専門新聞社の編集局長という立場上、時には編集現場にストレートに紙面編成の指示を出す。先日伝達したのは、どうにもヘロヘロの民主党が打ち出した迷走政策への批判記事の企画だ。
~~~「ビンボー大好き国家を目指す民主党政権の愚!!」
富裕層をねぎらうより取りやすいところから取る発想しか出てこないお粗末な大衆オモネリ路線で国の税源はあっという間に枯渇する!!~~~
要はそういう内容の見出しに沿った記事を特集すべきだという打診というか指示だ。
来年度税制改正論議がヤマ場を迎えるなか、漫然とその論議を報道するより、大衆迎合メディアとは別な視点で大局観無き政策を批判すべきだろうと強く感じた次第だ。
少し専門的になるが、民主党が進めている税制改正のうち、個人の税金に関するものは、まさに増税一直線。とくに中堅・高所得者層への攻撃は想像以上に下品。
端的に言って、高所得者層を締め上げるより、そういう階層の人に積極的に消費や投資を促すほうが景気刺激には効果的。ごく自然なことだし、経済活動の牽引役として高所得者層をもっと上手にノセない手はない。
バカのひとつ覚えで、取りやすいところ取る発想しか出てこない今の状況は悲劇的だ。
民主党が声を枯らして言っていた「生活者目線」は「貧乏目線」でしかなく「国民の生活が第一」というフレーズも「貧乏暮らしが第一」と言っているように見える。
相続税の増税については「ピーク時より課税される人が減ったから」という摩訶不思議な理由が大義名分として使われている。バカなんじゃないだろうか。
ピーク時とはバブルの頃であり、その頃、相続税重税を苦にした自殺とかがあったりして都市の社会問題に発展したから減税をしたのであって、「課税される人を減らすため」に改正しただけの話。
その目的が達成されことを理由に今度は元に戻したいという理屈は一体なんなんだろう。
お粗末なのは給与所得控除の上限導入だろう。企業勤めをしている人は社長から新入社員まで「給与所得者」だが、所得税を計算するにあたって収入に応じた一定の控除額がある。
「みなし必要経費」みたいな考え方だが、高収入を得るような人は当然、低収入の人より控除額が多いのは当然の話。それを年収2千万円で打ち止めにしましょうという話。
一説によるとそのラインを超える給与所得者は全体の数パーセント、18万人程度だとか。そこを増税して一体どれだけの財源が出てくるのか大いに疑問だ。
単なるイヤガラセ。稼ぐことは悪ですよと国家が宣告しているお粗末な話。
給与所得控除の上限導入は、極論すれば、収入2千万円を超える人だけは違う税制を適用しますと言っているようなもの。税率5%の消費税を高収入の人は10%にしますと言われるのと変わらない。
企業経営者などある程度自分の給与収入をコントロールできる人ならどうするか。結局、自分の収入を2千万円以下に抑えて、抑えた分は奥さんを専務かなんかに据えて、そっちで支出するみたいな“調整”をするだけの話。
もしくは、表面上の給与収入は抑えて、会社経費での消費活動を増やすことになる。
いずれにせよ、高収入を得るような人物がそうした後ろ向きな作業や知恵出しにせっせと励むような非常に非生産的な空気が蔓延することは間違いない。
中途半端な富裕層ではないスーパーリッチはますます海外に拠点を移して、結果、納税階層の空洞化だって現実的になる。
笑っちゃうのは、普段は「金持ち優遇」を徹底批判することが大原則の一般メディアまでもが「金持ちイジメ」というフレーズを使っていること。
“ブルジョワ鳩山”を“豪腕小沢”を前面に出して政権を取っておきながら、二人を追っ払ったあとは“お里が知れる”旧社会党系勢力が大ハッスル。
民主党政権の実態は、しょせん「金持ちは憎い敵、みんな平等に貧乏暮らしを楽しもう」という路線だ。
つくづくおぞましい。
2010年11月29日月曜日
民主党のバカ
2010年11月26日金曜日
黒服を追っかける
真面目でもなく大盤振舞いをするわけではない範囲で相変わらず銀座に出没する。なんでだろう。自分でもたまに不思議な気分になる。
さっさと家に帰って寝ればいいのにとか、会社の近所の焼鳥屋で豪飲豪食すればいいのにと思うのだが、懲りずに出かける。
あの街に出かける理由を考えるときりがないが、やはり、「第一線オーラ」に尽きるのかも知れない。その中に身を置いていたい、まだ何とか踏ん張っていることを自己認識したいといった嗅覚が影響しているのかもしれない。
会社が池袋という僻地にあるせいでそういう思いが強まるのかも知れない。会社自体の移転をこれまで何度も検討してきたが、やはり「場所」はあらゆる意味で大事な問題だと思う。
負けちゃってる空気、弱っちゃってる空気、陰気な空気・・。銀座あたりはこういう空気の対極的な場所だから、ぶらぶらしていてもほんの少し背筋が伸びる。勢いを持っている人々にあやかりたい気持ちもある。
闊歩しているオジサンがたはもちろん、ブティックの店員さん、料理屋の仲居さん、クラブの黒服さんもホステスさんも、あの街の温度感に合わせようとシュッとしている点が気持ちよい。
端的にいえば、それぞれのポジションで自己演出をしている装飾感というか、非日常的虚飾感がどこか心地よい。
客だって応対する側だって演者みたいなもの。そこが面白い。日常の延長ではなく、どこか日常からリセットされた奥深さについつい吸い寄せられるのだろう。
先日、親愛なる某クラブの黒服さんが店を移った。親しく遊んだりするわけではないが、10年以上前から知っている。この人の顔を見るとなんとなく落ち着く。
銀座のクラブといえば、客それぞれに担当のホステスが決まってしまうシステムだ。よく分からないが、客が好もうが嫌がろうがたいていの場合、誰かが「担当」になる。
