今日は不倫について考察した過去ネタを2つ。10年近く前に書いた話なのだが、世の中に漂う「綺麗事原理主義」?はこの頃よりもますます強くなっている気がする。
不倫やら浮気やら
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/06/blog-post_13.html
不倫の歌
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/06/blog-post_15.html
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
今日は不倫について考察した過去ネタを2つ。10年近く前に書いた話なのだが、世の中に漂う「綺麗事原理主義」?はこの頃よりもますます強くなっている気がする。
不倫やら浮気やら
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不倫の歌
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先日、久しぶりに六本木に行く機会があった。すっかり縁遠くなった街だが、20代から30代前半にかけては頻繁に通った思い出の場所である。
この日はわがオヤジバンドの強力なサポートメンバーが所属するスカ専門のバンドライブを覗きに行った。客層は若者中心で私などは来場者の平均年齢を上げてしまうぐらいだったが、それはそれで最前列に陣取って声援を送ったりして楽しく過ごした。
人様のバンド活動を見に行くのは久しぶりだ。今年も11月にライブを控える身としては勉強になることも多い。やはりこういう場にはマメに出かけたほうが良いと痛感した。
さて、六本木である。ライブ見学を終えたあと我がバンドのメンバー3人で飲み屋を探す。昔より飲食店の数が減っているように感じたのは気のせいだろうか。天下の六本木である。そんな急激に衰退するはずはないが、どうにもサビれた感じを受けた。
土曜の夜だったので平日よりは静かだったのだろう。それ以外にも近年ニョキニョキ出来た大きなビルの中に飲食店が吸収されたのかもしれない。
で、適当に見つけた沖縄料理屋でダラダラ飲む。夕飯は済ませていたので黒糖ピーナッツで泡盛のソーダ割をぐびぐび。音楽談義はほとんどせず中年の悲哀を語り尽くす。
飲み終わったものの、せっかくの久しぶりの六本木である。もう一軒行こうと街をさまよう。私が頻繁に出歩いていた頃にあった店は跡形もない。街の形だって変わっている。
行き当たりばったりにシャレたバーに入ろうかと思ったがオッサン同士の飲みの場としてはビミョーにズレている。さんざん歩いたけど入りたい店が見つからず完全にオノボリさん状態に陥る。
一緒にいた友人はたまたま私とご近所さんだったので地元に戻って飲み直そうかとか、どこの街にもあるチェーン店の居酒屋に入ろうかなどと弱気な気持ちになる。何とかそんな“攻めない気持ち”にフタをして散策を続けた。
とはいえ、足も疲れてきたので六本木らしからぬ小汚い(失礼)居酒屋に入店。結局、野郎同士だとモツ焼きとホッピーみたいな昔ながらの居酒屋が落ち着く。タバコも吸えてつまみ類も真っ当だった。異国?の地で安息の場所を見つけてバカ話に精を出す。
六本木らしさのカケラもない場所で、相も変らぬワイ談に精を出して楽しく飲んでいたのだが、ひょんなことで「六本木らしさ」に遭遇してちょっと感動した。
それがこの画像の料理だ。その名も「セクシーチャーハン」である。安いメニューの中にこれだけが「1800円」と異次元の価格設定だ。腹が減ってはいないのに注文してみた。
オッパイとチンチ〇である。おまけに刻み海苔によって縮れた毛まで再現されていた。素晴らしい一品だ。下品かつ悪趣味である。オヤジ飲みの場にこういう一品が出てきてくれると気分も高揚する。
銀座や日本橋あたりの居酒屋ならこういう一品は出てこないだろう。これこそ六本木のセンスである。夜の街を店を探してさまよい続けた我々への神様からの祝福みたいなものである。
肝心の味も良かった。チャーハン自体はあっさりしていたが、乳輪部分に盛られたマヨネーズと乳首のつもりの明太子を混ぜると実に斬新な味に変化して単なる“ネタ”とはいえない美味しい一品だった。
