8月後半の潜水旅行では、天候の関係で沖縄本島の本部エリアで潜る予定を急きょ変更して石垣島にマンタを見に行った。
石垣島・川平エリアには世界でも稀なマンタとの高い遭遇率で知られるダイビングポイントがあり、8月、9月ならその確率は「ほぼ100%」と言われる。
15年前に訪ねた際には、実際に「ほぼ100%」マンタに遭遇したが、先月行った際には想定外の惨敗。マンタポイントに3回潜って1度も遭遇しないというアンラッキーな結末だった。
実は15年前にマンタを撮影した写真はネガごと無くなってしまった。当時一緒に旅行に行った”前の奥さん”が家を去る時に捨てたらしい。
ビミョーな話だ。
一応、四半世紀にわたってアチコチの海を潜ってきたベテランフォト派ダイバー?としては、マンタの画像ストックがないことは耐えられない。どうしても撮影したい。
8月にマンタに会えなかったイライラは想像以上に私の心をむしばみ、食欲減退をはじめ自律神経にも異常を来たし、幻覚まで見るようになってしまった(ウソです)。
というわけで石垣島にリベンジに行ってきました。
8月の惨敗から1ヶ月。東京が急に寒くなった週末と祭日を絡めて出かけた。この1ヶ月、毎晩毎晩、寝る前に両腕を左右に広げて上下にヒラヒラする「マンタダンス」を欠かさず、毎朝近所の神社に願掛けに出かけてマンタとの遭遇を祈願してきた(ウソです)。
潜水初日の2本目にいざマンタポイントへ。
透明度が悪く、すぐにでも現れそうな予感むんむん。エントリーしてすぐにこの日の水平透明度ギリギリあたりの20メートルほど先にやたらとデカいマンタ登場。
ただ、ちらっと見えただけでヤツは消えた。やばい。これでも一応見ちゃったことになる。このまま終わったら水中写真家が本業(大ウソです)である私にとってリベンジにならない。
しばし、マンタをじっと待つ。そしてヤツは音もなく現れた。嬉しくて涙チョチョぎれだ(半分ホントです)。腹にコバンザメをくっつけて堂々の登場だ。何度見てもあの雄大さは素晴らしい。海を羽ばたく怪鳥のようだ。
(画像をクリックすると拡大します)
世界にも稀なポイントだ。さすがに出る時は出る。その後も続々登場。このエリアがクリーニングステーションになっているため、身だしなみを整えに彼らはやってくる。
この地域では地元ダイビング業界の申し合わせ事項がある。マンタがホバーリングする根に上がってはダメだとか、追ってはいけない、進路妨害は禁止だとか、もちろん触ってはダメだとか様々なルールがあるので、なかなか撮影のために大胆な行動が取れない。
私と一緒に潜ったグループだけでなく、水中でマンタ待ちをしている大勢のダイバーの目が気になる。図々しい私もさすがにルール違反撮影は無理。実際にマンタが留まる根に上がりかけて、見知らぬショップの引率ダイバーに怒られてしまった。
この日、マンタポイントにはダイバーを乗せた船が17艘来ていた。ざっと200人から300人は数百メートル四方に潜っているわけだ。マンタ待ちをする場所は皆さんそれぞれ。どれだけマンタが近くに来てくれるかはあくまで運次第だ。
今回それなりに「証拠写真」は撮れたが、もし他のダイバーの目線がなければ、プロ級の画像が簡単に撮れるのは間違いない。
まあそんなワガママは言えない。いかにマンタの通り道にいられるかという運とマンタの移動コースをどう読むかで撮影できるかどうかが決まる。
触れられるほどではないが、運良く私から2メートルぐらいの場所をマンタが通過してくれた。連日のマンタダンスと神社通いの成果だ。太陽を入れてそれなりに撮影できた。
水面にはシュノーケルのツアー客も写っている。水深12~3メートルあたりにいるマンタを水面から見ても黒い背中がボンヤリ見えるだけだろう。ちょっと気の毒だ。私が追い回せば、マンタはバク転の一つもしてくれるはずだから追っかけようかと思ったがさすがにガマンした。
接近撮影できた個体はさほど大きくはない。それでも「翼」を広げれば軽く3メートルぐらいはありそうだ。優雅に舞う姿にしばし見とれる。
レンズはトキナーのフィッシュアイズーム。銀塩時代の表現だと「16~24㎜」相当の画角だ。これほどマンタ狙いに適したレンズはないと思う。
15年前には、超広角系でズームが可能なレンズなど無かったので、16㎜を装着するか、20㎜レンズを装着するか大いに悩んだものだが、いまではオールマイティーに撮影可能。
正直、今回程度の接近では28㎜クラスがベストだったようにも思うが、水面と太陽も入れるとなるとフィッシュアイは威力を発揮する。
24㎜側にズームしておけば、離れた場所でマンタと接近するダイバーの様子も一応記録に撮っておける。人物が入るとマンタの大きさも伝わりやすい。
と、言いながらこれを撮っている時はマンタの近くにいるダイバーがうらやましくて地団駄を踏んでいた私だ。
今回もマンタポイントには3回潜った。2回目は45分ほど待機したが現れず、あきらめてボートの下の水深4メートル付近で浮上前の安全停止をしていた。それでもキョロキョロと周囲を見回していたら遠くから2枚(マンタはなぜか一匹二匹ではなく一枚二枚と数える)一緒に泳いでくる姿が目に入った。
安全停止をやめて再潜行。なんとか撮っては見たもののチョット遠くて良く分からない。残念。今回の目標は1枚ではなく、2枚以上のマンタを同じフレームに捉えることだったので、せっかくのチャンスを逃して悔やむ。
でも見られただけで喜ぶ。また潜りに行く言い訳が出来た。
マンタポイントに3回目に潜った時は水平透明度が15メートル弱と濁りが強く浮遊物も多かった。撮影環境としては劣悪だったが、それでも小一時間のうちに7回ほどマンタ登場。透明度が悪い分、登場する感じも突然「ヌボ~」という雰囲気。萌え萌えだ。地元のガイドさんによると個体数では4枚だったそうだ。
接近遭遇できたマンタもいたのだが、濁りの関係でバッチリの写真は撮れず。それでもなぜか周りに他のダイバーがいないタイミングだったので、その迫力を堪能できた。見つめ合えたからOK。
まあ遭遇、撮影した私自身は大感動なのだが、こうもマンタの画像ばかり並べるとやっぱり少し不気味に思う人もいるかもしれない。
