今年も1か月が過ぎた。早いものである。
正月早々、ぜんそくで娘が1週間入院した。退院したと思った途端に下の子が重い肺炎で緊急入院して長々と病院で治療を受けている。もう退院できるようだが、この1月は二人合わせて19泊も病院だ。問題である。
以前にも書いたが下の子はダウン症の男の子である。有難いことに普段は元気でしょうがないから何かと手がかかる。
病院でも夜中に点滴をぶち抜いてエレベーターで脱走しようとしたり、結構暴れ回ったらしい。ワンパクも程度問題である。
病院から怒られて母親が監視役として泊まり込むことが入院の条件みたいになってしまった。で、スッタモンダのあげく、日頃は一人気ままに暮らしている私にもそれなりに影響があった。
一緒に暮らしているわけではないのだが、子ども達とは離婚したつもりはない。というわけで、非常時には少しぐらい役にたたねばなるまい。
元の家に泊まった日もあった。娘と二人で過ごす時間は貴重だったが、さすがに離婚前に暮らしていた家に泊まるのは気が重かった。
男のほうがそういうことに関して神経質なのだろうか。もっとケセラセラ精神で大らかな気持ちで日常を送らないと早死にしちゃうかもしれない。
家を出て3年以上が経つ。いまさら泊まることなど想像もしていなかった。落ち着かないし、なかなか寝付けないで困った。
娘が寝入ったあとは、仕方なく夜更けに昔のアルバムなんかを開いて睡魔がやって来るのを待った。逆に目がさえてしまった。
センチな気分になったわけではないが、さすがに自分が生きてきた十数年分のトピックスがアルバムの中にテンコ盛りである。
なかなか感慨深いものがあった。
不思議なもので、人間の記憶は自分に都合良く頭の中で整理される。アルバムの中に写っている自分の姿を見ながらそんなことを感じた。
10年も経っていないのに、すっかり忘れていることが結構あって我ながら驚いた。日々の些細なことならともかく、小旅行やイベントっぽいこともいくつか記憶からすっかり無くなっていた。
脳が故障しているのかと思ったが、そういうわけではないらしい。一枚の写真を見ただけで、グワーっとその前後の記憶が甦ってくる。無意識のうちに忘れていたつもりになっていたのだろう。
思い出したくないことを脳が忘れたフリをするのは人間の基本的な防衛本能なんだとか。
記憶喪失も衝撃的なことを感知した脳がぶっ壊れないために起きる症状だと聞いたことがある。
「フラッシュバック」という現象は忘れたはずのことを何かのきっかけで鮮やかに思い出すことだ。脳は持ち主の都合に合わせて特定の記憶を探し出せない場所にコッソリ保管しているわけだ。
結局、「忘れた」のか「忘れたつもり」なのかは本人もよく分からないのかもしれない。
私の場合、写真を見て思い出したことは、辛い記憶でも切ない記憶でもなかった。思い出したくない出来事ではないのに完全に忘れていた。
なんでだろう。
ひょっとすると、その時々の自分を自分自身が認めたくない心理が働いたのだろうか。
写真に写っていた小旅行やイベント自体は問題なく楽しんでいても、その頃の自分の精神状態などを自分自身で思い出したくなかったのかもしれない。
その当時、自分が感じていたこと、計画していたこと、企んでいたことなどを思い出すのがイヤで無意識のうちに封印したくなっていた可能性が強い。
つくづく脳の機能は凄いと思う。精神のバランスを保つために本人にお構いなしに記憶に優先順位をつけたり、記憶をアレンジしている。人間の神秘である。
私の場合、アホバカざんまいだった中学高校時代の恥ずかしい記憶についても、今になって旧友から言われて突然フラッシュバックすることがある。
言われるまで完全に記憶から消去していたのにアッっという間に甦る。思い出してゾッとすることもあるから、やはり脳が私を保護しようとしているのだろう。
脳に感謝である。
なんだか意味不明な話になってしまった。
普通に生きていれば平均寿命までまだ随分と時間がある。10年、20年経った時に今の自分のことをどのように思い出すのだろうか。
将来の自分から見て今現在が「恥ずかしい過去」だったり「消したい過去」になっているのはゴメンだ。
しっかりと楽しい記憶として思い出せるように充実させないといけない。何を頑張るのか分からないけど頑張ろうと思う。
2016年1月29日金曜日
記憶の不思議
2016年1月27日水曜日
熊魚菴たん熊 天ぷら 東京ドーム
持病となどと言うと大袈裟だが、逆流性食道炎と長く付き合っていると、胸焼け防止のために揚げ物を食べる機会が減る。寂しいことである。
とか何とか言いながら、連日のトンカツ食べまくりの合間に天ぷらを食べてきた。どうやら私は根っから揚げ物が好きみたいだ。
胃腸や食道方面にとっては、ゆるやかな自殺みたいな話である。
トンカツやエビフライ、クリームコロッケ、大衆酒場でもハムカツやレバカツを嬉々として食べている。その割には天ぷらを食べることが滅多にない。
我ながら不思議だ。だから天ぷらのことは詳しくない。
衣がゴテゴテで色も濃い目の関東風より白っぽくサラッと揚がった関西風が好きだ。東京人として残念なことだが仕方がない。
浅草で有名な天ぷら屋の前を通るたびに寒空に並んでいる人々に「その店マズいですよ」と声をかけたくなる。
ファンの人、すいません。。。
東京っぽいものが好きだと自負しているくせに天ぷらに関しては江戸っ子気質の人々から石を投げられそうである。
さて、久々の天ぷらは「熊魚菴たん熊北店 東京ドームホテル店」である。ややこしい名前だ。
要は京都の名店「たん熊北店」グループの「熊魚菴」というカテゴリーの東京唯一の店だ。そのまんまの解説でスイマセン。
