2023年2月27日月曜日

スパゲッティー少年の今


自分流のパスタをちょくちょく作っている。最近は乾麺のパスタも茹で時間が34分のスグレモノがあるからお湯さえ沸かせばほんの数分でそこそこウマいパスタにありつける。

 


 

今のお気に入りがこの出来合いのパスタソースだ。茹でたてパスタ麺にあえるだけでそれっぽい味になる。これだけだと面白くないので、フライパンでこのソースを加熱する際に別途ツナ缶一個分のツナとシメジなどを加えるようにしている。

 

お湯さえ沸いていれば制作時間は5分である。「早茹で4分」表示のパスタを2分半ほど茹でてまだ硬い状態で温めたソースと和えれば程良いアルデンテになる。

 



 仕上げに粉末状の乾燥パセリやバジルを振りかけるのもアリだ。実に簡単にそれっぽい一皿が出来上がる。センスもワザもたいした材料も不要。横着パスタである。この画像は牡蠣も追加したときの一枚だがツナ缶とシメジだけでもそこそこ豪勢な感じになる。

 

思えばパスタという言葉がまだ一般的ではなかった頃からスパゲッティーが大好きな少年だった。昭和の子どもにとってのオフクロの味の一つがスパゲッティーミートソースだった。

 

アルデンテなんて誰も知らない半世紀近く前のことである。ミートソースかナポリタン、バジリコぐらいしか選択肢はなかった。もちろんミートソースをボロネーゼなどと呼ぶ人もいなかった。

 

イタリア・ボローニャが発祥のボロネーゼがいわゆるミートソースの原型だと知ったのは大人になってからだ。あくまで原型であって別モノである。いま思えば昔のミートソースは日本の家庭料理だったようにも感じる。

 




本場ボローニャで食べたボロネーゼと私が作ったミートソースである。当たり前だがまるで別モノだ。本場でボロネーゼといえば平打ち麺が絶対条件になっている。わが簡単パスタと共通するのは挽肉という点だけだ。本場のほうが当然ウマそうだが私流も結構イケてるのは私がよく知っている。

 

昔のミートソースは子ども向けに家庭のお母さんが作る味だったからどこか優しく甘さも感じられた。小学校の給食で出てきたミートソースもデパートのレストランで食べたミートソースも何となく甘かった覚えがある。当時のレトルトパスタソースにもそんな印象があった。

 

私が作るミートソースもあえて甘さを意識している。市販のなるべくベタなレトルトパスタソースを使うのがポイントだ。ボロネーゼ表記ではなくあくまでミートソースと謳ってある商品を選ぶ。

 

そこに塩コショウして炒めた合い挽き肉を大量に投入する。肉ゴロゴロ状態にしないとワクワクしないからここは大事だ。1人前のパスタソースあたり最低でも100グラムは挽肉を追加する。

 

これだけでもウマいのだが、この贅沢パスタソースに蜂蜜かメープルシロップをちょろっと入れると適度な甘味が加わって良い意味で“子供騙し的な嬉しい味”に進化する。

 

上の画像のミートソースはついでに細かくハサミでカットしたエリンギも投入している。食感に変化が加わって悪くない。これまたセンスもワザも不要な簡単パスタソースである。

 

オイル系とミートソース系ばかり作っているので時には出来合いのトマトソースを使うこともある。ちょっと値の張るイタリア製の瓶詰めあたりだとまず大外れはない。牡蠣をてんこ盛りにした贅沢パスタもちょくちょく作っている。

 


 

自家製簡単パスタにおける個人的な問題点はクリームソース系が作れないことだ。わが家の冷蔵庫には牛乳も生クリームもない。パスタソースのためだけに牛乳をわざわざ買うのもシャクである。

 

やたらと牡蠣のパスタが食べたくなる私だが、クリームソースにしたら更にウマそうである。ポルチーニやらトリュフやらもどちらかといえばクリーム系にマッチするからこの課題を突破しない限りウチでは味わえないわけだ。

 





これまで何度か出かけたイタリアではそれこそバカみたいにいろんなパスタを味わってきたが、漠然と思い出すのはクリームソース系の逸品が多い。チーズの使い方も私の“イージーパスタ”では再現出来ない。残念である。

 

まあ、キチンと材料を揃えてもっと真面目に料理に取り組めば済む話なのだが、そこまで頑張ると何となく負けた気がするので、仕方なくチョチョチョイのチョイで作れる範囲で我慢しようと思う。

 

 

 

 

2023年2月24日金曜日

カツ、カツ、カツ



前回このブログでさも死んじゃいそうな陰気な話を書いたから今日は爽やかな画像から始めてみる。こういう画像を嬉々として撮っているぐらいだから普通に元気である。

 

元気である証拠に相変わらず揚げ物もブリブリ食べている。逆流性食道炎を持病としながらそれを無視してしっかり茶色い誘惑に乗っかっているわけだから我ながらたいしたもんだと納得している。

 

先日、お気に入りの東銀座「はせ川」でトンカツを二つ注文した。その際の店員さんの様子にちょっとイラっときた。「オイ、そんなに食うのか?」みたいな反応をされた。なぜ一人一個だと思い込んでいるのだろう。

 

その日私は空腹だった。モロきゅう的な「肉そぼろキュウリ」と漬け物をツマミに飲み始めたのだが、第二弾のツマミとして「しそチーズロース」というトンカツを単品注文した。

 


 

定食ではない。たかだか揚げ物の単品である。名前の通りシソとチーズが入ったロースカツである。最初のツマミとこれを食べたところで別に凄い量を食べたとは思わない。

 

居酒屋に例えるなら枝豆に塩辛、ナンコツ唐揚げを食べたような段階だと言えよう。その後にまだまだ串焼きや重たい料理なんかを頼むのは極めて普通の行為だと思う。

 

にもかかわらず、この店の大人気商品「シャとんブリアン」も頼んだら店員さんは一瞬唖然とした表情を浮かべた。私をまるで変な人とかのような視線で見た。そんな反応をされるほどの話では断じてないと思うのだが…。

 



この店の最上級ヒレ肉であるシャとんブリアンは見ての通りの分量である。たいしたことはない。その気になれば30秒で食べ切れちゃう程度の量である。空腹ならこれだけでは絶対に足りない。「トンカツ2つ」といっても私にとっては揚げ物2品を頼んだだけの感覚である。

 

