それなりに年を重ねれば身体のアチコチが若い頃とは変わってくる。劣化である。
とはいえ、普通に暮らしていると身体の劣化を感じることは少ない。後ろ回し蹴りを繰り出す場面はないし、遠投記録に挑戦することもない。今ではすっかりピンポンダッシュする機会も減った。
身体を動かす場面など、ごくたまに組んずほぐれつする程度だから、自分の身体がお爺さんモードに近づいていることに気付かない。
「眼」だけは別である。こればっかりは普通に暮らしていても劣化を顕著に感じる。
有難いことに今までずっと裸眼人生を過ごしてきた。何年か前に視力低下を実感して眼鏡を作ったが、使うのはクルマを夜に運転する時ぐらいだ。仕事中も裸眼で問題は無い。
ところが、ここ半年ぐらいの間に視力が確実に落ちてきた。老眼も進んでいる気がする。美しい女性も美しくない女性もボヤけて見える。ウソです。
職場でパソコンに向かい、家では録画が溜まったテレビ番組を見て、風呂では週刊誌を眺めて、寝る前には文庫本を読む。
こういう暮らしだから眼が疲れるのは当然である。ただの疲れ目と年齢相応の老眼だけならいいのだが、一気に眼の能力が落ちてきた以上、変な病気だったらイヤだ。
ということで、真面目に眼科に行ってきた。
そういうお年頃である。
医者に行くのは、痛いの痒いのといった病的な症状が付きものである。「劣化」だけを理由に出かけるのは実に淋しい気分である。
昨年暮れに友人が眼科を開業した。このブログでもしょっちゅう書いている我がオヤジバンドのリーダーである。
場所は西新橋(内幸町)。真新しいオフィスビルの中だ。その名は「富永クリニック眼科」である。「眼科クリニック」と呼称しないところがニクい。
開業早々なので診察待ちの患者さんが溢れていることもなく、その分、じっくり診てもらえた。
目薬を処方してもらうだけでも時々行こうと思っているのだが、銀座8丁目あたりに歩いて行けちゃう立地だから、常に夕方の訪問になりそうで個人的には悩ましい・・・。
さて、診察に行った時の話だ。普段はアホ話か高尚な?音楽論を話している相手なので、お医者さんっぽいことを言われて少したじろぐ。
たじろいでいる場合ではない。私は「遊びに来た友人」、「暇つぶしに来たボーカリスト」ではない。「眼に不安を抱える気弱な患者」である。ちゃんと心配事をクリアにしないといけない。
結構真面目にアレコレ質問してみた。実に丁寧に答えが返ってきたし、最新兵器みたいな機械で私の目玉ごと撮影して、その場で画像を解説してくれた。
結果、「異常なし、疲れ目」という私にとってはパーフェクトな結果だった。白内障、緑内障とかの気配も無いらしい。眼精疲労と疲れ目が別なものだということも教えてもらった。
ただし、何年かぶりにちゃんと測ったら視力が思った以上に低下していたのでションボリである。
0.3程度しかないらしい。0.6ぐらいだと勝手に思っていたから随分違う。20代、30代の頃は1.0~1.2ぐらいだったから相当な劣化である。
状況に応じてメガネもちゃんと使う必要があるようだ。そりゃそうである。その程度の視力では裸眼のままだとさすがに眼が疲れる。
それにしても眼に自信があった人間としては突きつけられた視力の現実が切ない。淋しいかぎりである。
でも、ワッカのどっち側が開いているかを言い当てるお馴染みの視力測定を真面目にやってみた結果だから間違いはない。
今まで運転免許の更新の際には、ギャンブラーのように当てずっぽうで視力検査を突破してきたが、いよいよ年貢の納め時である。
眼だって50年近く使い続ければ劣化するのも仕方がない。
先日も古い知り合いの中年女性から「優しいのね」と言われたのだが、何のことはない。その人が気にしていたシミの存在がちっとも見えていなかっただけである。
まあ、そこそこの年齢になると見たくないことや見て見ぬフリをすることが増える。そういう時は裸眼でごまかし、ちゃんと見たいものは眼鏡に協力してもらおうと思う。
なんだかウジウジした話を書き殴ってしまった。
いずれにせよ、「富永クリニック眼科」は親切丁寧でした。
「富豪記者からの紹介です」と言ってもらえれば、「だから何だ?」とは言われないと思う。きっと2割増しぐらいニコヤカに対応してくれるはずだ。