どこかの国の昔の漁師は、「マントをまとった悪魔」とか呼んでマンタを忌み嫌ったという話もある。マンタの語源もそこにあるらしい。いまでも「デビル・レイ」という呼称もある。メジャーリーグの球団名にもあったような気がする。
実際のマンタちゃん達は、エイにしては珍しく尾っぽに毒針もなく、プランクトンを補食する穏やかな生き物だ。悪魔と呼ばれるのは気の毒。
汚い画像で終わるのはイヤなので、濁りの中でストロボの加減と光の向きを一生懸命考えて何とかそれなりに撮った画像を並べてみます。
一応、念願のマンタリベンジは達成した。しかし、人間はワガママなもので、会えただけで満足すべきなのに、もう次回の構想を練り始めてしまった。
もっと迫力のある画像を撮りたい。ワンフレームに3~4枚のマンタが乱舞している画像が撮りたい。いまどきのデジカメなんだから、ついでに動画にも収めてみたい。欲求はつのるばかりだ。
石垣のマンタシーズンは風向きの関係でそろそろ終了。来年5月ぐらいから改めてシーズンを迎える。梅雨明けあたりにまた行ってしまいそうだ。
2010年9月29日水曜日
石垣島 リベンジ
2010年9月27日月曜日
現実的な夢
まもなく誕生日が来たら「アラフォー」が終わってしまう。四捨五入という情け容赦の無い数え方によれば私は相当オジサンになってしまう。
そうはいっても、ドカ食いはするし、悲しい映画を見ると号泣するし、エロ大作戦はまだまだ展開中だし、新しいワザも日々研究中だ。大人げないのかバカなのか悩ましいところだ。
壮年と呼ばれるまでにはまだ時間がある。それまでにいろいろとやりたいことはある。「夢」と呼ぶには大げさだが、一応、現実的な夢はいくつもある。
仕事上のこと、家庭のこと、そういう厄介なことは抜きにしてアレコレ考えてみた。さすがに中央競馬の個人馬主になるとか、神楽坂あたりに100坪の平屋を建てて暮らすなんてことは非現実的なので、あくまで「その気になれば出来そうなこと」に限定しよう。
「オーロラを見ること」。昔から憧れているが機会がない。それだけの予算と時間があれば潜水旅行に行ってしまっていたので実現していない。
「ドイツの混浴温泉・サウナに行く」。
http://www.youtube.com/watch?v=cxXEduzHJPI
これもその気になれば行けるのに勇気が無くて未体験だ。凄いことになっているらしい。サウナ好きでおまけにAVを見るなら“グループ系”と決めている私だ。行かねばならない神秘の世界だろう。グラマラス美女の同行者を見つけたらすぐにでも行かねばなるまい。
「アフリカ」。まあ定番だろうが、これまた根性入れて行かないと中々実現しそうにない。以前、伊集院静の「アフリカの王」という長編小説を読んだことも影響している。夜更けに宝石のように輝く星空が人生観を変えてくれるらしい。
こう書いてみると旅にまつわるものばかりだ。他にないのだろうか。
そうだ。陶芸家になりたかったんだ。「陶芸家になる本」とかいうベタな本まで熟読したことがある。細川さんだって総理大臣を辞めてからあれだけの人気陶芸家になったのだから、絶対無理というはずはない。
昭和を代表する備前焼の人間国宝・藤原啓にしても陶芸を始めたのは40歳を過ぎてからだ。といいながら鑑賞・収集そして飲酒専門で器を愛でているだけの私では難しいかもしれない。
さてもっと現実的な夢はないだろうか。
そういえば髪の毛をアフロヘアにしてみたい。ついでに緑とか紫に染めてみたい。アフロといっても昔の久保田利伸みたいな感じではなく、あくまで「松鶴家千とせ」みたいな髪にしてみたい。
「わかるかな~、わかんねえだろうな~」という意味不明のギャグで一世を風靡した変なオジサンだ。
元来、髪質が細い私だ。若い頃はエンジェルヘアーなどと気取っていたが、年とともに草原が滅びるように減少し、現在では育毛、増毛効果のある薬物なんかを愛用している。
一応、いわゆるハゲオヤジではないものの、画期的な髪型を作り上げるほどの毛量はない。昔から同じような個性のない髪型だ。一度、アフロのような突拍子もない髪型にトライしたい。
まあ、そのうち、キチンと禿げ上がったら、いろんなスタイルのズラを数限りなく制作して日替わりでかぶってみるつもりだ。結構これは本気だ。
もうちょっと真面目な現実的な夢は「ダイブクルーズに乗ること」。25年近く潜水趣味を続けているのにダイブクルーズは未経験だ。
文字通り、船に寝泊まりして1日5回も6回もダイビング三昧するスタイルだ。ダイビングポイントへの移動がない、機材はタンク交換だけでセットしっぱなし。「食う寝る潜る」これだけ。
休みの短い日本人向けにもパラオやタイあたりでは短期間のクルーズはある。ただ、調べてみると、ちょっと船にゴージャスさが足りない。タイ・スミラン海域のクルーズなんか昨年、転覆して沈んじゃった事故もあった。
最近はだいぶ改善されてきたらしいが自分用の個室にトイレやシャワーがないとか、狭い刑務所のような二段ベッドの部屋が主流だとか、「富豪」?としてはそそられない。
無鉄砲な若い頃には悲惨な宿に泊まって潜り歩いていた。ゴキブリだらけの部屋で、ネズミが尻の下を走り回る壮絶な汲み取りトイレに悪戦苦闘したこともある。それでも当時は楽しかった。すっかり贅沢になってしまったことはある意味不便だ。
それ以外にも、せっかくの旅先だから夜は夜で盛り場で呑んだくれたい気持ちがクルーズを敬遠していた理由でもある。
さてさて、そうなると選択肢は盛り場が無いような秘境の地へのダイブクルーズだ。考えられるのは、ガラパゴスとか、インドネシア・コモド海域とか紅海・スーダンエリアへのクルーズだ。短くても船中泊が1週間程度の豪華大型クルーザーに乗りこみたい。
私の英会話能力は犬が飼い主に話す程度のレベルだが、ダイビングの話ぐらいなら何とかなるだろう。付き合ってくれそうな人はいないだろうから、きっと一人旅だ。
今更ながら英会話教室にでも通っておこうか、それとも金髪の愛人でも作ったほうがいいのだろうか。
どうしてそういう結論になるのだろう?
