2010年12月29日水曜日

ダウンちゃん活躍

久しぶりにわが家のダウンちゃんの話を書く。

まもなく4歳なのだが、相変わらずしゃべれない。ただ、だいぶ意思の疎通がはかれるようになった。もっとも、彼特有の言語というか、つたない単語の発声を聞き分けられればそれなりに通じ合えるレベルだ。

誰にでも通じる言葉は「おわり」と「おいしい」と「パパ」と「バイバイ」ぐらいだ。

「ジュースちょうだい」は「うーす、っだい」だし、「おかえりなさい」は「うーりー」だし、「テレビ見る」は「びーぴる」だ。

それでもほんの少しづつ正確な発音に近づきつつあるから良しとしよう。

ダウン症の特徴としては、穏やかとかひょうきん、はたまた頑固とかが一般的に言われている。

わが家のチビはあまり穏やかなほうではないが、確かにひょうきんだし頑固だ。

問題は頑固な点だ。なかなか根性が座っている。私にたたかれようともイヤなことは徹底して拒否しようとする。

でもここが勝負?どころだ。健常児であろうとそうでなかろうと、年齢的には「しつけ」に本腰を入れないといけない時期だ。

最近は、両親それぞれが怒る場面が増えてきた。彼もそこそこ頭を使っているようで、分かっていないフリをするぐらいの知恵がついてきたから困りものだ。

「この子にはどうせ分かんない。仕方ないか」。障害児を持つ親としてついつい陥りがちなこうしたあきらめ感を逆手に取ろうとしっかり計算している。たいしたもんだ。

ガマン比べだ。

時に憂鬱になる。時に絶望する。時に無性にやりきれなくなる。正直そう思うのだが、最近ふっと気づいた。

「これって結構幸せかも」。

しつけに悩む、しつけに苦労するということ自体が喜ばしい。強がりでも綺麗ごとでもない。確かにそう思える時がある。

しつけに時間と手間がかかっても、根比べしているうちにチビが負け?を認めて、そのしつけを身に付けてくれる。出来なかったことが出来るようになる喜びは健常児である娘の時よりも大きい。

少し前までは、帰宅すると靴ごと部屋に上がっていたのに、ごく自然に自分で靴を脱ぎ、コートを脱ごうとするようになった。食事の時も皿を左手で押さえて中味がこぼれないように調整できるようになった。
意味もなく私に噛みついたり、私の顔をかきむしることもなくなった。

風呂の際も、脱衣所で頑張って服を脱ごうとするし、トイレの後に必死にパンツを履こうとしている姿なんか、ほんの1年前には想像できなかった。

思っていた以上にスローペースではあるが、少しずつでも進化しているわけだから有難いことだと思う。

世の中にはもっともっと重度の障害を背負いながら頑張っている人が大勢いるし、そもそも「しつけ」自体が叶わない状態の人だっている。

合併症も無く自由に身体が動かせるわが家のチビは、しつけをすればなんとか応えてくれる。これって間違いなく幸せなことだろう。

ついでに書いてしまうが、先日、わが家のチビのおかげで非常に嬉しい思いをした。正直、感激してちょっと泣いた。

冒頭でも書いたが、チビの得意言語の一つである「おわり」にまつわる話だ。彼の通う保育園の保護者から聞かされた。

保育園の仲間は大体が4歳児。みんないっぱしだ。派閥に分かれて争いごとも起きるらしい。口が達者になってきた年頃だから激しい口喧嘩に発展することもあるとか。

そんなとき、会話も出来ないわが家のチビがノコノコ入ってきて一生懸命「お~わ~り~!」と語りかけるんだという。

子ども達のケンカはいつも彼の「お~わ~り~!」で終息するそうだ。

そんな話を保育園の保母さんではなく、ほとんど付き合いのない親御さんから聞かされた。

今年一番嬉しい出来事だった。

健常児しかいない保育園に通わせるようになった時、さすがに「迷惑をかけるんだろうなあ」、「あいつが行ってもいいのかなあ」みたいな感覚がそれなりにあった。今もそういう感覚はある。

でも、この話を聞いた時、「あいつが行っても良かったんだな」、「あいつも社会の中で役に立ったんだな」という感傷的な気分になり、思わずウルウルしてしまった。

もともと「福笑い」みたいな顔をしたわが家のダウンちゃんだ。そんなあいつが平和を唱えている姿を想像したら感激する。

生まれてから、わずか数日後に医師からダウン症の宣告を受けた彼は、気の毒なことに頼みの親に落胆され、失望され、本来ならバンザイして喜ばれるはずなのに、おめおめと泣かれたりした。

そんなことを思い出すと“平和の使者”みたいに頑張っているあいつに対して申し訳ない気持ちになる。生まれてきてくれた時に大喜びして迎えてあげられなかった代わりに、せめて精一杯いろんなことを教えてやりたいし、体験させてやろうと改めて思う。

厳しくしつけてやろう。それが彼自身の将来に確実にプラスになるはずだ。

でも、なかなか厳しくなりきれない甘甘な父親だ。


※※今年の更新はこれで終わりです。皆様よいお年を!。来年は1月5日から再開予定です。

2010年12月27日月曜日

クルマを変えて演歌を唄う

今日は本題に入る前に一昨日のテレビ朝日の「忠臣蔵」に触れねばなるまい。先週ここで散々書いたから感想を書いてみる。

見るだけ損した。率直な感想だ。脚本になんの目新しさはないし、やはり「正和」の大石内蔵助はどうにもミスキャストだった。「檀れい」が嫌いだという私個人の特殊な理由という次元ではなく、全体に腑抜けた作品だったと思う。

ちょっとだけ出てきた北大路欣也とか松平健の存在感が抜群だっただけに、大石役のヘナチョコ感が目立ってしまった。実は私、田村正和が昔から好きななのだが、ひいき目に見ても全然ダメ。正月休みはレンタルビデオで昔の重厚な役者さんの忠臣蔵を見直そうと思う。

さてさて本題に入る。

自分自身の今年のトピックスを考えてみた。
今年は四半世紀にわたる趣味である水中写真撮影の完全デジタル化が実現した。お金もかかった・・。

突然の「靴欲しい病」に感染し、ジョンロブを始め、クロケット&ジョーンズ、ステファノ・ブランキーニ、サントーニ、ステファノ・ビ等々ご立派な高級靴所有者になってしまった。こちらも大散財だ・・・。

それより大きな買い物もあった。

クルマを2台も買ってしまった。

ちょっと富豪っぽい響きだ。

そんなことを書くと金満ブリブリみたいだが実際は違う。

もともと2台所有だったのだが、たまたま今年、両方を買い換えた。といってもそれぞれ30年ぐらいの?長期ローンを組んでセコセコ購入したので家計上の固定費的には激変ではない。

イギリスぐるまとドイツぐるまだ。といってもロールスロイスとかマイバッハを買ったのではない。もっと庶民的だ。1台は鬼嫁用なので実用性だけで選んだ。

ドイツぐるまなんてやたらと燃費がいいので、乗り換え前のクルマよりトータルコストは安くつくかも知れない。

以前は今よりもクルマに対する執着が強かったので、2~3年に一度は買い換えていた。正直、リセールバリューの高い車を短期間で替えていた方が経済的には得なこともある。

今回買い換えたきっかけは、持っていたクルマがそれぞれ5年モノと6年モノになってしまって、そろそろ手放さないと売値がつかなくなりそうだったから。

はっきりいって、経済効率のためだ。次に購入するクルマの頭金ぐらいは作れないと買換えが難しくなる。

売り時を考えると長く乗りすぎたとも言える。

さてさて、一気に買い換えたのでクルマ世界の技術革新にやたらと驚かされた。いつの間にかカギを差し込まなくてもドアロックは解除されるし、変なボタンを押すとエンジンだってかかってしまう。

馴れるまで結構たじろいだ。

ハンドルがヒーター機能で温まるようなオッサンには嬉しい機能もあるが、わけの分からない機能も多い。

バックする際にはコンソールのモニターに後方の画像が映し出される。でも正直、あんなものに頼ると距離感がまったく掴めないので危なくって仕方ない。

イギリスぐるまでは、コンビニの駐車場に止まっていた自転車をなぎ倒して、あわてて逃げたし、ドイツぐるまでもガードレールと激しくキスをしてしまった。

バックモニターとやらは正直不要だと思う。その考え方自体が古いのだろうか。

2台ともCDチェンジャーがついていないことに慌てたが、iPod対応コネクターとやらが装着されていたのでバンザイだ。

昔は12連奏チェンジャーとかを装着してウホウホいっていたが、イマドキぐるまはiPodに収録されている1千曲以上の音楽をコントロールできるのだから実に有難い。


最近は、クルマの中で熱唱するために演歌フォルダを作成し、涼しい顔をしながらうなっている。信号待ちの周囲の眼が気になるので、なるべく口元を動かさずに歌うことが得意になってきた。

腹話術歌唱法とでも名付けようか。

運転中にうなっていると、なぜか肝心のサビのあたりで信号待ちで停車する。しかたなく思索にふける哲学的な男のふりをして鼻の下から口までを手のひらで覆い隠して伏し目がちに歌い続ける。

我ながらケナゲだと思う。

うたっているのは五木ひろしや森進一あたりの古典的ナンバーだ。それにしても「北の螢」は名曲だ。


♪もしも私が死んだなら
胸の乳房をつき破り
赤い螢が飛ぶでしょう♪


やはり阿久悠は偉大だ。ああいうドラマチックな歌が書ける作詞家はもう出てこないのだろうか。

三善英史の「雨」。これまたシットリ系だ。仕事帰りに運転している時はこの歌を歌いながら、業務モードをリセットする。

あとは五木ひろしの「夜空」とか「待っている女」にしびれている。作詞はかの山口洋子。銀座の伝説的クラブ「姫」のママさんだった人だ。

やはり昭和の演歌はドラマチックで情緒があって素晴らしいと思う。

それにしても若い頃は筋金入りの演歌嫌いだったのに、どうして中年になると率先して演歌を聴くようになるのだろう。

それにしても、どうして車を買い換えたテーマなのに画像が森進一なんだろう。

クルマの話はどこにいってしまったのだろう。

なんか支離滅裂でスイマセン。

2010年12月24日金曜日

クリスマスと忠臣蔵

クリスマスイブだ。だからどうした。うっとおしい。こんな感覚も加齢のせいだろうか。

街のイルミネーションの綺麗さは認めるが、正直、せわしなさを痛感させられるようで苦手だ。もうすぐキンキラが終わってくれるかと思うとホッとする。

私だって若い頃はクリスマスにときめいたこともあった。クリスマスソングを編集したお手製カセットテープを得意になって作ったり、そんな流れで海までドライブだってしたもんだ。

大きなツリーの下でチューしたことぐらいあるし、気取ったホテルでせっせと交尾活動に励んだことだってある。

でも、やはり日本人の12月といえば「忠臣蔵」だろう。やっぱり赤穂浪士に尽きる。

明日、テレビ朝日のドラマスペシャルが忠臣蔵だ。小学生の頃からの忠臣蔵ファンである私にとっては、結構楽しみだ。

ストーリーはだいたい分かっている。それでも一生懸命見てしまう。それが12月の正しい日本人の姿だ。

今回のドラマは大石内蔵助に田村正和、吉良上野介に西田敏行だ。うーん、どうだろう。

なんか逆のほうが似合う気がする。正和じゃチョット疲れてるしニヒル過ぎ。なにしろ実年齢が67歳だ。大石は討ち入り時には45歳だったのでビミョーな感じだ。かえって吉良役のほうがいい味出しそうな気がする。

まあ斬新なキャスティングではある。非常に大きな問題は、“かんしゃく持ち浅野”の未亡人である遙泉院を「檀れい」が演じることだ。

なんの恨みもないのだが、私は「檀れい」が強烈に苦手だ(ファンの人、スイマセン!)。あの人を見ると条件反射でチャンネルを替えちゃう習慣があるので、ドラマを見ながらそのクセが出ちゃうと困る。

忠臣蔵での遙泉院といえば、討ち入り前夜に訪ねてくる大石とのやり取りが見せ場だ。

端的に解説すると、最後の最後まで「仇討ちなんかするもんかい」という態度の大石に対して、浅野公の未亡人として「あんたそれでもキンタ○付いてんのかい」とキレる場面だ。

吉良サイドのスパイが遙泉院のそばにいることを察した大石が機転を利かせて討ち入りの予定をスッとぼける。私の大好きなシーンのひとつなのだが、「檀れい」か・・・・。うーん。

忠臣蔵といえば役所広司と佐藤浩市による映画が公開されたばかりだ。結構評判が高いみたいだ。時間を作って見に行きたい。

昭和50年のNHK大河ドラマ「元禄太平記」にハマって以来の忠臣蔵ファンである私は、小学生の頃、親にせがんで赤穂まで旅行にも行った。顔の輪郭部分だけくりぬいてあるシュールな大石の絵が描かれたハリボテで喜んで写真を撮ってもらったぐらいだ。

泉岳寺にも何度か行った。内容は忘れちゃったが随分と関連本も読んだ。

ここ数年、密かに期待しているのが、「吉良さん、お気の毒」という設定での忠臣蔵だ。だれかアマノジャクなプロデューサーがドラマなり映画化してくれないだろうか。

実際にそういう角度からの歴史観も根強く存在する。そりゃそうだ。何の因果か知らないが、お上の裁きに逆ギレした失業者達が、お上にケンカを売らずに、吉良さんに逆恨みをして寝込みを襲ったわけだ。脚色の仕方によっては面白い作品になると思う。

吉良側からみれば赤穂浪士は、荒くれたテロリスト集団でしかないわけで、隠居した爺さんとしてはぶったまげた話ではある。

まあ、そんな映画を作ったら、配給会社も監督も出演者も、日本の伝統を愛するコワい顔の各種団体から総攻撃を受けるだろうから実現は難しいかもしれない。

まあそれはさておき、クリスマスの夜に「コテコテのニッポン浪花節ドラマ」をぶつけてくるテレビ朝日の粋な編成に乾杯したい。

「メリー・忠臣蔵!」

2010年12月22日水曜日

格差って何だ?

富裕層への課税強化を政策に掲げていたアメリカのオバマ大統領。議会対策などもろもろの理由で路線転換。先日、富裕層に対しても所得税減税を継続する法案に署名した。

片やわがニッポン。先週まとめた来年度税制改正大綱で、べたべたな大衆おもねり路線の富裕層大増税を決めた。

富裕層といっても年収2千万円超の月給取りが主なターゲット。給与所得者、すなわちサラリーマンのわずか0.4%しかいない階層をイジメて悦に入っている。

結局、来年の統一地方選のための選挙対策。このところ地方選挙で連戦連敗の民主党だけに実にわかりやすい政策だ。

オバマ大統領の判断も端的にいえば議会対策だが、野党・共和党が訴えていた景気対策としての中堅・高所得者層減税に乗っかった格好だ。

「お金持ちにお金を使ってもらって景気を牽引する」。わが国では、こういう単純な理屈がどうして大きな声として盛り上がってこないのだろうか。

これも一種の情報操作だろう。そう思っている人は想像以上に多いはずだが、メディアも金持ち優遇というレッテルを極端に恐れるあまり、こうした角度からモノを言わない。

「みんなの党」・渡辺喜美代表の父親で“ミッチー”の愛称で人気のあった故渡辺美智雄氏などは堂々と金持ち優遇論を語っていたが、それこそが経済通の本音だろう。

米国の政策はそのあたりの機微が理解できている。相続税だって廃止するほどの英断に踏み切った国だ。活力とパワーを考えるとわが国とはまさに対称的だ。

「金持ちは敵だ。みんなで平等に貧乏を目指そう」という民主党の政策が色濃く出た来年度税制改正だが、そんな思いを強くしたのが、そもそもの税制改正の目的だ。

雇用拡大などと並んで絶対的な柱に位置付けられたのが「格差是正」。一見何でもない言葉にも見えるが、よくよく考えれば実に抽象的かつ情緒的だ。

そもそも、この国に存在する格差ってそんなに大きいのだろうか。主要先進国、いや先進国以外の国々に比べても格差が大きいとは正直思えない。

識字率の高さなんておそらく世界一だろうし、進学率にしても高校進学率は確か95%を超えている。大学進学率ですら50%超だ。

生活保護受給世帯が増加中とはいえ、行き倒れなどニュースになるぐらいの珍しさだ。

リッチマンにしても、宮殿のような豪邸に住み、遊んで暮らせるようなスーパーリッチがどれだけいるのだろうか。

テレビの豪邸拝見みたいな番組を見ても、先進諸外国のスーパーリッチあたりと比べれば可愛いレベルだろう。

経済大国という割には、超が付くスーパー豪邸だけが建ち並ぶような街が存在しないことだけでもその証しだろう。

民主党が言う「格差是正」の定義って何だろう。結局闇雲に「金持ちを減らせ」といっているだけに聞こえる。

旧社会党系の残党が牛耳る集団の正体見たりだ。

税制改正大綱をまとめた某大臣は嬉しそうに「格差是正の目的に対してきちっと手当が出来た」と語っていたが、どういう理念あっての政策なんだか大いに疑問だ。

古今東西、文化、芸術、消費行動すべてにおいて牽引役となったのは高所得者層であり、資産家層であることは間違いのない事実だ。

低所得者対策は確かに政治課題だが、ブラブラしているプー太郎とか、努力すらしない階層までひっくるめて「弱者」といって哀れむ発想が気持ち悪い。

不労所得には特別な課税も用意されている。それとは別に必死に努力して頑張って人より稼げるようになった人に対してだって累進課税という仕組みで多めに税金が取られる。

そもそもそういう大原則がありながら、新たに追加して収奪のごとき発想で税金を更に取ろうとする発想って、嫉妬や逆恨みに基づく実に不健康な考え方だ。

社会経験のない小役人や司法試験しか頭になかったお勉強ちゃんや市民運動家あたりに政治をまかせると、結局こういう意味不明な屁理屈政策のオンパレードになる。

私も早く本物の富豪にならねばなるまい。「金満党」を結成して魑魅魍魎達と闘おう?

