2025年8月20日水曜日

豚になっちゃう

 

昔から漫画やアニメの世界に没頭できないタチだ。世代的にはルパン三世やガンダムや宇宙戦艦ヤマトに熱中してもおかしくなかったのだが、どれもまったく興味がなかった。

 

子供時代に熱中したヒーローシリーズも仮面ライダーやキカイダー、はたまたロボコンみたいな実写版ばかりでアニメ系に熱中したことがない。私自身に絵心のカケラがまったくないせいでヒネくれてしまったのだろうか。

 

さて、そんな私だが、子供が幼い頃に付き合いで観たアニメ「千と千尋の神隠し」の中のあるシーンだけは妙に印象に残っている。そのシーンは今もしょっちゅう脳裏をよぎる。主人公の女の子の両親が突然豚になっちゃうシーンである。

 


 

確か、どこかに置いてあった食べ物を勝手に食べあさっているうちに豚に変身してしまったシーンだ。食い意地のはった私としては妙に怖い描写に思えた。

 

「勝手にヨソのメシを食べちゃうと豚になる」。映画公開時にすでに立派な大人だった私だが、あのシーンのせいで、人様の食事を断りもなく食べてはいけないと初めて!?知った次第である。バカですいません。

 

よく覚えていないのだが、あのシーンは何となく不思議だった。子供がいるいっぱしのオトナが夫婦そろって人様の食卓に置いてある食事を勝手にガツガツ食べちゃう。普通そんなヤツはいないだろう。ヤクザもビックリの非道ぶりだ。

 

まあ、そんな非道ぶりだから罰として豚になってしまったのだろう。結局、意味がよく分からないシーンなのだが、私の頭の中には「意地汚く食う」イコール「豚になっちゃう」みたいな図式が埋め込まれてしまった。私の脳みそは実に単純だ。

 

「食べてすぐ寝ると牛になる」。そんな迷信みたいな話を幼い頃によく聞かされた。もちろん、信じるほどバカではなかったが、深層心理のどこかに「牛になっちゃうオレ」という映像が刻まれている。そんなスットコドッコイは私だけだろうか…。

 

そのせいもあって「豚になっちゃうオレ」という恐怖心もアニメ映画のせいで私の心の片隅にあるみたいだ。「豚イコールデブ」みたいなイメージも相まって、ドカ食いや意地汚い食べ方をすると豚に姿を変えた自分を想像してしまう。

 

そんなことを書くと自分が異常者みたいだ。まあいいか。

 

おバカな私のこんな発想には少なからず豚肉が大好きであることが影響している。いわば、豚に対する申しわけなさである。

 

ここ数年、とにかく豚肉愛が強い。我が家の冷蔵庫、冷凍庫には豚肉しか無いといっても過言ではない。ふるさと納税で取り寄せる食品もコメの他には豚肉ばかりである。

 

極端な言い方をすれば「牛肉ほど重くない、鶏肉ほど軽くない」という点にハマり続けているのだろう。自炊する際も大半が豚肉をアレコレしている。

 




 一般的な焼肉さんならともかく、一品料理も多い本格的な韓国料理屋に行くと牛肉ではなく豚肉が欲しくなる。サムギョプサルやらポッサムをムシャムシャ食べているのが幸せだ。

 

上の画像は赤坂のハモニ食堂で食べたサムギョプサル。この店はわがオヤジバンドのスタジオ練習の後に何度か利用した。45人ぐらいでアレコレ注文するといろんな味が楽しめるのでオススメである。

 

ウマい豚肉は何より食感が好ましい。当たり前だが牛や鶏とも違う歯ごたえにウットリする。脂身の甘みもまた素敵である。牛の脂よりも断然甘さと旨味が強いと感じる。

 

そんな豚ファンの私が見逃していた豚肉料理の専門店がある。マロリーポークステーキというチェーン店だ。だいぶ前からその存在は知っていたのだが、未踏の地だった。

 


料理のサイズ感をウリにしている店にウマい店はない、そんな固定観念に縛られていたせいで何となく敬遠していたのだが、ひょんなことで初体験してきた。単純にウマかった。やはり食わず嫌いは損をする。

 