2010年9月24日金曜日
小料理屋と皿うどん
こじんまりして、季節に応じたウマいものを出すカウンター中心の店。お客さんも騒々しくなく、寡黙な板前さんと、和装のおかみさんが切り盛りするようなシッポリ系の店。そんな店なら頻繁に通いたい。
そんな絵に描いたような店はありそうでなかなか見つからない。間違いなく池袋には無い。あったとしてもビール一本とイカ刺し一品で粘り続けるタチの悪いオヤジに占領されている。必然的に銀座、赤坂あたりで探すことになる。
銀座をぶらぶら歩いているとそれっぽい店を見かける。雑居ビルの上の方とか、地下奥深くとか、たいていは目立たずに佇んでいる。飛び込みで入ってもけげんな顔をされそうでなかなか開拓できない。
その手の店の良さは逆にそういう神秘性にあるのだろう。誰でも気軽に飛び込めるオープンな店なら冒頭に書いたような雰囲気は期待できない。
そんな店を常時開拓中の私なのだが、先日、ひょんなことからイメージ通りの店を見つけた。久々のヒットだ。
銀座で働く人が連れて行ってくれた。数寄屋通り側の雑居ビルの上の方にポツンとあった。小箱でカウンター中心。元新橋芸者さんだったおかみさんが和服でいそいそと働き、初老の板前さんが黙々と丁寧に料理を担当する。
窮屈な高級感はない。かといって適度なシッポリ感が漂う。実に銀座的なお店だと思った。うまく表現できないが、酒を呑みたくない時でも、調子よくお燗酒をあおりたくなっちゃう雰囲気。
世間様から隠れるほど悪いことはしていないのだが、隠れ家として通いたいと思う。もったいぶって店の名前は書かないでおく。
食べ物がまた高水準だった。誠実に料理された味の良さはもちろん、酒呑みのツボを押さえたメニューがまたニクい。メニューに値段が書いていないのも恐いけどニクい。
お通しは数種類出てきた。野菜中心のしっかりと手の込んだ料理。なかでもハマグリのヌタが奥深い味わいで、何を注文しても外れが無さそうだと確信。
実際いろいろ注文したが、全部真っ当に美味しかった。こんな店が近所にあったら肝臓がいくつあっても足りない。
メザシと小ぶりの赤ムツの一夜干しを食べたが、大げさではなく私の「メザシ感」が一変した。味の強さ、脂の乗り方ともに抜群。ちょっとビックリした。
カラスミや刺身、ナンコツ入りの鶏のつくね等々、奇をてらったメニューはないが、すべて高水準。おでんも結構な種がラインナップされていてメニュー選びがかなり楽しい。
変わり種といえば、皿うどんだろう。正当派小料理屋というかオーソドックスな和食屋さんには異色のメニューだ。これがまたウマい。ちゃんとウスターソースも出してくれる。ハーフサイズでも頼めるらしい。
たまに酔っぱらった夜更けに一人、こっそり「リンガーハット銀座店」でソースをベチョベチョかけて皿うどんを頬ばる私だ。そんな変な趣味がある私にとって実にニクい締めの一品が用意されているわけだ。
近いうちに改めて突撃しようと思う。
2010年9月22日水曜日
甘党
酒ばかり呑んでるように見えて、実は私は結構な甘党だ。酒も好きだが、甘味にも目がない。節操がないというか幸せな身体だ。
シガーバーで葉巻をくゆらせながら、シングルモルトを舐め舐め「オレって怪しいオトナじゃん」などと気取った時間を過ごしていても、サービスでチョコレートが出てくると人格が変わる。わざわざオカワリして延々とチョコレートばかり食べてしまう。結局「お子ちゃま状態」だ。
いい年をした男として何事にもこだわりを持って生きていたいものだが、甘いものに関しては割と節操がない。コンビニで売っている変なプリンとか、レジ横に置かれているミニサイズのチロルチョコとかも衝動買いをしてしまう。
「最近食べ過ぎが続いたから今日は昼飯抜きだ」と決意しても、午後3時頃になると職場に隣接するコンビニでどうでもいいパフェとか大福を買ってしまう。そんなイージーカロリーに手を出すのなら、よほど近くの手打ちそば屋で軽く昼飯を食べた方がローカロリーだ。
どうでもいい安物スイーツでも喜んで食べていると、時たま食べる高級スイーツの贅沢さにぶっ飛ぶ。
写真は帝国ホテル「パークサイドダイナー」のチョコレートパフェとキャラメルクレープだ。
創作系とはいえないオーソドックスなスイーツだけにゴマカシはきかない。“本気で作りました”という雰囲気が漂う。大量生産工業品的甘味に馴れている舌をビックリさせてくれる。
キャラメルクレープのソースがまた「苦み走ったイイ男」だ。オトナの苦みだ。私が愛する“日本人好みの正当派ホテル西洋料理”の延長線上にある「東京の味」だと思う。ゼヒ一度お試しあれ。
甘味の中でも本来私は洋菓子より和菓子のほうが好きだ。もっちり系の食感に弱いので、モチ系、ういろう系、すあま系?がとくに好きだ。こしあんなら尚更嬉しい。練りきりも見るだけでヨダレが出る。
日持ちしないのでごくごくたまにしか注文しないのだが、いつも興奮するのが、名古屋・美濃忠の「上り羊羹」。一般的な羊羹のイメージとはまったく異なる食感がエロティックだ。
http://www.minochu.jp/agari/
ふわふわ、ぷよぷよ、もっちり。思春期の頃、勝手に思い描いていたオッパイのイメージみたいだ。強すぎない甘さがジュワッっと口に広がり、きっと誰もが機嫌が良くなる味だと思う。
その他にもいろいろオススメはあるので、いずれ紹介してみたい。
ちなみにわが社が出しているオーナー経営者向けのフリーペーパーである『オーナーズライフ』の人気コーナーを紹介したい。
「美女が選ぶ逸品の逸話・社長の手土産」というタイトルのこのコーナー、毎号女性経営者が気の利いた手土産を紹介する企画だ。
毎号紹介される手土産候補の逸品は2点。甘味が紹介されることが多い。最新号では人気のマカロンとラスクが登場。うまそうです。
2010年9月17日金曜日
内臓を覗かれた日
内臓を覗かれてきた。おまけに私の知らない間に盗撮までされた。いつも南国の海やプールで見知らぬ女性の水着姿を盗撮している私に対するしっぺ返しだ。
オカマでもないのにお尻の穴から挿入されてしまった。カメラを。口からも遠慮なく特殊なカメラが入ってきた。裸を見られるのは恥ずかしいわけだから、裸のその先である中身を見られるのはもっと恥ずかしい。
「恥ずかしさと快感は紙一重だよ」などといつも女性を洗脳するように言い聞かせる私だ。その言葉にウソはなかった。まさに快感に浸る時間だった。
年に一度の胃と大腸の内視鏡検査だ。今年は体調不良もあって予定より早い時期に受診した。銀座1丁目にあるクリニックにはもう5年ぐらい通っただろうか。ある意味「銀座の馴染みの店」?だ。
このクリニックの素晴らしいところは、薬物注射で私にめくるめく快感を与えてくれる点だ。押尾君もここに通えば犯罪人にならないで済んだだろうに。
検査の前に特殊な鎮静剤でコロッと落としてくれる。血液検査の注射のついでにその薬物は注入される。麻酔ではないので、実に緩やかにホワワンとさざなみが押し寄せるように意識を失う。