私の場合、担当無しの「店客」という形で顔を出す店もあるが、たいていは「誰々さんの客」になる。
誰かに連れて行かれた店にその後ふらっと行ってみても、前回連れて行ってくれた人の担当さんが、ふらっと行った客の担当になる。
前の店では担当さんではなかった女性でも、店を移る際に、持っている名刺すべてに案内を送り、のこのこ新店見学に来る客がいれば、客の意向にかかわらず、その店では「担当さん」になるわけだ。
銀座あたりでは飛び込み客はまずいないから、流れの上では誰かしらが「担当さん」になるわけだ。
黒服氏が移った店には彼目当てで行ったわけだから、その店で私の担当は男ということになるのだろうか。よく分からない。でもそれも良さそうだ。
男に会いにわざわざ銀座のクラブに行く。アマノジャクの私にとって悪くないパターンだ。
でも行ったら行ったで横についた女性の胸元ばかり眺めている私だ。
2010年11月24日水曜日
スーパーフライ
今日のタイトルは、売れっ子のミュージシャンのことではない。ボクシングの話でもない。なんのことはない。また食べ物の話だ。
「スペシャルな揚げ物」をスーパーフライと勝手に呼ぶことにした。
揚げ物。なんて素晴らしい響きなんだろう。体重とかコレステロールとかいう厄介な問題がこの世に存在しなければ、24時間むさぼっていたい。
トンカツ、串揚げ、カニクリームコロッケ、鶏の唐揚げ、カキフライ、エビフライ、ササミチーズフライ、ハムカツ・・。
書いているだけでヨダレがべろべろと出てしまう。
人生後半戦に突入しているくせに相変わらず揚げ物に寄せる思いは、美しい女性を口説きたいという欲求と同じぐらい大きく深い。
でも食べない。いや、なるべく食べないようにしている。いや、結構食べている気がする。
先日のスーパーフライ体験を書いてみる。
高田馬場の鮨源をぶらっと訪ねた某日。席に着くなり「今日は和食の気分じゃない」という無礼極まりないセリフを放った。お寿司屋さんに対して実にトンチンカンなことを言ったものだ。
それはそれ。さすがに気の利いた板前さん達が揃っていらっしゃる。府抜けた私にアレコレと提案してくれる。
「ソースと揚げ物」「タルタルソース」というキーワードが浮上した。生食用の素材が売るほどおいてあるわけだから揚げ物の環境としては最高だ。
小骨一本無いスペシャルアジフライとピンピン生きている車海老を使ったスペシャルエビフライが真っ先に決定する。
その他にタイラ貝のフライが食感も良くオススメだというのでそれも注文。
そしてここからが今日の本題だ。
「クリームコロッケとかはお好きですか?」。徒然私の答えは「YES、WE CAN」だ。すると禁断のメニューを勧められた。
その名も「白子フライ」だ。ありそうで無いメニューだろう。旬の白子を天ぷらにするのは珍しくないが、フライは初体験だし、気付かなかった。クリームコロッケを凌駕するほどの美味だという。
ニコニコとヨダレを垂らしながら注文する。
揚げ物の準備と併行してタルタルソース作りが始まった。タマネギ、卵その他が威勢良く板前さんのプロのワザであっと言う間にみじん切りにされていく。
ワクワクする。タルタルソースが今まさに私のためだけに生まれようとしている。市販のタルタルソースをチューブごと大量にすすったこともある私だ。興奮する。勃○するかと思ったほどだ。
完成したタルタルソースは、もちろん最高にフレッシュで、人目がなければ速攻で全部ぺろっと食べたいほどだ。でもフライ連中に寄り添わせてあげねばなるまい。じっとガマンだ。
アジフライやエビフライがやってきた。タルタルソースにウスターソースを混ぜて食べる。まさに「口福」。幸せバンザイって感じだ。
ハイボールをグビグビ、サクサクのフライにタルタルソースをムシャムシャ。ワンダフルな時間が過ぎる。
そして真打ちがやってきた。白子フライ様の登場だ。フライだから見た目はただの揚げ物。しかし、その実力、その存在価値は圧倒的だ。ブランパンとかパネライの腕時計みたいにこれみよがしではないところが格好いい。パッと見ただけでは「別に~」って雰囲気だ。
まずはソースもタルタルもなしで味わってみる。
箸を入れる。中味がのぞく。ジュワリンと熱くなっている白子が恥ずかしそうに私を見ている。
やさしく口をつけてみた。彼女はいやがりながらも本能には勝てずに身をよじりながらその身を預けてくる。
バカウマ。この一言に尽きる。クリームコロッケという表現は確かに的確だが、もっと濃厚。脳と舌、そして全身にズキューんと旨味が広がる。
タルタルソース、ウスターソースもトッピングして食べてみる。ウマさ大爆発だ。まさに禁断の味だろう。知らなかった味に出会った嬉しさも加わってしばし興奮する。
ウヒャウヒャ喜ぶ私。でも禁断の味を勧めてくれたベテランの板前さんが私のスーパーフライにダメ出し。「もっとカラッと揚げないと」と言い残し、揚場に移動。
しばし待つと、色合いが濃くなったスーパーフライレジェンドが登場。衣がしっかりサクサクで中のジュンワリンぴゅるぴゅると絶妙なコラボレーションだ。
中味の素材が固さのないものだと、やはりガッツリ揚がって出てくると食感のコントラストも楽しめる。
でも白子食べ過ぎ。ちょっとヤバい。
数日後、銀座の「おかやす」でダラダラと呑んでいた。純和風シッポリ系のカウンター中心の料理屋さんだ。
以前にも書いたが、正当派和食プラスちょっとジャンクな料理も食べられる得難い店。
皿うどんにビーフシチュー、スープカレーもある。こういう気の利いたメニューを見ていると、ついつい私のわがままが顔を出す。
「白子をフライにしてくれる?」。知ったかぶって注文してみた。
しばし痛飲後、それは登場した。「カキフライなんか頼んだっけ?」と言いそうになってスーパーフライの登場だと気付く。