東京ドームホテルの和食はこの店が仕切っているそうだ。ホテルの4階フロアをすべて使って通常の日本料理を味わえるテーブル席の他に、寿司コーナー、鉄板焼きコーナー、天ぷらコーナーがそれぞれ独立店舗ぐらいのゆとりを持って配置されている。
このホテル、出来てから15年になるらしい。デイユースのような使い方をしたことはあったが、食事に関しては初めてである。
もっと早く知っていればよかった。ズバリそれが感想だ。綺麗だし、美味しいし、ゆったりしている。近隣エリアに係わりがある人なら使い勝手は良いと思う。
さてさて、天ぷらの話だ。たん熊系列だから言うまでもなく関西風である。関東風より胸焼けしないイメージがある。今年に入って揚げ物ばかり食べている私にとっては有難い。
コースで食べたほうが気楽でいいのだが、野菜を食べるのはイヤだし、珍しいタネがたくさんあったのでお好みで注文してみた。
天ぷらの前に頼んだ刺身も高水準。醬油の他に煎り酒も用意されるあたりがニクい。鯛の塩辛もしょっぱ過ぎず、さすがに正当派の料理屋さんである。
東京の人間にとって天ぷらと言えば海老、穴子、キスだろう。私も大好きだ。ところが、この日はそれらの御三家を食べずに終わってしまった。
初体験のタネをあれこれ面白がって食べていたら満腹になってしまった。
このこ(ナマコの卵巣)の干したやつは酒のアテとして世のオジサマ達を喜ばせているが、これを天ぷらで食べるのは初体験である。
前半からこれでは酒のピッチがあがる。この日はかなり酔っ払ったので食べたモノの記憶が一部あいまいである。
これまた酒のアテになると教わって注文した一品。画像だと分かりにくいので一口かじった状態。なんと梅干しの天ぷらである。
イマドキの梅干しは昔と違って甘味もあるから天ぷらのタネとして成り立つ。悪くない。日本酒との相性もバッチリだ。
お麩と湯葉である。ボキャブラリーが乏しいからうまく伝えられないが、食感、味わいともに最高だった。
湯葉の天ぷら自体は珍しくないが、特製の味噌をつけて食べると最高だと勧められたので言われた通りにしてみた。
これまたウマかった。味噌の話もさんざん聞いたのに画像のピントと同じように酔っぱらっていたので忘れた。
こちらは京料理の代表格「ぐじ」、すなわち甘鯛である。独特な表面はウロコの部分だ。パリパリした食感を楽しむ工夫なんだとか。これまたウマかった。
ちなみに天ぷらカウンターの向こう側に広がる夜景は東京ドーム周辺のアトラクション施設のイルミネーションが賑やかで結構テンションが上がる。
接待にも良さそうだし、デートにも使える。天ぷらコーナーしか体験していないが、周辺エリアでは貴重な場所、上等な穴場だろう。
こちらはウニの天ぷらである。大葉で巻くか、海苔で巻くか選べたので、野菜嫌いの私は当然のように海苔を選ぶ。
これまたエロティックな味わい。のけぞりたくなった。
詳しくは分からないが、タネの良さだけでなく、揚げ手のベテランさんが相当な腕前だと思う。すべてにおいて火の通り方が絶妙だった。
私にとって由々しき事態?だったのが、天つゆを使う機会がなかったことである。
近年、何でもかんでも「お塩でどうぞ」と押しつけてくる飲食店が増えた。私はあの風潮が嫌いだ。
「お塩でどうぞ」攻撃の代表が天ぷらである。私は天つゆでビショビショヒタヒタしながら食べるのが好きだから、この日も本当は天つゆ大会に励みたかった。
でも、注文したのはことごとく天つゆとは関係なさそうな顔ぶれである。このこ、梅干し、お麩、ウニ・・・。ビショビショヒタヒタには馴染まない。
湯葉なら天つゆもアリだったのだが、特製味噌が相棒として登場した。間違いなく「天つゆ派」として勝負できそうな「ぐじ」もウロコのパリパリを楽しむためにビショビショすることが出来なかった。
それ以外にこの日は安納芋の天ぷら、金時芋の天ぷらも食べた。これらも甘味の強い芋自体の味を楽しむ一品だった。
天つゆが淋しげに放置されていた光景が少し切なかった。
やはり、海老や穴子、キスあたりじゃないとビショビショヒタヒタ祭りは開催できないわけだ。
「恐るべし関西天ぷら」である。
変なまとめ方になってしまった。でも抜群に美味しかったから時々は行こうと思う。
2016年1月25日月曜日
男の靴の裏側 マンテラッシ
女性の綺麗な後ろ姿を眺めるのが好きだ。「綺麗な女性の後ろ姿」ではない。「女性の綺麗な後ろ姿」である。
うなじはもちろん、キリっとセットした髪型しかり、背中が開いたドレスしかり、ヒップラインはもちろん、ふくらはぎのラインにも目が行ってしまう。
最近はあまり聞かなくなった言葉に「バックシャン」がある。後ろ姿が綺麗という意味だが、「後ろ姿だけは綺麗」というネガティブなニュアンスで使われることもあった。
後ろ姿が美しい人は、かなりの割合で前から見ても素敵である。もちろん、ズッコケちゃうような例外もあるが、それはそれ。見なかったことにすればいい。
やはり後ろ姿に美意識が滲み出る人はトータルで素敵なのだろうか。
さて、ここまでは前振りである。今日は靴の「後ろ姿」や「裏」の部分のアレコレを書いてみたい。
靴の裏、靴底といえば、「ルブタン・レッド」が有名だ。クリスチャン・ルブタンの深紅の靴底は世界中のシャレオツな女性の憧れだ。
あれはあれでしっかり商標権で保護されているらしい。ヘタに真似すると訴えられて負ける。
ルブタンの靴は確かに美しい。美しい人の足下をより美しく見せる。とはいえ、ルブタンをいっぱい持っている女性はお付き合いするのにお金がかかりそうで恐い。
話がそれた。
女性の靴の場合、ヒールがあるから靴の裏側が他の人の目に入るわけだ。階段はもちろん、普通に歩いていても靴の裏側がチラッと覗く。ここにデザイナーが目を向けたくなるのも当然だ。
