今日で今年の更新もおしまいです。
秋頃、このブログは今年いっぱいで小休止しようかと思ったものの、思うところあって、来年も継続します。
何だかんだ言って、身辺雑記を書き続けることが好きなんだと思う。自分の考え方の整理に貢献することもあるし、あの時自分は何をしていたのかという記録になるだけでも悪くない。
ある意味、私にとってこのブログが「壺中有天」の境地に近づいているのかも知れない。
「壺中の天」については、4年前に言葉の由来と解釈を書いたので、ご参照いただきたい。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2007/12/blog-post_21.html
簡単に言えば、自分だけの別天地を持つことの大切さを表現した故事だ。
ふさいだ気分で日々を過ごしたり、仕事がまったく上手くいかなかったり、人間関係に疲れたり、はたまた人生の羅針盤に狂いが生じた時、人の心は簡単に折れそうになる。
どんな境遇に置かれても、自分の中で別天地を持つことが自分を救うことになるという解釈は、どんな立場の人だろうと当てはまるはずだ。
同系統の言葉では、「忙中有閑」は、忙しさの中に見つける暇の大切さを説いている。暇が出来たら・・などと考えているようでは何事も出来ないという戒めだ。
「苦中有楽」は、苦しみ抜いてこそ、本当の楽しみを見つけるという教えだ。
「壺中有天」も、そうした教えのひとつに位置付けられている。人生に必要なのは、しがらみ抜きに自分だけが没頭できる世界を持つこと。まさにその通りだと思う。
もともと、この言葉を知ったのは、陶磁器収集に精を出すようになった30代半ばの頃。陶磁器といっても、酒器専門なので、いわば徳利を壺に見立てて、この言葉を面白がっていた。
私にとって徳利集めの楽しさは、それぞれの徳利の口造りの違いを眺めて喜ぶというもの。
手作り特有のひしゃげた感じをウリにする陶器の徳利が好きで、口元を触ったりしながら、覗いても決して見えない壺状の中身の神秘性に魅せられていた。
壺の中に未知の世界が存在しているのかも・・・。などと徳利から注ぐ酒の酔いも手伝っておセンチな妄想に励んでいた。
今思えば、そんな妄想に耽ること自体が、「壺中有天」、すなわち、自分だけが没頭する世界を作って楽しんでいたのだと思う。
趣味でも副業でも何でもいい。自分をほんの一時でも解放することは、誰にだって必要だと思う。
別天地とか自分だけが没頭できる世界と言っても、それは逃げ場所を意味するものではない。単なる現実からの逃避では救いの道にはつながらない。
別天地も一つの現実世界として存在させて初めて本当の別天地になるのだろう。現実を複数共存させるぐらいの気持ちが大事なんだと思う。
なんか重苦しい表現になってしまった。
軌道修正する。
最近は徳利を入手する機会が激減した。何かと最近は散財しているのも確かなのだが、それだけが理由ではない。頑張ってそれなりの良いものを集めてくると、欲しい逸品のランクも必然的に上がってしまい、なかなか気軽に手が出なくなってくる。
うーん、ここが勝負所なんだろうか。そこそこ無理をしないと幸せは手に入らないのも事実だろう。無理をすることで生まれる喜びとか、無理をすることで見える世界を大事にすることは人生を豊かにする。若い時は今以上に「無理をしてでも・・・」という感覚が強かった気がする。
ある意味、今の自分を作ってきたのは、そんな無理の積み重ねとか、痩せ我慢とか、そんな心理だったんだと思う。
すっかり分別ヅラになってしまった自分を俯瞰してみると、無理が少し足りないんじゃないかと思う時がある。一歩踏み込めなくなったというか、保守的な姿勢に陥っているように感じる。
そんな寒い現実に気付くと身震いしたくなる。いかんいかん。そんなんじゃ老けこんでしまう。
新しい年は、もっともっと攻めに転じよう。
来年は1月6日金曜から更新を再開します。よろしくお願いいたします。
2011年12月30日金曜日
壺中有天
2011年12月28日水曜日
イカの謎
食べ物の中で一番好きなのが寿司だ。飲み喰いに行く店で一番好きなのも寿司屋だ。だから、それなりに寿司ネタの魚については学んできた。
もちろん、素人なりの経験がベースなので、エラそうなことは言えないが、以前から腑に落ちないのが「イカ問題」である。
東京の寿司屋でイカを注文することは滅多にない。でも、毎年のように行く函館ではイカを親のカタキのように喰いまくっている。
東京の寿司屋でイカといえば、スミイカがエース級の存在で、函館でお馴染みのマイカ(スルメイカ)は二線級の扱い。塩辛用のためだけに仕入れるなんて話も聞く。
個人的にはイカのネットリ感がそんなに好きではないので、スミイカ中心の東京だと、イカを注文する気が起きない。
高級品扱いのスミイカは何よりネットリした食感がウリ。シャリとの相性が良いから寿司屋業界ではエバった存在だ。それはそれで理解できる。
一方のマイカは、コリコリした食感だから、確かにシャリとの組み合わせでは、スミイカに劣るのだろう。そうはいっても、画像のように生のまま出されるハラワタのウマさは、珍味業界のスーパースターだと断言できる。
私に言わせれば、上等なスミイカがビリージョエルだとしたら、生きたままさばかれる新鮮なマイカは、エルヴィスプレスリー並みの抜きんでた存在だ。
にもかかわらず、東京では、マイカのワタは塩辛のために存在するみたいな空気が支配的だ。一体ナゼだろう。
生きたままさばくという部分が函館ならではの特徴なのだろうか。いくら新鮮でも死んでしまったマイカだと、あの動いているほどの新鮮コリコリ感と生のワタのエロティックスペシャルな味わいは堪能できないのだろうか。
高度に進歩した現在の運輸環境にあっても生きたまま輸送することが難しいのだろうか。
何でも揃う東京というワガママで貪欲なマーケットでも、マイカのワタを生で食べさせる店など聞いたことがない。函館あたりだと7月から12月ぐらいまでは、そこらへんの居酒屋でも生のハラワタを普通に出してくれる。実に不思議だ。
函館では「ゴロ」と呼ばれるハラワタだが、掛け値無しにウマい。珍味という表現は正確ではない。純粋に美味なる存在だと思う。
クリーミーで甘味があって、口の中で溶けていく感じ。上等な生ウニにも劣らない官能的な味だ。
理由は良く分からないが、東京でお目にかかれない以上、わざわざ函館を訪ねる理由になるわけで、函館好きな私にとっては、それはそれで良しだろう。
なんでもかんでも東京で味わえるなら、旅先での食道楽など根絶してしまう。下の画像は、函館のとある郷土料理系居酒屋のメニューだ。私が騒いでいるマイカのさばきたては、ハラワタもしっかり刺身にしてくれてこの程度の値段だ。
こんなメニューの飲み屋さんがごろごろあるから函館は楽しい。今回は、毎回必ず訪ねるお寿司屋さんが、予約がいっぱいで入れず、お気に入りだった海鮮系の割烹も無くなってしまったので、店選びに少し難儀した。