ガッツリしっかり揚がっている。噛めば溢れる白子の熱い情熱に大満足。きっとホロ酔いも手伝って大黒様みたいな表情をしていたはずだ。
この冬、マイブームになりそうだ。
2010年11月22日月曜日
嘔吐小僧
最近すっかり吐かなくなった。下品なテーマで恐縮だが、今日はゲロの話を書こう。こういうネタは普通オモテに出す話ではないが、ネット上の雑記だし、許してもらおう。
あのツラさ、あの不快感、あのニガみ。吐きまくるという行為はまさに生きることの縮図のようだ。
翌日になって徐々に復活し、軽やかな気分を取り戻し、空腹を感じてしっかり食べる。夜になればまた呑み始める。ツラさを忘れしまう・・・。こういう流れも「苦労の後に福来たる」「ツラいことは時間が解決してくれる」という感じで、人生修養を思い起こさせる。
なんとか格調高く書こうと思うのだが、しょせんはゲロの話だ。上品にはならない。
背伸びして酒を飲んでいた10代の頃は、それこそ嘔吐小僧とでも表現するほど良く吐いた。この歳になってあんなペースで吐いていたら、絶対にどこかが壊れると思う。若いって素敵だ。
高校生の頃、女の子を酒の力でたぶらかそうと企み、洒落たバーで痛飲、相手のほうが断然酒に強く、気付けば一人トイレで吐きながらフラフラになったこともある。
一人暮らしの部屋に女性を連行し、いざこれからという際に「嘔吐→睡眠」という失態を演じたこともある。
女性絡みだけではない。男同士で飲みまくって、互いに気持ち悪くなって、「一発吐いてから飲み直そう」と堂々と路上で並んで「連れゲロ」のあげくに飲み直したこともある。
仕事関係の飲み会でも若い頃は、要領が悪かったので加減を調整できずに勧められるままに飲み続けた。当然、七転八倒した。気合いを入れて酩酊していないふりをして、その場をやり過ごし、自宅の玄関で昏倒なんてこともしょっちゅうだった。
私の場合、一度吐いたらスッキリというパターンになることが少ない。出し始めたら、あとは朝までエンドレス。一晩で10回ぐらいゲーゲー大会になることが多い。
これがキツい。大学生の頃、とある日の明け方、入院中の祖母が危篤だという知らせが入った。運悪く、深夜からゲロモード中の私はさあ大変、ゲーゲーしながら、クルマに乗り込む。洗面器を持ち込んで運転だ。
明け方の道はガラガラで、そういう時に限って信号が青のままつながる。ゲーゲーモードのスイッチがオンになってもクルマを止めずに走り続ける。
膝と膝の間に挟んだ洗面器に向かって運転しながら吐く。視線は前方を見据えたまま吐く。我ながら神業だったと思う。ちっとも自慢にはならないが。
病院に到着しても、病室に行く前にトイレに駆け込む。ああいうせっぱ詰まった状況で嘔吐小僧になっていると実に切ない。必死に闘う身内をヨソにゲーゲー大会だ。なんとも格好悪い。
有難いことにその日、祖母は持ちこたえてくれた。私のゲーゲー中にご臨終だったら悔やんでも悔やみきれない。その後しばらく酒を控えめにした覚えがある。
さてさて、かつての欧州貴族などは美食を際限なく堪能するために食べては吐く繰り返しだったそうだ。そんな執念に比べれば私の吐きモードなど可愛いもの。
思えば、若い頃にしょっちゅう吐いてしまったのは新陳代謝が良かったせいだろう。今は酒の量が減ったわけでもなく、かえって酒量が増えたのに吐かない。呑み方が変わったのではない。代謝していないだけだと思う。
吐かない分、鈍感になった身体は許容量以上のアルコールだろうと全身全霊で受け止めてしまう。肝臓なんて満員御礼札止めぐらい働かされている。どっちがいいのか。間違いなく吐いてしまうほうがさっさと輩出するわけだから内臓系へのダメージは少ないはずだ。
やっぱり、もっと吐きまくらないといけないのだろうか。
このテーマだと書くネタがいっぱいある。船酔いダイバーを載せたダイビングボートの下で浅瀬のサンゴ撮影中だった私を襲った悲劇とか、ピカピカの新車の助手席が友人によるゲーゲー攻撃を受けたこととか、さあいよいよという場面で酔っていた相手の女性が暴発した事件とか。。。。
どんどん話がエスカレートしそうだからこの辺でやめる。
さすがに今日は画像無し。
2010年11月19日金曜日
靴が綺麗な男
最近面白がっていることの一つが靴磨きだ。
“シュー・シャイン・ボーイ”だ。せっせと磨く時間が楽しい。
先月の終わりに「人は見た目」という内容を書いたが、最近、キチンとした身なりをするよう自己改革努力中なので、靴との付き合いも変えてみようと決意した。
然るべき人を観察してみると、みな「キチンとした身なり、パリッとした身なり」をしているが、そういう人達は例外なく靴が磨きこまれている。
「然るべき人」に変身を企んでいる我が身にとってもこれは一大事だ。汚い靴を履いているつもりはないが、磨き込んではいない。いかんいかん。頑張らねば。
たいして高価な靴ではなくてもキチンと手入れをすれば美しく光り輝く。その作業を自分でやるのが楽しくなってきた。
わが社の隠れた靴マニアにアレコレ教わって、必要なグッズも調達してもらった。靴なんて嫁さんが綺麗にするものだと思い込んでいた私にとって、この作業は実に新鮮。
女性蔑視みたいで恐縮だが、靴の手入れは男ならではの作業だと痛感する。女子どもがチャッチャとこするようではダメだ。男っぽい仕事だ。先日もノリノリで磨いていたら汗だくになった。
調子に乗って仕舞い込んでいたバックやブリーフケースも、クリーム塗り塗り、クロスでゴシゴシ。一心不乱に磨いてみた。上質な皮が輝きを取り戻していく感じって、どことなくエロティックな風情だ。
なで回したくなるし、臭いも嗅ぎたくなるし、倒錯の世界に入っていくようで悪くない。
おっと、脱線しかけた。