いわば「もりそばとカツ丼」もしくは「ラーメンと半チャーハン」と似たような状況だ。クドクドと書き続けるが、鰻屋さんで、うざくやう巻きに白焼きと鰻重を食べるほうがよほど量としては多い。

 

大柄の男がたかだかメインを2品ぐらい頼んだぐらいで店員さんには驚かないでもらいたい。日本全国の飲食店に対して声を大にしてお願いしたい。

 

というわけで揚げ物である。上に書いた2品も相変わらず官能的なほどの美味しさで私を幸せにしてくれる。心の底からトンカツを発明した人に感謝したい。

 

イマドキは塩で食べてなどと言われるがトンカツには断固ソースだ。あの組み合わせを上回るものはない。衣の油とソースの融合した味はこの世の奇跡かと思えるほどだ。

 


 

別な日、八丁堀にある「甲州天山」という肉料理屋さんに出かけた。焼肉もトンカツも味わえる便利な店なのだが揚げ物メニューも細かく用意されているのが嬉しい。エビフライも一本から注文できる。

 

この日もメインのトンカツを食べる前にビールの友としてハムカツ、メンチカツとともにエビフライも頼んだ。エビフライ一本でもタルタルソースがしっかり用意されていた。

 


 

タルタルソースととんかつソースのミックスである。私にとってはエロ本よりもエロさを感じる。身体に良いか悪いかは考えても仕方ない。ウマいものがヘルシーであるはずがないのは当然だ。でも間違いなく心の健康は増進される。

 

個人的には「カツ」は豚に限ると思っている。牛カツもチキンカツもまず食べることがない。半ば狂信的に豚肉派である。豚からすれば私は天敵みたいな存在だろう。

 



この日もメインには特上ヒレカツを選んだ。ピンク色ぐらいの火加減が肉の旨味を引き出してくれる。一般的なトンカツよりも値は張るが満足感に浸れた。

 

年齢とともにすっかり贅沢になってしまい、安い店の手軽なトンカツを食べなくなってしまった。幸せなことだがある意味不幸なことでもある。

 

トンカツが食べたくなると、いちいち高級店を目指していちいち気合いを入れて食べる。いつのまにか私にとっての「特別な食べ物」になってしまった。

 

いまやトンカツといえば「抜群にウマい」のが標準になってしまい「普通に美味しい」ぐらいだと物凄く不満に感じてその店を選んだことを後悔するほど。なんだか窮屈になってしまったような感じだ。

 

どんな店のどんなトンカツだろうと純粋に感激して幸せだった若い頃の感性はいま思えば貴重だった。贅沢な食べ方が出来るようになったくせにそんな言い方をすると叱られそうだが、あの純粋さが今更ながら懐かしい。




 

 

 

2023年2月22日水曜日

すい臓問題


先月このブログで「すい臓問題」について書いた。あまり良好ではないようなので最新の検査方法である超音波内視鏡を体験してきた。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2023/01/blog-post_18.html

 

すい臓に内視鏡は入れられないので、胃を経由して超音波ですい臓を調べる仕組みである。先端に超音波測定機が付いた内視鏡を胃に挿入してすい臓側の胃壁からMRIでも見つからない異常を調べるという。

 

聞くだけで恐ろしいが、こっちは鎮静剤を打たれて寝ている間に検査が終わるのでたいしたことはない。朝飯を抜いた空腹のほうがストレスだったのだが、運悪く鎮静剤の効きが悪かったから結構大変だった。

 



いつも胃や大腸の内視鏡検査の時はコテっと寝ているのに今回はしっかり起きている時間が長かった。しっかりオエオエした。途中で鎮静剤を追加したような会話が聞こえたから実に残念な状態だった。

 

そんなことより肝心の結果は案外ヤバいみたいで「3ミリほどの怪しい影」が見つかった。エラいこっちゃ状態である。MRIでは見えないものだったからこの検査をやった甲斐があったわけだ。

 

医師によると「見た限りでは多分大丈夫でしょう」とのことだったが「五分五分です」というちっとも大丈夫じゃない言葉まで付け加えられていた。

 

五分五分って言われるとビビる。イチローだってあれだけ打っても35分である。5割なんて張本さんでもピートローズでも無理な話である。

 

すい臓がんの5年生存率はすべてのがんの中でも最低である。男女ともにヒトケタである。すなわち9割以上の人が5年以内に亡くなってしまうわけだ。

 

怪しい影ががん状態のモノか気にする必要のないものなのか神のみぞ知る状態である。私の悪運が尽きる日も迫ってきているのだろうか。まだ結果が出ていないのにいろんなことを考えてしまう。

 

で、近いうちに1泊の検査入院をするハメになった。内視鏡経由ですい臓の怪しい部分に針を刺して検体を採取するらしい。医師によると採取自体はたいしたことないらしいが一応内臓に針を刺すから念のため1泊の入院が必要だとか。

 

すい臓がんはとにかくステージ1の前段階で見つけないと厄介である。担当の医師はその分野で名のある人なので、すい臓に針を刺す検査もこれまで5千件ほどこなしたから大丈夫だと私を勇気づけてくれた。でも私の頭の中には「5割でんがな!」という謎のフレーズがこだましている。

 

不思議なものでそんな診断を受けてしまうと日々のアレコレがすべて「すい臓問題」のせいかと思えてくる。バクバク食べても体重が一定水準のまま変わらないことも不自然に思えてきた。

 

普通の食生活なら徐々にやせ細っていくはずの身体が、ヘンテコなドカ食いのせいで維持されているだけなのではないか。最近、やたらと朝起きるのがツラいのもすい臓のせいか、白髪が増えたのもすい臓のせいか、美女を前にしてもいちいちクドかなくなったのもすい臓のせいなのかと思えてしまう。

 

そんな冗談を書いていても楽しい気分にならないから困りものだ。まあ、あまりクヨクヨしてもそれが原因で胃がんになりそうだから運を天に任せるようにしよう。

 

半世紀以上生きてきた中で、今までならやれバリウムを飲んだぜ、やれ高血圧の薬が欠かせないぜ、やれ胃カメラを体験したぜ等々の不健康ネタを面白おかしく語ってきた。友人達とも不健康ネタでマウントを取り合うような時期もあったのだが、そろそろシャレにならない年齢になったことを痛感する。


このブログでも今まで15年にわたって自分の健康問題を折に触れて書いてきた。病気っぽいネタは扁桃腺や老眼や腰痛や尿管結石ぐらいが関の山だったのに一気にジャンプアップ?してしまった感じである。