そうは言っても、数え切れないほどこの街を訪ねてきた経験によって、適当に店を決めて旬のウニやさまざまな珍味を食べ歩いてきた。
真イカのワタが生で食べられるのは、それこそ12月までなので、そればっかり食べていたが、旬のウニも連日連夜摂取してきた。
上の画像は、朝市にほど近い立地の「むらかみ」という店で食べた無添加ウニ丼だ。ミョウバンを使っていない生のウニをふんだんに使ったスペシャルどんぶり。悶絶。
ここ「むらかみ」は、ウニ加工会社直営の飲食店だから、ウニの品質の高さが自慢の店。どんぶり横町をはじめとする朝市周辺の飲食店に比べると価格設定は高め。それでも、間違いのない逸品が食べられる。
この日、上の画像のどんぶりはシメの一品として食べたのだが、そこに至る前に熱燗をグビグビしながらアレコレ堪能した。
色合いが不揃いなだけで味わいに遜色のないウニを一折つまみにもらう。贅沢かつ至福な時間だった。ウニにぺたっとワサビ醤油を塗ってぺろっと口に放り込んで、磯の香りが消えないうちに熱燗をキュっと流し込む。グヘヘヘって感じだ。
ウニの佃煮とかウニの醤油漬けとか、自家製の珍味もいろいろあったので、熱燗のお供に注文する。画像は醤油漬け。これまた酒肴として完璧な味だった。日本人に生まれて心底良かったと実感した。
これ以外にもウニクリームコロッケとか、イカとアスパラのウニソース炒めとか、ボタンエビ刺しとか、熱燗のピッチを上げさせるつまみをワシワシ摂取した時間だった。
この日飲んでいた酒の銘柄は「熊ころり」。このネーミングも素晴らしい。北海の珍味を肴にグビグビすれば、熊のように太り気味の私がコロリとひっくり返るほどだった。
下の画像は、店を出た直後の私の画像だ。
まさに雪の上にコロッと倒れて酩酊状態。昼間の酒だったのでいつも以上に幸せだった。
雪見の温泉を山と海で堪能し、痛風の恐怖もものともせずに、ウニやイカワタ三昧だった今回の旅。充実した時間だった。
時が止まればいいと何度も思った。近いうちにまた北の国に戻りたい。
2011年12月26日月曜日
登別と湯の川
久しぶりに北海道に旅行に行ってきた。寒い時期に寒さが厳しい場所に行くのは旅の醍醐味。住んでいる人には悪いが、2,3日覗くには雪もドカンと降ってくれたほうが楽しい。
登別と函館に行ったのだが、普通は12月のこの時期、ガンガン雪が降ることは少ない。運良く今回は一面真っ白というパターンに遭遇したからバンザイ三唱の気分だった。
今回は運良く、どちらもしっかり雪景色を堪能できた。旅の目的は珍味と温泉。雪を眺める風呂の素晴らしさは言うまでもない。
まさに「頭寒足熱」という大自然での温泉の楽しさを堪能してきた。
最初は千歳空港から登別へ。目指す宿は「滝乃家」。老舗だが、3年ほど前に全面改装して、北海道屈指の上質な宿に生まれ変わった人気の旅館だ。
3年前に一人ふらっと寝台特急北斗星に乗って登別に行った際に泊まった宿だ。別な宿を体験したい気持ちもあったが、前回の快適さが印象深かったのでリピーターになってみた。
部屋付の露天に惹かれて前回よりグレードの高い部屋を選んでみた。源泉掛け流しのにごり湯が部屋にいながら味わえるのは贅沢の極み。粉雪が舞う山あいの眺めも風流で、まさに命の洗濯。
どうも最近は命を洗濯しすぎているような気がする。
部屋の食事スペースはリビングエリア、ベッドルームとは仕切られている。特筆すべきは、厨房から部屋の食事スペースに直接出入りできる扉があること。つまり、仲居さんは、ベッドルームやリビングを通らず配膳や片付けが可能というわけ。
隠れ家タイプの高級旅館としては実にセンスの良い発想であり、設計だと思う。
食後、ベランダで葉巻をふかしていたら、さすがに冷え切ったので、部屋専用の温泉に飛び込む。ウヘーとかオウッとかオッサン丸出しの奇声をあげて喜ぶ。
雪を眺めながらにごり湯に浸かり、レミオロメンの「粉雪」をサビの部分だけうなって好きな葉巻をプカプカする。なかなか経験できない極楽時間だ。
上機嫌で宿の庭を眺めていたら、ナマの、いや天然の、いや野生のエゾジカまで登場した。大きなツノを伸ばした結構なサイズのエゾジカが木の芽か何かをついばみにやってきた。
出来すぎだ。庭の一部がライトアップされているせいで、エゾジカが動くたびに薄ボンヤリと浮かび上がった幻想的なシルエットも揺れる。ホントに出来すぎな光景だった。
部屋の風呂だけでも充分なのだが、大浴場も捨てがたい。3種類の源泉が用意され、サウナもある。おまけに、客室の風呂に惹かれて訪れる客が多いため、大浴場も貸切に近い状態がほとんど。
大浴場から露天風呂には、外の階段を下っていく造りなのだが、この階段にも温泉が流され、足が冷たくならないように工夫されている。
谷底のような地形に造られた露天風呂からは雪をかぶった山肌の眺めが楽しめ、近くの川のせせらぎと野鳥の音色がBGM。こんな空間に一人佇んでいると、気の利いた恋愛小説ぐらい書けそうな錯覚に陥る。五感がリセットされた感じがした。
ハード面、ソフト面ともに北海道ではトップレベルの宿だろう。食事も派手さはないものの、ひとつひとつ丁寧に仕上げられ、総合的なコストパフォーマンスも首都圏近郊の高級旅館よりも確実に優秀だ。
チェックアウトが11時なのにメインの大浴場が朝の9時で終了してしまうのは、あり得ないほどのダメダメだが、それ以外は申し分ない宿だと思う。
今回の旅では、2日目の午後に函館に移動した。この日はこの時期の函館名物であるクリスマスイルミネーションを見物しようと、名物ツリーが部屋から見えるホテルに一泊。一足早いクリスマス気分に浸ってみた。
そして翌日、毎年のように訪れる湯の川温泉の「湯の川プリンスホテル渚亭」に移動。
「滝乃家」のようなしっぽり系でもなく、和モダンでもなく、強いて言えば昔ながらの大型旅館。
個人的に何年も前からこの宿がイチオシで、暇さえあれば行きたくなる。日本で一番空港から近い温泉が湯の川温泉であり、その中でも海っぺりの露天風呂の絶景が素晴らしいのがこの宿だ。
過去に何度も、当日や前日に突然行きたくなって函館に飛んだのだが、この宿の空きを確認してから航空券を買うパターンが私のお決まり。
男性用大浴場の露天風呂が海に突き出ているかのような造りで解放感が抜群。津軽海峡の眺め、押し寄せる波の音、群れ飛ぶカモメがいつでも楽しめる。夜になれば沖にはイカ釣り船の漁火がまたたく。
この宿のもうひとつの特徴が露天風呂付きの部屋の数が日本一だということ。なんでも120室ぐらいは部屋に露天風呂が付いているらしい。
ベランダみたいなスペースに無理やり作ってるような部屋も多いが、ちゃんと塩辛い源泉が引かれ、海側客室なら、津軽海峡を一望に湯浴みが楽しめる。
ほろ酔い気味で湯に浸かり、葉巻をプカプカ。口から出るのはジェロの「海雪」とサブちゃんの「北の漁場」、そして「津軽海峡冬景色」だ。演歌調の気分、勇壮な気分になる。