とある日の昼下がり、ちょっとした事情で朝飯抜きだったので空腹バリバリの状態で最近オープンした日本橋店に入店してみた。画像はランチメニューだから夜は値段が変わるのかもしれないが、肉の量からすれば値段も手頃である。

 

「安いステーキは美味しくない」。これまた固定観念のせいでちょっと心配になったのだが、とにかく空腹だったので450グラムの豚の塊を注文した。

 



 

付け合わせのタレというかソースが2種類用意されていた。どちらも肉との相性がバッチリだった。別注でトリュフバターも追加したのだが、これまた味変効果を発揮して悪くなかった。

 

肝心のポークステーキそのものについてだが、しっととり柔らかく焼き上げられていた。パサついた部分はまったく無かった。ヘタな牛のステーキを食べるなら個人的には断然こっちが良いと感じた。空腹男子なら450グラムはペロリだろう。

 

極度の空腹だったから何を食べても美味しく感じたのかもしれないが、想像していた味より確実に上だった。すぐにまた食べたい気分である。


夜はツマミになる小皿メニューがいくつも用意されているようなので近いうちに飲み屋さん的にも活用しようと思う。

 

ここ数か月、節制も兼ねてモツ焼き屋に行って怪しい部位の豚肉をチマチマ食べる機会が多い。炭水化物は避けて梅きゅうやモヤシ炒めなども頼んでヘルシーな気分になっている。

 

それはそれで悪くないが、ポークステーキ屋でも似たような過ごし方はできそうだ。生ハムやピクルスをツマミにハイボールでも飲みながらシメに適量の豚の塊を食らう。なかなか魅力的だ。

 

ホッピーにモツ焼き、というパターンよりちょっとシャレている。でも豚は豚だからきっと総摂取カロリーは似たようなものだろう。

 

でもデカいサイズを頼みたくなる私の悪いクセは要注意だ。調子に乗っていると「千と千尋…」みたいに気づけば豚になってブヒブヒ言ってるかもしれない。怖い怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

2025年8月18日月曜日

ジェラピケの腹回り

 

体重が134キロ減量したことは以前にも書いたが、あと3キロぐらい落としたいのになかなか落ちない。さすがにここからはストイックに頑張らないと簡単には落ちないのかもしれない。気長に向き合ってみよう。

 

減量前と比べるともろもろラクになった。いま10キロ以上のオモリをつけて行動したら間違いなくキツい。そう考えると倦怠感の理由も単なるデブに起因していたのかと思える。

 

ズボンがぶかぶかになったのは喜ばしいが問題もある。スーツの上着を脱いでいる今の季節だと腹周りのズボンのヨレた感じがカッチョ悪い。かといってすぐに10キロ以上戻ってしまう自信もあるから直しに出す勇気はない。

 



デブが標準の時はこの画像のような「秘密兵器」も必要だった。キツくなったズボンを小手先でワイドに延長して履けるようにするグッズだ。こんなものが存在するならきっと逆パターンのグッズもあるはずだと思って調べてみた。

 

やはり世の中にはユルユルになったズボンを直しに出す勇気がない人が多いみたいで、対策グッズは簡単に見つかった。なかでも最も簡単そうだったクリップみたいなやつを早速取り寄せてみた。

 


ズボンのウエスト周りを数センチつまんで挟んでしまうだけの単純な仕組みだ。このクリップの上からベルトをすればクリップ自体も隠れるので悪くない。クリップで挟んだ箇所の下のほうがちょっとイビツになるが、ダブダブのまま放っておくよりはマシだ。

 

というわけで、腹回りのサイズが変わったことで私の身の回りに起きた変化のひとつが「ジェラピケ」をめぐる喜びである。若者に人気のジェラート・ピケという触感の良さをウリにする洋服ブランドだ。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2024/01/blog-post_22.html

 

冬用の部屋着はフワフワモコモコの触り心地が最高で、若者ではない私もこっそり寝間着兼部屋着として愛用している。男性用はSLのサイズ展開だが、Lが一般のXLぐらいゆとりがあるのでデブな私も着られる。

 



ただ、ウェストのゴムがデブにはちょっとキツい。尻部分、太もも部分、股上などは問題ないのだが、ウェストのゴムの締め付けが強めだ。私はとにかく寝ている時の締め付け感が苦手だ。下着だって寝るとき用にわざわざ5Lぐらいのブッカブカなものを着用する。