 

今日はすい臓問題と絡めてウマいものの話もミックスしながら書き進める予定だったが、結局すい臓問題だけに終始してしまった。小心者の私にとってはなかなかパンチのある話だったから頭の中はそれだけになっているようだ。

 

いかんいかん、しっかり切り替えねば。




2023年2月20日月曜日

チョコ、あんこ


このブログではまるで辛党のように食べ物の話を書いているが、私は結構な甘党でもある。毎日1度は甘いモノを口にしている。

 

先週はバレンタインデーだったからチョコレートをかなり食べた。どうしてバレンタインになると妙に洒落た高価なチョコばかり出回るのだろう。高いばかりで美味しくないものも多い。

 



銀座のオネエサンからはこの画像のようなイヤガラセのような巨大チョコも送られてきた。箱もデカく処分に困るしウケ狙いなのだろうがビミョーだ。

 

ゴディバだリンツだデメルだと人気の高級チョコはさまざまだが私が愛するのは「メイジ」である。明治ストロベリーチョコが一番ホッコリする。昭和ノスタルジー?に浸れる安定の美味しさだ。

 



 

ガルボシリーズも好きだ。映画を観ながらコーヒーと一緒にバクバク食べてしまう。個人的な好みだがコーヒーにはミルクチョコ系が合うと思う。ピスタチオがコーティングされているチョコなんかも私を幸せにしてくれる。

 

テレビを観ながらボリボリ食べてしまうスイーツの一つがウエハースだ。ご存じローカーのシリーズである。画像のようなミニサイズだと紅茶と一緒に味わうとすぐに完食してしまう。バニラとミルクの2種類が私の推しである。 


最近やたらと食べるようになったのが「あんこ」だ。こしあんをそのまま食べる。相棒はもちろん緑茶だ。週末散歩に頻繁に出かける門前仲町でウマい甘味処を見つけたのでそこのこしあんをしょっちゅう土産に買って帰る。

 

地元の老舗人気店「いり江」がお目当ての店だ。店内でもぜんざいやらあんみつを楽しんでいたのだが、あんこだけでも売ってくれるので常に買うようになった。

 

奇をてらったメニューの無い古典的な甘味処なのだが、この店のあんこは別格に美味しく感じる。それだけでお茶と一緒に楽しめる。

 


 

店で食べたイチゴあんみつの画像だ。あんことイチゴの相性はイチゴ大福でも分かるとおり間違いない組み合わせである。ちなみにお店ではアンズあんみつとどちらを選ぶかで迷う。

 

あんこは健康的な点も魅力だ。洋菓子に比べれば脂やクリームを使っていないからブリブリ食べても罪悪感が無い。ケーキとどら焼きを比べたらカロリーは半分程度だったような気がする。

 

どら焼きの皮や大福の餅など非あんこを抜きにしてあんこだけ食べていればきっとカロリーもゼロだと思う。そう思い込んでいるとドカドカ食べても気分は上がる。

 

あんこの主成分の小豆は実際に健康増進効果がいろいろある。肝機能を正常に戻す働きもあるそうだから二日酔いにも効き目があるらしい。実に素晴らしいジャパニーズスイーツである。

 

最近の私のマイブームがイチゴにこしあんを塗りたくって食べるパターンだ。イチゴ大福の餅抜きである。何口にも分けていちいちあんこをトッピングして味わう。もちもちした食感が無いのはちょっと淋しいが、イチゴの味とあんこの味がガチンコ対決状態で爽やかな美味しさである。

 


 

身体に悪そうなコンビニスイーツもしょっちゅう食べているのだが、そのすべてを「イチゴ&こしあん」に置き換えたらアッという間に私の体型は「目黒蓮」みたいになるはずだ。でもなかなかそれが実行できないのがツラい。

 

ついでにいえば、飲んだ後にペヤングやサッポロ一番を食べる習慣も目黒蓮には無いはずだから、やはり私が目黒蓮のようになることは天地がひっくり返ってもあり得ないわけだ。

 

“めめ”のファンが聞いたらぶっ飛ばされそうな結論になってしまった。

 

というわけで、あんこは人を幸せにします。とくにこしあんはウットリした時間を過ごせるのでオススメです。

 

 

 

 

 

2023年2月17日金曜日

普通の寿司屋


このところ「普通の寿司屋」を求めてさまよっている。いつの間にかバカ高い寿司屋がさも王道です!みたいな感じでブイブイと幅を利かせるようになってきた。何となくそんな風潮がイヤだ。


元々は江戸のファストフードだったのが寿司である。銀座や六本木あたりに増殖するバカ高い寿司屋とは違う「普通の寿司屋」を楽しんでこその寿司通?だと改めて思う。

 



このブログでも何度か書いたが、私は寿司修行を長年続けた。客としての修行である。全国津々浦々のお寿司屋さんで時に恥をかき時に叱られ諸々の知識を得た。

 

ひとり5万も6万も取るボッタクリまがいの店も何度も経験した。コースしか提供しないヘンテコな寿司屋も訪ねた。店ごとに多様性があるのは当然だが、値段に関してはいくら何でも常識的なラインはあるはずだと思う。

 

もちろん、一人5万の店でも客がそれを良しとすれば私がブツクサ言う話ではない。それでも日本人の国民食としての寿司を考えた場合、適価はそこではない。夜の寿司屋の場合、飲んでつまんで握ってもらって一人12万の範囲で収まってもらいたい。

 

あくまで普通に楽しく酒を飲み、それなりに気が利いたツマミをもらって握りをしっかり楽しむパターンを想定している。頼むネタによって随分お勘定は変わるが値の張るネタもちょこちょこ頼む前提だ。

 

もちろん、住宅街にあるような店によってはこんな“お好み”のパターンでも余裕で一人1万円を切ることは充分に可能だ。むしろそのぐらいが「普通の寿司」の水準だろう。

 

今日取り上げるのは都心部にある一見敷居が高そうなオジサマ好みの店である。家族連れよりもネクタイ族を顧客層に持つような店とでも言おうか。出前はやっていない路線の店である。

 

エンゲル係数破綻男である私はにその種の店で好き勝手に晩酌兼夕飯の時間を過ごすことが多い。外食だから安くはないがバカ高いのも困る。寡黙な大将が魔物と戦っているような顔で寿司と向き合っている凜とし過ぎた雰囲気の店も居心地が悪い。

 