紳士靴の場合、女性靴ほど裏側にこだわったものは少ないと思う。ジョンロブ、エドワードグリーンあたりもシレっと地味である。
英国靴に対してイタリア靴はさすがに色気がある。上の画像はボローニャ生まれのステファノ・ブランキーニの靴底だ。派手な絵が描かれている。さすがイタリアって感じだ。
ホンモノのお洒落な人なら靴の裏にも強い美意識が働くのだろうが、私の場合、なんでもかんでもすぐゴム底を貼り付けちゃう習慣がある。だから裏側が素敵すぎても困る。
画像のブランキーニもゴム底を貼ってしまえばサイズ表記の「8」しか見えなくなる。見る人が見たら台無しだと思われるのだろう。
ジョンロブだって画像のようにゴムを貼っちゃう。フランス靴の名門オーベルシーにもベタっとゴム底だ。
新しい靴を手に入れると某デパート内の紳士靴リペア工房に持っていく。靴底に薄手のゴムを貼ってもらうわけだが、今まで何度も「ホントに貼っちゃっていいのか?」的な顔をされた。
オシャレを気取って、すかして歩いていてもスッテンコロリンでは本末転倒である。さっそうとカッコつけて歩くためにこそゴム底貼り付け作戦は欠かせないわけだ。
先日、清水の舞台から飛び降りる勢いで「ストール・マンテラッシ」を購入した。イタリアの伊達男御用達のメーカーである。エロっぽさばかり目立つあざといイタリア靴とは違ってどこか優雅な雰囲気が漂っている。
紳士靴の中では珍しく、靴の裏に特徴があるのもマンテラッシのこだわり。ノーブルブルーといわれる青色は「貴族の血」を意味しているのだとか。
私は貴族ではないし、血を見るのもイヤなので上半分はいつもようにゴム底貼り付け作戦である。生粋のマンテラッシファンの人から見ればフラチなことなんだろう。
高級靴、オシャレな靴は革底、安っぽい靴、ヤボったい靴はゴム底というのが世の中の常識になっている。
そしてカッチョいい革底の靴にわざわざゴム底を貼る行為は靴好きの世界では邪道とされている。
開き直るが、邪道で結構である。傷んできた革底は一目見ただけで美しくないし、雨の日には履けない。靴底交換にもコストがかかる。いや、そんなことよりアホみたいにスベる。
それを避けるためのラバーソールの貼り付けが邪道なら邪道で結構だ。お寿司屋さんでチャーシューワンタン麺を注文するほど邪道だとは思わない。
邪道かどうかを気にしてスッ転んでいるほうがマヌケだと思う。オジサマは転ぶとヘタすると死んじゃったりするから許してもらおう。
さて、靴の裏だけでなく、後ろ姿についても書いておこう。
この画像は1年半ほど前に買ったエドワードグリーンである。ウェストミンスターというダブルモンクの定番シリーズだ。気品のあるバーガンディーカラーに一目惚れした。
実はセール品である。パリに旅行したときに見つけた。セール品はヘンテコなものが多いイメージがあったが、ド定番かつ色合いも大好きだったので迷わず購入。
ついでに言えばユーロの為替換算がよく分からなかったから思い切って買えた。それでも日本の価格の4割引ぐらいだったから悪くはなかった。
かかと側から見たラインが実に美しい。エレガントである。なだらかな曲線をついつい指でなぞりたくなる。というか、しょっちゅう指でなぞっている。
街中を歩きながら、電車に乗りながら、店の中で、わりとヨソの人の靴を見るのだが、かかとが綺麗な靴に出会うと途端にその人が素敵で立派な人に思える。
つま先ばかりピカピカにしてかかとに意識が回らないのはダメだと思う。
以前、銀座のホステスさんに「お見送りするとき、いつも靴のかかとが綺麗だなって思っていたんです」と言われたことがある。そういうマイナーなツボを評価してもらうのは素直に嬉しい。すぐにホレちゃった記憶がある。
この靴、実はまだ一度も履いていない。買ったばかりの頃、なんとなく部屋の飾りにしてみたら飾りとして定着しちゃって履く機会を失った。
今後もよっぽど素敵なことがなければ履かないつもりだ。
「よっぽど素敵なこと」・・・。一体どういうことだろう。
宝くじに当たることぐらいしか思い浮かばないのが切ない。
2016年1月22日金曜日
銀座のクロケット みかわや
月曜のこのブログで毎日でもトンカツが食べたいと書いたが、「ニッポンの洋食」的なものも大好きだ。毎日、朝昼晩でも食べられる。
トンカツもジャンル分けしたら洋食なのだろうが、今日書くのはハヤシライスやビーフシチュー、エビフライ、オムライス、カニクリームコロッケなど、そっち系の洋食だ。
字面を見ているだけで唾液が出そうだ。
見方によっては子供っぽいラインナップである。だからこそ、逆にウマい店で食べると鼻の穴がふくらむほど感激する。
変な言い方だが、「子供っぽいメニューを子供では絶対に行けない値段の店で食べる」ことが洋食を楽しむ醍醐味かもしれない。
その部分が洋食好きにとってのカタルシス!?である。オムライスに2千円、エビフライに3千円など冷静に考えればバカみたいな話だ。
しかし、高いからウマいという方程式も厳然と存在する。程度問題ではあるが、オムライスに2千円の値付けをするからには作り手にそれだけの自負と信念があるわけだ。
自負と信念の他にも、その店が辿ってきた歴史や物語のような要素が加わったりすると、なんとなく高い値付けにも納得しちゃう。
私の店選び、はたまた味覚なんてそうした「余計なこと」で影響される。そんなものである。実に頼りない。
私にとって「ニッポンの洋食」は御馳走である。どこか特別なモノという感覚がある。ハレの日に食べたい存在だ。いわばウナギと同格である。
だから高値にも寛大だ。逆にお手軽すぎる店だと御馳走イメージが無くなっちゃうから敬遠する。