意識を失うまでの時間が醍醐味。徐々に視界が狭まり、浮遊しそうな感覚にとらわれる。この快感を長く味わいたいために必死でシャキッとしようと抵抗してみる。抵抗むなしく母親の胎内に潜り込むかのように落ちていく。
落ちないようにドクターにとりとめのない話を持ちかけてみるが、あれよあれよという間にロレツが回らなくなる。「来た、きた、キタ~~」とつぶやいて意識を失う。
眠れない夜にゼヒ欲しい薬物だが、以前、ドクターに「売ってくれ」と頼んでも売ってくれなかった。
目がさめる頃には、小部屋の中でポツンと一人寝かされている。本当に検査されたのかも分からないぐらいほとんど記憶はなく、ぐっすりだ。それでもスタートから起きるまでざっと1時間から1時間半程度だ。
有難いことに割としょっちゅう見つかるポリープは2年連続で無し。びらんだとか憩室はレギュラー。胃と食道の境目に気になる色素変化があって細胞検査に回されたぐらいで特別厄介な状態ではなかった。逆流性食道炎は相変わらず好転していないが、その程度なら私にとって充分合格点だ。
それにしても今回の鎮静剤、効きにくかったというか、私がムダな抵抗をしすぎたせいで、ラッキーなことに?普段より多めに注入された。
おかげで検査終了後もフワフワ感がずーっと続いた。それはそれでかなり気持ちいい。
朝から絶食状態で検査が終わったのが午後2時半過ぎ。フワフワ感のまま空腹を満たすためにドカ食いするのが私のお決まりのパターンだ。
今回はタクシーでワンメーターの日本橋「たいめいけん」に行った。この時間なら空いているだろうから、ポリープがなかったことに祝杯を上げないといけない。
鎮静剤とアルコールはフワフワ感と睡魔が増長するのだが、それはそれ。コールスローをツマミにエビスビール。朝から下剤用のドリンクぐらいしか飲んでいなかったので、恵比寿様が五臓六腑に染み渡る。グヒヒ。
単品注文したカニクリームコロッケの登場だ。タルタルソースつきだ。ウスターソースも混ぜてベチョベチョと食べる。恵比寿様も好調だ。最高だ。恥ずかしさに耐えた私の素っ裸の胃が喜ぶ。ウホホ。
まもなく、タンポポオムライスなるものが運ばれてきた。何種類かあるオムライスの中で何となく選んだ一品。チキンライスの上に大ぶりのプレーンオムレツが載っている。
オムレツを真ん中あたりで割るとトロトロフンワリのオムレツがビュワッ広がる。結構楽しい。デミソースとかではなく、ただのケチャップを使うのが面白くないが、オムレツがやたらとウマい。優しい味でオジサン向きだ。ペロペロ食べる。
食後ふんわりしたまま職場に向かう。ダメだ。フンワリモードが消えない。非常階段の踊り場で葉巻をふかしたぐらいでとっとと帰宅してしまった。
ダメダメな1日だ。まあ健康管理も我々にとって重大な任務だ。普通なら1泊2日の人間ドックでやるような項目をほとんど半日でこなしたのだから許してもらおう。
2010年9月15日水曜日
コラム
このブログでたまに小難しい話を書くことがある。私がただの酔っぱらいエロオヤジだという事実を隠すために真面目な話を書いているわけではない。
タネあかしをすれば、仕事で書いているコラムがベースだ。わが社の新聞の1面にあるコラム欄に書いた内容を膨らませてここに載せることがある。
新聞記事の基本は事実の客観的報道だが、新聞社自体の考えや主張、各記者の個人的見解などを載せるのがコラム欄。朝日新聞でいえば「天声人語」などがそうしたスペース。
大新聞のコラム欄であれば、執筆担当の論説委員はその業務しかしない。それを書くことだけが仕事。私の場合そんな悠長なことは無理。いろんな業務やら雑用の合間に書くことになる。ヘタすると締切日の夕方になっても書き忘れたままで催促を喰らう。
だから大したものが書けない。と、言い訳をするのもスマートではない。専門新聞なので、ある程度テーマは限定される。何かと苦労する。
まあ、そうはいっても、遊んでいる時にでもふとコラムの題材を思いつくことがあるから、その点ではボケ防止に役立っているのだろう。
旅先の経験が思わぬネタになることも多い。エジプトの博物館が貴重な遺物なんかをオープンに展示している場面に遭遇すれば、「過度な規制」が題材になるし、カリブ海のリゾートが実践していた海洋保護の先進性を見て「環境政策」を書いたこともある。
マレーシアで地方選挙がお祭り騒ぎになっている現場を目撃すれば「投票率問題」を取り上げ、韓国の骨董品国外持ち出し規制でヤバい目に遭えば「文化財保護の重要性」を書いてみる。
遊びといいながら、より良い?紙面作りに役立っているわけだ。そのせいか何か書くたびにネタ元になった旅行費用を会社の経費にできないか考えるのだがさすがにそれは都合が良すぎるか。いや、もしかしたら、一部の費用ぐらいなら経費にしちゃっても税務署が文句を言うことはないかもしれない。
そんなこんだで、今日は最近書いたコラムをそのまま載せてしまおう。民主党代表選がまだ決着していなかった先週の段階で書いたものだ。
何のことはない。沖縄に遊びに行って見聞きした話がベースだ。航空券代ぐらい経費にしてもらえないもんだろうか。
▼基地問題で揺れる沖縄。「戦争は終わっていない」という表現をいろいろな場面で耳にするが、身近にある命の危険という意味では不発弾問題がその最たるものだろう
▼大空襲を経験した東京でも時たま不発弾発見がニュースになるが、沖縄の場合、毎月のようにどこかで不発弾処理が行われている。本土で何気なく暮らしていると想像もできない日常だ
▼当時、沖縄では「タタミ1畳に1発」といわれるほど膨大な量の爆弾が空から降ってきた。本土では国による終戦処理事業として行われた不発弾処理だが、長く米軍占領下にあった沖縄では対策が遅れた
▼すべて撤去するにはまだ100年近くかかるという話もある。終戦後、昨年までに不発弾が原因と見られる爆発事故で700人以上の命が奪われ、1千人以上が負傷した。現在進行形のまぎれもない「戦災」だ
▼民主党代表選の行方に注目が集まっている。どちらが首相になるにせよ沖縄問題の行方が気になる。米軍の本土上陸を阻止するため、ひいては戦争終結、国家再建のために犠牲になった沖縄。65年経ったいま、あらためて思いを馳せたい。
2010年9月13日月曜日
ヒュー・ヘフナー
「ヒュー・ヘフナー」。この名前、ある年齢以上の男性には独特な響きを持つ。
「PLAYBOY」の創刊者であり、その生きざまもまた同誌のイメージそのものの人。現在84歳。まだまだ元気で活躍中らしい。
私にとって、「ヒュー・ヘフナー」は、トラとかライオンをかっさばいたじゅうたんの上で金髪美女を何人もはべらせてブランデーグラスを手に不敵に微笑むオッサンだ。
確か私が小学校高学年の頃、日本版「PLAYBOY」が鳴り物入りで誕生した。週刊プレイボーイとは全然異なる大人向けの高尚かつ魅惑的な雑誌だった。