2010年12月20日月曜日

喉が爆発

このブログ、たいてい2回分くらいはストックを用意しているのだが、先週から体調不良で何も書けていない。

で、今日はネタがないです。

ただの風邪だと思っていたのが、久しぶりに扁桃腺に行っちゃったみたいで、木、金、土、日と酒を飲んでいない始末。といっても薬漬けだからきっと肝臓は大忙しだ。

この3日間、タバコも7本ぐらいしか吸っていない。優秀だ。

ヘロヘロだ。

問題は1週間も調子が悪いのにまったく痩せないことだ。

代謝が劣っているというか、代謝自体がもう完全に退化しているのだろう。

2010年12月17日金曜日

銀座・萬久満 冬の珍味

先日、知り合いに招待されて銀座の「萬久満」という料理屋さんに行った。日航ホテルの並び、外堀通りのビルの6階に佇む小粋なお店。

聞くところによると元々は長い歴史を持つ大きな料亭だったそうだが、現在は3代目が自分ひとりで切り盛りできる規模で仕切っているそうだ。

魚も珍味も旨いし、上等な肉もある。シメにはご主人手打ちのそばも楽しめる。すべてが真っ当に美味しい。焼き魚は客一人一人に好きなものを選ばせてくれる。

おかげで釣りキンキの煮付け、柳ガレイ、ウナギの白焼きを少しずつ食べられた。画像を撮らなかったのが残念だが、間違いなくウマいものを食べさせてくれる実に銀座的なお店。

この日もそうだったのだが、今の季節はやはり珍味に惹かれるし、黙っていても珍味が登場するので、「尿酸値太郎」である私にはたまらない日々だ。

ということで、最近私の身体に染みこんでいった珍味のいくつかを書いてみる。

銀座のお寿司屋さん「九谷」を訪れた際には、アンキモをあんこう鍋風の温かバージョンで出してもらった。


熱いだし汁の中で旨味が凝縮した肝サマが泳いでいる。心も身体もポカポカする感じだ。一緒に泳ぎたいぐらいだ。

このお店は北海道出身の大将が北海道色を前面に押し出しているのが特徴。常時フレッシュな毛ガニのミソはあるし、特大ボタンエビもレギュラー。東京では珍しくカニの内子を用意していることも多い。

わざわざ北海道まで珍味旅行をしにいく私にとっては貴重な店。


北海道の正月料理といえば「いずし(飯寿司)」だ。旬の小魚を米や麹などであえた発酵系珍味で、年末年始にはあちらのスーパーなんかでは、パックになったものまでゴロゴロ出回っている。

この画像のオレンジ色のカラスミ様の上に写っているのがそれ。確かこの日の魚はニシンだっただろうか。酢絞めの魚が好きな人なら万人受けする味。酸っぱさよりも旨味が引き出されてまろやかな味わい。

東京では米や麹をまとっている本来のいずしの姿では、臭い系の鮒ずしの仲間だと思われて敬遠されるらしい。こちらでは身にまとっていたはずの麹などを落として魚の姿だけで出しているそうだ。

酸っぱい系の珍味は、キモとか卵ではないため、健康面では優等生だろう。日本人の健康長寿のイメージはそもそも発酵食品がその源だから大いに食べるべきだろう。


この画像は同じく銀座のお寿司屋さん「さ久ら」で食べたコハダのつまみ。珍味というジャンルではないが、今の季節、熱いお燗酒に合わせるとウットリする。

コハダを細かくしてもらって、刻んだガリと大葉をあえてゴマをパラパラ。実に単純だが、握りで食べるコハダとはまるで違った風味が味わえる。

サッパリ爽やか系のつまみは私の健康面では貢献度大だが、珍味業界ではやはり主役にはなりえない。

珍味といえば、やはり「ジュワジュワジョワーン」と口の中に官能光線が乱射されるような存在であって欲しい。

そういう意味では、15年ぐらい前に高田馬場の鮨源で初体験した禁断の味(ちょっと大げさ)を紹介しないわけにはいかない。


今でも大好きだが、我が身の健康を考えるあまり、同行者がいる場合に限って注文している。横から一口だけもらって喜んでいる。

単純に言えばウニとイカを和えた逸品なのだが、そこに鶏卵の黄身が加わるのがポイント。

上等なウニと上等なイカという素材自体も大事だ。ミョウバンがきついウニでイカ和えを作っても変な苦みが強まってしまう。

この店の上等素材で作る「ウニイカ生卵和え」は極上だ。今まで食べさせた人は十人中十人が悶絶した。ワサビや醤油を好みで混ぜてしばし陶然とした時間が過ごせる。

これさせあれば日本酒を一升ぐらい呑めちゃうような錯覚に陥る。


この時期、カワハギの刺身を肝醤油で出す店は多いが、先日は肝と身をぐじょぐじょと混ぜ合わせたツマミにしてもらった。際限なく酒が呑めそうな味がした。

さてさて、冬の珍味といえば欠かせない白子。先日のブログでも書いた「スーパーフライ」と名付けた白子フライを相変わらず食べている。画像はかじった後の断面図。


白子にソースというと実に不気味だが、白子をフライにするとこれがまた絶妙にマッチするから不思議だ。

考えてみれば、アジフライもエビフライもソースが定番だが、あれもフライという衣がなければソースとは合わない食材だ。

まさに衣の魔法だ。

私をトリコにするスーパーフライもそのまま食べるよりソースを使ったほうが格段にウマい。ソース様様だ。

サクッと衣をまとった白子はホクホクジュワジュワと湯気を立てながら艶めかしく身をよじる。野性的な黒い液体が茶褐色の衣を剥がして白く柔らかな白子にまとわりつく・・・・。そんな官能的な味だ。

書いているだけで食べたくなってきた。

2010年12月15日水曜日

カシミアでトレンチコート

「いいオトナなのに」などというフレーズの“いいオトナ”って何歳ぐらいを指すのだろうか? 25歳とか30歳ぐらいのことだろうか。

「いい年したオッサン」といえばどうだろう。35だろうか、40だろうか。どう逆立ちしても私は「いい年したオッサン」なので「オッサン道」をいかに極めるかを日々考えている。

呑みすぎてもゲロを吐かなかったり、深夜にラーメンを食べないようにしたり、ここ数年ちゃんと正しいオッサンになってきた気がする。

中味が腐ってきている?のだから見た目はキチンとしないとなるまい。その一環で以前にも書いたが、最近はすっかり靴マニアになってしまった。中毒のように新しい靴のコレクションが増加中だ。

ジョンロブまで買ってしまった。どうしよう。カードの請求が心底恐い。

とりあえず英国靴の質実剛健な良さ、イタリア靴のエロティックな味わい双方がよく分かった。

そうはいっても、今だにクラシカルな英国靴に傾倒しきれずにエロティックのほうも気になるようでは若者気分が抜けていない。いや、オッサンだからこそ、そっちにアンテナが反応しちゃうとも言える。

どっちでもいいか。

着々と進行中の「見た目しっかり計画」、正しく言えば“オヤジ扮飾計画”。靴だけちゃんとしてもしょうがない。

先日、コートの仮縫いをした。親切なテーラーさんが会社までやってきてくれた。


10年、20年単位で愛着が湧くような本気コートを作ってみようと思いついてから随分と時間が経ってしまった。もう真冬なのにようやく「着工」だ。

画像は実際に使用する生地。

昔に作ったカシミアコートは仕立てが悪く、どうにもしっくりこなかったので、今回は細かく仮縫いもしてもらうことにした。

スーツではなくコートの場合、イージーオーダーで済ませるケースが多いが、コートだって細かい点をアレコレ調整したほうがいいに決まっている。

と、えらそうに書いたが、コートの仮縫いなど経験したことはない。やってみて分かったのだが、あまり注文する箇所は多くない。

とはいえ、ベルトの長さやベルト穴の位置や数、襟の微妙な広さを仮縫い生地で調整できたから良しとしよう。

問題は裾の長さだ。最近の男性用コートは短めばかりだ。アマノジャクの私としては時代遅れといわれようが長さにこだわってみた。

階段の上り下りの際にけつまずくぐらいの勢いでイメージしてみた。

仮縫い生地を羽織ってみた。妙に長い。魔女だとか、悪の惑星からやって来た司令官みたいだ。

勇気がないのでホンの少し短くしてもらうことにした。それでも膝下20センチぐらいはありそうだ。どんな感じになるのだろうか。少し不安だ。

今回のコンセプトは「カシミアなのにトレンチ」という点。カシミアコートといえばチャスターとかステンカラーばかり。だからわざわざトレンチにしてみた。アマノジャッキーとして必要な心構えだろう。

テーラーによってはカシミアトレンチを受付けてくれないところもある。逆にその点がそそられた。邪道かどうか詳しくは知らないが、せっかくだから普通ではないほうがいい。

トレンチといえでも私は兵隊じゃないので肩章というか肩ベルトは無しにした。背中のヨークや襟周りは通常のトレンチスタイルだ。“ポケット貫通”も本家同様に注文した。

コートのボタンを閉めたままスーツの内ポケットのものが取り出せる仕様だ。ポケットの中にものを入れる袋部分と内側へ手が届く貫通部分で構成されているスタイルだ。

カシミアの生地も頑張って密度の濃い上等な素材を選んでみた。カシミア特有のヌメヌメとしたテカりは黒色が一番強調されるように思うが、そこはアマノジャク協会会員である私だ。濃い目のチャコールグレーにしてみた。

裏地も悩んだが、結局おとなしく?ワインレッドの生地を選んだ。もっと激しくハジけた色を選びたい気もしたが、10年後を考えたうえのコンサバ思考だ。

でも実際に見せてもらった裏地はサンプルで見た時とはサイズが異なるせいか、そこそこ派手。ちょっと不安だ。

要約すると、あまり一般的ではない発注の仕方で、長さも裏地にも不安があるということだ。

不安だらけだ。大丈夫だろうか?

1月中旬の完成まで悶々としていよう。

2010年12月13日月曜日

ノスタルジックな抵抗感

今日のタイトルは、なんとなくロマンチック?な響きだが、いま私を悩ませているテーマだ。いや、大げさに言えば日本中がこんな感覚に陥っているような気がする。

ソフトバンクの孫さんが雑誌のインタビューで語っていたが、国を挙げて電子系、IT系分野への注力に邁進しなければならないことが明確なのに、因習にとらわれて物事が進まないのが現状の閉そく感の根底にあるのだろう。

明治維新後、工業立国を目指して重厚長大産業の育成に努力したわが国は、なんとか現在のポジションを得るに至った。時代の大転換の渦に巻き込まれて、今からは想像も出来ない葛藤や軋轢だらけで時代が作られてきたわけだ。

「龍馬伝」とか「坂の上の雲」でNHKがさんざん流しているあの時代の空気は、実際に凄まじかったんだろう。多分、大多数の人が漠然とした不安、恐怖、そして抵抗感を感じていたはずだ。

急激な路線転換にニコニコついていける人は単なるバカか偉人のどちらかなのかも知れない。

農業保護の重要性はコメが大好きな私にとっても切実な問題だが、そうはいっても国の政策遂行という枠における優先順位とは別な次元だと思う。

学校教育現場でも教科書の内容など昔と変わらず農業的視点の素材が目立つらしい。一方で先進技術、電子立国に向けた人材育成につながるような戦略的な取組みは遅々として進んでいないという指摘もある。

情報格差で国力はもちろん、人々の生活レベルの優劣が決まってしまう時代だけに思い切った舵取りは待ったなしに必要なはずだ。

なんか大げさな話になってしまった。

私自身の「ノスタルジックな抵抗感」が今日のテーマだった。

新聞事業、紙媒体を軸としている仕事をしている以上、時代の急激な変化は物凄く恐いことである。

端的に言って斜陽産業に携わっているわけだから、四の五の屁理屈をこねているうちに会社自体が無くなってしまっても不思議ではない。

いま、天下の大新聞社でさえ、赤字が当然の構造不況だ。黒字が出ていても、しょせん不動産関連収入で本業の赤字をごまかしているようなパターンが主流だ。

こんな事態を10年前に切実感を持って感じていた人は少ない。大きなうねりの渦中にあることを実感する。

わが社でも現在、アレコレと生き残り策を模索中だが、現状の嘆かわしい低迷状態も思い返せば「ノスタルジックな抵抗感」が原因にあることは確かだ。

主力商品しかり主力部門しかり、長く続けている会社であればあるほどそのイメージは硬直化する。主力だと思っていたものが冷静に見ると足を引っ張る存在になっていることなど珍しくない。

コスト削減も同じ理由で遅れる。看板事業だから、長年の慣習だから、長い付き合いだから・・。さまざまな浪花節的要素が決断を遅らせる。

わが社でも最近、何十年単位で付き合いのある取引先をいくつも変えた。ただ、変える決定を下すまでの逡巡の時間が大いなるムダを垂れ流していたことも事実。

これまで実行してきたコスト削減策を見返すと、当然効果は確実に出ている。ただ、同時に実感するのが「すべて手を付けるのが遅かった」という後悔。

同様の改善策を2~3年早く実行していればどれだけ今が楽だったか、つくづく思い知らされる。

後手後手に回ってきた理由は単純に「ノスタルジックな抵抗感」にあるのだろう。私自身、社内の組織変更やリストラなどを検討する際、つい自分の歩んできた“畑”に関しては思考停止に陥ってしまうことがある。

その事業部門の現場責任者ならともかく、全体像をトータルに俯瞰できないようなら経営者失格だ。おセンチな感傷みたいな気分で転換を避けたら会社やその仕事自身がホントに無くなってしまいかねない。

なんだか自分に一生懸命言い聞かせているのか、単なるグチなのか分からなくなってしまった。

2010年12月10日金曜日

銀行と豚

最近イライラすることが多い。こんなご時勢だから仕方ないが、いろいろと思うようにいかない。

私をイラつかせる原因は様々だ。好意を寄せる女性に上手にあしらわれたり、体重が減らないとか、タバコがやめられないとか結構いっぱいある。

強制的に目に飛び込んでくる「壇れい」のCMにもイライラする。

そういう問題以外に最近私が憂鬱になるのが「銀行折衝」。ほんの5~6年ぐらい前までは無借金経営だったわが社も、ご多分にもれず、このところ銀行の世話になる場面がある。

財務担当役員も兼ねている私だが、長年の無借金経営のせいもあって、はっきり言って銀行折衝がヘタだ。なんかやりこめられている気がする。

銀行さんも商売だから、こっちの無茶が通るはずもないが、それにしても結構なご商売だと思う。

セーフティーネットとか緊急ナンタラ制度融資とか、不況のせいでメニューは増えたみたいだが、それによって守ってもらっているのは中小企業ではなく、銀行そのものなんだろうか。

まあグチっていても始まらない。なんとか業績を浮上させて、億単位の金を全部小銭にして銀行員様に取りに来てもらうように頑張ろうと思う。

某日、イライラついでに無性に腹が減ったので「トンカツ」を食べることにした。

とんがった神経をなだめるには揚げ物様の出番だ。いっぱい食べたかったので、無理やり会社の人間を同行させて揚げ物三昧だ。

銀座にある「平田牧場」で、さんざん飲み食いした。一品料理、つまみ類もいろいろあるが、何だかんだ言ってメニューが豚オンパレードなのが嬉しい。

メンチカツをつまみに飲む生ビールは最高だ。豚の味噌漬焼きをつまみに飲むハイボールも最高だ。そんな感じで若者みたいに飲んで食べる。

カキフライも頼む。揚げ物大会だ。ソーセージやベーコンもつまみにする。

結構ヘビーだ。豚豚しい感じ?だ。肉汁の宴とでも言おうか。何となく身体から脂がしみ出そうな勢いで脂を摂取する。

中年男だ。カサカサしても良くない。乾燥肌をかきむしって血だらけになるのもイヤだ。そんな屁理屈を言って脂分を過剰摂取。


その後、金華豚棒ヒレカツと特厚ロースカツを注文。上質な豚が絶妙な加減で揚がっている。満腹中枢を気絶させてムシャムシャ食べる。

不思議なもので、これだけ食べるとイライラがスーっと引いていく。すっかり上機嫌。胸焼け防止薬も飲んであったし、ニコニコと夜の散歩。

クラブ活動で単純明快にはしゃいでみる。漫才師並みに機関銃のようにしゃべりまくる。

何かを必死に叫んで諭して訴えていた。内容はすっかり忘れてしまった。

ストレス発散といきたいところだが、そんなことで発散されるようなストレスなんてストレスではない。

世間一般にストレス発散と表現されることは、しょせん「気晴らし」に過ぎない。

気晴らし完了、深夜に帰宅。ゼロカロリーコーラをがぶ飲みしてゲップをして素に戻る。

なんか最近揚げ物ばかり食べている。
胃腸の調子が絶好調なんだろう。このところ逆流性食道炎も暴れずに済んでいる。

胃腸が好調ならきっとストレスなんか無いのだろう。そう思い込んで踏ん張っていこうと思う。

2010年12月8日水曜日

賢者の言霊  社長のミカタ

世の中に溢れる経営者向けの説教的ビジネス書がどうも好きになれない。作っている人間が経営者でなければ、どうしたって「経営者目線」とは異なる仕上がりになる。

昨年、わが社が創刊した経営者向けの月刊紙は、その点に特に配慮をしながら編集作業にあたっている。

抽象的な精神論を力んで掲載するより、社長さんにとって有益で実践的な情報を提供するほうがとっつきやすいし、実際そうした内容に徹しているため、着々と発行部数は増加中。


タイトルは「社長のミカタ」。経営者にとっての“味方”でもあり、経営者独自の“見方”を掲載しているという趣旨だ。

経営者階層の方々からの直接購入の他、経営者をお客さんに持つ各業種の営業職の人々から顧客配布ツールとして利用してもらっている。

人気コーナーが「賢者の言霊」。著名経営者の金言をエピソードとして紹介する欄だが、このコーナーへの問い合せが結構な数に上っている。

先日も全国ネットの某ニュース番組から紹介したいという連絡を受けた。ダラダラと著名経営者の評伝を読まされるより、その人の発した生きた言葉こそが求められているのだと思う。