普段の私は雰囲気も味も値段も納得の寿司屋に常連顔して通っているのだが、もともと寿司屋を新規開拓することを趣味みたいに面白がるクセがあるから他にも知らない店を探検したくなる。

 

最近も立て続けに34軒を探索してきた。どの店もさっき書いたような値段で収まる店ばかりだから特別高級な路線ではない。だからすべてが最高というわけではない。でもそれぞれに強みや個性があって面白かった。

 

 

こちらは銀座一丁目にある「鮨処まる伊」で出された蟹味噌の笹焼き。蟹味噌を普通に出さずにこうやって出すことで非日常感?につながって良かった。熱燗が進んでしまった。


冒頭の海老の握りもこちらで食べた。ヅケのような老舗っぽいネタもあるがサーモンも置いてあるカジュアルさが悪くない。

 


 

コハダをガリと一緒に和えてもらったツマミの画像は同じく銀座一丁目の「福助本店」での一コマ。こちらは大箱系チェーン店だが、少し高級感を出している店なので簡単な接待や簡単なデート?などに使い勝手が良さそうな雰囲気だ。

 


 

煮ハマグリ、煮ホタテ、穴子の握りである。煮ハマなんかを常備してあるあたりがニクい。チェーン展開している大箱系の回らない寿司屋にしては狙い目だと思う。

 



 

こういう形状の手巻き寿司の元祖を名乗るのが「築地玉寿司築地本店」だ。ここはカジュアルなチェーン店で家族連れなどにも人気の店だが、築地の目立たない場所に位置する本店には何度も出かけている。

 

コロナ禍の始めの頃のこと。多くの飲食店が閉まっている中、昼夜の通し営業をしていたこの店にある日の夕方にフラッと入ってみた。街に人の気配が無くなっていたようにこの店もガラガラだった。


悪評高きアルコール提供規制も早い時間なら関係なかったからノンビリ過ごした。あの頃は外食自体が悪いことみたいな変な同調圧力があったからこの店の存在が有難かった。

 

私にとってカジュアル系の大箱店も悪くない、というか、案外使い勝手が良いことを知るきっかけになった店だ。良い意味で職人さんとの距離があるから気兼ねせずにボーっと過ごせるし、居酒屋みたいな一品メニューが豊富なのも楽しい。

 


 

職人さんと対峙するような寿司屋も楽しいが、時には放っておいて欲しい日もある。そんな気分の時はこういう店の隅っこで贅沢にウニをツマミにダラダラ飲むことが多い。

 

続いては有楽町の交通会館地下にある「照鮨」。私は交通会館のレトロな感じが大好きで1階にある本屋に行ったついでに用も無いのにビルの中をウロウロしている。地下一階の古めかしい喫茶店でトマトジュースを飲むのが習慣みたいになっている。

 

照鮨の存在は知っていたが先日夜の早い時間に初めて覗いてみた。場所柄ランチで商売は成り立っているのか、夜は穴場なイメージだ。ベテラン店主がのっそり仕事をしているユルい感じが悪くない。テレビがついている店である。そういう普通っぽさ?も一人ノンビリ晩酌をする際には好都合だ。

 

ネタが少なかったのが残念だったが、そこは長年にわたる修行を経てきた私である。あるものの中から自分の好きなような組み立てを考えて楽しんだ。寿司屋の楽しみ方を自分なりに分かっている人には良い店だと思う。

 



 随所に昔ながらの寿司屋のこだわりが感じられるのが良かった。これも修行!の成果あってこそ気付けたのだと思う。茹でダコの絶妙な塩加減や火加減、赤身のヅケの加減、シャリのしっかりした酢飯感ともに老舗の個性を感じた。ツマミでもらったイクラが塩イクラだったのも昔の寿司屋っぽくて嬉しかった。

 



ウダウダと書いてみたが、結局のところ寿司屋を楽しめるかどうかは客自身が自分なりのスタイルをしっかり確立できているかどうかに尽きると思う。

 

おまかせコース一辺倒の店を不思議に思わず、それをまた寿司をよく知らない若者ばかりが書き込むネットのクチコミを元に有り難がるようなタイプの人なら昔ながらの渋い寿司屋の良さは理解不能だと思う。

 

それをことさら悪く言っても始まらないが「普通の寿司屋」の中に自分好みの味や面白さを見つけるのはちょっとしたオトナの楽しみだと思う。

 

 

 

 

 

2023年2月15日水曜日

東京の消えゆく味


気付かぬうちに変わってしまった味は意外に多い。土着的?な東京の味の多くもいつのまにか絶滅寸前だ。真っ黒い汁の中ですぐに切れちゃうようなフニャフニャなうどんなどその代表だろう。

 

あのうどんが美味しかったかと言われればビミョーだが、お目にかからなくなると妙に懐かしい。黒っぽい天ぷらしかり。今は関西風というか淡い感じのはかなげ?な天ぷらが主流だ。

 

先日、荻窪の実家からほど近い蕎麦の名店「本むら庵」に久しぶりに出かけた。その昔の暴飲暴食時代には蕎麦の盛りが少なすぎて欲求不満ばかり募ったのだが、私も今や爺さん予備軍だ。蕎麦の量もさほど気にならなくなった。

 




そうはいっても、この日は一品料理の他にせいろと田舎そばと天重まで食べたから充分食べ過ぎである。蕎麦の美味しさは期待通りだったが、十数年ぶりに食べた天重に妙に感動した。「これぞ東京の味!」と叫びたくなった。

 

何よりも黒い色が郷愁をそそる。見た目から想像するほど味は濃くない。ちょうど良い加減だ。衣も適量、揚げ加減も文句なし。下手な天ぷら屋の天丼より遙かにウマかった。

 



 薄~い衣で「抹茶塩でどうぞ」などと言われる天ぷらが苦手な私には最高だった。せいろや蕎麦がきはあえて酒の肴に追いやってメインとしてこの天重を味わうのが最高のパターンかもしれない。

 

さて、天ぷらの色だけでなく昔の東京の味はとにかく塩加減が強烈だった。東京というか関東に共通する傾向だろう。梅干しにしても焼き鮭にしてもヘタすると塩の味しかしなかった。

 

そりゃあイマドキのマイルドな味に変化していくのも当然かもしれない。でも失われてしまうと淋しいのも確かだ。時折ふと昔のバカみたいにショッパイ梅干しが恋しくなる。

 


 