登別の宿がジャズでも流したい気分になるなら、湯の川のこちらは演歌で決まりだろう。
良し悪しウンヌンではなく、山側なら前者、海側なら後者。ノリも路線も目指す方向性も違う宿だが、どちらも素晴らしいと思う。
行ってきたばかりなのに、もう恋しくなってきた。次はいつ行けるだろう。
2011年12月21日水曜日
母校のつながり
最近、何かと母校とのかかわりが多い。母校といっても大学ではなく、幼稚園から高校まで通った学校のほうだ。
規模の小さな学校だったのだが、その分、付き合いも濃く、今の歳になって改めて親しく付き合う場面も増えてきた。
11月以降だけでも、そこそこの人数で集まった会合が3回あった。メンバーは重複していなかったので結構な人数と会った。行けなかった集まりもあったから、たまたまとは言え、かなりの頻度だ。
仕事もまったくバラバラだし、趣味嗜好も違うし、見た目?も随分と違うのに、多感な時期に一緒だった連中だとついつい気兼ねなく盛り上がる。
高校時代に「飲酒喫煙不純異性交遊?」で停学処分になって、髪も坊主にさせられた仲間達とは、思春期だった当時の切ない話題で盛り上がった。
年齢とともに自然に坊主?状態になってしまった友人も当時の坊主強制事件を懐かしくも悔しい思い出として語る。
色気づいていたあの頃、坊主頭から髪が少しずつ伸び始めた段階で、髪型を格好良く仕上げたいというのが、みんなの重大テーマだったりした。
私自身、中途半端な長さの髪にパーマをかけて「江夏投手」みたいなパンチ状態になってしまった。本気で失踪しようかと思ったぐらいだ。
その日の宴会には、当時付き合いのあった女子校出身のオバサマがたもチラホラ参加していた。オバサマもさまざまな事情がある様子だ。
甦っちゃった青春とでも言うのだろうか。ちょっと付き合いきれない感じもある。立ち位置というか目線がビミョーだったり、妙な思い込みに囚われていたりする。年齢的に何かと大変なんだろう。
そんなわけで、2軒目に移動する際、ぶっちぎってしまったのも御愛敬だ。思えば、高校時代はよく「バックレようぜ」、「ぶっちしようぜ」とか言って、予定と違う場所に一部の人間だけで勝手に逃げちゃったりしたこともあった。
この歳になってそんなことでハシャいでいるのも馬鹿げているが、馬鹿げたことが出来るから昔の友は有難いのだろう。
結局、だいぶ遅い時間に銀座でクラブ活動に突入、続いて、綺麗どころを引き連れてカラオケボックスで野球拳。
幼稚園の頃、一緒に風呂に入った旧友の全裸を今になってそんな場所で見るとは思わなかった。なんとも騒々しくもパワフルで愉快な時間だった。
別の日の会合は、これまた異質な顔ぶれだった。売れっ子俳優の旧友が歌舞伎に進出することになって、その後援会組織作りをどうするかとかいう話が一応主題だったみたいだ。
久しぶりに会う面々が多かったのだが、ものの30分も経てば、バカ話の乱発になる。学年で一番エロかった男とも久しぶりに会った。今では3姉妹の父親だ。相変わらず枯れた様子がまったくないことに感心する。見習わねば。
この日は、お大尽な同級生の手配で、銀座の高級寿司店が会場。ずっと他の客がいないから、ダメな店なんだと思っていたが、休業日にわざわざ開けさせて貸切にしていたらしい。たった8人位の集まりに贅沢過ぎ。
貸切だから、ヨソ様を気にせずに好き勝手に時間が過ぎる。ああいうのを談論風発というのか、ワイワイガヤガヤとまとまりのない話が飛び交う。
その後、クラブ活動。大勢で騒ぐ。売れっ子俳優の旧友も大いに酔った様子。商売柄しがらみも多いのだろうが、子ども時代からの同級生と騒いでる分にはお気軽なんだろう。
まあ、彼に限らず、それぞれがそれぞれの世界で、事情や立場を抱えて生きているわけだから、お気軽な関係同士で騒ぐ時間はなかなか得難い。
それこそ、下の毛も生えてなかった頃からの付き合いだ。今の歳になっても子供じみたアホ話で笑えることは心地よい。
いったんお開きになった後、幼稚園から一緒だった政治家男と二人、締めにもう一軒近くの店に立ち寄る。
この政治家男は中学生の時から白手袋して演説の真似事をしていたような変わった男だったのだが、思い描いていた道を真面目に歩んでいるから大したもんだ。
来年の2月、久しぶりに学年全体の同窓会がある。同学年といっても、留年が多い学校だったから上から降りてきた人、下に降りていった人、途中で別な学校に移った人などかなり広範囲に声をかけている。
IT関係の会社を経営している旧友の多大な貢献によってメーリングリストが整備され、随分とスムーズに連絡が飛び交う仕組みが整っている。
おまけに幹事団の旧友達がこれまたエラい面々で、出欠確認や参加者の掘り起こしにマメに動いているおかげで、随分と盛況になる見込みだ。
私も幹事団のメンバーなのだが、恥ずかしい話、段取りが悪く、打ち合わせにも行かず、実働部隊としてちっとも役立っていない。こんなことではイカンと思いつつ、ボケボケしているだけだ。
こういう時に、頼れる人間かどうかが試されるのだろう。実にまずい事態だ。ちゃんと貢献しようと思う。
2011年12月19日月曜日
人を良くする
「食」という文字は「人」と「良」の二つの文字から出来ている。すなわち「人を良くする」源というわけだ。
尊敬する人から最近聞いたウンチクだ。結構気に入った。
その一方で、すべての食べ物は人間にとって害悪だという話も聞いた。もっとも、ただ害があるわけではなく、唾液をはじめとする様々な物質の働きで栄養になったり、プラスの作用をもたらすらしい。
そんなものなんだろうか。
食べ物の大切さに年齢とともに敏感になってきた。とはいえ、別にストイックに食材選びをするわけではなく、時には喜々としてジャンクフードも食べる。
喜んで食べるくせに卑怯な?言い方なのだが、ジャンクフードを食べた後は、身体から喜びの反応は感じられない。
良い素材、良い調味料、適切な調理法で食べれば、食後にわき上がる幸福感が大きい。感覚的なものだが、この違いは大きい。
最近、冷凍食品の進歩に感心して、立て続けに冷凍パスタをアレコレむさぼり食った。なんとも上手く仕上げている。コンビニで売っているパスタをチンするよりウマい。
とはいえ、集中して何度も食べてみると、やはり、いくら温めてアッチチになったとしても、食後しばらくすると、どことなく身体が冷えるような印象がある。
もちろん、気のせいなんだろうが、そんな気になるだけで健康にプラスになっているはずがない。
「人」を「良く」するには、やはり正しい食材を正しく摂取するほうがいいに決まっている。
というわけで、「正しい水炊き」を堪能してきた。新宿にある老舗「玄海」でしこたま肉を喰らいスープを飲み干してきた。
「正しい水炊き」などと表現したが、ここの鍋は野菜が一切入っていない。身体のために野菜は必要だろうが、私にとってはそんなものは正しくない。この店のスープを薄める恐れがあるものはすべて排除すべしだ。
名物の白濁スープにブツ切りの鶏肉だけ。あとは何にも無し。実に潔い。