いくつか過去の掲載分を紹介したい。

●「慎重とは急ぐことなり」
ヤマハ発動機創業者・川上源一


●「1日にメシは4回食え。3回は食事で、1回は読書」
    日本ツーリスト創業者・馬場勇


●「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」
   阪急東宝グループ創業者・小林一三



それぞれ味わい深い言葉だと思う。経営者が現場に求めているものがすべて当てはまる。「大胆なスピード感」、「教養と知識」、「基本を疎かにしない地道な努力」。すべて大事な要素だろう。

これ以外に印象的だったのが日清食品創業者でカップラーメンの父と呼ばれた安藤百福氏の言葉だ。

●「遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない」

ごく当たり前のようでいて、その背景を知ると説得力が格段に違う。安藤氏はそれまで手がけてきた事業が46歳の時に破たん、それからわずか2年後、48歳の時に畑違いの即席メンを完成させたという。

その負けん気、バイタリティーは想像を絶する。ヤワな中年としてボンヤリ生きている私にとって実に刺激的だ。

中年になるとついつい何事に対しても分かったような顔をしてしまう。分別顔とでも言うのだろうか、自分自身の狭くて小さい感覚の中に閉じこもって固まってしまう。

ここで新鮮な発想と新鮮な心を持てるかが、中年以降の人生が盛り上がるか否かを決めるのだろう。

先日、漠然と暖めている新しい仕事について協議する機会があった。同じような構想を抱いている妙齢の女性を紹介してもらい、初対面にもかかわらず数時間にわたって考えを披露し合った。

その仕事、テーマとしては実は「エロ方面」だったのだが、大真面目に初対面の男女がケンケンゴウゴウと意見交換。端で見ていたら不可思議な光景だったかも知れない。

まだブレストの入口みたいな段階なのだが、そんな一歩ですら踏み出さなければ何も始まらない。それこそ遅すぎることはないし、自分の凝り固まった固定観念を打ち破るいい機会だと思う。

まあ、本業の大ピンチをさておき、そんな構想にかまけてばかりではいけない。それはそれ、これはこれでケジメをつけて邁進しないとなるまい。

そんな時、冒頭で紹介した『社長のミカタ』・「賢者の言霊」コーナーの最新掲載原稿が回ってきた。


●「社長と副社長の距離は、副社長と運転手の距離よりも遠い」
        元帝人社長・大屋晋三


自分の名刺の肩書きを「副社長」ではなく「“福”社長」にしようかとシャレで考えているようなフラチな私だ。

やっぱり最後の最後、後ろに誰もいない「社長」という重いポジションとは随分緊張感が違うのだろう。

反省しないといけない。

2010年12月6日月曜日

おでん国見

旧友がおでん屋の主人になった。12月2日に開店。試運転の日に覗いてきた。浜松町にある「おでん国見」がその店。

場所は浜松町駅、大門駅にほど近い雑居ビルの地下。店主の人柄を表わすかのように、地下の店でありながらオープンな雰囲気。変な隠れ家感や窮屈感はない。

旧友はおでんの修行にこれまで25年ぐらい費やしてきたツワモノだ。大阪で10年近く、その後は東京で死に物狂いで酒とかおでんの研究に励んできた。

私とは中学、高校、そして大学まで一緒だった間柄だ。おでんと酒の研究のせいで年々肥満化していく姿を目の当たりにしてきた。あの過酷な日々もすべてこの店のためだったのだろう。

10代の頃は良く言えば北大路欣也のような風貌だった彼も今では小錦に似ている。その雄大な腹の中には20ウン年の修行が詰め込まれているわけだ。

「修行」にもいろいろある。名店に丁稚奉公するのも修行だし、客としてあちこちで味覚と肝臓を鍛えることも立派な修行だ。

彼の場合、後者の“修行”しかしていないのだが、常人とは比較にならないほどの“鍛錬”に励んできた甲斐あって、おでん鍋の前でネタを愛でる姿はもはや貫禄だ。

スマートな北大路欣也におでんを盛ってもらうより、私はニコニコした小錦から供されるほうが嬉しい。そのほうが美味しそうだ。

六大学のなかでもとくに厳しいことで知られる応援団生活を送り、社会人時代は世界的大企業を主戦場としていた彼だが、一念発起して今回の開業に至った。

私が訪ねた日は正式オープン前だったので、細かい論評はできない。おでんがウマかったことは確かだが、沖縄出身の料理人さんがいるため、一品料理がちょっと面白い。

テビチの唐揚げを試食したが、下処理がキチンとしているのだろう。かなり上等な出来映え。沖縄の居酒屋あたりではポピュラーになったが、まだまだ東京では珍しいメニュー。コラーゲンたっぷりだし、女性受けしそうな味だった。

肝心のおでんにもテビチがラインナップされている。個人的に沖縄に行った際には、ついつい頼んでしまうメニューなので、私としてはこれを目当てに通うことになりそうだ。


ホール部分にはカウンターとテーブル席、それ以外にも奥まったスペースに6~7人は余裕で入れるお籠もりスペースもある。そっちには私が開店祝いに持参した備前焼の大壺を置いてもらった。

ぐい呑みも結構な数を持っていった。旧友の好みや店の方針も聞かずに勝手に進呈したのでどう扱われようが構わないが、どうせならバンバン使ってもらおう。

器だって“実戦”で働いてこそナンボだ。割れたら割れたで追加進呈すればいい。そうなれば繁盛している証しだろう。

オープン当初はバタバタ、もたもたするだろうが、こなれてきた頃の店の様子が興味深い。

店の行く末は未知数だが、彼の選択した道が彼自身の風貌に呆れるほど似合っていることは確かだ。

●おでん国見

港区浜松町2-2-5 地下1階
電話03-6459-0596

2010年12月3日金曜日

海老蔵に税金?

それにしてもウザったいのが「海老蔵」のニュースだ。世間知らずの歌舞伎役者とチンピラが酔っぱらったあげくにケンカしただけの話。日本中で大騒ぎする話だろうか。

ノリピーの話題なら覚醒剤事件だからまだわかる。清水健太郎の素晴らしく懲りない逮捕劇のほうがよっぽどニュース性がある。

それよりも秋篠宮殿下相手に「早く座れよ」と暴言をぶった民主党・中井議員のトンチンカンぶりのほうが大事件だろう。

海老蔵騒動はどうこう言っても「酔っぱらったチンピラのケンカ」だ。連日繰り広げられる報道ぶりがつくづくアホらしい。

どっちが先に手を出したとか、全治何カ月だの、嫁さんがオロオロしてるだの、下世話な素材ばかり取り上げられ、連中の「悪さ」を糾弾するような雰囲気が少ない。

おかしな話だ。

報道によると海老蔵と相手側双方が被害届を出したらしい。被害届を出すということは警察が動くという意味である。

端的に言い換えれば「税金が使われる」わけだ。

声を大にしていいたい!

「バカに税金を使うな!」。

考えてみて欲しい。六本木あたりでたむろするチンピラに近づいて、泥酔したあげくボコボコにされた。格好悪いから、さも“事件”に巻き込まれたかのような空気作りのため、警察に被害届を出して、「役者生命を脅かすほど顔に重傷を負った悲劇」を演出しようとするお粗末な魂胆が見え見えだ。

六本木だから麻布警察署だ。被害届を出されたおまわりさんの顔が目に浮かぶ。「クソ忙しいのにいちいちケンカ沙汰を事件にするな、バカ」って感じだろう。

ちなみに、好きで山に入って遭難して捜索されれば、あとから費用を請求される。電車に飛び込んで自殺した人の遺族にだって賠償請求が来る。

水中写真家が本業?である私だって、海で漂流、遭難という事態になれば捜索費用でウン百万円も請求されるのはイヤだから、ちゃんと、それ用の保険に加入している。

すべて自己責任だから仕方のない話だ。

海老蔵のために動いた警察コストは、クドクド言うが、紛れもない税金である。酔っぱらいの自己責任で起きた騒動なんだから、かかった費用はしっかり弁済してもらいたい。

ちゃんと税金を納めているから声を大にして言いたい。

バカに税金を使うな!

2010年12月1日水曜日

血液型はB型

血液型をアレコレ語るのもどうかと思うが、そうは言ってもそれなりに性格的傾向はあるみたいだ。

私の場合、生粋のB型。家族みんながB型だ。実際に興味を持ったことは徹底的に集中するという意味ではB型っぽい要素が強い。

確かに国語の成績は優秀でも徹底して数学は零点だったことを思うと、うなずいてしまう。数学の零点などまったく気にならない点が特徴的だ。興味のないことには本当に意識が向かない。

趣味もいろいろあるが、一度ハマると凝り性の本領発揮だ。その反面、ピンとこない遊びからはすぐに引退する。

30代の頃だったか、突然思い立ってカヌーを買った。カヌー教室にも何度も通い、友人も巻きこんで爽やかなカヌーイスト人生を歩もうと企んだのだが、なんかピンとこない。ググッとこない。結局すぐにカヌーは邪魔になってしまった。

先日も書いたのだが、最近突然、病的に「靴磨き」に邁進している。凝り性要素が大爆発だ。血液型のせいだろうか。かなり変だと思う。皮フェチにでもなってしまったのか。

娘の靴、嫁さんの靴にとどまらず、革製品なら何でも磨きたくなってしまった。この前の週末なんか、おだてられながら鬼嫁のハンドバックを3つも磨いた。補色までして生まれ変わったバックの臭いをクンクン嗅いで悦楽の時間を過ごした。

当然、自分の持っている靴はとっとと磨き上げちゃったため、もっと上質な皮の靴を買おうと衝動買いモード一直線。磨きたいから靴を買うみたいな感じだ。


わが家の玄関横にはコートと靴の収納に困らないように小部屋が作ってある。必然的に靴の収納スペースは豊富なのだが、そういう余計なスペースがあると、靴はもちろん、グッズに関してもついつい置き場所を気にせず買ってしまう。

靴とともにいろいろとクリーム類も増えてきた。ブラシ類も増殖中。靴磨きに励み始めるとわが家の玄関は散らかり放題になってしまう。

靴クリームの香りにすっかり魅了されている。シンナー中毒になる若造の気分が分かる気がする。せっせと磨いてツヤツヤと輝きだすとウットリする。ヤバい趣味だと思う。週末は玄関に居座っている時間が妙に増えてしまった。


