝転がっている相手」としっかり記載されているらしい。もはや裏の言葉ではないわけだ。

 

トビウオはマグロの逆。積極性バリバリの女性を意味するそうだ。いつから出てきた言葉だか不明だが、ずいぶんと元気そうな印象がある。

 

ソッチの意味でのマグロの対義語ははたしてトビウオで的確なのだろうか。何となくシックリこない。かといってカツオでもサバでもイカでもタコでもなさそうだ。

 

シャチなんてどうだろう?ハモなんかもアリだ。ちょっと怖いか。ドテっとしたマグロの対極と言えば「クリオネ」はどうだろう。クネクネしてるし…。語感も悪くない。ちょっと可憐すぎるか。

 

キリがないから仕方なくトビウオに同意しようと思う。私もマグロは苦手である。若い頃ならいざ知らず今更そんな相手に出くわしたら時間の無駄である。トビウオ大歓迎だ、なんなら群れで遭遇したい。



 

さて、先日ひょんなことからYouTubeで懐かしの迷曲「E気持ち」の動画を見た。かつて近藤真彦と新人賞レースを繰り広げた今は亡き沖田浩之の衝撃のデビュー曲である。

 

https://www.youtube.com/watch?v=JxDtsZf4xuk

 

ABCABC~、ハ~ン、いい気持ち~♪という戦慄の歌詞が時代を感じさせる。今ではすっかり死語になったエッチ系の隠語が「ABC」である。

 

キスをA、途中までをB、結合までたどり着いたらCと称した。「アイツ、Bまでしかさせてくれねえんだよ」みたいに使われた。

 

思えばあの頃は「エッチする」という表現もまだ普及していなかった覚えがある。今では「パコる」という言い方もあるそうだから随分と進化したものである。

 

AだのBだの言っていた時代は当然インターネットもなかったからエッチなことに対する若者の“熱”はかなりのものだった。今の若い人はヘアヌード論争すら知らないことに驚かされるが、その頃は「毛一本で大騒ぎ」するのが若者だった。

 

今ではAだのBだのと段階を踏まずに一気にCに突入するぶっきらぼうな世相になってしまったのだろうか。なんならAもBも省略するような殺伐とした時代なのだろうか。だとしたら夢がない。やはりそういうことは段階を踏んで進んで欲しい。

 

ちなみに「マグロ」などが代表的だが、本来の意味とはまったく関係なくエッチ系の隠語にされている言葉は意外に多い。その言葉を本来の意味で普通に使う関係者にとってはお気の毒である。

 

「尺八が得意なんです」。妙齢の美しい女性にそんなことを言われたら世の中のスケベオヤジは全員が悶絶する。本来の意味だとちゃんと理解できる人はおそらく10人に2人ぐらいではないだろうか。

 

「調教」。これまた競馬の世界などではごくごく普通の言葉だが、聞いた瞬間におかしな連想をしちゃう人が全国に3千万人ぐらいはいるかもしれない。個人的には「調教師」と聞くだけで無条件に尊敬してしまう。

 

「本番」という言葉もすっかりエッチ用語では古典的である。私の世代では本番と聞くと「愛染恭子」を連想する。映画「白日夢」である。

 

あの映画が話題になったのはもう40年以上前のことだ。思えばこの40年そっちのことばかり考えながら生きてきたような気がする。

 

さてさて、我がオヤジバンドライブまであと一週間ちょっとである。「もうすぐ本番だ」と練習の際に口にするたびにエッチな妄想が頭に浮かぶから困ったものだ。

 

本番は何度やっても緊張する。でも本番を楽しむために長期間練習に励んできた。本番が最高の出来になるよう頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

2022年11月16日水曜日

男の子の成れの果て


私は昭和の男の子の成れの果てである。昔は食品添加物をうるさく気にする人はいなかったし、炭水化物がどーだ糖質制限があーだといった概念に触れる機会は少なかった。

 

そんな時代に少年だったから駄菓子屋で売っていた凄い色のスモモが好きだった。舌まで赤くなるヤツである。もちろんコーラもファンタも大好きだった。袋麺、カップ麺を問わず即席麺はある意味ご馳走だったし、マックなんて毎日でも食べたいぐらいだった。