祖父が自宅で定期購読した。そりゃあ小学校高学年の僕ちゃんは大興奮で、ひっそり隠れて拝見していた。
記憶はおぼろげだが、ヒュー・ヘフナー本人も宣伝塔として雑誌によく登場していた。いつも美女をはべらせていた気がする。
「このオッサン、たまんね~暮らしだなあ」。子供心にそう思った。ちなみにウィキペディアで出てきた彼の情報にはこんな一説が記載されている。
~~~1988年には、ヘフナーの娘であるクリスティー・ヘフナーがPLAYBOY社のCEOに就任(現在は取締役会長も務める)したことで、経営の第一線から身を引く形になったものの、現在も「プレイボーイ・マンション」と呼ばれる豪邸に正妻を含む多数の女性と暮らす他、数々のメディアに登場するなど、「PLAYBOY」誌の「哲学」を身を持って体現するライフスタイルを続けている~~~
最敬礼したくなる。「正妻を含む多数の女性と暮らすジジイ」だ。それはそれで大変なときもあるだろう。
オトナになった私は、ごくたまにバンコクとかソウルとかススキノとかで、「はからずも」、「ひょんなことから」あられもない美女達に囲まれて過ごしてしまうことがある。
そういうとき、自分がヒュー・ヘフナーになったような錯覚を覚える。子供の頃の印象は相当強く自分の中に刻まれているようだ。
世界各地で現地版が創刊されたほどの「PLAYBOY」の流行は、アメリカ大好きの日本でも物凄かったようで、その後「プレイボーイクラブ」が六本木に誕生するに至った。
バニーガールがウロウロするレストランバーの元祖だ。新しもの好きの祖父は最初の頃からメンバーになっていたようで、それこそひょんなことから私も同行する機会があった。
小学校高学年、思春期の入口あたりの僕ちゃんだ。感想はただ一言「ぶっ飛んだ」。
バニーガールがウロウロだ。お尻プリプリだ。胸の谷間からライターを出してお客さん相手にタバコに火をつけている。
クラクラした。子供なのになぜ連れて行かれたかというと、ファミリー向けのクリスマスパーティーみたいなイベントだったから。35年ぐらい前の話だ。随分ハイカラだ。
そういう事情なのできっと普段より妖艶さは控えめだったのだろうが、子供だった私には刺激が強かった。表現するなら酔っちゃった感じ。バニー酔いだ。
1970年代の夢のような記憶だ。
祖父も亡くなり、日本版「PLAYBOY」も廃刊になり、プレイボーイクラブも今はない。
残ったのはバニー好きのエロオヤジになった私だ。Tバックが好きだと広言してはばからないのも、きっとあの日、バニーガールのお尻の食い込み加減が強く脳裏に刻まれたからだと思う。
先日、会社の人間と食事をしたあとに「どっか画期的な店に連れて行け」と無茶な指示を出した。連れて行かれたのは池袋にあるバニーちゃんの店だった。
バニーちゃんがいっぱいいた。しみじみ眺めた。凝視した。穴があくほど見続けた。
幼かったあの日、バニー様を前に顔をあまり上げられなかった初々しさは今はカケラもない。
そんな私だ。
2010年9月10日金曜日
ダウンちゃんの話
久しぶりにわが家のダウンちゃんの話を書く。今年の初めにこのブログでヤツのことを書いてから7ヶ月が経った。7ヶ月前の内容を今と比べて読み直してみると、わが家のダウンちゃんの発育の遅さを痛感する。
まだ赤ん坊レベルだ。可愛いと言えば可愛いが、せっかちな江戸っ子である私としては時にイラつく。まだまだ私自身、修行が足りない。
ダウン症は一種の発達障害と位置付けられている。要は、すべてにおいていちいち遅い。時間がかかる。うちのチビは年が明ければ4才になるのだが、いまだに話さない。意味不明の言語らしきものが増えたので、専門家に言わせると良い兆候だという。
よく噛んで食べるものを与えないといけないらしい。そうはいってもヤツは麺類ばかり要求する。なかなか固いものを食べるチャンスがない。固くなくてもヨーグルトみたいな食べ物は咀嚼によい効果があるらしい。いろいろ工夫しないといけない。
いずれ話せるようになるのだろうが、はたしてどれだけ明瞭になるか怪しい。健常に生きてきた自分からすると不思議だ。見たところ口の形、口の中の形は普通なのだが、なかなか喋らない。
「バイバイ」は「バ~」だし、「オイシイ」は「オイチ」とか「オッチ」だし、「ごちそうさまでした」に至っては「ッタ」だ。最後の一文字だけだ。省略しすぎ。
明瞭に発音できるのは「パパ」ぐらい。いまだに「ママ」が言えない。私としても鬼嫁の手前、「パパ、パパ」言われるとチョット困る。早く「ママ」と言えるようにならないと何かと家庭内の空気に問題がある。頑張って欲しい。
まあ、そういいながら実に緩やかに進歩している部分もあって微笑ましい。あまりのノロさのせいで、健常児の育児だったら気付かないようなちょっとした進化でも喜べる。
「糸巻き巻き」とか「グルグルドカン」とかのジェスチャーである腕を胸の前で交差させながらグルグル回転させる動作が最近突然できるようになった。いままでは広げた腕をヒラヒラさせていただけだから大進歩。そんなことでも大喜びできる。誉めてやると得意になって笑う。なかなか楽しい。
8月も保育園に通って周囲の子ども達から随分と刺激を受けた。週に2回通っている支援学校は夏休み明けの9月から再開したが、どうも座学的なこと、勉強に関わることはすべて苦手らしい。そういう点は私に似ている。
思えばおむつ着用の時間がとても少なくなった。起きている間はほぼパンツ着用だ。失敗もほとんど無い。トイレをきちんと知らせるようになったことは1年前に比べて大いなる進歩だ。喜ばしい。
とはいえ、オシッコだろうと「大」のほうだろうと全部が股間を押さえながら「チー」という表現だ。
洋服の脱ぎ着も一応、自分でやろうとする意識が出てきた。全然できないのだが、自発的にやろういう動きが出てくれば、あと2~3年ぐらいでこなせるようになるだろう。
いちいちノンキに待たないといけないのがおっくうだが、こっちも健康でいてやらないと、いずれするであろうキャッチボールとか、自転車乗りの練習なんかの際にこっちが老人になっちゃいそうだから大変だ。
他にもこの1年で、公園のすべり台の階段をずんずん一人で上っていけるようになったし、オモチャを大きなオモチャ箱に入れられるようになった。寝る前に眼鏡を外して決まった場所に置くことも覚えた。
手の動きで「~をちょうだい」という要求ができるようになった。置いてきぼりにされたときに恐怖感を覚えるようになったなど随分進化している。
そういえば歯磨きらしきことも一応毎日やっている。毎日、歯ブラシを突っ込みすぎて吐きそうになっているが、原理原則は分かってきたようだ。
合併症も無く、とくに持病がないことはつくづく有難い。私自身、うちのチビのおかげで様々な障害を持つ子ども達の存在を知ることができた。そういう面では恵まれた状況で育っているウチのチビにも何かしらの役割というか使命があるのだろうと感じる。
そうこう言いながら、いま私が気になっているのが上の子だ。小学校3年生の女の子だ。いろいろややこしくなる手前の年齢だ。