職場に靴マニアの中高年社員がいるのだが、彼は家族全員の靴を毎週磨いてらしい。楽しんでいるうちに当然の仕事として義務にさせられたそうだ。

危ない。私も「家族全員の靴磨きをさせられるオヤジ」に突き進んでいる。

一応、女子どもの増長を抑えるために安易に引き受けないようにしているのだが、奴らは言葉巧みに私に作業をさせる。どうも釈然としない。

誉められると舞い上がって疑いもせずにせっせと作業に励んでしまう。お人好しだ。

変な業者に消火器とかを売りつけられるバカがいるが、あれと似たようなものだろう。

そんなこんなで最近やたらと靴に強い興味を持つようになった。良い靴が欲しいのか、良い靴を磨きたいのか、ちょっと微妙だ。

ひょっとすると磨きたいから靴を買うという変な循環になっているのかもしれない。



結局、英国製とスペイン製、そしてイタリア製の靴を買ってしまった。上質な皮の香りに陶然とする日々だ。ペットを飼い始めたような愛おしさがある。やはり病気だろうか。

私の場合、何かのストレスがかかると一気に何かに没頭する悪いクセがある。ストレスなんかを理由にするのは格好悪いが、過去にもいろいろ経験がある。

今回の「靴欲しい病」と「靴磨きたい病」も深層心理の何かが私に指令を下してしまった結果だと思うようにする。

とっとと精神衛生を向上させないとカード破産に陥りそうだ。

2010年11月29日月曜日

民主党のバカ

専門新聞社の編集局長という立場上、時には編集現場にストレートに紙面編成の指示を出す。先日伝達したのは、どうにもヘロヘロの民主党が打ち出した迷走政策への批判記事の企画だ。

~~~「ビンボー大好き国家を目指す民主党政権の愚!!」

富裕層をねぎらうより取りやすいところから取る発想しか出てこないお粗末な大衆オモネリ路線で国の税源はあっという間に枯渇する!!~~~

要はそういう内容の見出しに沿った記事を特集すべきだという打診というか指示だ。

来年度税制改正論議がヤマ場を迎えるなか、漫然とその論議を報道するより、大衆迎合メディアとは別な視点で大局観無き政策を批判すべきだろうと強く感じた次第だ。

少し専門的になるが、民主党が進めている税制改正のうち、個人の税金に関するものは、まさに増税一直線。とくに中堅・高所得者層への攻撃は想像以上に下品。

端的に言って、高所得者層を締め上げるより、そういう階層の人に積極的に消費や投資を促すほうが景気刺激には効果的。ごく自然なことだし、経済活動の牽引役として高所得者層をもっと上手にノセない手はない。

バカのひとつ覚えで、取りやすいところ取る発想しか出てこない今の状況は悲劇的だ。

民主党が声を枯らして言っていた「生活者目線」は「貧乏目線」でしかなく「国民の生活が第一」というフレーズも「貧乏暮らしが第一」と言っているように見える。

相続税の増税については「ピーク時より課税される人が減ったから」という摩訶不思議な理由が大義名分として使われている。バカなんじゃないだろうか。

ピーク時とはバブルの頃であり、その頃、相続税重税を苦にした自殺とかがあったりして都市の社会問題に発展したから減税をしたのであって、「課税される人を減らすため」に改正しただけの話。

その目的が達成されことを理由に今度は元に戻したいという理屈は一体なんなんだろう。

お粗末なのは給与所得控除の上限導入だろう。企業勤めをしている人は社長から新入社員まで「給与所得者」だが、所得税を計算するにあたって収入に応じた一定の控除額がある。

「みなし必要経費」みたいな考え方だが、高収入を得るような人は当然、低収入の人より控除額が多いのは当然の話。それを年収2千万円で打ち止めにしましょうという話。

一説によるとそのラインを超える給与所得者は全体の数パーセント、18万人程度だとか。そこを増税して一体どれだけの財源が出てくるのか大いに疑問だ。

単なるイヤガラセ。稼ぐことは悪ですよと国家が宣告しているお粗末な話。

給与所得控除の上限導入は、極論すれば、収入2千万円を超える人だけは違う税制を適用しますと言っているようなもの。税率5%の消費税を高収入の人は10%にしますと言われるのと変わらない。

企業経営者などある程度自分の給与収入をコントロールできる人ならどうするか。結局、自分の収入を2千万円以下に抑えて、抑えた分は奥さんを専務かなんかに据えて、そっちで支出するみたいな“調整”をするだけの話。

もしくは、表面上の給与収入は抑えて、会社経費での消費活動を増やすことになる。

いずれにせよ、高収入を得るような人物がそうした後ろ向きな作業や知恵出しにせっせと励むような非常に非生産的な空気が蔓延することは間違いない。

中途半端な富裕層ではないスーパーリッチはますます海外に拠点を移して、結果、納税階層の空洞化だって現実的になる。

笑っちゃうのは、普段は「金持ち優遇」を徹底批判することが大原則の一般メディアまでもが「金持ちイジメ」というフレーズを使っていること。

“ブルジョワ鳩山”を“豪腕小沢”を前面に出して政権を取っておきながら、二人を追っ払ったあとは“お里が知れる”旧社会党系勢力が大ハッスル。

民主党政権の実態は、しょせん「金持ちは憎い敵、みんな平等に貧乏暮らしを楽しもう」という路線だ。

つくづくおぞましい。

2010年11月26日金曜日

黒服を追っかける

真面目でもなく大盤振舞いをするわけではない範囲で相変わらず銀座に出没する。なんでだろう。自分でもたまに不思議な気分になる。

さっさと家に帰って寝ればいいのにとか、会社の近所の焼鳥屋で豪飲豪食すればいいのにと思うのだが、懲りずに出かける。

あの街に出かける理由を考えるときりがないが、やはり、「第一線オーラ」に尽きるのかも知れない。その中に身を置いていたい、まだ何とか踏ん張っていることを自己認識したいといった嗅覚が影響しているのかもしれない。

会社が池袋という僻地にあるせいでそういう思いが強まるのかも知れない。会社自体の移転をこれまで何度も検討してきたが、やはり「場所」はあらゆる意味で大事な問題だと思う。

負けちゃってる空気、弱っちゃってる空気、陰気な空気・・。銀座あたりはこういう空気の対極的な場所だから、ぶらぶらしていてもほんの少し背筋が伸びる。勢いを持っている人々にあやかりたい気持ちもある。

闊歩しているオジサンがたはもちろん、ブティックの店員さん、料理屋の仲居さん、クラブの黒服さんもホステスさんも、あの街の温度感に合わせようとシュッとしている点が気持ちよい。

端的にいえば、それぞれのポジションで自己演出をしている装飾感というか、非日常的虚飾感がどこか心地よい。


客だって応対する側だって演者みたいなもの。そこが面白い。日常の延長ではなく、どこか日常からリセットされた奥深さについつい吸い寄せられるのだろう。

先日、親愛なる某クラブの黒服さんが店を移った。親しく遊んだりするわけではないが、10年以上前から知っている。この人の顔を見るとなんとなく落ち着く。

銀座のクラブといえば、客それぞれに担当のホステスが決まってしまうシステムだ。よく分からないが、客が好もうが嫌がろうがたいていの場合、誰かが「担当」になる。

私の場合、担当無しの「店客」という形で顔を出す店もあるが、たいていは「誰々さんの客」になる。

誰かに連れて行かれた店にその後ふらっと行ってみても、前回連れて行ってくれた人の担当さんが、ふらっと行った客の担当になる。

前の店では担当さんではなかった女性でも、店を移る際に、持っている名刺すべてに案内を送り、のこのこ新店見学に来る客がいれば、客の意向にかかわらず、その店では「担当さん」になるわけだ。

銀座あたりでは飛び込み客はまずいないから、流れの上では誰かしらが「担当さん」になるわけだ。

黒服氏が移った店には彼目当てで行ったわけだから、その店で私の担当は男ということになるのだろうか。よく分からない。でもそれも良さそうだ。

男に会いにわざわざ銀座のクラブに行く。アマノジャクの私にとって悪くないパターンだ。

でも行ったら行ったで横についた女性の胸元ばかり眺めている私だ。

2010年11月24日水曜日

スーパーフライ

今日のタイトルは、売れっ子のミュージシャンのことではない。ボクシングの話でもない。なんのことはない。また食べ物の話だ。

「スペシャルな揚げ物」をスーパーフライと勝手に呼ぶことにした。

揚げ物。なんて素晴らしい響きなんだろう。体重とかコレステロールとかいう厄介な問題がこの世に存在しなければ、24時間むさぼっていたい。

トンカツ、串揚げ、カニクリームコロッケ、鶏の唐揚げ、カキフライ、エビフライ、ササミチーズフライ、ハムカツ・・。

書いているだけでヨダレがべろべろと出てしまう。

人生後半戦に突入しているくせに相変わらず揚げ物に寄せる思いは、美しい女性を口説きたいという欲求と同じぐらい大きく深い。

でも食べない。いや、なるべく食べないようにしている。いや、結構食べている気がする。

先日のスーパーフライ体験を書いてみる。

高田馬場の鮨源をぶらっと訪ねた某日。席に着くなり「今日は和食の気分じゃない」という無礼極まりないセリフを放った。お寿司屋さんに対して実にトンチンカンなことを言ったものだ。

それはそれ。さすがに気の利いた板前さん達が揃っていらっしゃる。府抜けた私にアレコレと提案してくれる。

「ソースと揚げ物」「タルタルソース」というキーワードが浮上した。生食用の素材が売るほどおいてあるわけだから揚げ物の環境としては最高だ。

小骨一本無いスペシャルアジフライとピンピン生きている車海老を使ったスペシャルエビフライが真っ先に決定する。

その他にタイラ貝のフライが食感も良くオススメだというのでそれも注文。

そしてここからが今日の本題だ。

「クリームコロッケとかはお好きですか?」。徒然私の答えは「YES、WE CAN」だ。すると禁断のメニューを勧められた。

その名も「白子フライ」だ。ありそうで無いメニューだろう。旬の白子を天ぷらにするのは珍しくないが、フライは初体験だし、気付かなかった。クリームコロッケを凌駕するほどの美味だという。

ニコニコとヨダレを垂らしながら注文する。


揚げ物の準備と併行してタルタルソース作りが始まった。タマネギ、卵その他が威勢良く板前さんのプロのワザであっと言う間にみじん切りにされていく。

ワクワクする。タルタルソースが今まさに私のためだけに生まれようとしている。市販のタルタルソースをチューブごと大量にすすったこともある私だ。興奮する。勃○するかと思ったほどだ。


完成したタルタルソースは、もちろん最高にフレッシュで、人目がなければ速攻で全部ぺろっと食べたいほどだ。でもフライ連中に寄り添わせてあげねばなるまい。じっとガマンだ。

アジフライやエビフライがやってきた。タルタルソースにウスターソースを混ぜて食べる。まさに「口福」。幸せバンザイって感じだ。

ハイボールをグビグビ、サクサクのフライにタルタルソースをムシャムシャ。ワンダフルな時間が過ぎる。

そして真打ちがやってきた。白子フライ様の登場だ。フライだから見た目はただの揚げ物。しかし、その実力、その存在価値は圧倒的だ。ブランパンとかパネライの腕時計みたいにこれみよがしではないところが格好いい。パッと見ただけでは「別に~」って雰囲気だ。


まずはソースもタルタルもなしで味わってみる。

箸を入れる。中味がのぞく。ジュワリンと熱くなっている白子が恥ずかしそうに私を見ている。

やさしく口をつけてみた。彼女はいやがりながらも本能には勝てずに身をよじりながらその身を預けてくる。

バカウマ。この一言に尽きる。クリームコロッケという表現は確かに的確だが、もっと濃厚。脳と舌、そして全身にズキューんと旨味が広がる。

タルタルソース、ウスターソースもトッピングして食べてみる。ウマさ大爆発だ。まさに禁断の味だろう。知らなかった味に出会った嬉しさも加わってしばし興奮する。

ウヒャウヒャ喜ぶ私。でも禁断の味を勧めてくれたベテランの板前さんが私のスーパーフライにダメ出し。「もっとカラッと揚げないと」と言い残し、揚場に移動。

しばし待つと、色合いが濃くなったスーパーフライレジェンドが登場。衣がしっかりサクサクで中のジュンワリンぴゅるぴゅると絶妙なコラボレーションだ。

中味の素材が固さのないものだと、やはりガッツリ揚がって出てくると食感のコントラストも楽しめる。

でも白子食べ過ぎ。ちょっとヤバい。

数日後、銀座の「おかやす」でダラダラと呑んでいた。純和風シッポリ系のカウンター中心の料理屋さんだ。

以前にも書いたが、正当派和食プラスちょっとジャンクな料理も食べられる得難い店。

皿うどんにビーフシチュー、スープカレーもある。こういう気の利いたメニューを見ていると、ついつい私のわがままが顔を出す。

「白子をフライにしてくれる?」。知ったかぶって注文してみた。


しばし痛飲後、それは登場した。「カキフライなんか頼んだっけ?」と言いそうになってスーパーフライの登場だと気付く。

ガッツリしっかり揚がっている。噛めば溢れる白子の熱い情熱に大満足。きっとホロ酔いも手伝って大黒様みたいな表情をしていたはずだ。

この冬、マイブームになりそうだ。

2010年11月22日月曜日

嘔吐小僧

最近すっかり吐かなくなった。下品なテーマで恐縮だが、今日はゲロの話を書こう。こういうネタは普通オモテに出す話ではないが、ネット上の雑記だし、許してもらおう。

あのツラさ、あの不快感、あのニガみ。吐きまくるという行為はまさに生きることの縮図のようだ。

翌日になって徐々に復活し、軽やかな気分を取り戻し、空腹を感じてしっかり食べる。夜になればまた呑み始める。ツラさを忘れしまう・・・。こういう流れも「苦労の後に福来たる」「ツラいことは時間が解決してくれる」という感じで、人生修養を思い起こさせる。

なんとか格調高く書こうと思うのだが、しょせんはゲロの話だ。上品にはならない。

背伸びして酒を飲んでいた10代の頃は、それこそ嘔吐小僧とでも表現するほど良く吐いた。この歳になってあんなペースで吐いていたら、絶対にどこかが壊れると思う。若いって素敵だ。

高校生の頃、女の子を酒の力でたぶらかそうと企み、洒落たバーで痛飲、相手のほうが断然酒に強く、気付けば一人トイレで吐きながらフラフラになったこともある。

一人暮らしの部屋に女性を連行し、いざこれからという際に「嘔吐→睡眠」という失態を演じたこともある。

女性絡みだけではない。男同士で飲みまくって、互いに気持ち悪くなって、「一発吐いてから飲み直そう」と堂々と路上で並んで「連れゲロ」のあげくに飲み直したこともある。

仕事関係の飲み会でも若い頃は、要領が悪かったので加減を調整できずに勧められるままに飲み続けた。当然、七転八倒した。気合いを入れて酩酊していないふりをして、その場をやり過ごし、自宅の玄関で昏倒なんてこともしょっちゅうだった。

私の場合、一度吐いたらスッキリというパターンになることが少ない。出し始めたら、あとは朝までエンドレス。一晩で10回ぐらいゲーゲー大会になることが多い。

これがキツい。大学生の頃、とある日の明け方、入院中の祖母が危篤だという知らせが入った。運悪く、深夜からゲロモード中の私はさあ大変、ゲーゲーしながら、クルマに乗り込む。洗面器を持ち込んで運転だ。

明け方の道はガラガラで、そういう時に限って信号が青のままつながる。ゲーゲーモードのスイッチがオンになってもクルマを止めずに走り続ける。

膝と膝の間に挟んだ洗面器に向かって運転しながら吐く。視線は前方を見据えたまま吐く。我ながら神業だったと思う。ちっとも自慢にはならないが。

病院に到着しても、病室に行く前にトイレに駆け込む。ああいうせっぱ詰まった状況で嘔吐小僧になっていると実に切ない。必死に闘う身内をヨソにゲーゲー大会だ。なんとも格好悪い。

有難いことにその日、祖母は持ちこたえてくれた。私のゲーゲー中にご臨終だったら悔やんでも悔やみきれない。その後しばらく酒を控えめにした覚えがある。

さてさて、かつての欧州貴族などは美食を際限なく堪能するために食べては吐く繰り返しだったそうだ。そんな執念に比べれば私の吐きモードなど可愛いもの。

思えば、若い頃にしょっちゅう吐いてしまったのは新陳代謝が良かったせいだろう。今は酒の量が減ったわけでもなく、かえって酒量が増えたのに吐かない。呑み方が変わったのではない。代謝していないだけだと思う。

吐かない分、鈍感になった身体は許容量以上のアルコールだろうと全身全霊で受け止めてしまう。肝臓なんて満員御礼札止めぐらい働かされている。どっちがいいのか。間違いなく吐いてしまうほうがさっさと輩出するわけだから内臓系へのダメージは少ないはずだ。

やっぱり、もっと吐きまくらないといけないのだろうか。

このテーマだと書くネタがいっぱいある。船酔いダイバーを載せたダイビングボートの下で浅瀬のサンゴ撮影中だった私を襲った悲劇とか、ピカピカの新車の助手席が友人によるゲーゲー攻撃を受けたこととか、さあいよいよという場面で酔っていた相手の女性が暴発した事件とか。。。。

どんどん話がエスカレートしそうだからこの辺でやめる。

さすがに今日は画像無し。

2010年11月19日金曜日

靴が綺麗な男


最近面白がっていることの一つが靴磨きだ。
“シュー・シャイン・ボーイ”だ。せっせと磨く時間が楽しい。

先月の終わりに「人は見た目」という内容を書いたが、最近、キチンとした身なりをするよう自己改革努力中なので、靴との付き合いも変えてみようと決意した。

然るべき人を観察してみると、みな「キチンとした身なり、パリッとした身なり」をしているが、そういう人達は例外なく靴が磨きこまれている。

「然るべき人」に変身を企んでいる我が身にとってもこれは一大事だ。汚い靴を履いているつもりはないが、磨き込んではいない。いかんいかん。頑張らねば。

たいして高価な靴ではなくてもキチンと手入れをすれば美しく光り輝く。その作業を自分でやるのが楽しくなってきた。

わが社の隠れた靴マニアにアレコレ教わって、必要なグッズも調達してもらった。靴なんて嫁さんが綺麗にするものだと思い込んでいた私にとって、この作業は実に新鮮。

女性蔑視みたいで恐縮だが、靴の手入れは男ならではの作業だと痛感する。女子どもがチャッチャとこするようではダメだ。男っぽい仕事だ。先日もノリノリで磨いていたら汗だくになった。

調子に乗って仕舞い込んでいたバックやブリーフケースも、クリーム塗り塗り、クロスでゴシゴシ。一心不乱に磨いてみた。上質な皮が輝きを取り戻していく感じって、どことなくエロティックな風情だ。

なで回したくなるし、臭いも嗅ぎたくなるし、倒錯の世界に入っていくようで悪くない。

おっと、脱線しかけた。

綺麗な靴を履きこなす男性は女性陣から「奥様に大事にされてるんですね」なーんてセリフを言われることがある。

あれは錯覚だろう。他人様の目を引きつけるほどに磨き上げられた靴を履く男性の多くが、妻任せではなく自分でせっせと磨いているのだと思う。そうでなければ駅頭の馴染みの靴磨きオジサンに世話になっているはずだ。

自分でぴかぴかに仕上げてみて、そんな真理に気付いた。奥さんがエラいのではない。本人が好きでやっているだけだ。そんなもんだろう。