 

大らかに生きてきてしまったから還暦が近づいてきた今でも率先してジャンクなものを食べたくなる。男メシ、邪道食い、大いに結構だと思う。

 

先日、散歩しながら月島界隈に足を伸ばした。夕方だったから適当な居酒屋にでも入ろうと思ったのだが、もんじゃの街だから漂ってくるのはソースの香りである。

 

私はもんじゃが苦手だ。美味しいと思わない。見た目だってゲロみたいである。もんじゃ関係者、もんじゃファンの皆様、本当にスイマセン。

 

でも私が育った杉並区あたりではもんじゃ焼きの店は無かったから、昭和の子供だったとはいえ馴染みはまったくない。

 

地方の人の中にはもんじゃを東京の名物料理だと思っている人は多いが、東京でもちょっと限定的なエリアの食文化だろう。今では観光的な食べ物としてある意味“東京ばな奈”的な位置付けに思える。違うだろうか。

 

「東京ばな奈」というお菓子は私が少年、青年時代には見たことも聞いたこともなかった。いまだに一度も食べたことはない。あれを東京銘菓と言われてもピンとこない。

 

まあ、雷おこしも鳩サブレーも東京の人が食べる機会は滅多にないのではないか。名物ってそんなものかもしれない。

 

先日、鳥取出身の人と話す機会があったから私が大好きな鳥取銘菓「若草」について熱く語ったのだが先方は若草を知らなかったからズッコケてしまった。

 



話が逸れた。

 

さて、香りに誘われて苦手なはずのもんじゃ屋に入った私だが何を選べばいいか分からない。どうせならヘンテコなものを頼もうとヤケッパチ精神で選んだのが「オムライスもんじゃ」なる一品だ。

 

ネーミングから意味不明だ。どんなものが出てくるのか分からない。お化け屋敷の中を怖々歩くような気分で待っていたのだが、出てきたのはもんじゃの上にご飯とケチャップ、タマゴを乗せる不思議な食べ物だった。

 


 

もんじゃ焼きの店は自分で作らなければならないから困ったものだ。大名家の血を引き華族に列せられていた実家で育った私には荷が重い作業だ。大ウソです。すいません。

 

しかたなく店員のオニイチャンに「こんなもの分からないよ~。何とかしてくれ!」と頼み込んで作ってもらった

 

オニイチャンは鮮やかな手さばきでオムライスもんじゃを仕上げてくれた。華族の家に生まれた私から見ればまさに魔法である。

 


 

これほどまで「映え」と程遠い食べ物は珍しい。見た目だけではちっとも食べたいと思えない。でもそこそこ空腹で独特の香りが漂ってくれば案外ウキウキと手を伸ばしたくなる。

 

食べてビックリ。意外に美味しい。正確には美味しいという表現とは違うのかも知れないが、そもそも食事なのかおやつなのか分からないもんじゃという物体にご飯が混ざっただけで立派に「料理」に格上げである。

 

“オムライス風の味がするキャベツが多めのリゾット”と表現すれば分かりやすいだろう。そう思いながら食べ進める。なかなか悪くない。私の身体の根っこにあるジャンク魂が揺さぶられた。

 

その後に運ばれてきた焼きそばセットは私が張り切って作った。私はウチで頻繁にウマい焼きそばを仕上げている“天性の料理人”である。本格仕様の鉄板という舞台が用意されればマズく作るのが難しいぐらいである。

 


 

オムライス風もんじゃ、焼きそば。昔の男の子の成れの果てとしては実に心が満たされる組み合わせだった。生ビールとレモンサワーをお供にしばしの悦楽タイムが過ごせた。

 

つくづく男子に生まれた幸せを感じた。この歳の女性がこんな組み合わせの夕飯を選ぶのは考えにくい。いわば男メシである。寿命の直前までこんなモノを美味しく感じながら過ごしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

2022年11月14日月曜日

アーカイブです

 今日は更新が間に合わなかったので過去ネタを一つアップします。アナ雪からもうそんなに時間が経ったのかと思うと時の流れの速さに唖然とする・・・。


https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/04/blog-post_30.html

2022年11月11日金曜日

天性の料理人

 



 