ウナギの名店を食べ歩くほどのウナギ好きな人が牛丼屋のウナ丼には目をくれないのと同じ心理である。
さて、前振りが長くなった。
だらだらと値段の話を書いたのには理由がある。高い値付けの洋食を食べちゃったことへの言い訳である。
カニクリームコロッケ様である。先日、始めて入ってみた銀座4丁目の「みかわや」での一品だ。この店では「かにクロケット」というのが正式名称だ。
コンビニのコロッケだったら30~40個買える値段。ビミョーである。安いハンバーガーだって30個ぐらい買えちゃう。
こういうことをチマチマ気にしていたら富豪にはなれない。でも、気になるんだから仕方がない。
でも、ウマかった。凄くウマかった。具体的に何がどうウマかったのかよく分からない。ひょっとすると「高いからウマい」と思ったのかもしれない。
冒頭の画像はタンシチューである。これまた大丈夫かと思うぐらい高い。ビックマックが軽く1ダース以上買える。
チマタで「クソ高い」とまで言われているセブンイレブンの「金の牛タンシチュー」(物凄くウマいです)を10個買ってもおつりが来る。
そんなことを考えながら食べると、「マズい」という言葉は脳内から遮断される。“値付けの魔力”のせいで冷静に判断できていないのかもしれない。でも、ウマい。
ウマいことはウマいが、さすがに悩ましい。値段のことを思い出すとチョットため息が出てしまう。
「ハレの日に特別なモノを御馳走として食べる」という前提条件が整わないと厳しい。
ちなみに、カニクリームコロッケやタンシチューに関してはここより高い値付けの店を知らない。逆にいえば、だからこそ、どれほどウマいのか実際に味わってみたかったわけだ。
値段のことばかり書いてしまったが、また行きたい店である。居心地も良かった。
ついでに言えば料理の付けあわせが抜群にウマかったことも印象的だ。
ちょこっと載せられていたポテトサラダやハッシュドポテトしかり、私が大嫌いなはずのニンジンのグラッセしかり。ウホウホいいながら食べた。
オードブルの盛り合わせも給仕のオジサンが柔軟に品数の希望に対応してくれた。少しづつ盛られていた鴨やアワビや海老や生ハムすべてが高水準で酒の肴として抜群だった。
「高いから良くて当然」なのか「良い店だから高い」のか考えたらキリはないし、考えても仕方がない。
少なくとも、こういう店がしっかりと人気店として成り立っているのは銀座という街だからだろう。ある意味、あの街を象徴する店だ。
カニクリームコロッケを味わいながら、ニッポンの洋食こそ東京の郷土料理だと改めて確信した次第である。
2016年1月20日水曜日
湯島のスナック
行きつけのスナック。男なら誰もが欲している。男の子がオトナになり、社会人になって何年か経つと「スナック」という謎の世界に俄然興味が湧いてくる。
若い頃、「オレの行きつけのスナックに行こうぜ」などと友人に言われると、途端にそいつが大人っぽく見えた。
実際に行くと、ほこりっぽい店内の雰囲気と得体の知れないオバチャンのパワーに圧倒され、オトナの世界の奥深さを思い知らされた。
それでも誰もが、いつかはきっと自分がイメージする「いい感じのスナック」に巡り会えると信じて生きている。ちょっと大袈裟か。。。でも、それが大人の男社会の真実である。
で、私も「いい感じのスナック」を探し続けてもう四半世紀ぐらいになる。いまだに見つからない。
そもそもスナックの定義って何だろう。クラブやキャバクラ、バー、パブ、ラウンジ等々、夜の世界は分かったようでよく分からないジャンル分けがされている。
一応、接客する女性がカウンターの中にいるのがスナックの基本らしい。カウンター以外にボックス席があって、女性が横に座って客と一緒に飲むようだとミニクラブやラウンジと称するみたいだ。
私もクラブやキャバクラではなく、そこそこ手軽で小さな店はいくつか知っているが、「スナック」と呼ぶような雰囲気とも違う。
まあ、スナックの定義自体が私の中で曖昧だから困る。私の勝手なイメージでは銀座や六本木はダメである。もっと「土着的東京」を感じる立地が望ましい。
新橋、赤坂、はたまた荒木町あたりならシッポリ落ち着けそうだ。いや、どうせならもう少しディープ?な場所も悪くない。目指すべきは「湯島」だ。
先日の土曜日、午後の遅い時間に湯島天神の周辺をぶらぶらした。亡くなった祖母が「湯島の白梅」という歌を口ずさんでいたこともあって私にとって郷愁を誘う場所である。たまに散歩したくなる街だ。
ついでに言えば、私の大学合格祈願に出かけた私の母親が湯島天神の境内で見事にスベって転んだというシュールな事件?も強烈に印象に残っている。
街のジャンル分けみたいな話になると湯島と上野は大ざっぱに一括りにされる傾向がある。でも、あくまで湯島と上野は別モノだ。
上野は昔から東北方面から東京にやってくる人達を迎える玄関である。だからオープンマインド?な繁華街が形成されている。
それに対して湯島は良くも悪くも昔ながら東京人の閉鎖性を表しているような気配が漂っている。
勝手なイメージだが、上野がキャバクラやフィリピンパブの宝庫なら湯島はスナックの宝庫である。
湯島駅や天神下あたりから上野広小路までのエリアは独特だ。クルマに乗って幹線道路を通過するだけでは見えないディープな世界が広がっている。
チェーン店に支配されている池袋や新宿と違って湯島界隈は個人店が元気なのが特徴だ。こういうエリアをウロウロするのはとても楽しい。
渋い店構えの居酒屋、小料理屋、焼鳥屋、そして、やたらと大量に?スナックが林立している。まさに密集地帯。密林である。いろんな魔物が生息していそうである。
