2008年6月30日月曜日

プチ愛国心

愛国心とか言うとすぐに右翼のレッテルを貼られてしまうが、私の愛国心はそんな大げさなものではなく、「日本的なものが好き」という水準。

海外でもすぐに日本食を探すし、洋酒より日本の酒が好きだし、最近はお金がないせいもあるが、スーツだってヨーロッパブランドではなく日本製だ。

スノッブな高級ホテルより日本旅館が好きだし、温泉旅行にはいつも“MY・作務衣”を持参する。花だって断然、和花をヒイキにしている。紫陽花や菖蒲、水仙なんか妙に惹かれる。ちなみに一番好きな花は梅です。

趣味の陶器集めも基本的に日本の伝統的なものに興味が集中する。日本の陶器に惹かれた理由は色々ある。西洋食器の有名ブランドはたいてい日本の磁器の模倣から始まったことは知る人ぞ知る話。そんな少し誇らしい話も私の器道楽に影響した。

江戸時代、ジャポニズムの流れで西洋諸国がこぞって買い付けたのが伊万里製の磁器。その透けるような白さに加えてエキゾチックな絵付けが大人気となり、現地でもさかんに伊万里焼のデザインが参考にされた。

ブランド品として確固たる地位を築いているドイツの「マイセン」。定番の「ブルーオニオン」シリーズの来歴がちょっと面白い。古伊万里の絵付けでさかんに使われていたザクロの模倣がすべての起点。

当時のヨーロッパの人々にザクロは馴染みがなく、「いったいコリャ何だ?」「きっとタマネギだろう」といった感じで現在まで脈々と作られ続けている。

なんでもかんでも外国の高級品を無条件に持ちあげてしまうのが日本人の悪い癖だから、こんなエピソードはもっと広く知られて欲しい。

プチ愛国心とは別に日本の陶器に魅せられた理由が、その世界で使われる用語の美しさ。

最初の写真は備前焼の中皿。携帯で撮影したので綺麗ではないが、3カ所の丸い柄に赤茶けた緋色の線が走っている。これは「火襷(ひだすき)」と呼ばれるもの。

もともと窯のなかで器同士がひっつかないように器に藁を巻いていた部分が焼成段階で科学変化を起こし、器肌を彩る文様になった。現在では、作為的に火襷をアレンジすることで器の表情に変化を与えている。
“火のタスキ”という表現を思いついた先人の卓越した言語センスに脱帽だ。

同じ写真の丸い部分の外側は、フチに近い部分の茶色とは異なり、黄色がかった色をしている。この部分は「胡麻(ゴマ)」と呼ばれ、窯のなかで飛び交う薪の成分がゴマ状に降り注いで付着することから名付けられた。

そして3カ所の丸い部分にも呼び名がある。大量の器を窯に詰め込むには器の上に違う器を重ねる必要がある。写真の皿の場合、丸い部分は徳利か小さめの花入れあたりを乗せたような感じ。別の器が乗っていれば、その部分には直接炎があたらず、周辺とは景色が異なる。いまでは、意図的にこうした景色の“ヌケ”を作ることが多い。この部分は「牡丹餅(ぼたもち)」と呼ばれる。

次の写真は唐津焼の食器。この形状は「割山椒(わりざんしょ)」という名前だ。見た目通りの表現だが、山椒の実が割れた形に似ていることから名付けられた呼び方。なんとも詩的だと思う。

会社のデスクの上で徳利の胴から下を写した写真は、釉薬の流れが上から下に茶色く写っている。垂れていった終着点で玉のように固まった状態を「玉垂れ」と呼ぶ。なんの変哲もない言葉のようではあるが、昔の人の情緒を感じさせる言葉だ(ところで、どうして職場に徳利を置いているのだろう・・・)。

備前の徳利が2本並んだ写真の左側の形状を「鶴首徳利」と呼ぶ。端正な細長い首部分を鶴の首に見立てた表現は、やはり詩的センスに優れている。

情緒のないガサツな人間ほど、コンプレックスの裏返しで、情緒豊かなものに惹かれるらしい。まさに私のことかもしれない。

2008年6月27日金曜日

銀座 華味鳥

また水炊きが食べたくなった。今月10日にこのブログでも書いた新宿「玄海」とは別の店に行こうと、銀座にある「華味鳥」を訪ねた。

福岡に本店があるこのお店、本場の水炊きを堪能させてくれると評判なので期待して出かけた。お店は博品館ビルの上階。気軽な店構え。重厚感はないが、安っぽいほどでもない。

コース料理を注文した。付きだしと一緒に出された「酢モツ」がおいしい。臭みのないサッパリしたモツを淡い味わいの酢の物にアレンジしている。酒飲みには嬉しい一品。

適当な前菜が続いた後、特製の明太子がそのまま登場。味は強すぎず、辛すぎないのにしっかりパンチが効いた上等な明太子だった。明太子を何かにあえたり、中途半端な創作料理のようにするなら、一品としてそのまま出す方が正しいと思う。アルコールが進む。

その後、もも肉の炙り焼きが登場。熱した状態の石皿に乗って出されるため、音も心地よい。健康的に締まった肉質が鳥好きの私には堪らない。実にジューシー。

そして水炊き登場。早速スープを味わう。これについては、新宿「玄海」の方が断然私には美味しく感じた。こちらのお店は、玄海の真っ白スープとは異なり、半濁というのか、多少透明感が残っている。

豚骨ラーメンスープと塩ラーメンスープとの違いのような感じ。もちろん、味はしっかりしており、コラーゲンのヌメッとした感覚もある。まあ好みの問題だろう。

ぶつ切り肉を食べてみる。鍋でぐつぐつされていた割には、締まった肉質がキープされていて、スープが染みている分、旨味が広がる。新宿「玄海」の煮込まれてほろほろほぐれる肉とは大分感じが違う。ぶつ切り肉は、こちらの店の方が私の好みだ。

テーブル横で店の人が器用に丸めて鍋に放り込んでくれるつくねもそれなりに美味しかった。ぶつ切り肉に比べると軽い味とい
うか単調な味で感動するほどではない。

その後、レバやハツが鍋に加えられる。鮮度の良い素材だけに、クセはないが、個人的には、この手の内臓系は鍋の具材にするより焼いて食べた方が美味しいと思う。

お店特製のポン酢は、実に優しい味わいで気に入ったが、鍋で煮た内臓を食べるには役不足に感じた。

結局、ぶつ切り肉の美味しさは印象に残ったが、その他は普通。ちょっとインパクトが足りない。鳥がとくに好きではない人なら魅力に乏しいかも。

ちなみに鍋には、当然のような顔をして野菜が用意される。私は当然のように一切れも入れなかったが、スープが薄まらないように白菜ではなくキャベツを使うのが特徴だそうだ。

そんな配慮をするのなら初めから野菜抜きにしちゃえばいいのにと思った。

新宿「玄海」のファンである私は、あの店の鍋に一切野菜を入れる発想がないところが気に入っている。この「華味鳥」もそうだが、同じく銀座にある水炊きの老舗・「新三浦」もどうして野菜を入れたがるのか、私には不思議だ。

2008年6月26日木曜日

経営者が考えること


富裕層向けのメディアは数多いが、いつも不思議に思うのが、企画の大半が脈略なくお金を使わせる発想ばかりだということ。

富裕層をターゲットにしたものだけでなく、最近やたらと増えてきたリタイア後の団塊世代向けの情報も同様だ。

豪華客船でのクルーズとか、別荘ライフとか、リタイアして時間ができたからという理由だけで、やたらと消費を煽るような企画が多い。

実際には、富裕層も団塊世代ももっと堅実なことを考えている。老後不安、年金不安などで、よほどのお金持ち以外はもっとシビアな発想で行動している。

富裕層というくくりも、思えば乱暴だ。年収5千万円と年収10億円では、20倍の開きがあるわけで、当然ひとくくりにはできない。

一般にイメージされる富裕層は「社長さん」だろう。それもオーナー企業の経営者だ。この人々を富裕層と捉えるなら、彼らの頭の中では、豪華クルーズや別荘ライフの優先順位は低い。

あくまで会社経営と周辺状況のことが頭の中を支配する。もちろん、謳歌すべき余暇のことも考えるが、そこでも経営する会社との絡みが重視されがち。

新しい高級車のCMを見れば、「会社名義で買えば1年あたり結構な減価償却費を計上できるな」とか、別荘ライフについては、「社有資産としての利回りはどうだろう」と考える。

旅行に関しても「今度の出張と上手く組み合わせる日程にならないか」といった発想をする。

個人の財布、会社の財布という二つの財布を持つオーナー経営者にとって、二つの財布の使い分けは大きいテーマだ。会社が好調であれば、経費の効率的な使い方を必死で考えるわけで、いわば節税の観点でモノなりレジャーを捉えていることが多い。

単に、エーゲ海クルーズだ!軽井沢にリゾートマンションだ!などと舞い上がっている感覚とは随分違う。

節税的観点でのモノの見方は、当然、「対税務署」にも向けられる。「社用車で買うにはあのクルマは派手すぎるかな」とか「社有不動産を福利厚生施設として処理する際の注意点は?」とか、税務調査の際などに調査官から突っつかれないかを必然的に考える。

結果的に、そこそこ好調な企業の経営者であれば「税金的観点」はついてまわる。この観点が欠落していたら、コスト感覚の点で経営者失格と言ってもいいだろう。

さてさて「経営者の税金」。こうやって分析すると非常に重要なテーマであるにもかかわらず、一般的にはこのキモの部分が認識されていない。

経営者向けの雑誌は数多く存在するが、上記した「二つの財布」の勘どころを取り上げているものはない。制作サイドが、経営者のキモの部分に迫っているとはいえない。

かたや税金の専門メディアはこれまた極端。専門家向けの解説に終始し、経営者に必要な“ヒダ”の部分にはさほど触れない。あくまで税理士や経理専門職の人の実務指南書的な要素が強く、ターゲットも当然、専門家だけ。