漉したニンニクを少し投入して、コクを膨らましたスープをグビグビ飲むのがこの店での最上の喜び。
鶏肉はどこでも食べられるが、このスープはなかなかお目にかかれない。この店に今年の夏に出かけた時は、冷房で冷えた身体を芯からリセットするのに役立ったが、冬は冬で単純明快に五臓六腑に染み渡る感じだ。
冬の寒い日にこのスープをすすって、「ウヘ~」とか「オオッ~」など意味不明の音を発しないなら、その人は真っ当なオッサンではないと断言できる。
そういう味がする。私の場合、いつもつぎ足してもらって腹がカポカポするぐらい飲みまくる。酒の肴になる汁モノの極みだと思う。
この日、予約してあった時間は間違えるわ、頼んでおいた基本コースの値段は間違えるわ、店側の対応に正直オイオイって部分もあった。
普通だったらそんな目にあったら私は二度とその店には行かない。はずなのだが、残念ながら、ここのスープの魔力に勝てずにまた行くことになると思う。
しこたま食べても食後が爽快なのが鍋物の良さかも知れない。逆流性食道炎と死ぬまで付き合う予定の私にとっては、食後がシンドイかどうかは大きな問題だ。
別な日に、美味しく、楽しく過ごしたにもかかわらず、とある店の食事がきっかけで、夜中に結構な胸焼け大会になってしまった。
あくまで私の体質と持病のせいなので、店に責任はない。店は専門店として揚げ物を一生懸命に調理しているだけだ。
銀座・交詢ビルにある六角燈がその店。おまかせでどんどん串揚げを出してくる店だ。衣も軽めでそんなにクドい感じはなかったが、結局、夜中に胸焼けちゃんに変身してしまった。
野菜や魚もいっぱい食べたから身体には良いと思ったが、すべてに油をしっかりまとった衣がついている。さすがに胸焼け軍団に所属する私が選んではいけない店なのだろう。
逆流性食道炎の悩みがない人にはオススメできます。
今日は書き出しの部分で四の五の言ったが、結局、ただ、最近行った店の話に終始してしまった。
2011年12月16日金曜日
乱読
活字中毒などというとインテリっぽいが、どんなに夜遅くても何か活字を追わないと寝付けない。もちろん、眠る前の乱読だから、小難しいものはダメ。どこからでもナナメ読みできるような内容が中心だ。
結局、この手の雑学路線が多くなる。和歌集なら文化的なんだろうが、私が読んだ「若衆」の本は、江戸の性風俗でスター扱いされていた中性的演出を施した若い男子をめぐる色恋モノ。
金持ちを中心としたある種ステイタスとしての衆道(同性愛)の相手役としての位置付けはよく知られている。実際には、有閑マダムや禁欲に疲れた年増女性からも引っ張りだこだったらしく、夫婦で若衆の取り合いをするような悲喜劇もあったらしい。
なかなか勉強になった。
そんなことを勉強してどうしようというのだろう・・・。
乱読のターゲットに選ぶのはどうしても下ネタ方面が多くなるのが困りものだ。画像で紹介した本は、確かすべて会社の近くにある古本屋で購入した。
100円、200円程度だと思うと、ついつい余計な雑学本を仕入れたくなる。ただ、タイトルがいかにもな感じでも、読み始めると学者さんが格調高く解説するばかりで、ちっとも面白くなく、純粋に睡眠導入剤になる本も多い。
昔の吉原とか花魁を研究したような新書にも随分チャレンジしたが、たいていは完読できず放ったらかしだ。
下ネタ系、悪所系の文化論みたいなテーマが大好きなのだが、とっつきやすいタッチで書かれている良書があれば是非教えていただきたい。
伝説の俳人「鈴木しづ子」に関する本もなかなか楽しく読めた。にわかブームに乗って私も興味をもっていたのだが、古本屋のおかげでようやくその世界に首をつっこめた。
ダンサーになろか凍夜の駅間歩く
黒人と踊る手さきやさくら散る
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
実石榴のかつと割れたる情痴かな
夏みかん酢っぱしいまさら純潔など
ごくごく普通の情緒的な俳句も無数に残しているのだが、「娼婦俳人」「情痴俳人」というレッテル通りの作品がやはり目を引く。
戦後混乱期、俳句の世界にパッと現れ、行方知れずになった伝説の人だそうだ。当時の時代背景を思うと、その刹那的な本能の叫びが痛々しくもある。
敗戦で人生を狂わされ、裸一貫で生きていくはめになって、お節介な社会秩序や綺麗事に過ぎない薄っぺらな道徳にアッカンベーをした女性だ。
こういう存在と作品を知ると、無節操に乱読する習慣も悪くないと思う。ひょんなことでひょんなことを知る。何か役に立つ本を読もうとか、売れ筋の本を片っ端から読んでみようとか、身構えて本と向き合ったってろくなことはない。
漫然と気になった本を手に取り、パラパラとめくって、運良くその本の世界に没頭できればそれで良し。
まあ、そんなこんなで、自宅では、風呂やトイレ、ベッドなど私の居場所すべてが読書スペースだ。
自宅といえども、ちっとも休まらないので、家にいる時はなるべく本の中に逃避行するようにしている。活字の世界が時に私を救ってくれる感じだ。
最近は、色川武太、吉行淳之介あたりの軽めの随筆や紀行文を読んだり、先日このブログでも紹介した壇一雄の「火宅の人」を読了した。
さきほど紹介した鈴木しづ子の俳句もそうだが、昭和の香りがする文体に惹かれているみたいだ。
「火宅の人」では、いくつかのフレーズがが妙に印象的で、読みながら結構な数の付箋を貼ったりした。
含蓄のある?箇所をひとつ紹介したい。
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男女はお互によく呼応するように生まれついている。しかし、きわめて不安定に呼応するように生れついているだけで、結婚と云う管理の方法も、そのきわめて不安定に呼応する男女の天然の性情に、少しばかりの安定度を持たせたい意味合いからであるだろう。
なるほど婚姻の制度は、人間社会の安穏に、いささかの貢献をした。しかし、結婚が暗黙のうちに私達に要求する徳義や忍耐は、少しばかり大きめに過ぎるのである。
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2011年12月14日水曜日
深夜の炭水化物
今年、個人的な変化があったとすれば睡眠時間が短くなった点だ。どちらかといえば、いっぱい眠りたいほうなのだが、最近は短い睡眠でもハツラツと行動している。
先に言っておくが、加齢ではない。単純に慣れだ。と思っている。
きっかけは初夏に行ったパリ旅行だ。現地でも時差ボケ、帰国後も結構長く時差ボケだったせいで、ヘタすると3~4時間睡眠で行動する日が続いた。
昼間に15分ぐらいうたた寝はするものの、慣れてしまえばなんとかなった。かえって、長く寝てしまうとダルさが残るようになった。
というわけで、以前は7時間は寝ていたいタイプだったのが、4~5時間で平気になった。自分自身でその程度の睡眠でも平気だと思い込むと不思議に身体は順応していく。