 

このジェラピケのズボン問題が減量によって大いに改善された。私にとって今年一番の喜びと言っても良い。夏物のジェラピケはフワフワモコモコではなく、薄手でトゥルトゥルサラサラが特徴である。冬物とは別次元のウットリ触感である。

 

寝間着は夏でも長袖長ズボンが身体に良いらしい。私も以前はTシャツ短パンで寝ていたが、最近は長袖長ズボン派になった。一般的なパジャマの質感が好きではない私は夏場の寝間着に関してはお気に入りが見つからずに難民状態だった。

 

というわけで夏用のジェラピケをいろいろ買ってみた。残念ながら上は薄手の長袖商品が見つからなかったのだが、ズボンはバッチリだった。トゥルトゥルサラサラの長ズボンを3つほど買ってご機嫌だ。下の画像は触感に喜んで踊る私である。

 



こういうシリーズの商品は大半の人が寝間着用に買うはずだ。にもかかわらず同じ質感の長袖がラインナップされていないことが残念。もしあれば私は毎年たくさん買っちゃうと思う。ぜひ来年の夏には発売して欲しい。

 

部屋着や寝間着の快適性を追求することは自宅での時間をノホホンと過ごすためには重要である。外出する際は少なからず人目を意識した格好をするわけだから家にいる時はとことんワガママを徹底したい。触感やユルさを自分好みにこだわることは案外大事だろう。

 

宅急便やウーバーイーツを玄関先で受け取る時にちょっと恥ずかしいぐらいの格好がちょうどいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年8月15日金曜日

甲子園とお笑い

 


今年も高校野球を見に甲子園に行ってきた。2年連続でのナマ観戦だからもろもろ昨年の教訓を活かして快適に過ごすことができた。


観戦したのは2日間。いずれも午前の部と夕方の部の2部制だったのだが、暑さ対策が一番大事になるため贅沢ながらそれぞれ複数の座席を予約してみた。

 

昨年の経験を参考に時間帯ごとの日差しの角度を考慮して直射日光を避けるよう状況に応じて席を移動した。グランドに近い席と屋根下に位置する後部側の席だ。いろんな角度から観戦出来て楽しかった。

 







高校野球の面白さは最後まであきらめない真剣さに尽きる。点差をつけられて負けているチームも最終回まで逆転を信じて必死にプレーする。あの純情さというか、無垢な感じにオジサマとしては胸を打たれる。

 

試合前後に整列して挨拶する姿も清々しい。ベースボールとは違う野球道の世界だ。「元気な若者」のハツラツとした姿を見ているだけで何となくエネルギーをもらえるような気がする。

 

1日に4試合も観戦したから飲み食いもほとんど球場内で済ませた。コテコテ関西メシがあれこれ揃っているので球場内をうろうろしながら何を食べようか迷うのも楽しい。

 



一応、節制中の身としてはあまりドカ食いをするわけにもいかない。かといって我慢ばかりだと切ない。それなりにいろいろ食べた。ジャンクフードの極みともいえるソバメシを筆頭に牛すじ丼もウマかった。ちょっと高価な近江牛の一枚焼弁当や牛丼も悪くなかった。

 





それにしてもソバメシって実にヘンテコな食べ物である。あれをメニュー化した人の勇気には恐れ入る。こっそり家で作るような食べものだろう。おまけにそんなものを食べているとは他人には言えないような邪道ぶりである。それをお金を取って客に食べさせようとした感覚が凄い。

 

もっと言えば、どこかの店が始めたそんなものが他の店にもガンガン広まっていった事実にもビックリである。物凄くウマいかと言われればビミョーだが、個人的には好きだ。焼きそばもコメもソースも大好きな私にとって見かけたら食べないわけにはいかない一品である。

 

さてさて、今回の甲子園でのトピックは突然の大雨で水浸しになったグランドを早ワザで修復する天下の阪神園芸の仕事ぶりを見られたことだ。


ゲリラ豪雨で水浸し状態だったのに1時間ぐらいでプレーできる状態に復旧させた。100年以上の伝統を誇る甲子園は裏方さんの努力と技能無くしては成り立たないことを実感した。

 