考えてみれば、私だって自宅で愛用する徳利やぐい呑みは、酔っぱらっていても自分で洗う。男の趣味性ってそういうものだと思う。

そうはいっても靴にさほどのこだわりがない私だ。いつまで続くかが問題だ。ただ、スーツやコート、シャツなんかも「キチンとしたもの」に一新せねばと考えている間は、きっと靴磨きも飽きずにやるのかも知れない。

自分用の靴手入れ用の馬毛ブラシやクリーム類を専用箱にセットして悦に入っている。魔法の道具箱みたいで楽しい。先日は、頼まれてもいないのに娘の通学用の革靴まで磨き上げてしまった。こり始めるとキリがない。専用箱に次はどんなグッズを買おうかなどと楽しく思案中。

でも、嫁さんが使っている靴お手入れセットを覗いてみたら私の比ではなかったのがチョット切ない。あの「ジョン・ロブ」の高そうなクリームなんかもゴロゴロある。

今まで私のために使ったことはあるのか、さりげなく聞いてみた。

「あれは高い靴にしか使わないから」。それが答えだ。すなわち、私の靴ごときでは利用許可はおりないらしい。

悔しいから10万円ぐらいの靴をダースで注文してみようか。さすがに無理だ。

やはり宝くじを買いに行かねば。

2010年11月17日水曜日

上海ガニ

カニの季節だ。11月頭から解禁になる日本海のズワイを最高峰に全国各地でカニをむさぼり食う人が大量発生中だ。

今が旬ではないカニでもこれからの季節は王様のように扱われる。カニ食い人の分布は聞くところによると関東より関西方面だという。そういえば、関西人はしょっちゅう「カニ食うてまんねん」とか言っているイメージがある。

「かに道楽」みたいなカニのテーマパーク的レストランも東京エリアは少ないように思う。不思議だ。東京人特有のスカした感じがカニ食いと相容れないのだろうか。

両手を使ってテーブルの上も散らかし放題で、ほじったり、かじったり、すすってみたりするカニ退治は「食う」という作業の集大成のようで楽しいと思う。

実は石川県・橋立まで解禁になったばかりのズワイを一人コッソリ食べに行こうと画策していたのだが、家族からの同行要請が殺到して断念。

あんなウマくて高いものをどうして小学生の分まで面倒見なきゃならないのか、冗談ではない。仕方なくデパ地下で毛ガニを買って振る舞う。

日本海のズワイは断念して12月のどこかで函館に行くことにした。なぜか冬の北海道には行きたがらない寒がりの家族のおかげで、心おきなくドッサリと毛ガニでも食べうことにする。


さて、東京でよく見かけるこの時期のカニといえば上海ガニだろう。無茶な価格の高級品として崇めたてている店もあるが、もともとそういう存在ではない。良心的な値段で提供する店でワシワシ食べればいいカニだ。

ミシュラン組の「富麗華」など中国飯店系の高級店で白手袋のボーイさんにアツアツのカニをうやうやしくさばかれながら味わうのもシビれる時間だが、酒のつまみという点では何かが違う。もっとガサツに食べたい時のほうが多い。

中華系のカニならではの食べ方が紹興酒漬けだろう。酔っぱらいガニと呼ばれる食べ方だ。

ヤツの名誉のために書いておくが、ヤツは決して酔っぱらってなんかいない。死んでいるだけだ。「紹興酒につけ込まれた死体をチューチュー吸う」というのが正しい表現だ。

そう書くとロクでもないが、寿司だって「絞めてから数時間後の旨味が・・」などと言う場合、死体の熟成を味わうようなものだ。

食い道楽などといっても「おいしい死体」を求めるという意味ではゾンビと同じだ。

なんか話がそれた。上海ガニに戻ろう。

友人が経営する溜池山王にある「美食菜舘」でチューチューしてきた。旧友がブログ上で上海ガニをPRしていた某日、ちょうど夕方に赤坂にいるスケジュールだったので所用終了後さっそく訪ねた。

紹興酒漬けを2杯注文。冒頭の画像がそれだが、カニ達が私に指名されたことを喜んでいるように見える。

お燗してもらった紹興酒と一緒に味わう。普段呑まない紹興酒が何とも言えない魔法の水に変身する。紹興酒漬けを紹興酒で味わうのだからマズいはずはない。


ミソがたっぷりだ。どう表現すればいいのだろう。何かに似てる味といえばいいのだが、思い浮かばない。ボキャブラリーの乏しさを実感する。トロリン・ジュワン・ジュジュジュ・ズーって感じのたまらない味覚が脳を直撃する。

カニは身体を冷やす食べ物の筆頭だ。中華料理店でもショウガ汁を一緒に出す店もあるが、この日は、しこたま熱い紹興酒で温まる。

それでも何か身体を温める食材を摂取しようと「辛い麻婆豆腐」を注文。これがまた本当に辛くてさあ大変。何かの復讐かと思うぐらい辛い。

でもウマいのでワシワシ食べる。辛いから紹興酒が進む。グビグビ呑む。酔う。満腹中枢が麻痺する。チャーハンを追加する。ペロペロ食べる。あとで後悔する。太る。

そんな感じの時間だった。

2010年11月15日月曜日

旅館の時間


旅先の宿選びにはいつも悩む。とくに温泉宿となると苦悩状態になる。大衆旅館でも壮大なスケールの露天風呂があれば行きたくなるし、極上の高級割烹旅館でも大浴場が小さいと魅力は半減する。

先日、伊香保温泉に行く機会があった。評判の高い老舗旅館「福一」にするか、大型の「ホテル木暮」にするかで悩む。その他にも良い宿はあるが、サウニストとしてはサウナがないとダメ。

福一は料理の水準も良く全体的にサービスも上等、木暮はとにかく大浴場のスケールが抜きんでている。

結局、ひんやりとした秋風のせいで、巨大露天風呂を目当てに木暮を選ぶ。

サウナも大きく、茶褐色のにごり湯が溢れる巨大露天風呂も快適。その他にも趣向を凝らした浴槽がいくつもあり弛緩するにはもってこいだ。

この旅館が一流になれない点は、何といってもサービス面だろう。“行きはよいよい、帰りはなんとやら”が大きなマイナス。

朝の大浴場は9時半にキッチリおしまい。大浴場行きのエレベーターさえスパッと止まる。大きな湯上がりフロアも朝は営業していない。電気まで消えている。

おまけにチェックアウト後にクルマまで荷物を運ぶ手伝いもいっさい無し。うやうやしく迎えておいて、帰る時はとっとと帰りやがれ的なダメダメぶりだ。

場所柄たいした料理はないが、味付けやメニューに趣向を凝らし、朝食も丁寧に作っている。何より風呂は最高で、館内の清潔感もOK。それでも最後の最後の肝心なところが失格。ピンボケだ。

俗に一流といわれる旅館を思い返してみると、朝起きてからチェックアウトするまでの流れにゆったりとした余裕がある。当たり前のことだが、これができていない宿が多い。

話を戻す。温泉宿の規模について。いわゆる隠れ家系がいいのか、大型旅館がいいのか、この点は大きな問題だ。

女性雑誌がこぞって取り上げるような旅館はたいていがシッポリお籠もり系の高級旅館。規模が小さいせいで手の込んだもてなしが受けられるが、どうもラブホテル代わりに使う不倫カップル用というイメージも少なからずあるように思える。

確かに熱い関係の二人ならジイサンバアサンの団体やうるさい小僧どもがいない宿を選ぶ。そういう宿に家族連れや一人旅で行くと実に落ち着かない。

大浴場も部屋数に比例して小さく、「さっさと部屋にこもって交尾でもしてろ」と諭されているような気がする。

巨大旅館のアホみたいにだだっ広い大浴場でサウナを使いながら2時間ぐらい平気でスッポンポンで喜んでいる私にとっては隠れ家系のあの感じは苦手だ。でも宿全体の凛とした空気や質感、料理の水準を考えるとついつい行きたくなる。

実例を出して恐縮だが、北海道・登別のスーパー巨大温泉「第一滝本館」あたりはその対極だろう。どうしてこうもマズく調理できるのかというレベルの大皿おざなりバイキングに遭遇する。ビックリする。宿の動線も滅茶苦茶だしセンスも物凄い。

誉める点がまるでないようだが、大浴場はスペシャルパラダイスだ。だからついつい行く気になってしまう。

結局、どっちにも行きたいわけだ。

テーマパークみたいな巨大浴場がある宿は必然的に大衆路線なので宿泊料は安い。ところが、団体様大歓迎体質なので、一人旅を受付けていない所も多い。部屋数が多いのにバカみたいだ。

そういう時にどうしたらいいか?答えは単純。「2名宿泊」で予約を入れれば済む。いざ宿泊当日、同行者が死んだとか病気になったといってチェックインすればよい。交渉次第で2名分の料金は取られず、1名分料金の5割増しぐらいで話がつくこともある。

そんな交渉がイヤなら、夕食抜きの宿泊プランとかで予約しておけば、2名分料金でもたかが知れている。

そんなセコびっちなことをしてでも、巨大風呂の楽しみは捨てがたい。ただ、まともな高級旅館で割高な料金を払って、ひとりしっぽり部屋にこもって一品一品運ばれる食事を味わうのもオツだ。ちょっとした富豪気分に浸れる。

何年か前になるが、いろいろなことが重なり思うところあって、家を出て数ヶ月だけ都内を転々としていたことがある。

夜逃げではない。

一応、職場にはちゃんと通ったが、週末はほとんどアチコチの温泉宿に居た。テンションが低かったせいで賑やかな大型旅館は敬遠し、シッポリ系の宿ばかり選んだ。

iPodと雑誌を相棒に片方の耳だけにイヤホンを差し込んで、部屋で黙々と食べて飲んで過ごした。客との距離感を上手に計るまっとうな仲居さんがいる旅館は実に有難かった。癒された気がした。お金もかかった。

そういうズンドコ、いやドンゾコぶっていた気持ちが吹っ切れ、普通の日常に戻ったあと、しばらくして大型旅館に遊びに行った。

ドヒャーとしたアホみたいな規模の大浴場につかり、これはこれで最高だとしみじみ感じた思い出がある。

結局、どういう路線の宿だろうと、それぞれの持ち味があり、同行者の有無、同行者との間柄など状況に応じて選択すればいい。

なんか当たり前の結論になってしまった。すいません。

2010年11月12日金曜日

酒と本

本を読むのが好きなのだが、読めずに放置してある本が随分たまっている。酒のせいだ。酒と読書のどっちを取るかと言われれば、どうしても酒を選んでしまう。

酔い加減が適度なら寝る前は必ず読書タイムなのだが、しっかりバリバリ酔っぱらっていると中々難しい。もともと活字中毒的な要素があるので、酩酊状態でも何かしら文字を追うのだが、そういう時は通販雑誌なんかをペラペラめくっておしまい。

それでもさすがにこの季節は読書量が増えている。読みながら眠ってしまうことが多いので、長編小説などはなかなか進まない。

浅田次郎の「終わらざる夏」をようやく読み終えた。夏の終わりに購入してあったのだが、いまごろ読了。

http://www.shueisha.co.jp/1945-8-18/
昭和20年8月18日日、千島列島の最北端・占守島で起きたソ連軍と日本軍の戦闘を題材にした作品だ。

戦争が終わったはずなのに起きた戦いの意味と巻き込まれた人達の葛藤と生きざまを描いた上下巻の大作なのだが、戦闘シーンはほとんど描かれず、あくまで何人かの登場人物の背景描写が延々と続く。

一人一人の人生が運命の一日に向かって描かれていく。下巻の後半ぐらいにようやく終戦となり、本題である運命の日につながっていく。そこに至るまでは徹底して登場人物の考え方、意思、背景描写が続く。

ステレオタイプに戦争の愚かさを説くのではなく、様々な背景を持つ登場人物の視点から狂った時代が冷静に俯瞰されている。

ファンタジー要素があったり、小気味よい筆致が続く浅田次郎作品の中では重厚な部類に入るのだろう。とはいえ、さすがのストーリーテラーぶりで、重い題材といえども読む側をすーっと引きつける。

圧倒された。終盤にはポロポロと泣いてしまった。本の力を再認識させられた。

大げさだが読書から得るものって大きい。酒と本の両立をもっと頑張らないといけない。

私の読書スタイルは長年の習慣でベッドに横になりながら上半身だけ起してページをめくる。この格好だとどうしても酒との両立が難しい。

だいぶ前にわが家の「呑み部屋」の話を書いた(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/01/blog-post_11.html)が、せっかく酒を呑みながら本が読めるスペースがあるのだから使わない手はない。

というわけで、先日、伊集院静「浅草のおんな」を持ち込んで酒とともに味わってみた。浅草の小料理屋を舞台に中高年の色恋や生き方が描かれている読みやすい一冊だったのだが、小料理屋の描写が私の酒量をあおる。ページをめくりながらグビグビとピッチが上がる。

つまみは冷や奴と漬物と塩辛程度。小料理屋が舞台の小説なので、しっぽりと楽しもうと企んだのだが、思ったようにはいかない。

徳利から注ぐ杯をあおり、箸を手につまみを突つき、合間に本に目をやるという作業がダラダラ続く。なんか面倒くさい。

結局、酒が主役の座を奪ってしまい、気付けば酩酊。読んだはずの部分が頭に入っておらず、翌日、かなりさかのぼって読み直す。“3歩進んで2歩下がる”みたいな読書になってしまった。

やはり、呑みながら読むには、ウイスキーのストレートとナッツ類といった組み合わせじゃないと忙しくてダメ。なかなか上手くいかない。

それこそ小料理屋のカウンターの端に座り、本を読みながら一杯ひっかけるなんてシチュエーションに憧れるが、これまたハードルが高い。

顔見知りの店でいきなりそんなことを始めたら不自然だし、かといって初めての店だったら単なる感じの悪い客になってしまう。

安い大型店あたりなら、カウンターの一人客が何をしてようがお構いなしなのだろうが、そういう店は騒々しいし、食い物もまずそうだ。結構難しい問題だ。

以前、神楽坂の某割烹料理屋で初老のご婦人が一人、文庫本をさりげなく読みながら魚の煮付けなんかを食べている光景に遭遇した。

どこかの大学の先生らしい。なかなか絵になる姿だった。学究の道を歩んでいるせいだろうか、実に自然な姿だった。

どんな場所だろうと、読書姿がさりげなく周囲にとけ込むようになるには一体どのぐらいの本を読みこなす必要があるのだろうか。

そんな「たしなみのある大人」になりたいものだ。

2010年11月10日水曜日

土の味

この季節、徳利とぐい呑みを掌でもてあそぶことが多い。燗酒を入れた徳利は、ポカポカと暖かく、釉薬を使わない焼締めの備前徳利などは土のぬくもりがダイレクトに感じられてなで回したくなる。

冷酒なら冷酒で徳利が汗をかいた風情が涼を誘うが、いじくり回すと手がビチョビチョ濡れて不快だ。やはり徳利には燗酒が良い。寒い季節の楽しみだ。


この写真はお気に入りの徳利の一つ。瓢箪型なので瓢徳利と呼ばれるスタイルだ。酒を注ぐときにトクトクと独特な音が楽しめる。備前の酒器名人・中村六郎さんの作品。

ぐい呑みはビジネスバッグに収納して外食の際にも活用しているが、さすがに徳利は持ち運べない。どうしても自宅使用だ。

家で呑む際に風流などと気取っていられないので、なかなか出番がない。でも、静かになった夜更けに一人、湯せんした徳利を愛でながらシンミリ呑む時間はかけがえのない時間だ。いろいろとリセットできる。



2番目の画像は、これも備前の重鎮・吉本正さんの作品。奇をてらわない端正な造りと勢いよくロクロ挽いた雰囲気が滲み出ている気持ちの良い徳利。丸味を帯びたフォルムが掌で遊ばせるには最高だ。

3番目の画像は若手作家・大澤恒夫さんの作品。備前の土に李朝風の装飾が施された一風変わったもの。野趣たっぷりで酔いが進むと不思議と使いたくなる。

徳利の面白さというか、魅力の一つが中身が見えない点だ。当たり前といえば当たり前だが、見えないからこそ覗きたくなる。覗いても暗闇しか見えない。その神秘的な雰囲気が好きモノには堪らない。

壷を集める人の心理も同じだろう。「壺中の天」という故事が有名だが、見えない壺の中には桃源郷がありそうな気配がある。

いわば小さい壷である徳利もそんな想像をかき立てる。実際の中身はカビだらけかもしれないが、注ぎ込んだ酒を美味しくする秘術を持つ仙人が徳利の中に住んでいそうな気がする。そう信じるほうが楽しい。

一説によると徳利にタンマリ注いだはずの酒は、いざ呑み始めると少しだけ目減りしているらしい。秘術を使う仙人が分け前として呑んでしまうのがその理由だそうだ。

実に素敵な話だ。

ちなみにこの説を唱えているのは私だけなので信用してはいけない。きっと自分がどれだけ呑んだか覚えていない酩酊状態の時に言い出した戯れ言だ。

ぐい呑みコレクションも結構な数になってしまった。最近、一番のお気に入りを出そうとしたら行方不明で困惑中。清水の舞台から5度ぐらい飛び降りて購入した大事な大事な一品がどこかに潜伏中。

京都の名匠であり人間国宝・清水卯一さんのぽってりとした釉薬のグラデーションが美しいぐい呑みなのだが、箱に入れて大切の保管していたので、どこか奥の方に仕舞い込んでしまったのかもしれない。

やはり、500LDKの豪邸?に住んでいるとこういう点が不便だ。すぐに行方知れずになる。そのぐい呑みは「おめでたい時限定」で使っていたわが家の家宝とも言える逸品だ。

逆にいえば、いかに最近私の身にめでたいことが起きていないかの証しだろう。

今度ちゃんと探して、見つかったらそれを祝って使ってみようと思う。



最近使ったぐい呑みも携帯で撮影してみた。上が唐津、下が丹波の作家モノだ。ちょっと野暮ったいボテッとしたぐい呑みが好きなんだなあと改めて感じる。

有田焼や九谷焼みたいな端正で精緻な作風はどうも性に合わないみたいだ。

きっと私自身が端正で精緻な人格なので、酒の席ではその対極を求めているのだと確信している。

2010年11月8日月曜日

外国人指導者

プチ右翼的要素がある私にとって、「外国人指導者」という存在がどうにも気になる。まあ日本が何でも一番というわけではないのだから、弱い分野は積極的に外国人の指導を受けるべきなんだろう。

プロ野球の世界でもアメリカ人監督は今だに根強い人気があるが、かといって抜群の成績を残した人物もいない。やはり、野球に関しては、「ベースボール」とは違う競技として成熟している証しだ。

フィギュアスケートやサッカーあたりだと外国人指導者こそ絶対みたいな風潮がある。実際にその成果はしっかり出ているようだ。サッカーワールドカップにしても岡田監督は単なる消去法で指揮を執っていただけで、本来なら外国人監督の指定席だ。

外国人指導者を招く利点は数々あるが、なかでも大きなポイントになるのが「しがらみの無さ」だろう。頭では分かっていても、しがらみにとらわれる弊害はどんな分野でも起こりえる。

冷静沈着な第三者的目線を貫き通すのはなかなか厄介だ。それを打ち破るためには外部の力に頼るのが手っ取り早い。だからヨソの世界での豊富な経験を「異国感覚」として有難がることになる。

スポーツの世界だけではない。すっかり定着した大企業の社外取締役制度にしても発想の源は同じ。しがらみの無い第三者的目線につきる。

つぶれかけていた日産自動車が立ち直った際もゴーンさんを連れてきて徹底的な理詰めの改革を断行した。しがらみのある内部関係者では無理だったんだろう。

事業の廃止や工場の閉鎖だって、外から見れば常識的なことでも社内的には天変地異ぐらいの衝撃がある。どこの企業だってそうだろう。主力商品、主力部署だと信じていたものが企業の足を引っ張っていることだって珍しくない。