税務関係業界では「納税通信」は異色な媒体だと評されることが多い。「納税通信」は企業経営者目線で、上記したような「経営者の税金」をあれこれ取り上げていることが理由だ。

専門媒体なのに専門家を主なターゲットにしていないことが異色に映るのだろう。こちらサイドにいると、税金の情報を税金の専門家だけに発信する方が異色に思える。

確かに経営者の間からは「税金は難しいので顧問税理士にまかせている」という声をよく聞く。税金の細かいことを経営者が把握しきれないのは確かだ。でも、そんな経営者だって会社の経費の使い方、自分と会社の“二つの財布”には神経を使う。

「税金的観点」、「節税的感覚」と言い換えれば、世の経営者が日々考えていることの多くが実は税金に絡んでいることがよく分かる。

経営者が欠かせない「税金的観点」のエッセンスが盛り込まれた唯一の媒体が「納税通信」。多くの経営者から“座右の1紙”と評価していただいている。

2008年6月25日水曜日

「鮨処やすだ」

このブログで2度ほど書いた池袋の「鮨処やすだ」。開店して7か月ほど。さすがに混雑してきたようだ。一人でふらっと行くときでも、電話で確認しないと入れないこともあるので、確実にファンを広げている様子。

正直、池袋で美味しいモノを食べようという発想に無理があるのだが、ここは別格だろう。当然、そんな情報が広まれば、それなりに値は張っても訪れる人は増えるはず。

池袋エリアの人々は、“まっとうな旨いもの難民”であり、先般の副都心線開通で、埼玉人までもが池袋を素通りして新宿・渋谷に行くようになると、ますます池袋は困った状態が進む。

さて「鮨処やすだ」の話だ。基本的におまかせだが、こちらの意向を伝えれば柔軟に対応もしてくれる。画一的、お仕着せ的に食べねばならないスタイルとはちょっと違う。

突き出しも常に手が込んでいて、その先に出てくるものへの期待が高まる。刺身も、いつ行っても白身系が絶品で、この部分はお店の大きな特徴だろう。

イサキやタイ、キンキなど天然ならではの上質な脂ののりが味わえる。珍味類が好きな私には、肝つきのとこぶしとか、季節外れのようでいて極上の味わいだったアンキモ、特大シジミを酒に漬け込んだ珍味などを出してもらえる。みんな美味しい。

毎日わずかな数しか作らない限定の茶碗蒸しが絶品だ。私のブログ程度でお客さんが殺到するはずがないので、書いてしまうが、このブログの視聴者数がいまの10倍だったら、多分書かないで内緒にしておくと思う。

茶碗蒸しと書いてしまうと面白くない。バラ寿司ならぬ“バラ蒸し”と呼んだ方がピンとくる。具材がとにかく豊富。日によって違いはあるが、先日は赤ムツ(ノドグロ)にカニ棒、アワビ、白魚、確かホッキ貝も入っていただろうか。そして蒸し上がったところで、再びカニ、そして生ウニ、いくらをたっぷりのっける。

すべての素材が、その日の鮨ネタになる鮮度なのだから、まさにオールスター勢揃い。旨味がスクランブル状態で、正直ビックリするぐらい美味しい。隣で食べていたカップルは、途端に無言になってため息ばかりついていた。

ほろ酔いだった私は、ため息をついて悦楽状態の隣の人に、「これ凄く美味しいんですけど、ひとつ7千円も取るんですよ」と真顔で冗談を言ってみた。

笑ってくれるだろうと思っていた私に、その人は、表情を崩さず、「なるほど」とか言ってうなずいてしまったので困った。店の人がフォローしてくれてようやく笑ってもらったが、そのぐらい非日常的な味がする。実際の値段は聞いたことがない。でもそれを頼んでも頼まなくてもお勘定は大きくぶれないので、常識の範囲だろう。

この店の特徴のひとつがお酒のあれこれ。メニューにも気のきいた名前がラインナップされているが、お酒担当の係がいて、食べているものに合わせて、あれこれ勧めてくれる。

正直、お酒の種類にさほどこだわりのない私は、彼がいろいろ勧めてくることにちょっと鬱陶しさを感じていたが、勧められるままアレコレ呑んでいると、かなり楽しい。いまは全面的に信頼している。

先日は、珍味ばかり並べてニタニタしている私に石川の清酒・黒帯の古々酒を口開けしてくれた。しっかりした風味が珍味系との相性バッチリ。あっとい間に呑んでしまった。同じものをぬる燗で呑もうと決意していたのだが、変わり種を勧められ、あっさり従う。

出されたのは、埼玉の地酒・神亀の活性にごり。いわゆる活性酵母による発泡性が強い和製シャンパーニュと呼びたくなるお酒。発泡性の強さゆえ、口開けの時が結構大変。

簡単に開けたら中味が全部飛び出して、シャンパンファイト状態になるらしい。キャップの開け閉めを10回程度繰り返して、ガスが落ち着いたところで呑んでみる。

濁り酒は甘すぎるという印象があったが、全然そんなことはない。実にきりりとスッキリ。大ぶりの岩ガキを出してもらって、組み合わせてみる。なんとも官能的。

やはり、“人には添ってみよ”で、自我を引っ込めて素直に人様の助言に耳を傾けることは大切だと思った。大切というより、その方がいい思いが出来ることも多い。もっと素直にならねば。

このお酒、アルコール度数が18度もある。ぐいぐい呑んでたら結構酔っぱらった。

その後もいろいろと食べたのだが、肝心の握りの味を思い出せない。われながらだらしない。

2008年6月24日火曜日

家で過ごす時間


この週末、自宅で2度もヤモリに遭遇した。自宅といっても、室内ではない。最初は玄関扉を開けようとしたら足元にまだ小さいヤモリを発見。“家守”をいじめるわけにも行かず、優しく放置。

二度目は、自分の部屋の換気のために窓を開けたとき。雨の夜だったのだが、窓を開けると網戸にビッグサイズのヤモリがへばりついて、顔をぴょこぴょこ動かしている。

いじめなかった子ヤモリの親が挨拶に来たみたいで変な気分だった。

わが家は、豊島区内の某駅から徒歩5分。比較的都会に近いはずだが、変な来訪者に会うことがある。

一番驚いたのがタヌキ。まるまる太ったタヌキが向かいにあるマンションから、私がいるのも無視するようにウチの敷地を通り抜けて、隣の家の軒下に入っていった。

隣の家は、何年も前から空き家になっている関係で、変な生きものが集まる。ネズミもいた。間違ってクルマで踏んでしまったこともある。妙な鳴き声の綺麗な鳥もいる。

変な毛虫やムカデのような気持ち悪い連中も良く出る。草ぼうぼうの隣地の空き家が原因だが、空き家は平屋。おかげでわが家のベランダからの眺めが良好なのだから仕方ない。

天気に恵まれた休みの日にはベランダで過ごすことが多い。結構広めのベランダに、軽量のリクライニングチェアを出して、本や雑誌を読んだり、葉巻をふかしたり。

わが家の権力者のご機嫌が良ければ、朝食をここでとることもある。ベランダ側の隣地は空き家だし、周囲の家よりも少し高いところにベランダがあるため、住宅密集地のわりには周囲の視線が気にならない。

夏は、子供用のプールに大人なのに浸かっていることも多い。2×3メーターぐらいのサイズになると、子供用といっても大人が快適にころがっていられる。昼間からアルコールと葉巻を持ち込み、ボーッとするのは最高だ。目をつぶって、リゾートホテルのプールサイドにいる自分を必死に思い浮かべれば、結構その気になれる。イメージトレーニングは大事だ。

考えてみると、自宅で快適に過ごせるかどうかは大事な問題。わが家なのに居場所がないお父さん連中の話題をよく聞く。こうなると悲惨だ。

私の場合、自分の書斎兼寝室もあるし(現時点では・・・)、以前このブログでも書いた「酒を呑むための部屋」(今年1月11日付)もあるので、結構快適に家の中にいることができる。

冒頭に載せた画像は、「呑み部屋」に向かう廊下の壁に飾った水中写真だ。本当は、玄関周りとかリビング周辺とか、もっと華々しい場所に自信作を陳列したいのだが、控えめな性格だからなのか、狭い廊下にギャラリー風に並べてある。

昨年、このブログでわが家のホームシアター自慢を書いたが(11月14日付)、最近はあまり活用していない。“おこもり系”が好きな私は、リビングより、呑み部屋に潜んでいることが少なくない。呑まない時でも、こもっていられる。

この部屋にも5.1チャンネルサラウンドのホームシアターは設置してある。電動ではないが、インテリア性の高いキクチ科学製の床置式80インチスクリーンを用意し、映画を見ることも多い。

板の間なので床への直座りとなるが、クッション製の高い座椅子をリクライニングさせて、膝の裏に頂点がくるようにタイ製の三角枕を伸ばした足の下にセットすれば、変なソファに座っているより快適な状態でいられる。

この部屋、目的が目的だったために、窓は換気目的の最小限のみ。シアタールームとして使うには結果的にこの部分があたりだった。

家造りといえば、やたらと採光ばかり優先する人がいるが、用途によっては、あえて採光を考えない暗めの部屋を作った方が都合がいいこともある。

この呑み部屋、私が好きな酒器がいっぱい並んでいるし、お気に入りの壺も鎮座している。子どもには、おもちゃ持ち込み禁止を厳命し、もし置かれていたら、私が大枚はたいて買ったものでも、問答無用で捨てることを実践している。おかげで、この部屋の平和は保たれている(現時点では・・・)。