一見でふらっと入るには厳しい。そこがまたスナックに憧れる人間にとっては堪らない魅力だ。謎めいている。
この日はスナック探検が目的ではなかったが、陽も暮れてネオンが灯り出すと、スナックへの憧れ?が盛り上がってくる。
でも、一切情報は無いから、仕方なくドトールで歩き疲れた足を休める。お茶だけ飲んで帰るのも淋しいから近隣でウマいものを食べることにする。
で、某トンカツ屋さんに行く。カツの前にカキフライなどでグビグビ飲む。ひょんなことから店主と昭和の夜遊びの話などで盛り上がる。お酒もサービスしてもらって程よく酔う。
その後、上機嫌になって少し歩く。頭の中で「湯島いいねえ~。湯島のスナックに行きたいぜ~」とつぶやく。
そんな時、どこからか私を呼ぶ声がした。スナックの神が現れたのだろうか。馴染みのない街だから知り合いはいないはずだ。
声の主は幼稚園からずっと同級生だった旧友である。やはり母校の先輩と連れだって、たまたま近くで飲んでいたようだ。奇遇である。
これから別の先輩が合流して「スナック」に行くらしい。奇跡のような話である。迷わず合流。人生初の「湯島のスナック」が現実のものになる。神様のいたずらである。
雑居ビルの2階。怪しげな扉には「会員制」の文字。うん、しびれるほどにスナック感むんむんである。
ママさんが一人で営むカウンターだけのスナックだ。壁には無造作に水素水の宣伝ポスターが貼ってあったり、カラオケは1曲づつ有料だったり、適度な場末感に感激する。
歌わないといけない。何を選ぶべきか。真剣に悩む。湯島のスナックである。“ゲスの極み”や“セカオワ”を熱唱する場所ではない。歌ったことないけど。。。
菅原洋一あたりが無難だろうか。熟慮の末「テレサテン」に決めた。歌うは「別れの予感」である。♪泣き出して~ しまいそう♪である。
「湯島のスナックでテレサテンを歌うオレ」。なんとまあ素敵なことだろう。無事にオジサンになれた証である。正しくオジサンとして発育できたことを神に感謝する。大興奮である。
その後、やはり中学、高校の4つ上の先輩が経営する近くのバーに繰り出す。初対面だが、その先輩の存在はもともと知っていたし、共通の知人もたくさんいるので、早々に打ち解けさせてもらった。
どうもこの先輩は湯島界隈でやたらと顔が広いらしい。ますます私の「湯島人生」が一気に開けていきそうな気配だ。
で、その後は、いわゆるラウンジみたいな店に行って改めて飲む。夕飯の後にひょんなことから3軒のハシゴ酒だ。気付けば湯島に散歩に来てからもう10時間以上が経過した。長い散歩である。
「スナック?いっぱいあるよ、動物園みたいな店ばかりだけど」。
この日付き合ってくれた旧友のセリフだ。実に興味深い。彼は近いうちに3度目の結婚をするらしい。そんな突き抜けた彼からの湯島情報にもこれからは頼っていこうと思う。
「夜の蝶」ならぬ「夜の毒蛾」を求めてさまよう日が続くのだろうか。
2016年1月18日月曜日
ポンチ軒
許されるものなら毎日トンカツが食べたい。
誰かに禁止されているわけではないのだが、エブリデイ・トンカツでは際限なくデブになって「共食い」とか言われそうだ。
死ぬ前の最後の一食を選べと言われたら私はトンカツを選ぶ。もちろん、惑星の衝突なんかで元気なまま死んじゃう場合の最後の一食である。
ちなみに弱って死んでいく場合の最後の一食は生卵かけご飯が好ましい。
さてさて、先日ウマいトンカツを食べた。神田・小川町にある「ポンチ軒」に行ってみた。かなり評判の高い店だ。
肝心のトンカツ以前にホッピーがメニューにあったことが驚きである。評判の高いトンカツ屋さんの多くが、トンカツとご飯を黙々と食べるだけのイメージである。
ビールや日本酒はともかく、ホッピーがあるのは嬉しい。個人的にホッピーは揚げ物や豚肉と相性が抜群だと思っているので上等なトンカツとの組み合わせはバンザイである。
さて、ポンチ軒の話だ。店内は昭和レトロを意識した造り。一品料理や飲み物リストもそこそこ揃っていて、飲み屋さん感覚でも便利に使える。
牛すじ煮込みや枝豆をもらってグビグビ。トンカツの前にカキフライを食べる。ビールからホッピーにチェンジして少しづつ酔う。
注文しなかったが、メニューにはハムカツとかメンチポテトコロッケなど昭和の定食屋風のツマミも用意されていた。
トンカツは素直にウマかった。肉質、肉の甘味、揚げ方それぞれにバッチリで、ホロ酔いで楽しんでいると、トンカツがある星にトンカツがある時代に生まれて良かったと心底思った。
トンカツのルーツであるカツレツは、コートレットだかカットレットと呼ばれるフランス料理が元祖だとか。
元々は、スライスした肉にパン粉をつけてフライパンなどで炒め焼きする料理だったらしい。
明治時代以降、西洋料理を上手にアレンジしてきた日本人は、トンカツ分野でも日本的な改良を加える。
炒め焼きより揚げたほうがカラっと出来あがるし、調理の効率性にも優れていたので、いまのスタイルが定着するようになったわけだ。
調理法だけでなくトンカツソースという近代ニッポンの最高の発明品が我が愛しのトンカツを崇高な逸品に完成させた。
いまどきはトンカツにまで「塩でどうぞ」という間違った風潮があるが、あれは問題外だ。ソースあってこそのトンカツだと思う。
ヨーロッパで食べるウインナーシュニッツェルやミラノ風カツレツなどはちっともウマいと思わない。あんなものレモン絞って食べたってウマいはずがない。
諸外国の「衣まぶし豚肉の炒め焼き」のような料理はトンカツの元祖かもしれないが、あくまでトンカツとは似て非なるものだ。あえて言えばトンカツソースの素晴らしを逆説的に実証するためだけに存在しているように思う。
なんだか熱く語ってしまった。あくまで個人的な主張です!