綺麗な靴を履きこなす男性は女性陣から「奥様に大事にされてるんですね」なーんてセリフを言われることがある。
あれは錯覚だろう。他人様の目を引きつけるほどに磨き上げられた靴を履く男性の多くが、妻任せではなく自分でせっせと磨いているのだと思う。そうでなければ駅頭の馴染みの靴磨きオジサンに世話になっているはずだ。
自分でぴかぴかに仕上げてみて、そんな真理に気付いた。奥さんがエラいのではない。本人が好きでやっているだけだ。そんなもんだろう。
考えてみれば、私だって自宅で愛用する徳利やぐい呑みは、酔っぱらっていても自分で洗う。男の趣味性ってそういうものだと思う。
そうはいっても靴にさほどのこだわりがない私だ。いつまで続くかが問題だ。ただ、スーツやコート、シャツなんかも「キチンとしたもの」に一新せねばと考えている間は、きっと靴磨きも飽きずにやるのかも知れない。
自分用の靴手入れ用の馬毛ブラシやクリーム類を専用箱にセットして悦に入っている。魔法の道具箱みたいで楽しい。先日は、頼まれてもいないのに娘の通学用の革靴まで磨き上げてしまった。こり始めるとキリがない。専用箱に次はどんなグッズを買おうかなどと楽しく思案中。
でも、嫁さんが使っている靴お手入れセットを覗いてみたら私の比ではなかったのがチョット切ない。あの「ジョン・ロブ」の高そうなクリームなんかもゴロゴロある。
今まで私のために使ったことはあるのか、さりげなく聞いてみた。
「あれは高い靴にしか使わないから」。それが答えだ。すなわち、私の靴ごときでは利用許可はおりないらしい。
悔しいから10万円ぐらいの靴をダースで注文してみようか。さすがに無理だ。
やはり宝くじを買いに行かねば。
2010年11月17日水曜日
上海ガニ
カニの季節だ。11月頭から解禁になる日本海のズワイを最高峰に全国各地でカニをむさぼり食う人が大量発生中だ。
今が旬ではないカニでもこれからの季節は王様のように扱われる。カニ食い人の分布は聞くところによると関東より関西方面だという。そういえば、関西人はしょっちゅう「カニ食うてまんねん」とか言っているイメージがある。
「かに道楽」みたいなカニのテーマパーク的レストランも東京エリアは少ないように思う。不思議だ。東京人特有のスカした感じがカニ食いと相容れないのだろうか。
両手を使ってテーブルの上も散らかし放題で、ほじったり、かじったり、すすってみたりするカニ退治は「食う」という作業の集大成のようで楽しいと思う。
実は石川県・橋立まで解禁になったばかりのズワイを一人コッソリ食べに行こうと画策していたのだが、家族からの同行要請が殺到して断念。
あんなウマくて高いものをどうして小学生の分まで面倒見なきゃならないのか、冗談ではない。仕方なくデパ地下で毛ガニを買って振る舞う。
日本海のズワイは断念して12月のどこかで函館に行くことにした。なぜか冬の北海道には行きたがらない寒がりの家族のおかげで、心おきなくドッサリと毛ガニでも食べうことにする。
さて、東京でよく見かけるこの時期のカニといえば上海ガニだろう。無茶な価格の高級品として崇めたてている店もあるが、もともとそういう存在ではない。良心的な値段で提供する店でワシワシ食べればいいカニだ。
ミシュラン組の「富麗華」など中国飯店系の高級店で白手袋のボーイさんにアツアツのカニをうやうやしくさばかれながら味わうのもシビれる時間だが、酒のつまみという点では何かが違う。もっとガサツに食べたい時のほうが多い。
中華系のカニならではの食べ方が紹興酒漬けだろう。酔っぱらいガニと呼ばれる食べ方だ。
ヤツの名誉のために書いておくが、ヤツは決して酔っぱらってなんかいない。死んでいるだけだ。「紹興酒につけ込まれた死体をチューチュー吸う」というのが正しい表現だ。
そう書くとロクでもないが、寿司だって「絞めてから数時間後の旨味が・・」などと言う場合、死体の熟成を味わうようなものだ。
食い道楽などといっても「おいしい死体」を求めるという意味ではゾンビと同じだ。
なんか話がそれた。上海ガニに戻ろう。
友人が経営する溜池山王にある「美食菜舘」でチューチューしてきた。旧友がブログ上で上海ガニをPRしていた某日、ちょうど夕方に赤坂にいるスケジュールだったので所用終了後さっそく訪ねた。
紹興酒漬けを2杯注文。冒頭の画像がそれだが、カニ達が私に指名されたことを喜んでいるように見える。
お燗してもらった紹興酒と一緒に味わう。普段呑まない紹興酒が何とも言えない魔法の水に変身する。紹興酒漬けを紹興酒で味わうのだからマズいはずはない。
ミソがたっぷりだ。どう表現すればいいのだろう。何かに似てる味といえばいいのだが、思い浮かばない。ボキャブラリーの乏しさを実感する。トロリン・ジュワン・ジュジュジュ・ズーって感じのたまらない味覚が脳を直撃する。
カニは身体を冷やす食べ物の筆頭だ。中華料理店でもショウガ汁を一緒に出す店もあるが、この日は、しこたま熱い紹興酒で温まる。
それでも何か身体を温める食材を摂取しようと「辛い麻婆豆腐」を注文。これがまた本当に辛くてさあ大変。何かの復讐かと思うぐらい辛い。
でもウマいのでワシワシ食べる。辛いから紹興酒が進む。グビグビ呑む。酔う。満腹中枢が麻痺する。チャーハンを追加する。ペロペロ食べる。あとで後悔する。太る。
そんな感じの時間だった。
2010年11月15日月曜日
旅館の時間
旅先の宿選びにはいつも悩む。とくに温泉宿となると苦悩状態になる。大衆旅館でも壮大なスケールの露天風呂があれば行きたくなるし、極上の高級割烹旅館でも大浴場が小さいと魅力は半減する。
先日、伊香保温泉に行く機会があった。評判の高い老舗旅館「福一」にするか、大型の「ホテル木暮」にするかで悩む。その他にも良い宿はあるが、サウニストとしてはサウナがないとダメ。