自宅って最初のうちこそ、いろいろこだわりを持って接するが、時間とともに滅茶苦茶になってくるもの。だからこそ、せめて限られた場所だけでいいから、こだわりを保つルールを徹底すべきだと思う。

とはいえ、こういうルールは、やはり家を実効支配している恐るべき「おんなこども連合」には通用しない。この部分で争ってもなかなか男の勝ち目はない。

私の場合、それを見越して、自分用の部屋と呑み部屋だけは、私自身の聖域として、他の部屋にはノータッチでいることにした。

いまのところ、このケナゲな作戦は功を奏しており、聖域に勝手に不要品などが置きっぱなしにされることはない。でも、気を許したら最後、捨てずに取っておくどうでもいいものや季節限定家電とか、買い置きの飲料などに支配されてしまうのだろう。気をつけたい。

2008年6月23日月曜日

鉄板焼きかステーキか

いつの間にか「ステーキ」といえば鉄板焼の店が主流になった。八王子で成功し、銀座や表参道にも進出した「うかい亭」あたりが火付け役になったのだろう。

昔からロッキー青木で有名な「ベニハナ」を頂点に沖縄あたりでは鉄板を前にシェフがパフォーマンスする店が結構ある。

私にとっては、あの手の店は鉄板焼であり、ステーキといえば、大きな肉が一枚どかーんと運ばれてくる料理というイメージがある。

先日、いまどきの鉄板焼ステーキ屋に行った。池袋の「多喜」というお店。まだ新しいビルの地下にひっそり構えている。

入ってみれば結構ゴージャス系でびっくり。池袋にしてはちゃんとしている。

お値段もちゃんとしている。というか池袋にしてはかなり強気だ。でも食べ進むうちに結構納得。このエリアでちゃんとしたディナーとか接待的な使い方を出来る店は、ここしかないかもしれない。

この日は4人で行ったので、アルコール費用も結構かさんだが、何より出された食べ物に×印がなかったことが嬉しい。

ちょろちょろした前菜とか野菜類はともかく、ステーキの前に出された魚が良かった。
いまが旬のスズキをていねいに鉄板で焼き、バジルとトマトのソースでアレンジ。焼き加減が絶妙で、唸れるレベル。肉嫌いの人向けに用意されているシーフードコースにすれば良かったと思ったほど。

肝心の肉は、サーロインとフィレを半々ずつにしてもらった。両方とも実に正しい高級肉の味がした。だらしない私には、サーロインはくどかったが、たいていの人が喜ぶ味だろう。

最近牛肉が重く感じる情けない私は、横に座っていた男にちょっと肉を手伝ってもらった。その男も結構いい年だが、ブリブリ食べて苦しそうなそぶりを見せなかったので相当まっとうな肉であることは確かだ。

ヨソの席の人が食べていた車海老も追加した。これがまた良かった。かなり大ぶりな車海老がじんわりと鉄板でいたぶられる姿を見ているだけで、ちょっとした高揚感がある。

頭としっぽは、コテを使ってしつこく押しつけるように焼く。旨味がぎゅーと凝縮されて素直に美味しい。よくお鮨屋さんで海老の頭をこんがり焼いて出してくれるが、確実にあれよりうまいと思った。

お楽しみのシメご飯が選択制というのも楽しい。オムライス、お茶漬け、ガーリックライス、あと一種類あったような気がするが忘れた。

注文したのはガーリックライス。この店では結構な量の生しらすを投入しているのが特徴。単純明快に美味しい。残念ながら写真はこれだけ。

食後のデザートは場所を移して、別席で供される。このあたりもいまどきのハヤリなのだろうが、この空間は無理矢理作ったスペースという感じ。鉄板のエリアが結構快適だったので、わざわざ移動させなくてもいいような気がする。

まあ文句がその程度なのだから充分いい店だろう。

サービススタッフもお子ちゃまはおらず、落ち着いた感じ。結構おすすめ。こういうレベルの店が池袋にもっとあれば助かるのだが。

2008年6月20日金曜日

銀座の落武者


知り合いに着付けの専門家がいる。その技量にファンが多いようで、銀座にお店も出している。和服のレンタルと着付けを中心に連日かなり繁盛している。

場所柄、平日のお客さんは水商売系の人。銀座の夜の舞台裏が自然と見えてしまうそうだ。

「男の人達って何が楽しくて、あの手の店で大枚はたいてるか理解できない」。いつもそう言われる。

着付け中に携帯にかかってくるお客さんからの電話への出方や、営業コールをする際に突如として別人になる夜の蝶達の実例を面白く聞かせてもらえる。実にためになる。

しょせん、狐と狸みたいな関係が夜の世界の客とプロの関係なのだろう。そこを勘違いすると格好悪いし、スマートではない。でも、勘違いこそが楽しい部分でもある。

まさに「わかっちゃいるけどナントヤラ」の世界。アルコールの不思議な力も加わって、男達の勘違いはいつの世も直らない。
今日載せた画像のように男が考えていることなんてしょせんロクなもんじゃない。

ところで、夕方、銀座8丁目付近で見かける落武者みたいなホステスさんの姿はいただけない。和服の着付けを済ませて、そこから髪をセットしに行く間、平気でザンバラ頭で闊歩しているのだと思うが、あれはNGだろう。

あでやかな着物姿だけに不格好な姿が余計に際だつ。時代劇を見ていると、敗走する落武者が、ちょんまげを落として肩まで乱れた髪を垂らしている描写があるがまさにアレ。

落武者ならともかく、四谷怪談に出てくる幽霊のように見える時もある。あの状態で街を歩ける神経はいかがなものだろう。なんとか先に髪をセットしてから着付けに行ってもらいたい。「落武者禁止!!」という注意書きをアチコチに貼ってみたくなる。

あんまり髪のことを糾弾していると、世界遺産のように保護が必要な私の毛量問題が指摘されそうなので、この辺にしておく。

2008年6月19日木曜日

銀座・数寄屋通り


このブログで銀座の話をちょこちょこ書いてきたが、ひとくちに銀座といってもかなり広いエリアを指す。4丁目交差点を中心とすると京橋寄りか、新橋寄りかで様子は随分違う。

外国産有名ブランドの街という捉え方もあれば、老舗デパートの街という印象もある。私がブログで書いているような話は、主に新橋寄りのエリア。ネオン街としての銀座が中心だ。

大通りより細い路地が好きな私は、日航ホテルや旧電通ビルのある外堀通りや、デパートが並ぶ中央通りより、その中間にある細い通りをふらついていると気分がよい。

金春通り、西五番街、ガス灯通り、ソニー通りなど名称はそれぞれにあるようだが、方向音痴の私としては、どれがどれだかいまだにピンとこない。

並木通り、花椿通りあたりは、さすがにどの道のことだか分かるが、この手のきらびやかな通りよりも、名もないような細い路地のほうが好きだ。

数ある通りの中で私が吸い寄せられのが数寄屋通り。外堀通りと中央通りに挟まれたエリアではなく、外堀通りよりも日比谷寄りの銀座の端っこといえる場所だ。
数寄屋橋跡地あたりから南へ進み、泰明小学校を右手に見ながら、西側のコリドー街と三角形でつながるエリアがなんとなく私にとっての銀座という印象がある。

整然と店が並ぶ数寄屋通りも魅力がつまっているが、コリドー街側に入り組む狭い路地にも、昔ながらの小さい店がひしめき合っていて、お洒落とは縁遠い光景。その分、“オトナな感じ”と“昭和な感じ”が濃厚だ。銀座の中でもどこか東京人のための東京という風情を感じる。

銀座駅方面からモザイク阪急を過ぎたあたりからが数寄屋通りの本番だ。女帝ママで有名なクラブ「J」、向かいには撤退した関西割烹の出井があった付近に勝ち組クラブの「M」がある。「J」の並びには老舗割烹「かなざわ」があって、「M」の並びに以前このブログでも書いた稲庭うどん料理屋の「佐藤養助」などがある。

その向かいには、おでんの名店「おぐ羅」があって、並びのビルには、つい最近近所の裏路地から移転してきた“最高の飲み屋”である「佃喜知」がある。

魚河岸料理と看板を掲げる「佃喜知」は、とにかく料理がすべて美味しい。レギュラーメニューのマグロの中落ちは、いつもうっとりする味だし、つみれも最上級のお吸い物と呼びたくなるレベル。焼き魚、煮魚、何を頼んでも外れない。移転前のせせこましい店は、飛び込みではなかなか入れない混雑ぶりで有名だったが、移転後も、やっぱり飛び込みではなかなか入れない。綺麗になった分、混雑に拍車がかかるのも仕方ないか。

このあたりは数寄屋通りから左右に入り組んだ路地がいくつもあり、車すら通れないほどの細い道にも割烹料理、天ぷら屋、寿司屋などいろんな店がひしめき合っている。

先週のある晩、数寄屋通りに止まった一台のセンチュリー。SPらしき男性とともに降りてきたのが石原都知事。脇目もふらず、一本の細い路地に消えていった。どの店に行くのか野次馬根性で覗いてやろうと思ったが、SPにギロッと睨まれてたじろいでいるうちに逃げられてしまった。

都知事が消えた路地の付近には、「割烹むとう」がある。一軒家のこの店、昭和の風情が漂い実に渋い。だいぶ前に行ったきりだが、料理も正統派で派手さはないが、安心して食べられる店だ。店構えは、飛び込みで入るには躊躇するような感じだが、入ってしまえば、安心快適な空間だ。