高校野球観戦が目的だったが、昨年同様、大坂でお笑いも楽しんだ。うまく電車を乗り継げば甲子園球場となんばグランド花月は30分ぐらいで移動できる。試合のない昼過ぎの時間帯に行ったほか、帰京する日の午前中も行ってきた。

 

7組の漫才とその後に吉本新喜劇だ。夏休みシーズンとあって有名どころが出演していた。たまたま最前列に座れたので出演者は至近距離だ。ザ・ぼんちのおさむちゃんを久しぶりに見られてちょっと感激した。漫才は全部面白かったが、名前すら知らなかった「吉田たち」が一番面白かったのが印象的だった。

 




 

夜遅くに到着した初日を含めて3泊もしたのに球場外で食事をしたのはたったの2回。それも両方テキトーに入った串カツ屋である。食べたのはドテ煮と串カツだけだ。

 

1軒はなんばグランド花月のそば、もう1軒は西梅田駅近くの怪しげな古いビル内の飲食店街にあった店だ。運よく両方ともちゃんとウマい串カツだった。昨年もなんば周辺で串カツ屋に入ったのだが、そこに比べると格段に美味しかった。去年の店がよほどダメダメだったのだろう。

 




最近になって大学野球マニアみたいになってしまった私としては、今回ナマ観戦した高校球児たちが東京六大学などに進んでくれたら楽しい。そこから活躍してプロに行ってくれたら「アイツのことは高校時代から見てたぜ」と誰かに自慢できる。

 

ちなみに来月には沖縄で18歳以下の野球世界大会が開催される。日本チームは今回の甲子園で活躍した選手を中心に編成される。世間ではちっとも話題になっていないが、私としてはこの夏一番楽しみなイベントだ。

 

すでに飛行機もホテルも観戦チケットも確保した。世の中には野球観戦しか楽しみがないようなオジイチャンが結構いるが、いよいよ私もそっち側の陣営に加わったようだ。それもまた「いとをかし」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年8月13日水曜日

小心者

 更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ載せます。しゃべり過ぎてしまうのが私の悪いクセです…。


おしゃべりな男









2025年8月8日金曜日

つまらない男

 

近頃は何かにつけてジェンダーだの何だのやかましい。個人的には性別は単純に2つしかないとトランプさんみたいなことを言ってしまいがちな私である。こんな感覚ではすでに時代遅れなんだろうか。

 

自分自身を振り返ってみても、これまでの人生は「男たるもの」という呪縛につきまとわれていた。男なら我慢しろ、男なら涙を見せるな等々、イマドキの社会では糾弾されちゃうような感覚が常識だった。いや、今も常識として染みついている。

 

なんだか大げさな書きぶりになったが、今日は大上段にジェンダー問題を書くわけではない。シケた食事についてがテーマだ。

 

私はワンパクな男の子の成れの果てだから今も「がっつり食う」とか「ドカ食い」とかに励んでこそ男だという意識が強い。大食いタレントも女子より男子を応援したくなる。

 

大盛り、特盛りという響きも大好きだ。「並」などと口にするのは何かに負けた気さえする。茶色い食べ物も大好きだ。トンカツをはじめとする揚げ物たち、牛丼やカレーやハヤシ等々、男子がウットリするのは茶色い食べ物だ。緑黄色野菜などと言う言葉は口に出すのも恥ずかしい。野菜好きな人、ごめんなさい。。

 

そんな私だが、ここ数か月は節制暮らしを続けている。おかげで体調は改善したのだが、日々、敗北感のような気持ちが消えない。「ガッツリドカ食い」という世界に背を向けている現実に忸怩たる思いがある。

 

「男たるもの、そんなことでいいのか!?」と自分の中にいる“快楽追求型のもう一人のオレ”が常に囁いている。

 

私の中には随分といろんな「オレ」がいる。凄く小心者のオレ、責任感があってマジメなオレ、ぐうたらの極みのような怠惰なオレ、突拍子もなくドスケベなオレ等々、いろんな「オレ」が日夜競い合っている。

 

今の私は節制に励む真面目なオレと快楽志向のオレが競い合っている状態だ。かろうじて真面目なオレがリードしているが、その差はわずかである。ゆうに10キロ以上減量しちゃったから油断する気持ちが強くなり、快楽追求型のオレが徐々に優勢になりつつある。