先日から『障がいをもつこどもの「きょうだい」を支える』という本を読んでいるのだが、案の定、娘に接する私の態度の多くが“問題あり”みたいだ。ちょっと考えさせられる。
たかだか9歳だ。少し特殊な弟を持ってしまったという事情を考えると、親から見て「よい子」であればあるほど危険度は高いらしい。
分け隔てなく接するよう心掛けているが、状況が状況だから微妙な部分もある。理解させようとしても限界はある。理解してくれているだろうという親の希望的観測は子供心にどう影響しているか考えないといけない。
先日、私がずーっと家で不機嫌にしていた時のこと。かつて私がライブの土産に買ってきた子ども用の「ハマショー」のTシャツを娘が着てきた。随分と趣味の悪いデザインのTシャツなので、多分ご機嫌伺いだろう。
娘のせいで不機嫌だったわけではなかったのだが、娘がそういうところに過敏に反応していたのならマズい。ちょっと繊細というか神経質だ。考えすぎだろうか。
まあ、そんなことをイジイジ考えていても仕方ない。「ケセラセラ」でいかねば、こっちもバテる。また今度じっくり考えることにする。
また話が飛ぶ。
それにしても残念なのは、ダウン症という名称だ。多くの人が“アップ、ダウン”のダウン、すなわち、「下」とか「落ちる」とか、ネガティブなイメージの言葉が由来だと思っている。
実際の由来は、「ジョン・なんとか・ダウンさん」という研究者の名前が元になっているだけの話。決して上下の下という意味合いではない。
この研究者の名前が、アップさんだったらアップ症だったし、エルメスさんならエルメス症だったわけだ。よりによってダウンになっちゃったのは実に残念。
相変わらずいろいろ葛藤もあるが、ウチのチビの福笑いみたいな顔を見ていると、束の間だがフワっとした気分になれる。随分助けられているのかもしれない。
2010年9月8日水曜日
ネクタイ
誰が言い出したか知らないが、クールビズとやらのおかげで、クソ暑い中ネクタイをしなくて済む風潮が根付いてくれた。
今年は過去100年の間でもっとも暑かったそうだし、9月に入っても猛暑が続いている。ネクタイを締めて背広の上着を着る場面は拷問そのものだ。
今日の話題は、「小沢vs菅」の行方がネクタイの有無も無関係ではないような気がしたから。
先週末の街頭演説では、小沢氏はかっちりネクタイに上着着用、菅首相はノーネクタイでワイシャツ一枚という対極のスタイル。
菅首相の襟の高いワイシャツは、「ただネクタイを外したオッサン」とは違う、いわゆるドゥエボットーニ。こなれた雰囲気を醸しだす作戦だ。
はたして、この部分がどういう影響を大衆に与えたのだろうか?菅首相の軽やかで爽やか、かつ若々しさを意識したスタイルはある意味、民主党っぽい感じ。
対する小沢氏は、あえて民主党っぽさに背を向けた古き良き時代の自民党を連想させる雰囲気とでも表現すると分かりやすい。
まるっきり私見だが、炎天下の中で上着にネクタイの小沢氏のほうが格段にプラスのインパクトを与えていたと思う。民主党への不満が強まっているタイミングだけに、民主党っぽい雰囲気をあえて抑えている戦略だとしたら凄いことだと思う。
確かに菅首相の見た目は爽やかだが、いま国民心理は次期首相に爽やかさを求めているとは思えない。「重量級かつ質実剛健」に飢えている人が多い。
素人っぽい頼りなさを振りまいていた安倍、年齢の割に軽さばかりが目立った麻生、そして、それこそ掴み所のない宇宙人だった鳩山・・・。
このところの首相のイメージに欠けているのは「どっしり感」、「重たいイメージ」に尽きる。「親しみやすさ」とか「爽やかさ」は、政権奪取後の民主党の迷走とも相まって下手をすればマイナス要因にもなりえる。
いつでも古典的な背広にネクタイという小沢氏のカチッとしたスタイルは、とっつきやすさを感じさせない。おまけに炎天下の演説でも汗をダラダラ流すわけでもない。
よく言えば泰然自若とした感じが、どこかオーディエンスに畏怖を感じさせる効果さえあるように見える。
本来、「エライ人」がとっつきやすいなどというのは幻想だ。そんなものはパフォーマンスに過ぎないし、本当にとっつきやすい人なら逆に幻滅される可能性すらある。
演説の様子も対照的だ。菅首相は不自然なほど身振り手振りを大げさに交える。不自然な動きに目が行ってしまって肝心の演説の中身が頭に入ってこない。媚びた感じにも見える。
小沢氏の場合、身振り手振りは最小。演説がウマいほうではないことを自覚しているのか、あえて、素朴な感じで正当派を演じ続けている。周囲に経つSPが猛暑でしんどそうな顔をしていても、高齢の本人は平気な顔で乱れることがない。
見た目だけでいえば、日本全国老若男女すべてをターゲットとする以上、小沢氏のカッチリ感が勝ちだろう。そのぐらい、国民の心理は保守的だ。
いざというときには、ドンくさいほどカチッとした「夏でもキッチリ背広にネクタイ」のほうが無難だ、間違いないという選択につながっていく。
もちろん、小沢氏について回るダーティーイメージは見過ごせない。「クリーン対ダーティー」とぶつかれば本来、勝ち目はない。
ところが、クリーンなほうの菅首相が、一気に支持を拡大できないところが面白い。ここが両雄決戦の大きなポイントになる部分だろう。「オトナの本音」がどういう審判をするかだ。
オトナの本音では、ベテラン政治家ともなれば、清濁併せ呑むぐらいが当たり前という感覚がある。若手でもないのにクリーン一辺倒を謳われると逆にバカっぽく見える。
「いろいろ悪いこともしてきたんだろうなあ」。小沢氏に対しては誰もがそう思っているのが事実だ。ただ、この程度のネガティブイメージは、ちょっとしたことで吹き飛ぶ。
普段カタブツで通している人物ほど気の効いたパフォーマンス一発で大いにイメージ転換が可能だ。炎天下で上着にネクタイのまま乱れずに天下国家を語る姿を見て、小沢氏にいにしえの重量級政治家を夢想した国民は相当数にのぼると思う。
カタブツがカタブツのままブレずに露出することこそが小沢氏にとって最高のパフォーマンスになっている。
選挙結果には議員間のポストの絡み、しがらみなど様々な思惑が交錯するのだろうが、国民投票みたいなスタイルだったら想像以上に「小沢首相」を選ぶ人が多いように思う。
2010年9月6日月曜日
葉巻がバカ安 円高
円高だ。結構凄いことになっている。為替動向にあまり縁のない私は、円高と聞いても「海外旅行しなきゃ!」と思う程度だ。
輸出関連企業で働く人にとっては呑気に笑っていられる状況ではない。死活問題だ。
「海外旅行しなきゃ!」と思う程度の私も“1ドル83円”という事態を前にもっと積極的にアレコレ考えてみた。
考えることは考えるが、しょせん実行に移したのは極めてベタなことでしかない。
情けないことに実行したのは葉巻の海外通販の追加注文ぐらいだ。まとめ買いすると円高メリットの恩恵はバカにならない。