この近辺には、このほかにも一世を風靡した小説「失楽園」にも登場した料理屋「三亀」なんかもあり、歩いている人々もオトナばかり。中年以降には居心地がいいエリアだ。

少し離れたところには、牛串の「三福」がある。ここも銀座らしい店だろう。最高級和牛の串焼が堪能できる。色々な部位を1本ずつ味わえるのがいい。しゃぶしゃぶやすき焼きでは飽きるし、焼肉屋の味付けでは酒の肴としてちょっと困るが、ここの串焼なら、焼鳥屋の感覚で少しずつ楽しめる。

アスパラやトマトなど野菜系の串が美味しい。野菜嫌いの私が言うのだから間違いない。

肉はテンダーロイン、サーロイン、ランプといったお馴染みはもちろん、ミスジ、イチボといった珍しい部位もある。一本あたり3千円とかいう価格設定にビックリするが、1万円位のコースを頼めば、いろいろ取り混ぜて上等な肉を堪能させてくれる。なんといっても牛肉なので、そんなに食べられるものでもない。コースで充分満足できる。店の造りもスッキリしていて、どんなシチェーションにも合いそうな店だ。

ダラダラ書いていたら、それぞれの店にまた行きたくなってきた。

2008年6月18日水曜日

コメと酒の話


先日、銀座のおぐ羅で、おでんをつまみに燗酒をしこたま飲んだ。この店、燗酒は黒松白鹿のみだが、錫のやかんでじっくり暖めてくれて、店主自らおちょこを口に運び、熱さを確かめながらコップに注いでくれる。

日本酒はしみじみ美味しい。焼酎に押されて消費量は減る一方だそうだが、食べものとの組み合わせ次第では、やはり焼酎より日本酒を選びたくなることは多い。

年とともに燗酒が好きになった。若い頃は純米大吟醸バンザイって感じで、そればかり有難がったが、最近はこだわりがさほどなくなってきた。旨ければバンザイだ。

純米大吟醸のように日本酒をキンキンに冷やすようになったのは、戦後、冷蔵庫が普及してからのこと。常温か燗が日本酒の飲み方としてはごく普通であり、私の場合、常温は苦手なので、燗酒を楽しむことが多い。

夏場は、クーラーで冷えた身体に冷たい生ビールを流し込んじゃうわけだから、ふとしたときに呑む燗酒がかえって身体をリフレッシュしてくれる。近代化した都市生活では、意外に夏こそ燗が合っている気がする。

冷酒も嫌いではないが、あのキリッと美味しい感じより、燗酒のジュンワリ美味しい感じのほうが、最近はお気に入りだ。

純米酒ならたいてい燗をつけても味は崩れないし、純米吟醸だってぬる燗にしたほうが味わいが広がるものも多い。

新人記者の頃、東京・王子にあった醸造試験所をたびたび訪れた。酒税の管轄の関係で国税庁の一機関なのだが、農大とかを出た技官の人々が、日夜お酒の研究を行っている。

新人記者の私は、ここの所長さんに連載原稿を頼んでいた関係でちょこちょこ出入りした。といいながら用もないのに出かけて行って、昼間から珍しいお酒を味見したり、技官の方々の酒談義を聞かせてもらったり結構楽しんでいた。

いま思えば、これ以外にも、大した用もないのに税関に顔を出して、調査船が持ち帰った南極の氷で水割りを飲ませてもらったり、不真面目なことが多かった気がする。反省。

さて醸造試験所の話。私が頼んでいた原稿の筆者は、かなりの悪筆。当時は原稿といえば手書きが主流。悪筆の解読には馴れていたが、専門用語なんかはお手上げ、読めない。必死に調べたり、前後の原稿を熟読したりそれなりに苦労した。そのお陰で、日本酒の特徴や歴史とか文化などを知らないうちに勉強できた。

技官の方々は、人事異動で各地の国税局に転勤になることが多い。各国税局に設置されている酒類鑑定部門に配属されるわけだが、顔見知りになった技官の方々を追っかけて、各地の美味しいお酒をご馳走になったこともあった。われながら何をしていたのかと思う。若さゆえの図々しさは恐ろしい。

焼酎ブームの理由はいろいろあるが、大きな要素が抜栓後の劣化問題だろう。やはり焼酎など蒸留系は、日本酒やワインのような醸造系より劣化しない。飲食店でラインナップする際にこんな便利な話はない。

私の場合も、飲食店で日本酒を注文する場合、燗酒はともかく、冷酒を頼む際には、いつ抜栓したものなのかが気になる。多少わがままが言える店なら、飲み物メニューにずらっと日本酒の銘柄が並んでいても、銘柄は無視して、抜栓したての酒がどれかを確認する。

幻の酒だとか大人気のお酒だって、空気抜きもしていない一升瓶の底に残った部分がうまいはずはない。銘柄はともかく、やはり口開けの酒がおいしい。

あれこれ書いたが、日本酒に惹かれる大きな理由はやはり米食文化につきる。いうまでもなく主食が米であり、おかずやつまみだって米に合うかどうかで進化してきたのが日本人の食卓だ。日常的に食べているものに日本酒が合わないほうがおかしいわけで、単純な話ではあるが、結局はDNAの問題かもしれない。

寿司屋で呑みたくなるのはやはり日本酒。焼酎もうまいが、つい米と米の融合に魅力を感じる。だったら米焼酎でもいいじゃないかという意見もあろうが、個人的に好みでないので、やはり日本酒。

そんな話をとある寿司屋で一生懸命話していたら、面白い酒を出してもらった。冒頭の画像がその正体。石鎚という愛媛の酒蔵が出している焼酎。一応、米が原料なのだが、米焼酎ではなく、あくまで粕取焼酎だ。カストリというだけで、三流酒のようなイメージがあるが、この焼酎、物凄く美味しかった。

純米大吟醸を造る過程で生まれた酒カスを使って蒸留した焼酎で、濃いめの水割りで味わうと、焼酎なのに純米吟醸酒っぽい風味がタップリでなんとも楽しい。寿司に抜群に合う焼酎だ。大注目!

気にいったので早速自宅用に取り寄せたが、調べてみると、清酒を造る過程の酒粕を原料にしたこの手の焼酎は、結構世の中にあるようで、今後、いろいろな銘柄を試してみようと思う。ありきたりの焼酎に飽きてきた人にもお勧めです。

2008年6月17日火曜日

質問には意図がある

唐突なタイトルだが、今日のテーマは「質問には意図がある」ということ。当たり前の言葉だが、常に相手の意図を計って返答できる人は少ない。

初めて入った鮨屋のカウンターであれこれ親切に話しかけてくる親方がいたとする。その客がまっとうな人物で上客になり得る客かどうか、いわば客の値踏みのために賑やかに話しているのだろう。

初めて入った飲み屋のママさんしかり、自動車のショールームでにこやかに話しかけてくる店員さんしかり。商売が絡めば当然、何の意図もない質問を投げかけてくる人はいないはず。

まだ親密な関係には至っていない女性と二人で過ごしていたとする。当然、親密になりたい下心で、男はいろいろな角度からいろいろな(エロエロ?)話を投げかけて相手の反応を探る。

私の場合、女性を相手にすると、質問はもちろん、返答に対する解釈もピント外れが多いのが玉にキズだ。もっとも、タマに傷がつくぐらいハッスルするチャンスを得るには、事前のリサーチは大事だ。

とはいえ、日常の世界で飛び交っているあらゆる種類の質問に対して、いちいち相手の意図を考えて応えてなどいられない。

のほほんと会話しているように見えて、いちいち相手の意図を見極められるようになれば最高にスマートなんだろう。

税務調査にいきなり話は飛ぶ。調査というぐらいだから、要は質問攻めだ。応答する側としては、相手が繰り出してくる質問の意図を考えないと思わぬ事態を招く。

相続税の税務調査を例に挙げよう。相続税調査は、肝心の主役は既に亡くなっている。未亡人や子ども達が、故人の財産に関する質問を受ける。

質問攻めにするのは、百戦錬磨の税務調査官。誘導尋問的なテクニックにも長けている。何気ない世間話のような会話も彼らの意図は申告もれを見つけるきっかけを探ること。

「亡くなったご主人はお忙しく全国を飛び回っていたのでしょうね」。何気ない話のようでもしっかりとした意図はある。

ダンナを誉められた気分になって未亡人があーだこーだとしゃべりはじめれば調査官の狙い通り。

「主人は大阪の拠点拡充に必死で、しょっちゅう大阪に行ってました」などと答えたとする。さて調査官はどうするか。

申告された住所地や勤務場所以外の遠隔地に頻繁に訪れていたことを知れば、その土地の金融機関などに故人の預貯金や資産がないか、さっそく執拗なチェックが行われるわけだ。

「ご主人はなかなかキップのよい豪快なかただったようですね」。こんな調査官の問いかけが意図するものは、ズバリ“人に貸した金はないか”ということ。

男気がある、とか気前がいいといった人物評を調査官は独特の捉え方をする。

「ある時払いの催促なしで後輩にカネを貸していた」などの話にでもなれば、その「返してもらうべき金額」は当然、故人の遺産である。申告上、この手の返還請求権がもれていないかチェックされるわけだ。

このほかにも、亡くなった場所が病院か自宅か、葬儀の規模や様子、趣味の話や生活費の話、生命保険の話題や子どもの学歴など、あらゆるジャンルの問いかけに意図は隠されている。

相続税対策には躍起になっても、その後、高確率でやってくる税務調査の対処法は、世間にあまり広く知られていない。

「相続税調査のすべて」という究極のセットツールには、こうした調査官の質問事例とその意図の解説が50項目も網羅された想定問答集が盛り込まれている。

同セットには、プロの俳優を使って税務調査の様子を再現したドラマ仕立てのDVDも盛り込まれており、その出来映えには現役の調査官も感心するほど。このDVDの評判が一部で話題になっているのだが、実際に同セットを購入した人の意見を聞いてみると、DVDと同じくらいかそれ以上、50項目の想定問答集の評価が高い。