トンカツソース無しでも味噌カツは味噌カツでウマい。卵でとじたカツ丼もウマい。でも、やはり上質なトンカツを前にしたらトンカツソースに勝るものはない。
なんだかトンカツの話なのかソースの話なのかゴチャゴチャになってしまった。
まあいいか。
それにしても今日もトンカツが食いたい。
2016年1月15日金曜日
イライラおやじ
ここ数日、世の中を騒がせているのがSMAPのスッタモンダだ。要するに会社に楯突いた社員が居場所を失っただけの話らしい。
そりゃあ裏切り者は許されないのが普通だ。実に単純なこと。なんだかんだ言っても経営サイドを甘く見ちゃっただけの話だと思う。
まあ、そうは言っても、経営者としては、これだけの騒動になればゴッツイ儲けが生まれる便乗ビジネスをやりたくて仕方がないはずだ。
いわば経営者としての矜持と商魂がせめぎ合っている感じだろう。そんな観点で成り行きを見物するのも面白いかもしれない。
さて、本題。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」。織田信長が好んだと言われる一節だ。
そもそもは人の世の50年なんて天界の時間に比べれば一瞬でしかないという意味だ。人生は50年ぐらいで終わってしまうという解釈は誤り。
もっとも、時代とともに解釈の幅は広がり、「人間が精一杯ハッスルできるのは50年程度だから悔いのないように頑張ろう」みたいなニュアンスも一般化してきた。
解釈はともかく50年が一つの節目であるのは間違いないようだ。
平均寿命を考えるとまだ先の話なのだろうが、50年ぐらい生きてくると漠然と「死」を考えることが増える。
少なくとも10年前の倍、20年前の百倍ぐらいは「老後、晩年、死」を考えることが増えた。こうやって無意識のうちに少しづつ“終活”への意識が強くなっていくのだろう。
最近、知った言葉に印象深いものがあった。
「人は生きてきたように死んでいく」。
何千人を見送ってきたベテランの医師の体験談から生まれた言葉らしい。考えさせられる言葉だ。
しっかり生きてきた人はしっかり死んでいく。感謝しながら生きてきた人は感謝しながら死んでいく。文句ばかり言っていた人は文句を言いながら死んでいく。
人生の最後の数カ月は人生が凝縮されるらしい。その人の剥き出しの性質が表に出るのだろう。キッチリした人はキッチリと、だらしない人はだらしなく人生を終えるのかもしれない。
私自身、身内の死を思い返すと、素直にうなずける。祖父、祖母ともに「らしい」最期だったのかもしれない。
さてさて、私も人生後半戦である。さすがにこの年になれば人間性も固まってきた。その日を迎える際も「らしい」死に方をするのだろうか。
ちょっとマズいかもしれない。
このところ、偏屈に拍車がかかってきたから、将来はバリバリの偏屈ジジイになって、結局は偏屈に死んでいくのだろうか。
誰かが看取ってくれるにしても偏屈なヤツは迷惑だろう。ちっとも可愛くない。ちょっと問題である。
死にそうな分際で、お医者さんや看護婦さんの態度や口の利き方にカチンときて無駄な抵抗をしそうだ。
昔から思っているのだが、お年寄りの患者に対して看護婦さんが赤ちゃんをあやすように話すのは何とかならないものだろうか。一部のケースなのだろうが、個人的にはああいうノリが苦手だ。
患者も「赤ちゃん返り状態」なのかもしれない。それでも人生の大先輩として敬意を払ってもらいたいと思う。
これからの世の中は超高齢化社会である。おそらく想像以上に爺さん婆さんばかりになる。どこを見ても爺さん婆さんである。
そんな日が来る前に、高齢者に対して節度と敬意を払う必要性を年少者に教育していくことは国家としての喫緊の課題!だ。
あと20年ぐらい大過なく過ぎれば、私だってお爺ちゃん業界?でブイブイ言っているはずだ。その頃に若造にオチョくられたくないからこの問題に関しては声を大にして主張し続けようと思う。
最近、以前にも増してイライラすることが多い。これっていわゆる更年期の症状なのだろうか。自分でも少しイヤになる。
クルマの運転中もしょっちゅう腹を立てている。事故を起こしたらつまらないので常に気分を鎮めるように暗示をかけている。
「年をとれば誰だってノロノロしちゃうんだからイライラしない!」。いつも自分にそう言い聞かせる。しかし、ノロマなクルマを運転しているのがお年寄りじゃなかったりすると途端にイライラする。
「もたもた」、「のろま」。文字にするだけでも不快だ。せっかちが正しいとは言えないが、間違いなくのろまよりは百万倍マシだ。江戸っ子の常識である。
待たされることもイヤだ。マナーだかなんだか知らないが必ず5分ぐらい遅れてくる女性がいる。こっちも文句を言わないが、あっちも詫びの言葉はない。結果、割とすぐに嫌いになる。
イライラ話から脱線してしまった。軌道修正。
男の場合、テストステロンなる物質の減少が更年期のさまざまな症状の原因だとか。イライラぶりにも関係するみたいだ。一応、注射による補充療法があるらしいが、それなりに問題もあるらしい。
気軽にテストステロンが補充できるサプリとかアメとか入浴剤なんかが開発されて欲しいものだ。
ちなみに今日も朝からイライラしている。原因はどうでもいい健康ネタを知ってしまったせいだ。
「動脈硬化の前触れとして最初に起こるのは朝勃ちの減少」
朝勃ちなんて中年になれば誰だって無くなる。50過ぎた男が毎朝ビンビンだったらバカだろう。こんな情報に心を乱される自分にイライラする。
2016年1月13日水曜日
巣鴨の角煮
幸か不幸か、中高年生活も円熟期?に入ってきたせいで、朝、起きてから空腹を感じるまでの時間が若い頃とは変わってきた。
昔は起きてから5分もすれば『腹減った』だった。時には空腹で目を覚ますことさえあった。
ここ1~2年、起きてから30分ぐらい空腹を感じないことが珍しくない。私にとっては大いなる変化である。変化というより劣化だろう。
そうなると起きて早々に寝間着のままガッつくような食事をしないで済む。適度に身支度を整えれば外食でブランチをドカ食いすることが可能になったわけだ。
どうでもいい話だが、私にとっては画期的なことである。
一人暮らしをしていると、味噌汁の匂いとまな板のトントントンという音で目覚める生活は望めない。モーニング珈琲をいれてくれる人もいない。
それを侘びしいとか淋しいと感じる人は修行が足りない。シングルオジサマライフはモーニング味噌汁の変わりに好き勝手が出来るというメリットがある。
「好き勝手に外食」。この特権?を大いに楽しまないと面白くない。休日のブランチなどにはもってこいだ。
近所の「吉野家」でもいいし、「ゆで太郎」でもいい。でも手軽過ぎると逆に切ない気分になりそうなリスク?もある。やはり、わざわざ食べに行くという「わざわざ感」は大切である。
ホテルのカフェレストランでピラフを大盛りで注文したり、エビフライやハヤシライスを目当てに洋食屋さんを攻めたりするのが正しい行動である。
週末の午前中なら首都高はガラガラだ。自宅近くの「護国寺入口」からクルマを飛ばせば銀座、六本木、浅草あたりでも10分、15分程度で着いちゃう。混雑さえなければ、都会は便利な程度に狭い。