福一は料理の水準も良く全体的にサービスも上等、木暮はとにかく大浴場のスケールが抜きんでている。
結局、ひんやりとした秋風のせいで、巨大露天風呂を目当てに木暮を選ぶ。
サウナも大きく、茶褐色のにごり湯が溢れる巨大露天風呂も快適。その他にも趣向を凝らした浴槽がいくつもあり弛緩するにはもってこいだ。
この旅館が一流になれない点は、何といってもサービス面だろう。“行きはよいよい、帰りはなんとやら”が大きなマイナス。
朝の大浴場は9時半にキッチリおしまい。大浴場行きのエレベーターさえスパッと止まる。大きな湯上がりフロアも朝は営業していない。電気まで消えている。
おまけにチェックアウト後にクルマまで荷物を運ぶ手伝いもいっさい無し。うやうやしく迎えておいて、帰る時はとっとと帰りやがれ的なダメダメぶりだ。
場所柄たいした料理はないが、味付けやメニューに趣向を凝らし、朝食も丁寧に作っている。何より風呂は最高で、館内の清潔感もOK。それでも最後の最後の肝心なところが失格。ピンボケだ。
俗に一流といわれる旅館を思い返してみると、朝起きてからチェックアウトするまでの流れにゆったりとした余裕がある。当たり前のことだが、これができていない宿が多い。
話を戻す。温泉宿の規模について。いわゆる隠れ家系がいいのか、大型旅館がいいのか、この点は大きな問題だ。
女性雑誌がこぞって取り上げるような旅館はたいていがシッポリお籠もり系の高級旅館。規模が小さいせいで手の込んだもてなしが受けられるが、どうもラブホテル代わりに使う不倫カップル用というイメージも少なからずあるように思える。
確かに熱い関係の二人ならジイサンバアサンの団体やうるさい小僧どもがいない宿を選ぶ。そういう宿に家族連れや一人旅で行くと実に落ち着かない。
大浴場も部屋数に比例して小さく、「さっさと部屋にこもって交尾でもしてろ」と諭されているような気がする。
巨大旅館のアホみたいにだだっ広い大浴場でサウナを使いながら2時間ぐらい平気でスッポンポンで喜んでいる私にとっては隠れ家系のあの感じは苦手だ。でも宿全体の凛とした空気や質感、料理の水準を考えるとついつい行きたくなる。
実例を出して恐縮だが、北海道・登別のスーパー巨大温泉「第一滝本館」あたりはその対極だろう。どうしてこうもマズく調理できるのかというレベルの大皿おざなりバイキングに遭遇する。ビックリする。宿の動線も滅茶苦茶だしセンスも物凄い。
誉める点がまるでないようだが、大浴場はスペシャルパラダイスだ。だからついつい行く気になってしまう。
結局、どっちにも行きたいわけだ。
テーマパークみたいな巨大浴場がある宿は必然的に大衆路線なので宿泊料は安い。ところが、団体様大歓迎体質なので、一人旅を受付けていない所も多い。部屋数が多いのにバカみたいだ。
そういう時にどうしたらいいか?答えは単純。「2名宿泊」で予約を入れれば済む。いざ宿泊当日、同行者が死んだとか病気になったといってチェックインすればよい。交渉次第で2名分の料金は取られず、1名分料金の5割増しぐらいで話がつくこともある。
そんな交渉がイヤなら、夕食抜きの宿泊プランとかで予約しておけば、2名分料金でもたかが知れている。
そんなセコびっちなことをしてでも、巨大風呂の楽しみは捨てがたい。ただ、まともな高級旅館で割高な料金を払って、ひとりしっぽり部屋にこもって一品一品運ばれる食事を味わうのもオツだ。ちょっとした富豪気分に浸れる。
何年か前になるが、いろいろなことが重なり思うところあって、家を出て数ヶ月だけ都内を転々としていたことがある。
夜逃げではない。
一応、職場にはちゃんと通ったが、週末はほとんどアチコチの温泉宿に居た。テンションが低かったせいで賑やかな大型旅館は敬遠し、シッポリ系の宿ばかり選んだ。
iPodと雑誌を相棒に片方の耳だけにイヤホンを差し込んで、部屋で黙々と食べて飲んで過ごした。客との距離感を上手に計るまっとうな仲居さんがいる旅館は実に有難かった。癒された気がした。お金もかかった。
そういうズンドコ、いやドンゾコぶっていた気持ちが吹っ切れ、普通の日常に戻ったあと、しばらくして大型旅館に遊びに行った。
ドヒャーとしたアホみたいな規模の大浴場につかり、これはこれで最高だとしみじみ感じた思い出がある。
結局、どういう路線の宿だろうと、それぞれの持ち味があり、同行者の有無、同行者との間柄など状況に応じて選択すればいい。
なんか当たり前の結論になってしまった。すいません。
2010年11月12日金曜日
酒と本
本を読むのが好きなのだが、読めずに放置してある本が随分たまっている。酒のせいだ。酒と読書のどっちを取るかと言われれば、どうしても酒を選んでしまう。
酔い加減が適度なら寝る前は必ず読書タイムなのだが、しっかりバリバリ酔っぱらっていると中々難しい。もともと活字中毒的な要素があるので、酩酊状態でも何かしら文字を追うのだが、そういう時は通販雑誌なんかをペラペラめくっておしまい。
それでもさすがにこの季節は読書量が増えている。読みながら眠ってしまうことが多いので、長編小説などはなかなか進まない。
浅田次郎の「終わらざる夏」をようやく読み終えた。夏の終わりに購入してあったのだが、いまごろ読了。
http://www.shueisha.co.jp/1945-8-18/
昭和20年8月18日日、千島列島の最北端・占守島で起きたソ連軍と日本軍の戦闘を題材にした作品だ。
戦争が終わったはずなのに起きた戦いの意味と巻き込まれた人達の葛藤と生きざまを描いた上下巻の大作なのだが、戦闘シーンはほとんど描かれず、あくまで何人かの登場人物の背景描写が延々と続く。
一人一人の人生が運命の一日に向かって描かれていく。下巻の後半ぐらいにようやく終戦となり、本題である運命の日につながっていく。そこに至るまでは徹底して登場人物の考え方、意思、背景描写が続く。