 

なにしろ「15キロ落としたら5キロぐらいリバウンドを楽しむ」というフシダラな考えで日々を過ごしている。その発想自体がすでに危ない。真面目なオレとしては形勢不利である。

 

そうした感覚の根っこにあるのが「男たるもの」という呪縛である。「サラダなんか食えるかい」「そんなものオンナ子供の食い物だろ?」みたいな偏狭な考えが今一つ私をヘルシーオジサンに変身させることを拒んでいる。

 



ここ数か月、毎朝欠かさずヨーグルトを食べている。それ自体がヘルシー志向の女性みたいで我ながら気持ち悪い。おまけにキウイとチアシード入りである。テレビの受け売りでヨーグルトとキウイを食べると運動不足解消効果があると聞いて実践してみたらクセになった。効果は不明だ。

 

チアシードの効能は一生懸命調べてみても謎のままなのだが、一応身体に良いという漠然とした理由だけでもう1年以上摂取し続けている。これまた効果は不明だ。

 

一時的にせよ胃が小さくなってきたので、朝食はこのキウイ&ヨーグルトだけで充分なのだが、そこでも「男たるもの」という邪念が頭をよぎる。これだけだとモデルを目指すオネエサンの食生活みたいで何だか気持ち悪い。

 

ドカ食いが本職?だった私である。そんな体たらくで良いのかと無性にイライラする。仕方ないからハムやソーセージ、ベーコンなど一般的にヘルシー志向の人が避けるような肉類も一緒にちょっと食べる。一種の罪ほろぼしみたいな感覚だ。意味不明だ。

 

最近は飲み屋に行ってもハムカツとかシメの焼きそばを食べない。梅きゅうだの山芋千切りだのタコの酢の物ぐらいで終わりにしてしまう。おまけに酒席のあとに牛丼やラーメンも食べない。人として正しいのかもしれないが、「男たるもの」という囁きが脳裏に響いてシャバダバな気持ちになる。

 



私の中にいる「快楽追求型のオレ」が最近よくささやく。「つまらない男になり下がったな」。これを言われると非常にツラい。体重が落ちて倦怠感も消えたのに「つまらない男」というレッテルは私を落ち込ませる。

 

実は今日から甲子園に来ている。急遽、ナマ観戦したくなってもろもろ手配した。昨年も行ったのでだいぶ勝手は分かっている。関西的なヤンチャメシ?が球場で売っていることも知っている。

 

そばめし、牛すじ丼あたりは「男たるもの」という気分を満たすには充分である。絶対に食べようと思う。野球観戦の合間を縫って今回も「なんばグランド花月」のチケットも手配した。周辺で串カツにビールというコテコテ関西タイムも過ごそうと思う。

 

私の中にいる「節制を勧めるマジメなオレ」がさんざん警告を発しているのだが、「快楽追求型の別なオレ」が私をしっかりそそのかしている。

 

「マジメなオレ」は間違いなくコールド負けだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

2025年8月6日水曜日

ハグとチュー

 あれこれ野暮用が重なり更新できなかったので過去ネタを2つ。「ハグ」と「チュー」に関する考察だ。

5年前に書いたものだが、年々、ハグしたりされたりする機会が無くなってきた。娘とも3年前から同居するようになったせいですっかりハグする機会は無くなった。

ハグの機会が多ければ多いほど人間関係が濃密かつ順調な証だと思うようになってきた。日本人のライフスタイルとはちょっと相容れないところもあるが「ハグ指数」が高ければ高いほど日々の充実度も上がってくるのだと思う。


ハグしたい気持ち

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/03/blog-post_6.html


もう一つ、ついでに「チュー」の話。こちらも当然ながら青春時代の幻みたいなものだ。でもオッサンやオバハンだって人間本来の行動原理として「チュー」を捨て去ってしまってはいけないと思います。


チューしたい気持ち

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/03/blog-post_9.html













2025年8月4日月曜日

生涯一エロおやじ

 

活力って意識しないと湧いて出てこない。放っておいても活力バリバリだった若い頃と違い、この歳になると自分で自分の背中を押さないと腑抜けみたいにボーっとしたまま一日が過ぎる。

 