そうした現状分析をする際に内部の感覚だけだと必ず狂いが生じる。過去の成功体験を引きずっていれば尚更冷静な判断はくだせない。

鉄道を名乗りながら電車を走らせていない会社やフィルムを社名に冠しながらフィルム事業から撤収する会社など、大胆な構造転換を実現するには膨大なエネルギーが必要だろう。

欠かすことの出来ない必要最低限の要件が「冷静沈着」および「第三者目線」ということになる。

笑えない話だが、中小同族会社などは同族関係者がいなければ業績が好転するという話もある。中小同族会社はオーナー自身の踏ん張り無くして成り立たないのは間違いないため、そんなブラックジョークには腹も立つ。ただ、一面的にはそういう指摘ももっともだろう。自分自身のコストを考えると遊んでばかりいられないと痛感する。

経済政策をめぐる国会論戦が熱気を帯びてきた。せっかく政権交代を成し遂げた民主党政権だが、どうも斬新な政策が見えてこない。旧来型の調整に終始するのならガッカリだ。

新しい政策を考えるうえでも重要になるのは第三者的目線だろう。多くの場合、前例や慣習は、しがらみと同意語になりえる。政権交代を選択した国民が求めているのは「チェンジ」である。官僚の振り付けで踊るだけなら背信行為そのもの。

明治維新を成し遂げた新政府は数多くの外国人顧問を招き改革の知恵を授けてもらった。もちろん、先進国と呼ばれるようになった現在とは社会情勢がまるで違うが、広く外から学ぶ姿勢は必要だ。

前例、慣習、思い込み、そして曖昧な常識だけでは改革は不可能。転換期にある国を引っ張る政権には「異人感覚」を大事にして欲しい。

2010年11月5日金曜日

先に逝く人

小、中、高校と通った懐かしの母校に行ってきた。クルマで横を通ることはあったが、中まで入ったのは25年ぶりぐらいだろうか。当時の面影を残した部分に思わず見とれる。

あそこの3階の窓から教師に水をかけたなあ、とか、このグランドの中心点に長時間立たされていたなあ、とか、あの校舎の地下に先輩から呼び出されたなあ、とか、学園祭のフォークダンスの練習名目で女子高生をあの部屋に連れ込んだなあ、とか真面目に過ごした年月が甦った。

印象的だったのは学校全体の広さ。当時、我が物顔で過ごしていたせいか、さほど広いイメージはなかったのだが、いざ歩いてみると結構広い。きっと自分が謙虚な人間になったんだろうと解釈してみた。

母校に行ったのは友人の奥様のお通夜が目的。慣れ親しんだチャペルはまったく変わっていなかった。暑い夏の日、冷房など無かった校舎に耐えられず、半裸でチャペルで涼をとっていた恥ずかしい過去が甦る。

若い頃ってどうしてあんなに罰当たりだったのだろう。今更ながらゾッとする。中年になった今、慣れ親しんだチャペルの荘厳さに初めて気付いたような感覚になった。

友人の奥様はまだ40歳の若さ。子どもの行く末をまだまだ見守りたかったはずだ。誰もがいつかは命の灯が消えるにしても、その年月の長短にはどうしようもない不条理もある。自分の身に置き換えて考えてみても無念という言葉しか思い浮かばない。

この夏、小学校以来の同窓生が不慮の事故で亡くなった。10歳の娘さんを残して旅立ってしまった。やはり、子を持つ親として、ただただ切ない。ご遺族の心の平穏をただ祈りたい。

話は変わるが、私が大好きな映画に「ゴースト・ニューヨークの幻」がある。見方によっては子どもっぽい勧善懲悪モノとも言えるのだろうが、私にとっては何度見ても泣ける。いや、正確に言うと号泣してしまう。

何度も見返しているが、主人公がまだピンピンしてる映画の前半から早々に泣きモードに入ってしまう。“こんなに仲の良い二人なのに死が訪れてしまうのか”という感傷が私の涙腺をゆるませる。

映画では、ゴーストになった主人公が残していった恋人を守ろうと活躍するわけだが、とにかく「触れられないもどかしさ」がやたらと切ない。

ゴーストになった主人公からは相手の存在が見えるのだが、当然、相手からは見えないし、触れることが出来ない。

ゴーストの先達からモノを動かす“技”を伝授されて、扉越しにコインを動かすシーンがある。恋人がコインの動きを指でなぞり、死んだ恋人が自分の側にいることに気付き、コインを通して間接的にゴーストと触れあう場面が一番泣ける。

たとえ見えようが、その存在を感じようが、どうしても叶わないのが「触れること」だろう。こればかりは、空想小説だろうとホラー映画だろうと大体共通している。

そう考えると愛する人と触れあえるという単純な行為がいかに有難いことか痛感する。

ついでに個人的なスピリチュアル体験の話を書く。私自身というか、私の家族に起こった話だ。亡くなった祖母の初七日法要の後、家族みんながバラバラの場所で同時に鈴の音を聞いた。

旅行好きだった祖母は、それこそ世界中で鈴を土産に買ってくるほどの鈴コレクターだった。そんな祖母が挨拶するかのように軽やかに鈴の音を鳴らしていったらしい。

実はこの時、親戚を含めた10人近くのうち、鈴の音を聞かなかったのは私一人。私以外は全員が聞こえたそうだ。スピリチュアル系の感度に少しだけ自覚がある私としてはちょっと切ない思い出だ。聞き漏らしたのか、私だけ無視されたのか、きっと前者だろう。

家族としては、鈴の音が気のせいだったとか、偶然だったとは思わない。やはり旅立ちの挨拶だったんだろうと素直に理解している。でも、その時も最後の最後に握手とかハグとか、そういう触れあいをともなうお別れをしたかった。

寒くなってくると娘のベッドに侵入する私だ。暖をとるのに適度なサイズなので、ついつい湯たんぽ代わりに扱う。

熟睡している寝相の悪い娘は、時にパンチやキックを私に繰り出す。膝蹴りが股間を直撃すると寝ている娘に仕返しをするほど怒る私だが、そんな「ぶつかり合い」も間違いなく「触れあい」に他ならない。

愛する人の成長を見守ることが出来ずに、無念を抱えて旅立っていく人からすれば、そんな下らないやり取りすら二度と叶わない。そう考えると、つくづく当たり前の瞬間瞬間の大事さ、有難さ痛感する。

先に逝く人が残してくれる教えを今更ながら噛みしめたい。

2010年11月1日月曜日

打ち込む日々

夏頃だったか、このブログで「壁投げ野球」の話を書いた。自宅近くの公園にちょうど良いカベを見つけたので、グローブとボールを持って必死に投球練習に励む話だ。

さすがに飽きた。一生懸命ボールを投げるのは楽しいのだが、やはり張り合いがない。勝手にバーチャル状態で試合形式を妄想しても手応えがない。

だいたい、いい年したオジサンがひとり黙々と壁に向かって投球練習している姿はちょっと不気味だ。村田兆治みたいだ。

ということで、最近凝っているのがバッティングセンター通いだ。なんてったって、飛んでくるボールを思いっきりひっぱたくわけだから気持ちがよい。会心の一撃を放ったときの快感は壁投げよりも遙かに大きい。


今日の画像は打ち込みに励む私の左手だ。手袋をしていてもハッスルしすぎるとすぐに皮がむける。痛くてしょうがない。

自宅からクルマで20分ほど行ったところに昔ながらのシケたバッティングセンターがある。その名も「峰」だ。なぜそんな名前なんだろう。凄いセンスだ。

イマドキのバッティングセンターは、松坂とか上原あたりの等身大映像が、あたかもボールを投げ込んでくるかのような趣向を凝らした所もある。「峰」の場合、まるで昭和の遺物のような設備だが妙に安い。

30球で200円だ。いまどき珍しいと思う。その代わり、ピッチングマシーンもボロい。よく故障する。たまに投球自体を“空振り”する。これまた珍しい。

でもマシンが不調になればオバチャンに言うと最初から30球分やり直してくれる。実にアバウトだ。

ヒマな週末に出かけるので、小学校3年生の娘がついてくることも多い。子供用のバットを買ってやったら妙にハマったらしく、毎回200球近くは打ち込んでいる。アイツは何を目指しているのだろうか。

ときどき自打球が身体に当たる。すぐ泣く。それでも不思議なことに泣きながら打ち続けている。なんかこっちが「星飛雄馬の父」みたいな感じでイヤだ。

ときどき私の娘への指導を低学年ぐらいの少年達が結構真面目に見学している。娘もそういう場面になると意識して快打を連発する。男の目を意識しているみたいで気に入らない。生意気だ。

娘はひとしきり打ち込むと、ベンチに座って持参のDSに励み出す。父親の素晴らしいバッティング技術には関心がないようだ。でも、ここからが私の本番だ。結局いつも300球ぐらい打ち込んでしまう。私こそ何を目指しているのだろう。

最近は、もっとも速い“130キロ”にも馴れてきた。右方向だけでなく、しっかり引っ張れるぐらい目が馴れてきた。

たまに少年達が私の130キロ攻略バッティングを真面目に見学している。こういう場面になると俄然私も張り切る。快打連発だ。少年達の「すげ~」という声にニンマリする。娘と変わらない。

親子ともどもノリやすく図々しい性格のようだ。

このところ打撃好調だったので先日のドラフトで指名されるかと期待していたのだが、オリックスとかベイスターズですら私の指名を見送った。

仕方がないから来春はメジャーのキャンプに参加してみようかと思う。

2010年10月29日金曜日

人は見た目

先日、「真面目」を旨に頑張っていくと書いてみたが、この秋から着るものにも真面目になってみようと決意した。

不真面目な服を着ているわけではないが、ここ数年、かなり無頓着になっている。このままではいけない。やはり、ちゃんとした人は身なりもちゃんとしている。見習おうと思う。

若い頃は着るものにはウルサイほうだったのだが、いつの間にかファッションを意識しすぎる男が格好悪い存在に思えてきて、あえてテキトーな服を着回してきた。

30代後半ぐらいまでは、毎年香港あたりまでわざわざ出かけてスーツやらシャツなんかを一度に軽くウン十万円単位で調達してきた。

バーゲン時期ばかりだったのが富豪っぽくはないが、あそこのセールは笑っちゃうほどの値引率なのでついつい恒例行事にしていた。

ある日、そんな思いをして洋服を選んでいる自分がバカバカしくなった。イタリアのブランドなどデザイン優先で品質が悪いものが少なくない。そんなものに大枚はたく事が疑問に思えてきた。

石田純一じゃあるまいし、軽薄な感じがするし、洋服にこだわる男が途端にナヨナヨ男に思えてきた。結果、「男は中味で勝負だ」などと勢い込んで、テキトー状態に陥った。

テキトーな服をさらっと着こなしているほうが男らしいし、無頼派を気取っているようでひとり悦に入っていたが、そんな自己満足はチョット情けない。せいぜい若い頃だけ通用する話だ。しょせん世間は「あの人ヨレヨレね」という見方しかない。

そして立派な中年になった今、世の中を見回すと、然るべき人々は然るべき身なりをしていることがやけに目につく。何だかんだ言っても「人は見た目」だ。

屁理屈をこねようが、四の五の言おうが、突き詰めれば「人は見た目」だ。こればっかりは真理だろう。

そう思った途端に自分の身なりが気になる。安物を平然と着回していることが急激に許せない気分になってきた。この辺の突然の熱の上げ方がB型特有の性格なのかもしれない。

考えてみれば、日々着用するスーツ類は男にとっての制服であり戦闘服だろう。大事な道具のひとつだ。道具にこだわり、道具を大事にすることは真っ当な大人のライフスタイルの基本だ。

思い起こせば、少年時代、野球部のユニフォームの着こなしにも自分なりのこだわりがあった。ストッキングの出し幅、アンダーシャツの丈の長さ、スパイクのデザインまで全部自分なりの美学を持っていた。

テニス少年だった頃も、「FILA」より「TACCHINI」にこだわり、ソックタッチをぶりぶり塗って、リストバンドの色にさえ執着した。

少林寺拳法に励んだ頃は道着の丈、襟の長さ、帯の結び方にもこだわっていた。ダイビング用のウェットスーツも若い頃は随分こだわりを持って作った。

随分話が飛んでしまった。日常の「制服」の話だ。30代前半の頃ですらカシミアのオーダースーツを作ったこともある「オシャレだった自分」はどこかに消えてしまった。

こんなことではいけない。もっと真面目に「制服」と取り組むことにする。“セルフ親父改造計画”を実行しないといけない。


先日、手はじめにワイシャツをオーダーしに行った。そこそこ上等な生地を選んであれこれ注文してきた。結構楽しい。

ボタンホールの糸の色で遊んだり、腕時計の分だけ袖周りの太さを変えてみたり、手作り感が妙に愉快だ。出来上がりを気に入れば頻繁に通いそうだ。

別な日、スーツもオーダーしてきた。裏地をピンクにしようかとか、ボタンの色を全部変えようかなどと変なことを考えたが、結局勇気を出し切れずに普通に発注。「真面目」過ぎたかもしれない。

また、別なテーラーには近いうちにコートをオーダーしに行く予定だ。どうせだから中途半端な生地はやめて一生モノでも作ってみようと計画中だ。

ネクタイも大量に新調してみた。仕舞い込んである高価な時計やらバックも引っ張り出してみようと思う。

“然るべき人”みたいな身なりになれば、なんとなく自分の緊張感が高まるような相乗効果もあるだろう。それっぽい仕事にもつながると期待しよう。きっと姿勢も良くなるに違いない。

姿勢が良くなれば長生きも出来そうだ。そう考えるといいことずくめだ。

問題はこの決意がいつまで持つかという点だろう。決意はもちろん、経済的にもなかなかハードルは高い。衝動的に水中撮影に出かけたり、ホームサウナを買ってしまうような私だ。欲しいものは山ほどある。

自宅で使うマイ箸もマイ味噌汁椀も傷だらけになってきたので新調しないといけないし、“細かな物欲”は天井知らずだ。困った困った。

身に付けるものにウン十万もかけていたらその他の面白いことにお金がかけられなくなる。悩ましい問題だ。

やはり宝くじを買いに行こう。

2010年10月27日水曜日

銀座のクラブ


どこの世界もそうだが、銀座のクラブも相当厳しい状況みたいだ。あの世界は、大げさではなく日本経済の鏡みたいな意味合いを持つ。景気が良ければ大繁盛、その逆もまたシビアだ。

今の時代、景気が全体的に上下するというより、業種業態によって浮き沈みが激しいのが実態だ。羽振りの良い人達もいるが、夜の世界が全体的に浮上するような規模の広がりはない。

暑からず寒からず気持ちの良い某日の夜、銀座をほっつき歩いて思ったのだが、やっぱり人が少ない。零時を過ぎたタクシー乗場にしても5分と待たずに順番がくる。

この日、某和食店で食事をしながら、おかみさんと無駄話。話題は夜の店の現状。おかみさんいわく繁盛しているのは有名な3店ぐらいだという。

8丁目の「T」、「G」、6丁目の「M」。わざわざ頭文字にする必要もなかろう。「サードフロア」、「グレ」、「麻衣子」の3店だ。もちろんそれだけではないのだろうが、この3店の頑張りはよく耳にする。

「サードフロア」以外は私も時々覗くが、確かにスカスカだったことは無い。それでもパンパンに混雑していることが以前より減っているように思う。

繁盛店の秘密って何だろう。綺麗な女性が大勢いることだろうか。まあそれも要素だろうが、それだけだったら安いガールズバーだっていいわけだし、有名店以外でもいくらでもそんな店はある。

結局、店全体のマネージメント力に尽きるのだろう。黒服さんをはじめとするスタッフの目配りや記憶力しかり、客を受入れて退店させるまでの段取りの良さ、そうしたポイントを理解している客側の空気などさまざま。

うまく表現できないが、何度か通うと、随所に「なるほど」と感じる場面がある。逆にいえば、何度通っても「オイオイ」と文句を言いたくなることがない。この部分が簡単なようで難しいポイントなんだと思う。

銀座でクラブを名乗る以上、たいていの店が強い自負を持って客をもてなしてくれる。働いている人それぞれがそれなりの矜持を胸に抱いているわけだが、店全体のマネージメントはそうそう簡単ではない。

客が店の空気を作るというか、店を育てていく部分も確かにあるだろうが、客という存在はいたって気まぐれだ。気に入らないことがあれば“ニッコリ笑って二度と来ない”のが実際だろう。

文句を言ったりアドバイスをする客はごくごく少数派だと思う。銀座のクラブに限った話ではない。サービス業はすべてそうだし、「顧客」によって成り立つ仕事なら何でもそうだろう。わが社だって、発行する新聞につまらないミスがあれば簡単に読者に見限られる。

大体、新聞も雑誌も顧客のことを「読者」と称していること自体が不遜な話ではある。お客様である以上「読者様」と呼ぶべき所が一種の呼び捨て状態になっている。

メーカーや販社が「お客様相談センター」なら新聞社は「読者係」とか「読者サービス部」だ。“様”をつけるような発想がない。この点は大いに考えないといけない。

おっと、話がそれた。

先日、食事の後に銀座の某クラブに寄り道。まだ新しい店。スタッフも頑張っている。気分の良い店だが混雑する気配無し。結局、1時間半ぐらいの間、他のお客さんは登場せず。

その後、てくてく歩いて「麻衣子」へ移動。一転して盛況。フロアは満席で、シックな雰囲気のカウンターバーエリアでしばし待つ。

20分ほどでフロアに移る。一斉に客が退いたようで珍しくがらんとしていたが、ものの15分ぐらいで再びほとんどの席が埋まる。

狭い店ではないため、黒服スタッフの数も多い。とはいえ、段取り良く動いているのか人数の多さを感じない。こうした何気ない部分、目立たない部分がうまく機能しているのが繁盛店の秘訣なのかもしれない。

そんな観察なんかせずに魅惑的な女性たちと艶やかな会話でもすれば良さそうなものだが、口を開けばしょーもないワイ談になってしまうダメな私だ。

2010年10月25日月曜日

お燗酒

すっかり秋も深まった。こういう空気のなか恋しくなるのが「燗酒」だ。日暮れがすっかり早くなったので、アル中モードに入るのも早くなってしまった。

私の場合、燗酒はチンチンに熱いのが好みだ。チンチンが熱いのではない。

ぬる燗も悪くないが、口元でアチッとなって肩をすぼめるぐらいが嬉しい。

猫舌な私だ。必然的にチビチビと飲むことになる。なんか貴重なもの、有難いものを押し戴いている気分になる。のど元を過ぎて食道を通過する際のジンワリ感がたまらない。

熱い燗酒の良さは、短時間で大量の酒を摂取しないで済む点にもある。ぐいっと勢いよく飲めば当然、急ピッチで酔う。ゆるやかにホロ酔い気分を楽しめるからアツアツ燗はオススメ。

熱燗がウマい季節になると、歩調を合わせるかのようにアンキモとか白子なんかが登場する。ウヒヒーって感じだ。


先日、お寿司屋さんでジンワリ熱燗に浸ったときの画像。白子も食べたい、カワハギのキモも食べたい、でも身体に悪いと逡巡した際の結論だ。白子ひとつとカワハギひと切れだ。ちょびっとだけ食べるのは決して貧乏が理由ではない。健康のためだ。

カワハギの肝を刺身でくるむ。ジュンワリジュワジュワと肝が舌の上でとける。モミジおろしとポン酢をまとった白子がジョワジョワンと口の中で弾ける。幸福だ。

ちょびっと食べると、健康面への罪悪感もない。ちょこっとなら、尿酸値、コレステロール系に悪かろうが気にならない。食べたのは「ほんのちょっとだけ」と安心できる。