ステレオタイプに戦争の愚かさを説くのではなく、様々な背景を持つ登場人物の視点から狂った時代が冷静に俯瞰されている。
ファンタジー要素があったり、小気味よい筆致が続く浅田次郎作品の中では重厚な部類に入るのだろう。とはいえ、さすがのストーリーテラーぶりで、重い題材といえども読む側をすーっと引きつける。
圧倒された。終盤にはポロポロと泣いてしまった。本の力を再認識させられた。
大げさだが読書から得るものって大きい。酒と本の両立をもっと頑張らないといけない。
私の読書スタイルは長年の習慣でベッドに横になりながら上半身だけ起してページをめくる。この格好だとどうしても酒との両立が難しい。
だいぶ前にわが家の「呑み部屋」の話を書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/01/blog-post_11.html)が、せっかく酒を呑みながら本が読めるスペースがあるのだから使わない手はない。
というわけで、先日、伊集院静「浅草のおんな」を持ち込んで酒とともに味わってみた。浅草の小料理屋を舞台に中高年の色恋や生き方が描かれている読みやすい一冊だったのだが、小料理屋の描写が私の酒量をあおる。ページをめくりながらグビグビとピッチが上がる。
つまみは冷や奴と漬物と塩辛程度。小料理屋が舞台の小説なので、しっぽりと楽しもうと企んだのだが、思ったようにはいかない。
徳利から注ぐ杯をあおり、箸を手につまみを突つき、合間に本に目をやるという作業がダラダラ続く。なんか面倒くさい。
結局、酒が主役の座を奪ってしまい、気付けば酩酊。読んだはずの部分が頭に入っておらず、翌日、かなりさかのぼって読み直す。“3歩進んで2歩下がる”みたいな読書になってしまった。
やはり、呑みながら読むには、ウイスキーのストレートとナッツ類といった組み合わせじゃないと忙しくてダメ。なかなか上手くいかない。
それこそ小料理屋のカウンターの端に座り、本を読みながら一杯ひっかけるなんてシチュエーションに憧れるが、これまたハードルが高い。
顔見知りの店でいきなりそんなことを始めたら不自然だし、かといって初めての店だったら単なる感じの悪い客になってしまう。
安い大型店あたりなら、カウンターの一人客が何をしてようがお構いなしなのだろうが、そういう店は騒々しいし、食い物もまずそうだ。結構難しい問題だ。
以前、神楽坂の某割烹料理屋で初老のご婦人が一人、文庫本をさりげなく読みながら魚の煮付けなんかを食べている光景に遭遇した。
どこかの大学の先生らしい。なかなか絵になる姿だった。学究の道を歩んでいるせいだろうか、実に自然な姿だった。
どんな場所だろうと、読書姿がさりげなく周囲にとけ込むようになるには一体どのぐらいの本を読みこなす必要があるのだろうか。
そんな「たしなみのある大人」になりたいものだ。
2010年11月10日水曜日
土の味
この季節、徳利とぐい呑みを掌でもてあそぶことが多い。燗酒を入れた徳利は、ポカポカと暖かく、釉薬を使わない焼締めの備前徳利などは土のぬくもりがダイレクトに感じられてなで回したくなる。
冷酒なら冷酒で徳利が汗をかいた風情が涼を誘うが、いじくり回すと手がビチョビチョ濡れて不快だ。やはり徳利には燗酒が良い。寒い季節の楽しみだ。
この写真はお気に入りの徳利の一つ。瓢箪型なので瓢徳利と呼ばれるスタイルだ。酒を注ぐときにトクトクと独特な音が楽しめる。備前の酒器名人・中村六郎さんの作品。
ぐい呑みはビジネスバッグに収納して外食の際にも活用しているが、さすがに徳利は持ち運べない。どうしても自宅使用だ。
家で呑む際に風流などと気取っていられないので、なかなか出番がない。でも、静かになった夜更けに一人、湯せんした徳利を愛でながらシンミリ呑む時間はかけがえのない時間だ。いろいろとリセットできる。
2番目の画像は、これも備前の重鎮・吉本正さんの作品。奇をてらわない端正な造りと勢いよくロクロ挽いた雰囲気が滲み出ている気持ちの良い徳利。丸味を帯びたフォルムが掌で遊ばせるには最高だ。
3番目の画像は若手作家・大澤恒夫さんの作品。備前の土に李朝風の装飾が施された一風変わったもの。野趣たっぷりで酔いが進むと不思議と使いたくなる。
徳利の面白さというか、魅力の一つが中身が見えない点だ。当たり前といえば当たり前だが、見えないからこそ覗きたくなる。覗いても暗闇しか見えない。その神秘的な雰囲気が好きモノには堪らない。
壷を集める人の心理も同じだろう。「壺中の天」という故事が有名だが、見えない壺の中には桃源郷がありそうな気配がある。
いわば小さい壷である徳利もそんな想像をかき立てる。実際の中身はカビだらけかもしれないが、注ぎ込んだ酒を美味しくする秘術を持つ仙人が徳利の中に住んでいそうな気がする。そう信じるほうが楽しい。
一説によると徳利にタンマリ注いだはずの酒は、いざ呑み始めると少しだけ目減りしているらしい。秘術を使う仙人が分け前として呑んでしまうのがその理由だそうだ。
実に素敵な話だ。
ちなみにこの説を唱えているのは私だけなので信用してはいけない。きっと自分がどれだけ呑んだか覚えていない酩酊状態の時に言い出した戯れ言だ。
ぐい呑みコレクションも結構な数になってしまった。最近、一番のお気に入りを出そうとしたら行方不明で困惑中。清水の舞台から5度ぐらい飛び降りて購入した大事な大事な一品がどこかに潜伏中。
京都の名匠であり人間国宝・清水卯一さんのぽってりとした釉薬のグラデーションが美しいぐい呑みなのだが、箱に入れて大切の保管していたので、どこか奥の方に仕舞い込んでしまったのかもしれない。