質問に隠された意図を見抜くこと。確かにこれが税務調査にスムーズに対応するうえで大事な要素だ。

2008年6月16日月曜日

ボクシング・亀田もM&A


私の祖父は、タニマチ気質を持っていた人で、会社経営の傍ら、いまの私と同じぐらいの歳には、いろんなことに首を突っ込んでいたらしい。

そのひとつがボクシング。昭和30年代は、ボクシングはスポーツの中でも花形で、日本チャンピオンクラスでさえ結構なスターだったらしい。

祖父がタニマチとなったボクシングジムは、今も名門ジムとしてその名を知られる。世界戦にも挑んだ元東洋王者だったボクサーをヒイキにしていた祖父は、彼の引退後、会社の所有施設をジム用に提供し、当時最新の設備も揃えてオープンさせた。

その後、世界チャンピオンを複数誕生させるなどジムは結構盛り上がった。子どもの頃、自宅に遊びに来たチャンピオンと遊んでもらった記憶が私にもある。

いまボクシングジムの問題といえば、亀田兄弟でもちきりだ。前所属ジムとの契約を解消して、最悪引退の危機にあった亀田兄弟サイドが起死回生の策として選んだのが、いわゆるM&Aだ。

http://news.www.infoseek.co.jp/sports/battle/story/12sponichiFkfuln20080612003001/

閉鎖されるジムの名義を取得することで、新しくジムを開設するより、はるかに少ない負担で再起が図れるという。

ボクシング業界のルールでは、ジム代表者にはライセンス歴10年という条件がある。この条件についても、閉鎖されるジムに在席していた人物が、ジム引継ぎ後も残っている形にすればクリアできるそうだ。

昨今何かと話題にのぼるM&Aだが、“ヒールファイター・亀田兄弟”にまでその効用が及んでいることが興味深い。

相撲部屋の合併なんかもそうだが、ボクシングでいえばライセンス、相撲でいえば年寄株など、事業継続に不可欠な「条件」は、欲しい人にとっては、大変な価値を持つ。

今回、亀田サイドにジム名義を譲る側にとっても、ただ廃業するより遙かに生産的な話だ。ジム名義を譲って引退予定のオーナーには、売却によって退職金的な資金が入るし、トレーナーライセンスを持つスタッフも路頭に迷わずに済む。

M&Aがうまくまとまれば、いわゆるWIN,WINの形で、双方ともが笑顔になる。後継者難を理由にする中小企業の友好的M&Aは、この部分がミソだろう。もっともっとこの考え方は広まるべきだと思う。

中小企業の多くが、自社の規模では買い手など見つからないというあきらめの発想に囚われている。そう短絡的に思いこんでしまうことは実にもったいない話。

もちろん、業績最悪、バリバリの債務超過といった企業に買い手はつかない(特別な意図でそういう企業を欲しがる需要もあるが・・・)が、企業規模は小さくても、オリジナリティーの部分で価値が見出されるケースはいくらでもある。

特許や特殊な許認可に関連するような形式的な財産はもちろん、それだけでなく新規には開拓が難しい独特な販路を持っていたり、特殊技術があるとか、地に足を付けて動いてきた企業であれば、結構ウリになる部分は見つかる。

企業を買いたい側は、事業拡大や新規分野進出に本来費やす時間と労力を一気に省けることがM&Aの魅力だ。時間と労力、場合によっては専門的な人材確保まで一気に実現できるわけだから、買いたい側は相当な金額を用意してでも実現を狙う。

メディアが伝えるM&Aは、超巨大企業同士の話や乗っ取り等々の騒々しい話が中心。今回のボクシングジム騒動もアノ亀田兄弟だから話題になっただけで、閉鎖するジムが名義売買をするというだけでは、世の中の話題にのぼることもない。

中小企業の現場では、日夜、後継者難を理由とする事業譲渡の話が飛び交っており、いま必要なのは、適切な仲介役機能だ。

M&A仲介を大々的にうたう専業会社は、どうしても規模の大きい企業同士の仲介にしか視線を送らない。

専業会社でそうなのだから、銀行や証券会社であれば尚更その傾向は強い。仲介手数料を考慮すれば当然、大型案件にしか目がいかない。

だから中小企業レベルのM&Aは、当事者同士が交渉して壊れてしまったり、引受け企業がいつまでも見つからず、結局売り手企業がしぼんでしまうような悲惨なケースが多い。

中小企業の財務的な実態を把握している税理士が全国的にネットワークを構築して、M&Aサポートを実践しているのが「NP事業承継支援協会」。もともと会計事務所同士のM&A仲介を数多く手がけてきたエヌピー通信社が運営母体となっている。

税務財務の老舗専門新聞社が全国1300名の税理士とタッグを組むことで、情報収集能力と情報発信能力の質と量は、おのずと高い水準になるわけだ。

最近は高齢者関係の話題といえば、後期高齢者保険制度の問題ばかり。現場を率いてきたオーナー経営者が事業の行末に苦悩している実態は、大衆相手が原則の大手メディアが取り上げないテーマだ。

実際には、物凄い数の経営者が、「事業承継難民」と化しているのが、現在の中小企業社会の実情だ。ハッピーリタイアのための友好的なM&Aがもっともっと認識されるべきだと真剣に思う。

冒頭の画像で紹介している小冊子をさし上げます。ご希望の方は、下記アドレスまでお申し込み下さい。
info@np-net.co.jp

2008年6月13日金曜日

銀座 鳥匠


先日、早い時間から銀座をぶらついていた。何を食べようかと思案しながらウロウロするのは結構楽しい。

最近、仕事メシ、家メシ以外のプライベートでは寿司と焼鳥しか食べていないなあと考えていたら、結局、またしても頭の中は寿司と焼鳥に支配されてしまった。

この日は魚よりケモノっぽい味を堪能したかったので焼鳥に決定。頭の中は焼鳥一色になる。

銀座に焼鳥屋さんは数あれど、どうせなら入ったことのない店を探検しようと思って「鳥匠」を選んだ。

銀座8丁目、新橋寄りの道沿いのビルの2階。以前からこの界隈を歩いている際に控えめな看板が気になっていた。メニューや店内の写真がビル入口に貼り出されているわけでもなく、どことなく落ち着いた佇まい。

平たくいえば「大衆向けの飲み屋なんかじゃないからな」というオーラが醸し出されている。こういうノリの店が好きな私としては、ついつい覗いてみたくなる。

凛とした引き戸を開けると薄暗い店内にまだお客さんはまばら。特別高級感が漂っているわけではないが、さすがに焼鳥屋にありがちな安っぽさもない。程よい感じ。別に隠れるつもりはないが、隠れ家っぽい感じ。

メニューにはコースが2,3種類と値段表示のない「おまかせ」しか書いていない。迷わず「おまかせ」を頼む。ついでに「野菜は少なめで」と子どものようなリクエストをしておく。「野菜はいらない」と言い切れないところが私の情けないところだ。

生ビールの次にビンの黒ビールで喉を潤す。
付きだしの鶏団子のあんかけが妙に美味しい。期待できそう。

頃合いを見計らって焼きたてが一本ずつ供される。合鴨から。おろしポン酢が乗せられて上質な鴨の脂とマッチする。

かしわ、レバー(血肝)と続く。たれも甘すぎずスッキリした感じで肉の味を邪魔せずに美味しい。どれも焼き加減にかなり神経を使っているのがよく分かる。ふっくらと表現したくなるような焼き加減だ。

ししとうが来たので平然とした顔を作って飲み込んだ。その後は塩焼きが続く。手羽先が実にジューシー。焼き加減はもちろんだが、肝心の素材がとても健康な鶏なのだろう。みんな旨い。

ぼん尻、砂肝もそれぞれバッチリ。コンニャクだったかを肉で巻いた串も一風変わった食感で楽しい。焼酎がやたらと進んでいく。

酔ってくると食べたものを忘れてしまうが、これ以外につくねも美味しかったし、モモが特別印象的だった。比内地鶏の締まったモモ肉を荒く砕いた黒コショウたっぷりで食べさせてくれる。ガツンとおいしい。

ササミにワサビのサビ焼きもササミ自体の味わいが深くて、そこら辺の店とは一線を画す。もう一本か2本食べたような気がするが思い出せない。そのほか後半で出された鶏スープも丁寧に真面目に作られた感じでほっこりした。

食後には桜風味の特性アイスクリーム。季節感は「?」だが、おかわりしたくなるほど美味しかった。

全体にまったりした印象の店だったが、一人で鶏を焼く大将は愛想の良いほうではない。まあおとなしく呑んでいたかった私としては、それぐらいでちょうど良い。

なぜかBGMはずーと石原裕次郎だった。なんとも微妙だが、いざその世界に1時間以上も腰を落ち着けていると、なんとなく馴染んでくる。せわしいジャズが流れているよりいいかもしれない。

お勘定は安くはない。むしろ焼鳥としてはかなり高い部類だろう。とはいえ、銀座界隈の高水準焼鳥であれば、ありがちな値段かもしれない。単純明快に美味しかったので、きっとまた行くと思う。

2008年6月12日木曜日

情報起業、アメックスカード

情報起業という言葉が聞かれるようになって久しい。難しそうな用語にも見えるが、何のことはない。自分独自のノウハウなどをインターネット上に流し、興味を持った人に売りつけることだ。

ほんの5~6年ぐらい前までは、まだどこか牧歌的だったネットオークションの世界でも、最近は、この手の情報やノウハウがさかんに出品され、なんかギスギスした印象もある。

「株で儲かる方法教えます!」とか「キャバクラ嬢を落とすマル秘テクニックはコレだ!」とか、「情報起業で月収300万円を稼ぐ方法教えます」なんていうのもある。

もはや何でもかんでも売り物だ。一番おかしかったのは、「タイ語・夜の会話事例集」。
バンコクあたりで不道徳な遊びに人生を費やすオヤジ達を相手にしたもの。要は売春婦との交渉や要求、世間話の文例が指さし利用できるようになっている冊子。たしかに欲しい人には喉から手が出るほど欲しいものなのかもしれない。

こうした情報起業のツールとして売られるものは、たいていがそれなりの内容を簡単にコピーして冊子状にしたもの。制作原価は紙代とコピー代くらい。確かにコアな情報が網羅されていればきちんとした製本など不要だろう。コピーで済むなら在庫も抱えないで済む。

私のように昔ながらの紙媒体でビジネスをしている人間にとっては、その安直さがうらやましくもあると同時に、こちらのビジネスにも応用できないかとつい考える。

自分自身に置き換えて考えてみた。仕事の世界はさておき、何か他人様がお金を出してでも欲しがる情報やノウハウを持っているだろうか?