ただ、ちょびっとしか食べないでいると、その後も生イクラやウニとかキモ類を平気で注文してしまう点だ。

「ほんのちょっと」が5種類とか6種類になると結局、“成人病へようこそ・不健康大会”という事態になる。


この日は高田馬場の鮨源を止まり木にアルコール注入。ここに寄る時は、夜の席が入っていない日だ。ほろ酔いになっても街へ出ずに帰宅するパターンがほとんど。だから気も張らず、ゆるゆると過ごす。

キモや魚卵系ばかりじゃ身体に悪いと思ったので、カキをお吸い物風にして出してもらった。滋味滋味。満足満足。

次の日、ひょんなことから知ったのだが、カキはプリン体が非常に多いらしい。私の尿酸値がまたまた危険だ。

「貝はヘルシー」という思い込みだけでカキと付き合ってきたが、大いなる間違いだった。

考えてみれば、カキのあの味は、そこらへんの貝とは別モノだ。やはりウマいものには罠がある。

はたして珍味系でヘルシーな酒のつまみはこの世に存在するのだろうか。誰か教えて欲しい。

お燗酒を呑む機会が増えるこれからの季節、私にとってわが社の資金繰りと同じぐらい切実かつ重大なテーマだ。

2010年10月22日金曜日

真面目

最近「真面目なこと」にちょっと惹かれる。子どもの頃から「真面目なこと」にあえて逆らうことがカッコ良いみたいなおバカ行動をとってきた私だが、さすがに人生の折り返し地点を過ぎてからは真面目なことの尊さを実感する。

そう書くと何か大げさな感じだが、真面目路線の良さを痛感したチョットしたきっかけがある。

薬物服用がそのきっかけだ。薬物などと表現しちゃうところがダメだが、このところ胃腸の調子がよいのは真面目に薬を服用し続けているから。ここ数年の中では絶好調だ。

パリエットという知る人ぞ知る飲み薬がある。胃酸を抑える錠剤だ。5年以上前から逆流性食道炎と付き合っている私にとって救いの薬だ。

これまでも頻繁に処方されていたが、数日服用しただけで済ませていた。今回は、胃と大腸の内視鏡検査を受けた9月中旬から一日も休まずに1ヶ月以上飲み続けている。

真面目に飲み続けてみようと決意してから挫折しないで継続中。たかだか1錠の錠剤を寝る前に飲むだけだから、わざわざ自慢するような話ではない。

でも、1日も忘れずに真面目に続けている自分がだんだん可愛くなってきた。

「真面目な僕」。なんか新鮮だし、いい気分だ。

おかげでこの1ヶ月、胸焼けから解放されている。真面目な行動へのご褒美だ。胸焼けを起しやすい黒酢の錠剤も改めて飲み始めた。おまけに脱毛予防の薬もサボらなくなった。青汁もしっかり飲んでいる。いい子ちゃんだ。

でも若い頃ってどうして「不真面目」を目指すのだろう。今思えば恥ずかしい限りだ。キリスト教系の学校に通ったから物心ついた頃からミサに出たり、賛美歌を歌ったりしたのだが、そういう厳かな場面になると決まって悪ふざけをした。

神父さんに泣かれたこともあるし、選抜されてせっかく入った聖歌隊はクビになった。高校生になっても停学になったり、頭を坊主にさせられたり、正門横のマリア像を脚立に上ってゴシゴシ掃除する罰則を何度も経験した。

大学生になっても単位の大半が「可」だったし、サボることが美徳みたいに錯覚していた。朝帰りが続いて祖父から「泥棒稼業にでも入ったのか」と言われたこともたびたびだ。一生懸命やっている友人達をからかったりしていた。若気の至りというか、心底バカだった。実にもったいない。

まあ今でも自分ことを「真面目」と断言するほどの自信はない。若い頃よりはマトモだろうが、相変わらず、不真面目な酒の飲み方もするし、不真面目な話題でバカ騒ぎもする。人が見ていなければタバコのポイ捨てもしちゃうし、なぜか不真面目なおもちゃ屋さんにも出入りする。

ここではその程度のことしか例示できないが、それ以外の悪さも大したことはない。可愛いものだ。一応、刑事事件になるような分野には手を出していない。

待ち合わせ時間はキッチリ守るようになった。運転マナーもすこぶるおとなしくなったし、運転中はNHKのFM放送ばかり聞いている。自宅の玄関に盛り塩を置くようになったし、風水だってほんの少しは気にするようになった。

朝帰りはしないし、休日は良きパパを演じているし、タバコだって自分の部屋でしか吸わない。娘と風呂に入ってもお尻をなでなくなった。

原則として女性にウソをつくことも滅多にない。女性を口説く時はもちろん、“エロ道”を探求する場面になってもいたって真面目だ。いつも真剣に頑張っている。

“不良のススメ”だの“チョイ悪”礼賛みたいな風潮はいつの世にもあるが、あれはあれでキチンと真面目に過ごしてきた人に少しぐらい脱線した方が楽しいということを説いているだけの話だ。

もともとチョイ悪だった人にチョイ悪をすすめたところで大悪人になるだけだし、やはり「ちゃんとした大人」という心棒は守らないといけない。その方が格好良い。

これからも「ちゃんとした大人」として「精一杯真面目に」いろいろな方面?で活躍してみようと思う。

2010年10月20日水曜日

雑感

久しぶりに六本木に行った。高校生の頃はちょっと背伸びして遊びに行く街だったが、いまでは縁遠い場所になった。

いつの間にか目抜き通りにパチンコ屋が登場し、オッパイパブなんかが進出した頃から、昔の思い出が壊されるような気がして、なんとなく足が遠のいた。

ロアビルあたりは待ち合わせのメッカだったが、今では向かいのドンキホーテにその地位?を奪われたような格好だ。

先日、ドンキの並びに立派な「喫煙所」を見つけた。JT直営なんだろう。小綺麗な空間にいっぱい灰皿が置かれ、椅子もあってしばしくつろげる。

考えてみれば、こういう場所はJTしか運営できない。すっかり少数派になった喫煙者のためにアチコチにつくってもらいたい。

週末、近所を娘と散歩中に見知らぬオバサンがにこやかに声をかけてきた。道に迷ったのかと思って、親切に応対しようとしたのだが、オバサンの用事は私の歩きタバコへの注意だった。ちょっとビックリ。

おまけに「子どもの前で何ですか」と言われた。そんな時代だ。こういう経験をするとタバコがやめられない。意地でも吸い続けようと思ってしまう。

六本木の喫煙所の話に戻る。そこでは案内役の女性まで待機して、灰皿を変えたりして働いている。無料喫煙所にしては手厚い。しかたなく、缶ジュースを買ってしまった律儀な私だ。

喫煙所と名のつく場所にロクなものはない。大体が閉鎖的な密閉空間。空港内の変な部屋なんかその典型だ。そこに集う人達の表情は見るからにダメな人って感じ。私も同様だ。ああいう場所に行くと、さすがに禁煙しようかと思う。

思い返してみると、ほんの15年ぐらいで喫煙環境は激変した。15年ぐらい前はアメリカの飛行機でもタバコが吸えた。早めに搭乗手続きして必死に喫煙席をキープしていた記憶がある。

当時、カリブ海方面に良く行っていたので、喫煙席確保は大事な課題だった。その後、全席禁煙に移行し、猿マネの日本の航空会社もすぐに追随。それでもアジア系の航空会社は結構長い間タバコOKを続けた。

マレーシア航空、ガルーダインドネシア航空、フィリピン航空などなど。このタイミングに合わせて私の潜水旅行はすっかり東南アジア方面に限定された。

その後、世界的圧力に負けてすべての航空会社が全席禁煙に移行したが、そんなわけで、いまでもこうしたアジア系の航空会社にはどこか感謝の気持ちを感じる。昔の友人みたいな感じでついついヒイキしたくなる。

話がそれた。六本木の話だった。旧友が働いている店を覗いてきた。「黒薩摩」という店。銀座にもある。全国の郷土料理を小洒落た店で手軽に提供するチェーン店のひとつだ。

銀座店には以前にも行ったことがあるが、六本木店の方が料理の手作り感が感じられた。ああいう価格帯で、それなりの雰囲気で、あのぐらいの味なら、個人店が争うのはなかなか大変だろう。

この不景気のなか、ひっきりなしにお客さんがやってくる。激安店には行きたくないタイプのお客さんは、こうしたお店が受け皿になっているのだろう。

頼んだ料理も思った以上に美味しい。鶏のタタキ、豚肉料理、さつま揚げのほか、カツオの刺身もバッチリだった。つけ合わせとか前菜代わりの生野菜がまたシャキシャキしてウマい。これなら流行るのも良く分かる。

どちらかといえば、チェーン展開している路線の店を毛嫌いしがちな私だ。職人の志が感じられないとか、団体客ばかり優遇するからイヤとか、アナログこそ風流など、あくまでちっぽけな要因で判断している。それもケースバイケースだろう。

大手資本がチェーン展開すれば、それなりの強みは当然あるわけだし、用途によっては重宝する存在になる。面白味はないものの間違いはない。

そう考えると個人店が生き残っていくのは相当大変なんだろう。脱サラした友人が遠からず飲食店をオープンすべく奮闘中だ。

このご時勢に勝負をかけるわけだから、荒波に漕ぎ出すようなものだろう。それなりの個性というか、ウリは大事だ。ポイントをどこに置くのだろう。

まあ門外漢の私がどうこう言える話ではないが、相手は長年の友人だ。随分と貯まってしまった備前や唐津のぐい呑みでも開店祝いにドサッと進呈することにしよう。

今日は何を書きたかったのだろうか。まったくまとまらなかった。

2010年10月18日月曜日

エコエコうるさい

相変わらず世の中、エコだエコだと騒々しい。前にも書いたような気がするが、どうもエコ絶対みたいな最近の風潮が気にくわない。

なんとなくノセられている人が圧倒的多数だろう。常識的な節約は大昔から奨励されているわけで、横文字にしてさぞ時代の潮流みたいに騒ぐのが気持ち悪い。

大げさに言えば、新興宗教的というかイデオロギーみたいな広まりかただ。もっと言えば「エコ」を建前にした商業主義に煽られているだけ。バレンタインデーとかハロウィンパーティーと変わりはしない。

先日、スーパーのレジで「袋は入りますか?」と聞かれた。どう見たって私は手ぶらだ。買った商品をどうやって持って帰れと言うのか。ああいうのをバカと呼ばずに何と言ったらいいのだろう。

語呂合わせじゃないが、エコの押しつけは純然たるエゴであり、迷惑な話。やりたい人だけやってろって感じだ。

どうも感情的になってしまった。エコ推進派の人には悪いが、本心からそう思う。

プリウスとかあの手のクルマも好きではない。「いい子ちゃんぶりっこ」を前面に押し出したデザインがイヤラしい。クルマに乗ること自体が環境に悪いのだから、本気でエコエコ騒ぎたいなら、クルマなんか乗らなければいい。


エコの語源は、いにしえの恐怖マンガ「エコエコアザラク」ではなく、「エコロジー」だ。私の知り合いにエコの語源は「エコノミー」だと思っていた人がいたが、あながちマト外れだとも思えない。

エコノミークラスのエコノミーだ。経済的とか効率的というニュアンスではなく、階層別で言うところの最下層といった意味合いでのエコノミーだ。

光熱費が払えないからエアコンつけずにガマンしているような人をエコ推進派とは呼ばない。その場合のエコは、ネガティブなイメージでのエコノミー階層でしかない。

節約は大事だが、貧乏ったらしいのは避けていたい。そういう意味でエコノミークラス的な切なさを連想させる「エコ」がうっとおしい。

エセ富豪を白状してしまうようでイヤだが、もちろん私も飛行機移動の際にエコノミークラスを利用することがある。ちっとも嬉しくない。養鶏場のブロイラーみたいで苦痛だ。

あれで満足したらいけないと思う。頑張って常にアッパークラスを居所にしたいというモチベーションは大事だ。向上心ってそういうものだと思う。足ることを知ることは大事だが、健全な向上心は別な話だ。その手のモチベーションが文明を作って技術を発達させてきたことは間違いない。

話が突飛な方に行ってしまった。週明け早々グチばかりになってしまった。とにかくファッションとしてのエコはどうにかならないもんだろうか。

どうせなら、昔の武田久美子が愛用した“貝殻ビキニ”とか、「はじめ人間ギャートルズ」に出てくる女性の格好みたいに、着るものまでとことんエコ路線が広がって欲しいものだ。

エコのせいで街行く女性の露出度がアップするなら、私もエコ推進派にさっさと宗旨替えをする。

なんでそんな結論になるのだろう。。。

2010年10月15日金曜日

コレステローラー

「コレステローラー」。妙にカッコイイ響きだ。ロックンローラーみたいだ。永ちゃんとかハマショーみたいだ。

コレステロールの摂取過剰に注意しないといけない私だが、ついつい毎晩のように「コレステローラー」だ。

アマノジャクを美徳とする場面では、「アマノジャッキー」を名乗り、体重を減らしたいときは「ダイエッター」になる私だが、その正体は「コレステローラー」なのである。

血液検査の結果を見たドクターは「脳こうそくになって身体が自由に動かなくなっちゃいますよ」などと恐ろしいことを言う。仕方がないから、そのドクターを誘ってイクラを沢山食べてきた。

ドクター同行ならコレステロール摂取もきっと大丈夫だろう。二人でムシャムシャと食べる。この季節ならではの生のイクラだ。ドクターも満面の笑顔だ。これでコレステロールうんぬんはしばらく言われないで済みそうだ。


私の肝臓、すなわち、γ-GTPに関してもうるさく注意するドクターだ。仕方がないので二人ではしご酒。しこたま呑んだ。ドクター同行ならきっと問題ないだろう。お互いかなり酔う。

この日、1軒目の食事は銀座の「さ久ら」で寿司。その前の週にもお邪魔した。8丁目のビルの地下にシッポリ佇む穴場だ。

カウンターだけの小箱だが、窮屈感はない。まだ30代の若い大将が切り盛りする。そのせいか、どこかモダンな雰囲気があるが、モダンすぎて落ち着かない様子とは違う。いい塩梅だ。


画像はシラスを沖漬け風にしたツマミ。シラスさんもコレステローラーの敵なのだが、日本酒と合わせたら抜群。私のバッグに常備してある備前のマイぐい呑みと並べて眺めてみた。見ているだけで心が穏やかになる。幸福だ。

行くたびに「もっと頻繁に通おう」と決意するのだが、ついつい間隔が開いてしまう。お姉様方にニコニコしてもらえる店なら一晩で2~3軒は回れるが、食べる店となるとそうはいかない。どうしても1軒だけだ。

身体は一つ。食べたいものはアレコレある。銀座にばかり出るわけでもない。どうしてもご無沙汰状態が長くなってしまう。まあ、だからこそ訪ねるたびに新鮮な気分で楽しめるのかもしれない。


軽く火の入った甘鯛の握りに少し酸味のある温かいだし汁をかけた逸品が出てきた。刺身や珍味の合間にこういう一品料理は嬉しい。“日本料理!”という味わいだ。変に洋風にアレンジする創作系とは違って実に真っ当。

黙っていても美味しいものを出してくれるが、小さいお店だけにその日の食材を聞いてアーダのコーダのいいながら状況に応じてワガママなオーダーも可能だ。

「カキバター」などとジャンクな注文をしても、この店らしい味付けでアレンジしてくれる。カキの風味がバターに負けない程度の微妙な味付けで、素直に舌鼓。バターコッテリもウマいが、カキの旨味がバッチリ引き出されている。


結局、料理の決め手は丁寧さとセンスなんだろうとつくづく実感。

話がそれてしまった。今日のテーマは「コレステローラー」だった。

9月24日付のこのブログで書いたシッポリ系の料理屋さんにも、ちょこちょこ行き始めた。銀座7丁目、数寄屋通りにある「O」。割烹というジャンルか小料理屋と表現すべきか良く分からないが、気のきいたウマいものを食べさせてくれる素敵な店だ。

先日、自家製の塩辛を食べた。塩辛などとあなどってはいけない。私にとって、塩辛のウマい店はそれだけで貴重だ。

市販の塩辛はたいていマズい。港町の海産物屋で仰々しく並べてあっても納得できるのは10個に1個もない。

「O」で出された塩辛はワタの旨味が凝縮されていてバンザイ。持参していたマイぐい呑みに燗酒を注ぎ、めくるめく官能の世界に浸る。イカワタさまさまだ。

イカの塩辛もコレステロールの塊らしい。だからウマい。

モツのピリ辛炒めもコレステローラー向きの一品だった。自家製コロッケも食べた。鮎の一夜干しも食べた。健康そうなイメージがある干物も実はコレステロールやプリン体が多い食品だ。だからウマい。

結局、最後に特製皿うどんも食べた。ソースもじゃぶじゃぶ投入。「麺、揚げ物、ソース」うっとりする組み合わせだ。遠からずアンコウ鍋も始まるらしい。アンキモが私を呼んでいる。コレステロール注入のためちょくちょく行かねばなるまい。

結局、食べることが好きな人間なら誰もがコレステローラーだろう。そうじゃない人はベジタリアンか虚弱体質の人ぐらいだ。

秋も深まってきた。白子とか珍味系の活躍するシーズンだ。コレステローラーとして忙しくなりそうだ。

2010年10月13日水曜日

永田町散歩

秋晴れの気持ちの良い某日、霞ヶ関、永田町方面を野暮用を兼ねてフラフラしてきた。新しくなった議員会館のリサーチのほか、某役所内にある某大臣室にも潜入してきた。

仕事の関係で以前から付き合いのある某大臣には就任祝い名目でハヤリのデジタルフォトフレームを持っていった。私が今欲しいものの筆頭格だ。SDカードを差すだけで、かなり綺麗な画像がアレコレ楽しめる。

http://fujifilm.jp/personal/digitalphotoframe/dp1020sh/index.html

進呈ついでに私自身がいじってみたかったので、渡したその場で中身を出して二人でいそいそと組立ててみる。

組立てるというほど難しいものではない。それでも、なかなか電源が入らない。不良品かと悩む。よく見るとフレームを支える支柱を差し込む部分に電源コードを突っ込んでいた。

機械に詳しくない二人がいそいそといじっていたので結構ダメダメだ。普通はもっと簡単だろう。

大臣室ともなれば、国旗がデンと置かれ、執務机も重厚でデカい。そういうシチュエーションで最新のオモチャをドタバタいじっているのは結構マヌケなシーンだ。

そうこうしているうちにデジタルフォトフレームはなんとか機能し始める。テスト用に用意していった私が撮影した水中画像とか変な画像を映してみる。

想像以上に綺麗だ。パソコンの画像とはひと味違う。さすがにフジフィルムとシャープの共同開発品だ。やはり私も欲しくなった。

大臣室もこの時期は分刻みのスケジュールだ。国家のために働く官僚を待たせて、写真鑑賞会をいつまでもしているわけにもいかない。長っ尻はせずに退散。

昭和初期っぽい重厚な大臣室とは異なり、新しくなった議員会館は、まだ未完成部分はあるものの、基本部分は稼動し始めている。イマドキの建物だけにパッと見は高級感もあるが、よくよく見ると質感はイマイチ。豪華だと批判を浴びない程度に作ってある。

それでも共用スペースなんかにはカッシーナの家具が使われているらしい。ちょっとムカつく。


議員それぞれの個室は今までの2・5倍の広さ。議員執務室、秘書執務室の他に10人ぐらいが入れる会議室スペースがある。

前の議員会館が小さ過ぎたから、やたらと立派に感じたりもするが、ビジネスホテル程度の造作だし、あの程度の部屋なら問題ないようにも思う。甘いだろうか。