もう今年も後半である。街にもネオンが光り始めてせわしない感じが漂ってきた。こういう季節こそ女子のナマ脚を眺めながらウマい酒を飲みたくなる。

 

まあ、年柄年中、女子の脚は眺めていたい。最近はメシ相手になってくれる女性陣には“脚だしスタイル”を強制、いや、要請しているので一種の花見感覚で一献傾けている。

 

さて、ネオンと女子の画像を“ツカミ”で使ってみたが、今日書く話は夜の街でも女性のことでもない。自慢にもならない自慢話である。

 

大きな声では言えないが(ここに書いている段階で論理破綻だが)、私は自分のことを「天性の料理人」だと自称している。


ずいぶん大きく出たものだ。

 

といってもこの図々しい発言を聞いているのは娘だけである。つまり家の中でそうホザいているわけだ。とてもじゃないが外の世界では言えない。

 

と、謙遜してみたが、私の味付けのセンスはなかなかのものである。家での簡単調理で失敗することはない。鶏肉や豚肉を炒めて調理させたら相当な腕前だ。たぶん。たいてい美味しく仕上がる。

 



 先日も娘と食事に行き、人生でほとんど作ったことのないお好み焼きを完璧に仕上げた。その後は2時間ぐらいドヤ顔で過ごしていた。これは味付けとは違うが要はセンスが良い!?のだろう。ウン十年もさんざん外食におカネを落としてきた成果である。

 

某日、賞味期限が怪しかったシメジやエノキを捨てかけたのだが、思い直して即興で炒めてみた。軽く塩コショウしてフライパンにバターも一切れ入れて炒めた。仕上げ間近に冷蔵庫にあったオニオンステーキソースなる液体をチョロっとまぶして仕上げた。

 



 食べてみてビックリ。バカうまだった。テキトーにちゃっちゃと作ったのに夢のような!味になった。自分の「天性の料理人」ぶりに驚き、ついでに豚肉も焼いて娘用の一食を作り置きしておいた。やさしいパパである。これもパパ活と呼ぶのだろうか。

 

簡単パスタも最近の私の定番だ。早茹での乾麺が便利だから頻繁に作っている。「早茹で4分」のパスタ麺なら茹で時間は2分。そこからフライパンに準備しているパスタソースとあえているうちに良い感じのアルデンテになる。

 



 出来合いのレトルトパスタソースにアレンジを加えるのが一番簡単だが、私の今のお気に入りはこの画像のペペロンチーノっぽいオイルソースだ。

 

どこにでも売っている定番である。これだけでも具材次第で充分にウマく仕上がるが、時にはこれにバジリコの粉末を適量パラパラすると一段と美味しくなる。

 



この画像はスーパーシーフードパスタだ。エビやホタテ、アサリなどをあらかじめオリーブオイルで炒め白ワインもちょっと投入して蒸し焼き風に仕上げる。そこに2分茹でたパスタを投入してあえながらオイルソースとコショウをぶりぶり入れて味を整えるだけだ。

 

具材をドッサリ入れれば具材からの旨味が自然とウマいパスタに仕上げてくれる。いつもは麺を200グラムぐらい食べたい私だが、具をたくさん入れることで麺は100グラムでも充分。炭水化物の摂り過ぎ対策にもなる。

 




 カキのパスタも同様だ。レストランのカキパスタとは比較にならないほど大量にカキを投入できるのが家パスタの魅力である。

 

上のカキパスタの具材はしめじとカキだけ。下のはシメジの他に缶詰のツナ、缶詰のアサリも入れたボリューム満点の一品。画像では分かりにくいが下のパスタには小ぶりのカキが一皿に15個ぐらい入っている。カキだらけパスタである。

 

たかだかパスタ麺100グラムでもこれだけ具材を入れると充分満足出来る。味付けは塩コショウすらせずに上で紹介したオイルソースと粉末バジルのみ。これからのカキの季節にはオススメだ。

 

天性の料理人って言ったところで基本的には市販品で味付けしているわけだが、コトはそう簡単ではない。炒める際の加減や目分量で投入するソースなど私だからこその加減が抜群の味につながるわけだ。そう信じて疑わないでいると幸せな気分でいられる。

 