やはり、500LDKの豪邸?に住んでいるとこういう点が不便だ。すぐに行方知れずになる。そのぐい呑みは「おめでたい時限定」で使っていたわが家の家宝とも言える逸品だ。
逆にいえば、いかに最近私の身にめでたいことが起きていないかの証しだろう。
今度ちゃんと探して、見つかったらそれを祝って使ってみようと思う。
最近使ったぐい呑みも携帯で撮影してみた。上が唐津、下が丹波の作家モノだ。ちょっと野暮ったいボテッとしたぐい呑みが好きなんだなあと改めて感じる。
有田焼や九谷焼みたいな端正で精緻な作風はどうも性に合わないみたいだ。
きっと私自身が端正で精緻な人格なので、酒の席ではその対極を求めているのだと確信している。
2010年11月8日月曜日
外国人指導者
プチ右翼的要素がある私にとって、「外国人指導者」という存在がどうにも気になる。まあ日本が何でも一番というわけではないのだから、弱い分野は積極的に外国人の指導を受けるべきなんだろう。
プロ野球の世界でもアメリカ人監督は今だに根強い人気があるが、かといって抜群の成績を残した人物もいない。やはり、野球に関しては、「ベースボール」とは違う競技として成熟している証しだ。
フィギュアスケートやサッカーあたりだと外国人指導者こそ絶対みたいな風潮がある。実際にその成果はしっかり出ているようだ。サッカーワールドカップにしても岡田監督は単なる消去法で指揮を執っていただけで、本来なら外国人監督の指定席だ。
外国人指導者を招く利点は数々あるが、なかでも大きなポイントになるのが「しがらみの無さ」だろう。頭では分かっていても、しがらみにとらわれる弊害はどんな分野でも起こりえる。
冷静沈着な第三者的目線を貫き通すのはなかなか厄介だ。それを打ち破るためには外部の力に頼るのが手っ取り早い。だからヨソの世界での豊富な経験を「異国感覚」として有難がることになる。
スポーツの世界だけではない。すっかり定着した大企業の社外取締役制度にしても発想の源は同じ。しがらみの無い第三者的目線につきる。
つぶれかけていた日産自動車が立ち直った際もゴーンさんを連れてきて徹底的な理詰めの改革を断行した。しがらみのある内部関係者では無理だったんだろう。
事業の廃止や工場の閉鎖だって、外から見れば常識的なことでも社内的には天変地異ぐらいの衝撃がある。どこの企業だってそうだろう。主力商品、主力部署だと信じていたものが企業の足を引っ張っていることだって珍しくない。
そうした現状分析をする際に内部の感覚だけだと必ず狂いが生じる。過去の成功体験を引きずっていれば尚更冷静な判断はくだせない。
鉄道を名乗りながら電車を走らせていない会社やフィルムを社名に冠しながらフィルム事業から撤収する会社など、大胆な構造転換を実現するには膨大なエネルギーが必要だろう。
欠かすことの出来ない必要最低限の要件が「冷静沈着」および「第三者目線」ということになる。
笑えない話だが、中小同族会社などは同族関係者がいなければ業績が好転するという話もある。中小同族会社はオーナー自身の踏ん張り無くして成り立たないのは間違いないため、そんなブラックジョークには腹も立つ。ただ、一面的にはそういう指摘ももっともだろう。自分自身のコストを考えると遊んでばかりいられないと痛感する。
経済政策をめぐる国会論戦が熱気を帯びてきた。せっかく政権交代を成し遂げた民主党政権だが、どうも斬新な政策が見えてこない。旧来型の調整に終始するのならガッカリだ。
新しい政策を考えるうえでも重要になるのは第三者的目線だろう。多くの場合、前例や慣習は、しがらみと同意語になりえる。政権交代を選択した国民が求めているのは「チェンジ」である。官僚の振り付けで踊るだけなら背信行為そのもの。
明治維新を成し遂げた新政府は数多くの外国人顧問を招き改革の知恵を授けてもらった。もちろん、先進国と呼ばれるようになった現在とは社会情勢がまるで違うが、広く外から学ぶ姿勢は必要だ。
前例、慣習、思い込み、そして曖昧な常識だけでは改革は不可能。転換期にある国を引っ張る政権には「異人感覚」を大事にして欲しい。
2010年11月5日金曜日
先に逝く人
小、中、高校と通った懐かしの母校に行ってきた。クルマで横を通ることはあったが、中まで入ったのは25年ぶりぐらいだろうか。当時の面影を残した部分に思わず見とれる。
あそこの3階の窓から教師に水をかけたなあ、とか、このグランドの中心点に長時間立たされていたなあ、とか、あの校舎の地下に先輩から呼び出されたなあ、とか、学園祭のフォークダンスの練習名目で女子高生をあの部屋に連れ込んだなあ、とか真面目に過ごした年月が甦った。
印象的だったのは学校全体の広さ。当時、我が物顔で過ごしていたせいか、さほど広いイメージはなかったのだが、いざ歩いてみると結構広い。きっと自分が謙虚な人間になったんだろうと解釈してみた。
母校に行ったのは友人の奥様のお通夜が目的。慣れ親しんだチャペルはまったく変わっていなかった。暑い夏の日、冷房など無かった校舎に耐えられず、半裸でチャペルで涼をとっていた恥ずかしい過去が甦る。
若い頃ってどうしてあんなに罰当たりだったのだろう。今更ながらゾッとする。中年になった今、慣れ親しんだチャペルの荘厳さに初めて気付いたような感覚になった。
友人の奥様はまだ40歳の若さ。子どもの行く末をまだまだ見守りたかったはずだ。誰もがいつかは命の灯が消えるにしても、その年月の長短にはどうしようもない不条理もある。自分の身に置き換えて考えてみても無念という言葉しか思い浮かばない。
この夏、小学校以来の同窓生が不慮の事故で亡くなった。10歳の娘さんを残して旅立ってしまった。やはり、子を持つ親として、ただただ切ない。ご遺族の心の平穏をただ祈りたい。
話は変わるが、私が大好きな映画に「ゴースト・ニューヨークの幻」がある。見方によっては子どもっぽい勧善懲悪モノとも言えるのだろうが、私にとっては何度見ても泣ける。いや、正確に言うと号泣してしまう。