このチャーハンのおかげで「六本木で楽しい夜を過ごせたぜ」と意味深な笑みを浮かべることが出来た。たかが居酒屋、されど居酒屋である。
2月からキックボクシングジムに通い始めた。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/02/blog-post_21.html
週2回というコースに申し込んだが、週に一度しか行けない日もある。平均すれば週に1.5回だろうか。
それでももう10回以上は通った。微妙に我が身に変化が生じていることを感じ始めた。最初の頃は10分ちょっとでフラフラになっていたのだが、ちょっとは改善されてきた。
自宅から徒歩3分の距離にあるジムなのだが、最初の頃は超絶的にヘトヘトになって帰路が3キロぐらいの距離に感じた。でも今では2キロぐらいの感覚で済んでいる。進歩である。
汗の出方が変わってきたことも驚きだ。ウン十年眠っていた我が身の細胞が活性化してきたような気がする。身体の表面ではなく奥のほうから汗がドバドバ出る感じだ。
高校時代に格闘技経験が少しあったせいで、キックボクシング独特の身体の使い方に慣れるのに時間がかかる。ようやく少しはそれっぽくなってきたが、最初は独特の動き方を覚えるために身体よりも脳が疲れた印象がある。
格闘技を昔に少しかじった身としてはちょっと納得できない動きもあるのだが、そこは還暦近い初心者である。言われたことを謙虚に黙々と身につけようと頑張っている。
セミプライベートなので、ウロウロしている数人のトレーナーさんがマメに声をかけてきて指導してくれる。一人でサンドバックに向かうよりアレコレ細かい指示を受けたほうがバテやすい。だからどんな指導も喜んで受け入れている。
不自然にフォームを直されたりすると姿勢がキツイから汗がバンバン出る。困ったことにトレーナーさんごとに指導にクセがあるから人が変われば言ってくることも変わる。若い頃なら文句の一つも言いたいところだが、今の私はいちいち違ったことを言われてもニコニコと受け入れる。
なんてったって目的は体力増強である。無駄に?動き回ることが大事である。それぞれのトレーナーさんに何度もアレコレ修正をされると身体を必要以上に動かす効果があるからヘロヘロに疲れる。すなわち運動量がアップしているわけだ。
いま私に必要なのは「ヘロヘロに疲れる」ことである。別に試合をしたいわけでもない、ダイエットが目的でもない。もちろん痩せてくれるならハッピーだが、とにかく体力をアップさせたい一心で真面目に頑張っている。
たいして減っていなかったら泣きたくなるから体重計には載っていない。でもネクタイを締めるワイシャツの首周りがラクになってきた。今年の初めにはキツくて着られなかったスーツが何とか着られるようにもなった。これは経済的な意味でも朗報である。
ジムのそばに鳥貴族があるのだが、練習後にそこに立ち寄るのが当面の目標である。今はフラフラになって帰るので鳥貴族の階段すら見たくない状態だ。コンビニに立ち寄るのも一苦労である。
とことん疲れるメリットは空腹を感じないことだ。ジムの日はろくに夕飯を食べずに一日が終わる。予想外の副次的効果だろう。ジム前に食べちゃうと練習中が苦しいから事前にはせいぜいイチゴやみかんを食べてから向かう。
帰宅してから何か食べるつもりで出かけても帰宅する時は病人のようにヘロヘロだ。空腹を感じない。せいぜいプリンを食べてオシマイである。
こんなパターンを週2回キチっと続けたらきっとシュッとした体形になるのかもしれない。でも目標はそこではない。昨年後半あたりから続いていた謎の倦怠感や息苦しいまでのバテやすさが改善できれば充分である。
ここ最近、朝起きてからの体調が少しスッキリし始めた。キックのせいなのかは不明だが、少なからず影響はあるだろう。キックでの運動量、キックの日の食事量の激減ぶりが悪いはずがない。
でもキックを始めたのと同時ぐらいにコンビニの菓子パンをやめ、テストステロンのサプリを飲み始め、毎朝ヨーグルトにキウイを入れて食べ始めた。はたしてどれが効果を発揮しているのかは謎だ。
ちなみに体調が良くなりつつある原因がキックのせいじゃなかったら大変だ。ヘロヘロに疲れることが単なるバカな行動になってしまう。