おかげで2~3時間の余裕が生まれた。1日24時間しかない中でこの差は大きい。
2時間、3時間という水準は決して短い時間ではない。勤め人の仕事なんて、正直、1日中難しい顔で座っていても、突き詰めれば2~3時間で済んでしまう程度の分量だったりする。
集中して読書すれば単行本の1冊も読めちゃうし、男女の同衾にしても、それだけの時間があればバッチリだろう。
飛行機に乗れば東京からソウルや上海に行ってもお釣りが来るほどだ。
さて、起きている時間が、毎日2~3時間増えたことで、自分の生活がどう変わったのだろう。
精神修養に費やす時間、自己啓発に費やす時間がまるまる増えたわけだ。事実、中央区あたりで夜の遅い時間まで一生懸命精神修養?に励んでいる。
20代の頃は、六本木でぶいぶい酒飲み大会をしていたのだが、ある時期から銀座に行くことが増えた。銀座のほうが好ましく思うようになった理由のひとつが夜が早いから。
朝型人間としては深夜零時を過ぎても空気がまるで変わらない六本木の宵っ張り具合に疲れちゃうことが多かった。銀座は客層のせいもあって比較的夜はさっさと終わる。
銀座でクラブ活動していれば、同伴だのアフターだの何かと誘われるが、私の場合、昔からアフターにはとくに縁がなかった。
基本的に眠くてしょうがない。普通の世界で生きていればそれが普通だろう。仕事終わりの女性の旺盛な食欲を満たし、帰り道はアッシー君にさせられる。たまったものではない。
でも、世の中にはそれを喜々としてこなす男性が多いから不思議だ。あの人達はいつ寝ているのだろう。
そうはいいながら私も最近はアフターには行かずとも遅い時間までダラ飲みすることが増えた。睡眠時間削減効果?だろう。
最近も旧友6名と飲んだ時に2時半まで歌っていた。
それに懲りずに先週も3時まで騒いだ日があった。そんな時間に野球拳で惨敗した幼稚園からの旧友の全裸を眺めていた。40年という時の流れを妙に実感したひとときだった。
そこまで遅いと次の日が使い物にならないが、寝ないで起きていられるだけで以前よりは進歩?した気分になる。
必然的に深夜に何かしら食事を摂取する機会も増えてしまった。これは問題である。
深夜1時過ぎだ。乾き物をつまむぐらいにすればいいものを、カツ丼とか、パスタを注文してしまう。
酔いも手伝って根っからの炭水カブラーぶりを発揮してしまう。それにしても「深夜の炭水化物」って何であんなにウマいのだろう。うっとりする。
食後は最低でも2時間は身体を起していないといけない。逆流性食道炎と付き合う上での宿命だ。深夜1時半に食べ終えたなら3時半までは横たわれない計算だ。
なので、深夜メシ終了後、とっとと帰っても寝られない。仕方なく読書に精を出したりする。
なんとか眠りに落ちると今度は6時頃に子どもがバタバタする音でうっすら目が覚め始める。7時過ぎにはベッドを脱出。また1日が始まる。そりゃあ眠い。こういうパターンは極力減らさないとダメだろう。
大学生時代は1日10時間は寝ないと調子が上がらない「ロングスリーパー」として暮らしていた。そんな私でも今ではピーク時の半分でなんとなかなる。
5時間寝られればハッピーである。それを計算したうえで行動すればいいのだろう。
ちなみに、たて込んでくると24時間だと何かと時間が足りない。あと2時間ぐらい余計にあれば、すべてうまく回る気がするのだが。
2011年12月12日月曜日
大塚で感激
わが社のある池袋は魔界みたいな場所だから、あまり好きではない。一応、東京の西側エリアでは大都市としてエバっているが、昭和の中頃までは、お隣の「大塚」のほうが頑張っていたらしい。
大塚は不思議な街だ。天下の山手線の駅がある割には、どこか知名度が低く、掴み所がない。山の手なのか下町なのか、住宅街なのか繁華街なのか、どこか曖昧な雰囲気。
その昔、池袋がまだ今ほどのターミナルタウンになる前の話。大塚にはデパートがあり、賑やかな三業地もあって、相当に活気があったらしい。
昭和40年代、「おおつか~、かどま~ん」という結婚式場のテレビコマーシャルがあった。駅前のビルの屋上に金閣寺が乗っかっている趣味の悪い建物があって、あの頃の東京人は皆、大塚と言えばカドマンを連想した。
いまでは、チンチン電車(都電)がシュールに走り回り、中途半端なラブホテルのネオンが光っている。なんか寂しげな空気が漂う。
流行とかファッションとか、そんな次元とは無縁な街だ。ただ、昔の三業地の伝統が影響してか、ぶらぶら歩いてみると、渋い風情の飲食店も結構見つかる。
“チェーン展開型セントラルキッチン系団体さん歓迎路線”の店しか無くなってしまった池袋とは違って、オッサンが覗きたくなる店がゴロゴロ見つかる。
東京の名門?居酒屋として知られる「江戸一」、「きたやま」、「串駒」あたりは、居酒屋ジャンキーには聖地のように扱われている。
行ったことはないのだが、「鮨勝」、「高勢」あたりの江戸前寿司の人気店もある。いろいろ探せばいろいろな穴場が見つかりそうだ。
昔の三業地つながりで言えば、神楽坂あたりも出自?は似たようなものなのだろう。神楽坂はカッチョ良く演出されて手垢がついちゃった感じだが、大塚はボケーッと時代が過ぎたまま放ったらかされている感じだ。
池袋から一駅離れるだけで、随分としっぽりとした風情が漂う。考えてみると、こういう風情が本来の東京の空気なんだと思う。
まあ、なんだかんだアゲてみたものの、率直に言えばビミョーな街ではある。そう言っちゃうと元も子もない・・・。
さて、最近、続けて大塚で飲む機会があったので、この街の独特な雰囲気を改めて実感した。会社から近いし、値段も手頃だし、銀座ばかり行ってないで探索の機会を増やそうかと思った。
冬はアンコウとフグ、夏はウナギを中心に扱う老舗の料理屋が「三浦屋」。まともなあんこう鍋を気軽に食べられる近隣エリアでは貴重な店。
フグの一品料理もアレコレあるから、アンコウ一辺倒で飽きてしまうこともない。使い勝手がいい店だと思う。
アンコウ鍋のスープは赤味噌、白味噌、醤油味から選ぶことが出来る。アンキモも鍋で熱々になったところをワシワシ食べられる。まさに冬の味覚だ。
ヒレ酒をさかんに飲んで、フグ旅理をツマミに、他にもイクラの醤油漬けとかタラの芽の天ぷらとか一品料理をもらって、アンコウを堪能する。
中央区や港区あたりだったらお勘定が心配になりそうだが、なんてったって豊島区である。中央区あたりの小料理屋程度の値段で充分まかなえる。
続いて紹介するのは焼鳥の名店「蒼天」。その存在は随分前から耳にしていたが、なかなか機会が無く、某日初めてふらっと訪ねてみた。
いやはや、聞きしにまさる名店だろう。単純明快にウマいし、鶏のあらゆる珍しい部位が揃っているし、店も小綺麗で居心地がよいし、サービスもキビキビしっかりしている。もっと早く知っていれば良かった店。
白レバ刺しとか、ナマモノ方面に期待を寄せて行ったのだが、今は扱わなくなってしまったと聞き、激しく落胆した。