それはそれで悪いことではない。でも、せっかく持病も無く、たいしたストレスも無く呑気に生きているわけだからなるべく元気丸出しでフガフガすべきだろう。

 

さっさと帰宅して野球中継を見ながらウーバー頼みの夕食を食べるのも楽しいことだ。それはそれで平和の極みだが、やはりそこには「闘っている自分」「気合を入れている自分」はいない。

 

闘うだの気合だのと書いているが、必ずしも敵を作る必要はない。あくまですぐにボケ~っとしちゃう自分との闘いである。

 

先日、久しぶりに銀座のシガーバーに出かけた。葉巻に興味があるという女子に指南役としてついていった格好だ。小娘はハヤりのシーシャで遊んでりゃいいだろ?という偏屈オヤジの本音は隠して一応真面目にいろいろ教えた。

 



葉巻にハマっていたのはもう10年以上前になるだろうか。定期的に海外通販からキューバ産を取り寄せて自宅や職場のヒュミドールに数十本ずつ常時していた。当時は私にとって欠かせないアイテムだった。

 

その後、葉巻仲間が喉のガンで亡くなってしまったり日本人はDNA的に葉巻の害を身体が受けやすいといった説を耳にしたりして少しずつ縁遠くなった。今では気が向いたときにシガーバーで楽しむ程度だ。

 

この10年ぐらいですっかり葉巻事情も変わった。以前ほどキューバ産が入手しにくくなり、価格もぐんぐん上昇してしまった。あの世界はやはりキューバ・ハバナ産の上モノに慣れてしまうとドミニカ産高級シガーだろうと物足りなく感じる。

 

この日はキューバの銘品ファンロペスのセレクションNo.2という私の大好きな葉巻をプカプカしたのだが、かつての2倍近い値段だった。嗜好品だから安さを求め過ぎるのも違うが、15千円クラスになっちゃうと何だかビミョーな気がする。

 

この日の私は葉巻をふかしながら女性相手にウンチクを語っていたわけだが、そういう時の自分って間違いなく普段よりもカッコつけている。少なくとも家で水まんじゅうをモゴモゴしている時より「ダンディーなオジサマ」を演じていた。

 

バカみたいな話だが、バカみたいなことが人間の活力にとって案外大事なことだと思う。どことなく背筋も伸びていただろうし、声の張りや目の力、ちょっとした仕草もしかりだ。アホヅラしてスイカジュースを飲んでニマニマしている普段の私とは別の“現役男”に変身?していたはずだ。

 

別な言い方をすれば“オス感”が出ていたと思う。女性とチョメチョメ関係になるならないは別として、いわば「異性VS異性」という場面をしっかり意識した言動に終始していたと思う。

 

男たるもの365日がそんな状況じゃなきゃいかんとも思うが、さすがにそんなに元気じゃない。他にやることもあるし、水まんじゅうやスイカジュースの誘惑のほうが魅惑的な時もある。

 

とはいえ、実際に現役独身男である以上、オス感を捨て去ることは一種の自殺行為だ。時には自分で自分の背中を押して奮戦態勢を整えないといけない。

 

王選手は現役最終年に30本以上のホームランを打ったのに「王貞治としてのバッティングが出来なくなった」とすっぱり引退した。一方でノムさん・野村克也選手は「生涯一捕手」を旨にヨレヨレの中年になっても現役を続けた。

 

私もさすがに男女関係においては「私としての××が出来なくなった」ともいえる。王さんのようにスパっと引退する選択もあるのだろうが、ノムさんのようにヨレヨレになるまで“現役”に固執するほうを選びたい。「生涯一エロおやじ」である。

 



「助手席に乗るならミニスカート以外は禁止だよ」。遊んでくれるオネエサン達には今でも平気でそんなことを言っている。恥ずかしげもなく真顔でそう言う。そういう部分ではまだまだ私の現役感は維持されているはずだ。

 

でも、現役であるか否かをあえて意識しないとならない現状がちょっとだけ歯がゆい。そのこと自体がすでに私が老境寸前である証である。「若く見えますねと言われたら歳をとった証拠だ」という格言もある。


仕方ないからそんな現実を真摯に受け止めてそれでもなお“男道”に邁進していきたい。まだ30本ぐらいはホームランを打てる?から老け込まないように気をつけようと思う。