20年以上やってきたダイビングや水中写真撮影に関する話なら興味を持つ人もいそうだ。直接的な潜水技術とか撮影テクニック云々ではなく、もっとディープなノウハウが大事なんだろう。

たとえば、海外のダイビングショップに自分の細かいリクエストを英文で伝えるための電子メール文例集とか、プライベートチャーターを効率的に行うための好適地選びや価格の相場、注意点とか、考えればレア情報って結構生み出せそうだ。

ついでに考えると、「一人客を受付けない高級旅館に一人で泊まるためのノウハウ」とか「ビジネスクラスのチケットを格安で入手する方法アレコレ」とか「銀座のクラブでナンタラ」とかいろいろ作れそうだ。まあ問題は他人様が対価を払ってまでそれを欲しがるかどうかという点だが・・・。

思えば誰にだって独自のノウハウや知識があるわけで、それを上手にお金に変えるセンスと情熱、勤勉さがあるかどうかがポイントだろう。

ちなみに今日この話題を取り上げたのは、アメックスのカード機能について調べごとがあって、ネットをさまよっていたことがきっかけ。

驚いたことに「アメックス・ブラックカードを取得する方法」といった情報を扱うノウハウ販売屋がいっぱい存在する。

「アメックスの攻撃」というタイトルで今年2月22日付けでこのブログにもあれこれ書いた。プラチナカードホルダーの私にも、以前ブラックカードの現物が送られてきて切り替えをしようかどうか迷った話だ。結局、アマノジャクな私は、あまりメリットを感じなかったのでブラックには移行していない。

その後、アメックスから切り替えの案内は来ていない。一度断ったら二度と案内してこないのだから、ある意味徹底している。人間の心理なんておかしなもので、ネット上でブラックカード取得ノウハウなんかが氾濫するほど欲しい人がたくさんいるのかと思うと切り替えに応じなかったことをチョッとだけ後悔する。我ながら情けない。

でも、この手のノウハウ屋の宣伝文句には笑える。ブラックカードを手にすると「女子にモテるようになった」、「買い物の時、店員の態度が明らかに違う」、「世界中どこに行っても誰からも一目置かれるようになる」などなど。結構呆れる。大げさすぎだ。

思っているほど、プラチナとかブラックなんて一般には知られていない。ましてや店員さんやレジ打ちの人なら尚更だ。いまどきはゴールドカードばやりだから、緑色のベーシックなアメックスカードなんか逆に素敵に見えているかも知れない。

ステータスの感じ方は人それぞれだろうが、クレジットカードのランクでそこまで格差が生じるという発想はトンチンカンだろう。

現役で生きている以上、見栄をはることはどんな局面にもつきもの。ある意味、向上心を持ち続けるためには見栄はとても大事な感覚なんだろう。でもその一方で、見栄の呪縛がきつすぎれば、おかしな迷走にもつながる。厄介な感覚だ。

2008年6月11日水曜日

全日空ホテルで食事

溜池にある全日空ホテルに行った。全日空ホテルと書いたが、いつの間にかインターコンチネンタルホテルの傘下に収まり、だいぶ以前とは違う雰囲気になっている。

今年の初め頃、メインロビーそばの「シャンパン・バー」に足を運んだことがあったが、その時もホテル全体がいい感じにリノベートされたなあという印象があった。

外資系ホテルの参入で東京ホテル戦争なる言葉も聞かれるが、やはり旧来型のホテルは相当大胆に変身しないとこれから生き残れないのだろう。

この全日空ホテル、適度にモダンに適度に上質な感じを漂わせている。大げさではなく動線も単純で結構使い勝手は悪くなさそう。ハヤリモノを追いかける人には論外なのかも知れないが、改めて見直してみても良さそうだ。

俗に“おっさんくさい”とか“客層が疲れている人ばかり”とか評されることもある既存のホテル。オークラやニューオータニなどはコアなファンを持つ一方、ある種の人々からはそんな理由で敬遠されたりする。

全日空ホテルもある意味似たようなイメージを持たれているようだ。新興ホテルラッシュで“いまさら”感は少なからずあるのだろうが、本来ホテルの評価は、熟成していくための年月も加味されるわけだから、ここも踏ん張りどころなんだと思う。

この日は中華レストラン「花梨」で食事をした。店の内装も適度な上質感がある。無難な安心感とでも言おうか、肩も凝らないし、気負わないで済むし、かといって安っぽくもなく、程よいバランスだ。

平均的なディナーコースは、盛りつけが綺麗だったのが印象的。味の方は美味しくてうなるようなものはなかったが、×印を付けたくなるものもなかった。全体にあっさりした味付けの中華が好きな人なら気に入ると思う。

今回は、ご馳走になったので詳細な値段は分からないが、安心して人に勧められることは確かだろう。でもこのエリアでちょっとしたディナーにこの店を選ぶかどうかは微妙なところだ。

2008年6月10日火曜日

玄海の水炊き

久しぶりに新宿にある水炊き専門店「玄海」に行った。ここの水炊きが物凄く好きで、一時期は割と頻繁に足を運んだが、わざわざ新宿に行くのがおっくうで大分ご無沙汰だ。

ここの水炊きの特徴はなんといっても「野菜がないこと」。これは大きい。子どものような私にとって野菜は天敵。

「野菜はお嫌いですか」とか聞かれると条件反射で「宗教上の理由で食べられない」と応えてしまうほどなので、玄海の水炊きはパーフェクトだ。

運ばれてくる鍋には、白濁したスープと鶏のぶつ切りだけ。このシンプルさが堪らない。野菜なんか入れてスープを薄めてしまう必要はないと確信する。

料亭風の造り、全室個室というやや大げさな構えのため、コース料理を注文するしかこの店の水炊きは食べられない。

コースも4段階ぐらいに分かれているが、いつも一番安いコースを頼んで、水炊きのスープと鶏肉をおかわりするのが私の決まったパターンだ。

この日もそうした。相変わらず前菜は大して美味しくない。こんなものでお腹をふくらませてなるものかとばかりに水炊き登場を待つ。

早めに持ってきてもらった水炊き。肉を食す前にまずはスープだ。旨味成分たっぷりの白濁スープは薬味のネギと漉したニンニクを少し混ぜて味わうと口の中が極楽状態になる。端的に言って「滋味」。身体の中が綺麗になって長生きしそうな感じがする。

正しい素材を長時間煮込んで完成するスープは、さすがに家庭で出せる味ではない。汁モノだが、不思議とこれが酒の友としても楽しめる。スープをズルズル飲んで、アルコールもぐびぐびと進む。

さほどツンツンしていない特性ポン酢ダレで食べる鶏肉も素直に「滋味」にあふれて、いくらでも食べられる。小骨もあって難儀することもあるが、豪快なぶつ切りを堪能するわけだから、それも一興だ。豪快に骨のすき間までしゃぶってこそ美味しい。

サイドオーダーでいつも注文するのが「ロース焼」。美味しい鶏を単純に焼いただけの料理だが、鶏好きの私にとっては欠かせない一品。塩加減も程よく、少しバターの風味もあって、これまたいくらでも食べられる。正しい鶏の味がする。

不満な点も書いておこう。鍋の最後のお楽しみである雑炊が問題。突っつき終わった鍋で即興で作ったものをがっつり食べたいが、この店ではそうはいかない。別に厨房で作ってくるのでなんか損した気がする。だからほとんど頼んだことはない。いつもスープを大量にのみ、肉をワシワシ食べて、ロース焼に延々とかぶりついて終わりにしている。

炭水化物を抜いたからきっと痩せるはずと思いこんで店を後にするのだが、いつも身体が重くなるほど食べてしまっている。

私は元々、肉に苦手なものはないが、あえて好きな順に並べると鶏肉、豚肉、牛肉という順序になる。同様な好みの人だったらこの店の水炊きはきっと気に入ると思う。

2008年6月9日月曜日

極上の泡盛


先日、泡盛の極上品をいただいた。焼酎ブームで芋ばかりもてはやされている風潮があるが、蒸留酒という意味では同類の泡盛も根強いファンが多い。

私自身、学生時代から潜水旅行で頻繁に沖縄を旅していたから、泡盛歴は結構古い。25年ほど前、学生だった私にとって泡盛はおっかなびっくり呑む酒だった記憶がある。

既にその当時から、万人受けするようなまろやか路線の商品が出始めていたようだが、まだまだ、キツくて臭いというイメージは強かった。

久米島に行ったときのこと。昼間一緒に潜ることになった若者達は民宿の広間に集って酒盛りをする。学生の私も勇んで参加。オリオンビールをぐいぐい呑み続け、しまいには宿に置いてあるビールが底をついた。