議員会館の新装以来、永田町周辺の賃貸ビルから政治家の個人事務所が続々と撤退しているらしい。議員会館が広くなったことに加えて、政党助成金がガタ減りした自民党関係者が相次いで個人事務所を閉鎖しているそうだ。賃貸ビル経営者にとっては大不況到来だろう。


地下通路はこれまでより広くなり、一見、未来都市的な感じ。動く歩道もあって、地下鉄の改札にも直結。首相官邸や議事堂をはじめ、このあたりの地下は場所が場所だけに脱出用の秘密迷路みたいな造りになっている。といっても、いざというときに絶対に迷いそうではある。

お土産さんも新装オープンしたものの、菅直人まんじゅうとか、国会ねじれ餅みたいなシュールな品揃えは変わらない。今度、読者プレゼント用にいっぱい仕入れてみようか。結構ウケルかもしれない。

税金関係のメディアを発行している以上、税金で運営されている施設のリサーチは大事な仕事だ。そんな屁理屈?でウロウロさまよってみた。万歩計をつけておけば良かったと思うほど歩いた。不審者みたいだ。

小泉進次郞議員とすれ違って、ちょっとキュンとする。結構ミーハーな自分が恥ずかしい。

2010年10月11日月曜日

閉所恐怖症

狭いところが苦手だと感じ始めたのはいつ頃からだろうか。どうも最近その傾向が強い。エレベーターもなるべく避けている関係で、高層ビルで夜景を見ながらディナーなんて状況には縁がない。

先日、脳のMRIを初体験してきた。まいった。死ぬかと思った。大げさではなくまるでダメダメ。

腰とか肺のCTは何度も受けているが、脳は初めて。MRI検査はCTに比べて妙に時間も長い。20分もの間、動かずに頭を覆われて得体の知れない機械音の中で過ごす。

閉所恐怖症気味なので、解放感のあるMRI機器を持つクリニックを紹介されたのだが、それでもキツかった。

頭全部が密閉されるのではなく、左右は一応開いている最新鋭の機械らしい。それでも顔面の数センチ先に顔を覆うようにヘッドギアのような器具を付けられ、その上から大きな機械が覆い被さる。

最初の10分ぐらいは耐えた。そのうち、冷や汗、動悸が始まった。一生懸命エロいシチュエーションを思い起こしたりしたのだが、ジワジワと呼吸も苦しくなってきた。

さすがに限界とばかりに一応頭を動かさないように注意しながら両手をヒラヒラふってみる。技師さん気付かず。パニックが近づく。限界点到達。顔を覆う機械をバンバンたたいて「もうダメ~!」と叫ぶ。すっかり過呼吸モード。

技師さん気付く。マイクを通して「あと3分ガマンできますか?」とさらりと聞いてくる。「ウー」と意味不明の叫びを上げる私。

技師さんやってくる。「そのまま近くで何か話しかけてくれ~!」とほぼ絶叫する私。
「あと2分です。頑張れ!」と技師さんの声。手を握って欲しかったが、技師さんがオッサンだったのでガマンする。

「あと1分!」。技師さんも必死だ。ギブアップしたら最初からやり直しだ。はじめに鎮静剤を打つかどうか聞かれたのだが、断ったことを死ぬほど後悔する。

ボロボロになって検査終了。絶対あの時の私の血圧は200オーバーだろう。ヘロヘロ。思った以上に過酷だった。20分のうちの後半5,6分のパニックでホントにフラフラになった。

実はMRI検査の前の問診段階で、ずいぶんと脅かされたことも心理的な負担になったようだ。器具の上で目をつぶって直立しながらバランスを調べる際に、随分ゆらゆらしてしまった。

私のデータを見ながら医者がいう。「小脳に病気がある人だとこんな数値になります」。そんなこと言われた直後に頭密閉大会だ。

マヌケついでに財布に数千円しか入っていなかったことに気付かず、会計が足りずに待っていてもらった運転手さんから借用する始末。恥ずかしいやらヘロヘロだわで、まいったまいった。結果は今週中に出る。無事を祈る。

昔、カリブの小さい島に渡るとき、8人乗りぐらいのボロいプロペラ機に乗せられたことがある。でかい荷物も自分の膝の上に載せなければならず、息が詰まる空間で30分ほどパニック寸前で過ごした。

「天国に一番近い島」という言葉の意味を実感した記憶がある。

思えば、真冬の夜、寒さしのぎにフトンに頭から潜り込むだけで、必要以上に苦しさを感じるし、ダイビングでも洞窟系の場所は、たとえ名所だろうとパスする。

エレベーターが満員になりそうだったら目的階じゃなくても降りちゃうこともあるし、子どもを驚かすつもりでかぶってみたお面のせいで気分が悪くなったこともある。

自宅に置いてある小型のサウナだって、前面がガラス張りの商品だったから購入した。小窓しかないようなら絶対ダメだろう。

閉そく感とか圧迫感とかがまったく平気な人がうらやましい。何とか克服したいものだが、年々ダメダメぶりが進んでいるように感じる。

どこかが変なのだろうか?。今度、脳の検査でも受けてみようか・・・。

2010年10月8日金曜日

ダウンちゃん大暴れ

運動会シーズンだ。わが家のダウンちゃんは5月に特別支援学校の運動会があったのに、秋には併行通園している保育園の運動会もある。親にとってはちょっと困る。先日、仕方なく撮っても見もしないビデオを抱えて出かけてきた。

激しく二日酔いだったので、朝からの参加はキツい。それでも自宅から徒歩3分の距離なので、あせあせとアウトドア用の折りたたみチェアを持って出かけた。

年が明ければ4歳になるわが家のダウンちゃんは、まだまだ頭の回転は1歳半レベルだろう。それでも1年前に比べて格段に進化しているので親として素直に喜ばしい。

目立ちたがり屋なのか、マヌケなのか、ヤツは随所で観客の笑いを誘う。上手に音楽に合わせて踊る時も、ひとり友達の輪から別の場所でダイナミックに躍動する。ジュリアナのお立ち台にのぼっていたバカを思い起こさせるような目立ち方だ。

園庭一周の徒競走は第3コーナーを回ったところで勝手に終了する。玉入れにいたっては、途中から敵チームの中に入って、勝手に助っ人モードだ。

まさにやりたい放題。普段、生真面目に厳格に秩序を正しく守って生きている?私にとっては結構恥ずかしい。

感心したというか驚いたのが、まわりの園児達の様子だ。有難いことにウチのチビのヘンテコ行動に対して、ことさら反応せず、そういうもんだとばかりに普通に接してくれている。

おこがましいことを覚悟で言えば、障害児との共同生活を経験している子ども達の順応力に驚いた。ひとりひとりの違いを自然に受入れている。

幼稚園の先生達からは、ウチのチビによって他の子達もみんな学んでいるという話を何度か聞かされている。こちらへの配慮でそう言ってくれているのだろうが、アイツもアイツでそれなりに「世の中にはいろいろな人がいるぞ」という教材になっているらしい。有難いことだ。

この日は、特別支援学校幼稚部の先生もわざわざ見学に来てくれた。有難い限り。支援学校と通常の保育園の併行通園自体がまだまだ新しい取組みらしく、わが家のチビは研究材料として一応大事な役割を担っている形だ。

インクルーシブ教育という言葉をご存じだろうか。国連が定めた障害者権利条約に関連して謳われている考え方で、障害のある子どもを含めたすべての子どもが同じ環境で学ぶことを目指すもの。

日本は障害者権利条約に署名はしたものの、先進国としては少数派の未批准国である。したがって、まだ条約に拘束される段階ではないが、これまでの政府の議論ではおおまかにその方向に進んでいることは確かだ。

すべての子どもが小さいうちから、ともに過ごすことで他者との違いを自然に受入れるという考え方だ。現在の学校教育の課題解消にもつながるという側面からも期待されており、政府が掲げる「共生社会」のひとつのカギになっている。

結果的に、偏見を減らし、障害者の社会性向上、ひいては障害者の労働力なども大幅に向上させる可能性もあるわけだ。

もちろん、理念自体は素晴らしいが、推進に向けた動きの中で、養護学校や特別支援学校を罪悪視する風潮が少なからずあることが気になる。普通学校、普通学級こそ絶対みたいな考え方だ。

確かに障害の種類や程度によっては、親としては、普通学校に通わせたい、なぜ自分の子どもが排除されるのかという怒りを感じるのだろう。みすみすチャンスの芽を摘まれる感覚なのだろう。

「障害児の親歴4年弱」の私には理解できていない点も多々あるのだろうが、普通の保育園と特別支援学校の併行通園を実践させてもらっている立場から見れば、言いたいことは山ほどある。

端的に言えば「中途半端な一律化」がもっとも危険だと思う。特別支援学校のおかげで救われている子ども達だっていくらでもいる。普通学校にこだわったあげく、学校内で逆に差別感にさいなまれている子どもだっている。

もちろん、逆に普通学校に通ったほうが伸びる子が大勢いるのも事実だろうし、どちら側の視点で見るかによって意味合いは大きく異なる。

政権交代後の昨年、政府は「障がい者制度改革推進本部」を設置し障害者政策全般の見直し作業を進めている。一説によるとインクルーシブ教育への移行を急いで決定したいという動きもあるらしい。

ノロノロ、ダラダラは勘弁だが、拙速が一番恐い。拙速から生まれるものはたいていバランス感覚に欠けた制度でしかない。

この問題は書き始めるとキリがないのでこの辺で。

2010年10月6日水曜日

烏骨鶏のタマゴ

胃カメラと大腸カメラを楽しんだ(9月17日の当ブログご参照)際に採取した血液検査の結果が出た。だいたいいつもと一緒だ。

急激に悪化した数値はない。尿酸値も痛風発作寸前だが、現状維持だし、γ―GTPも高値安定ですぐにどうにかなるような水準ではない。

今回はいつも高めの「総コレステロール」の数値が緩やかに上昇していたが、これだって日本の標準値が国際的に厳しいという指摘もあるぐらいだから、気にしすぎるレベルではない。

とはいえ、医師いわく「年齢的にそろそろ意識しはじめろ」とのこと。確かにどう逆立ちしたって中年オヤジだ。20代、30代の頃と同じ感覚でいたら、血管も疲れてボロボロになりやすいだろう。

だから一応、コレステロールを意識することにした。

コレステロール問題にとって、最大の敵、というか愛すべき存在?がタマゴだ。タマゴであれば例外なくコレステロール業界では数値を上昇させる役割だ。

イクラしかり、タラコしかり、ピータンや明太子、ウズラの串だって同じ。敵と呼ぶには忍びないが、摂りすぎに気をつけることにしよう。と決意してみる。


とかいいながら、話のタネに「烏骨鶏の卵」を取り寄せた。幻の逸品だ。霊鳥とか不老不死の食材とか言われるアレだ。

とある高級食材通販にほだされて注文してしまった。なんと8個で4千円。さすがにたじろぐ。1個500円の生卵だ。

バカげた値段だが500円は500円だ。つまらない喫茶店でマズいコーヒーを飲めば飛んでいく値段だ。一度経験しておくには悪くない。この程度の投資で、きっと向こう10年はネタとして語るのだろうから、考えようによっては悪くない。

思ったより小ぶり。小さいせいで「500円」という事実が重くのしかかる。


割ってみた。悩ましい色加減だ。特徴としては、黄身の周りの「デロデロ」がほとんど感じられない。あの痰壷に入れる痰みたいなデロデロが嫌いな私にとっては、それだけで好印象。

当然、生卵かけご飯にしてみる。いつも「デロデロ」を極限まで捨てて生卵かけご飯を作る私だ。デロデロを感じない烏骨鶏様は、まさにこのために生まれてきたのだろう。専用醤油を加えてかき混ぜ、固めに炊いたご飯にそーっと優しくかけてみた。


邪念を振り払い、集中して五感を研ぎ澄ませて味わってみる。本当は10秒ぐらいで豪快にかっ込んで食べた方がウマいのだが、エセ富豪としてはチョビチョビ食べてみる。

感想は「甘い」、「後味が非常に爽やか」。この2点に尽きる。普段の生卵かけご飯に比べて10倍ウマい。そう考えると適正価格といえるのだろうか。

その後、オムレツも食べてみた。火を入れすぎずに仕上げたプレーンオムレツだ。ほんの少しのケチャップと少量のウスターソースで食べるのが私の好みだ。これまた甘味が際立っていた。

文句の一つも付けようかと思っていたが、軍配はヤツに上がった。素直にまた食べたい。

そんなに素晴らしいタマゴならわが家に常備すべきだが、コレステロールの関係で断念している。あくまで経済的な理由ではない・・・と強がっておく。


そんな合間に夜は夜で日本酒を片手にイクラ三昧の日々だ。コレステロールは上昇しっぱなしだ。

写真は高田馬場・鮨源でのヒトコマ。「久保田」の25周年記念原酒とやらを升酒にして、この時期だけの生イクラを肴にグビグビした。

素の状態の生イクラにチョロッと醤油を垂らして味わう。生卵が口の中で散弾銃のように破裂する感じ。エロティックな味わいだ。冷酒も進む。

血管や肝臓が緩やかに滅んでいく私だ。

2010年10月4日月曜日

タバコの話から・・・


10月だ。タバコが値上がりになった。しかたなくキッパリやめていたタバコを吸い始めた。これも国家のためだ。

今回のタバコ値上げは、いままでの大蔵省(財務省)主導ではなく、厚生労働省の主導だと聞く。そこが気に入らない。杜撰な厚労行政を棚に上げて、「健康のため」という“無敵のお題目”によって値上がり。

実は9月からチラホラたばこを吸い始めていた。しっかりやめていたのに、いろいろなストレスのせいで、ちょっと手を出したら、ほんの3本目ぐらいから「ウマいなあ~」としみじみ感じてしまった。

すでに1日1箱を軽く上回るヤバい状況に陥った。

早めに葉巻だけの生活に戻ろうと思っていたのだが、値上がり前にあせってヤメるのも「富豪」っぽくない。値上がり初日にカートン買いをしてこその私だ。

そんな下らない理由をつけてダラダラ吸っている。何とかしないと禁煙の場所が多くて不便でしょうがない。値上げ騒動が収まったらやめようと思う。

それにしても、民主党政権は増税オンパレードだ。もともと、左っぽい人々の集まりだから富裕層を敵視した相続税増税は既定路線だが、一般大衆の財布にも情け容赦なく手を突っ込み始めそうだ。

結局、ソ連とか中国とかと同様、「変な平等」を目指すには、いっぱいお金を集めて、いっぱいバラまかないと低所得者層を喜ばせられないという理屈なんだろう。

子ども手当なんてサギみたいな話の典型だ。はじめっから満額支給なんて無理とばかりに半額支給に路線変更。小沢首相が誕生すれば実現したはずの満額支給は結局オジャン。半額水準が既定路線になってしまった。

そこまではまだしも、ここからがインチキ。もともと所得税の扶養控除を廃止することの見返り的要素で登場したのが子ども手当だ。

扶養控除の廃止は既に決定しており、来年から無くなる。見合関係にあったはずの子ども手当は半額で決着。インチキそのもの。

政府与党は、子ども手当を半額しか出さない代わりに子育て支援のための政策に予算を振り替えるとかの方便をタレ流している。

月給50万の約束で入社させた社員に対し、いざ給与支払の際に25万円のキャッシュを渡し、残りは適当な自社商品なんかの現物支給でお茶を濁すようなもの。


子でも手当以外にマニフェストで強調していた高速道路の無料化も結局どこかにいっちゃたような感じだ。マニフェストは「約束」だと思っていた国民をバカにした話。

クルマついでに言えば、軽自動車、商用車の税金も増税になる予定だ。これも「何だかなあ」とため息が出る。

エコガー減税で補助金をバラマキ、大々的に購入を煽っておいて、それが終われば一気にクルマを買った人達への増税攻撃。いやはや品のない話。

エコカー減税という美辞麗句を並べて、クルマを売りまくった裏で、増税対象者を事前に増やしておこうという作戦だとしたら経済ヤクザレベル。

政権交代に国民が期待したものって何だろう。端的に言えば、それまでとは違う「大胆な政策」だったのではないか。

いま民主党政権を眺めてみると「大胆な言い訳」、「大胆な詭弁」、「大胆な居直り」ばかりが目に付いてしまう。

2010年10月1日金曜日

石垣島のつづき


石垣島の話のつづきです。

台風が日本列島の近くにあったので、石垣滞在中は、四六時中、神に祈りを捧げて好天を期待した。

地元ケーブルテレビの天気予報では、冒頭の画像のように「まったく心配なし」でも、いざ潜りにいく際には平気で雨が降ってきたりする。ホントに南国の天気予報は当たらない。

逆に雨の予報でも晴れの場合があるので、気にしていてもしょうがない。それでも風向きや波の高さなどは気になる。ホテルにいる間はずっと天気予報画面を環境映像のように映していた。


それにしても、この画像のようなファンキーな情報を出すヒマがあったら天気予報の精度を上げてもらいたいものだ。でも「泡盛喉ごし指数」は毎日私にとっては正確な予報だった。

今回泊まったホテルは日航八重山。沖縄本島の日航アリビラあたりに比べるとお粗末で、ビジネスホテルレベルだろう。言っちゃ悪いが倒産会社の直営ホテルという残念ムードが漂う。サウナ付き大浴場があることぐらいが評価できる点だ。まあツインのシングルユースで1万円なら文句も言えない。

このホテルを選んだ理由は、ダイビングショップがある川平地区まで出やすい立地にある。川平地区は繁華街がないため、夜の酒が楽しみな私は石垣市内に宿泊したい。クルマで川平までぶっ飛ばせば20分チョットなので、連日私が借りていたリムジンで通った。

私が借りたリムジンは、ロールスとかマイバッハより少し小さいサイズで「日産マーチ」というエンブレムが付いていた。1日あたり3千円という格安で借りられた。

市内から川平への道中は、鳥やセミの大合唱が物凄い。朝の早い時間には轢死したカエルや小動物の死骸が転がり、実にトロピカルな雰囲気。たまに珍しいクイナ(鳥)を見かけたりして楽しい。

ダイビングショップは老舗の「海講座」。オーナーはマンタポイントの発見者でもある。年輩のお客さんも多く、チャラ男ダイバーを見かけない点がいい感じ。英語が出来るスタッフがいるため、近くのリゾート「クラブメッド」の外国人客も多い。

私の滞在中は、ちょうど衝突船の中国人船長が石垣島に拘留されていた。せっかくだから日の丸を抱えて尖閣諸島まで潜りに行こうかと思ったのだが、マンタと近場のサンゴの魅力は捨てがたい。

しかたなく、検察首脳に連絡して、厄介な衝突船の船長をなんとかするよう頼んでおいた。


ダイビングが終われば酒の時間だ。石垣市内には選ぶのに困るほど飲食店がある。衣装と化粧は綺麗なホステスさんが揃う店だっていくつもある。

今回呑んだ店で良かったのは「一仙」という焼肉居酒屋と「すし太郎」という店。前者は石垣牛や県産のアグー豚の各部位を美味しく食べられる他、郷土料理も揃えているので便利。大枚はたいて頼んだヤシガニがまずい冷凍物でミソがスッカラカンで参った以外は良い店だった。

上の画像は「すし太郎」で頼んだガザミ。マングローブに住むワタリガニ系の逸品。手前に百円ライターを置いて大きさが分かるように携帯で撮ってみた。

この店、名前こそ北島三郎が経営しているみたいだが、メニューも豊富で味も良い。マンボウやイロブダイの刺身も美味しく、郷土料理も丁寧な味付けで文句なし。

そんなこんだで楽しかった石垣島の旅。マンタ以外の水中写真を並べたので、見てやって下さい。

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