ナゼか包丁とまな板は使わないポリシーを今も守っている。あれを用意してまで作業するとヘタなものは作れないような強迫観念に駆られる。


だから肉を切る際もハサミを使う。野菜やキノコは手でちぎる。このスタイルでそれっぽい美味しいモノが出来上がると何かに勝ったような気がする。

 

ヘンテコなこだわりである。“天性の料理人”などとよくもまあ言ったものである・・・。

 




 

 

 

 

 

2022年11月9日水曜日

障害児の父親

 

このところ息子に癒やされる場面が増えている。ダウン症児として生まれてから早16年近くが経つ。いっぱしの高校生である。肉体的には視力以外にとくに持病は無く元気に育ってくれたが知育面はサッパリだ。読み書きが出来ないから何かと不便である。

 

息子の話は折に触れてこのブログでも書いてきた。いま思うと以前は少し力んだような書きぶりにも見える。

 

わが家のダウン症

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/02/blog-post.html

 

ダウンちゃん、中学生になる

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/04/blog-post_12.html

  

時間とともに息子との関わりは“未知との遭遇”から“普通の日常”に変わってきた。障害児を持つ親として、もっと啓蒙みたいな話を展開したほうがいいのかもしれないが、何だかそれも違うような気もする。

 

つくづく時間という「薬」の効能を痛感する。16年前に息子がダウン症だと宣告された時の衝撃の大きさは私の人生の中でもメガトン級だった。その後、いろんな葛藤もあったが今では彼の存在は私の人生に欠かせない。会えば癒やしをもらえる。私にとってはホトケ様みたいなものだ。

 

口の中の構造上の問題で話し方はたどたどしいが、コミュニケーションは普通にとれている。というか、会うたびにこっちの体調を心配してくれるような気配り上手に育ってくれた。父親、母親、姉と比べても心の安定感や穏やかさは一番である。

 

よこしまな気持ち、狡猾さ、あざとさ、計算高さといった要素がまるでない。一緒に時間を過ごすと不思議とホンワカと平穏な気持ちになる。

 

喜怒哀楽の喜と楽が彼の大半。哀と怒はほぼない。あってもすぐに消える。争いごとが嫌いで学校でも揉め事があれば仲裁役になり、収まらない時には教室から出て行ってしまうらしい。

 

競う意識、戦う意識も無いみたいだ。欲も不平不満もすぐに引っ込める。これまでダダをこねられたことが一度も無かったのは今思えば凄いことだと思う。

 

変な執着心がないというか、一種の達観みたいにあるがままを受け入れる。ハンバーグが食べたいという彼の強い希望を無視して回転寿司屋に行っても嬉しそうにその場を楽しむ。例えがヘンテコですいません。

 


 

先日、娘と3人で回転寿司に行った時の画像だ。とにかくよく食べる。高校生男子だから当然といえば当然だ。普段は母親が肥満防止のために食べる量をしっかり管理しているが、私と会っている時は別である。月に3回ぐらいしか会っていないのでここぞとばかりに食べさせる。

 

ここでも、やれトロが食べたいとかイクラをもっとくれみたいなことは言わない。彼にも好みはちゃんとあるのだが、私が勧めるものを楽しそうに文句も言わずバクバク食べる。

 

息子は私と会うと散歩をせがむ。いつも1時間は黙々と歩く。一緒に鼻歌を歌いながらアテもなく歩く。私にとっても気持ちの良い時間だ。


先日は上野動物園にも行ってみた。普通の高校生なら行きそうにないが、そこは我がホトケ様ちゃんである。楽しそうにしていた。大人目線ではデッカい動物を見たくなるが、彼は変な小さな猿やフラミンゴなどをじっと観察していた。感性が私とは違うみたいだ。




最近の散歩ではなぜか新幹線に突然乗るハメになったこともある。八重洲エリアを散歩した際に乗りたいと言い出した。甘甘父ちゃんとしては断るのも可哀想だから、こだまに乗って小田原まで単純往復をしてきた。

 

息子は車窓から外を見てゴキゲンである。娘とは海外旅行に行ったりさんざんウマいものを食べ歩いたりしてきたが、息子とはいつも散歩するぐらいである。不公平だからたまには息子サービスの時間も必要である。