飲み屋で梅干しサワーを頼む際は、2杯目、3杯目は注ぎ足しにして崩した梅干しをどんどん蓄積させていくのが流儀である。蜂蜜付けの梅干しばかりの昨今では今ひとつ味がパンチに欠ける気がする。昔の梅干しを使って注ぎ足しで4杯目ぐらいの梅干しサワーの味を想像すると無性に飲みたくなってしまう。

 

この画像のイクラも味が変わってしまったものの一つだ。今はイクラといえば醤油漬けばかりだ。昔は塩イクラが普通だった。中高年世代の東京人ならまず間違いなく子供の頃に覚えたイクラの味は塩イクラの味だったはず。

 

個人的には醤油漬けも好きだが、昔ながらの江戸前寿司の店で塩イクラが出てくると感動する。シャリと一緒に味わうには醤油漬けのほうが相性が良いのかもしれないが、イクラだけをそのまま日本酒のアテとして食べるなら塩イクラに軍配を上げたくなる。

 




タラコもいつの間にか明太子の勢いに押されてマイナー勢力になってきている。これもまたうどんや串カツや天ぷらなどの分野で顕著な「西からの攻勢」にやられてしまっているのだろう。

 

明太子に恨みはないが私の少年時代にはアレは九州みやげでしかなかった。変に辛いし普段食べているタラコのほうが断然ウマいという思いは今も変わらない。

 

お寿司屋さんを例にとっても明太子は常備していてもタラコは置いていない店のほうが多い。実に淋しいことだ。軽く炙ってももちろんウマいが私の好きな食べ方は生のままで酢に浸して味わうパターンだ。

 

人に勧めても不評のことが多い。こればかりは実家の祖母が食べていたわが家流の味だから仕方ない。でも生タラコ酢って絶対に美味しいと思う。ハマる人が増えることを祈っている。

 

続いては卵焼き問題である。東京人にとって卵焼きは甘いものだ。好みは人それぞれだから甘くない卵焼きを否定するわけではない。でもいつのまにか出汁巻き卵のほうがエバっているような気がするのは私だけだろうか。

 



お寿司屋さんで最後に食べるタマゴも甘いからこそシメとして成立すると思う。出汁巻き卵をシャリ抜きでドンと置かれても嬉しくない。甘い卵焼きの握りじゃないと私はイヤだ。

 

ウナギも気付けば「西からの攻勢」で蒸さない直焼きを出す店が増えているが、東京の人間としては蒸してフジャフジャになったウナギこそ正統なものだと確信している。

 



それはさておき、鰻屋さんに行ったら外せない「う巻き」である。関東風の鰻屋なのにう巻きの卵焼きが甘くないことがある。個人的にはかなり落胆する。

 

出汁巻きでう巻き、何ともビミョーだろう。好みは人それぞれだから私がここでブツクサ言っても仕方ない。でもう巻きは甘い卵焼きで仕上げて欲しいと切に願う。

 

時代遅れの東京人の主張かもしれないが、日々そんなことを考えている。

 

 

 

 

 

2023年2月13日月曜日

銀座の手


「アフリカの手」という言葉があると聞いたことがある。一度アフリカを訪ねると心を鷲摑みされて二度三度と行きたくなるといった意味合いらしい。

 

その例えをもじると「銀座の手」もあるように感じる。夜のクラブ街に一度馴染んでしまうと何となくルーティンのように訪ねるようになる。私も鷲摑みされちゃったのだろうか。

 

コロナ禍でぷっつりと行かなくなっていたのに昨年秋頃から何となく足を運ぶことが増えている。10年ぐらい前にマメに通った頃ほどではないが、準ルーティンぐらいに戻りつつある。

 



昔と変わったのはすぐに眠くなってしまってハシゴをしなくなった点だろうか。23軒は顔を出すつもりで動き始めても一軒だけで引き上げる。ヘタすると22時のタクシー規制が始まる前には流しのタクシーを掴まえて帰宅する。

 

だったら行かなきゃいいのにとも思うのだが、そこが「銀座の手」の厄介なところだ。しばらく間があくとモゾモゾするような感覚があって、ついついあの街のざわめきの中に身を置きにいく。

 

昨今の物価高騰とはまるで関係なく昔から物価が破綻している世界である。散財するばかりで何かを得ているのだろうか。そう考えるとビミョーだ。

 



行く理由は後付けで何とでも言える。現役感を確認しに行く、張りのある空気感を味わいたい等々いろいろだが、大袈裟に言えばいっぱしの男にとってのQOL向上の一環とでも言っておこうか。

 

このブログでも15年ぐらい前から夜の銀座ネタは随分と書いてきた。書きながら自分自身で夜の銀座の意味みたいなものを必死に考察してきたような気がする。一部だけ再掲してみる。

 

勝ち組クラブ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/08/blog-post_13.html

 

銀座 男と女

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/07/blog-post_27.html

 

銀座のクラブ 罠

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/05/blog-post_29.html

 

銀座の夜の物語

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/10/blog-post_21.html

 

偽装バンザイ

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/11/blog-post_29.html

 

部活

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/11/blog-post_07.html

 

銀座の夜のめぐり会い

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/09/blog-post_25.html

 

自分で読み返して感じたのはその頃の自分の若さである。夜の街で飲み歩くことに意味を見出そうと一生懸命にアンテナをはっている感じがする。

 

まだまだ感性がサビついていなかったのだろう。そう考えると最近はまったく何も考えずにブラブラ飲んでいる。ちょっとは自分を律していろんな発見や気づきに繋げるようにしないとダメだと感じる。

 

40代の中年と50代も半ばを過ぎた中年の違いは結局そのあたりのアンテナ感度に尽きるのかもしれない。私はまだまだ枯れるつもりはないから初心?に戻って夜のパトロールに励もうと思う。

 

そのためにはやはり「ムダな恋心」も必要だろう。何だかんだいってお気に入りの女子の尻を追っかけるようなマインドがあってこその現役男子である。

 

上に羅列した過去のネタを読み返すと、あの頃は○×ちゃんと良い仲だったな、△○ちゃんにはヒドいめにあったな、×△ちゃんとはズブズブだったな等々、その時々の背景にオネエサンが存在していた。

 

枯れないためにせいぜい毎朝のラジオ体操をサボらずに頑張ろうと思う。

 

2023年2月10日金曜日

ヒデキ!