何度も見返しているが、主人公がまだピンピンしてる映画の前半から早々に泣きモードに入ってしまう。“こんなに仲の良い二人なのに死が訪れてしまうのか”という感傷が私の涙腺をゆるませる。
映画では、ゴーストになった主人公が残していった恋人を守ろうと活躍するわけだが、とにかく「触れられないもどかしさ」がやたらと切ない。
ゴーストになった主人公からは相手の存在が見えるのだが、当然、相手からは見えないし、触れることが出来ない。
ゴーストの先達からモノを動かす“技”を伝授されて、扉越しにコインを動かすシーンがある。恋人がコインの動きを指でなぞり、死んだ恋人が自分の側にいることに気付き、コインを通して間接的にゴーストと触れあう場面が一番泣ける。
たとえ見えようが、その存在を感じようが、どうしても叶わないのが「触れること」だろう。こればかりは、空想小説だろうとホラー映画だろうと大体共通している。
そう考えると愛する人と触れあえるという単純な行為がいかに有難いことか痛感する。
ついでに個人的なスピリチュアル体験の話を書く。私自身というか、私の家族に起こった話だ。亡くなった祖母の初七日法要の後、家族みんながバラバラの場所で同時に鈴の音を聞いた。
旅行好きだった祖母は、それこそ世界中で鈴を土産に買ってくるほどの鈴コレクターだった。そんな祖母が挨拶するかのように軽やかに鈴の音を鳴らしていったらしい。
実はこの時、親戚を含めた10人近くのうち、鈴の音を聞かなかったのは私一人。私以外は全員が聞こえたそうだ。スピリチュアル系の感度に少しだけ自覚がある私としてはちょっと切ない思い出だ。聞き漏らしたのか、私だけ無視されたのか、きっと前者だろう。
家族としては、鈴の音が気のせいだったとか、偶然だったとは思わない。やはり旅立ちの挨拶だったんだろうと素直に理解している。でも、その時も最後の最後に握手とかハグとか、そういう触れあいをともなうお別れをしたかった。
寒くなってくると娘のベッドに侵入する私だ。暖をとるのに適度なサイズなので、ついつい湯たんぽ代わりに扱う。
熟睡している寝相の悪い娘は、時にパンチやキックを私に繰り出す。膝蹴りが股間を直撃すると寝ている娘に仕返しをするほど怒る私だが、そんな「ぶつかり合い」も間違いなく「触れあい」に他ならない。
愛する人の成長を見守ることが出来ずに、無念を抱えて旅立っていく人からすれば、そんな下らないやり取りすら二度と叶わない。そう考えると、つくづく当たり前の瞬間瞬間の大事さ、有難さ痛感する。
先に逝く人が残してくれる教えを今更ながら噛みしめたい。
2010年11月1日月曜日
打ち込む日々
夏頃だったか、このブログで「壁投げ野球」の話を書いた。自宅近くの公園にちょうど良いカベを見つけたので、グローブとボールを持って必死に投球練習に励む話だ。
さすがに飽きた。一生懸命ボールを投げるのは楽しいのだが、やはり張り合いがない。勝手にバーチャル状態で試合形式を妄想しても手応えがない。
だいたい、いい年したオジサンがひとり黙々と壁に向かって投球練習している姿はちょっと不気味だ。村田兆治みたいだ。
ということで、最近凝っているのがバッティングセンター通いだ。なんてったって、飛んでくるボールを思いっきりひっぱたくわけだから気持ちがよい。会心の一撃を放ったときの快感は壁投げよりも遙かに大きい。
今日の画像は打ち込みに励む私の左手だ。手袋をしていてもハッスルしすぎるとすぐに皮がむける。痛くてしょうがない。
自宅からクルマで20分ほど行ったところに昔ながらのシケたバッティングセンターがある。その名も「峰」だ。なぜそんな名前なんだろう。凄いセンスだ。
イマドキのバッティングセンターは、松坂とか上原あたりの等身大映像が、あたかもボールを投げ込んでくるかのような趣向を凝らした所もある。「峰」の場合、まるで昭和の遺物のような設備だが妙に安い。
30球で200円だ。いまどき珍しいと思う。その代わり、ピッチングマシーンもボロい。よく故障する。たまに投球自体を“空振り”する。これまた珍しい。
でもマシンが不調になればオバチャンに言うと最初から30球分やり直してくれる。実にアバウトだ。
ヒマな週末に出かけるので、小学校3年生の娘がついてくることも多い。子供用のバットを買ってやったら妙にハマったらしく、毎回200球近くは打ち込んでいる。アイツは何を目指しているのだろうか。
ときどき自打球が身体に当たる。すぐ泣く。それでも不思議なことに泣きながら打ち続けている。なんかこっちが「星飛雄馬の父」みたいな感じでイヤだ。
ときどき私の娘への指導を低学年ぐらいの少年達が結構真面目に見学している。娘もそういう場面になると意識して快打を連発する。男の目を意識しているみたいで気に入らない。生意気だ。
娘はひとしきり打ち込むと、ベンチに座って持参のDSに励み出す。父親の素晴らしいバッティング技術には関心がないようだ。でも、ここからが私の本番だ。結局いつも300球ぐらい打ち込んでしまう。私こそ何を目指しているのだろう。
最近は、もっとも速い“130キロ”にも馴れてきた。右方向だけでなく、しっかり引っ張れるぐらい目が馴れてきた。
たまに少年達が私の130キロ攻略バッティングを真面目に見学している。こういう場面になると俄然私も張り切る。快打連発だ。少年達の「すげ~」という声にニンマリする。娘と変わらない。
親子ともどもノリやすく図々しい性格のようだ。
このところ打撃好調だったので先日のドラフトで指名されるかと期待していたのだが、オリックスとかベイスターズですら私の指名を見送った。
仕方がないから来春はメジャーのキャンプに参加してみようかと思う。