先日、オバアチャンの原宿との異名を持つ「巣鴨」を散策してきた。自宅からタクシーで1000円もしない距離なのだが、オバアチャンをナンパする趣味はないのであまり縁がない街である。
休日の朝、といっても昼に近い時間帯だが、起きてからほどなく巣鴨に到着。オバアチャンだらけだが、結構若い人もウロウロしていた。
塩大福に惹かれたが、私の楽しみはブランチである。どこで何を食べようか考えてウロウロするのが楽しい。
混雑を避けるために目抜き通りの店より裏路地にある渋い感じの店を探す。ウマそうな蕎麦屋を見つけたが、空腹マックスだったのでパス。もっとドカ食いっぽい路線を求めてさまよう。
で、怪しげな台湾料理屋を発見。その名も「台湾」。魅力的なほど小汚い。いい感じだ。デブタレントの英雄「石ちゃん」が食べに来た昔の写真が自慢げに貼ってある。
店先の写真やゴタクを見ていたら大きな豚の角煮が名物らしい。バッチリだ。シュールな街・巣鴨での休日のブランチに最適な店だと確信して突撃する。
「ナニ飲む?紹興酒飲むか?」。席に座った私に対する店のおばちゃんの第一声である。なんとも雑である。実にステキだ。シビれる。
さすがに空っぽの胃袋に紹興酒を流し込むのは気がひけたのでビールをもらう。
ほどなくドカンとした角煮がやってきた。興奮する。
想像していただきたい。遅く起きた休日、昼近く、腹ペコになって気分良くビールをひっかけているときにこんな角煮が登場したらどれだけ幸福感に包まれるか。
バンザイ、ワッショイ、ウッシッシである。
見た目よりクドくなくて素直にウマい。もちろん、これだけで済むはずもない。台湾の屋台料理である魯肉飯(ルーローハン)も店の自慢らしいので、ご飯代わりに注文。
ハッカクの効いたぶつ切り肉がたっぷりだ。付け合わせの煮卵は鉄卵という名の自慢の一品らしい。硬くなるまで煮しめた卵だとか。こちらも普通に美味しかった。
店のおばちゃんも親切だったし、こういう行き当たりばったりは実に楽しい。
ちなみに隣の席のオヤジは名物の角煮をドカンと乗っけたラーメンを食べていた。間違いなく物凄くウマいはずだ。
その後、腹ごなしに漬け物屋を覗いたり、ラクチンな部屋着を買ったり、すっかりオバアチャンみたいな過ごし方をする。
なんだかホッコリする時間だった。
一人暮らしの利点はいろいろある。家の中で裸族で過ごせるし、エロ動画も見放題である。オナラもゲップも遠慮する相手がいないから豪快にぶっ放せる。
しかし、そんな内向的なことより、好きな時に好きな場所に気ままに出かけられることのほうがメリットとして大きいのかもしれない。
デブ症は仕方ないが、出不精にならないように気をつけようと思う。
2016年1月8日金曜日
泣ける?焼鳥
10年以上前、まともに家庭人をやっていた頃、都内某所に家を新築した。ウキウキ気分で近隣を散策しながら気軽に飲める店を探した。
ほどなく居心地が良くてウマい焼鳥屋「T」を見つける。独創的な一品料理も魅力で、仕事帰りに週に一度ぐらい顔を出すようになった。
休みの日にもちょこちょこ出かけた。まだ幼かった子どもを連れてまで通った。子どもには特製親子丼を食べさせ、お父ちゃんはグビグビ焼酎をあおっていた。
その後、「T」の大将とも親しくなり、あれこれ相談を受けたり、愚痴を聞いてもらったり。職場の宴会を豪勢にやったこともある。
いつも焼酎片手に鶏のレバ刺しで酔っ払っていた。マヨ風味が堪らない特製コロッケも毎度のように食べていた。
お土産でもらった極上生卵を無造作にレジ袋に突っ込んで歩いて帰ったら、酔ってたせいで全部割れちゃっていたことも何度かある。
そのうち、恥ずかしながら“家庭経営”がうまくいかなくなり、家の近所で飲む機会が減り始める。3・11の震災も影響して「T」に行っても大将との会話が徐々に重苦しくなっていった。
その後、別なエリアで一人暮しを始めたので、自宅の近所で飲む機会が無くなる。仕方なく移転先周辺で気軽に通える焼鳥屋を探すがどこもピンとこなかった。
そして、正式に家庭から離脱することになって家を明け渡したから、その街で飲む機会は完全に消滅してしまった。
名物料理「レバ炙りポン酢」が食べたくて、何度か「T」に行きかけたが、やはり、その街にはなかなか足が向かなかった。「T」の大将に事情を話すのもメンドーだったから行かずじまいになる。
それから4年近くが過ぎた。
鶏のレバ刺しを常備している店はいくつか開拓した。でも、やはり生レバに対する「T」のアレンジは最高だと思っていたので、どこで食べても思い出すのは「T」のことばかり。
そして去年の秋も深まった頃、ひょんなことから「T」が移転するという情報を入手。さっそくネットで詳細情報を調べてみた。
すぐにFacebookページを発見。住所も細かく出ていたので、近いうちに再訪することを一人勝手に誓った。
そして年も押し迫ったクリスマスの頃、おそるおそる出かけてみた。ありえないぐらい不便な場所に移転していた。最寄り駅は無いといったほうがいい。住宅街にポツンとあった。
開店まもない時間に暖簾をくぐる。仕込み中の大将と目が合う。お互い10秒ほど目を真ん丸にして見つめ合う。
「オ~っ」とか「ドゥわ~っ」とか「ホゲ~」などと言いながら再会を大袈裟に喜び合う。なんだか少しジンときた。
「サンタクロースかと思ったよ~」。「T」の大将の風貌は正直に言って「海坊主系」?なのだが、そんな彼がセンチなことを言ってくれた。
私も何だか嬉しい。やたらと愉快な気分になる。疎遠になっていた4年近くの間にお互い50歳という節目を超えていた。オーダーも忘れてしばしベラベラお互いに近況報告をして盛り上がる。
私専用の焼酎キープ用の瓶も処分されずに残っていた。新たに焼酎を注入して再利用スタートである。その日のうちにだいぶ減ってしまったが、陽気な気分でグビグビしちゃったんだから仕方がない。
レバ刺し、レバ炙りポン酢、特製コロッケである。移転しても以前と同じメニューだった。相変わらずウマい。
ベタ誉めしているが、あくまで街場の焼鳥屋さんである。移転早々だから店は綺麗だが、ちっともオシャレではないし、グルメ評論家っぽい人がやってくる風情ではない。
ただし、街場の焼鳥屋さんとしては抜群にウマい。レバ炙りポン酢や特製コロッケはどんな高級焼鳥店に行っても味わえない珠玉の一品だと思う。
普通の串モノにしても1本100円台の焼鳥としてはトップレベルだろう。1本600円~700円も取るような都心の高級焼鳥屋にも行く機会はあるが、「T」で鶏づくしを堪能すると都心の高級焼鳥店はあくまで雰囲気を楽しむ場所だと痛感する。
まあ、私にとってウマいマズいという話はさほど重要ではない。自分にとって色々あったこの10年と絡み合っていた場所のような気がして、そんな店と改めてつながり直せたことが感慨深いわけだ。
男にとって「止まり木」みたいな場所があるのは嬉しいことだ。「T」との“復縁”は中年男の繊細な?心にグサッと刺さった。琴線がかき鳴らされた感じである。
なんだか、店の実名も出さないまま、富豪っぽく?もなく、ちっとも参考にもならない話を書き散らかしてしまった。スイマセン!