西城秀樹の甥っ子がグラミー賞を受賞したそうだ。叔父さんに導かれて音楽の道に進んだそうだから孝行の極みだ。

 



西城秀樹に再び脚光が当たったことも何だか嬉しい。改めて思うが昭和の傑物だったと思う。ベタな「歌謡曲の人」というイメージのせいか、その実力や実績に比べて世間の評価が思ったほど高くない。

 

ヤングマンの「YMCA」の振り付けのイメージばかり先行してしまったのは西城秀樹にとって幸か不幸かビミョーだったと思う。

 

あの存在感、歌のうまさ、独特の歌唱法、表現力どれをとっても希有な存在だった。新御三家として郷ひろみ、野口五郎との3人セットで扱われがちだが、正直、まったく異質といっていいほど歌手・西城秀樹は別格だったと思う。

 

ちなみに新御三家にそれぞれ別の人のヒット曲を歌わせると仮定する。西城秀樹は残り2人の歌をしっかり表現力豊かに歌えると思うが、その逆は成立しないはずだ。私の思い込みだが、野口五郎にも郷ひろみにも「傷だらけのローラ」や「炎」、「ジャガー」といったヒデキ節は歌いこなせないと思う。

 

小学生の頃、ヒデキが熱唱する「ローラ~~!」を聴いて衝撃を受けた。「どうしたんだこの人、大丈夫か?」とさえ思った。

 

https://www.youtube.com/watch?v=xWq6ZJIpqvA

 

昭和40年代の終わり頃、歌謡曲と言えばまだまだお行儀良くしっかりすっきり歌うのが普通だった。そんな中でヒデキの絶唱系の表現力は抜きん出ていた。

 

いわば「シャウトする人」がいなかった世界に突如降臨した革命児だったような気がする。

 

そんな凄い存在だったのに「ヤングマン」の異常なまでの大ヒットでヒデキは「国民的体操のおにいさん」みたいな役割を期待されてしまったように思う。

 

ハンサムだしタッパはあるし、時代背景を考えてもアイドル歌謡の王道を進むしかなかったわけだが、ヒデキの才能はそんなワクに収まるものではなかったはずだ。

 

YouTubeに上がっているヒデキのドラムプレーを含むジャズパフォーマンスを見たのだが、ぐんぐん引き込まれてしまった。まさに日本トップのエンターテイナーだろう。下の動画の540秒あたりからの歌とそこからのドラムさばきの格好良さは感動モノだ

 

https://youtu.be/bk1hw17mf3E

 

いやあ圧巻である。ここまで卓越したショーマンだったんだと改めてヒデキの早過ぎる寿命が残念でならない。イマドキの売れっ子アイドル達が実に小粒に見えてくる。

 

ついでに脱線気味にもう一つ。加藤茶とのドラム競演も非常に面白いのでオススメです。

 

https://youtu.be/fsKC4pQYgxo

 

Wikipediaでヒデキの人生をしっかり読み込んでみたのだが、いやはや単なるアイドル歌手などと呼んではいけないスーパースターだったことがよく分かる。

 

小学生からバンド活動に励んでいたという早熟ぶりはさておき、初の野球場コンサート、初の大規模野外フェス、ペンライトをファンが振り出したのもヒデキのステージが元祖らしい。香港をはじめとするアジアでの熱狂的な人気も当時としては凄いことだった。

 

ちなみにカレーライスが国民食になったのもヒデキのおかげという説まであるらしい。確かに「ヒデキ感激!」のインパクトは強かった。


いずれにせよ今のエンタメ業界はすべてヒデキの作ったレールの上で進んできたと言っても言い過ぎではないのかも知れない。

 

素人的なヒデキ評論?に私を駆り立てたのにはもう一つ理由がある。私が初めて間近で目撃したスターが西城秀樹だったからだ。その強烈な印象はいまも残っている。

 

小学生の頃に見学した日本テレビ音楽祭みたいな番組の公開収録現場での話だ。ナゼか関係者通路に入れてもらっていた私のそばに白いプレスリーみたいな衣装を着たヒデキが立っていた。ナマヒデキである。勃○しそうになった。キラキラして宇宙人のように思えた。

 

私にとってあの日のヒデキ遭遇事件と中学2年の夏にグアムのプールで目撃した石川さゆりのビキニボイン事件はその後数え切れないほどの芸能人有名人遭遇歴の中でもピカ1の大事な記憶である。

 

「傷だらけのローラ」や「ジャガー」「ブーメランストリート」といったイっちゃってる系の他、「ブルースカイブルー」「ブーツを脱いで朝食を」「抱きしめてジルバ」のようなアダルト系もカッチョ良かった。はたまた「ギャランドゥ」みたいなノリノリ系もヒデキの魅力を引き立てていた。

 

中高年世代ならヒデキの何かしらの曲にいろんな思い出を持っていると思う。

 

ついでに言えば「ギャランドゥ」という言葉を男性の下半身の体毛の呼称に変えてしまったのもヒデキの功績?である。中高年世代の人間には信じられない話かもしれないが、今の若い人の多くが「ギャランドゥ」という言葉を体毛の意味としてしか認識していない。

 

歌のタイトルが由来だとか、ヒデキが芸能人水泳大会で競泳パンツから湧き出させていた体毛が由来だとかをまったく知らない。バストやフィンガーみたいな単なる普通名詞だと思っているわけだ。

 

そんな人があの名曲「ギャランドゥ」を初めて聴いたらビックリするだろう。なんてたって♪悔しいけれど おまえに夢中 体毛!陰毛!♪と歌っているようにしか聞こえないことになる。

 

脱線してしまった。少しだけYouTubeからヒデキの動画を紹介したい。まずは「ジャガー」。140秒あたりからの語りの部分はヒデキが唯一無二の存在だったことを再認識させてくれる。

 

https://www.youtube.com/watch?v=G3XXqPTLqkI

 

続いては懐かしい曲を集めた総集編みたいなもの。どんな曲もヒデキの手にかかれば熱唱系になる。精一杯真面目に歌い上げるヒデキはカッチョイイと思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=glKWPYTCbcI

 

とにかくヒデキの凄さはもっともっと評価されて然るべきだと思う。ヒデキが亡くなった年の大晦日の紅白で追悼コーナーが設けられるかと期待していたのに何も無かったのは残念だった。

 

これからでも没後○年とかの企画でヒデキに脚光を浴びせて欲しいと思う。

 

 

 

 

 

2023年2月8日水曜日

酒器の眠り

 