小田原まで40分弱ぐらいだったか。着いたらすぐに戻りの電車のキップを買って20分後には駅弁を買って東京行きのこだまに乗り込む。ヘンテコなプチ旅行だが案外楽しかった。

 




わが家に遊びに来ることも多いが、こちらのエリアで息子が大喜びするのが隅田川のクルーズだ。いつだったか隅田川沿いの遊歩道を二人で散歩していたらたまたま聖路加病院そばの船着き場に定期船が来たので“衝動乗り”して竹芝の方までちょろっと船移動した。

 

つかの間の船の時間と下船後にゆりかもめで戻ってきた“ぶらり途中下車の旅”みたいな時間だった。息子にとっては一大トピックスだったみたいだ。学校でもこの日のことをその後しばらく話し続けていたらしい。

  

その後も船のリクエストに何度か応えた。おかげで私もすっかり隅田川にかかる橋の順番や名前をだいぶ把握することが出来た。

 



こう書いてみるとさんざん息子を相手に良いパパをやっているように読めてしまうが、10年前に離婚して以来、息子と会うのはせいぜい月に3回ぐらいだからエラそうなことは言えない。

 

でも変な話だが“頑張りすぎる父親”の残念な話を何度も聞いてきたからそれはそれで良いと肯定している。障害児を持った家庭にありがちな話なのだが、子供のことで一生懸命になり過ぎて無理がたたって早く亡くなってしまう父親は少なくない。

 

ちょっと分かる気がする。母親より父親のほうが確実に弱い。もともと男の方が寿命が短いのに加えて予想外の「障害児の父親」という役割が肉体的にも精神的にも何かの歯車を狂わせてしまうのだろう。

 

私自身が見聞きしてきたケースでも早逝するのは“頑張りすぎた父親”ばかりだった。母性という強さには太刀打ちできない男のサガみたいなものだと思う。

 

私などは頑張りたいと思ったところで月に何度かしか会わないからたかが知れている。息子の登場で私の人生に大きな狂いがあったわけでもない。こんなヌルい状態ではさっさとヘタバっているわけにはいかない。

 

自分勝手な解釈だが、頑張りすぎて早くいなくなってしまうより、細く長く息子の散歩に付き合ってやるのは大いに意味があると思っている。

 

まあ、あーこーだ書いてみたが、少なくとも今の私は生きボトケ?のような息子の空気感にホッコリさせられる。こっちのほうが功徳を施してもらっているような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年11月7日月曜日

居心地の話


外食中心の私にとって夜はどこの店に行っても晩酌の時間だ。牛丼屋でさっさと食べて帰るようなパターンはない。そういう速攻メシは家に直帰してドカ食いする。

 

というわけで外食で行く店ではたいていが長っ尻になる。1時間ちょっとで済ませることもあるが、1時間半~2時間が普通だ。居心地が良いかどうかは大きな問題である。

 

ちょっとしたお寿司屋さんで過ごす際には一応そこそこモノが分かったオジサマを装う。食通ぶるほどではないがいっぱしの客を演じる。だからちょっとだけ背筋に力が入る。

 

恥ずかしながら私には自意識過剰な傾向がある。若い頃から寿司屋のカウンターに陣取った時には「貧乏な客だと思われたくない」という意味不明な見栄のせいでやたらと大量に注文したり値付けの高いメニューばかり頼んだりした。バカである。

 

一人メシが多いせいで今も多少は気を遣う。一人客の私のせいで店側は二人客を断ることもあるわけだからあまりミミっちい注文は出来ない。気配りの人なのか小心者なのかビミョーだが、それが私の主義だ。

 

そんなことを意識するからお寿司屋さんのカウンターは居心地の点では第一位にはならない。もちろん馴染みの店で過ごす時間は心地良いのだが100点満点とはいかない。

 



女子を連れて食事に行くのも悪くないが、私もまだまだ男である。いくつになっても邪念が頭をかすめる。すいませんウソをついていました。頭をかすめるのではない。邪念が頭の中のすべてを占める。

 

だから当然に居心地という点ではどの店に行こうがたいして良くはない。のんびりホゲホゲした気分にはならない。何とも情けない話だがそれはそれで枯れないためには必要な心構えだから仕方がない。居心地論を語る上では女子連れは問題外かだろう。