白レバのパテをメニューに見つけて気を取り直す。おまけにお店の人がメニューには無い「キンカンの燻製」を出してくれて俄然ニコニコになった。
卵になる前の黄身の部分だ。コレステローラーとして大歓迎である。スモークの風味が加わり、大根おろしも加勢して実に素晴らしい酒肴だ。
アルコールもあれやこれや揃っている。芋焼酎は、あらかじめ割水されたマイルドな逸品が用意され、お湯わりを注文すれば炭火で熱する「ちょか」で出てくる。
串焼がとにかくバッチグーだった。この時期にしか入らないらしい野生のキジを勧められて部位ごとに3本もらった。
締まった肉質がタダモノではない。ブヨブヨしてるばかりの鶏皮が嫌いな私が、その引き締まった皮の部分に圧倒されてしゃぶりつくした。
キジ以外にも、頼むものすべてウマくて大満足。最近は新しい店を開拓することをサボっていたので、改めてアンテナを張り巡らせねばと反省する機会になった。
当然、一度行ったぐらいでは豊富なメニューの一部しか味わえていない。近いうちに二度三度と出かけて羽が生えるまで鶏をむしゃぶりつくそうと思う。
2011年12月9日金曜日
親切心、無償の愛、邪念
人には常に親切でいたい。年を重ねるに連れ、そんな殊勝な考えが強くなる。世界中にそんな考えが拡がれば平和だろうと思うのだが、ことはそう簡単ではない。
親切がアダになることだって世の中にはいくらだってある。
以前読んだ昭和の文士の随筆に興味深い逸話があった。妙に私の心に刺さった話だ。
食糧難の時代、赤線に出かけていった男が一袋のジャムパンを持参した。女性の歓心を買おうというより、少しでもその場の空気を和ませようと思っていたらしい。
そして、いざその段になって、励む男の下で女性は仰向けのままおもむろにジャムパンを食べ始めた。シラけてしまった男。女性はパンをかじりながら、さっさと終わってくれと声を荒げたという。
実に切ない話だと思う。なんとも教訓に満ちた話だろう。想像するだけでグダグダになる。大袈裟か。
老若男女問わず、大なり小なり、親切したつもりが、かえって不快な思いにつながったことがあると思う。
電車で席を譲ったら、年寄り扱いするなって怒られたりするような理不尽な話の類だ。
人間なんて煩悩の塊だから、良かれと思ってする行動でも、感謝されたい、自分がいい人だと思われたい等の邪念というか、見返りを求める心が頭をもたげる。
親切心を中途半端に発揮しようとすると、相手方にもこちら側のそんな邪念がうとましく映って見えるのだろうか。
なかなか難しい問題だ。ちなみに、冒頭の随想の結論だが、人への親切はそれが2倍のイヤなことになってはね返る覚悟が必要というものだった。
切ないなあ。
小説をはじめ処世訓みたいなエッセイなんかを読んでいると、頻繁に「無償の愛」という言葉が出てくる。昔から気になっていたのだが、まったく見返りを求めない愛情って存在するのだろうか。
見返りなしに相手を愛し続けるなんて、特別卓越した宗教家とか、聖人と呼ばれるレベルの人じゃないと成り立たない気がする。
そういう次元を目指したい気持ちは誰にだってあるが、世の中、そう簡単ではない。少なくとも愚凡な一般人である私には難問だ。
親子の愛がそうだと言う人がいる。はたしてそうだろうか。男親の経験しかない私としては残念ながら、子どもへの気持ちが「無償」だとは思えない。
もちろん、子どもに対して普通に愛情は感じる。それは子どもが子どもとして父親に接している前提があるから生まれる感情のような気がする。
子どもとして親に対して適切な態度を取るから、こっちも可愛さにつながるのであって、そういう態度を期待すること自体が、一種の見返りを求めているのかもしれない。
すなわち、父親を頼り、父親に甘え、おべんちゃらだろうと気の利いた言葉を発したりする背景があるから、こちらも愛するに値する存在と認識する。
そう考えると無償とまでは言いきれない。その証拠にヨソの子どもには当然ながら愛情を感じない。
自分の腹を痛めたわけでなく、乳を吸われるわけでもない男親なんてそんなものだろう。この点は、女親と男親で温度差があると思う。
女親がわが子に向ける愛情には、確かに無償の愛を思わせる要素がある。ただ、それだって斜に構えて見れば、イメージ通りに育って欲しいとか、将来は仲良し親子として付き合いたいといった程度の見返りに似た感情は否定できないのではないか。
結局、無償の愛などというものは、自己愛ぐらいしか該当するものがないのだろうかと悶々としてしまう。
なんか、そんなことを書いていると、自分の偏屈ぶりがイヤになる。なんかひん曲がっちゃってイヤなヤツだ。病気だろうか。
しょうがないから親子の愛という崇高なテーマからは離れることにする。
男女の関係における「無償の愛」にテーマを移そう。
こっちのテーマに移ってきても、結論めいてしまうが、無償の愛なんて不可能だと思う。
いつまでも待つわ、などと、あみんの歌みたいなことを言う人がいても、本当に待ち続けている人なんて見たことがない。
残念ながら反応のないところでは愛情は持続しないと思う。
振り向いてくれなくていい、遠くから横顔を見ているだけでいい、などと若い頃のハマショーみたいなことを言う人もいる。立派な心掛けだが、そんなものが続くはずはない。エネルギーのムダだし、無償の愛というよりストーカーだ。
見返りを求めることが正しくないとは思わない。むしろ、見返りを求めることが正常な姿だと思う。そっちのほうが人間らしい気がする。
だから「無償の愛」を必要以上に尊いものとして持ち上げても仕方がない。とくに男女間において、そんな発想に縛られたら窮屈でしょうがない。
振り向いて欲しい、笑顔を向けて欲しい、優しい言葉をかけてもらいたい、触れたい、深い関係になりたい、等々。その目的を叶えるために一生懸命になる。それが人として自然な姿だ。
強いて言えば、愛情を感じあえる関係になって始めて、その先に見返りを求めない感覚がやってくれば、それはそれで素晴らしい話なんだろう。
無償と言うよりも自己犠牲という次元の話だ。愛し愛されという見返りが既に成就しているからこそ、その延長線上で成り立つ話なのかもしれない。
いくら自己犠牲の行動であっても、人間は煩悩の塊だから、心のどこかで相手から返ってくる「何か」に期待してしまうのは仕方がない。
たとえ、期待する何かが「有り難う」という言葉だけだったとしても、その言葉が返ってこないと途端に気分が悪くなったりする。
結局、堂々めぐりみたいになってしまったが、見返りをまったく求めない行動なんて現実的にはハードルが高すぎるから、せめて、相手の反応を過度に期待しない習慣をつけるしかないのだろう。
それにしても今日は箸にも棒にもひっかからない話をグダグダと書き綴ってしまった。
もっと素直に人に親切にして、もっと素直に人を好きになって、小難しいことを考えずに生きていければとつくづく思う。
2011年12月7日水曜日
年の瀬に思う
一所懸命だと知恵が出る