キューバ・ハバナ産のシガーを専門に格安販売する業者をこれまでいくつか試してきた。ネット専業なんだろう。最初はクレジットカード情報を海外の怪しい業者とやり取りするのは不安だったが、これまで一切トラブルはない。
いま利用しているのは香港の業者だ。2週間ごとに「特別セール品」も更新されるので、その中に自分の好みの銘柄があれば、悩まずにオトナ買いをしている。
特別セール品ではなくても、日本の定価に比べると相当安い。うまくまとめ買いすれば半値ぐらいになる。
この「半値ぐらいになる」というイメージが最近の円高のおかげで大進化だ!半額どころか3分の1ぐらいで買える状況になっている。
自宅と会社にそれぞれ置いてあるヒュミドールに葉巻のストックは随分あるのだが、なんてったって「1ドル83円」だ。高価品を中心に追加注文に励んでいる。
「Cohiba」をしのぐハバナ産の最高峰シガーといえば「トリニダッド」(Trinidad)」。日本での定価も格段に高い。
画像はロブストサイズの逸品「Robusto.T」だ。シルキーでミルキーでアロマたっぷりで抜群の芳醇な味わいが楽しめる特別な一本。
日本での定価は1本3400円。ちょっと腰がひける値段だ。紙巻きタバコなら10カートン、200本分も買えてお釣りが来る。
この法外な値段が円高メリットでどうなったかというと、なんと1本1373円で入手可能。
私が利用しているサイトでは、「12本パックで194ドル」が通常価格。1本あたりの単価を1ドル85円のレートで計算するとそうなる。
次に多くのファンを持つコイーバのロブスト(Cohiba Robusto)を見てみよう。25本入りのボックスだと一本あたり15.6ドルで購入可能。1ドル85円で計算すると1本1326円。日本での定価は1本3300円。ドヒャーって感じだ。
おなじくロブストサイズで私の大好きな逸品がファン・ロペス(Juan Lopez)のセレクション№2。こちらも日本での定価は1本2300円だが、サイト上では10本セットで1本あたり8.4ドルで購入可能。つまり1本あたり714円だ。
名ばかりのエセ富豪である私としては、これだけの為替マジックを目の当たりにするとさすがに興奮する。
ちなみにいろいろな銘柄をミックスして50本注文すると仮定する。日本での定価に比べて1本につき1500円ほど得なレートで注文した場合、50本分で75000円もトクした計算になる。
私の場合、こういう計算をするとスグに75000円分の無駄遣いをしてしまう。そこが問題である。
心底バカなんだと思う。
2010年9月3日金曜日
石垣島の海
前回、酒を全然飲めなかった悲しい旅の話を書いた。旅先で酒が飲めないという事態は、「やっとの思いでベッドインに成功したのに相手が実は男だった」というぐらい切なくツラい。
実はいまだに禁酒中。禁酒といっても我慢ではなく単に飲めないという情けない状態。再来週に胃と大腸の内視鏡検査の予約を入れた。無事を祈る。
冒頭の画像は、石垣島で胃腸状態がおかしくなる前に美味しく飲んだ地ビールだ。この時は15秒ぐらいでビンを空にするぐらいの勢いで飲めたのだが、翌日からはすっかり下戸状態。
酒のない人生は抑揚のない歌のようで面白くない。やはり健康に気を遣っていつまでも痛飲したいものだ。
さて、マンタに見放された今回の水中撮影の話だ。合計6本のダイビングのうち、3本はマンタポイント。そのすべてが空振りだったので、事実上、撮影できたのはマンタ以外のダイビング3回分。
石垣島の海は、やはり沖縄本島とひと味違う雰囲気が漂っている。本島とは近いようで400キロ以上離れている。東京と名古屋ぐらいは軽く離れている距離だ。
マンタを気にせず他のポイントでじっくり潜ればその実力が世界トップクラスであることが分かる。
偉そうに書いちゃうが、私だって約25年にも渡って世界中のアチコチを潜ってきた経験がある。その目を通して見ても沖縄、とくに石垣島をはじめとする八重山の海は素晴らしいの一言。
(画像をクリックすると拡大表示できます)
サンゴの種類の多さ、元気さが抜群だ。他の地域では水深30メートルぐらいにいる珍しい魚が水深15メートルあたりでウロウロしていたり、キョロキョロすれば被写体はいくらでも見つかる。
ドン深、激流という条件で面白い海の表情を見せてくれる所は世界中にいくらでもあるが、穏やかなうえに透明度も高く、リラックスして何でも見られてしまう所が素晴らしい。
15年前にはまず見かけなかった外国人ダイバーを今回は随分見かけた。実際、今回はイギリス、イタリア、イランからのダイバー客と一緒に潜ったりもした。川平地区の外れに「CLUB MED」があることが要因だが、海の魅力が知れ渡れば、今後もこうした傾向が強まる可能性はある。
今回、マンタには会えなかったが、絶滅危惧種である貴重な海亀・タイマイにも接近遭遇できたし、可愛い顔のカエルウオもたくさん撮影できた。
こちらはマンタを待っているときに出てきたカマスの群れ。とても綺麗だったのだが、これに夢中になっているときにマンタが通過したらマズいので、ちっとも集中できずにあせあせと横目でマンタを探しながら撮影した。
それでも太陽とシルエットになった1枚は、青の色がどこか幻想的な感じがしてお気に入りだ。
でも、このカマスと遭遇した場所はマンタ待ちのポイントだ。このブルーを背景にマンタを撮影する段取りを整えていたわけだ。うーん悔しい。
きっと何年経っても、この写真を見返すたびにイジイジした気分が甦ってくるのだろう。
2010年9月1日水曜日
沖縄ドタバタ紀行
沖縄でドタバタしてきた。まさにドタバタだ。なんともビミョーな数日間だった。まあ文句ばかり言ってたら罰があたるので、「おおむね良し」と考えないといけない。
今回は本島北部の名護をベースに背底島、水納島方面を潜ろうと一人旅を計画。数日前から台風情報をにらんで問題なしと判断して出発。
台風情報というのはあくまで正式な台風になってから更新される。台風に昇格する前の熱帯低気圧があっても「現在台風は発生していません」という表示のままだ。
沖縄方面への台風接近の有無を調べるには、インターネットでフィリピンや中国の天気情報を見るに限る。日本の天気予報では沖縄は画面の端っこ過ぎて参考にならない。
出発数日前からヨソの国の台風情報をチェックしていたが、どう見ても台風の心配はなかったのでノホホンと出かけた。
台風はなかったが、熱帯低気圧がいやがった。天気図を見ずに台風情報だけを注視した私の失敗だ。那覇空港に到着。どうもイヤな雲がたくさんある。憂鬱な気持ちでレンタカーで名護に向かう。
高速の無料化実験という余計なことを実施している関係で結構な渋滞。想定外の事態にイライラする。2時間かけてようやく到着。
日本ハム・ファイターズが春季キャンプで使うホテルに泊まる。ダルビッシュも泊まった宿だ。ちょっと期待していたが、少し高級なビジネスホテルだった。