「もう泡盛しかないさ~」。おばあが出してきた一升瓶は、当然のように久米仙。こっちはどうやって呑んでいいのか分からず、とりあえず茶碗酒ならぬ茶碗泡盛で、ストレートで呑んでいた。まずい。

おばあが言う。「水割りにしなさい。地元の人だって今どきは水割りで呑んでるさ~」。これで救われた。日本酒と同じような一升瓶を見ただけで、そのまま呑まねばならないという私の思い込みは誤りだったようで、薄い水割りにしてチビチビ飲みはじめた。

他に呑むものがないから渋々呑んだのが正直なところだが、ある意味これが正解だった。人間の味覚なんて馴れによって変化する。その晩のうちに徐々に泡盛が美味しく感じるようになった。

徐々にというか突然といった方が正しい。夜も更けてすっかり酩酊状態になり、何杯目かの水割りは、いつの間にかやたらと濃いめ。ふと口に含んだとき、なんだか妙にうまいと思った。それ以来、すっかり泡盛ファンになった。

いまでこそ東京でもアチコチに沖縄料理屋があるが、20年以上前は、完全に沖縄出身者が集うための閉鎖的な感じの店が大半だった。美味しく感じた泡盛も、しょっちゅう出かけた沖縄旅行の際に呑むものでしかなかった。

そうこうしているうちに焼酎ブームやら沖縄ブームの到来で今や泡盛もすっかり定番酒としてどこでも呑めるようになった。

今回いただいた泡盛は、極上の古酒が2本。思い出の久米仙が造っている最上級品の「球美18年」と「海の邦1993年」。貯蔵年数3年を超えれば「古酒(くーすー)」を名乗れるのが泡盛のルールだが、いただいた2本はそれぞれ18年、15年貯蔵というスペシャル。

まず「球美18年」をロックで味わってみた。18年という歳月はやはりウットリする酒を造る。人間だったら18歳はとんがって仕方ない年頃だが、酒の場合、角が取れてまろやかになるには必要充分な年月だ。

ツンとした刺激的な味はなく、43度のアルコール度数にしては印象は穏やか。ロックのあとで、少し濃いめの水割りを試したが、ここでも感心。味がぼやけない。ロックで呑んだときと同様の複雑で広がりのある味わいが水に負けずに残っている。さすが。

15年ものの「海の邦」はまだ味わっていないが、封を切るのが楽しみだ。やはり焼酎を含めた蒸留酒のなかでも、長期熟成という点では泡盛の独壇場だろう。

なんといっても歴史と文化が違う。琉球王朝時代には、300年モノの古酒もあったそうだ。ウン十年、100年モノあたりの古酒もそこそこ存在していたそうだが、沖縄戦でなくなってしまった。

芋焼酎がブームで、長期熟成モノもチラホラ見かけるが、この点においては泡盛は別次元の存在といえよう。

今回いただいた2本の古酒。販売業者の手違いだろうか、はたまた贈り主さんの意図的な戦略!?か分からないが、商品金額がしっかり記載された納品書が同梱されていた。

見てびっくり。こんなに高価な泡盛があったとは!。泡盛ファンを自認する私も知らなかった。普通の泡盛の5~6倍はする価格だ。プレミア価格ではなく、定価の段階でビックリ価格だ。

でも、2本ともビン自体はこれみよがしの豪華絢爛さはなく、実にあっさりとした佇まい。大げさにネーミングしていないことも併せて、どこかさりげない点がなんか素敵だ。

「10年、20年程度の熟成で騒いでられないさ~」。古酒文化を背負っている琉球杜氏の矜持が垣間見えるようだ。

2008年6月6日金曜日

中国の親日感情


中国・四川大地震での死者数は、あの阪神大震災を10倍以上も上回る歴史的大惨事となった。地震大国日本でのXデーの際に、少しでも何らかの教訓が生かされることを願いたい。

被災者救済をめぐる日本チームの活躍が中国国内で大きな反響を呼んでいる。救援チームが諸外国の中で一番乗りだったことに加え、最近では、犠牲者の遺体を真摯に黙祷して見送る姿がニュースで紹介されたことで一気に親日派が増えたらしい。

国営通信社・新華社は“賛日ブーム”の広まりを危惧し、慌てて「感謝をしても歴史を忘れるな」という趣旨の人民に対して自制を促す報道を展開した。この辺が中国っぽい話ではある。

とはいえ、わずか1か月程度の間に日本人への融和意識が急速に高まった事実は率直に良いことだろう。ただ、逆に考えると、こうなる以前の現実に強い疑問を感じる。

乱暴な言い方をすれば、わずかな人数でわずかな期間の人道支援が嫌日感情を大幅に和らげることにつながったのに対して、これまでの日本外交は何だったのかということだ。

対中問題といえば、政府開発援助、すなわちODAの問題抜きに語ることは出来ない。無償資金供与や特別融資などの経済的支援からなるODAは外務省が握っているジャパンマネーである。

これまで約30年にもわたって総額3兆円を超える巨額なODAが中国に対して行われてきた。3兆円だ。こんな天文学的な資金を活用したうえで、嫌日感情の改善がまるで進んでいなかったことは日本外交の完全な失敗だ。

対中ODAと言えば、現地での理解度が低く、感謝もされていないという情けない問題がかねてから指摘されてきた。さすがに国会などで問題になったことを受けて外務省も中国に対して日本の貢献を積極的に広報するよう要請したものの、今度は「感謝の押しつけか」と逆に怒られる始末。漫才みたいだ。

ジャパンマネーが中国の発展に貢献したことは疑いようのない事実にもかかわらず、日本に対する融和感情が広がってこなかったのにはそれなりに理由もあるようだ。

厄介なのが、多くの中国人がODAを戦後賠償と認識していること。戦後賠償問題は、昭和40年代の田中角栄さんの時代に決着して終わった話である。

そんな誤った認識がいまだに支配的である現状を考えると外務省の責任はひたすら重い。ODAの出資者たる納税者を馬鹿にした話だ。

2008年6月5日木曜日

沈没するニッポン人

5月後半のブログで若者のモチベーションについて書いた。簡単にいえば、活気がない、精力がないといった趣旨だ。

今回、フィリピンでノンビリしながら、オヤジの方もろくでもない状態が進んでいる実態を見た。若者批判ばかりではなく、オヤジ批判もしないとバランスが悪い。

沈没組。ひと言でいえばそう表現すると分かりやすい。その昔、タイ・バンコクあたりで、人生を捨てちゃったような日本人の行動が一部で話題になった。

現地に住み着いて、ドラッグやオンナでおかしくなり、日本人旅行者相手に詐欺的な目的で近づいてくるような連中だ。

この手の日本人、若者ばかりではなく、いい歳をしたオヤジも結構いる。たいてい、極端な物価格差につけ込んで派手にオンナ遊びしているうちに崩れていくパターン。

フィリピンでもこの手の世捨て人系日本人が少なくないことは知っている。ただ、今回、セブ島の外れのローカルエリアでも実にビミョーな日本人に遭遇したので、その手の連中の増殖ぶりは推して知るべきかも知れない。

「この辺の町娘なら、日本のミルクチョコレートを2枚も渡せば、やらせまっせ」。セブの外れに住み着いている初老の日本人が真顔で話す。このおっさん、関西で職人仕事をしていたそうだが、職場のそばのフィリピンパブ通いから人生が狂ったらしい。

結局、フィリピン・某都市で、フィリピン人の若い女性と所帯を持って暮らしはじめたものの、何らかのトラブルを起こして、その地にいられなくなり、逃げ回っているとか。

新たなフィリピン人妻は身重の身体で甲斐甲斐しくおっさんの世話を焼く。なんともビミョーな光景。

次に会ったのは40歳代後半のオヤジ。こちらはオンナ狂いで身を持ち崩したわけではないようだが、40代半ばになって、初めて家庭を持った相手がこのエリアのフィリピン人女性。20年以上勤めた会社を辞め、主に蓄えだけで暮らしている。

「毎月5万円もあれば、のんびり暮らしていけるよ。年金の受給開始まで15年以上あるけど、計算ではそれまでなんとか蓄えでやっていけるはず」。

のほほんと彼は語る。彼の発想がちょっとお子ちゃま的に思えるのは私だけではないだろう。この人、大学も出て名のある会社に勤めていた人。まっとうな世間でまっとうに生きていたように見えるのだが・・・。

次にあったのは、世界的なメーカーで技術屋だったという50歳代前半のオヤジ。日本では、独身で実家暮らしが長く、無趣味だったこともあって蓄えが結構な額になり、おまけに死んだ父親の生命保険金がかなり入ったため会社を辞めたらしい。

「テキトーに面白おかしく遊んでまーす」。口から出てくる言葉はエロ系のみ。でも、すさんだ生活をしていることは自覚しているようで「いまじゃあ日本に友達が全然いなくなっちゃったよ」と自嘲気味に話す。 

今回会ったオヤジ達に共通するのが人相。思いっきりゴムが延びたような感じ。そりゃそうだろう。人間、中年にもなれば生きざまが顔に刻まれるのだから、闘うべき年齢なのに闘っていない男の顔は独特になる。

それにしても3人とも「年金がもらえるまで・・」といった趣旨の話をしていたのが印象的。日本の年金制度になんの疑いも持っていない様子。

ある意味でうらやましい感覚だ。ひと言でいえば思考停止状態。じゃなきゃその手の暮らしは出来ないだろう。

仮にニッポンのオヤジ世代に「沈没組」的な潮流が広まっているとしたら恐いことだ。若者の活気の無さを憂いているどころの話ではない。

ところで、さんざん偉そうに書いてきたが、私だって今回の旅行最終日、セブシティの雑踏のなか、きっとゴムが延びたような顔をしていたような気がする。

どこで何していたかは割愛。

自分の人相にはつくづく気をつけようと思う。

2008年6月4日水曜日

コンパクトデジカメ頑張る

10年前と変わったところがほとんど無かったモアルボアル。海の綺麗さなどはまったく衰えることはなく、すべての進化が良い意味でスローモー。環境破壊のペースも同様で、もっともっとあのサンゴ群落がダイバーの間で有名になっていい。