ちなみにジムに行ったら最初の15分ぐらいはストレッチをするのだが、実は出発前の自宅でも同じぐらいストレッチに励む。変な話、30分ぐらいは準備運動しないと何となく怖い。ウン十年も運動をサボっていた私の身体は思った以上に硬直化している。気をつけないとケガをしそうだ。
ジムで30分もストレッチしている人はいない。私だけ延々とストレッチばかりしていたら悪目立ちしそうだから仕方なく自宅でも準備をするわけだ。年齢には勝てないことを痛感する。
とりあえず8月あたりまで続けることを目標にしている。もし達成できたらきっと年末まで続けられるような気がする。
このブログで書いたり、宣言することも大事だ。自分を律する場面、体力的に頑張る場面ってこの歳になると無理やり作り出す必要がある。老骨にムチ打って日々の暮らしに爽快感を取り戻したいと思う。
この季節は週末になると散歩欲が強まる。普段はグータラ暮らしなのに春の陽気に誘われてガシガシ歩きたくなる。ナゼか浅草ばかり行きたくなるのだが、先日は地元の日本橋界隈をじっくり歩いてみた。
日本橋の三越側、神田寄りのエリアが今の私のお膝元?である。三越から神田に向かうエリアといえば、各県のアンテナショップがいくつか集まっている。富山、新潟、三重、福島などのほか淡路島専門のお店もある。
それぞれ名産品が置いてあるのが嬉しい。三重は伊勢の「赤福」が有名だが残念ながら常備ではない。時折、店頭で赤福フェア?があるのでその際は手軽に入手できる。
淡路島専門の店も玉ねぎスープや玉ねぎチップをまとめ買いするのに好都合である。どの店も時期によってイベント的なノリで売り出したい名産品をPRしている。結構楽しい。
有楽町の交通会館に集まっている各県のアンテナショップにもよく行く。私にとってはこの2つのエリアをマメに散歩するだけで全国各地の名産品の存在やそれぞれの旬なども知ることができる。
ちょっと大げさだがアンテナショップ巡りは教養を高める効果がある。どこの地域は何が特産でどんな特徴があるのかといった知識は日本人として知っておきたいところだ。
ぶらぶら散歩しながら学べちゃうわけだから散歩にも意味がある。最近は兜町の方に宮城のアンテナショップが出来て、私の好物でもある「ずんだシェイク」も飲める。
さて日本橋界隈の話である。隣の銀座では週末の混雑具合はかなりのものである。まさに人ゴミである。入りたいお店にスムーズに入れることもなく、買い物をするにも人出が多くてゲンナリする。
それに比べて日本橋は穴場である。週末こそそこそこの人出だが、銀座など他の繁華街に比べれば実に余裕がある。
コレド室町あたりの店舗も人混みが凄いという場面に遭遇したことがない。カフェもレストランも特別こだわりがなければどこかしらにはスムーズに入れる。
中央区民になって以来、日曜の夕飯は外食に困るというイメージがあったが、それも新富町や八丁堀界隈だったからで、今ではいくつもあるコレドやその界隈を覗けばちっとも困らずに済む。
三越本店はさすがに週末は混雑しているが、午後早めの時間に行けばデパ地下も意外にのんびり散策できる。銀座の三越とは不思議とビミョーに空気感が違うのが面白い。
銀座三越のほうが気のせいかワチャワチャしている印象があるが、日本橋三越は客層が高齢者ばかり?なのかちょっと静かめなイメージがある。
私にとってデパ地下のお楽しみは和菓子コーナー周辺だ。ウマそうな甘味を見ながらウロつくのが至福の時間だ。これからの季節は「たねや」の水ようかんがわが家の常備品になる。
店の人によると季節によってもろもろ配合が変わるらしいが、いつ食べてもここの水ようかんは絶品だ。世の中にあふれるさまざまなスイーツをむさぼり食べている私だが「たねや」の水ようかんを食べるとすべてがリセットされる気がする。ニッポンの甘味の原点、心のふるさとみたいな味がする。
今の季節は夕方になると三越エリアから神田方面に向かって街のアチコチがピンク色のライトアップで飾られる。桜のイメージである。三井本館あたりの石造りの重厚な建物がちょっとファンキーな雰囲気に変わる。
週末散歩にオススメだ。今週末もきっと私は小汚い格好でウロウロしているはずだ。
たいていの人は忘れてしまったが焼肉屋さんの雰囲気って昔は一種独特だった。例えて言うなら、つき合い始めて間もない若い男女が行くような感じではなかった。