でも何となく書いたことでスッキリした。
2016年1月6日水曜日
浅草の底力
本年もよろしくお願いいたします。
年末年始は旅行も行かずホゲホゲ過ごせた。元旦の夜から2日にかけては11時間も寝た。桃源郷暮らしみたいな話だ。
さて、年末の某日、ふらっと浅草に行った。時々無性に行きたくなる我が心のふるさとである。
祖父が浅草生まれだったから、一応、浅草DNAは私にも受け継がれている。子どもの頃、浅草寺境内で揚げまんじゅうを買ってもらいたくてお参りにしょっちゅう付き合った。
その後、大人になり世はバブル景気に突入。都内各地で新興の街が活気づく一方で浅草のシュールな感じは際立っていった。時代に取り残されたような感じだった。
アマノジャクな私は、イケイケのシティーボーイ(何じゃそりゃ?)を気取りながらあえてワンレンボディコンのイケてる女子を浅草に連れ出し、時代に逆行するかのようなデートを楽しんだりした。「オシャレじゃないことこそオシャレ」だと思っていた。
ブロマイドのマルベル堂を冷やかし、焼立て煎餅をかじり、梅園で粟ぜんざいを舐めてから花やしきを覗いて、鰻の前川、天ぷらの中清あたりで夕食というのが定番だった。
中年になってからも、夏の夕暮れに竹芝あたりからわざわざ水上バスに乗って釜飯屋に一杯ひっかけに行ったり、週末、夫婦喧嘩に疲れると浅草寺境内の猿回しを見に行って癒やされたりしていた。
私にとっての浅草はいつもシュールな場所であり異次元空間だった。言うなれば「昭和の残照」である。秘密じゃないけど秘密基地みたいな場所だ。
ところが、ここ数年の浅草は何だか大変なことになっている。外国人観光客の激増、スカイツリー特需の関係で、やたらと活気づいている。
オノボリさん用の観光地として割り切って新たな発展の道を踏み出している。やたらと元気だ。アノ独特なサビレ感、くたびれ感が日に日に無くなっていく。チョッピリ淋しい。
EXILEみたいな兄ちゃん達が元気よく人力車を引っ張っているし、シュールな甘味処より小洒落たスイーツ屋が目につくようになった。
今回、驚いたのは孤高の存在として最後まで無頼な空気を漂わせていた六区周辺の怪しげなエリアも再開発が進んで小ざっぱりしていたことだ。
なんちゃらホテルが開業し、下層階には物産展のようなテナントがわんさか入居した大きな商業ビルが大勢の人を集めていた。
あれじゃあ、独特の浅草ファッションに身を包んで場外馬券場で痰を吐き散らかしていたオッサン達は行き場を失ってしまいそうである。
さてさて、愚痴はともかく、この日は年末で休みに入った店も多く、行きたかった洋食屋さんに行けなかった。
慌てて、スマホを駆使して界隈の洋食屋さんの中から開いている店を探す。「シーフード メヒコ」なる店のカニピラフが美味しいらしい。
福島や茨城を拠点とするチェーン店のようだ。チェーン店嫌いの私だが、スマホで見たカニピラフの麗しい画像に惹かれて行ってみた。
カニが好きでピラフにも目がない私が注文すべき一品はこれしかない。ヤケクソのようなカニピラフである。
悪く言えば創意工夫のカケラもない。何の変哲も特別な具もないピラフの上にこれでもかってぐらいカニが乗っている。でもそれが嬉しい。
ちゃんとカニフォークとフィンガーボウルまで出てくる。上に乗ったカニは出がらしの殻みたいな飾り的なものではなく、身肉がぎっしり状態である。
ウホウホと身をほじくり出す。出るわ出るわ、カニの身がアッという間にピラフの上を覆い始める。全部ほじっているとピラフが冷めちゃうから適当なタイミングでピラフと一緒に口の中に放り込む。
なかなかウマい。何の変哲もないピラフが逆にバッチリである。ヘタに自己主張されるとカニの風味を殺しかねないが、ここのピラフはカニをちゃんと主役にする。実にバランスが良い。
ビックリするほどウマいわけではないが、正しくジンワリとウマい。近所だったらちょこちょこ食べに行きそうな店だ。
カニクリームコロッケにもカニ身がしっかり入っていたし、それ以前にベシャメルソースが正しくクドくて嬉しかった。「浅草で洋食」という気分を満たしてくれた。海老のポテトサラダなる一品もビールのツマミとして優秀だった。
さすが浅草に店を構えるだけのことはある。店名も店内の雰囲気もどこかヌルい感じだ。浅草的ファミレスと表現したくなる店だった。
その後は、腹ごなしに周辺を散策、街の変わりように驚きつつ、歩き疲れたので休憩をかねて東洋館(冒頭の画像です)に入る。昔のフランス座だ。
渥美清や欽ちゃんが活躍し、ビートたけしを生んだ劇場である。昭和の雰囲気がむんむんである。
「松鶴屋千とせ」の他はまったく知らない人ばかりだ。誰も知らないからかえって浅草芸人の技量を先入観抜きに楽しめて楽しい。
70歳を優に超えたギター漫談のギターテクニックに衝撃を受け、88歳の漫談家のシャンとした姿に圧倒された。
浅草の底力を見た気がした。街自体が衰退からひょっこり立ち直って、それを支える人々も年齢に関係なく活躍している。
なんだかんだ言って浅草に行くと気分がリフレッシュする。あの街は私にとって一種のパワースポットみたいな場所だと思う。
浅草中を覆う「泰然自若っぽい空気」を前にすると中途半端にモノがわかったフリをしたり、中途半端な年齢をタテに分別ヅラすることが恥ずかしくなる。
あくまで我が道をズンズン進んでいるような浅草の突き抜けた感じを見習って新しい年を乗り切っていきたい。