今回は朝もゆっくりしてからダイビングに出かけたので、朝食後は決まって海沿いをブラブラ散歩した。朝から照りつける強い日差しの中で貝殻を拾って歩いたり、じゃれ合う子ども達を冷やかしたり、実に健全でのどかな時間を過ごした。

コンパクトデジカメでの水中撮影は、やはりデジカメ特有のシャッターのタイムラグが問題で、チョロチョロ動き回る被写体には非常に弱い。ゆっくり動いている生きものやジッとしている魚を撮るには結構遊べる。

次の写真は体長10センチ程度のニチリンダテハゼ。顔の直径はせいぜい1,5センチ程度だが、コンパクトデジカメの機能である光学ズームとやらの望遠効果を使うと、被写体までの距離が1メートル近く離れていてもこんな顔のアップが撮れる。

通常の一眼レフにマクロレンズを装着してもこのぐらいアップにしようとすると、もっともっと被写体に接近する必要があるため、ハゼはスッと巣穴に隠れてしまう。

まあ15分とか20分ぐらいかけて、なるべく魚と目を合わせないよう、泡で驚かせないよう呼吸も少なめにゆっくりゆっくりほふく前進をして近づけば相当被写体に近づくことは可能だ。ただ一般的に小一時間程度の潜水時間のうち、多くの時間をそんな努力に費やすわけにも行かず現実的ではない。

その点、デジカメのズームは強い。素直に関心。ある意味、時間をかけて被写体ににじり寄っていくオタク的な楽しみが奪われてしまってチョットつまらない感覚さえある。

技術の進歩は、自分が築いてきた潜水ノウハウをいとも簡単に過去の遺物にしてしまう。便利だけど被写体との駆引きが無くなって切ない感じがした。

次の写真はムチヤギにちょこんと乗っかるガラスハゼ。それこそ全長が1センチちょっとの超小型。肉眼では全体の色柄が分からないほどだが、デジカメのズームを使えば透明な身体に内臓が透けているところまで分かる。

動き回らない被写体といえば、じっと保護色になって思索にふけっている怪獣顔のエソなんかも簡単にドアップが撮れる。問題は光学ズームをいきなり使おうとすると外付けの水中ストロボの角度調整をついおろそかにしてしまい、被写体に光が回らない初歩的なミスをしてしまうこと。撮影可能範囲が広すぎるからこその特徴だろう。

今回、私が大好きなニシキテグリが見られるポイントがあるということで、ある日の午後、そのポイントに潜った。英名のマンダリンフィッシュと呼んだ方が雰囲気が伝わりやすい極彩色がこの魚の特徴。全長10センチぐらいで、夕方薄暗くなってからサンゴのガレ場からチョコチョコ姿を現す。ぴょこんと跳ねた瞬間を写すことができた。

なんとも落着きなく動き回り、おまけにすぐサンゴや岩の陰に隠れる。基本的な生息場所がガレ場の下なので、ストロボの光が回りにくく、おまけにヤツが好んで住んでいる場所付近には、たいてい刺されると洒落にならないガンカゼ(ウニの一種)がいっぱいいて撮影しづらい。

チャーターダイビングの良さで、この時は実に潜水時間100分というわがままな潜り方をした。やはりニシキテグリは可愛い。いつか飼ってみたいと思う。

さて、今回のデジカメ総括の前にもう少し写真を掲載する。




今日のこのブログにアップした写真は、接写、ワイド、そして陸上どれもコンパクトデジカメで撮影したもの。外付けの水中ストロボは使ったが、特別なワイドコンバージョンレンズやクローズアップレンズなども使わず、カメラ本体のレンズをズームにしたりワイドにしただけ。

フィルム一眼の描写力はやはり捨てがたい。ただ、荷物が多い潜水旅行の際に、コンパクトデジカメ1台でこれだけこなしてくれれば合格だ。

来年あたりにはデジタル一眼レフカメラ対応の水中ハウジングや水中ストロボが今以上に百花繚乱になるはず。アナログな私とはいえ、アナログ水中写真とはおさらばする日が近づいているようだ。

2008年6月3日火曜日

MOALBOAL紀行

なぜか今頃休みを取ってフィリピン・セブの外れにあるモアールボアール(moalboal)に行ってきた。セブシティで一泊後、2時間半ほどクルマで移動したセブ南部のダイビング村だ。10年ぶりの訪問。

FAME’S VILLAなる新型高級ホテルを手配していたが、ここが大外れ。わずか5室のこぢんまりした宿で、プールもあっていい感じという情報に惹かれたが、客がいない。私だけ。だからスタッフがいない。何を頼もうにも誰もいない。

おまけに一泊したあと朝起きてみると、門に鍵がかかっていて、外に出られない始末。仕方なく塀を乗り越えて脱出し、朝食を食べに行くハメに。最悪。早々に、すべての旅行手配を段取ってくれたダイビングショップの隣にある「EVE,S LODGE」に宿を取り直す。最近建てかえた新館に宿泊。


部屋は殺風景。でも新しいので許せる範囲。エアコンもあるしケーブルテレビもある。潜水三昧旅行だからこのぐらいで我慢。

10年前にイタリア人のおじさんが経営していてビックリするほど美味しかった「イタリアンコーナー」というレストランが隣にあったので早速行ってみた。ところが、おじさんは既に亡く、居抜きで経営を代替わりした新しい店は、適当な内容のメニューばかりで残念。

今回は、とにかく食べ物がダメ。オクラが山ほど入ったチャーハンやデザート以上に甘いだけの海老料理など、思い出すだけでもイラつく料理がいくつもあった。だからフィリピンのリゾートは、他の東南アジア系リゾート地に比べて人気がないのだろう。とにかく潜ることにする。

ダイビングは「オーシャンサファリ」という店で頼んだ。地域最古かつ唯一の現地人経営のショップ。オーナーのネルソンさんは、エリアの副市長だかも務める名士にまで出世した人で実に感じのよいオジサン。

今回私がアレンジを頼んだプライベートチャーターも気軽に安価で提供してくれた。1日3回のダイビングを私専用にチャーターした船で、水中ガイドも船頭さんも私用に専属となる。マイペースで実に楽ちん。写真撮影に最高の環境は整った。こんなボートを一人で占有できて全部込みで1日1万円程度。格安だ。

何はともあれ、久しぶりの真面目な潜水旅行はスタート。天気もよく海のコンディションもよい。船の上からも水中が透き通っている感じがお分かりだろう。

今回撮影したかったのは、浅瀬にこんもり茂った元気なサンゴ。フィッシュアイレンズを使って沢山シャッターを切った。世界的レベルで見ても極上のサンゴが広がっている。ダイビングポイントも船でわずか10分程度。こんなにお手軽に極上サンゴを堪能できるところは貴重だ。

モアールボアールの場合、沖合に浮かぶペスカドール島という小さい無人島周辺がベストポイント。大半のダイバーがそこを目指す。もちろん、ペスカドールもダイナミックなポイントだが、今回私は、そちらにはお構いなしに、セブ本島沿いの沿岸に南北に点在するサンゴがウリのポイントばかり選んで潜ってみた。


浅瀬のサンゴはピキピキに元気でボーと眺めているだけで癒される。極楽だ。上の2点の写真はいずれも水深5メートル程度。太陽の光が燦々と差し込み、緊張感のまるでない水深ということもあって大げさではなく思わず寝そうになった。

いままで潜水撮影旅行に行く際には、特定の魚の写真をなんとしても撮りたいとか、目的をかなりオタク的に絞っていたため、水中でも一喜一憂が多かった気がする。思い返せば、せわしく疲れるパターンが多かったが、今回は漠然と水中に漂うことが第一目的。おかげで弛緩しまくった。

必死に探す被写体ではなく、アチコチにゴロゴロ転がっているクマノミにもついカメラを向けた。



今回、はじめて水中にデジカメを持ち込んだ。ニコンの一眼レフを専用防水ハウジングに入れて撮影するスタイルを15年以上続けていたが、時代の流れでデジカメに挑戦してみた。

デジカメといっても、コンパクトカメラ。いわゆるコンデジだ。潜水機材メーカー「
sea&sea」が発売している「DX-1G」がそれ。リコーのコンデジをOEM生産して、水中写真モードなる画像調整機能を搭載したカメラを専用のコンパクトな防水ハウジングに入れて使用する形だ。

さすがに内蔵ストロボでは水中撮影は難しいので、同社製の水中ストロボを外付けして使ってみた。外付けストロボとカメラ本体を結ぶシンクロコードは、光ファイバーのコードで水中でも取り外しできるスグレモノ。

水中ストロボといえば、カメラ本体とのコード接点が浸水、水没トラブルの多くを占めていたのが水中撮影のかつての常識だ。それを思うとイマドキの機能は隔世の感がある。光ファイバー接続でも自動調光は割と確実で感心した。

今回は、ワイドアングル撮影用にニコンのフィルム一眼レフを多用し、その他、接写などにはコンデジを使ってみた。

上に載せたクマノミの写真はすべてコンデジによるもの。ニコン純正のマクロレンズほどのシャープさはないものの、趣味で楽しく撮影する分には結構な力量だ。正直、コンパクトカメラでこのぐらいの作品が撮れてしまうことにビックリ。自分の昔の苦労を思うと浦島太郎気分だ。

明日はコンデジ作品をもう少し紹介したい。