中途半端だと言い訳が出る
いいかげんだとグチが出る。
最近、知恵が出なくなったなあと考えていたらこんな言葉を教わった。まったくその通りだ。
そうだよなあ。普段しっかり頑張っていないと知恵って出ないものだ。妙に納得した。
というわけでグチばっかり出る日々だ。せめて言い訳が出てくるような段階に進歩しないとなるまい。頑張ろう。
いよいよ12月。ついこの間、わが社の新聞に、うさぎ年がどうしたこうしたとコラムを書いていたような気がするが、もう1年が過ぎる。
もうすぐ、干支にあやかって昇り龍がああだのこうだのという内容のコラムを書くはずだ。
11月中に年賀状印刷の手配も終えてしまった。早割でおトクだと言われて発注したのだが、12月頭にそんなものが出来上がってくると妙に気ぜわしい。
街中のイルミネーションが相変わらず賑やかだ。節電のために我慢して熱中症で亡くなったお年寄りがいたことを世の中は忘れたのだろうか。ほんの3,4ヶ月前の話だ。
どこ吹く風で光るネオンがこの国のふしだらさの象徴に見える。
おっと、グチになりそうだから話題を変える。
一年を振り返るにはちょっと早いが、この1年、いろんなことがあった。楽しかったことしか思い返したくない。それで済むならそうしよう。
それぞれの人にそれぞれの2011年があったわけだが、考えてみれば1年を振り返ることが出来るだけでも幸せなことだ。
災害による不意打ちで突然命を絶たれた人。本人だけでなく、残された周囲の人の心の傷も深い。思い返すのも恐怖だと思う。
すべての人に少しでも心の平穏が訪れることを素直に祈りたくなる。
ガラにもなく殊勝な気分になったのも12月という季節のせいだろうか。今年ほど生き方だとか、心の在り方だとか、そういう精神性にかかわる分野と向き合ったことはなかった気がする。
いろんなことを感じ、いろんなことに気付き、いろんな判断をし、いろんな葛藤の中にいる。
何かが変わったりしたわけではないが、そんな積み重ねが、いつか最善の答えにつながるのだと思う。
というわけで、今日は最近教わった詩を載っけることにする。茨城のり子さんの代表的な詩だ。
そこそこの年齢になって、いろいろな想いに悶々とする人達に贈りたい。というか、自分の戒めにしようと思う。
ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
2011年12月5日月曜日
ジャンクフード
ときどき、ジャンクフードが無性に食べたくなる。最近はB級グルメという言葉がハヤリだが、ウマいものにA級もB級もない。ウマいと思って作っているならB級などと呼称しなければいい。
B級グルメのコンテストで優勝した関係者が大泣きしていた。B級という冠を付けられて嬉し泣きするなんてナンセンスだと思う。
などと、偏屈なことを書いても始まらない。個人的な好みで、あくまで「ジャンクフード」と呼ぶことにする。
とはいえ、ジャンクフードのジャンクは、ガラクタとかクズみたいな意味らしい。B級と呼んだ方がまだマシなんだろうか。
どうでもいい話を書いてしまった。
話を戻す。戻すもなにもロクなことを書いているわけではない。ジャンク系の話だった。
カップ麺の焼きそばを熱湯を注いで1分ぐらいで湯切りして、ボソボソしたアルデンテ?状態で食べるのが好きな私だ。
それにしても、あの種の焼きそばは考えてみれば、一瞬たりとも焼いていない。でも名称は焼きそばだ。実に変だ。「ふやかし和え麺」が正確だ。
などと、偏屈なことをすぐに書きたくなる。反省。話を戻す。
ジャンジャンという縦長容器に入った新顔が気に入っていたが、結局、ペヤングに舞い戻ってきた。原体験の味がおびき寄せる中毒性はすこぶる強烈だ。
子どもの頃、カップ麺ではないインスタント焼きそば「ジャンボ」が大好きだった。味もしっかり覚えている。でも売っていない。
時々、物凄く懐かしくなる。あの時と同じジャンボが売っていれば、私は一袋いくらまで出すだろうか。
1000円。良く考えたが、最大で1000円は出す気がする。2千円はイヤだ。1500円でも奮発しちゃうかもしれない。いや、空腹だったらもっと高値でも買ってしまうかも知れない。富豪みたいだ。
「原体験の味がおびき寄せる中毒性」がジャンクフードの基本だ。だからコーラはペプシではダメ。コカコーラが圧倒的有利なわけだ。
マックだってそうだ。ダブルクォーターパンダーチーズが頑張ろうが、ビックマックが絶対的に人気だし、エビフィレオとか、ナンタラチキンとかが頑張ってもフィレオフィッシュが安定的な人気を誇る。
幼い頃に知ったフィレオフィッシュのタルタルソースの衝撃的なうまさは今も私を夢中にさせる。
即席麺も同じだ。コンビニのカップ麺売場からベーシックなカップヌードルが消えることはないし、ペヤングも同じだ。赤いきつねと緑のたぬきも先行利得の代表みたいなものだろう。
噂によるとペヤングは関西で売ってないらしい。本当だろうか。だとしたらやはり、西の人とは根本的に味覚が異なるのだろう。
それにしても、今日は何を書こうとしていたのだろう。
そうだ。やたらとジャンクな味わいの?のチキンライスに感激したことを書こうと思ったんだった。
チキンライスといえば、洋食屋さんか老舗の喫茶店を想像するが、私が食べたのは焼鳥屋だった。
焼鳥屋は確かにチキン専業である。チキンライスを美味しく作ってもおかしくない。盲点だと思う。
場所は銀座の7丁目あたり。「美里」という焼鳥屋さん。銀座の焼鳥屋といえば「伊勢廣」とか「バードランド」、「串銀座」とか、ちょっと高級路線が多い。
「美里」は、そっち系ではなく、普通の正当派?焼鳥屋。言ってみれば、デートとか接待に使う感じではない。オッサンが集ったり、ホステスさん達が深夜につまみに来る感じの店。
1本500円とかの値付けもあるこの街の焼鳥にしては安い。味の方はほどほどだが、趣向を凝らした逸品メニューも多いから、気楽に飲むには良い店だろう。
表面を炙ってしまっているが、レバ刺しも常備されている。個人店じゃないと、こういう危ない系は置いていない。レバ刺しがあるだけで私にとっては憩いの場所になる。
おろしニンニクとおろしショウガを醤油にベチャベチャ混ぜながらレバ刺しをつまむ。ロックの芋焼酎をグビり。うーん最高だ。
魂が溶けていくような気分だ。
串焼をワシワシ食べて、ナンコツ唐揚げとかの酒肴を頬ばりながら、締めの一品として「チキンライス」を注文してみた。
どんぶりに盛られてヤツは出てきた。こんなジャンクな感じがまたいい。味付けはとっても濃い。コショウの辛さが強い。ガッツリだ。
どう逆立ちしても上品な味ではない。でも、芋焼酎をグビグビした後の麻痺した身体
が最後に求める味としてはバッチリである。
なんか褒めてるんだかケナしてるんだか微妙な表現だ。とにかく、そんな味だった。
ケチャップとソース。どうもこのあたりがニッポンのジャンクフードのカギを握っている気がする。