根っからの凝り性だからこれまでいろんなものにハマってきた。中でも酒器収集には気が狂ったように熱中した時期があった。30歳を過ぎた頃から興味が強まり、その後10数年は「徳利、ぐい飲み」のことばかり考えていた気がする。

 

今も好きだが、当時の熱はさすがに冷めた。100個以上あったコレクションも売ったり人にあげたりして今は徳利が20本程度、ぐい飲みが30個ほど手元にあるだけだ。

 



家で飲む機会はあまり無いのでまさに宝の持ち腐れである。時折お気に入りを手にとって掌でもてあそぶことはあるがほぼ使っていない。

 

高価なものだろうと使ってこそナンボなのが器である。そろそろ考えなきゃならない断捨離の際に一連の酒器をどうするかで苦悩しそうだ。

 

以前はビジネスバックには常にぐい飲みを入れていた。巾着袋に入れた状態で唐津か備前の逸品を持ち歩いていた。最近はバック自体を持たないことが増えたから気の利いた店のカウンターで愛器を取り出して使う場面もなくなった。


ちなみに10年以上前にはこのブログでも酒器を熱く語っていた。


 http://fugoh-kisya.blogspot.com/2007/10/blog-post_30.html

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/03/blog-post.html

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/01/blog-post_10.html


なんだか劣化である。どんなジャンルであろうとこだわりを持つことは大事だ。歳とともにそれがどんどん無くなっていく感覚がある。ちょっと残念。

 

とはいえ、肩の力が抜けたというか、呪縛のようなものから解放された感覚もある。これも一種の年の功だろうか。そう考えるほうが建設的である。

 



これは3年ほど前に娘の大学入学記念という大義名分で購入した唐津のぐい飲みだ。名匠・田中佐次郎さんの出来の良い斑唐津である。


俗に「備前の徳利、唐津のぐい飲み」と言われるように酒器愛好家にとっては垂涎の作品。お金を出して手に入れた酒器は今のところこれが最後である。

 

記念で買ったのに購入直後に自宅で一人しっぽり使っただけである。実にもったいない。でも最近は家で日本酒を飲む機会が無いから仕方ない。

 

酒なんて気分で味が左右されるものだ。お気に入りの器も重要な役割を果たす。何かの記念で入手したのもしかり旅先で手に入れたものしかり。旅の思い出も飲んでいる際の気分をアゲる要素になる。

 

思えば唐津や備前の窯場には何度も足を運び、他にも信楽、美濃、常滑、有田、越前、丹波、砥部、益子、壺屋など日本中で窯場巡りをした。どこでものどかな日本の原風景みたいな光景の中を散策した。

 

作家さんの陶房を訪ねたり土地土地のウマいものを味わったり旅の記憶がそこで入手した酒器の使い心地を一層良くしてくれるのが楽しくて一種の中毒のように器のことばかり考えていた。

 

ベンツのSクラスぐらい余裕で変えるぐらい散財したと思う。もっとだろうか。でも自分にとって無駄な出費ではなかった。その分いろんな知識が身に付いた。

 

いい歳になってみると器の知識は雑学の中でも結構活躍?してくれる。料理屋さんでそのあたりの話題に専門用語も交えて語っちゃったりするといっぱしの教養人だと錯覚してもらえる。

 



 こちらは独特の柔らかい雰囲気の釉薬が魅力的な逸品。人間国宝だった故・清水卯一さんの作品だ。娘が生まれた記念にウン十万円で購入。

 

口当たりも柔らかで注いだ酒も綺麗に映える実に素晴らしい盃なのだが、これも仕舞い込んだままだ。まめに使ったほうが器も喜ぶはずだから気分の良い日にはもったいぶらずに使おうと思う。

 

今の私はどう逆立ちしたって人生の後半戦にいる。いつまでも何も考えずにグビグビ飲める日が続くわけではない。昔はそんなこと考えもしなかったが、そろそろ人生終盤戦という現実の中での行動を意識しないといけない。

 

眠らせたままの酒器たちに活躍の場を与えることはそれだけ自分の身辺に活気がある証拠にもなりそうだ。肝臓と相談しながら適度に愛器たちを眠りから覚ましてやろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月6日月曜日

シメの一品

 

飲んだ後に「シメの一品」が食べたくなるのは私のデブを完成させた要因である。これまでの人生でシメに何かを食べるという行為をしなければきっと私の体型は「目黒蓮」ぐらいシュッとしていたはずだ。

 



飲んだ後のラーメンには中毒性がある。普通の人ならアッサリした醤油ラーメンで済むのだろうが、私の場合は味噌ラーメンを選びがちだ。

 

とはいえ、もともとそんなにラーメン好きではないので酔った後に食べたくなるのはドンブリ飯のほうが多い。吉野家や松屋の看板ってホロ酔い気分だと催眠術にかかったように魅惑的に感じる。不思議だ。色彩心理を研究した結果の看板デザインなのかもしれない。

 

飲んだ後にわざわざ別な店に行くより飲んでいた店でシメの一品を頼むほうが効率的だし、サイズ的にもドカ食い防止になる。最近はなるべく一軒の店で完結するように心がけている。

 



焼鳥屋さんで飲んだ後のそぼろご飯などは、その後に牛丼やラーメンを食べるよりはるかに健康的な気がする。大袈裟に言えば寿命にかかわる問題だからなるべく小さめのご飯で済ますべきだろう。

 

ちょっと高級路線の焼鳥屋さんだとワンダフルな親子丼が用意されていることが多い。あれは危険だ。タマゴの摂り過ぎにもつながるし盛りによってはカロリーも高そうだ。

 


 

そうはいっても間違いなくウマいし、品良く焼き鳥を数本食べた程度の中途半端な状態を一気に満足感に変えてくれるのでついつい注文してしまう。この画像は銀座にある「串銀座」の一品。

 

ドンブリ界の王者はカツ丼だと信じて疑わない私だが、飲んだ後のシメだと親子丼のほうが魅力的だ。コメ、卵、鶏肉、ダシの効いたつゆが見事に融合した日本料理の最高峰と呼びたくなる。

 



鍋の後の雑炊もこれまた日本料理の神髄みたいなものだ。水炊き、ふぐ鍋、クエ鍋、ちゃんこだって良い。鍋に貯まった旨味をコメが吸い上げるわけだからマズいわけがない。「シメ業界の最高峰」と呼びたくなる。

 