ホテル裏のディープな居酒屋で遅めの夕食。ソーキの煮付け、ソーメンチャンプルー、スーチカー、豆腐ようあたりをつまみに泡盛をグビグビ。ようやく身体も心も弛緩する。
それにしても沖縄の子どもってどうして夜の10時過ぎでも平気で居酒屋でメシ食ってるんだろう。謎だ。
ほろ酔い気分で水中撮影機材を一生懸命セットして就寝。
翌朝、雷雨で目がさめる。凄まじい悪天候だ。あらガッカリ。気分もどんよりする。そこへ「ゲゲゲの女房」ならぬ「富豪記者の女房」から電話が入る。
鬼嫁の用事をさておき、悪天候への恨み節をウジウジ語る私に鬼嫁が言う。
「グチってるヒマがあったら天気の良さそうなところにとっとと移動しろ。勝手に遊びに行ったんだから、もっと真剣に遊んできやがれ」。
正論だ。グチをこぼしていても何も解決しない。鬼嫁の指示に従うようでシャクだが、素直に行動開始。IPadを駆使して作戦を練る。天気予報では、石垣・宮古方面なら晴れバリバリマークになっている。
撮影機材をばらし、あわてて荷造り。ホテルをキャンセルして、豪雨の中、昨夜来た道を那覇空港に向けてぶっ飛ばす。レンタカーを返して空港にダッシュ。ヘトヘトだ。
ところが空港の航空券発売カウンターには結構な人の列。石垣島で午後からのダイビングに参加するのは、その便に乗らないと厳しい。出発時刻まで残り25分。予約すら無い。さすがにあきらめかける。
ふとiPadの存在に気付く。全日空のサイトに接続すると、出発直前にも関わらずその便にオンライン予約ができた。
搭乗手続きカウンターも混雑していたので、「プレミアムクラスの普通運賃」というアホみないな値段のチケットを予約する。混雑をヨソにガラガラのプレミアムクラス専用のチェックインカウンターへ。すんなり機上の人となる。
1時間弱で石垣島到着。タクシーで目的地である川平(かびら)地区に向かう。川平を選んだ理由はただ一つ。すでに貴重な潜水日程の半日分をムダにした以上、リベンジには「マンタ」しかない。
川平石崎のダイビングポイントは8月や9月ならマンタ遭遇率80~90%とも言われる。私自身、15年前に川平でマンタとの接近遭遇を体験している。世界的にも珍しい場所だ。天気も良いし、フィッシュアイレンズを駆使してマンタを撮影しまくろうと企む。
バラした撮影機材をタクシーの中で改めて組立てる。ヘトヘトだ。目星をつけたダイビングショップには那覇空港から予約を入れておいた。急な1人客ぐらい受入れてくれそうな名の通った老舗を選んだ。
ダイビングショップに到着。急いで支度をする。なんか行動内容が若者みたいだ。中年オヤジの動きとしては確実に無理がある。
ヘロヘロだ。
とりあえず、気合いを入れて午後のダイビングに参加する。図々しくマンタポイントに行くようにリクエストする。
この日、昼前のダイビングでマンタの乱舞が見られたそうだ。他のお客さんの中には同じ場所に潜りに行くことに不満そうな人もいた。私が笑いながらにらみつけたこともあってマンタポイントに出発。
朝からの行動で既に電池切れの私だ。マンタポイントは水深12メートル程度の場所でただボーっとマンタが来るのを待つスタイルだ。ちっとも体力を使わないのでその日の私には好都合だった。
でも、マンタは来なかった。そんなもんだ。まだチャンスはある。この写真のように漫然と皆さんでマンタ待ちをする。
急な日程変更だったので民宿に泊まる覚悟でいたが、ここでもiPadを駆使してみた。ヤフーの旅行サイトから川平の外れにある「石垣シーサイドホテル」に空きを見つける。急きょ予約する。8月終わりの週末にしては乱暴な行動だが、なんとかなるものだ。
ふた昔前のリゾートホテルって感じだ。チェックインの際、ホテルの都合でアップグレードされてコテージに通された。
アジアンリゾート風ログハウスという感じだ。清潔だし、広くて快適。おまけにテラスには専用露天ジャグジー付きだ。
川平地区には繁華街がないため、ホテル内の食堂のようなレストランで夕食。和食と沖縄料理を組み合わせたセット料理を注文して、グビグビ泡盛タイム。
その後、星空を見ながら葉巻をふかして、お疲れ気味だったので早めに寝る。
ここで事件発生。11時頃快適に眠りに落ちて、明け方5時頃目がさめる。何か気分が悪い。そこから約2時間ほど嘔吐と下痢だ。
食あたり?熱中症?思い当たるフシはない。悩みながら吐き続ける。7時過ぎに少し気分が良くなる。レストランで少しだけおかゆを食べて胃腸方面を落ち着かせる。
そんな状態で8時過ぎにダイビングショップから迎えが来た。準備しながらコッソリ隠れてトイレでもう一発吐いておく。マンタに会えればスッキリするはずだ。
その日もマンタは現れず。
夕食時、習慣でビールを注文。口を近づけただけで吐き気復活。全然飲めず。メシだけはしっかりバイキング料理を食べて翌日に備える。
部屋に帰って寝ようとしていると沖縄特有の怪しく光る巨大ゴキブリが現れた。死ぬかと思った。冷や汗を5リットルほど流す。
部屋の殺虫剤でなんとか退治したのだが、ご遺体を部屋の外に護送する作業に手間取る。恐ろしくて何度か気を失ったので時間がかかった。疲労困憊。
さて翌日。無事に朝を迎える。天気は雨。チクショー。マンタの写真は快晴の状況で撮りたかった。
石垣島は天気が悪いと避暑地だ。東京より遙かに涼しい。さてこの日、マンタトライ3回目。満を持して水中へ。ひたすら待つ。結局、ヤツは来なかった。
「3の0」。この時期のマンタポイントではかなり珍しいそうだ。皆さん同情してくれる。ダイビング終了。夕方ホテルを引き払って石垣市内に移動。最後の晩餐は気の効いた店でしこたま呑みながら過ごそうと画策。
市内繁華街そばにサウナ付き大浴場のあるホテルがあると聞き、移動するタクシーの中から予約してみる。「チサンリゾート」というホテル。
重い荷物をタクシーから下ろしている姿を見ても誰も手伝いにこないレベルの三流ホテルだった。チェックインのあと「荷物は部屋に運んでくれないのか」という私の質問に対する答えは「ええ」というステキなお言葉。ついでに「台車はご自由に使ってください」ときたもんだ。
どうでもいいレベルの大浴場のせいでこんな場所で一夜を過ごすことに痛恨の思い。ツキに見放されている。イライラ荷物を運んでいたら裸足にビーサンの足に台車をしこたまぶつけて出血。最悪。
仕方なく、サウナでウサはらし。その後、雨の街に出て行く。どうも調子が良くない。食欲もない。日暮れとともにアル中モードになる普段の私とは別人のような感覚だ。
結局、この日も酒抜き。翌日と併せて3日連続で酒抜き。
結局、ソーキそば一杯だけで今回の旅行の最後の晩餐は終了してしまった。さえない。
翌朝、ホテル近くの食堂でモーニング・ソーキそば。昼出発の飛行機が少し遅延した関係で、空港内の食堂で昼飯。またまたソーキそば。3食続けてソーキそば。
不完全燃焼な旅だった。やはり、8月初旬のビンゴ大会で一等賞を当てた時点で、ツキはすべて使い果たしたのだろうか。