 



気取らない大衆酒場でハムカツやモツ焼を頬張るのも楽しい。それこそ何も気にせず呑気に過ごす。とはいえ、そこはいっぱしのダンディーぶった紳士を気取りたい私である。いつまでもその種の店に長居してはいけないような変な強迫観念がある。

 

その昔、池袋の怪しげな大衆酒場のカウンターでのこと。隣に座っていた見知らぬオッサンが一人でジンワリと涙を流しながら吞んでいる姿にビビった記憶がある。

 

漂ってくるのはバリバリの負のオーラだった。最後の晩酌を済ませてその後すぐにでも自殺しちゃいそうな疲れ果てた雰囲気だった。呑気に過ごしていた私は自分のエネルギーを吸い取られるような気持ちになった。

 

それをきっかけに場所が持っている固有の「気」みたいなものをちょっと意識するようになった。それこそ繁盛している銀座のクラブならプラスのエネルギーに満ちた人々が集っている。一種のパワースポットみたいな「気」を感じる。

 


その池袋事件以来、大衆酒場にドップリと浸かりすぎてもいけないというブレーキがかかるようになった。だから大衆酒場が大好きでも居心地は100点満点とはいかない。難しいところだ。

 

チェーン店の元気な居酒屋ならそんなドンヨリ感はないが、あれはあれで若者が集う店である。いい歳した私のようなダンディーで素敵な?オジサマはそもそも店のターゲット層ではない。したがって居心地の点では問題外である。

 

で。結局はそこそこの小料理屋や個人経営の小体な大人向け居酒屋あたりが居心地という点では最上位になる。馴染みのない店は落ち着かないが、常連になり過ぎちゃうのも時にうっとおしいこともある。プチ常連ぐらいがちょうどいい。

 



時々しか行かないのに一応こちらの名前や顔を認識してくれて距離感が適度に保たれているような店だと必然的に居心地は抜群に良くなる。

 

私にとってそんな店の一つが新橋にある「酒処かとう」だ。新橋の雑踏の中ではなく銀座8丁目のすぐ隣にある。夜のクラブ活動に出向く前にも便利だ。

 

初老の男性2人が切り盛りしている。メニューはホワイトボードに手書きで値段は書いていない。でもとくに高いわけではない。食べ物は定番以外に季節モノや中華風の一品など選ぶのに迷うぐらい用意されている。

 

物凄くウマいというわけでもない。でもマズいわけでもない。とりあえず満足出来る水準で手作り感がホッとする。寒くなってくると私はこの店の肉豆腐が恋しくなる。

 



牛丼に入っているようなバラ肉がドッサリで豆腐を主役にネギ、タマネギ、タマゴ、しいたけなどが脇を固める。味付けは昭和の東京っぽい甘すぎるぐらいの濃い味だ。焼酎のお湯わりを片手にこれを突いていると幸せな気分になる。グルメだ食通だといったジャンルの外でしっかりと大人を満足させてくれる。

 

最近はポツポツと夜の銀座にも足を運ぶようになったからこの店にお世話になる場面は増えそうだ。ただ、この店に行くと居心地が良すぎてホゲホゲし過ぎるのが難点でもある。しっかり飲み食いして満足してしまいそのまま帰宅しちゃったことも何度かある。

 

それもそれでお財布には優しい結果になるから悪くはない。書いているだけでまた肉豆腐とクジラベーコンで一献傾けたくなってきた。

 

 

 

 

 

2022年11月4日金曜日

築地のお寿司屋さん


コロナ前に何度か通ったままご無沙汰していたお寿司屋さんに最近になって時々足を運ぶようになった。2年以上も間があいたから一見さんのような顔をしてコソッと訪ねたのだが案外覚えていてもらえるもので、アウェー感?無しに居心地良く過ごせるのが有難い。

 

築地にある寿司岩の本店がその店。築地界隈はお手軽なお寿司屋さんがたくさんあるが、こちらはちょっと高級志向で客層もオジサン、オジイサンが大半だ。

 

特別なウリがあるとかビックリするほどウマいとかそういう特徴は無い。でもネタは上質だし一品料理も丁寧に仕上げられ全体的に高水準なところが気に入っている。

 