と、まともな“シメ論”を書いてきたが、私にとって厄介な問題が「寿司の後」である。寿司好きを自認するくせにナゼか寿司屋で飲んだ後は違う味のものを食べたくなるのが私の悪しき習慣だ。

 

一時期、お寿司屋さんではツマミばかり楽しんで握りは34貫しか食べないことが多かった。後になって満腹じゃないことに気づき別なものを食べるのがクセになってしまった。

 

最近はしっかり握りも食べるようになったのだが、コメをちゃんと摂取して満腹になったつもりなのにナゼか「シメの何か」を求めてしまう。

 

口の中が魚っぽく?なったのを消し去りたいのだろうか。だとしたら寿司が嫌いな人みたいである。最後にコハダあたりで終わらせると必ずジャンクフードが欲しくなる。コンビニに寄ってチンするだけのナポリタンなんかを買ってしまう。

 

コンビニのパスタぐらいならまだしもウーバーでマックを注文しちゃうことも多い。30代ぐらいの頃に「寿司屋の後はフィレオフィッシュ」という謎の習慣が身に付いてしまって以来の悪いクセだ。

 


 

一応、魚つながりを意識するせいでフィレオフィッシュを選びたくなる。寿司で酢っぽく?なった私の口をあのタルタルソースがうまくまとめてくれる。気のせいだろうがたぶんそんな感じ。

 

ホロ酔いだからフィレオフィッシュを最低2つは食べてしまう。でも不思議なものでフィレオフィッシュを二つ食べると今度は肉肉しいハンバーガーも食べたくなる悪循環が始まる。

 

そんな最悪な事態を避けるのに有効なのが以前にも紹介した「フィレオダブチ」である。フィレオフィッシュとダブルチーズバーガーの合体バージョンである。

 



 しょせん、などと言ってはいけないのだが、しょせんマックだから味の系統にどこか通じるものがあるのだろう。肉と魚のミックスでもちっとも味がケンカしないのが魅力だ。ケンカしないどころか味に複雑さが加わる。ちゃんと美味しい。

 

味の良さだけでなくビックマックよりも何となくボリュームがあるように感じて満足感も得られる。「ジャンクな男メシの最高峰」とでも呼びたくなる。

 

シメの一品に分類するにはかなりヘンテコだが、このブログを読んでいる皆様が寿司屋の後に別なもので満腹感を味わいたいと思ったならゼヒ試して欲しい。きっと新たな世界が見えるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月3日金曜日

寒さも調味料?



 冬は女性の薄着が見られないことが残念だが、寒い時ならではの魅力も捨てがたい。いきなり扇情的な画像を載せてしまったが、今日も上の画像に関係なく食べ物の話を書く。

 

面白いもので暑い時期にはちっとも惹かれなくても寒くなると途端に恋しくなるものは多い。この感覚こそが四季のある国に暮らす幸運だろう。

 

炎天下の後の熱帯夜に飲みたいとは思わない代表がヒレ酒だ。冬の味の象徴みたいなものである。アッチチとか言いながらすするとジンワリと体に染みこんでいく。冬は冬で悪くないと納得する。

 


 

その昔、高校生の頃のこと。同級生で代々続くフグ屋のセガレから極上のヒレをプレゼントされたことがあった。アルミホイルに包まれたその物体を渡されたときは何かの呪いかオマジナイの道具かと思った。

 

その友人に詳しく解説してもらって家で楽しんでみたのが人生初のヒレ酒だった。高校生の舌には良さがさほど分からなかったのだが今では大好物になった。

 

つくづくあんな素敵な飲み方を考案する日本人の食に対する貪欲さを痛感する。魚のヒレを炙って熱々の酒に投入しようと考えついた人は天才だ。普通ならそんなことは考えない。偉人の功績だろう。

 

鍋物やおでんも冬の味だ。エアコンの冷気で冷え切っちゃった夏の夜におでんを突っつくのも悪くないが、やはり冬真っ盛りの時こそ恋しくなる。

 


 

私は基本的におでんが苦手なのだが大人ぶってイヤイヤ食べているうちに良さが分かるようになった。「出汁の旨味」という日本料理の最重要ポイントを実に完璧に体現した逸品だと思う。

 

そんな凄い存在なのに世間であまりもてはやされないのも良い。昭和のフォークソングの世界では安い食べ物の代表みたいに描かれていた。昭和の頃はおでんの屋台をよく見かけたが最近ではすっかり見なくなった。コンビニが普及したことの反作用なのだろう。

 

先日久しぶりにクエ鍋を食べに行った。銀座にある土佐料理店「祢保希(ねぼけ)」の冬のレギュラーメニューなので毎年寒くなると条件反射のように出かける。

 

土佐料理屋だからカツオのタタキにごく自然にニンニクスライスが付いてくるのもこの店のポイントだ。お寿司屋さんなどでウマいカツオをちょくちょく食べているせいで、この店のカツオにはもう少し頑張って欲しい?と思うのだが、ニンニクスライスをたっぷりもらえるからその部分に満足してしまう。

 


 

鯨料理が常備されているのも嬉しい。これはウネスの燻製。口の中でジュワっと脂と旨味が広がる。クジラベーコンに代表されるいわば日本古来のジャンクフードみたいなものだが今ではすっかり高級品になった。

 

さて、クエ鍋の特徴は魚なのに肉を食ったかのような満足感がある点だろう。魚だから淡泊なのだが存在感というか重量感というか「しっかり食ったぞ」という気分になる。

 

似ているわけではないが鶏肉をガシッと食べたような感じとでもいおうか。アッサリし過ぎない食べ応えが満足感に繋がる。よく比べられるふぐ鍋のふぐよりも身肉自体の味が濃い。万人受けする美味しさだと思う。

 



ふぐ鍋のようにポピュラーじゃない点も良い。初めて食べる人には想像がつかない味だ。ふぐの淡泊すぎる味に拍子抜けしたことがある人ならクエ鍋のファンになる可能性は高い。

 

鍋だと何故か野菜も食べてしまう。日頃野菜を親の仇みたいに嫌っている私でもムホムホ食べてしまう。おまけに「美味しい」とさえつぶやいてしまう。

 

変な話、私はとっくの昔から充分すぎるほど大人なのだが、鍋の野菜を無造作に食べていると自分が立派な大人になったような気がする。意味不明でスイマセン。

 

というわけで、とくにオチは無いのだが冬の味覚を堪能していると身を切るような寒さもウマいものに感動するための舞台装置だと思える。まさにポジティブシンキングである。