叙々苑が人気になって牛角あたりのカジュアルなチェーン店が普及したことでいつの間にか風向きは変わった。高級とかオシャレとかそれまでとは違うノリの焼肉屋さんが一気に増えていった。今ではそっちが主流かもしれない。
それこそ私が学生の頃は「焼肉屋に行く男女はもうヤッている」みたいな下世話な都市伝説がまだ残っていた。バブルの前、昭和の後半まではそんな空気が確実に支配的だった。
当時の焼肉屋さんと言えば、薄暗い看板、煙も匂いも強めなディープな店が多かった。若かった私としては気軽にのれんをくぐると言うより旅先の見知らぬ店に飛び込むような緊張感を強いられた記憶がある。
個人経営の店が大半だったから、イメージとしては繁華街のちょっと外れや、細い路地裏にチンマリと構えている店が基本だった。モノトーン調の対極のようなオレンジや黄色の看板、店名の漢字もモダンなフォントとは無縁、全体にちょっと煤けた感じだった。
もちろん、そういうディープ路線のお店は下町あたりには今もたくさん存在する。個人的には勝手に「王道系」と呼んでいる。
イマドキのオシャレな焼肉屋さんは生肉をそのまま自慢気に出してくる。ヘタすると「ワサビ醤油でどうぞ」とトンチンカンなご提案?までしてくる。それはそれで結構だが、昔ながらの焼肉とは大違いだ。その点、王道系の店はたいていの肉がタレに漬け込まれた昔ながらのパターンである。
焼肉が食べたい気分なら断然タレにどっぷり漬け込まれた古典的な肉が欲しい。鉄板焼ともステーキとも違う「焼肉」というジャンルである以上、そっちのほうがシックリくる。あれはあれで一種の様式美だ。
そういう王道系の店のもう一つのポイントが焼き上がった肉につけるタレの味だ。昔ながらのタレに出会うケースが多い。私のボキャブラリーではその特徴を上手に説明できないのが残念だ。
いまどきの焼肉屋さんのタレは総じてベタっとした印象がある。味も甘ったるさばかり感じる。昔のタレはもっとスッキリしていた。
もちろん甘い味が基本だが、今よりも醤油感というか、みりん感というか、何かが確実に違っていた。とろみはなくサラっとしていた。ベタベタしていた印象はない。いつの間にかそういうタレに出会うことが無くなっていった。
昭和の後半からシェアを広げてきた市販の焼肉のタレの存在も影響しているのだろう。家庭用のタレはサラっとしているというより少しドロっとしているのが主流だ。いつの間にかそっちが“正解”になって新たな定番になっていったのかもしれない。
中央区民になった頃、新富町の外れにポツンとあるディープ路線の王道系「焼肉KAZU」という店で昔を思い出すタレに久しぶりに遭遇した。肉自体もかなりウマいのだが、タレが昭和50年頃にタイムススリップした懐かしい味だったので感動した。
それ以来、「黄色やオレンジの煤けた看板のディープな焼肉屋」に郷愁にも似た思い入れを感じるようになった。
一応ダンディー路線を目指す私だから、時には銀座あたりのきらびやかな焼肉屋にオネエサンを連れて行く。でも正直言ってそういう店の焼肉自体にはちっとも心は踊らない。一方で下町の煤けた王道系の店に行く際には「あのタレ」に出会えるんじゃないかとワクワクする。
妙に長い前フリになってしまった。
先日、浅草をぶらついたついでに王道系の焼肉屋に入ってみた。その名も「金楽」である。路地裏っぽい立地で看板はイメージ通りの黄色である。「焼肉」という文字のフォントも妙に懐かしい雰囲気だ。
タレに漬け込まれた肉を炭火で焼く。心のなかで「これだよこれ!」と叫ぶ。センマイ刺しのタレも甘ったるいイマドキ風ではなく酢の感じが強めで嬉しい。
最近はキムチも甘いタレをまぶしたようなやつが普及しているが、こちらの店ではザ・発酵食品と言いたくなるような酸味が強い本格派だった。すっかり焼肉を食べる機会が減った私だが、上記した「焼肉KAZU」だけでなく、こんな店が近所にあったら頻繁に通う気がする。
肝心のタレも良かった。サラっとしたすっきり系だった。さすがである。これが各テーブルごとに小さな甕に入ってすくい放題だった。
なにかにつけて昭和昭和と懐古趣味がもてはやされているが、焼肉の味というジャンルにおいてはこの店は昭和感バリバリだと思う。古い世代の人間には居心地バツグンだろう。