築地界隈で寿司を食べるのにそんな路線の店を選ぶのはバカみたいだという見方も出来る。高級寿司なら隣の銀座にいくらでもある。でも、この店は高級といえども銀座のアホみたいに高い店よりはマトモな値段で済む。

 

おまかせ一辺倒みたいなエセ寿司屋が苦手な私だからこの店のように昔ながらの普通の食べ方が出来て、そこそこ高級感がある店は有難い。多少ゆとりがあるオジサマ族がゆっくり快適に過ごすには悪くない選択だと思う。

 

大箱ではないが小さな店ではないので職人さんとの距離が近すぎないのも良い。一人でボーッとしたい時や連れの女性相手に怪しい会話をしたい時にも便利だ。

 

30歳ぐらいの頃から寿司屋という世界に詳しくなりたくて客としての修行に長年明け暮れた。いつの間にか修行生活も1周回ったどころか2周、3周したような感じなので今ではTPOに応じてユルく楽しむようになった。

 

大衆寿司屋にも喜んで入るし、中級、高級いずれのカテゴリーの店にもそれぞれの良さがあるから昔みたいに細かいことにはこだわらずに過ごすようになった。加齢による進化だろう。

 



ウジウジと書き続けてしまったが、この店の話に戻る。近隣のカジュアルなお寿司屋さんが居酒屋的だとすればこちらは料理屋的な立ち位置といえよう。焼きガキの皿にも紅葉を添えるあたりがニクい。この歳になるとこういう部分が嬉しい。

 

これからの季節、酒のツマミとして大活躍する白子もここでは温かい状態で出てくる。実にホッコリする。ぶっきらぼう?に出てくる冷たい白子ポン酢も好きだが、時には汁物感覚で白子を楽しむのもオツだ。

 

刺身をちょこっともらって土瓶蒸しも堪能しながら一献傾ける時間は自分が中高年男で良かったと痛感する瞬間である。その昔、背伸びして目指したオジサマという生き物に自分が辿り着いていることが感慨深い。

 

何を言っているのかよく分からないが・・・。

 




ウニとボタンエビの食べ比べ画像だ。こういうプチ贅沢も嬉しい。聞くところによると大半のボタンエビは正式にはトヤマエビという名前で、そうじゃない方の太平洋側の福島や千葉あたりで獲れる少数派を本ボタンエビというそうだ。まあどっちも美味しいから問題無し。

 

握りもデカ過ぎず小さ過ぎず上品な感じだ。間違いのないネタが揃っているので充分満足出来る。シャリがどうだネタの切り方がどうだ等々ウンチクを言い出せばキリがないが、こちらはごく真っ当な握りだ。

 





私が一番好きな車海老もキチンと美味しい。即席ではあるがヅケもあるし煮蛤も用意されている。刺身や一品料理をツマミに熱燗をゆるゆる飲んだ後に好きなネタをいくつか握ってもらえば大満足である。

 

最初にとくに特徴は無いみたいな書き方をしたが、逆にそこが特徴かもしれない。だからグルメサイトに必死に寿司のウンチクを書き込むような雰囲気のお客さんは見当たらず、むしろグルメサイトなど見たことないような年代の客ばかりが集っている。自分なりの寿司の楽しみ方を確立している人なら使い勝手がいい店だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

2022年11月2日水曜日

尻が燃えている


尻に火がつく。実に分かりやすい例えだ。切羽詰まってジッとしていられずに慌てることを意味する。

 

お尻は身体の後ろ側だから火が付いたら前に進むしかない。実に分かりやすい。これが「チンチ○に火が付く」だったらもっと大変だが、それだときっと後ずさりしてしまう。

 

くだらない前ふりを書いてしまったが、今まさに尻に火がついている。気付けば我がオヤジバンド、いや、オジサマバンドライブの本番まで1ヶ月を切ってしまった。

 




今月末の週末が本番だ。コロナで休止していたから3年ぶりである。練習もいよいよ追い込みで結構バタバタだ。でもこのバタバタも楽しみの一つかもしれない。

 