喫茶店系ナポリタン、焼きそば、粉モン系、いずれもケチャップとソースが決め手だ。子どもの頃、ケチャップとソースがあれば、何でもウマかった気がする。
ソーセージやフライドポテト、肉団子方面にもケチャップは大活躍。揚げ物には無条件でソース、目玉焼きにもカレーにもソース。炒めたうどんやソーメンにもソースだった。
場合によっては、ソースとケチャップを混ぜて使ったりした。
オムレツをおかずに食事をする場合、私の場合、決まってソースとケチャップを混ぜて使ったりする。白米にベチャッとつけたりしながらワシワシ食べる。幸せな味がする。オススメです。
何だか、今日はまとまりがなくなってしまった。
最近、毎日のように胸焼けに苦しんでいる。ジャンクフードのせいだと思う。もっとオトナっぽい食事を心掛けねば。
2011年12月2日金曜日
火宅の人
今の家に住み始めてもうすぐ7年になる。当初こだわった部分の多くが今思えばどうでもいいように思える。そんなものだろう。
作り付けの棚の下を少し浮かせて、足元照明を設置してみたり、吹き抜けの天井にシーリングファンを吊ってみたり、そんなムダが結構目につく。
ホームシアターも新築時に設置すると安くスマートに仕込めると聞いたので、リビングには100インチの電動スクリーンと天井埋め込みの専用スピーカーをスッキリ設置してもらった。
通常はリビングのテレビスペースなのだが、格納されているスクリーンが降りてくれば100インチで映像を楽しめる。このあたりの理屈は随分前にここのブログで書いた。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/08/100.html
大画面に加え、サラウンドの音響効果もあって結構満足していたのだが、根っから映画好きというわけでもない。正直、ここ2、3年ぐらいは放置していた。
そんな悲運の?ホームシアターが最近、がぜん活躍しはじめた。
デジタル化によって通常のテレビ番組でもでも映像の質が上がり、プロジェクターで照射するにも問題がなくなったことが大きな理由だ。
先日も、2週に渡って放映されたNHKのドラマスペシャル「蝶々さん」を大画面でじっくり見た。
テレビのデジタル化だけでなく、ツタヤのオンラインレンタルを始めたのも我が家のホームシアター大活躍の理由だ。便利な時代が到来したことに驚いている。
DVDプレイヤーが壊れたので、新調してみたら、新しい機械から簡単にネットに接続して映画のレンタルが出来るらしい。
レンタルビデオ屋に行かないで、家に居ながらにして見たい映画が見られる。アナログ世代の人間にとっては凄いことだと思う。
で、登録してみた。アダルトを見たい気持ちがブリブリなのだが、いまどきの機械の機能は履歴とかをお節介に表示しやがるので、子どもの手前、普通の映画しか選べないのが切ない。
まだまだ居ながらにしてレンタルできる作品数はさほど多くはない。その点が問題だが、そうは言っても視聴可能作品を検索すれば、それなりに見たい映画は見つかる。
最近立て続けにみたのが「阿修羅の如く」と「火宅の人」。CGを使ったドンパチ映画を見たい気分ではなかったので、しっぽり系にした。
前者は言わずと知れた向田邦子の代表作で、8年前に映画化された作品。ひょんなことから老いた父親の秘密を知ってしまった4人姉妹の葛藤が描かれている。
コメディーの雰囲気も漂わせつつ、上手に人間の欲や業、葛藤が表現されている。大竹しのぶの演技力に圧倒され、8年前の黒木瞳に萌え~って感じだった。
「火宅の人」は1986年の作品。緒方拳が主役。当時、映画そのものより原田三枝子、松坂慶子の全裸ベッドシーンがやたらと評判になっていたことを思い出す。
100インチのスクリーンに映し出される全盛期?の松坂慶子のベッドシーンは確かにドキドキものだった。
緒方拳扮する「壇一雄」と言えば無頼派作家の代名詞みたいなイメージがある。私自身、「好き勝手に遊んだ破滅型のおっさん」という印象しかない。
その印象はおおむね正しいのだろうが、「火宅の人」という作品は私が思い描いていたイメージとは随分違っていた。
今までは「浮気男の身勝手な放蕩生活」を描いただけの作品だろうと思っていたのだが、さすがにそんな単純なものではなかった。
心優しく繊細で苦悩に満ちた大人の男の情念が生々しい心情の吐露という形で延々と描写される。
社会性という曖昧な秩序を許容しきれない反骨と達観が、退廃とは違う浪漫になって全編を覆うような感じとでも言おうか。
下手糞な三流批評文みたいになってしまったが、そんな感じ。家庭を投げ出し、無頼に生きていく人物を描こうとすれば、どこか厭世的、退廃的な空気に支配されがちだが、この作品から感じるのは「潔い浪漫」。
情念、欲といった煩悩に抗わない人間臭さに、ある意味小気味良さを感じた。
エッチシーンも満載、それを彩るかのように流れる原作本から引用される朗読。なんとも文学的(そりゃそうだ?)で、ドップリとディープな昭和の変人の世界にはまった。
ラストシーンというか、結末の描き方はちょっと気に入らなかったが、独特な世界観を堪能した。お腹いっぱい。
というわけで、原作本もじっくり読みはじめた。実に面白い。新潮文庫から出ているのだが、奥付を見て感心した。昨年8月が「五十刷」だ。そのせいか、昔の作品にしては文字の級数が小さすぎず読みやすい。
五十刷。いやはや、いったいどれほどの数の大人の男達が、情念のしじまで苦悶する世界を疑似体験したのだろう。実に興味深い。
寝る前のひととき、昭和の煩悩にドップリ触れると疲れる。おかげですぐ眠くなる。
でも、読み進むほどに、考えさせられる点、妙にうなずける点、激しく否定したい点等々。いっぱしの年齢をまとって生きていれば、人間臭く生きる道筋についてあれこれと思いがめぐる。
私自身、年甲斐もなくクドクド根に持っていた小さな諍いの根を馬鹿馬鹿しく感じて、さっさとこっちから詫びを入れようなどと殊勝な気持ちにもなった。
1冊の本のお陰で救われたりする。いとをかしだ。
キリがないのでこの辺にしておく。最後に映画の中でも朗読されていた筆者の胸中を象徴するような一節を紹介したい。
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この火宅の夫は、とめどなくちぎれては湧く自分の身勝手な情炎で、我が身を早く焼き尽くしてしまいたいのである。しかし、かりに断頭台に立たせられたとしても、我が身の潔白なぞは保証しない。いつの日にも、自分に吹き募ってくる天然の旅情にだけは、忠実でありたいからだ。
それが破局に向かうことも知っている。
かりに破局であれ、一家離散であれ、私はグウタラな市民社会の、安穏と、虚偽を、願わないのである。かりに乞食になり、行き倒れたって、私はその一粒の米と、行き倒れた果の、ふりつむ雪の冷たさを、そっとなめてみるだろう。
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