浅草に行くと洋食屋さんか釜飯屋さんばかり行きたくなる。でも目線を変えるとディープ路線の王道系焼肉屋さんがそこかしこにあるのも浅草の特徴だ。時代に媚びていないそういう焼肉屋さんを巡るのもオツだと感じたひとときだった。
「少年の心を失わないのは素敵!」、「いい歳してバカなのか?」。これは同義語みたいな話である。遠からず還暦を迎える私も時に少年時代のような行動に走ってしまうが、そうなると必然的に後悔することも増える。
新橋にあるラーメン屋さん「ほりうち」のチャーシューざる麺だ。ハーフサイズで充分なのにヤケクソみたいにチャーシューがテンコ盛りの標準を頼む。幸せなことは確かだが、最近では食後がちょっと苦しい。
脳の中は昔の感覚のままだから何を食べるにしてもテンコ盛りだと条件反射で嬉しくなる。牛丼にしても大人になってからは一度たりとも並盛を注文したことがない。そんな判断を今も続けていることは「男の勲章」だと信じている。バカだ。
量の問題はともかく、ふと目にしたヘンテコな商品に目が輝いてしまうのも昔の感覚のままだ。コンビニのカップ麺コーナーに見慣れぬジャンク系を見つけると絶対に買わなきゃならない気持ちになる。
先日買ってしまったのはその名も「みんな知ってるウマイやつ・名もなきスパゲッティ味焼きそばハンバーグ弁当風」なる謎めいた商品である。エースコックの商品開発会議でよくもまあゴーサインが出たものだと感心しちゃうネーミングだ。
要は洋食屋さんなどでハンバーグなどに添えられる付け合わせスパゲッティである。そんなニッチな麺料理を商品化してしまうメーカーの冒険心を称賛したい。
付け合わせスパゲッティを愛する人は意外に多い。私も随分前にこのブログでその話を書いた。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/blog-post_25.html
あの素っ気ない感じ、やる気を無くしたヌルい存在感が魅力的だ。まさに名脇役と言えよう。たいていは味が薄っぺらいのが特徴だ。薄~いナポリタン風味だったり、下手するとほとんど味が無い状態だったりする。
主役の肉料理のソースと混ざることでようやくそれなりに食べられる状態になることが珍しくない付け合わせスパゲッティだが、このカップ麺はまさにそこに焦点が当たっている。
肝心の味はなんともビミョーではあるが、そんなものを嬉々として食べている自分を自己弁護する意味で「それなりに美味しかった」と言っておこう。
もっと言えば絡めるソースを半分程度しか使わずにいればもっと高評価だったかと思う。ソースを全量使うと味がしっかり強くなる。当然「付け合わせ感」が弱まってしまう。あくまで薄っぺらい味に仕上がるよう調整すべきだった。
ついでに言えば、それを冷めるまで待てばよかった。付け合わせスパゲッティといえばヌルいのが定番だ。熱々で食べたら別モノになってしまう。なんなら常温になるまで待てば感動的な味になっていたかもしれない…。
まあ、こんなことを真剣に考察するのも「少年の心」である。飽食社会で生まれ育ったゆえの余裕だと解釈することにしよう。
話は変わる。
家では簡単パスタを自作することが多い。年齢的には和風あっさり味のパスタを作れば作った方が良いのだろうが、ついついクリーム系に気分が向いてしまい、食後にちょっと胸焼け気味になることもある。
でもパスタ料理そのものが若い頃に親しんだ食べ物だからたいていはガッツリ系の味に仕上げたくなる。基本はレトルトパスタソースを使うのだが、この時点でクリーム系を買ってしまうことが多い。
この画像はカニのトマトクリームというパスタソースを元にカニ缶詰を丸ごと一つ加えた作品!である。エンゲル係数的には破綻しているが、カニ缶詰はふるさと納税で手に入れたから実質的には追加料金ナシである。
レトルトのソースだけでは必死に鼻の機能を総動員しないとカニの雰囲気は感じられないが、カニ缶詰を丸ごと追加すればそんな問題は一気に解決して贅沢な気分にも浸れる。悪くない缶詰消化法だと思う。
お次はベーコンとツナのクリームパスタだ。こちらはレトルトは使わず一から味付けした。麺つゆやコンソメ、刻みガーリック、牛乳を適当に使って仕上げた。我ながらなかなかの味に仕上がった。
このぐらいマトモなパスタを自作できるのにナゼ「付け合わせスパゲッティ」のカップ麺を満面の笑顔で食べてしまうのか…。そんなことを大真面目に考えてしまう日々である。