こんな歳になってバンド活動に精を出してアタフタすること自体が幸せである。今回の演目は15曲ほど。春頃から中核メンバーでアーでもないコーでもないと候補曲を決め、一から仕上げていってようやく人様に聞かせられるレベルまで仕上がってきた。

 

今回は得意の?オリジナル曲はナシ。すべてカバー曲で構成している。3年ぶりということもありお客様が純粋に楽しめるよう我々世代にとって耳馴染みのある曲を中心に選んだ。山本リンダからキャンディーズにアリス、ジュリー、サザンや長渕、藤井風なんかもやってしまう。

 

今年はドラムを入れないアコースティック中心のバンド構成で計画していた。その前提で演目も決めていたのだが、夏頃にひょんなことから腕っこきドラマーが参加することになり、時を同じくして我が同級生がコロナ禍を利用してドラム教室に通っていたことが発覚し彼も招き入れることにした。

 

同級生ドラマーは腕っこきではないので前半の2曲だけを担当し、中盤から後半に腕っこき若手ドラマー(とはいえ40歳だが)に交代する展開だ。

 

ドラマーの参加によって演目もかなり入れ替えた。それでも全体にゆっくり系の曲が多いことが課題となり、秋になってから急遽一部の曲をノリの良い曲に入れ替えるなどドタバタ気味に今を迎えている。

 

まだ3ヶ月先だぜ、まだ2ヶ月先だよ等々、のんびり構えていたらアッという間に11月になってしまった。総勢8名だから練習に全員が集まったのは実は先週末が初めてである。いつも練習音源を共有して各自が仕上げることが多かった。




中核メンバーは一応3人。私と中学高校の同級生2名である。その2名はアコースティックギターの手練れで私はボーカルとエアギター?を担当。いや、おしゃべり担当だ。

 

必然的にその他のメンバーが賑やかな曲には欠かせない。もはや中核3人以外の力量が音を決めているような感じもする。キーボードとバイオリンを担う20代の我が姪っ子と40歳のドラマー以外は全員50代後半のオジサマである。

 

若者が火花を散らすような雰囲気とは大違いである。練習も時には厳しいが、基本的には傷をなめ合うような空気の中でみんなが誉め合ったりする。ヌルい感じが楽しい。オジサマ同士の養老扶助精神が支えになっている。

 

練習終わりの飲み会もまた楽しい。バンド活動に限らず草野球など趣味の世界ではそれもまた大事な要素かも知れない。ホッピー片手に安い焼魚を突つきながらホロ酔いになる時間も連帯を強める意味で大事だ。

 

練習スタジオではかなり複雑なコード進行や音階の調整など高度な音楽的技術論を話し合っていたメンバー達も居酒屋に入れば単なるゲップオヤジである。

 

偏頭痛やら帯状疱疹やら高血圧やら話題はそっち方面が中心で演奏の話は二の次どころかちっとも話さずに終わることもある。

 

とりあえず演奏のメドは付いてきたので、あとは本番アドレナリンに頼るしかない。不思議なもので練習でしっくりこなかった部分が本番の緊張の中でウソみたいにこなせちゃうことは珍しくない。

 

いつもオープニングで頭の中が真っ白になるほど緊張するのに後半に進むにつれ愉快になってくる。アンコールの頃には腹の底から楽しくなっているのがこれまでのライブ経験で知った演者側の気持ちだ。

 

初めて人様の前でライブ活動をしたのは10年前の秋だ。その時はいくつも他のバンドも出場するイベント的な集まりだった。その翌年からワンマンライブをするようになり気付けば10年である。

 

初めてのライブ体験の際、他のバンドのこなれた感じにたじろいだ。ビビり気味に楽屋で小さくなっていたことを思い出す。いつのまにか10年選手である。きっとこれからバンド活動を始める人から見れば我々も「こなれたバンド」になっているのだろう。

 

肛門屁の出口である。いや、光陰矢の如しである。

 

これから本番まではとにかく体調管理が大事だ。でもライブ集客のため?に夜の銀座にマメに出没しなければならないから飲み屋さんでもマスクを外さず無言で過ごそうと考えている。それだと集客が出来ないから困ったものである。

 

★このブログをお読みのかたでオジサマバンドライブに興味のあるかたはメッセージ欄にその旨お知らせくださると幸いです。